第04話 龍と風車

「ぐ、うう……魔王様、どこへ…………」

 あれからどのくらい経っただろう。

 瓦礫の山と化した無人の魔王城。そこで目を覚ましたのは、コートの下の肌全体を包帯で包んだ青年であった。

 包帯の僅かな隙間から覗く金色の右目が、日が昇ったばかりの青空を見据える。

 鬱蒼としつつもムーディーな紫色の瘴気に満ちた空は既にない。それは魔王の消失と同義。

「魔王様……魔王様ッ!? ま、魔王様ァ――!!」

 崇拝していたあの魔王がいなくなった。その受け容れ難い事実に、彼は咆哮した。

 目に涙を溜め、自らの全てを悔いるように両手で顔を押さえる。そこから手を左右に広げて、力の限り涙を流す。

「なぜ……なぜだ! なぜェェ! う、おっ……おおおおんん! うお、う、あぐぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 しばらくそうしていると、馬が蹄を鳴らす音が近付いてきた。嗅ぎ慣れた人間の臭いに、青年は咄嗟に瓦礫の影に隠れる。

 様子を窺うと、自分と同じ歳ぐらいの男が馬から降りるのが見える。魔の気配もするのは、恐らくあの馬が原因なのだろう。

 引き締まった筋肉の上にあるのは黒い体毛。それを彩る白いタテガミの中からはねじれた角を生やし、瞳は白目のない血のような赤。

 彼はあの馬の名を知っている。あれはバイコーン。聖なる者を乗せるユニコーンと対を成す、漆黒の馬の姿をした魔物だ。

 なぜ魔物が人間を乗せているのだろうか。あの人間からバイコーンを奪えばすぐにここから発つことができるのだが、まずは様子見だ。

「誰も居ないか……ん、どうしたバイコーン?  …………臭いはあそこからか」

 足音が近づいてくる。人間に従う魔物が、魔族である自分の気配を察知したということか。

 戦いの疲れも癒えておらず、仕えるべき主がいなくなった自分には、隠れる手段も理由もない。

 包帯姿の青年は瓦礫の影から出ると、両手を上げて人間の前に一歩進み出た。

「僕は、怪しい者じゃない。包帯は物凄く怪我をして巻いてるだけで……うっ!?」

「右手が反応してやがる……てめぇ、魔族だなぁ?」

 人間の男が物々しいガントレットを装着した右手で、青年の頭を掴んだ。

 魔の気配はバイコーンからだけでない。この右腕からも感じる。頭に感じる痛みもまた、覚えのある感触だった。

 そう、懐かしい感触だ。かつて自分が魔王軍として人間の里をを襲撃していた時も、こんな風に“彼”に頭を掴まれたような気がする。

「……ハッ! おい貴様、離せ……その腕は一体何なんだ!?」

「あぁ、こいつか? 数年前戦った魔物に腕を斬られたもんだから、腹いせにそいつの腕移植したんだよ」

 目の前の男はそう言って頭から腕を離した。尻餅をつく包帯の青年の前で、男がガントレットを外す。

 がしゃり、と音を立てて落ちるガントレットに目を奪われ、その上にあるものからつい目を離していた。

 ガントレットの下にあったものを見て、青年は衝撃に目を見開いた。分厚い赤色の鱗に包まれ、黒く輝く爪を生やした刃物のような腕。

 一体こんなものが二の腕とどう繋がっているのか、それも気になるが、青年にとって重要なのはそこではない。

「さりげなく驚愕の事実を…………そ、その腕まさか!?」

「あの魔物……確かスルトとかって言ってたな。こいつは命を吸えるんだが、魔物にゃあんま効果なくてな……ただの武器みたいに使ってたンだよ」

「当然だ! 敵を喰らい同族に命を分け与える……それが我が友スルトの力なのだからな!」

「ほほう、お前あいつの仲間なんだな。今までわからなかった能力、教えてもらえた礼をしてやる」

 そう言われ、青年はスルトの右腕に再び掴まれた。今度は鎧なしの素手である。ガントレット装着時に比べ、感触が昔の記憶と近い。

「いだだ! やめろ……仕えるべき主のいない僕に、最早野望など残されていない……!」

「って言ってもてめぇは魔王軍残党だ……人に仇なす者には死、あるのみ……だぜ」

「は、離せ貴様……う、あぐおぉぉ……くあああああぁぁぁぁぁぁ!!」

 ミシミシと音を立てて、青年の頭に指が食い込んでいく。巻かれた包帯が一本一本切れて、その素顔が晒される。

 中からはおおよそ魔族のイメージとは縁遠い、極普通の端正な青髪の青年の顔が出る。一瞬驚いた男だったが、腕は緩めない。

 もはやこれまでかと死を覚悟した瞬間、頭を掴む腕からふっと力が抜け、青年は再び尻もちをつくことになった。

「チッ……邪魔が入ったか」

 そう言った男は、包帯の青年の背後を見ていた。その視線を負って振り返ると、青年には見知った顔が一つ。

 ベルトを幾重にも巻いたようなハードなビスチェを華奢な体に身に着け、燃えるような真紅の髪を両脇に結った少女。

 髪と同じ紅色をした瞳がキッと二人を見据え、ジトリとした切れ長の目で包帯姿の青年を睨む。

黒影魔ブラックマージジャミア様がなんてザマだ。いっつもえらっっっそうにしてるクセに」

赤炎蛇フラムバイトシュナ! なぜ貴様がここに!?」

「黙れ」

「どぅおわっ!?」

 驚愕に目を見開く包帯の男――ジャミア。シュナと呼ばれた少女が彼のもとに近づき、ゲシッと足払いして転倒させる。

 眼前で繰り広げられた光景に呆気に取られるスルト腕の男を指差し、シュナが甲高く声を張り上げた。

「さてそこの右腕男! シュナが加わったからには、アンタに勝機はないわよ? ここは大人しく引きなさい」

「……そうさせてもらうさ。どうせ王を失った魔族に大したことはできねぇからな」

 興が醒めたと言わんばかりの脱力感を見せながら、男は右腕にガントレットを嵌め直した。

 彼が無防備に背を向け、バイコーンに歩み寄る。そこでジャミアが慌てたように声を荒げる。

「待て!」

「……あン?」

「聞かせてもらうぞ、我が友を討った貴様の名をッ!!」

 ジャミアの金色の瞳は、かつてない程の激情を湛えながら男の右腕を見据えていた。

 それに応えるように男が振り向く。人間のままである左手で銃剣を抜き、長い前髪の隙間からジャミアを睨む。

「やだよ面倒臭い」

 恐らくジャミアの性格を考えてそう言ったのだろう。納得のいかないジャミアだ更に食い下がろうとする。その肩を引いて、シュナが一歩前に出た。

「いいから教えなよ美男子さん」

「ゼズだ」

「軽ッ!?」

 そのやり取りを終えると、ゼズと名乗った男はバイコーンに跨って去ってしまった。なんとも締まらない終わり方である。

 蹄の音が聞こえなくなると、シュナが溜め息を吐きながらその場に座り込む。

「見逃されたね、アタシ達……」

「何を言っている。あのままやっていれば勝っていたのは僕達だ」

 ジャミアの言葉を聞いた途端、シュナの赤いツインテールが蛇のようにうねって彼の頬をペシペシと叩く。

 痛い痛いと喚く彼をむくれた表情で睨みながら、シュナは髪を戻して彼の正面に立つ。そして振り上げた手を勢い良く彼の腹に叩き込んだ。

「死ねっ!」

「ぐはっ!?」

「相手との実力差もわかんねーのかカス! 心配かけさせんじゃねーよこのヘタレミイラ!」

 続け様に再び足払いして、転倒させる。ジャミアは三度目の尻もちをついた。

 抗議しようと顔を上げたジャミアに対し、彼女はツンと背を向けてしまう。

「ぐっ!? おい、いきなり何を……!」

「心配……させやがって」

 その時、シュナの声色の変化に気付いたジャミアが押し黙る。

 口調や振る舞いこそ傍若無人で憎たらしいままだ。自分のかつての主、魔王が自分に見せたような優雅さや淑やかさなど皆無。

 だがそこには、本気で自分を思う彼女の不器用な思い遣りがある。幼い頃から付き合いのあるジャミアには、それが理解できた。

「…………すまない」

 だから彼は素直に謝罪した。そこで赤くなった顔を背けるのも、自分の知る彼女の姿となんら変わらない。

 ジャミアが立ち上がると同時に、シュナはずんずんと前に歩き出してしまった。

「そんじゃとりあえず、あのクソオウムが言ってた魔王の後継とかゆーのをを探しにいくぞ」

「んなっ!? おい、どういうことだその話は! 説明するんだシュナ! おぉぉぉぉいぃぃぃぃぃぃ!!」

「うるせぇ!」

 迫るジャミアがシュナに殴られ、軽快な音を立てながら吹っ飛んでいく。

 頭にガンガン響くこの痛みも懐かしいもので、彼は喜びを感じながら地面で錐揉みした。



『ソロネモ』から深い森を越え、馬車で一週間程歩いた場所には、この国の首都がある。

 魔に近いソロネモと富裕層の集中する首都は、戦士を援助する役割と戦士を輩出する役割で互いを支え合っていた。

 二つの街を繋ぐのは、『ブリュール』という町。龍を超える大きさだと言われる風車をシンボルとしている。

 レンガ造りの施設が多い町の中では、彼女達のいる洋服店も例外なく橙色のレンガで構成されていた。

 二人が今いるのは、その試着室。マント姿のアリアが難しそうに腕を組む前で、白いワンピース姿のベルが様々なポーズをとってみせた。

「アハッ! どうです? 似合いますかお姉様!」

「お前の体型では、そのようにゆったりした服は似合わんな。太って見えるぞ」

「う~ん……胸が大きいってのも良いことばかりじゃないんですね……ま、良い事の方が多いですけれど!」

 そう言うと、すぽんと小気味良い音を立てて胸の谷間からオルバが顔を出す。異形のオウムの顔は、ニヤニヤして更なる異形と化していた。

 谷間から彼の身体を引っこ抜き、試着室から出口へ走り出すアリア。手首にスナップを効かせて、天高くオルバを放り投げる。

 この女怪盗のような行為は、オルバが町に紛れ込む為に互いが了承を得て行ったことだ。アリアからは止めるよう言われていたのだが。

「下郎鳥……なぜ貴様はそこに入っている。ベルも、私はやめろと言っただろう」

「ごめんなさいお姉様! 挟める巨乳という優越感に浸りたくて、つい……」

「……まあ、そいつを調子に乗らせない程度なら構わん。それと淫魔とは言え、公然であまり下品な言葉は使うなよ」

「はぁ~い! えとえと……あ、お姉様!」

 やれやれ、といった風情で戻ってくるアリア。その近くを見るベルの目が、目立つ位置に飾られた衣装に気付く。

 それはあるだけで存在感を放つというか、レンガ造りで比較的暖かな雰囲気の店内では一際異彩を放っていた。

 同じくその外見から異彩を放っているベルが、目を輝かせながらエプロンドレスらしきその衣装を指差す。

「この黒地に白いフリルの付いた服、いいと思いませんか~?」

「それは最近広まった侍女服だ。町中で鼻下を伸ばした貴族に値段を訊かれてもいいのなら着るがいい」

「お姉様、厳しい……」

 首都へ向かう途中のベルの一言。それは「田舎じゃできなかったことをしたい」という要望であった。

 オルバ曰く、元の年齢から八年分ほど成長した影響は決して小さくなく、精神が不安定にならないように気を配らなければならないという。

 今回要望を聞いて洋服店に訪れたのも、彼女にストレスを与えないためだ。そこに歓迎の気持ちがないわけではないが。

 実際に今までと違う派手な服装をする美貌と環境を揃えた彼女は、水を得た魚のように活き活きとしている。

「……そもそも今のお前の服は魔力で編まれたものなのだがな。私の魔装も似たようなものだ」

「つまりそれって……えっと…………布地の服を買ったところで、お金の無駄ってこと?」

「非常時には使えるかもしれんが……少なくとも今はそうなるな」

 ちなみにアリアは魔王城の宝物庫にあった金品を売り払ったので、特に金には困っていない。そしてその事はオルバには話していない。

 一着ぐらい買ってやってもいいかと悩むアリアの目の前で、ベルは飽きたような態度で店を出た。アリアも呆れながらその後を付いて行く。

 二人で路地裏まで行くと、ベルが窮屈そうに羽織っていたローブを脱ぎ捨てた。中にあるのは、元々着ていた黒いボンテージ。

「う~ん……やっぱりこの格好が落ち着きますねぇ……」

「目立つぞ」

「お姉様だって、マント脱いじゃえば人のこと言えませんよね」

「最近の女戦士は皆こんなものだ」

 そう言って思い出すのはソロネモで見た多くの冒険職の女性達。そしてその中の一人には、自分が戦ったイレーネという女戦士も含まれている。

 彼女を筆頭に最近の女戦士は、殆どが胸や腰回りに動き易さ重視した装備をする傾向がある。自分の装備はその女戦士という括りの中にあるだけで、何もおかしくないはずだ。

 自分の魔装は四肢や肩、腰回りのプレート等の要所のみが堅牢かつ刺々しい装甲に包まれている。露出箇所の合計で言えば胴以外はむしろ少ない。

 成長したばかりのベルにわかりやすく言葉を選びながら、アリアはその事を彼女に説いた。するとベルはにんまりとした笑顔になって駈け出した。

「じゃあわたしは、サキュバスの習慣……いえ、本能に従っちゃいます!」

「待てベル! その姿で一人は…………ん?」

「ア―――――――ッ!!」

 その時、突如上空から降りてきた不気味な顔のオウムがアリアの視界を遮った! 説明するまでもないかもしれないが、それは彼女自身が先程投げ飛ばしたオルバである。

 咄嗟にオルバを殴り落とした時、ベルの姿は既に見えなくなってしまった。原因であるオルバを地面に叩きつけ、ぐりぐりと踏みつけるアリア。

 町の象徴である橙色のレンガとアリアの象徴である黒い鎧に挟まれ、オウムの憎たらしい顔が昇天しそうな表情を作リ出す。

 あまりにも醜悪な顔に苛立ち、蹴り飛ばして再び歩き始めるアリア。健気についてくるオルバに、目を合わせず呼びかける。

「ベルを探しに行くぞ」

「えぇ? それはどういうことですかな?」

「彼女は本能に任せて先走ってしまった」

「ほほう」

 瞬間的に目を鋭くしたオルバを見て、反射的にまた殴るアリア。幾度の衝撃を受けてオルバの元々歪んだ顔が更に歪みを増す。

 誤解を解いたアリアは、屋根上まで飛んで空から町の様子を見た。魔族故の高い視力にも、彼女の姿は見当たらない。どれだけ遠くへ行ったのだろう。

 隣を飛ぶオルバの目にもそれは同じだった。つまりベルは室内か狭い道にいる可能性が高い。

 オルバには潜伏している可能性のある“魔王の魔力”の気配を探らせ、アリアはベルの捜索を続けることにした。

「きゃっ!?」

「おっと」

 その道中、肩が誰かとぶつかる。相手は麻のフードを被っていたが、衝撃でそれがめくれ上がった。

 中から現れたのは美人と言って差し支えない、アリアと同じぐらいの歳の女性。彼女は恐ろしそうな顔でアリアを見つめている。

 なぜそんな顔をするのか、とは聞くまでもなかった。なぜなら彼女の黒髪の中からは、左右一対の角が生えていたからだ。

「ご、ごめんなさい……! 見逃して下さい……何でもしますから……!」

「何を言っている……?」

「あっ!? い、いやあの…………なんとも思わないのですか?」


彼女は戸惑っている。自分の角を見てなんとも思わないのか、という疑問がきょとんとした表情に出ていた。警戒心が解けていくのを感じるアリア。

一瞬見えた怯えの表情に、何か思うところがあったのか。アリアは擬態を解いて角と翼を出して見せる。

「私も似たようなものだからな」

「まさか、あなたも龍人族!? …………いえ、魔族ですね」

「あぁそうだ。似たような角と翼だが、私にトサカと尻尾はない」

 龍人族には魔族にない特徴がある。その内二つはアリアが言ったもので、トサカは角の下に一対、尻尾はベルと同じく腰に一本生えている。

 それだけでなく四肢や局部などを包む鱗があるのが最大の特徴だと、龍のような特徴を持つ彼女が補足した。

 アリアたち魔族は翼や角、尻尾を完全に擬態することができる。だが龍人族や獣人族が生まれ持った特徴は、自力で隠すしかない。

 なぜそこまで怯えた様子をしていたのかと訊くと、拒むこともなく彼女はアリアに理由を話した。

「実は……追われているんです。相手は“奴隷会”という、黄色い服を着た怪しい集団です」

「そうか。愚かな人間もいたものだな…………助かりたいなら、私に付いて来い」

 アリアは彼女のフードをかけ直し、白く細いその手を取る。女性はわたわたと慌てながらも、特に嫌がる様子は見せなかった。

 沈黙を同意と受け取ったのか、アリアは足を止めずにある場所を目指して走る。そこなら心配ない、と確信のある場所だ。

 辿り着いたのはこの町のシンボルである大風車。ここは誰でも自由に内装を見ることができる観光名所である。

 扉を開けると、中は逢引に来た男女や旅行に来た家族などがあちこちにいた。これだけ人が多ければ安全だろう。

 龍人族の名はティアと言うらしい。大風車の中まで辿り着くと、ティアは安堵したような溜め息と共に備え付けのベンチに腰掛けた。

「しばらくはここにいろ。その怪しい集団とやらも騒ぎにしたくはないだろうからな」

「はい。有難うございます……でも、お詳しいんですね。この町のことはよく知っているんですか?」

「…………いや、一度来たことがある……気がする」

 実は過去の記憶が曖昧なのだが、その事は話す必要はないだろう。風車内のあちこちを見回してもそれが蘇る気配はない。そこまで重要な記憶ではないのだろう。

 手を振るティアに別れを告げ、アリアは風車から出てその外観を見詰める。龍を超えるという謳い文句は伊達ではなく、大樹のような迫力があった。

 だがいくら見直したところでそれ以上の感慨は湧いてこない。自分が何者であるかという問いに、果たして誰が答えられるのか。

 取り留めのない思考を止め、彼女はベルの捜索を再開した。



「い、いやぁ……もうやめてぇぇ……」

 同刻、人気のない薄暗い路地裏の奥。

 複数の男と一人の女性が欲望にまみれた空間を作っていた。ブリュールの太陽の裏では、むせるような湿度を持った影が生まれている。

 倒れ伏す黄色いスーツを着た男性の集団。その中心にはにボンテージ姿の女性。女性は集団の中の一人の男性の下腹部を弄っている。

 粘着質な音と共に響くのは、跨った女性に何度も急所を攻められる苦痛に喘ぐ男性の悲鳴であった。

「ダメですよぉ……誘いを拒むなんて、男らしくないですよぉ」

「いやぁぁぁん! ちょっ、もう……もう出ない! もう出ないから!」

「なに? 死にたいの……?」

 男が首を激しく左右に振ると、女性の長手袋に包まれた指が硬質化して伸びる。伸びた先は男の首元。

「どうしよっかなぁ……この指を前に突き出せばいいのかなぁ……」

「だ、出します! 出しますからっ! 命だけは、助け…………」

「こんな所にいたのだな」

 命乞いをする男の声をかき消したのは、女性の背後から響く凛とした響き。声の主が仄暗い路地裏の奥から姿を現す。

 黒いマントを羽織った銀髪の女騎士の姿が見えて、ボンテージの女性は即座に男性から離れて彼女に駆け寄る。

「お姉様っ!」

「ベル、こんな所で何をして…………成る程、本能だな」

 やってきたアリアが辺りに白く広がる惨状を見て、現状を把握した。サキュバスがすることなので疑問はないが、直視できない。

 泡を吹く男性、白目を剥く男性、吐血している男性、丸裸の男性など、十数人がバリエーション豊かな理由で倒れている姿は、まさに地獄絵図。

 この光景の渦中にいながら無傷のベルは十中八九、加害者側なのだろう。アリアは溜め息を吐くしかなかった。

「申し訳ありませんお姉様……でも、この人たちがベルを襲ってきたんですよ?」

「こんなことをする知識、どこで得た?」

「えっと、気付いたらいつの間にっていうか……頭の中に声が流れてきたっていうか……」

 それを聞いて、アリアが「私と似たようなものか」と納得する。しかし淫魔だけあって、与えられる知識が偏っている気もする。

 自分が魔力専門なら、サキュバス・ベルが貰う知識は肉欲専門なのかもしれない。本人にしかわからないこともあるだろう。

 何にせよここにもう用はない。そう思ってアリアがベルを連れていこうとした時、集団が身に着ける服の色が黄色いことに気付いた。

「ベル……」

「なんですか、お姉様?」

「まだ喋れるヤツはいるか?」

「はい、そこに……ってあれぇ!?」

 ベルが指差したのは、先程まで自分が男相手に本能を解き放っていた場所だ。そこにはもう誰もいない。不覚を取ったアリアが額を押さえて二度目の溜め息を吐く。

「逃げられてから思い至るとは……私もまだまだだな」

「何のことですか?」

 頭に疑問符を浮かばせるベルに、アリアが先程会った龍人族の女性――ティアのことを伝えた。

 話に出る女性が味わう恐怖を感じ取ったのか、ベルの表情が若干の憂いを帯びる。内容もある程度理解したらしい。

 直後に表情を明るくして「自分も会わせて欲しい」と言うものだから、ベルはまだ情緒不安定なのかもしれない。村では亞人など見れないものだから興味津々だ。

 だがアリアには“魔王の魔力”を集めるという最優先の目的がある。この町でそれがなければ一刻も早く次の町へ行くべきだ。

「ベル……いや、サキュバス・ベルよ」

「なんですか、お姉様」

「闇の眷属として、お前の態度はあまりにも奔放すぎる。まだ成りたてなのはわかるが、節度を……」

「淫魔が節度を気にしたら、何もできませんよぉ……」

「はぁ……」

 このまま止めても悪戯にベルのストレスを増やすだけだし、彼女が愚図るだけで時間の浪費になってしまう。

 アリアは渋々彼女の望みを聞いてやることにした。周囲を確認して、こほんと一つ咳払い。やや声を大きめに一言。

「ティアは今頃、風車の中にいるだろう。私達もそこに行こうッ」

「え、あの……いきなりどうしたのですかお姉様……」

「早くしないとどこかへ行ってしまうかもしれないぞッ」

「は、はいっ!」

 有無を言わさぬ気迫に押され、しゃきっと返事をするしかなくなったベル。アリアが何を考えているのか、彼女には今一つわからなかい。

 疑問に思いこそすれ、アリアに間違いなど有り得ないと考えたベルは素直にその言葉に従う。二人はその場を後にした。

 そして、この一部始終を見ていた人物が物陰に一人。先程ベルに跨がられていた黄色いスーツの男である。男は歯ぎしりをしながらその場を走り去っていく。

「……やはりな。奴は今から風車に行くつもりだろう」

 これに気付かなかったアリアではない。彼女はベルと共に物陰から屋根上に飛び、隠れた男の様子を伺っていたのだ。

 目を細めるアリアの横で、彼と濃厚なやり取りをした張本人が首を傾げながら一言付け加えた。

「でもあのヘタレっぷりだと、まずお友達のところにいくんじゃないですかねぇ……」

「成る程な。ではまた別行動にするか?」

「はいっ! 二手に分かれて行動しまっ!?」

 張り切って腕を振り上げるベルの頭に、アリアが軽くチョップをかます。頭を押さえながらうずくまるサキュバスに、腕を組んだアリアが肩を竦めて苦笑いした。

「少しは反省をしろ」

「ご、ごめんなさぁい!」



「見つかったか!?」

「いや、こっちもまだだ! ったく……逃げ足の早い女だ」

 状況を報告し合う男二人。焦りの見えるその顔を隠すのは、黄色く円を描く大きめのサングラス。

 二人は探索から戻ってきた仲間の情報を頼りに風車まで来たのだが、そこに肝心の龍人族の娘はいなかった。

 まさか偽情報を掴まされたのでは、とも思ったがどこかに隠れた可能性もあるし、逃げたとしてもまだ遠くへは行っていないだろう。

 そう考えて辺りを捜索しようとした二人だったが、その内の一人が背中に違和感を感じた。振り向けば、笑顔の女性がそこにいる。

 自分達の探していた龍人族の人物とは違ったが、中々の上玉であることは同じだろう。彼女に手を伸ばそうとした所で、今度は胸に違和感が移動した。

 一体何かと思って胸を見れば、一本の黒い刃が突き立っていた。一瞬何が起こっているかわからなかったが、女性が自分を剣で貫いていたのである。

「かはっ……!?」

「やはりここに来たか、浅ましい」

 彼女――アリアは躊躇なく黒く長大な剣を引き抜いた。同時に男の胸から噴水のように血飛沫が上がる。

 もう一人の男が逃げ出そうとしたが、その脚の脛辺りが長い杭のようなものが刺し貫かれる。地面まで刺さったそれは、彼の脚を縫い付け逃げられなくする。

 針のように長いそれは、サキュバス・ベルの伸縮自在な爪であった。引き抜くと同時に、男が激痛に耐えられずその場にうずくまった。

「あ~あ、手袋が土で汚れちゃいますよぉ……」

「う、うわ……うおわぁぁぁぁ!!」

「私の事を『貴重な淫魔だ』なんて言ってた癖に龍人族に浮気なんて……まったく奴隷商は節操無しなんですねぇ」

 その後も複数の“奴隷会”と思われる黄色い集団が現れたが、それらは黒衣の美女二人に為す術もなく蹂躙され尽くし撤退。

 興味本位で見に来た一般人も今はどこにもおらず、“奴隷会”の集団も跡形もなく消えてしまっていた。

 元々深追いするつもりのなかったアリアであったが、ここまで騒ぎを大きくしてしまったことは少し反省した。

 気持ちを入れ替えて大風車の中を調べたが、そこには誰もいない。彼女は逃げ切ることができたのだろうか。

「さて、私はこのまま首都まで魔力捜索に行ってもいいのだが……その前に掃除しておかなければならないゴミを見つけてしまったよ」

「お姉様? ……一体、どうなさったのですか?」

「奴らの一部を泳がせて、オルバに追わせている。時期にその本拠地の場所を知らせに来るだろう」

 そう言うアリアの赤い瞳は、ギラギラと怪しい光を放っていた。吸い込まれそうになったベルが、慌てて目を離す。

 田舎の村で泊まる時はそうでもなかったのに、ここまで憎しみを剥き出しにするアリアを見るのは初めてだ。というかそこまで考えていたのが意外だった。

 やがて本当に黒いオウムが飛んできた時、ベルとオルバは鋭さを増したアリアの表情にやや竦んだ。

「えぇ~、アリア様……黄色い服の集団の本拠地ですが……それはですねぇ」

「早く言え」

「この町のある民家の裏にある、井戸の中なんですぞ」

 目の前のオウムの不可解な言動に一瞬戸惑ったが、嘘を言っているわけではないのだろう。むしろそういう場所に犯罪組織の本拠地の入り口があるというのは合点がいく。

 小悪党らしい狡賢いやり方に、アリアは思わず口端を吊り上げた。あとはそこへ乗り込んで掃除を始めるだけだ。

 胸がゾクゾクしてくるのを感じる。高揚感にも似た何かが彼女の中で沸き上がっているのだろう。

 邪悪な笑みを浮かべて飛び立つアリアの姿は悪魔そのもので、これではどちらが悪党かわからないというのは、オルバの感想だ。

「さぁ、行くぞベル……」

「は、はいお姉様!」

 若干気後れ気味なベルと比較的乗り気なオルバを伴い、アリアは羽ばたいて眼下に広がる町を見下ろす。

 人間が豆粒ぐらい小さく見える。魔王の力を手にした暁には実際そのようになるのだろう。そうすれば小さなゴミなど気にする必要もなくなる。

 だがこの場において重要なのは、人間以外の種族が虐げられていることだ。義憤に駆られたわけではないが、人間への憎しみは増大する一方だ。

 いっそここから魔力弾を放って一掃してしまおうかとも思ったが、ティアまで巻き込んでしまったら本末転倒な上、目立って動きにくくなってしまう。

「面倒だが……仕方あるまい」

 彼女は大人しくオルバの案内に従って、件の民家まで向かうことにした。

「こちらですぞ」

「…………避けろッ!」

「な、何ですかぁ!? きゃぁぁぁぁぁっ!?」

 誘導に従って飛んでいると、何かが光り出すのが見えた。咄嗟に反応したアリアが二人に呼びかけ後退させる。

 一番前になったアリアのすぐ横で、一直線閃光が走る。黒く強大な、龍の息吹(ドラゴンブレス)を思わせる圧倒的な熱を持った光線だった。

 当たりはしなかったが、ここにいる全員の体温が少し上がった。それほどの熱を持った、暴力的な力の奔流。

「…………この気配、まさか」

「そのまさかかも、しれませんぞ」

 発射元と思われる場所からは、未だに土煙が上がっている。そこから一体の影が飛び立つのを、アリアは見逃さなかった。

 龍のような長い尻尾を持つシルエットが、大きな翼を広げて空を舞い、口を大きく広げて咆哮を上げる。

『グオ――――――ァァア!!』

 何かを発散するような叫びを終えると、影がアリア達に気付いて目を留めた。視線を固定すると、真っ直ぐそこに向かう。

 同時に土煙から龍が離れ、その影の全容が見えてきた。見覚えのあるその姿に、そしてその変貌ぶりに、アリアは何かを悟った。

「フハハハハハハ! ア、アハッ! アァァァ――――!!」

「な、なんですかあの人っ!?」

 姿は大きく違う。髪の色も、瞳の色も表情もまるで違う。何より、彼女に禍々しい爪など備わっていなかったはずだ。

 同時に、大きな“魔王の魔力”の反応もある。つまりそういうことか、とアリアは納得し、剣を抜く。

 冷静に状況を見るアリア、わたわたと戸惑うベル、バタバタと喜ぶオルバと、反応は三者三様だった。

「ククッ……そうか! そういうことか!」

「殺す! 殺してやるぞ! 我の自由を奪う者は! 何者であろうと――――ッ!!」

 黒き龍人族の放つ凶気に、二人と一羽が相対する。ブリュールの空に、ビリビリとした振動が走る。

 禍々しいその姿を見て、その気配を感じて、アリアは恐怖するどころかむしろ高揚していた。彼女あは口端を吊り上げ、剣を掲げた。

「いい土産を持ってきてくれたな――――ティア!」

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