第74話 蒼の恐怖 その3




「己の好奇心を満たすためであれば、他者を害すことも厭わぬ―――何とも思わぬか」

 ザッ。

 エルフィオーネは一歩をゆっくりと、重々しく踏み出す。

「身勝手さも、ここまでくれば見上げたものだな。得物を持つ術具使いとは違い、人を害する感触というものを肌伝いに覚える機会がない。それが故の無情。無頓着。そういうことなのか? ええ?」

 ザッ。

 さらに歩みを進める。

 クラウディアは押し出されるように、不動だったはずの二の足を―――踏もうとして、何とか踏みとどまる。

「炎に、呑まれたはず……。確かに」

「やれやれ、質問に答える気はない、と」

 エルフィオーネは小さくかぶりを横に振り、嫌悪を混じらせた溜息を吐く。

「―――ああ、確かに呑まれたよ。呑まれてやったさ。良い感じに、暖かかった。おかげで、良い暖と、準備運動ウォーミングアップになった。何度も言うように、寒いのは少し苦手な性分なのでな。一通り堪能した後、ゆっくりと貴様の背後に回り込んでやったさ」

「ゆっくり……?」

 不意に漏らしてしまったその発言。

 おや? 耳聡く訊き拾ったエルフィオーネは、核心を得たりとほくそ笑む。

「先の動きが見えなかったのか? あの程度の足運びが」

 だったら―――と。足を止める。

「30点だ」

「なに?」

「言ったろう。30点だ。貴様はこの戦法スタイルの何たるかを、まるで分っていない」

 藪から棒に落第点を告げられたかと思うと、次の瞬間。瞬きの間に、エルフィオーネの姿は、跡形もなく掻き消えていた。そう、跡形もなく。瞳の中に、蒼の残像だけを残して―――。

「!?」

 何が何だかわからず、視界と首とを狂ったように右往左往させるクラウディア。



「ここだよ」



 真背後からだった。驚愕が怖気と共に背筋を駆け抜けていく。ばぁっと外套マントを乱雑に翻しながら、クラウディアは後方を振り向いた。

「ほら、見えていない。だから言ったのだ。30点だとな。それとも、眼鏡が合っていないのかな?」

 視線の先。蒼の光を纏ったエルフィオーネは、口元に手を当てながらクスクスとせせら笑っていた。ただし、その眼もとは、一切笑ってはいない。

「……!!」

 そしてエルフィオーネは尚も嘲笑を止めない。

「否と言うなら、この動きを捉えてみよ」

 ほら、と煽られた瞬間。そこには先の再現が待っていた。ふたたび蒼の残光を残し、エルフィオーネの姿が消失する。

「くっ……」

 流れこもうとする戦慄と焦燥の奔流をクラウディアは必死にかみ殺し押し留める。そして再度、魔術式を展開。エルフィオーネの動きを捉えるべく、火球の追尾弾を射出した。

 動きが見えなかった事実は認める。どんなトリックを使っているかは知らない。だが、それならそれで、二の手三の手を使うまでだ。この炎の灯りが誘く先。それがあの女が居る場所だ。

 直線に射出された火球の軌道がググ……と屈曲する。その方角を、生唾を呑みながらクラウディアは注視する。

「……あれ?」

 軌道がさらに鋭く曲がり―――屈曲どころか、ついには180度反転した!! 火球弾がクラウディア本体へ向かい、雀蜂のごとく鋭く襲い掛かる!!

「―――っ!?」

 クラウディアは姿勢を低く、転げ回るようにして、辛うじてこれを回避した。呆然とそれを見送ると、少し先で再び火球がクラウディアの方向に向き直り、半ば寝転がっている体制にもかかわず無慈悲に襲い掛かってくる。まるで反逆の輩のように。

「く、来るなァ!!」

 クラウディアは必死に手を前に突出し、『防護』の障壁を展開。裏切りの火球達を相殺した。

 クラウディアは肩で息をしながら、生まれたばかりの小鹿のように、よろよろと立ち上がる。最早、顔を上げることすらできない。

 弄ばれている。追尾弾を、的がクラウディアに向くよう誘導されたのだ。

 トリックではない。何の小細工もない。

 純粋に、高速で移動する彼女の姿が、捉えられない。

 力の差がありすぎる。

 頭と同時に心で理解した瞬間、怒涛のような絶望が押し寄せてくる。

「自分の放った攻撃に命を脅かされる。中々できない体験だっただろう」

「ひぃっ!」

 またしても声は真背後から。恐怖と絶望余って、振り向くことすらできない。

「こんな……こんなことが」

 暗闇の中、頭が次第に白くなっていく。

「在り得ない? だが、これが現実だ。やめておけばいいのに、そう忠告したのに。好奇心と探究心の勇み足に任せて貴様が踏み入れてしまった、現実だ」

 エルフィオーネはフン、と慈悲の欠片もない冷徹な息を吐く。

「この際だ。『不動』スタイルについて、面白いことを教えてやろう。この『不動』スタイルの泰斗、『不動』のディークマンについての過去話だ」

 先程は、真背後で聞いた声が、前方から届く。

「『不動』のディークマンは魔術ではなく、もともと、武技ひとすじの戦士としてその実力を評価されていたのだ。試合においては無敗。討伐した賊や魔物の数は両の手で余る。それが、若き日の彼だった。戦闘用の魔術を学んだ事など、なかったのだ」

 再び真背後から。

「少し遅めではあったが、その実力が領主に認められ、彼は貧しい身でありながらも国家魔術騎士養成学校に『特別枠』として入校した。周りの誰もが太鼓判を押す、戦士としての実力と実績。ゆくゆくは、国でも有数の実力者になるだろうと、鳴り物入りでな。その未来を、誰もが信じて疑わなかった。―――だが」

 今度は右手側から。

「彼は魔術を使った戦法を、まるで扱うことができなかった。魔術を扱うことは出来ても単体だけ。得物と一緒に動いて戦うことが、できなかったのだ。あまりにも下手糞でな」

 左手側から。

「大層な前評判だったが、蓋を開けてみた結果がこれとわかり、周囲はすぐさま彼に掌を返した。校内では孤立。誰にも相談できない」

 再び前方から。

「それだけならまだしも。知っての通り、『特別枠』の人間は、常に序列を上位に保たなければならない。それが出来なければ、放校処分とされてしまう。彼はその瀬戸際まで、あっという間に追い込まれてしまった」

 後方から。

「周囲の環境は最悪。戦士としてのプライドはズタズタ。魔術騎士としての道は閉ざされたも同然。絶望から、彼はついに、自らの命を絶とうとした」

 今度は頭上から。

「だが―――それを見咎め、思いとどまらせた者が居る。彼の師となった者だ」

 右側から。

「具に見てみれば、彼の魔術の腕は、悪いものではなかった。単に、武技と魔術とが、まるで水と油のように融合しない。言ってしまえば、それだけの話だったのだ。どちらを捨てさせるかなど、考えるまでもない。彼は『戦士型』から『純正型』の魔術師となるよう、師から諭されたのだ」


「その師にとっては簡単な助言だったかもしれぬが、彼にとっては、苦渋の決断だったに違いない。今まで共に歩んできた剣を、邪魔だから捨てろというのだからな」


「師の指導と、元々もっていた魔術の才、そして弛まぬ努力により、彼―――ディークマンはどん底から這い上がり、メキメキと魔術師としての実力を上げていったが、移動を伴った魔術を扱うと、相変わらず粗が出てしまう。この欠点だけは、どうしても治らなかった。そこで師はこう言ったのだ」


「『お前はもう、そこを一歩も動くな』―――とな」

 

「自ら動くことを禁じて精神を集中し、完全に砲台に徹して、ひたすら魔術の弾幕を張り続け、相手を寄せ付けない。貴様が見たのは『不動』のディークマンの、そんな姿だったのだろうが―――肝心な部分を見逃している」


「どの『純正型』の魔術師にも言えるが、弾幕の嵐を掻い潜られ、近距離クロスレンジまで接近されると、打つ手が限られてしまう」


「特に『不動』スタイルは、その場から全く動かないが故、相手にとってはまさに『動かない的』だ」


「この弱点を補うために貴様は『伏兵アンブッシュ』を潜ませたが、『不動』スタイルの真価はむしろ、この後相手に『攻撃させる』ことにある」


「弾幕や罠を全て掻い潜り、勝利を確信した上で繰り出される必殺の一撃。これを―――『攻勢防護戦法』と『反射』を併用して弾き返す!!」


「接近されたら終わりがセオリーの中にあって、こんな隠し玉を持っている事など、誰も想像すらしないだろうからな。大いに不意を付かれること請け合いだ」


「そして、この技術を可能にするのは、アリシアやクレアリーゼ嬢のような鍛え抜かれた動体視力と、鋼の如き度胸。それはすなわち、刃が肌を紙一重で掠めていく、剣戟の嵐に身を置いたことがある者のみ……!」


「つまり、戦士としての剣は捨てても、その魂は、彼にそのまま残っていた。そしてそれこそが『不動』スタイルという強力な戦法を確立するための、最後のピースとなったわけだ―――面白い話だろう。少し長くなったがな」


「何が言いたいかというとだ。声を発さぬ限り、私がどこに居るのかを捉えられないようでは、『不動』スタイルの使い手としては二流も三流もいいところだ、ということさ」

 ―――クラウディアは俯き、カチカチと歯を鳴らしながら、一言を溢した。

「何、故……」

 どもりながら。

「何故……そんな事。知って……」

 エルフィオーネはふふっと一声笑ってから、ゆっくりと答えた。

「さて……どうしてでしょう? 今から20年近くも前の話なのに、まるで、実際にその場に居たかというくらい詳しい。妙なこともあるものだ。なあ?」

 言い終わるとエルフィオーネはザッと地面を踏み鳴らした。

「お話はこれで終わりだ。そろそろ、終わりにしよう。次に何処から襲われるか分からなければ、最期だ」

 

「さあ、私は次に、何処へ」


「何処へ」


「何処へ」


「何処へ」


「何処へ」


「何処へ移動するでしょう?」



 ―――顔をあげた先には。

 蒼の雷光を纏ったエルフィオーネが無数に、視界を埋め尽くすように立っていた。ふふ、ふふふと口元をつらせ、笑いながら。

 そして直後に、彼女達が一斉に襲い来る。360度。全方位から。まるで光がゆっくり収斂するかのように。膝が笑ってその場に立ち尽くす、クラウディアを目掛けて。




「嫌ああああーーーーーッ!!!!!」




 その日―――直後に轟いた巨大な爆発音、そして地響きを、イザキの町の誰もが耳にし、そして体感した。原因不明のその大爆発は、残ったクレーターから、小さな隕石が落下したものと、後に結論付けられた。

 だが、その正体は、高位の拠点制圧系爆発魔術『エクスプロード』。正気を逸したクラウディアが破れかぶれに放った、大魔術だった―――。



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