第81話 紺碧の憧憬




 潮の香りと人々の喧騒に満ちた港町に、陽光がまぶしく降り注いでいる。

 自他領老若男女目的を問わない、国すら問わない、様々な人々が行きかい賑わうイザキの港町の市場。その往来で、ひたすらに周囲の注目を浴びる一行が居る。一人は古風かつ格式高い白銀の甲冑を装着した、美丈夫の将軍エーリック。もう一人は、風に二束の金髪の靡かせ、気品を振りまきながら淑女然と歩く、エーリックの妹アリシア。そして最後に、人々の活気と視線とに戸惑い視線を泳がせる、ルテアニア王国第六王子サーノス。隠しようのない気品をふんだんに纏う彼らが道を行けば、雑多な人だかりが路傍に寄って割れ、十分すぎるくらい広い道が出来上がっていく。

 路傍の子供たちが「ひめさまー!」と無邪気に大きく手を振れば、アリシアはにっこりと目を細め、控え目に手を振って、その笑顔に応える。

 エーリックの方は、数年間このイザキに将軍として駐屯していた経歴があるからか、名と顔が一倍知れ渡っていて、漁師や商人連中がもて囃す声だったり、女性達の黄色い声であったりと、浴びせられる声も多種多様だ。たった三人、しかも散策がてらの散歩のつもりが、さながら小さな凱旋パレードのように様変わりしていた。

「……凄い、ね。ここまでとは思わなかった」

 サーノスは思わず嘆息した。それに、涼しい顔でアリシアが応える。

「驚かれました? でも、このイザキはまだ控えめなほう。アークライト家お膝元のネーオは、こんなものではありません」

 白を基調とした長袖のワンピース・ドレスに、白の日傘。絵にかいたような、深窓の令嬢という出で立ち。本性であるお転婆はこうやって自領民には隠し、あくまで外面は、淑やかな貴族の姫君を演じているといったところか。演じ方も相当年季が入っている。普段との落差に、驚嘆を禁じ得ない。

「『公女モード』というわけか……一応、民の目線を気にしてはいるんだね」

「ふふっ。王子殿下は、どちらの私が魅力的に思えますか? 姫として、女性として」

 魅力、と聞かれて、サーノスは少したじろいだが、声と顔に出さないように堪え、返す。

「……本性を知っている人間の前でいちいち演技するのも疲れるだろう? 楽な方でいいよ。楽な方で」

 にべもない回答に、途端に落胆で声のトーンを落とすアリシア。

「ちぇーっ。質問の答えになってないよ。王子のイケずー」

 この豹変ぶりである。周りに聞こえない声でしゃべった方がいいよ、とサーノスが忠告すると、どうせ聞こえてないっしょ、と軽く返された。

「折角のデートなんだから、もっとフンイキってものをさ……」

「デート……。僕はただの散策のつもりだったんだけど」

 町の案内と言って、アリシアが。その上に、賓客として是非ともと、兄であるエーリック将軍がついてきた。それが事の次第である。サーノスには曲がりなりにも、同盟の相手国の王族という肩書がついている。間違いがあってはコトだという腹は当然、あるだろう。護衛目的とは一切口には出さず、代わりに、昨日の爆発騒動で領民が動揺しているかもしれないから、その鎮撫も行いたいという別の腹は聞かされたが。

「サーノス王子殿下。どうですか? イザキの町は。ルテアニアの王都と比べれば、何かと劣るところはあるでしょうが」

 サーノスの頭上から声がかけられる。長身のエーリックを見上げ、サーノスは応えた。

「いえ、単純に比較できるものではありません。大変、人々の活気に溢れた良い所だと―――その上で、民は領主であるアークライト家の一族を信頼し、大いに慕っています。将軍らのご威光の甚だ大なるを―――」

「うわっ。固い。固いよ、王子」

 アリシアに横槍を入れられる。

「……何?」

「シラマでも思ったんだけど。もっとさ、年相応の感動とか無いの? なんかこう……綺麗な海! 大きな船、人がいっぱい! すごい! とかさ」

「公女様……いえ、ミス・アークライト。さすがにそれは僕を子供と侮りすぎだと思う……」

「あ、また他人行儀みたいにミス・アークライトって呼んだ。名前でいいって言てるじゃん、一緒に戦った仲なんだしさ」

 いつもこうやって『課外』で一緒になった者を、名前で呼ぶよう迫っているのだろうか。だとすれば、生徒によってはちょっとした災難だ。仮にも相手は侯爵家の姫。本来なら、馴れ馴れしく名前で呼ぶには大いに憚られる身分だ。さすがに見かねたのか「こらこら、アリシア。王子殿下が困っているじゃないか」と、エーリックが苦く笑いながら妹を制した。 

「愚妹が失礼を。王子殿下」

「いえ、将軍が謝られることは。―――それに、あの大海原に関しては、初見に際して、妹君の仰った通り、大きな感動と衝撃を受けたことは、間違いありません」

「……ほう」



 ルテアニア王国第六王子・サーノス=シルヴァスタ=ルテアニアが、初めて本物の「海」を見たのは昨年。国家魔術騎士学校アークライト領校の入校試験のために、アルマー王国の辺境領であるアークライト領に入国した時だった。

 正直なところ、言葉が出なかった。

 果てしなく広がる、濃紺とエメラルドが彩る紺碧の風景。空と地とを直線に分かつ水平。

母妃と数名足らずの家臣が住まう離宮で、半ば軟禁生活にも等しい環境の中、書物の白黒の写真でしか知りえなかった存在。

 この「絶景」を自らの目で拝んだとき、サーノスは、己の信仰する「神」の存在を否応なく思い知らされた。こんな途轍もない光景を生み出す力持つ者とは何だ。それまさしく、この世の創造主たる、全知全能の主神以外にはあり得ない。

 今でも、海を望むときは、そうだ。この海がいつ、どのようにして造られたのか、人知が知りうるべくも無い、聖典の記述でしか知りえない問いに、つい思いを馳せてしまう。身近すぎて既に見飽きているであろう地元の民には、その途方もない光景にただただ言葉を失い立ち尽くすサーノスが、さぞ不思議に思えただろう。

 蒸気船の汽笛が新たな出航を告げる。サーノスは潮風に吹かれた髪を手の甲で掬いながら、漁船、貨客船が並ぶ港の向こうの水平線を、あらためて見渡すのだった。

 ―――鳥籠の離宮を飛び出し、故国を出、単身、アルマー王国に留学して、早いもので、一年が経つ。この一年、様々なことがあった。そして、様々なものに触れてきた。百聞は一見に如かずとは、まさにその通り。鳥籠の中、書物を読み漁っているだけでは得られない感動と衝撃が、そこにはあった。

 生まれて初めて臨んだ大海、故国とはまるで異なる風土、食事、価値観、宗教、人―――。孤立無援の状況下、苦心して勝ち取った国家魔術騎士養成学校アークライト領校従騎士の座。そして、初めての実戦。自身が井の中の蛙であることを改めて痛感させられた共闘。己の死を垣間見た、強大な魔物。そして戦いの中で憧れの人を、この目に見出せたこと。全てが、サーノスにとっては貴重な体験だった。今すぐ故国に帰って、親しい者達に、全ての見栄を棄て去って、感情の赴くがままにこの衝撃と感動を伝えたい。そんな欲求は、大いにあった。

 ただ、口惜しいことに―――無念なことに。

 一番最初にそれを伝えたい相手は、この世を去ってしまった。

 この一年の、間に。



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