第77話 蒼の恐怖 その6




『イザキ郊外にて謎の大爆発』



『極小隕石の落下か』


 

『国家厳重管理下の禁布術式が流出した可能性も。調査団を結成し現場に派遣』




 先刻クレアリーゼが言っていた、昨晩あったとされる、謎の大爆発。その記事が、大見出しに現場の白黒写真つきで、号外の紙面をでかでかと飾る。頁を飛びながら、繰り返し掲載される関連記事を、クラウディアは余すことなく読み漁っていく。そしてその度に、クラウディアの表情は険しくなっていく。

「ただいまー」

 アリシアが邸内に入ってくる。一応領主代理として、目撃情報の証言も兼ね、現場に顔を見せてきたのだろう。朝でも全く鈍らない明朗な声ではあるが、どことなく物憂げな印象を受ける。

「あら、随分お早いお帰りですわね、領主代理殿」

 発言の腹を察し、うっ、と図星をつかれたように顔をしかめるアリシア。

「どうせ、『後のことは私共に全て任せて、姫様はゆっくり休暇を満喫し英気を養ってください』とでも言われ追い返されたのでしょう。まあ、どうせこうなると思ってはいましたが」

 クレアリーゼは優雅に紅茶を嗜みながら、したり顔で嫌味を言う。アリシアの表情から察するに、一字一句違わないことを言われてきたのだろう。

「むぅー……。そりゃあ確かに、こういうのは専門外かもしれないけどさ……一応私だって領主代理……」

 尚もぶつぶつとぐずる様に、クレアリーゼは呆れながらもくぎを刺す。

「責任感とその気持ちは分かりますがね、何でもかんでも上が一々出張って骨を折っていては、身体が持ちませんわよ。家臣(あちら)側が任せろと言っているのです。それなら、下手に動いて現場を荒らす前に、家臣達に全てを委ねればよいのですわ」

 同感だね、と、同じく湯気立つティーカップを手にしたサーノスが言う。

「どうせ僕達が行ったところで、何も出来はしないんだ。顔見せと証言だけで仕事は十分。貴女には、貴女にしか任せられない鉄火場せんじょうがあるんだ。それ以上の出しゃばりは、仕事を任されている家臣達の面目を失わせることにもなりかねないよ」

 容赦なき歯に衣着せぬダブルアタックに、さすがのアリシアも折れた。

「むむ……はい」

 よろしい。と、クレアリーゼは茶を啜る。アリシアもダイニングテーブルに腰を掛け、紅茶をカップに注ぐ。

「他の面々は? まだ寝てるの?」

「ええ。シャーロットさんはともかく、残りの両名は、相当量のお酒を召していたようですし」

 二人が爆睡しているであろう二階をクレアリーゼが見遣る。

「皆さん。おはようございます」

 そうこう噂をしているうちに、シャーロットがダイニングに入ってくる。(胸部以外は)どう見ても児童でしかないこの面体に酒というフレーズも違和感しかないが、一切の酔いを残さない、実に爽やかそうな朝を迎えているようだった。彼女がダイニングテーブルに入ると、すかさずアリシアが紅茶を注ぎ、笑顔で会釈を交わしあう。

「ああ、そうですわ。お酒と言えば。―――アリシアさん、昨晩クラウディアに出された飲み物の中に、お酒が混ざっていたようですわ」

 ええっ、と大袈裟に驚くアリシア。

 下戸の彼女が誤飲で酩酊した挙句に昏睡し、昨日の記憶を半ば失ってしまったという事情を、クレアリーゼはまくし立てるように言い、せめて今日一日だけは、一切の酒を出さないでほしいとメイドに言えと要求した。当然要求を呑まない理由もなく、アリシアは何度もクラウディアに頭を下げながら、「今日一日は全員休肝日!」と声高に宣言する。

「そっか、顔色が悪いのはそういうわけか……本当にごめんね」

 ふるふると、首を振る。

「ん……別に、いい。それに、顔色悪いのは多分、夢見が、悪いから……」

「夢……? って、ちょっとクラウディア、本当に大丈夫ですの!? 怖いもの知らずのあなたが、夢ごときで一体どうしたというのです? 一体、どんな夢を見たと?」

 全員が案じる表情で、クラウディアに視線を集める。

「よく、覚えてはいない。断片的にしか、説明できない。光に、蒼い光に翻弄される、怖い夢……。ああ、思い出してきた」

 たまりにたまった恐怖を吐き出すように、クラウディアが喋りだす。

「そいつを追い払うために、私、夢の中で、必死に攻撃した。でも当らない。そして捕まりそうになった。その時私、たまらずに、エク―――」

 はっとしてクラウディアは口を噤んだ。

 夢の中で発動した『禁術』エクスプロードは、その危険性から悪用を防ぐため国家厳重管理下にある、所謂「禁布術式」という魔術式を用いて構成されている。構成術式は自力で解き明かしたものだが、これを使えるということがバレれば『禁術』の術式を盗み見たのではと、あらぬ疑念を向けられることになりかねない。それがたとえ、夢の中で使用したものであっても、だ。ただでさえ、現実世界でも謎の大爆発などという事件が起き、禁術の術式が流出した疑惑が持ち上がっているのだ。

「翻弄に翻弄されて、恐怖をあおられて。最後に私、その蒼い光に捕えられて―――」

 くっ、と歯噛みする。そして、続ける。

「今まで見た夢とは違う。あれは現実だったんじゃないかって。本当にあったことだったのではって。そんな実感が、何故かある。そんな悪夢―――思い出すだけでぞっとする、悪夢……」

 ああ、とクラウディアは額に手を当てながら俯き、沈黙した。

 一同、顔を見合わせる。追い回される悪夢というものは、誰もが一度は見ているようだった。

 だが、いかに怖くとも、夢は夢。時間がたてば、内容だけを薄らと、余韻だけを残して、忘れてしまう。これも、誰もが経験していることだった。全員が「ううん」とかける言葉に困っている。所詮は夢なのだ。

 そんな中、一番の年長者のシャーロットが最初に口を開いた。

「大丈夫ですよ。怖い夢を見たようですが、大丈夫。時間がたてば、雪みたいに、綺麗にかき消えてしまう。悪夢なんて、そんなものですよ。――そうだ。私、気持ちを落ち着かせるハーブ・ティーの茶葉を持ってるんですよ。もし宜しければ」

 一も二もなく、クラウディアは首を縦に振る。シャーロットは茶葉を手に、厨房へと足早に駆けていった。

「シャーロットさんの言うとおりですわ、クラウディア。お茶でも飲んで、気持ちを落ち着かせましょう。そうすれば、悪夢なんて、すぐ忘れられます」

 そう言いながら、クレアリーゼはぽん、と軽くクラウディアの背を叩いた。

 



 夢……。

 本当に、夢だったのだろうか。




 クラウディアは虚ろな目で、ハーブ・ティーの到着を待っていた。その間、アリシアがテーブルに朝食をテキパキと配膳していき、色とりどりの食事がクラウディアの前に並んでいく。それをクラウディアは、ぼうっと眺めていた。

 この「悪夢」を、ただの夢だったと片づけることが、クラウディアにはどうしても出来なかった。

 必死に魔術を使用し応戦した感覚、動きをとらえられずに翻弄される絶望感、そして捕縛された時の恐怖。雪のように融解などする気配の欠片すら見せない、圧倒的な存在感をもつこの感覚。―――拭えない恐怖。どう考えても、現実で体験したものとしか思えなかったからだ。

 まさに言葉に言う、夢か現(うつつ)か幻か。その極致だった。

 何かを。何かを忘れている。忘れてしまっているのではないか。

 何かを―――。



「失礼します。お茶が入りましたよ。」



 声をかけられ、はっとクラウディアは我にかえる。そして、声の発された先を見遣った。

「―――どうぞ」

 ハーブが優しく香るティーカップが、目前に置かれる。

 クラウディアは狐につままれたように、「彼女」の顔を、じっと凝視していた。

 クレアリーゼが言った通りだった。どこをどう見ても、ただのメイドという風体だった。そしてやはり、見覚えはない。全くもって、無い。

 かなりの美人だ。それこそ、同じ女目線でも思わず見惚れてしまうほどの。調理の為に纏めあげられている、銀髪にも似た薄紫色の髪は、髪留めを外して風に靡かせれば、さぞかし絵になることだろう。ぎゃくに、こんな印象的な人物、一度見れば、嫌でも印象に残ってしまう。

 昨日自分は「彼女に興味がある」といって、ここまでついたきたのだとクレアリーゼは言った。完全に忘れてしまっているが、それは―――事実なのだろう。だが、それは一体何故か。いかに美しい女性とはいえ、そっちのケがあるわけでもない。間違っても、美しさだけに魅了されてホイホイついて行くようなことは断じて在り得ない。

 ―――彼女に関する記憶だけが、一切合切、すっぽりと抜け落ちてしまっている。このエーリックの別邸に集った面子は、彼女以外全員覚えているというのに。

「昨日は大変申し訳ありませんでした。どうやら、誤ってお酒をお渡ししてしまったようで……一体、どうお詫びをしてよいものか」

 深々と、丁重に頭を下げ詫びると、クラウディアも目線を追うように、視線を下げる。クラウディアは返す言葉に困り、「あ、うん」と曖昧に返す。そのあと、「べつに、大丈夫だから」とも付け加えると、「お心遣い、痛み入ります」とさらに深く頭を下げられる。

 こんな控え目で従順な人柄の人物が何かをするとも思えなかったが、念のためクラウディアは探りを入れてみた。

「昨日、私。食事のあとの後記憶がない。お酒には弱くて、そうなっちゃう。あの後のこと、何か、知ってる? 粗相とかしなかった? 酔って魔術をぶっ放したとか」

「然らば、申し上げます」

 メイドが顔を上げる。

「ミス・ミダエアルは―――恐らく酩酊したあと、昏睡されてしまったのでしょう。鍵もかけず、騎士学校の制服のまま、倒れるように眠っておられました。ひどく魘されていて、寝汗も酷かったものですから、風邪をひかれてはと思い、まことに勝手ながら、お召し物を寝巻へと変えさせて頂きました。夜中の……そうですね……あの爆発騒ぎがあった直後の事ですね」

「あー、だからあの騒ぎの時、現場に来てなかったわけか」

 ぽん、とアリシアが手を叩きながら納得する。

「左様。放っておくわけにもいかず―――重ね重ねのご無礼、まことに申し訳ありません。ミス・ミダエアル」

 と、再三深々と頭を下げる。

 嘘を言っているようにも思えないし、何より辻褄が合っている。どうにもしっくりこないが、やはり、夢でしかないのだろうか。

「……わかった。色々と、迷惑かけたみたい。ごめん」

「勿体なきお言葉。―――それでは、冷めぬうちに、お茶を。なかなかに、上等のものですよ」

 その言葉通り、周囲からは口々に、嘆息が聞こえてくる。

 クラウディアもその香りをようやく堪能することが出来た。成程言うとおり、不安定だった心が、次第に落ち着いていくのが感じ取れる。茶葉の作成過程で何か特別な魔術が使用されているのかもしれない。エルフの生態と魔術力は、相変わらず謎だらけだ。

 そして、冷静になってみて改めて、このメイドに対する疑念が、じわじわと浮上してきた。

「それでは、おかわりとあらば、お申し付けください」



(念のため、隙を見て「白日」の魔術をかけ、洗いざらい吐かせるか……)



 にこりと微笑みながら一礼をする藤色髪のメイドに、カップで口元を隠しながらクラウディアは刺すようにして視線を向けた。

 その時だった。



 フッ。



 一瞬視線が交わったかと思うと、メイドの口元が吊り上った。

 どくん、と心臓の鼓動が跳ね上がる。

 そして、ハーブなどでは留めきれないない感情が、ふつふつとわき上がってきて、クラウディアの心をどす黒く塗りつぶしていく。この感情は間違いない。夢の中で嫌というほど味わった―――純然たる「恐怖」だった。動悸が胸を打ち続ける。

 既にメイドは背を向け、厨房へ向かおうとしている。その背を、冷や汗をかきながら、クラウディアは見守っていた。

 一体何が由来なのかすら解らない警鐘が、脳裏に鳴り響く。


 この女に、そんな隙はない。

 この女に、深く関わってはいけない。


 そして、最終的に、クラウディアは一つの結論を出した。

 先の彼女のが言っていたことこそが真実。もう、それでいい。と。

 今呑んでいる茶の味も香りも、最早何も感じない。口をつけたカップが、ふるふると、小刻みに震えていた。

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