7・金獅子騎士団団長

 身体はひどく疲れていたというのに、アルフォンスの眠りは切れ切れで不快なものだった。一晩にあまりに多くの出来事があったものだが、不吉な場面が、人を変え場面を変えながら悪夢となり、最高級の絹の布団に倒れるように身を投げて眠ったアルフォンスを苛んだ。ユーリンダの放った不吉な預言が大神官の口から重々しく何度も放たれる。



『何匹もの蜘蛛がそなたに絡みつく。逃げるところなどない。そなたは死ぬ……折角手を差し伸べてやったのに、そなたは選択を誤った』

『しかし、わたしは、エーリクを殺した輩を見逃す事が出来なかったのです!』

 そう叫ぶアルフォンスの背後に、青ざめたエーリクが口から血を流しながら立っている。

『アルフォンス……あれ程警告したのに、きみは私と同じ道を歩むのか』

『エーリク! きみは一体扉の向こうに何を見たんだ。それは、きみが死なねばならないようなものだったのか?』

『ルーン公殿下……ルルアのご意志により、死を……』

 エーリクの傍には、アルフォンスが首を刎ねた男が鬱蒼と立っている。自らの首を持ち、その首が喋っているのだ。首は大きく口を開け、中から無数の蜘蛛が飛び出し、糸を引きながらアルフォンスに絡みつく。払おうとしても糸の力は強く、もがけばもがくほど絡み取られてゆく。

『父上!』

『お父さま!』

 ファルシスとユーリンダが駆け寄ってくる。来るな、と叫ぼうとしても、蜘蛛の糸が口を塞ぐ。

『お父さまの胸に剣が!』

 と叫ぶ愛娘の背後から何者かが剣を突き立てる。

『扉を開けなくちゃ……』

 呟きながら胸から血を流し、倒れるユーリンダ。喚きながら駆け寄ろうとするが、糸はかれを拘束したままで、血に染まったユーリンダの身体を抱きとめたのは宰相だった。

『アルフォンス。私はそなたに忠告を与えたのだぞ……』

『宰相閣下……! 娘をお助け下さい!』

 アロール・バロックは首を横に振る。

『そなたが選んだのだ……』

『わたしは、全ての咎はわたしが受けると誓いました!』

『ならば、死を……!』

 突如、喉に突き立てられた刃。それを握っているのは国王エルディス。

『へ、陛下……なぜ……』

 アルフォンスの問いに、エルディスは答えない。その瞳にはこれまでアルフォンスがよく知っていた、繊細で理知的な光はなく、死を、死を、と、からくり人形のようにぶつぶつと繰り返している。刃は緩慢にアルフォンスの喉を切り裂き、かれは自らの血に咽せてもう言葉が出ない。刃を握った人物は突然叫びをあげた。それはいつの間にか国王ではなく別の誰かに替わっていたが、アルフォンスは目がかすんで相手を見分ける事が出来なかった。

(ルルアよ……わたしは間違っていたのですか? それでも、どうか、わたしの妻を、子を、お救い下さい。皆、あなたの忠実なしもべです……)

 激烈な痛みと共に意識が遠のく。どこかで、

『真の王を救わねば、王国は滅びの危機に瀕する』

 という声がした。よく知っている声の筈だったが、アルフォンスはその時、誰がそう言ったのかどうしても判らなかった。

 


「……アルフォンスさま。アルフォンスさま」

 離れた所で誰かが自分を呼んでいる。アルフォンスはゆっくりと目を開けた。レースのカーテンを通して、眩いばかりの陽光が、寝台の上に横たわる自分を包んでいる。明るい陽の光は、忌まわしい夢をある程度清めて吹き飛ばすだけの力があった。額の汗を拭いながら起き上がった時、アルフォンスはもう、夢の内容を半分も覚えていなかった。だが、喉を切り裂かれる感触だけはやけに生々しく残っており、荒い息をついてアルフォンスは思わず喉元を押さえる。昨夜首を刎ねた男の怨念が夢に宿ったのだろうか、とかれはぼんやりと考えた。

「アルフォンスさま? 大丈夫ですか。失礼致しますよ?」

 憂う声にアルフォンスは、

「大丈夫だ。入ってくれていい」

 と応える。そのいらえと同時に、室の扉を開けて入って来たのはエクリティスだった。

「先程からお声をかけさせて頂いていましたが、うなされているようなお声ばかりだったので案じました」

 とエクリティスは言う。

「そうか……済まない。疲れていたから悪夢を見た……ようだ。よく覚えていないが」

「悪夢など、エルダが食べてしまいますよ」

 エクリティスは微笑して言う。夢神エルダは人の悪夢を喰らい、不吉も共に消化してくれるという事で信仰を集めている。

「ひどく嫌な夢だった気がする……エルダ神殿に幾分か寄進せねば、な」

 そう呟いて、アルフォンスは、窓の外を見やる。

「今は何時なんだ? 随分陽が高い」

「まだ昼前でございます。あと暫し、と思ったのですが、アルフォンスさまに来客がありまして……」

「来客?」

「金獅子騎士団長閣下です」


 ヴェルサリア王国には、九つの騎士団が存在する。王家の有する二つの騎士団と七公家の騎士団である。王家の騎士団とは、王宮と王家を警護する王宮騎士団と、王の御名の下で国中の安寧を受け持つ金獅子騎士団なのだが、起源から言っても金獅子騎士団の方が王宮騎士団より古く、辺境の諍いを収めたりなど、実働している。一方、長年保たれた平和故に、王宮騎士団の方は『警護』以上の実戦はろくに経験していない者が殆どである。

ヴェルサリアの紋章金獅子を掲げる金獅子騎士団は、もしも王国に対外的な有事があれば、九つの騎士団をまとめる立場にあり、金獅子騎士団長ウルミス・ヴァルディンはその長である。その地位は単なるこねで得うるものでは到底なく、国王からも周囲からもおしなべて認められる実力者にしか務まらない。そして、ウルミスは、元々の出自は地方の小貴族であったにも関わらず、見習いから始めた騎士団でぐいぐいと頭角を現し、遂には国王の御前試合で十五歳にして前騎士団長を負かして喝采を浴びたという傑物である。あまりに若年過ぎるという事で、実際に団長に任命されたのは二十歳の時だったが、その就任の年の御前試合で、当然優勝者となると思われていた彼を打ち負かしたのが、当時ルーン公の嗣子であったアルフォンスだったのだ。

ルーン家にとってもヴィーン家にとっても掟破りな、聖炎の神子との婚姻を大反対の一族に認めさせる為、国王の許可を得ようという目的を持ったアルフォンスを惰弱と決めつけ、いくら宮廷では剣の名手と名を上げつつあっても、所詮は御曹司、実戦経験もないだろうし周囲の諂いに思い上がっているだけだと決めつけて試合に臨んだウルミスは、手痛い敗北を喫する事となった。呆然とするウルミスに握手を求めるアルフォンスの黄金色の瞳には、ただ好敵手に対する敬意とそれを得た喜びだけが浮かんでいた。その手を取って以来、二人は打ち解け、気兼ねなく話し合える親友同士になっていった。大貴族であるのに全く飾らないアルフォンスの人柄を知ってゆく程にウルミスはかれに惹かれ、大衆の前で打ち負かされた事などなんのしこりにもならなかった。


そのように、十数年来の親友付き合いをしてきたウルミスに、アルフォンスは昨夜、王宮の庭園で襲ってきた賊の死体の後始末を任せてきていた。ウルミスは全く納得していなかった様子だったので、訳を聞きにきたのだろう。アルフォンスは溜息をついてしっかり目を覚まそうと頭を振った。あの時には全く訳が解らなかったが、今では多くの事が明らかになった。しかし、それは絶対におおやけにしてはならない事ばかり。一方で、王宮内で公爵の暗殺未遂があったなどという事件を曖昧に終わらせる訳にはいかないのもまた当然の事。宰相の耳にも入ってしまったし、どういう風に話すか、慎重に考えなければならない。


 服装を整え応接室へ下りていくと、アルフォンスはまだ聞いていずに知らない事だったが、先程までティラール・バロックがかけていた椅子に、金獅子騎士団長ウルミス・ヴァルディンが座っていた。

「まだ休んでいたのだとか。疲れている所を申し訳ない」

 ウルミスは立ち上がり、そう挨拶した。

「いや、つい寝坊をしてしまった。待たせて申し訳ない」

 親友同士とは言え、探り合う気持ちがある為にどことなく二人ともぎこちない対面になってしまう。相手を信頼するとかしないとかの話ではないからだ。私的な問題ならば何の隠し事もせずに済むものでも、今はルーン公爵と王家の騎士団長、という立場でものを言わなければならない。だが、ウルミスはアルフォンスの王家に対する忠誠の篤さをよく知っているので、アルフォンスが何かを隠したがっているとしても、それは王家に仇為すものではあり得ない、という気持ちを持っている。

「まあ私たちの間だから単刀直入にいくとしようか」

 とウルミスは言った。

「アルフォンス、今朝方、私は宰相閣下に呼び出されて聞いた。グリンサム公殿下は亡くなったそうだな」

「ああ……」

 エーリクの話題から入ってくるからには、あの時エーリクが一緒にいた事を宰相から聞いたのだ、とアルフォンスはすぐに悟る。

「公の死は、七日間伏せられる」

「まあ、そんなところだろうと思っていたよ」

 慶事も一段落し、外国からの使節も帰国している頃合い。七日間も埋葬されずに病で伏せっているとして扱われるエーリクのことや、その間遺体の傍に付き添う彼の妻イサーナが何を思うのか、と考えると胸が痛んだが、かれにはどうしようもない事である。王国の面子を思えば宰相の判断は間違っているとは言えないものだ。

「昨夜、何故、グリンサム公と一緒にいたと言ってくれなかったのか? いや、待ってくれ、私は責めている訳ではない。きみがする事に意味がない訳はないし、その判断において王家への忠誠が蔑ろにされるわけもないと、私は理解している。賊が襲ってきて、きみがグリンサム公を庇って闘った、という状況で、きみに咎められる点などない事は子どもでも解る。ただ……」

 そう言ってウルミスは渇いた口を潤そうとひとくち茶を含む。アルフォンスは微笑してそのあとを引き取り、

「宰相閣下や王宮騎士団はそうとも思わない、と警告しに来てくれたのだね」

 と穏やかに返した。

「あ、ああ。そうだ、うん、わざわざ言うまでもないとは思ったんだが。宰相閣下からは、賊が侵入した事を速やかにお耳に入れなかったとお叱りを受け、賊の目的は何だったのか、王宮騎士団に協力してきみから思い当たる事を全て聞き出すようにと仰せだった。わかりましたと言って辞した後、王宮騎士団の屯所へも行かざるを得なくてね。そして結局、アランとかなり口論になってしまった」

「そうか、宰相閣下には、きみをお咎めされぬようお願いしていたのだが……とにかく、わたしのせいで不快な思いをさせてしまい、済まない」

 アルフォンスは軽く溜息をついて謝った。

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