第03話 崩れる景色と淫らな少女

 アリアとオルバが飛び続けること数時間。

 空は夕焼けに染まり、何もない平原から動物達の声も消えてしまった。魔族の間で夜は寝る時間ではないのだが、静寂感を拭えない。

 そんな折、彼女は森の中で屋根を見つけた。一つではない。屋根は木々の中に巣を作るようにいくつもある。

 まさに雑草のような村だ、としか思わなかったアリアだが、なんとなしに、飛ぶ高度を下げていく。

 ここに何かある。自分の中の何かがそう告げているような気がしたのだ。

「アリア様……感じましたかな?」

「ああ、まさかここに?」

「その通りですぞ! まだ一欠片しか回収してないのによくぞ! これからも精力を上げてどんどん魔王へ近づきますぞ! そしてゆくゆくはグヘェ!?」

「煩い」

「あぁ~……揺れ落ちるワタクシはまるで花弁の如く……」

 クチバシを働かせながらベラベラ喋っていたオルバがアリアの拳を受け、ヒラヒラと落下する。その様子は花弁というよりは枯れ葉やボロ雑巾だった。

 それを尻目に、アリアは夜風に煽られる翼を畳み降りていく。草葉から枝へ、枝から地面へ、足を使って少しずつ衝撃を和らげていく。

「呆れたオウムだな。さて、魔力反応は……」

「あ、あの……」

「ん?」

 声に反応して足元を見下ろすアリア。そこでは一人の少女が自分を見上げていた。フィリエよりやや幼い。歳は十程に見える。

 飛ぶ所を見られたのだろうか。だとすれば魔族だとバレて、この村には居辛くなる。特に弊害はないが、野宿は御免被りたい。

 ならばこの少女とその家族の頭を弄って適当に宿を取ってやればいい。そう思ったが、まだ心を操る術は完璧ではないのだ。

「だ、だれ……? どうして空、飛んでるの……?」

「……む」

「も、もしかして……魔族のひと!?」

 見られたか、と自分の迂闊さに頭を抱えるアリア。畳みかけた翼をしまうタイミングも逃してしまって、姿は誤魔化せない。ならば目的を誤魔化すしかない。

 しばらく考えた後、彼女の中で新たな発想が芽吹く。アリアは、突然体を抱いて身悶えし始めた。

「ぐ、翼が……」

「え、あ……つばさが痛いんですか!?」

「人間に攻撃されてしまって……動けんのだ」

 いかにも傷を負ったような声色と表情、震えるような仕草。歯の食いしばり方などどれ一つ取っても不自然さがない。

 アリアは、この幼い少女相手に情に訴えることにした。そしてそれを糸口として、この村から“魔王の魔力”を探す。

 そこで彼女は思い出した。先程まで感じていた魔王の感覚が、急に消え失せてしまったことに。

「わ、わたし……お医者さんを呼んできます!」

「いや、ダメだ!」

「えっ……」

 慌てて村へ向かって走る姿に、アリアはそれを上回った慌てようで手を伸ばす。

 急に呼び止められて戸惑う幼い少女に、申し訳無さそうな顔で謝った。

「人間の医者では治せん……その前にまず、魔族など村に入れてもらえないだろうな」

「でも、あなた……ケガしてるんですよね?」

「そうだな……今日は、ここで寝るとするよ」

 翼をしまいながらそう言うと、ベルがアリアの手を取った。鎧越しでもわかるほどに、小さく愛らしい手の平は柔らかい。

 幼さとは美しくも罪深い。と柄にもなく詩人のような言葉が浮かぶ。無知とは似て非なるものなのだろう。

 少女が本心から悲しそうな顔で自分を見上げていた。魔族を嫌わないのは幼さ故か、彼女の人間性か。

「だ、だめです……こんなとこで寝たら、風邪を……」

「しかし、他にあてもないからな……なに、魔族は人間と違って丈夫だ」

「あのあの……よければ、わたしの家に泊まりませんか……?」

「迷惑には、ならないか?」

「大丈夫ですよっ! うち、お兄ちゃんと二人暮らしだし……それに、お客さんなんて随分久しぶりだから!」

「…………名を、聞かせてくれ」

 どちらにせよ、付け入るのは容易そうだ。あとは相手の親に警戒心がないのを祈るしかない。

 ベルと名乗った少女は何が嬉しいのか、ややノリの良い調子で鼻唄を歌いながら走って行ってしまった。

 魔族なのは隠して村を探索し、魔力を見つけよう。そう思って彼女を追おうとした矢先、横から紳士的な声が被さる。

「アリア殿、信用なりませんぞ。このような虫のいい話、そうそう有り得ませんぞ」

「いたのか……貴様は、田舎で育った人間のお人好しさを知らん」

「確かに、田舎者には物事に大らかな傾向はありますが……お“人”好しですか」

 なぜ妙に人間に詳しいのかは謎だったが、魔王が選んだだけあって元来知識が豊富なのかもしれない。

 その後オルバは隠されそうになったり抵抗したりと忙しない動作を繰り返した。

 やれもう遅いだの早いだの、お前は誤魔化すには気色悪過ぎるだのと、しばらく口喧嘩が続いた。

「おや、今晩は冷えるな……鶏の出汁を取れば少しは温まるか?」

 この後、しょんぼりしたオルバを野に放ちながら、アリアはベルに村を案内されることになった。



 見渡せばなんてことのない、普通の村だ。感じなくなった魔力の持ち主はどこかへ行ってしまったのだろうか。

 もしそうだとすれば、この村にいるのはただの無駄だ。それでも可能性があるのなら見過ごせない。

 この村は宿屋がなく、泊まるとすれば民家しかない。今回はそれを利用してベルの家に寝泊まりする。

「旅人のアリアと言います。しばらくお世話になりますので、こちらに……」

「いえいえ、長旅お疲れ様です。ここは名も何もないところですが、いつまでもいていいんですよ」

 そこで、村長とアリアが話しているのを遠巻きに見詰める姿が二つ。

 一人は亜麻色の髪の少女、ベル。もう一人は同じ髪色を持つ彼女の兄、十六歳。名はカウルという。

 二人ともアリアを見る目は憧れに近かったが、カウルの方は体中舐めるように見ながら鼻の下を伸ばしていた。

「鍛え抜かれた脚とか、お腹とか……でもやっぱり一番はあの大きな…………」

「カウル、ちょっとこっち来ようか」

「なんだよベル……って、お前は!?」

 緩みきった顔でカウルが後ろを振り向くと、同年代の少女が一人、怪しい笑顔で彼を見ていた。

 金髪を肩の上で切って、均整の取れた体つきの上からきゅっと引き締まった狩人服を着ているその少女。

「エルシャ……どうしてここにいるんだよ」

「どうしてって……久々のお客さんだから見に来ただけだけど」

「そうかそうか。じゃあ確認したことだし帰って、どうぞ」

「帰ってじゃないわよ! アンタ、あんな綺麗な人が泊まったら何しでかすかわからないし……それに」

 そこまで言って、エルシャと呼ばれた少女は紅潮させた顔を背ける。

 不思議そうに首を傾げるベルを見て、話し終わったアリアがこちらに近づいてきた。

「それでは世話になるよ、二人とも。ご両親にも挨拶しておきたいのだが……」

「大丈夫ですよ。俺は妹と二人暮らしなんで。両親はもういません」

「出かけているのか? ……いや、すまない」

「いいですよ、別に。物心付く前の話ですし」

 彼の微妙そうな表情を見て、アリアは事情を察した。傍らの二人の表情にも影が差す。

 しかしそれを打ち破るようにエルシャが両手を振り上げ、声も張り上げる。

「それじゃ改めて、村を案内してあげましょう! 私はエルシャよ! あなたは?」

「アリアだ。それと案内ならもう受けているぞ……な?」

「そうです! 私が隅から隅まで案内してあげたんですからね!」

 アリアが頭を撫でると、人懐っこい笑みを浮かべて喜ぶベル。小さい村だからというのもあるが、ベルの案内は割りと的確だった。

 微笑ましそうにその様子を眺める男女二人。それがベルの兄とその幼馴染だというのは先程の会話を聞いてわかったつもりだ。

 だが二人の恋愛でも友情でもない独特の距離感を今一つ掴めない。というかそういう感情があまりわからない。

 いっそ直接訊いてしまおうと、アリアは一歩前に出る。表情は微笑みに見えるよう務める。

「ところで二人は、恋人か何かなのか?」

「こ、こここ恋人!? 違いますよ! 何で私がこ、ここ、こんなヤツとっ!」

「こんなヤツとは何だ、こんなヤツとは……まあいいや。ベルのヤツ、すっかりアリアさんに懐いちゃったみたいですね」

「ああ、いい子だよ君の妹は」

「そんな……わたし、もう……こどもじゃないもん!」

「すまない、君はもう立派なレディだったな」

 取り留めの無い会話の中、ようやく夜になっていることに気が付いた。ベル程の年齢なら既に眠っている時間だ。

 三人共それを察してエルシャは自分の家に、ベルを抱えたアリアはカウルに連れられ彼の家にそれぞれ行く。

 カウルにおやすみ、と声を掛け合って寝室に行くアリア。彼女が泊まるのは元々母親の使っていた部屋らしい。

 簡素ながら必要なものは一通り揃っており、掃除も行き届いている。故人の部屋とは思えない生活感がある部屋だ。

 ベッドに腰掛け、部屋を見回すアリア。そこで窓に目を留め、開けたそこから空を見る。オルバが飛んできて、窓の桟に止まる。

「どうだ、魔力の気配は探知できたか?」

「いきなりそれは酷いですぞ。しかしまあ……わかりませんな」

「そうだな。いきなり気配が消えるなど、私にはよくわからぬ」

「疑問はそこではないのですぞ……」

 歪んだクチバシから出た言葉に、アリアは思わず眉間に皺を寄せながら疑問を呈する。

 確かに普通の魔族から見れば旅人を装って民家に泊まるなど考えられないかもしれない。人間のフリがやけに手馴れているのも気になった。

 だがアリアにはそれがわからず、剣士とオウムは互いの意図を測りかねていた。

「人間観察も結構ですが、もっと手っ取り早い方法があるのではないですかな?」

「それはそうかもしれんが……場所がわからぬ以上は破壊だけで見つかるとも思えん。私が人の振りをして探そう」

 アリアの冷静な判断に、鳥類ながら目から鱗が落ちる思いになるオルバ。

 下級の魔族なら辺りの人間を虱潰しに蹂躙して探し出してもおかしくない。上級の者でも人に紛れられる魔族はあまりいないからだ。

 魔族は位が上がれば上がる程人間に近くなる。幼い少女の姿をした先代魔王がその最たる例だ。だがアリアはそれよりも人間に“近すぎる”。

「アリア様はもしや……」

「もういいぞ。下がれ、オルバ」

「はっ」

 深く詮索はしない。いずれ新たな魔王となる者がどんな経歴を持とうとも、彼には関係のないことなのだ。

 難しそうな顔で飛び立つオルバを見ながら、アリアは今後の自分のすべきことを考えていた。

 彼女は崩落した魔王城で目覚める以前の記憶が朧げで、あまり自分について詳しいことを覚えていない。

 覚えているのは、幼い頃人間から受けた厳しい仕打ち。あとは身近にいた人物を憎んでいたこと。それぐらいだ。

 こうして窓から月を見て夜風に当たると、そういった煩わしい記憶が掻き消され、頭の疼きも無くなる気がした。

「魔王の力を手に入れ、人間を……滅ぼす」

 月に手を伸ばし、握り拳を作る。いずれは自分は言葉通りの存在になる。それが頭の奥に刻みつけられた目的だ。

 人間のことを考えるだけで心の奥から沸々と憎しみが湧き出てくる。多くは下卑た笑みの貴族の男ばかり。

 無垢で幼い子供達が下衆に感化される前に、自分が正しい存在へ導かねば。ベルのことを思い出し、そんな思考も一歩前に踊り出る。

「戦力も増やすべきだな……」

 洗脳したフィリエを放置して来てしまったことを少し後悔しつつ、アリアは浅い眠りに就いた。



「んお、おはよう、アリアさん!」

「ん? あぁ、もう朝か」

「は、早起きなんすね……流石旅の人。着替えも早い……」

 にこやかに挨拶するカウルに、涼やかに返すアリア。深く眠っていなかっただけなのだが、早い時間に起きているのを驚かれているようだ。

 実はあの後鎧姿のまま寝てしまったのだが、面倒なので訂正する気もない。

「そういうお前も……まだ日が昇って間もない筈なのに何故?」

「俺、これからエルシャと狩りに行く約束があるんで」

「成る程な……」

 人間のことを快く思わないアリアだが、動物を狩ることは否定しない。それは自然の摂理だからだ。

 カウルが部屋を出ると同時に、玄関の方から彼を呼ぶ声が聞こえる。もう出かける時が来たらしい。

 手持ち無沙汰になったアリアも釣られるように部屋を出る。すると、寝ぼけ眼のベルが正面に立っていた。

「アリアさ……おはよ…………」

「ああ、おはよう」

 寝ぐせの立った頭をくしゃくしゃと撫でる。こうしていると本当に姉になったようで、悪い気はしない。

 その兄のカウルはエルシャに連れられ狩りに行くようだが、ベルはどうするのだろうか。

「あぁ、ベルはいつも隣の友人に任せてるんだけど……今日は風邪で来れそうもないんだ」

「だいじょぶ……わたし、ひとりでもへーき……」

 言葉の気丈さとは裏腹に、ベルの顔はむくれている。その目線は兄の手を握るエルシャに向けられていた。

 なんとなく察しのついたアリアが、その小さな体を抱き上げ、胸に抱える。

 するとベルは頬を紅潮させながらじたばたもがき出した。釣られたように口端を上げるアリア。

 まだ十歳程のその体は、魔族の強靭な腕力もあってか軽々と持ち上がった。

「なら一緒に行こう。私が近くにいれば……大丈夫だ」

「わわわっ……こ、子供扱いしてませんか! アリアさん!」

「姫を守るのは騎士の努めだからな、ははっ……」

 柄でもない冗談を口にして、自嘲気味に目を逸らすアリア。反応に満足して、とりあえずベルを降ろす。

 それを微笑ましそうに見詰めるエルシャを横目に、カウルが感嘆の声を漏らしながらその姿を眺めていた。

「エルシャ、大丈夫だ。アリアさんからはこう……凄い気迫を感じるから」

 言って、カウルの視線を追いながらエルシャがアリアを下から上まで眺める。

 その視線を一箇所に止めて、呆れたようにエルシャが一言。

「胸から?」

「ばっかおめぇ……そういう話じゃねーよ! 俺は万年発情期か!?」

「あら、違ったかしら?」

「こいつぅ…………」

 言い争う二人を仲裁するように、アリアが間に入る。抱えたベルのむすっとした顔を見て、やっと矛を収めた二人。

 ばつが悪そうに頬をかくカウルを横目に、エルシャが背中の弓を取り出してアリアの前に差し出す。

 しなやかな木製のそれには、相当使い込んだ跡がある。どうやらこれを使えと言いたいらしい。

「お前はどうするんだ?」

「あっ、こっちじゃなかった! スペアをもう一本持ってきたんだけど……使いますか?」

「狩りの流儀は知らないが……私は弓を扱ったことがないから、これでいく」

 そう言ってアリアが人差し指を差し出し、そこに黒い炎を灯す。尖った黒い指甲冑は、さながら炎を受ける燭台のようだ。

 エルシャがこれを見た瞬間、口に手を当てて驚いていた。こんな田舎村じゃ魔術は珍しいのだろう。

 と思ったが驚きは別の方向にあるようだ。黒い炎をまじまじと見詰めるエルシャの顔が、かなり真剣だった。

「一度魔術を見せてもらったことがあるけれど……黒! こんな色の炎、初めて見ました!」

「特別製だからな」

「んじゃそろそろ行こうぜエルシャ! あとアリアさんにあんま迷惑かけるなよベル!」

「また子供扱いして……そんなことしません!」

 頬を膨らましてそっぽを向くベルの頭を軽く叩きながら、カウルが割り込んでくる。

 明るすぎて逆に裏で何か企んでいるのでは、と疑ってしまいそうな笑顔。つまり凄く爽やか。

 未だに拗ねた様子のベルを三人がかりでなんとか宥め、兄自らその口にパンを突っ込むと大人しくなった。

 その後村から五分程歩いて、木々が生い茂った山の麓に向かった。狩りはこの中にある森で行うという。

「よしっ、これで三匹目っ! 今日は絶好調ね!」

 グッと拳を握り、喜びを表現するエルシャ。それを遠くから眺めるカウルも猟銃を使い現れる動物を狩っていく。

 だがどれだけ狩っても差は開くばかり。溜め息を吐き肩を竦める彼とエルシャを見比べて、アリアが嘆息した。

 普通、銃と弓ではどれだけ頑張っても埋められない速度の差があると思っていたが、エルシャの一射一射の間隔は並の軍人のそれより遥かに短い。

 弓を射る彼女の一挙手一投足から目を離さず、彼女が戦力になるかどうか考えるアリア。

「エルシャの弓は、なかなかの腕だな」

「はぁ~……こいつ、狩りのセンスだけは一人前なんすよ」

「アンタが言うかっ!!」

「相変わらず地獄耳……ひっ!?」

 銃を構える足元ギリギリの場所に矢が刺さり、青ざめたるカウル。それを見てクスクス笑うエルシャ。なんてことないやり取りからも、その命中精度の高さが伺える。

 “だけは”とカウルに強調されたが、それが本心からの言葉なら見る目がない。あれだけ強さと美しさを兼ね備えているというのに。

 とは言え彼の人柄を思うに、本気で彼女に憎まれ口を叩いているわけではなさそうだ。傍目から見れば信頼すら感じられる。

「む、あんな所に不細工な鳥がいるな。ふんっ!」

「グエェェェアリア様ぁぁぁぁぁぁッ!!?」

 それからというもの、互いの意地やアリアの介入などもあって、かなりの数の動物を狩れた。

 喋る魔物が一体混じっている気がするが、それは気のせいだろうと思うことにした一同。

 しばらくして今日の夕食は豪華になりそうだ、とご機嫌な様子のエルシャが、腰に付けたバケットを取り出した。

 中から出たのは、色とりどりの具材を挟んだ数枚のサンドイッチ。目を輝かせるカウルが手袋を外し、丸々一個口に入れる。

「んん~! やっぱエルシャの料理は最高だぜ! お前、いいお嫁さんになれるぜ!」

「なによ調子のいいこと言って……さっきは“狩りだけは一人前”とか言ってた癖に」

「そ、それは悪かったって! その場の勢いっていうか……まあ、あれだよ!」

 言いにくそうに目を逸らし鼻下を掻くカウルを見て、エルシャがおかしそうに笑う。満更でも無さそうだ。

 見慣れた笑顔の筈なのに、今日はなんだかそれを直視できない。自分の中で何かが芽生えていることに気付くカウル。

「んじゃ、次はこの肉多めのサンドを……あ」

「あっ……」

 瞬間、互いの手が重なる。二人はあまりの恥ずかしさに、紅潮した顔で見詰め合う。しばらく固まって、その空気が動かなかった。

 二人の様子を遠目から眺めるベルは、やや頬を膨らませている。宥めるようにその頭を撫でるアリアの顔も、複雑そうな苦笑を浮かべている。

「どうした、やきもちか?」

「! ち、ちち……ちがいますよー! わたしはお兄ちゃんの妹だし、それに……」

「それに?」

「二人は、お似合いだと思いますし……なにより、エルシャさん凄く綺麗だし…………」

 言いながら自分の未発達な体とエルシャのすらっとした体躯を見比べるベルの顔は、憂いに満ちていた。

 アリアの胸元を見ながら深い溜め息を吐くベル。言葉と行動が全く噛み合わず、分かりやすいにも程がある。

 「私もこのくらいあったらなぁ」という切なげな呟きを、魔族の耳は聞き逃さない。

 彼女は見た目以上に繊細な時期を迎えている。敏感に変化する表情から、アリアはそれを感じ取っていた。

「……さて、私達もそろそろ二人のところに行こう。お邪魔か、などと気にする必要はないぞ」

「そ、そうかな?」

「ああ、そうだ。なんといっても君は、カウル君の妹なのだからな! フフッ……それ!」

「ううぅ……むぐぐ!? お、大きい……」

 赤面しながら縮こまるベルを抱え、アリアが歩く。胸の中の彼女がじたばたと抵抗するのも構わず二人のもとへ向かう。

 鎧が上半分を露出してるせいか、ベルの顔が丁度胸の谷間に突っ込む形になってしまったが故意ではない。

 そして赤面する状況でいきなり二人組が来るものだから、カウルとエルシャは吃驚して互いに飛び退いてしまった。

 森の緑とは反対に、みるみる赤くなっていく二人の顔。今は違いに背を向けているが、次に向かい合うのはいつのことだろう。

 四人で昼食を済ませると、カウルの一声で全員の成果を比べることになった。

 何匹か比べ合って勝ち誇ったエルシャの前に、カウルが一際大きな猪を連れて来たところで争いが起こる。

 そこに自分の狩った虎を持ち出した成績一番のアリアが仲裁することで、事態は収まった。どこに虎がいたか、という質問には答えない。

「しかしこんなに狩っちまったら、俺の家の周りが干物だらけになっちまうな」

 普段は生態系に気を配り、その日要る分だけ狩るのだが、今回は如何せん二人がムキになり過ぎた。

 頭を悩ませるカウルに、アリアがそれらの処理をしたいと申し出た。彼はこれを渡りに船だと思い、自分達が食べる分以外の獲物を全て彼女に預ける。

 何に使うのかは気がかりだが、あまり物事を深く考えない彼は、追求するほどのことでもないと考えて夕食を終えて寝た。



 その夜のことである。突然聞こえた叫び声に、カウルは目を覚ました。耳を澄ませば、何やら外が騒がしい。

 一体何が起こっているんだ。そう思った彼が部屋を飛び出し、ベルの部屋に飛び込む。即座に妹の寝顔があるはずのベッドを探るが、そこには誰も居ない。

 ベルがこの家にいない。外では騒ぎが起こっている。だが妹は自分に黙って外出するような性格ではなかった。家出など以ての外だ。

 つまり今この村に、悪意を持った何者かの意思が働いているということだ。信じ難いが、こうして妹が家から出ている以上、可能性は高い。

 嫌な予感を抱えながら母親の部屋に行くと、そこにも誰もいなかった。つまり今この家には自分ひとりしかいないということだろう。

 焦る気持ちを抑えつつも、急いだ手つきでドアを開ける。外に出て飛び込んだ光景に、カウルは絶句した。

「なんだよ……これ」

 村の状態は凄惨、という他ない。あちこちの家屋が倒壊し、地面のそこかしこに赤い液体がこびり付いているのが夜目にも明らかである。

 あまりの様相に頭の中が真っ白になったカウルが最初に取った行動は、村から逃げようとしていた男性に話しかけることであった。

 一体何が起こっているんですか。なぜ家が滅茶苦茶に壊れているんですか。妹とアリアさんを見ませんでしたか。

 震えた口調の質問にも、彼と縁の深い村人はしっかり答えてくれた。自分の命よりも、目の前の若者の将来を優先したのだ。

「村が、魔物に襲われた。ボウズ、おめぇさんもはよぅ逃げんと……エルシャの家はまだ襲われとらん。助けに行ってやれ!」

「は、はい……! ありがとうおじさん!」

 カウルが一目散に幼馴染の家に駆けていくのを見て安心したのも束の間。村人はそこにいるべき小さな少女がいないことに気が付く。

「……待てカウル! おめぇさん……妹は…………ぐうっ!?」

 追いすがり手を伸ばした瞬間、後ろから刺し貫くような感触が彼を襲った。玉のような汗が滴る顔で、やっとの思いで後ろを振り向く。そこにいたのは、一頭の巨大な猪。

 村人は不自然な感覚に駆られた。なぜならその猪はおぞましい風貌をしているとはいえ、毛並みや臭いが似すぎているからだ。 ――山の麓の森に現れる猪に。

 そもそもこの村の周辺に魔物の住処などなく、今までもそのように考えて平和に過ごしてきた。なのにいきなり魔物が発生するなど、おかしな話だ。

「つまり、理屈はわからねぇがそういうことなのか……んぐぁ!?」

『――――ィィイン!』

「おじさん!」

「馬鹿野郎! 来んじゃねぇ!」

「でも!」

「いいか、ボウズ……今、この村ではわけのわからねぇことが起こってる。どこもかしこも滅茶苦茶で、その内魔物の巣になっちまうだろうな。でもな……おめぇさん達にはまだ未来がある! こんな所で死んでいいわけがねぇ! だからボウズ、逃げ切れよ……みんな連れて逃げ切れよ!」

 そう言った村人の胸に、より深く猪の角が突き刺さっていく。遂にはそこから体が引き裂かれ、カウルは思わず目を背けた。

 涙目になりながらも、彼は走った。絶対に守らなくてはならない幼馴染のいる家へと。今ある生命を守ることだけが、自分にできる亡き者達への弔いなのだ。

「無事でいてくれベル、アリアさん――――エルシャ!」

 村の中で最も綺麗で目立っていたエルシャの白塗りの家も、今では血塗れと破壊跡が目立つ凄惨な様相を呈していた。

 それでもまだ、倒壊はしていない。藁を掴む思いでドアを開け、彼は思いのままに叫んだ。

「エルシャぁぁ――――! 無事か!? いたら……いたら返事をしてくれッッ!!」

『カウル!? その声は……カウルなのっ!? 無事、だったのね……』

「ッ! エ、エルシャ! 待ってろ、今行くから……」

『ま、待って……! きちゃ……きちゃあ駄目! アンタだけでも逃げて……!』

 縋るような涙声が奥の部屋から聞こえる。何があろうと、ここで一人村から逃げたら一生後悔する。

 だから彼は、エルシャの声に従わずに真っ直ぐ彼女の部屋まで向かう。見慣れたドアを殴るように開けて、中を覗き見た。

 するとそこには、彼が求めた人達がいた。一人も欠けず、全員生きていた。だが、この違和感は何だ。

 涙目のエルシャと、昏睡状態のベル。宙に浮く手錠をかけられ、吊るされた状態の二人を見たカウルは気が気でない。

 しかしその二人と仲良くしていたはずのアリアが、何事もないかのように二人の中央で腕を組んで立っている。まるで拷問部屋だ。

「アリアさん……一体、何をしているんですか…………」

「驚いたか、カウル君……二人の腕を拘束しているのは、魔力でできた手錠だ。ベルには睡眠の魔術もかけてやった」

「ふざけないでください! まさか、あの魔物を村に放ったのは、あなただったんですか!?」

「そうだ」

 憮然と肯定する彼女の声に、今までのような柔らかさはない。窓から差す月光が照らす表情は冷たく、人間味を感じない。

 戦慄する彼の前で、アリアの肌に描かれた紋様が紫に光る。同時に蝙蝠を思わせる翼が一対、彼女の背中から生えてきた。

 そして額の兜の下をくぐるように角が生えてきたかと思えば、それは急な角度を作り真っ直ぐ上向きに伸びていく。

 光が収まり、その全貌がはっきり見えた時、彼は戦慄した。目の前にいる騎士は、魔物とは比べ物にならない人型の魔族なのだ。

「我が名はアリア。魔を集わせる黒騎士。外の魔物は、お前達と共に狩った動物に私がちょいと魔力を入れてやった」

「やっと魔族らしいことをしましたな、アリア様」

「とは言え私は死霊使い《ネクロマンサー》ではない。あれに意思を持たせ命令するのは無理だ。奴らは今本能だけで動いている」

 専業の死霊使いでなければできない、死体を動かすという行為。彼女はそれを、内側に入れた魔力で人形のように扱うことで成し遂げた。

 これは魔力量の多いアリアにしかできない芸当である。しかし、その消耗は“魔王の魔力”が完全でない彼女にとって決して安いものではない。

 なので実は、今この時点で外の魔物は動いていないのだ。緊迫した状況で、この場にいる人間誰もが外の静けさに気付いていないだけである。

 オルバは改めて、彼女の魔術の才能に感服していた。アリアが完全な魔王になった姿をこの目で見たい、という思いが固まってきた。

「な、なんだこの鳥は……」

「トリじゃないですぞ! ワタクシはリッパなオウム型魔族なのですぞー!」

 喚きだしたオウムをはたき落とし、黒騎士は震えるカウルの前に歩み寄る。

 逃げて、と涙ながらに叫ぶエルシャの声を聞きながらも、歩み寄られた少年はただただアリアを睨むことしかできなかった。

 震えるカウルの耳元で、アリアはただ一言だけ囁いた。今まで彼が聞いた柔らかい口調で、妖艶な笑みを湛えながら。

「……お前が言えば、助けてやる。但し、どちらか片方だけだ」

「なっ!?」

「さぁ、慎重に選べよカウル君……パートナーを決めるのは、君だ……」

 そう言って彼女はカウルから離れ、囚われの二人の間に戻った。落とされたオウムも起き上がり、その肩に乗る。

 何が面白くてそんなに笑っているんだ。そう言ってやりたいが、彼が今から言っていい台詞は二種類だけ。

 エルシャ、ベル……その二人のどちらかだけだ。隙を突こうにもアリアとあのオウムの目を同時に眩ませる策はない。

 外に助けは期待できない。時間をかければかけるほど彼女が苛立って気が変わってしまうかもしれないからだ。

 何もできない。自分には魔族を打倒できる程の力も策もないのだろうか。だとしても、ここでありのままを受け入れたくはない。

 だから彼は、一瞬で背中の猟銃を構えた。そしてそれを、間髪を入れずに前方に撃ち出す。 ――だがそんな必死の抵抗も、魔族相手では悪あがきにしかならなかった。

「それが答えか……?」

「ぐっ……!」

「次が最後だ。答えを聞こう」

「お、俺は……」

 そう言って彼は唇を噛み締め、膝を突いた。未だに震えるその手を地に置き、頭を下げる。目に溜めた涙が落ち、エルシャの部屋の床を濡らした。

 大事な家族と幼馴染の命を握られ、自分一人ではもう為す術がない。その事実を認識した途端、悔しさが目からこみ上げてくる。

 絶えず熱を放つそれを、止めることが出来ない。だからここで、自分は大人になるしかないのかもしれない。

「俺が片方の名前を言ったら、もう片方は、どうするつもりなんだ……?」

「! まさか、カウル……! ……私のことはいいから、ベルちゃんを助けてあげて! でないと……今度こそひとりにッ……!」

 カウルの言葉から事態を察知したエルシャが、半泣きで彼に訴えかける。その言葉は、喉元に突きつけられた剣によって途切れた。

「……そうだな。確かに、選ばなかった方がどうなるか、と言わないで選ばせるのはフェアじゃあなかったな……では言っておこう」

 顎に手を当てて、アリアが何かを考えるような仕草を見せる。そこからちら、とカウルの様子を伺うが、彼は微動だにしない。

 もう彼に抵抗する意思は残されていない。あとはどちらを選ぶかを待つだけ……そういう状況になっている。

「選ばなかった方は“好きにさせてもらう”よ」

「ぐうっ……!」

 その言葉に、カウルもエルシャも共に絶望した。死よりも悲惨な結末が、二人を待っているというのだろうか。

 この村のそれを上回る惨劇のビジョンを想起し、彼は恐慌状態になりかけていた。

「…………くれ」

「なに?」

「エルシャを…………返してくれ」

「! カウル、何を言っているの! あなた天涯孤独になってもいいの!?」

 悲痛な叫びも、もう聞く気になれない。彼女だけは、どうしても失いたくなかった。それにまだ、妹が死ぬと決まったわけではない。

 村はなくなってしまったが、彼女さえいてくれれば自分は救われる。生きていればいつか、妹にも会えるかもしれないのだ。

 楽観的かつ最低な自分の考え。どす黒い嫌悪感が胸に大きな靄を生み出して、消えてくれない。

「だ、そうだよ……ベル。まったく、君の兄は薄情だな。こんな状況でも、唯一の肉親より幼馴染を取るとはな」

 アリアの囁くような一言に、エルシャの隣で眠っていたはずのベルが反応し、その目を開いた。

 そこには今までのような光はない。自分が今感じたそれを上回る絶望が、自分と同じ色の瞳に宿っている。

「そうだったんだね……おにいちゃん」

「まさか……起きていたのか!?」

 カウルが驚きの声を上げる。同時に二人の手錠が外れ、エルシャは一目散にカウルのもとへ駆け寄り、ベルは一歩も動かない。

 茫然自失としているが、何かを待っているようにも見える。その瞳に映るのは実の兄ではなく、凶悪な魔族であるアリアだった。

「君の兄を奪ったエルシャが憎いか……それは無理もない。だが、私が取り戻させてやろう」



  ――感じたぞ。“魔王の魔力”の反応を。これを取り出して私のものにすれば、もうこの村に用はない。

 だがそれで終わりではない。頭の中に響くこの声を信じるならば、私にはまだやることがあるはずだ。

『ただ持ち主から“魔王の魔力”を奪えばいいわけではない。その者が強い感情を発露した場合、かつての魔王のように魔力を霧散させてしまうかも知れぬ』

 かつての魔王は確か、戦いの最中で魔力を大量に使って世界にそれらが散らばった……とオルバから聞いている。

 魔力所有者が暴走して魔物にでもなった場合、それと同じことが起こって苦労が増えるということか。

 フィリエの友人ルルのように、潜伏率が低くすぐ見つかりすぐ取り出せる状況はあまり多くないらしい。

『だからそこで一つ、妾が提案してやろう。感情が発露して暴走した者、しそうな者への対策をな。それはな……』

 ……なに、そうか。そうやって魔力を……なるほど。 …………まあ、いいだろう。



「んむぅ!?」

 次の瞬間、アリアとベルの影が重なった。いや、正確には一部分だけが重なっていた。

 二人の唇が触れ合い、互いに何かを確かめ合っていたのだ。

 緊迫した状況からは考えられないアリアの突飛な行動に、思わず目を見張るカウルとエルシャ。

 妹がされた行動の意味についてしばらく考えていたが、さっぱり見当がつかない。ただただ呆然とするしかない二人。

「んっ……んぅうう……んはっ……ぁんん……!」

 長く押し付けては少しだけ離してまた押し付ける。アリアの口吻はやや強引なものだが、ベルにも拒む様子は見られない。

 それをしている彼女からすれば、やっているのはある鳥の親がする餌の口渡しのようなもので、他意はないのだが。



 私の中に、魔力が広がっていく……素晴らしい。これでまた私は高みへ登ったというわけだな。

 このまま吸い尽くしても構わんが、それでは面白くない。せっかくここまで嫉妬と憎しみが発露したというのに、そのままにしたのでは彼女に悪い。

 だから私は“魔王の魔力”を吸って開いた穴を、別の魔力で埋めてやることにする。魔王の力によって独自に生成した、その複製のような魔力だ。

 こいつは先程の声が言っていたが、流し込んだ相手によってその姿形を変える。受ける者の欲望次第では、異形の魔物にだって成り果てる。



「さて、君はどんな姿を見せてくれるのかな……ベル」

「ん、あぁぁ……!」

 ぷはっ、と名残惜しそうに唇を離すと、ベルが我が身を両腕で抱いて身悶えする。

 立ち上がって走り寄ろうとするカウルとエルシャだが、透明な壁に阻まれてしまう。

 アリアが恨めしそうな流し目を二人に向け、すぐに興味がなくなったのか視線をベルに戻す。

 透明な壁を何度殴っても、斬っても撃っても、どんな力も弾かれてしまう。自分達はこのまま、何もできないのだろうか。

「う、うぅぅ……! あああぁぁぁぁぁ!!」

「ベルっ!? 待ってろよ! 兄ちゃんが今、助けてやるからな!」

「見捨てた癖に偉そうなことを言うもんじゃあない。邪魔だ」

 壁とは関係なしに、アリアが魔法でカウルを地面に這いつくばらせる。高い重力で無理矢理そうさせたのだ。

「ぐあぁぁ!」

「カウル!?」

「あ、あぁ……か、からだ……が……!」

 ベルの体のあちこちが、沸き立つようにボコボコと盛り上がってきている。おぞましい変容を想起し、カウルは身震いした。

 だがそんな妹に対する悪魔の所業を前にして、何もできない自分。これでは何のための兄なのか。無力感が募るばかりだ。

「はぁ……んぅ! なに、これ……ちから、が……!」

「ベル!? おい、やめろ……何してんだよ……!? おいッ!!」

 やがて肉の沸き立ちが落ち着いてきたのか、彼女の体の変化が次の段階へ進む。盛り上がった肉が、脚や腕の先、胴体などあちこちにまとまっていく。

 それらの皺は整地されるかのように真っ直ぐ伸び、元の張りのある肌が姿を露わにする。だがその肌は、今までよりも表面積を増やしていた。

「なに、これ……んぅぁ! ひうっ! ひゃああ!?」

 盛り上がった肉が、すらりと伸びた脚の周りにむっちりとした張りを与える。ぷにぷにとした印象だった手指が、しなやかな大人のものに変わっていく。

 村娘らしい短く切られた茶髪が、風を受ける草木のように靡く。ざわざわ動くそれがさらさらした直線を描いて腰まで伸び、妖艶な薄紫色に染まる。

 体型の変化のせいで、元々着ていた簡素な麻の服がきつくなっていた。背が伸びたせいか、きゅっと括れたウエストや太腿が丸見えになってしまっているのだ。

「わ、たし……かわっ、て……はぁぁぁぁぁんっ!!」

 腰つきが丸みを帯び、ただでさえミニスカートのようになっていた服が、タイトスカートのように窮屈そうな衣装と化した。

 恍惚そうな顔で変化を受け容れるベルが、ビクンッという悶えと共に腹部を抱える。

 その上で、服は悲鳴を上げていた。ミチミチと切れそうな音の内側では、平原から大きな果実が実ろうとしているのだ。

 既にそれは常人の手の平に収まらない程の大きさになっている。エルシャをやや上回る程よいサイズである。

「あ、はぁ……う、あぁ…………も、もっとぉ……!」

 懇願するようなベルの声に呼応するように、乳房は更に膨らむ。最初はググッ、ググッ、と一段ずつ。今は、勢い良くグン! グン! と二段三段飛ばして変化が起こっている。

 乳房はかつての自分の頭程の大きさにまで膨らみ、隣にいるアリアの美乳すらも軽々と越えていく。

 服を首の皮一枚で繋げていたボタンも根負けしたのか、大きな弾力を伴って弾け飛んだ。その下で伸びきった縄と化していた下着も、切なげな音と共に千切れた。

「う、あンっ! あっ、胸が……胸がぁ……こんなに重いなんて――――!!」

 窮屈で田舎臭い服を打ち破り、陶酔したような嬌声を上げた彼女は、一糸纏わぬ姿になった。

 色香を曝け出す肌にぴたりと張り付くように、黒く扇情的な衣装がその肢体を彩っていく。娼婦などが身につけるボンテージよりも更に過激な衣装だ。

 腰回りは食い込みが激しいハイレグで、乳房はその延長線上にある布だけが覆っており、見えていけない部分しか隠すつもりがない。

 関節までを覆った長手袋と長ブーツの色も黒く、包まれた指先は鋭く尖っていた。艷やかになった唇の下からも、尖った牙が覗く。

 アリアのものと異なる蝙蝠のような翼が一対、彼女の場合は腰骨のやや上辺りを根本にして広がる。こめかみの上からは、羊のような巻き形の角が生えてきた。

 そしてアリアにはなかった変化が、彼女には現れた。臀部のやや上辺りから、黒く細長い尻尾が生えてきた。その先端のハート型のヒレを見て、アリアは確信した。

「成る程……淫魔サキュバスか。おいカウルよ。お前の妹はかなり“溜まっていた”ようだなぁ……」

 ニヤリと口端を吊り上げるアリアを見て、次いで淫魔と化したベルの変わり果てた姿を見る。

 そこにはもう、自分の知るベルの面影など欠片も残されてはいなかった。

「そんな……ベルちゃんが、淫魔? ウソ……でしょう?」

「はぁ、はぁ……ウソじゃ、ない…………」

 そう言って、艶やかな姿の淫魔が、まだおぼつかない足取りでカウルのもとまで歩み寄る。

 上気したようでいてどこか冷静な顔は美しく、大人の色香に満ちていた。そこにかつての素朴さは残されていない。

 しかし用があるのは自分ではない。淫魔と化したベルは、隣にいるエルシャの耳元に口を寄せた。

「な、何よ……ベルちゃん……」

「わたし、負けないからね。絶対に、奪って見せるんだから…………」

「――ッ!」

 それだけ言うと、何事もなかったかのように彼女はアリアの隣に戻って、その肩を抱き寄せる。

 満たされたような笑みで豊満な胸に腕を挟んで、自らの体の感触を確かめていた。

「ありがとうございますお姉様……こんな素敵な体にして頂けるなんて……ベル、感激です」

「それはお前が望んだ姿だ。私は君の力を引き出す手伝いをしたに過ぎん」

「お姉様……? そいつは、この村をこんな風にした張本人なんだぞ……戻ってこい、ベル!」

「それは違いますお兄様……わたしにとっては、今やお兄様とお姉様だけが全てなの。他のことなんて……どうでもいいのよ」

 その時カウルは悟り、再び絶望感に包まれた。もうベルは完全に魔族の力に毒されているのだと。

 どうすればいいのかわからず。その場で立ち尽くすのみだった彼。その手を引いて、エルシャが外に向かって走り出す。

 必死の逃走だったせいか物音が激しく、アリアならば簡単に追えるだろう。外の魔物は全て死体に戻っているので、放っておけばすぐに逃げられる。

「……さて、追うのか?」

「別にいいですわ……今の私にはお姉様がいればいいもの」

「君の兄はどうするんだ」

「この体があれば、いつでも奪えますわ……うふふ、 これが新しいわたし……」

 そう言って体をくねらせて、自分の胸に実る鞠のような果実の感触を手で確かめてうっとりするベル。

 アリアより背は小さいが、バランスとボリュームを併せ持った彼女に対して、ベルはボリュームに特化した体つきをしている。

 彼女の精神年齢は、急激な身体の成長と魔力の増幅による影響で多少なりとも上がっている。女の武器の使い方も自然と理解しているのだろう。

 だから実の兄であるカウルに対しても、いざ自分が迫れば簡単に靡くだろうという余裕がある。

「私の目的は、浅ましい人間を滅ぼすことだ……手伝ってくれる気はあるか?」

「当然付いていきます……でも、お兄様は生かしておいて欲しいですわ」

「ああ、彼は純粋な男のようだからな。もしまた会ったら君が好きにしていい」

「でも他の人間は許せません……アリア様の綺麗な翼を攻撃して蹴落とすなんて……」

「ああ、あれは演技だ。この村に泊まるためのな」

「え、えぇ~!? …………って、まぁなんとなくわかってましたけど?」

 互いに微笑み合う二人。そしてアリアの肩で未だに会話に入るタイミングを見失っているオウムが一羽。

 だがしかし、そんな事で黙るオウム紳士ではなかった。ニヤリとした表情で、オルバがぴょん、と跳躍した。

 着地先は彼にとってのソファ。つまり、隠すことを覚えていない、ベルの胸の谷間に入ったのである。

「んほっ! これはこれは……大きくて柔らかい、立派なできたておっぱいですぞ!」

「あらあら……エッチなオウムさんですねぇ……」

「相変わらずだな、下郎鳥め……まあいい。行くぞ、ベル」

 不愉快そうに呟きながらも、ベルには柔らかな口調で呼びかける。広げた翼を操り、彼女は夜空へ羽ばたく。

 その翼は一対から二対に増えていて、彼女の魔族としての格が上がったことを如実に表わしていた。

「はぁい、お姉様っ! わたし、飛ぶの初めてなので……色々教えて欲しいです!」

「あぁ~、いいですぞォ~……実に、実にいい感触ですぞォ~……」

 弾んだ調子の声で、彼女がその後ろを付いて行く。胸にオルバを挟んだまま。

 初心者の不器用な飛び方のせいで身体が上下に揺れるものだから、今のオルバは幸福な感触に浸りっ放しなのだ。

 くすぐったそうにしながら飛ぶベルを見て、微笑ましいような、庇護欲を感じてしまったのだろうか。

 アリアは高度を下げて、飛び慣れてない淫魔の身体を抱き留めた。艷やかになった薄紅の唇を見て、衝動的に彼女と口を重ねた。

「んぅむ…………ぷはっ! お姉様……?」

「いや、すまない……君には想い人がいるというのに。先程の事を思い出してつい、な……」

「いえいえ~! なんならもう一回してもらっても構わないですよ~!」

 蕩けそうな赤い顔に両手を当て、左右に首を振るベル。その様子を見て更に悶々としてきたアリア。

 彼女はオルバを放り投げて、ベルとより密着する。彼女の豊満すぎる胸は、鎧の奥にあるアリアのそれをもひしゃげさせた。

「お姉様……わたし、寂しいです」

「私が村をこんな風にして、兄も友人も逃げてしまったからか?」

「んもぅ! 違いますよぉ……その、なんというか…………もうしばらく、こうしていたいです……」

 悪くない。そう思ったアリアがより強く彼女を抱く。そのアリアの銀髪に、ベルが顔を押し当てて、強く息を吸う。

 戸惑ったアリアの表情を面白く思ったのか、ベルの息が強さを増してきた。

「いい匂いですね……流石はお姉様です」

「……もういいか?」

「いいえ、まだ吸い足りませんわ……うふふ」

「なるほど、淫魔だな」

 それからというもの、二人は夜空の中で何度も楽しんだ。

 相手が淫魔だからかも知れないが、後にアリアは「ヒートアップし過ぎた」と反省したという。

「ワ、ワタクシも混ぜてほしいですぞ…………ガクッ」

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