第90話 夜更けの酒場にて その2




「がっはっは! 久しぶりの喧嘩じゃったわ!!」

 盃を掲げながら、ウシオマルが豪快に笑う。喧嘩とは言うが、たまたまならず者たちと居合わせたところを、逮捕に協力という名目で、酔いに任せて暴れたというのが実際のところだろう。

「相変わらずの豪傑っぷりだな、ウシオマル殿。まあ、まずは一杯だ。盃が乾いては興醒めだ」

「エルフィオーネ。あんまりおだてて調子に乗らすなよ……」

 アルフレッドは肘でエルフィオーネを小突きながら釘を刺す。

 が、聞こえているのかいないのか。ウシオマルの盃に、エルフィオーネが甲斐甲斐しく酒をなみなみと注いでいく。

「姉ちゃんも、久しぶりじゃのう! 美人を肴に、うまい酒。そして喧嘩じゃ! 今日はまこと、良い日じゃわい!!」

 腕をニュッと伸ばし、当たり前のようにエルフィオーネの肩を掴もうとする。が。

アルフレッドはすんでのところで、逆に彼女の二の腕を掴み、自分の方にぐいと引き寄せた。「おとと」と間の抜けた声を漏らすエルフィオーネ。

「なんじゃアルフレッド殿。ケチ臭いのう。その姉ちゃんは、アルフレッド殿の女というわけではないのじゃろう?」

 チッとアルフレッドは忌々しく口元を釣り上げた。

ほろ酔いの時ならまだ理性も残っており可愛げもあるのだが、呑み処で完全に酩酊している時の彼の言動や行動は、このように面倒極まりない。だから同席したくなかったのだ。

「うるせえ、調子に乗るなって言ってんだろ、酔っ払い。愛しの『シャーロット殿』に言いつけるぞ」

 はっ、と目が覚めたかのような反応を返した後、ウシオマルがずいっと顔を寄せてくる。

「もしやシャーロット殿がまた来りゃれておるのか! アルフレッド殿、なぜそれを早く言わぬ!」

 ウシオマルが襟首をつかむ勢いで迫ってくる。顔が近い。酒臭い。

「無茶苦茶言うなよ」

心底うるさそうに振りほどくアルフレッド。うっかり、口を滑らせてしまったのが運のつきだった。

「大体、彼女に会って、何をするつもりだよ」

「知れたこと! 彼女はワシの嫁になりゃぬかという問いに『どうしましょう』と答えたのひゃぞ。あの場では、いきなりの事ゆえ即答できなかったのやもしりぇぬが、あれから大分時間もたった。そろそろ、答えを期待しても良い頃ではないのか」

 誰がどう聞いてもの社交辞令を綺麗さっぱり額面通りに受け取る短絡思考。

 恋ゆえの盲目なのか、それとも、ただ酔っぱらっているだけなのか。どちらも有り得るのが、このウシオマルという男だ。

「のう? エルヒオーネ殿! 女心とは、そういうものであろう?」

 呂律のまわらない口調で名を呼び掛けられ、グラスをコトンとテーブルに置き、ウシオマルの方を向くエルフィオーネ。

「女心、などという一般論など捨て置かれよ、ウシオマル殿。そのような小賢しい手段は、あなたには似合わない。己が胸に抱く熱意を、そのまま余すことなく意中の人に伝えるがいい。さすれば道は、自ずと開かれるであろう」

 まさか、逆に煽るとは。

「むむ!! そうか! いっとる意味はよく分からんが、逢って想いの内を有りのままに伝えろというわけじゃな!! よっしゃ!!」

 ウシオマルはがたんと尻で椅子を蹴飛ばし、立ち上がる。まさかその足で、シャーロットの元へと襲撃をかけるつもりなのか。

「おい馬鹿、彼女は今就寝中……」

「止めるでない! 善は急げじゃ!!」

言っても無駄だと判断し、すかさずアルフレッドはウシオマルの着物の衿をふん掴んで引き戻す。

「あら」

「いくら何でも、言葉よりも前に、一足飛びに下半身ヨバイってのは、ちょっと感心ならねぇな。あと、無銭飲食くいにげしようとする気か」

拍子にウシオマルは背中からすてんと転び、そのまま伸びてしまった。先の喧嘩で、すっかり酔いが回ったと見える。




 一番騒がしかったのが黙ったおかげで、まだ周囲に酔客は残ってはいるが、だいぶ落ち着いた雰囲気になった。ぐうすかといびきをかきながら伸びるウシオマルを畳の上に寝かせつけ、アルフレッドはエルフィオーネと静かに酒を嗜んでいた。

「少し、ドキッとしたよ」

 唐突に、エルフィオーネが流し目でアルフレッドを見てくる。

「何が?」

「ふふっ。先ほど、私を抱き寄せてくれた時」

 そして悪戯っぽく、少女の面影を強調させ、微笑む。何となく、アリシアを想起させるしぐさだった。

「ああ―――」

 正直なところをいうと、何となく気に食わないと思って、気づいたら腕が伸びていた。そういう意味では、先のウシオマルと、したことはあまり変わらない。

「あー、その、何だ。不快だったなら、その」

 こりこりと頬を掻き、はっきりとしない口調で茶を濁し、次いで頭を掻くアルフレッド。

「不快なものか。主に大切に思われている証だと、そう受け取ったよ」

 事実、アルフレッドの片腕に抱き寄せられたとき、エルフィオーネは、目をぱちくりと見開き、少し驚きながらも、その後は満更でもない表情で、アルフレッドの片腹に体重を委ねていた。

「大切にっていうか……何って言うか……」

 どもりながらも、アルフレッドは続けようとした。

「うーっす。邪魔するよーん」

 聞きなれた、軽薄な声。色々な意味で絶妙なタイミングだった。

先日、仕事部屋で喧々諤々の議論を展開した作家兼雑誌記者・ゼファーだった。今日が休みなのをいいことに、酒場をハシゴしに来たらしい。既に酔いが見える。ゼファーはアルフレッドの姿を見つけると、当たり前のようにずかずかと近寄ってくる。

「おっ、なんだ、アルフレッドちゃんじゃん。この店で会うとは珍しい。それに、今日はメイドさんは、本職の魔術師バージョンかい。あ、隣いい?」

 お好きに、とアルフレッドはグラスを二指で振りながら言う。エルフィオーネの本業が魔術師だと教えた覚えはないのだが、彼の事だ。記者という職業柄の下世話好きで、どこからか情報を仕入れてきたのだろう。

「いやあ、メイドの時の姿もさ、淑やかで良いもんだけど。魔術師スタイルはなんかこう、際どくエロ……いや、妖艶で、でもどこか儚く神秘的っていう……一言で言えば、最高っていうか」

「お粗末な語彙だな。売れっ子作家なら、もっと洒落た風に、この子を形容してみろよ」

「語彙とか……。こんなところまで来て仕事の話は無しっしょー、アルフレッドちゃん。俺ぁ芸術ゲージツ家気取りで作家やってるわけじゃないのよ? 野暮ってもんじゃん?」

 まあまあ、とエルフィオーネがやんわりと間に割って入る。

「ゼファー殿、褒められついでだ。お近づきのしるしも兼ねて、私の盃を。是非とも受け取って欲しい」

「あら、悪いねー。アルフレッドちゃんの専属メイドのはずなのに」

「構いませぬ。もとより、人の世話をするのが好きな性分ゆえ」

 ウシオマルの豪快な鼾をミュージックに、三者三様の会話が、店内に花を咲かせていく。




「『絡みづらそうなヤツ』だったね。アルフレッドちゃんの第一印象は。文武の、武の方向に振り切った意識高い系っていうか。今はだいぶ丸くなったけど、いつも余裕がなさそうな表情でピリピリしてて、貴族連中にも下手に出ないし媚を売ったりもしない。ひたすらに強くなることしか考えてない。下手に刺激したら怪我させられそうな、抜身の刃物みてーな奴だったよ。しかも魔術が使えないってのに、出鱈目に強いっていうオマケつき」

 ははは、とグラスを傾げるゼファーに対して、アルフレッドは黙ってグラスの氷に映る、少しくたびれたようにも見える自身顔を見つめている。

「今の温和で優しい主の姿を見るに、にわかには信じがたいですね」

「だしょー? だから、怖がる子らも多かったのよ。でも、そのストイックに強さだけを追い求める姿に惹かれるって奴も、少なからず居たんだよねぇ。俺の調査によるとさ」

 国家魔術騎士養成学校校内や領内の話題や噂話等を纏め、週刊で発行される「校内会報部」。その部長という顔を、かつてゼファーは持っていた。校内の「これは」という話題はもとより、それこそ記事には出来ないような学生、教官たちの秘密、もしくは関係まで、様々な事を隅々まで網羅しており、思い出せば校内会報の記事で「白鬼」の悪名を校内に広めたのも、このゼファーだった。

「校内最速でならしてた俺だったんだけど、アルフレッドちゃんったら、全くついてきてくれないのよ。それどころか、『いちいち目で追うのが面倒だから、接近されたときだけ全力で対応すればいい』って理由でその場でボッ立ちしたままでさ。幻惑してるつもりで攻撃しかけても全部対応されて、しかも得物までぶっ飛ばされるっていう。本当にやりにくい相手だったのよー。こちとらスピードが自慢だったから、自信無くす程度にはねー。なんていうか、一人一人に対して、個別の対策が出来上がってたのよねー。こいつに対してはこう動く、って感じでパターン化されてるっていうか。癖とか弱点とか、全部研究されてたんだもん」

「そうでもしなきゃ、化け物揃いの260期生の中では生き残れなかったんだよ。しかも特別枠の人間は、成績不振者は放校処分ていう条件まで付いてたし。なりふり構ってられなかったんだ。こっちも」

「勝つためには手段を択ばないってやつっしょ? でも、そういう割にはアルフレッドちゃんって、なんだかんだで勝つときも、たまに負ける時も、馬鹿正直だったよねぇ。卑怯な手を使ったところなんて、見たことないよ」

「それは……下手な事して、親父殿やエーリックに迷惑かけたくなかったからで……」

「そうそう、それそれ!!」

 パァン! と無駄に大げさに手を鳴らすゼファー。

「世話になってるアークライト家への義理堅さ。なりふり構ってられない立場ではあれど、てめぇの事だけ考えてればいいっていうような、身勝手な奴とは全く違う紳士な態度!! ガチガチの縛りや障害のなかでも、己の実力一つで筋道を貫いていく、このどうしようもなく不器用な姿勢!!」

「ふふ、ゼファー殿は、主の事が随分気に入っているご様子で」

 二人で盛り上がる中、アルフレッドはむず痒そうにグラスを呷った。

「はは、そりゃあもう。だって、嘘みてーなくらい、物語の中の人物さながらのヤツだったんだもん。俺さ、こういう主人公が、実力を見初められて成り上がっていくっていう小説を、書いてみたかったんだよなぁ」

「ならば、今からでも書けばいいのでは? 私は逆に、そういう物語の方が好みですが」

「うーん、でもなぁ。ダメなんだよ。今そういうのだしても、売れてくれねーんだわ」

 物寂しそうな表情で、ゼファーはカランとグラスを傾げた。

「主人公の苦労を共有共感させるなんて、そういうの、読者さんは求めてねーのよ。今はもっとこう、お手軽にさ、圧倒的強者がドーン!! って、快刀乱麻を断つような活躍をさせる小説じゃないと、数字うりあげが取れないのよ。数字が。芸術とは縁なくても、俺は少なくともそうやって数字を稼いできたわけよ。どういう題材が流行っているのか、どういう作風がウケるのか。全て入念に調査し計算済み。あとは、コネで作品の推薦文を書いて宣伝してくれる売れっ子作家や専門家の先生が居れば完璧だ。このやり方を徹底して出した俺の処女作はいきなりヒットときた。そこで俺は確信したよ。書きたい作品モンより、売れる作品モン。この割り切りが大事だってね。それが出来なきゃ、商業プロの世界はとてもとても」

 ゼファーは俯き気味なアルフレッドをちらと見たあと、

「今一番熱いジャンルは、何と言っても『暗黒期物』だ。国王不在。国の中枢は政争でガタガタ。しかも蛮族の侵攻が目前に迫っている上に、隣国との関係も悪化の一途ときた。国民の不安が、英雄の再来を渇望してるんだ。だから、救国の英雄・エドワード聖武王の一大叙事であり英雄譚でもある『暗黒期物』が流行っているんだろうな」

 ゼファーは憤慨する様子の素振りも無く、あくまで客観的に、どこか他人事のようにさえ言って見せる。それともう一つ、と、ゼファーは人差し指をピンと立てる。

「俺の調べでは、最近、もう一つのジャンルが勢いづいてきているらしい」

「ほう、それは?」

 聞き返すエルフィオーネ。

「ふふん。実は、既にアルフレッドちゃんも取り入れてる要素だったりするのよねぇ」

少しの後、察しがついたのか、エルフィオーネは顔色を変えた。

「この世界の救世主にして大英雄―――」

アルフレッドは、ぼんやりと虚ろな目つきで、答えを呟こうとした。その時だった。



「通称『与え姫』。と、いうわけねぇ。フフ……」



 突然の、蠱惑的で悩ましげな第三者の声に、三人が一斉に振り返った。




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