与え姫奇譚
天流貞明
第一章
第1話 収穫祭の夜に その1
「ひでぇな、これは」
昼間でも薄暗い路地裏、秋風がいやに冷たく流れるじめじめとした石塀の隙間で、
秋の収穫祭は宴もたけなわだ。聞こえてくるのは軽快な音楽。領民の楽しげな声、そして声……。日常とは違う晴れの日の喧騒が、町中の隅々にまであふれている中、仕事とはいえ、偶然見つけてしまった「それ」に、生来のツキのなさを、アルフレッドはつくづくと感じていた。
「どうしたんじゃあ? アルフレッド殿。こんな所に何ぞあるのか?」
背後から、異国の装束「着物(キモノ)」を身に纏った青年が、口に食べ物を含みながら暢気に歩いてくる。いつものごとく酒が入っており、表情こそ若干緩んでいるが、アルフレッドと同じく逞しい筋骨をした、精悍な顔つきの青年だ。
アルフレッドは屈んだ体勢からゆっくりと立ち上がった。
「見てみろよウシオ。これ。食ってる最中悪いが」
「アルフレッド殿、何度言えばわかる。ワシの名前はウシオマルだと……」
「いいから見ろ。仕事だ」
肉饅頭を飲み込み終えると、ウシオマルと名乗る異国の青年は、アルフレッドの前に出た。
「まったく、『何か焦げ臭い』などと言ってこんな所にきたかと思えば。一体なんじゃっちゅうんじゃ……」
ぶつぶつと文句を垂れながらウシオマルは視線を下に落とす。そして「うおっ」と一声もらした。
どの食用肉とも違った肉がこげる、不快な臭いがまだ周囲に漂っている。
そこには、完全に焼け焦げた灰の中に混じり、男のものと思われる人間の腕が一本、ごろりと転がっていた。
「何じゃあ……こりゃあ。コロシか?」
「間違いないだろうな」
どうやら、後ろめたい奴らが屯するスポットらしい。周囲には吸殻、紙くず、ぼろきれ等、可燃物が不法投棄され、時折カサカサと音を立てて舞い上がる。だが、不思議なことに、それらに火が燃え移っている様子は一切見られない。
「見た感じ、まだそんなに時間も経っていないだろう。腕一本残して、全て燃やし尽くされたって感じだ。それも、一瞬で炭化するくらいの超高火力でな。普通の火じゃない」
周囲のものを一切燃やすことなく、対象のみを、それも生物を一瞬にして炭化させるほどの火力で燃やし尽くす……。それほど強力で都合のいいことを可能にすることが出来る存在と言えば、一つしかない。
「『魔術師』の仕業ちゅうことか……」
「ああ。それも、最高位クラスのな。こんな火力はお目にかかったことがない」
「なんでそんなヤツが、こんなところをコソコソうろついとるんじゃ? それほどの術者なら、王都の連中がだまっとらんじゃろ」
「そういうのが面倒だったり嫌いだったりする奴もいるさ」
アルフレッドはそれだけ返すと、使い込んだ分厚い手帳に、周囲の状況を記しはじめた。
「しっかし、捜査するのはワシらじゃないとして、仕事が一つ増えたのう」
「ああ、マスターに報告しないとな。やれやれ、今日はさっさと切り上げられると思ったのに」
「まったくじゃ。アルフレッド殿、こんな所、さっさと出ようぞ。この臭いのせいで当分肉料理は食いとうなくなったわ」
ウシオマルは残った肉饅頭を袋ごとアルフレッドに手渡すと、酒壷を不機嫌そうにあおりながら、さっさと出口に向かって歩いていった。
「ちょっとは協力してくれよ……」
アルフレッドは地図に現在位置を示すマルを描き終えると、手帳も懐にしまい、踵を返そうとした。
(ん……?)
その時、もう一つの発見をした。
血痕が、床に付着している。それも、決して少量とはいえない量だ。
そばに近寄り、屈んで、指で掬ってみる。まだ乾燥しておらず、凝固しかかった赤黒い血液がべっとりと指を塗らした。
周囲を見渡すと―――今まで暗さで気がつかなかったが、壁際の地面に、血痕が道伝いに落ちているのが確認できた。
―――壁面を伝って、ずるずると負傷箇所を庇いながら歩く姿が、容易に頭に浮かぶ。
(ホシは、負傷中……と)
アルフレッドは懐にしまった手帳を再び開いた。
主に要人や企業の警護・保安、時には魔物退治などの仕事を請け負い、ガードを派遣するギルドに所属。日雇いの仕事で賃金を得る。それが今のアルフレッドの生業だ。
今回請け負った仕事は、収穫祭でハメを外して暴れたりする輩や、他領から物見遊山でやってくる人間を狙うスリやらひったくりやら、違法な物を陳列している輩やらを相手にするだけの、皆がおとなしくイイコにしていれば(実際、途中までは主だった騒ぎもなく、実に平和だった)半ば祭り散策の感覚で行える、気楽で簡単な仕事になるはずだった。
アルフレッドとウシオマルがギルドマスターに報告書を提出し、役人に付き添って例の場所で取調べを受け、再び警備の仕事に戻り、夜間組に引継ぎを行い、帰路に着いた時には、既に陽はとっぷりと西の空に沈んでいた。
「帰ったらブー垂れられるな」
「なんじゃ。嬢ちゃ……お姫様と逢引の約束でもしておったんか」
「友達も一緒に連れてくるとか言ってたからな。相当怒ってるに違いない。あのじゃじゃ馬姫」
「ふん、お前さんばっかりモテて。ずるいわ」
しかしながら、キャンセルの理由が、野郎とのお仕事デートが長引いたからだと言うのが、なんともばつが悪い。「急がなくてもいいんか?」とのウシオマルの問いには「ゆっくり埋め合わせの案でも考えるさ」と返した。
祭りの賑わいは、夜になっても衰えることを知らない。夜も眠らない港町は、大人たちの饗宴の場へと次第に様変わりしていく。
特に酒場のあたりは顕著だ。露店では酔いによった大柄な海の男達が、今にも取っ組み合いが始まらんばかりの大音声を上げながら、ジョッキを片手に派手に騒いでいる。横に薄着の女を侍らせ、お触りをしながら酌をさせている者もいる。
道すがら、ウシオマルは露店に用意された収穫祭用の様々な料理を素手で摘んでは食べ、摘んでは食べを繰り返している。肉料理は当分食いたくないと言った事など、酔って既に忘れているのだろう、特に肉料理が多いようだ。
千鳥足のウシオマルと別れ、アルフレッドは町のはずれの邸宅を目指した。
アルフレッドは居候の身だ。この白煉瓦の小粋な邸宅は、同期だった親友がひょんなことから購入した別荘で、卒業の際には餞別ということで気前よく無償で貸してくれているものだ。
メイド等を雇う金銭的な余裕はなく、邸宅の保守清掃その他全般は完全に自らの手で行わなければならない。だが、そこは大恩ある友人の所有物だ。返す日がいつ来てもいいように、庭の草刈りや掃除などは日課にし、厨房をはじめとし、どの部屋も極力汚れないように気を使っている。
そして今日はその家主の妹が、収穫祭を散策するため数週間ぶりに戻ってくる。それは同時に、収穫祭巡りのエスコートをしろという意味も含んでいる。
この季節になると恒例の事なので、特に返信の手紙はせずに、ゆるい仕事を早めに切り上げてくることだけを考えていた。それがこの有様だ。
(来年は、仕事は請け負わないでおこうかね……こういう不測の事態に備えて)
気がつけば、玄関前に立っていた。邸内は明かりがしっかりと灯っており、煙突からは煙が上がっている。
当前だが、いる。彼女が。
ドアノブを回す手に躊躇いの色が隠せない。埋め合わせの案は、結局決まらなかった。そうなったら、とにかく、ひたすら謝り倒す以外の道はないだろう。
「帰りましたよー……」
空き巣が入るように、そろそろとドアの隙間から顔を突き出し、邸内に入る。
「あっ、アルフレッド、お帰り!」
明るく朗らかな声で迎えられて、思わずぎょっとした。
(あれ?)
視線の先には、国家魔術騎士養成学校の制服を纏った、小柄な金髪の少女が立っており、アルフレッドを迎えるべく、小走りで玄関まで駆けてきた。走るたびに、頭の横で結った金髪が二束、白いリボンと一緒にふわりと揺れる。
「お仕事終わったの? お疲れ様!」
「あれ……おかしい」
てっきり、膨れっ面で胸をボカボカやられるかと思った矢先に、この満面の笑顔でのお迎えだった。ほっとしたと言うよりは、何か裏と言うか、不気味なものを感じる。
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