第78話 紅恋の剣 その1





「アルフレッド教官!! これは一体どういうことです!?」

 晴天の霹靂とはまさにこのこと。エルフィオーネのつけてくれた原稿の校正や注釈に目を通していた時のことだった。顔を真っ赤にしたクレアリーゼが、藪から棒に凄まじい剣幕で怒鳴りつけてきたのだ。アルフレッドは対面で本を読んでいたシャーロットともども、ソファーから飛び上がらんばかりに驚いた。運悪くパンを齧っている最中だったので、拍子に喉に詰まらせてしまい、あわてて牛乳で流し込む。

「……ゲホッ。あー、なんだなんだ。一体どうしたってんです? ミス・フザンツ」

「どうしたもこうしたもありませんわ!! 何ですの!! この本たちは!!」

 クレアリーゼは腰を折って身を乗り出し、ばんっ、と手にした本ごとテーブルを叩きつける。どうでもいいが、二日酔い気味の体に、この大音声は正直クるものがある。

「んー……? ―――ああ、懐かしいなコレ」

 表紙に目を遣ると、アルフレッドは目を細めた。作家デビューしたての頃に雑誌に寄稿し、それなりに評判を得たことで、そのまま短編集アンソロジーの一作品として採用された、思い出深い本だ。もっとも、その方面では名の知れた面々の中に混じっての採用なので、力量的にも知名度ネームバリュー的にもいささか場違いな感は否めないが。

 自身の作品がどの位置にあるのかは、わざわざ探すまでもない。即座に該当ページを見つけると、ぱらぱらと斜め読みを始める。ちなみにその短編集のタイトルは―――。

「『姫君の秘事ひめごと』かぁ。うーん、懐かしい。そして、何度読んでも下手糞だ。これ見てると、二年前と比べると俺の拙文も大分マシになったんだなぁって」

「そんなことを言っているのではありません!! こ、これは……その……い、いわゆる好色エロ小説という物でしょう!?」

「ああ。まあ、そうなりますね」

 悪気なくあっけらかんと答えてやると、それがますます癇に障ったのか、クレアリーゼの顔に更に怒気が増していく。もとが色白なせいか、顔の紅潮が物凄くよくわかる。

「聞けば作家だというのですから、普段一体どのような素敵な作品を書かれているのかと思いきや……蓋をめくってみれば、置いてあるのはこんな破廉恥なものばかり!! こんな卑俗なものを良民に撒き散らしていたなんて!! ……見損ないましたわ!! 教官!! しかもよりによって、エーリック将軍の別邸の本棚に、このような猥褻物を平然と陳列するなんて……!!」」

 わなわなと拳を握りながら捲し立てられる。こういった物を目にした時の耐性は、無いに等しいようだ。しかも、この作品内においては、かなり気合の入った濡れ場の挿絵も描いてもらっている。

「そう言われてもなぁ……依頼だし、分かってくれとは言いませんが庶民の娯楽ですしね、こういう本は……。それに、俺だってただ劣情に任せて書いたってわ」

「問答無用!! 風紀を乱すような低劣な娯楽は必要ありませんわ!!」

 フンッと弁解には聞く耳持たず、「まったく……どうしてこんな代物が取り締まられていないのか……理解に苦しみます!!」と、尖った長い耳まで顔を紅潮させながらそっぽを向く。この辺は、同じ貴族の姫君でも、マセたアリシアとは対照的だ。本人がこの場に居たなら、間違いなくからかいの種にしただろうが、生憎彼女は、兄エーリックと、彼氏(候補)のサーノスを連れてイザキの町散策に出向いている。

 それに、仮に彼女の言うとおり、そういった本や画をあまねく発禁にしたとして、目に見えない地下に潜り潜ってアングラ化し、人目に付かない分、さらにやりたい放題の過激で変態的アブノーマルなものに変貌を遂げるのは想像に難くない。そんな物がヤミで流通するなど、不健全も甚だしいことだ。シモの捌け口を失ったことで、娼館通いがさらに増えるのも考え物だし、最悪、溜まった欲情ものを抑えきれずに通りすがりの婦女子を……という事件に発展することも考えうる。結果的に、余計に風紀が乱れるのではないか。もっとも、そんな言い分など、口に出したところで屁理屈だの詭弁だのの一言で一蹴されるだろうが。

「今の俺の作家こっちの仕事でカネになってるのは、不定期に依頼がくる、こういったエロ小説くらいなんですよ……。表の本名名義での仕事は売れないカネにならないって、出版社から総スカンを食らってる。だから、今の『表』の最新作は、手前で金を出しての、いわゆる自費出版」

「単純に、文章のレベルが低い、話として面白くないからではなくって?」

「それは……ううむ……そうなのかもしれませんけど」

 読んでもいない人間にこんなことを言われるのも、少し癪ではあったが。

「そんなことはありませんよ、先生。クレアリーゼ様も」

 返す言葉無く悶々としていたところに助け舟が出た。シャーロットだった。

「シャーロットさん、このような破廉恥な方を無理に庇うことはありませんわ」

「無理なんてしていませんよ。私はアルフレッド先生の作品が好きで、追い駆けをやっているわけですし」

「男女の……その……じょ、情事を!! 淫猥にいやらしく書いて、読者の欲情を煽ることしか能の無いような作家なのに?」

「うーん……。クレアリーゼ様は、アルフレッド先生の作品を読んだことが無いはずでは? それなのに頭ごなしに罵詈雑言を叩きつけるのは、畏れながらいかがなものかと……。確かに先生が有名なのは『裏』の名義のほうですが、『表』の名義の作品も良いものぞろいですよ。有名にはなっていないだけで……」

「淑女の手本のような貴女が、そのような本を愛読しているなんて、クラウディアではありませんが、悪夢のようですわ……」

 額に手をあてがうクレアリーゼ。不意に名前が出たせいか、黙って本を読んでいたクラウディアが視線だけをこちらに向けてくる。

「あらら……申し訳ありません。でも私はエルフですので……その、身体の造りが人間のみなさんとは少し違っています。欲情の解消や煽情目的で作品を読んでいるわけではなく、単に物語の面白さや美しさを求めて読んでいるわけで……」

 この話から察するに、その気になれば常に異性を受け入れることができる人間とは違い、エルフには他の動植物のように一定の周期を持った「繁殖期(有り体に言えば発情期)」のような概念が存在するのかもしれない(当然直接聞いたりはしないが!)。つまり、作品をエロ目的なしで、冷静に読むことができるというわけだ。一体どのような感覚なのだろう。アルフレッドからすれば、男同士や、他の動植物同士の肉体の絡み合いを描いた小説を読んでいる感覚なのだろうか。

「私がお世話になっている領主様は無類の本好きで、私設の図書館まで創って国中から色々な本を蒐集しているのですが……そんな中で、偶然目に留まったのが、先生のデビュー作『紅恋の剣』でした。今思えば、運命的な出会いでしたね。このアークライト領から何百キラも離れた遠く北の地では、本来なら絶対に手に入らない本ですし」

 アルフレッドは思わず「うわ」と声を上げた。懐かしさと気恥ずかしさからだった。

 そして意外にも、もう一人反応を示した人間がいる。視線だけをこちらに遣っていたクラウディアだ。

「何です? それもいかがわしい本ですの?」

「いえ、とんでもない。れっきとした歴史小説ですよ……まあ、濡れ場が無いわけではありませんが」

 と言うと、クレアリーゼが無言でこちらをギロリと睨んでくる。彼女のこの性に対する潔癖は何か理由でもあるのか。

「で? どんなお話なのです? 一応聞いておきますが」

 だが、少し態度が軟化してきてはいるようだ。

「1000年以上前。アルマー王国統一前の、小国同士が互いに争いあい、のちのルテアニア王国に連なる国とも事を構えていた時代の騎士物語ロマンスです。クレアリーゼ様、騎士アイオスの逸話をご存じで?」

「騎士アイオス……もしや政略のために嫁ぐことになった王女と寸でになって契りあい、国を滅ぼす直接の原因となった『不貞の騎士』アイオスのことですの? ……否、と言いたいところですが―――この世で最も覚えていたくない者の名として頭にこびりついていますわ」

 苦虫を噛み潰したような嫌悪の表情で言うクレアリーゼ。

 不貞の騎士。最早通称として定着してしまった蔑称。だがその一言に、アルフレッドは表情を一際強張らせた。

 騎士アイオス。アルマー王国が統一国家となる前、国同士が群雄割拠していた頃に、さる小国に遣えていた騎士だ。武勇抜群の猛将であり且つ、眉目秀麗の評判で通った、敵味方を問わず誰もが一目を置く美丈夫だったという。そんな彼の魅力に中てられたのは、国の王女も例外ではなかった。そしてこのことが、両名に悲劇を招くことになる。その悲劇の内容は―――本当に身も蓋もなく言ってしまえば、先のクレアリーゼが言った通りだ。

 騎士の恥たる「不貞の騎士」アイオスと番になるよう、淑女の恥として後世に汚名を残した、通称「淫姫」ことソフィー王女。

 アルフレッドの処女デビュー作である「紅恋の剣」は、この二人の関係に、ありったけの身と蓋とを付け加えたうえで、当時の世界を「再現」し、あくまで「悲劇」として演出した歴史小説である。



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