第02話 操る精神と揺れる心

 魔王城の崩落跡から歩き、最も近い街がある。その名は『ソロネモ』。

 それでも馬車で二日かかるほど離れてはいるのだが、修羅場に最も近く冒険者に親しまれたその街は今でもその支援を怠っていない。

 勇者一行が魔王を討ってから一週間も経っていないのに、魔王対策の商業からの切り替えが早かったのだ。

 栄えた大通りには活気が溢れ、高低様々な建物が文明の高さを表している。その高い屋根の一つに彼女は立っていた。

「ここは人間が多いな……」

 教会の頂上を飾る十字架に背を預け溜息を吐くのは、その場所に似合わぬ禍々しい雰囲気の女騎士。

 腕を組み、不快そうな顔で俯いている。顔には影が差しており、眉間には皺が寄っていた。

 飛んできた一羽のオウムが頭上で一回転して、彼女の刺々しい肩鎧を苦労しながら掴んで止まる。

 黒い羽毛と赤いトサカを持ち合わせ、ギョロリとした目を持つ奇妙なオウム。それが朗らかな老紳士の声で喋りだす。

「アリア様、わかりましたぞ、この街の……」

「遅い」

「ひ、ひぃぃ! お、お許しをー!」

 アリアと呼ばれた騎士は、肩の黒いオウムをオルバと呼び、頭から掴んで投げる。

 飛ばされたオルバは涙ながらに許しを請う。その様子を見て腕を組みなおしたアリアが溜息。

 涙でぐしゃぐしゃになった間抜け面に毒気を抜かれ、眉間の皺も影も失せた。

「……まぁ良い。そう急ぐことでもない」

「ところで、先程からこの一帯に“魔王の魔力”を感じますぞ」

「ああ、私もだ……この感覚が、そうなのか」

「間違いありません。魔族の間では当たり前のことでございますぞ」

 感慨深そうに呟くアリアの怒りから落ち着いた表情に、オルバが安堵する。

 しかし魔族なのに“魔王の魔力”の感覚を知らないとは、一体彼女は何者なのかと疑問が浮かび上がる。

 アリアとオルバが出会ったのは魔王城が崩壊した跡地。鋭い殺気を受けながら、なんとかして同行の許可を得た。

 その時の彼女は今より気性が荒い上に言動が辿々しく、何を考えているかがまるでわからなかった。今でも落ち着いているほうだ。

 剣呑な雰囲気の彼女と同行できた理由は、利害の一致に他ならない。彼女の目的は、自分の中にないもう半分の“魔王の魔力。

 勇者との戦いで使われた魔力は、この世界の各地へ飛散した。魔王の召使いをしていたオルバはその気配を察知することができる。

「もっと、力が必要だ……」

(魔王様はこの者を後継者にするおつもりで力をお与えになったのですかな……? 一体魔王様とこの娘は何を考えている…………皆目見当がつきませんぞ)

 更なる力を求めるアリアと、主を亡くした小さな魔物。現時点で、互いに利害は一致していた。

 ただ求める結果は違う。オルバの考えでは、“魔王の魔力”が一つの器に全て集まれば魔王が復活する可能性がある。

 拳を握り瞑目する彼女を見ながら、黒いオウムは期待と疑惑の入り混じった眼差しで翼を折りたたむ。

「ではその魔力のある場所へ行くぞ」

「ははっ、こちらでございますぞ」

「その腹の立つ喋り方はなんとかしろ」

 殺気の込められた軽口を交わしながら、一人と一羽が空に羽ばたき街を見下ろした。

 その後しばらくしてオルバが右足で器用に指差したのは、何の変哲もない大通り。立ち並ぶ民家のどれかにあるという。

 アリアが翼を畳んで適当な屋根の上に着地すると、オルバもそれに続く。ここから路地裏に降りそこから大通りに出る。

 普通に着地しても良かったが、魔族に敏感なこの街で目立つのは避けておきたかったのだ。

「少々臆病だったのではありませんかな?」

「時間の無駄……わざわざ消耗するのは愚かだ」

 試すつもりで言ったのだが、返ってきたのは意外にも冷静な答え。突き放すような態度は何かに焦っているわけではなく、元来のものらしい。

 そのアリアは今、背中の翼をしまって人間と然程変わらぬ外見になっていた。それでも銀髪赤眼の美女の際どい鎧姿は街中では浮くだろう。

 見兼ねたオルバは長いローブでも着込みましょう、と提案したが却下された。彼女は動きにくい服装が嫌いらしい。

 代わりに彼女は何かを詠唱し、魔力で布を編んだ。漆黒のマントが膝下までの丁度いい丈に伸び、鎧を上から覆い隠す。

 これで他の騎士と変わらないだろう、という有無を言わせぬアリアの言葉にオルバは押し黙った。

「では魔族のワタクシも目立つので、ここに隠れますぞ……おやおや、こんな所に丁度いいソファが」

 そう言ってにやけた顔をするオウム型魔物が、マントの裏側にある豊満な双丘の谷間に潜り込む。

 次の瞬間、脚を掴まれたオルバがむにゅ、と柔らかそうな音と共に引き抜かれた。

 さながらシメられる前の鶏のような体勢になった彼は、ガタガタ震えながら謝罪の言葉を繰り返す。

 涙ながら重ねる熱き紳士の謝罪も虚しく、アリアの眉間の皺はより深くなっていった。

「この下郎鳥がッ!」

「そんな鎧着てるアリア様がいけないんでグエェェェ! も、申し訳……申し訳ございまェアァァァァ!!?」

「これの良さなど貴様にはわかるまい!」

 怒り顔のアリアに何度も何度も頭を壁に叩きつけられたオルバはこの時、もう二度と彼女に狼藉は働かないと誓うのであった。



 時を同じくして、オルバが目をつけていた大通りの周辺では。

「それじゃあ行ってらっしゃい、フィリエ」

「行ってきまーす!」

 家族に見送られながら、フィリエと呼ばれた十四歳程の少女がパタパタと街を駆けていく。

 今日もいつも通り学校へ授業を受けに行く。それはこの街にある唯一の学校。

 健気に明るく振る舞い、視線を交わす人全てに丁寧に挨拶していく生徒の鑑だ。

 見目麗しい金髪と同年代より大人びた雰囲気を持ちながら親しみやすい性格の彼女は、異性同性問わず人気がある。

「おはようございます、フィリエさん」

「おはよっ!」

 大通りの他の家から出てきた生徒達に囲まれ、たちまち会話に花を咲かせるフィリエ。

 その様子を遠巻きから見つめる影がある。黒いマントを羽織った銀髪の女性と、その肩に乗った黒いオウムだ。

「むむっ、魔力反応があの辺りに! あの学生の誰かの体内に潜伏しているはずですぞ!」

「声が大きい。誰だ……密集していてわからん」

 まだ慣れていないのか、それとも魔族は殆どこんなものなのか。アリアは人混みに混ざる魔力を判別できなかった。

 なので通行人に紛れ込んで学生達を追跡することに。ついでに周囲の認識を歪める魔術を使おうとしたが、発動寸前で止める。

 “魔王の魔力”を得るために思いついた手段の一つを、早速実行に移すことにした。

「そこの娘」

「はい、なんで……」

 誰か一人が気付いてくれればいい。そんなつもりで声をかけると、先程フィリエと呼ばれた少女が振り返ってくる。

 これ幸いとばかりにアリアが眼に意識を集中する。魔力が行き渡り、彼女の赤い瞳が怪しい光を放つ。

 そこから目が離せなかったフィリエの青い瞳は、逆に光を失っていく。表情からも、活力が失われていった。

「何でしょう、ご主人様」

「お前の学友達の中から、これに反応する者を見つけ出せ。私は四時に広場の時計塔の下で待っている」

「……かしこまりました」

 尖ったガントレット越しに、彼女の指先から紫の雫が零れ落ちる。雫はフィリエの手の中で固まり、小さな水晶になった。

 水晶を受け取ったフィリエが学生達の輪に戻る。あとは学校へ行く彼女達を見送り、その帰りを待つだけだ。

 上手くいって満足気なオルバと違って、計画の立案者であるアリアは物足りない顔をしている。

 彼女としては、強引に一人ずつ試しても良かったのだ。だが情報が少ない状態でそんな強行に出てもいらぬ面倒が増えるだけ。

 それがわかっている彼女には、時間のかかる方法を取らざるを得ないことに少なからず苛立ちがあった。

「……早く行け」

「はい…………あっ、みんな待ってよ~!」

 視線を逸らすと、フィリエは普段の表情に戻って他の生徒の後を追った。オルバにその監視を頼むと、アリアは踵を返しどこかへ去ってしまう。

 人使いの荒い次期魔王候補の後ろ姿を見ながら、黒いオウムはトサカを垂らしながら溜息を吐く。

(魔王様に百年お仕えした私ではありますが、あのような主は初めてですぞ……どうか見守っていて下さいませ、魔王様)

 今やすっかり元の晴天に戻ってしまった空を見ながら、今は亡き先代の魔王のことを思うオルバ。

 物思いに耽るのも終わり、自身に魔術をかけて周囲の認識を阻害させる。これで普通の人間にはただのオウムにしか見えない。

 尾行と飛行を器用に繰り返しながら、彼はフィリエの通う学校にまで辿り着いた。

 学校と言ってもそこまで立派なものではなく、木造で背の低い極普通の建物だ。校門も粗末な鋳鉄製で、ただの大きめの民家に見えなくもない。

「おはようフィリエ!」

「おっはよー!」

「今日も綺麗だね、フィリエ!」

「ふふ、ありがとう!」

 いつもと変わらぬ笑顔で、愛想をふりまくフィリエ。言われなければ魔術にかかっているとは思えない程自然だ。

 あれは一定の条件が整った時だけ従順な状態になるのか、それとも全てアリアが設定した反応なのか。

 どちらにせよ並の魔術師ではあれを見抜くのは困難だろう。益々アリアが只者ではないという確信が強まる。

 それからしばらく監視していたが、特に挙動不審なことはなく、疑われることもなかった。

(普通に授業受けてますぞ……)

 枝に乗って遠巻きに教室の中を見るも、何も起こっていない。

 行動に何かしらのトリガーが必要なのかもしれない。それなら自分が行動を起こすべきだろうか。

 しかしアリアにしかわからない考えがあるならば、独断専行は得策ではない。

 学び舎という文化は魔族には根付いていない。長く生きてきたオルバでも、今まで知識にあるのみであった。

 だがアリアはそれを自然と受け容れていた。不審に思わなくはないが、今はそれが助けになっている。

 ならば自分にできることは、今の主を信用して目的の達成を見届けるだけだ。

(しかし、授業を受けながら魔術を極めた騎士とは……聞いたことがありませんぞ……)

 現時点で情報量が多すぎてどんな後継者だ、と魔王の判断に異を唱えたくなったが、ぐっと堪える。

 まだ付き合いが浅くよくわからないが、かつての主が選んだ者を信じずして何が忠臣か。

「ふぁ…………」

 真剣に決意してから数時間。いくら魔術といえど退屈には勝てない。押し寄せる睡魔に、オルバの意識は曖昧なものになっていた。

 そうこうしている間に授業は終わり、教室内の人数もぱらぱらと散っていく。簡素な木造の教室は床音も大きかったが、それでもオルバの睡魔は醒めない。

 やっと目が覚めた時、彼は焦っていた。今日の役割を終えた教室から人はいなくなり、フィリエもその中から消えていたからである。

「それじゃまたね、フィリエさん」

「ちょっと待ってて、ルル」

「……? どうしたの?」

 校門の前で立ち止まり、ルルと呼ばれた少女が友人の声に首を傾げる。

 フィリエはいきなり彼女の手を握り、懐から小さな球体を取り出す。アリアに渡された紫の水晶だ。

 ブルブルと振動するそれを、有無を言わさずルルの額に押し当てたフィリエ。その表情からは感情が消えていた。

「御同行願います……ルル・メリエル」

「え、何……? 急に、ねむく……な…………」

 その瞬間、何かに感染したように、ルルの表情までもが虚ろなものになった

「では、行きましょう」

「は……い…………」

 眼から光が失われ、淡々とした挙動でフィリエの後ろを付いて行く。水晶球には、現状ではアリアだけが使える特別な術式が施されていた。

 水晶に込められた微量の“魔王の魔力”の持ち主の意識を奪い意のままに操る術。その仕組みは、中に指を入れて動かすパペットとよく似ている。

 内側にある“魔王の魔力”は、言わばパペットを操る指。パペットは術を受けた者……今はルルと言う小さな少女がそれだ。

 ルルはフィリエより頭一つ分小さく黒髪で、大人びた彼女とは対照的な印象の少女だ。なので互いが自分にないものを求め、姉と妹のように仲良くなった。

 そんな二人が今では一人の魔族の為に操り人形になっている。魔術とは便利で輝かしいものだが、醜悪な恐ろしさも秘めているものである。

 さて、操られたフィリエが命令に従って時計塔の下に向かった時、そこには何があったか。

「…………」

「…………」

 そこには誰もいなかった。従うべき主も、その肩に乗っていた奇妙な鳥も。

 時計塔が示す時間を見ると、まだ三時だった。約束まであと一時間ある。

 命令に従う以外の行動指針のない二人は、ただ手を繋いで待つしかなかった。



 時を同じくして、ソロネモの街の大通りに隠れた路地裏にアリアの姿があった。

 彼女は飢えた野良犬の前に立ち、ぼさぼさの毛と今日の糧に喘ぎ舌を鳴らす姿を満足そうに見ている。

 これならば、と呟くと、アリアは野良犬の首を片手で締め上げ、そこに魔力を込める。

「アウゥ……アオ、ワオォ――――!!」

 最初は苦しむ様子を見せた犬だが、次第にその姿が変容し出す。飢えた野良犬が獰猛な狼へと姿を変えていく。

 痩せ細った体躯に筋力が漲り、ボロボロの歯は全て刃物のような牙に生え変わり、濁った眼は猛禽類のように鋭く獲物を見る。

 ぼさぼさの体毛は黒く張りがあるものになった。そこまで姿が変わっても空腹への飢えは消えないのか、野良犬は涎を垂らしながらアリアへ牙を向ける。

「ステイ」

「グルルルル……フシャア……」

「飢えが頂点に達すると犬でも上下関係がわからなくなるのか。いや……こいつはもう狼だな」

 眼力だけで狼の興奮を鎮めたアリアが、背後に視線を向ける。

「で、貴様は何しに来たんだ?」

 物陰からこちらを見る人間の気配に、周囲に魔術を展開している彼女が気付かないはずもなかった。

「アンタこそ、今その犬に何したのよ」

「知りたいか? なら今教えてやる」

 相手は軽装の戦士で、しかも美しい女性だった。

 初陣の相手としては申し分ないというか、どちらかといえば勿体無いと思いながら、アリアは黒い狼に目をやる。

「やれ」

「バウォォオオオオ!!」

「なっ……!?」

 突然飛び掛って来た狼を、咄嗟の一蹴りだけで気絶させる女戦士。ほう、と嘆息するアリアを睨みながら彼女が地を駆ける。

 想定外の速度に逆に驚かされたアリアが、手の平から生み出した紫の球体に手を突っ込んで剣を抜く。

 女戦士は全体的に軽装で、右手の剣も左手のバックラーも小振りで装飾が少なく、取り回し重視。

 しかし相対するアリアの装備は、体全体を覆うマントと身の丈と同等の長剣。更に禍々しい装飾が女戦士とは正反対である。

 二人の剣が火花とともに重なった。一件すると得物の小さな女戦士のほうが不利だが、それを腕力でカバーされているため、均衡は中々崩れない。

「強いな……」

「魔王がいない今の世界で、あの犬に変なことしたり、突然アタシを襲わせたり……アンタ一体何なのよ!?」

「貴様が知ることでは……」

 女戦士が両手で握った剣に力を込め、アリアは剣を持たない左手に魔力を集中させる。

 何もなかったその空間が揺らぎ、瞬きする間に黒い炎が生み出された。拮抗しているのは、女戦士の両手とアリアの片手だったのだ。

「ないっ!」

「そんな……!?」

 圧倒的な力と魔力を扱う技術に、女戦士が驚愕する。全く異なる力を両手でそれぞれ扱うというのは、違う絵を両手で完璧に描くが如し難行。

 単純に力が強いだけではない。それを扱うだけの器と技量がある。女戦士はその姿に、他を寄せ付けない大きな壁を感じた。

 あの野良犬もその技術によって変貌を遂げたのだろう。高い才能だけあって、力の使い方が残念でならない。

「うあああぁぁぁっ!」

「大人しく去れ。であればこれ以上はない」

「……何、言ってんのよ」

 魔術による一撃であっという間に崩れた均衡に、尚も追い打ちをかけようと迫ってくる黒騎士。

 彼女が手に持った長剣が紫の光を放ち、暗い路地裏を仄かに照らす。そこに集中する魔力を感じて、飛び退いて構え直す女戦士。

(この気配、魔王城で感じたそれと似てる……!?)

「退かぬか……なら丁度いい。そろそろ自分が使う力にも慣れたいところなのでな」

「どういうこと……?」

「言ったであろう。貴様が知ることではない、と」

 不敵に笑いながらも憮然と言い放つアリアの姿に、底知れぬ恐怖を感じる。それと同時に女戦士は、何か頭に引っかかるものを感じた。

 自分でも不思議に思いながら、目の前に立つ黒騎士の顔を見詰めて何かを思い出した。

「最期に教えてやる、人間。 ……貴様を殺す者の名は、アリアだ」

「ご丁寧にどうも。私は……」

「これから死にゆく者の名など興味はない……はあぁ!」

 振り切った長剣の半月のような軌跡を描き、疾風が如き速さで女戦士を射殺さんとする。

 しかし女戦士は退くことも避けることもしない。剣とバックラーが重なるような構えをとり、アリアに向かって駆けた。

 常人ならば見切ることも難しい宙を駆ける斬撃。一番前にある剣は折れ、その後ろのバックラーも砕けた。だが、それだけだ。

「なっ……」

「私の名はイレーネよッ! アンタにやられたりなんかしない!」

「くぅううッ!?」

 全身を使った強烈なタックルを受け、アリアの方が仰け反った。

 倒れこそしなかったが、不意を突かれ華奢な体に大きな打撃を受けたことで、心身共に驚きを隠せないアリア。

 続けざまに殴りかかるイレーネの拳を魔術壁で逸し、彼女の背後に回るアリア。

「また魔術……!?」

 背後を取られ、焦りに振り向くイレーネ。だがそこにあったのは剣を構える姿ではなかった。

 黒騎士は気絶した狼を抱え、銀髪を振り乱しながら空へ跳躍する。屋根から屋根へと移動し、やがてその姿は見えなくなる。

 改めて彼女が人間でないことに気が付いたイレーネは、嵐が去ったことに安堵しながらその場を離れた。

「ったく、何だったのよ……」

 自分から踏み込んでおきながらこんな台詞が出る辺り、彼女は考える前に行動するタイプである。

 魔王との戦いが終わって色々あったというのに、まだ厄介なことを考えるのが増えたのか。

 あのアリアという騎士から感じた気配は何かと気になる。魔王のようであり他の何かのようでもある。

 直接魔王と戦ったレスクと、同じく魔術に精通しているアドネなら彼女が何者か解るかもしれない。

「レスク、アドネ……」

 行方不明の二人は今、どうしているのだろうか。ふと、そんなことを思い出し、すぐに考えるのを止めた。

 恐らく二人とももういない。その可能性が高いとは解り切っているものの、口に出すことだけはしたくない。

 それで全てが決まってしまう気がするから。奇跡を信じるわけではないが、あれで全て終わるのは悔しくて仕方がない。

「あーあ、こんな顔見られたらまたグリーズに叱られちゃうなぁ……」

 肩を竦めながら、彼女は空を仰ぎ見る。かつて暗雲に包まれた紫の空は、勇者の奮戦によりその青さを取り戻した。

 あの騎士のことは気になるが、今は忘れよう。魔王がいなくなり各地の再興も進んでる今、あれにできることは少ないだろう。

「さて、それじゃあ戻るとしますかっ」

 気を取り直し、彼女は路地裏を出てある場所へ向かう。

 そこには今尚共に旅をしているグリーズがいる。魔王との戦いの顛末を知らない二人だが、あの戦いで生き残った数少ない勇者の仲間だ。

 それは誇りであり、同時に犠牲者が多かったことを表している。自分達二人は今、魔族の残党狩りに勤しんでいるのだ。

 ニンジャとその相手の包帯の青年に関してはその後全く消息が掴めない。あのニンジャのことなら心配ないとは思うが。

「悔しいなぁ……悔しいよレスク…………」

 最期には、儚げな声だけが残った。



 時間通りに時計塔の下に来たアリアを、期待に違わず二人の少女がじっと待っていた。

 傍目からはただの約束事にしか見えないが、そこに黒ずくめの謎の女性が加わることで妙に怪しい集団になる。

 無論その印象も魔術でぼかしてはいるが、長居はできない。アリアは二人の手を引いて路地裏に駆け込む。

「ここならいいだろう。 ……で、その娘がそうなのか?」

 目線で答えを促されたフィリエがコクリ、と無言で頷く。

「……名は」

「ルル・メリエルです」

「ではルルよ……お前の中に眠った力、有り難く頂こう」

 ここで言う“眠った”とはどういうことか。魔術の心得がない者にこのことは中々理解されにくい。

 簡単に言えば今ルルの中にある“魔王の魔力”は、殻に包まれた薬のような状態なのだ。

 殻がなくなれば中の実も体内に溶け込む。だが魔術的な力による殻が無くなることは、まず有り得ない。

 ちなみにアリアがフィリエにかけさせた術も実の入った殻を動かすだけのものなので、大した手間はかかっていない。

「ん、ああぁ……っ!?」

 アリアが少し屈み、人差し指をルルの額に当てる。するとそこにあった紫の水晶が光りだし、ルルが苦悶の声を上げた。

 今彼女は、ルルの中に眠る“魔王の魔力”の欠片を引き寄せている。自分の魔力を磁石のように反応させて。

 今どの辺りだ。胸の辺りか、少し上か、もう頭にきたか。もう少しだ。そんなことを考えながら、アリアは夢中で“魔王の魔力”の到達を待った。

「ん、くうぅぅっ……」

「来た……! うっ……!?」

 果てそうなルルを前に、ついに魔力反応が指先を通して自分の中に入ってくる。

 すると自分の体の中に大きな感触が生まれた。例えるなら冬場の悴んだ手を暖炉で温めた時のような、じんわりとした充実感。

 今まで埋められなかった空白が少しだけ埋まり、体が歓喜の声を上げているのだ。

「あっ……」

「終わったか……フフ」

 役目を終え、その場で糸が切れたように倒れるルル。それに構わず尚も主を無表情に見詰めるフィリエ。

 まるで全てを手中に収めたかような素振りで、拳を握り締めて微笑を零すアリア。

「胸の奥で何かが……満ちていく。力が、漲る……」

「御主人様、ご命令を」

「ああ、そうだな……」

 傍から見れば異様な光景だが、ここにそれを疑問に思う者は誰一人としていない。

 一頻り自分の力に浸った後、アリアはしばらく顎に手を当てて悩んでいた。

 このまま元の生活に開放してもいいが、それではつまらない。何かに利用できないものか。

 やがて名案に至ったのか、口端を吊り上げた彼女が人差し指を立ててフィリエに顔を近づけた。

「元の生活に戻れ、と言ってやってもいいが……一つ、いいことを思いついた」

 相手が年頃の男性ならば動悸が高鳴りそうな距離で、アリアは従僕の耳にひっそりと囁いた。



 ここソロネモは魔界に寄った不安定な土地だ。そこに住む貴族などそうそうおらず、普段は奔放な暮らしができる街として通っている。

 故に貧富の差こそないものの、市場は扱う品ごとに幾つかの区画に分かれていて大きく扱われている。それがこの街の全てだからだ。

 その区画の一つに飲食店がある。ここはその中でもそこそこ繁盛している酒場だ。

 今この酒場には、カウンターで突っ伏している女性が不機嫌な声を呪詛のように延々と放っている。

「はぁ~…………」

 呪詛は徐々に言葉でないものへ変化していき、最終的にただの溜息になっていく。

 その様子を見兼ねたのか、後ろから男が、なんとなく嫌そうな態度で話しかけてきた。

「おいイレーネ」

「ゼズ……」

 ゼズと呼ばれた男は彼女の肩に触れ、恐る恐るそれを前後左右に揺すってみた。

 しかし反応はない。やりたくなかったが、これでは声をかけるしかないので声をかける。

「お前、なんかあったのか?」

「別にィ…………特になにもないわよ、なにもね」

 言いながら目を伏せるイレーネ。ゼズからすれば、何かあったよと言ってるようにしか見えない。

 彼の姿は中肉中背。露出度の高いイレーネとは対照的に、厚手の赤いコートと武装で身を覆っている。その装いこそ歴戦の戦士を思わせるが、表情は気怠げでどこか頼りない。

「嘘つけ絶対なんかあったぞ」

「厄介事だから、うん。アンタは首突っ込まないで」

「それにしては随分とアレな態度じゃねぇか……」

 しつこく食い下がるゼズに嫌気が差したのか、イレーネは余計不機嫌な顔になった。

 カウンターからぶすっとした顔を上げたかと思うと、今度はその顔を切なそうに曇らせる。

「………………負けたのよ」

「え?」

「負けたのよ! 魔王討伐でも生き残ったこのアタシが! 何処の馬の骨とも知らない魔剣士にねっ!」

「魔剣士って……あの、魔術と剣術を同時に使えるヤツのことか!?」

「そーよ! 反則よあんなの! 確かにアタシは魔王と直接戦ってないけど、何で魔王じゃないやつにあそこまで!」

 彼女の声は徐々にヒートアップしていき、それに合わせて顔も口調も子供っぽく感情的なものに変化していく。

 対応に困ったゼズはしばらく目を背け、黙って大きな愚痴を受け止めていた。

 ひとしきり愚痴を続けて満足したのか。立ち上がったイレーネは、ややすっきりした表情で男と向き合った。

「……んでゼズ、アンタ怪我はもう治ったの?」

「あぁ、おかげ様でな。だがすまねェ……お前ら四人だけに任せちまって」

「大丈夫だったよ……正直、アンタのその右手は役に立ちそうになかったからね」

 言ってイレーネは彼の右手を見る。そこには大振りなガントレットがあるが、中から異様な気配も感じ取れる。

「あー……そう」

 秘められた自分の力を役立たずと言われ、ゼズは微妙な顔をする。そこには魔族由来の力があるのだが、確かに魔王城でそれは使いにくい。

 彼は一度勇者の仲間として同行したが、魔王城を前にして怪我をしてこの街で治療を受けていた。そこにこの言葉は割りと辛い。

 繕わず正直なのは結構だが、歯に衣着せぬストレートな物言いをするのは考えものである。

「いやね、俺はあんな危険なのゴメンだったけどよ。それはちょっと言い過ぎなんじゃねぇか? 俺の右手は魔族由来で魔族には役立つ相手が少ないってのはわかる。でもよ……俺達仲間だろ。もっと言い方ってもんがあるだろ。大体……」

「それじゃ、また」

「…………つまり俺はなっ! んん!?」

 ゼズが気付いて目を開いた頃、既に彼女の姿はなかった。熱くなりやすい性格もまた、考えものである。



「どうだ、乗り心地は」

「はい……とってもいいです……御主人様」

 幼さの中に将来の美しさを期待させる金髪翠眼の少女が、黒騎士に対し無表情で頷く。彼女を背に乗せた狼は、狂気に満ちた瞳で何処を見ているかもわからない。

 魔力で操った少女と、根本から変えられた野良犬。即興で仕立て上げたつもりだが、随分よくできたものだとアリアは満足した。

「浅黒い肌で軽装の鎧を着たイレーネという女戦士がいる。そいつを探し出し、できれば殺せ」

「了解しました……御主人様」

「バウッ!」

 もうここに用はない。この一人と一匹に命令して、自分はさっさと立ち去ることにした。

「ッ……」

 何かを忘れているような気がしたが、忘れているということはどうでもいいことだろう。頭の奥を刺すようなこの痛みも、きっと無意味なものだ。

「なんなんだ、一体」

「御主人様……」

「もういい、お前は行け」

 フィリエに当たるように命令して追い払う。しばらくイレーネのことを考えないようにすると、落ち着いてきた。

 原因も何も全くわからない不快な痛みに、アリアはとりあえず彼女を恨むことにした。

 正体不明の感覚に、ただ原因を消すことだけを考えた。“魔王の魔力”が完全なものになれば、こんな些細なことも気にせずにいられるのだろうか。

 そんなことを考えながら、アリアはソロネモの街を後にした。

「だが、やはり何かを……忘れてるやも知れぬ……」



 「ふぁあぁ~…………授業は終わりましたかな? おや、もう夜ですぞ! これは夜の授業をするしかありませんぞ! アリア様~! どこですかな~っ!?」

 その頃、一羽の鳥が忘れ去られていた。

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