第80話 紅恋の剣 その3





「戦略地である伊国を吸収した亜国は、意気揚々と宇国に戦争を仕掛けた。ところが、戦もたけなわとなったその時、旧伊国領で反乱が起きた。待っていましたとばかりにそこに宇国の軍がなだれ込んだ。一夜にして旧伊国領は、宇軍に奪取占領された。旧伊国の民たちが、宇国に内通し、情報を提供していたからだった。事実上の二面戦線を強いられることになった亜国は、あっという間に宇国と、寝返った旧伊国の兵たちによって滅ぼされてしまった。この日のことを『王に、悲恋のソフィー王女に、そして騎士アイオスに捧ぐ』と記した旧伊国の将軍の手記も見つかっている。国を滅ぼした元凶としてではなく、あくまで謀略の被害者として二人が認識されていたことがわかる。今の学会でも、これが定説として扱われている」

 しん、と総員静まりかえる。クレアリーゼも、瞳を閉じながら、黙ってそれを聞いていた。

 そんな中、アルフレッドは「そう」と切り出す。

「伊国の民は、一応主家の無念を晴らすことはできた。でも、『不義密通をはたらいたがゆえに国を滅ぼした』という当時の二人の悪評は、騎士淑女の恥、反面教師としてはこの上なくわかりやすく、遍く国中に知れ渡った。おかげで、汚名は未だに返上されないままだ。……学会では既にそれが誤りだったってことは証明済みらしいんだが、やはりというか、全くもって認知されていないみたいなんだよな……」

「さっきリズが証明した通り」

「……う、うるさいですわね」

 クレアリーゼが忌々しげにそっぽを向く。

「実際、読者からの書評も『事実をねつ造し、美化しすぎている』っていうのが

圧倒的多数だった。あと、当時は下手糞だったから、『歴史考察は評価するが、表現が直情に過ぎて、勢いはあるが陳腐』とか。まあ、これは完全に俺の腕せいなんだけどねぇ」

「あ、後者のは私の出した書評」

「えっ……。ま、マジか……」

 アルフレッドは驚いて思わずクラウディアの顔を見る。

「何? 自覚はあるんでしょう?」

「あ、いや。単に驚いただけ。まさか読んでくれていたなんて」

「たまたま。もう少し頑張りましょう。と言ったところ。総評としては」

 心の中ではさぞかししたり顔であろう上から目線のクラウディアに「精進します」と返す。

「私はこの直情的で勢いのある表現に、想いの強さと深さを感じて、胸が苦しくなりましたが……」

 残念そうにごちるシャーロット。フォローは在り難いが、言い訳はしない。アルフレッドはひとつ咳ばらいをした。

「ごほん。何にせよ、この『紅恋の剣』の売れ行きは芳しいものではなかった。結果、このタイトルが真の意味を示す、『後編』の刊行が断念されてしまって、ただの歴史小説ってことになってしまった」

「後編!?」

 シャーロットが我先にと反応を返す。

「ああ。原稿はお蔵入りで、編集の目すら通ってないけど」

「ど……どんなお話なのですか!?」

 興奮し、読者の素を見せるシャーロット。

「前編である、二人の悲恋の真実を前提にしたフィクションだよ。端的に言うと―――二人と、奇しくも似たような境遇に陥った騎士と姫のロマンスってところかな」

「まさか……その二人も、アイオス達と同じ悲劇を迎えてしまうんですか!?」

 心配するように、シャーロットは食い下がる。

「いや」

 アルフレッドは首を振った。

「後編に至っては、紛れもないハッピーエンドさ。前編で報われることのなかったあの二人も、救済される」

「わあ……一体、どんな話なんだろう」

 アルフレッドは顎に手をあてがった。

「そうだなぁ……もう絶対に日の目をみることはない水子だから、教えちゃってもバチは当たらないか」

 わくわく、と今にも口に出しそうな顔で、煌めいた目を向けられる。クラウディアも、クレアリーゼと共に興味ありげにこちらを見てくる。

「二人が自決した際に使われた、騎士アイオスの大剣。愛する王女を守ることができなかった、騎士アイオスの英魂と無念とが込められた代物だ。百数十年の後に、何の因果か主人公はこれを、褒賞として手に入れてしまうんだ。その日を境に、主人公は、アイオス達の今わの際の光景を夢の中で目の当たりにするようになる。それと同時に、主人公は剣に宿ったアイオスの英魂の加護により武功をほしいままにし、異例の昇進を遂げる。主人公は、主家の姫とは幼少期は幼馴染であり、成人ののちは忠誠を誓い合った間柄……なんだけど、互いを男女として意識し合う仲でもあり……」

「まるで、騎士アイオスとソフィー王女の再現ですね。……繰り返される悲恋、というわけですか」

「作者の悪意ともいう」

「むむ……まあ、そんなお話。決定的に違うのは、その結末。悲劇に終わったアイオス達と違い、主人公は立ちはだかる困難を、勇気とアイオスの剣の力でもって打ち破るんだ。不貞の輩では断じてない。悲恋の英雄・騎士アイオスの無念を、同じ轍は絶対に踏ませない。必ず、愛する者を守り通す。その鋼の信念でもって、主人公は姫を守りきり―――ついに二人は結ばれる。全てを見届けた騎士アイオスの魂は、無念という呪縛から解放され、同じく剣に宿っていたソフィー王女の魂と共に、天へと昇る―――」

 以上だ。と、アルフレッドは締めくくった。はあ……と、シャーロットが感嘆のため息を漏らす。クレアリーゼとクラウディアも、ふぅん……、と、淡泊ではあるが、関心を示した。

「実はこの小説のタイトルにもなった、騎士アイオスの大剣はね、何と実在しているんだ」

「有名な伝説」

 クラウディアが相槌を打ち、直後に語り出す。

「自決した二人の血錆が刀身に生々しく残るという。無念と怨念が宿る、呪われた代物。幾人もの手を渡るも、その先で必ず災いを起こす。怨念が怨念を呼び、雪だるま式に膨れ上がり、最早浄化もままならないほど、手におえないものになっている―――らしい。今の所有者は不明。でも、罷り間違っても、物語の様な、綺麗なアイテムではない。伝説が本当なら、呪われた剣というよりは寧ろ、剣の形をした、魔物のような物。上級魔も裸足で逃げ出すほどの」

「―――仰る通り。だが、何しろ、千年も前の話だ。今も現存しているかは、怪しいがね」

 ちらと、アルフレッドは視線を変え、そして戻す。

「ただ、騎士アイオスとソフィー王女の魂は、未だ呪縛から解放されていない。これだけは間違いない。汚名は払拭されていないし、それに―――」

 言いかけてアルフレッドは口を止める。案の定「それに?」と追及されたがアルフレッドは「何でもない」とはぐらかした。

「今自費出版で出したとしてもさ、前振りである前編がそもそも読まれていないし、絶版状態なんだ。後編だけでは、最後に得られるカタルシスは半分。しかも前編の刊行から時間も経っている。俺としてはこの物語は、無念を残して落命したアイオス達の魂が救済される、この流れまでを読んでほしかった。たとえ作り物の物語の中だったとしても、救済してやりたかった。慰めてやりたかったんだ。それだけに、正直、無念で仕方がないよ」

「でしたら、何故後編の刊行を断念したのです? そこまで思い入れのある作品なのに!」

 クレアリーゼが不可解そうに聞いてくる。つい先ほどまで、大声でアルフレッドを罵倒していた時の態度とは大きく打って変っている。

「―――売上。この一言に尽きる」

 アルフレッドは肩をすくめた。全員が言葉を失った。

「俺にさ、書いてみないかって持ちかけてきたのは、騎士学校時代の同期だったんだ。お前の文は、粗削りだがパワーがあるってね」

「国家魔術騎士学校を出て……出版業界に、ですの? あの『伝説の260期生』の中に、そんな方がいらっしゃるのですか?」

 クレアリーゼが意外そうに聞いてくる。

「ん? ああ、まあね。なんでも本業は、継いだ実家にあるらしくて、基本的には配下任せで暇だから、その片手間にやってるっていう事実上のもう一つの本業らしい。ともあれ―――そいつは、最後まで粘ってくれたよ。後編が出て評判が出れば、必ず前編の重版を希望する読者の声があがる、このままだとアイツが報われないってね……でも、駄目だった。出版社は取り合ってくれなかった」

 シャーロットが納得できないといった面持ちで顔を背ける。

「まあ、後悔があるとすればだ。前後編なんてヘタをうたずに、箱みたいな厚さになってでも、一冊に纏めるべきだったかってことぐらいかな。あ―――それならそれで、威圧感がありすぎて敬遠されちゃうか。はは」

 乾いた笑いが空しく響いた。

 しばらくの沈黙の後だった。

「……教官」

 ずいっとクレアリーゼが前に出て、ソファーで空しく笑むアルフレッドの前に立った。今にも胸倉を掴まれそうな、険しい表情だった。

「あるのでしょう? この家の中に」

「……何がです?」

「とぼけないでくださいませ。『紅恋の剣』の後編の原稿ですわ! それを、『前編』の本と一緒に、今すぐこの場に持ってきなさい!」

「……あるには有りますが……一体どうするおつもりです? まさかその足で出版社に持っていくなんて、そんなバカな真似は……」

「馬鹿も休み休みいいなさいな!! 解りませんの? わたくし達が読むと言っているのですわ!!」

「はあ!?」

 アルフレッドは絶句した。目を白黒させる。

「いいこと? まずは前編を読破した二名。あなたのファンであるシャーロットさんには真っ先に読ませなさい。その次はクラウディアに。彼女たちが読んでいる間に、わたくしも前編を読破しますわ。二人とも、ネタ晴らしは厳禁ですわよ?」

「物語の流れ、さっき暴露された」 

「あれは……聞かなかったことにしますわ!!」

 クラウディアは呆れながら「器用なもの」と呟く。

「……勘違いしないでくださいませ、教官。あなたではなく、作品が不憫で仕方がないからですわ。騎士アイオスの件については……目から鱗でした。この驚きの冷めやらぬ今が、あなたの売れない小説を、面白く読める最高の機会なのです。……売れない小説が面白くないとは、限りませんから」

 ぷっとアルフレッドは思わず噴き出した。

「褒めたいのか貶したいのか、どっちですか、それは」

 そう茶化すと、クレアリーゼはもどかしそうに怒鳴った。

「どちらでも良いでしょう? いいから早く持ってきなさいな! それとも何か? たった三人では塵芥ちりあくたに過ぎて、教官せんせいにとっては読者の数に入らないと?」

 挑発のような発破。アルフレッドは苦笑しながら、ついに重い腰を上げた。

「……汚ぇ生原稿ですが、構いませんか?」  

「もちろん!! 喜んで!!」

 シャーロットが間髪入れず飛び上がった。

「人間の読める文字で書いてあれば」

「字の汚さは、作品の言い訳になりませんわよ」

「へいへい。じゃあ、ちょっと待ってておくんなさいね」

 アルフレッドは自室へと向かうべく、階段に足をかける。報われたような笑顔を浮かべながら。その途中、洗濯籠を持ったエルフィオーネとすれ違った。

「私で四人だ」

 エルフィオーネは振り返りながら言う。「聞いてたのか」とアルフレッドは苦く笑いながら答える。

「クレアリーゼ嬢の後は、私も読ませてもらいたい。既に助手アシスタントとして、前編は読破している。―――騎士アイオスとソフィー王女の供養は、一人でも多い方が良いだろう。なあ?」

 そういって視線を遣った先に―――『その剣』は立て掛けられていた。鎖と錠で雁字搦めに封印され、鞘には大きく『炎』の魔術式が刻印され、奇妙な札がびっしりと貼り付けられている。アルフレッド所有の、呪われた得物―――。

「やっぱり、知っていたのか。あんたの知識量には、本当に驚かされるよ」

「つい今しがた、思い出しただけさ」

 アルフレッドはフッと鼻で笑って、エルフィオーネと同じ方向に―――立て掛けられた、両手剣に視線を遣った。




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