第4話 悪霊と天才ギタリスト
ドアを通じて、
翌日の午前九時過ぎ、
「アイツ、昨日もうなされていたけど、いったいどんな夢を観ているのやら」
美樹はゴンゴンとドアを叩いた。
「おい、牧人っ、いつまで寝ていやがる。私ぁ大学へ行くから勝手にご飯食って、きっちり勉強しておけよ。おいっ、聞いてるか」
返事の代わりなのか、か細いうめき声を耳にし、美樹はため息をつくと階下へおりていった。
牧人は昨日の夕方帰宅してから、お風呂はおろか、夕飯もとらずにひたすら寝ている。
寝間着ではなく、外出時の格好のままだ。熟睡はできていないようで、何度も寝返りを繰り返す。
「うーん、うーん、あっちへ行ってくれよう」
夢の中で、オドロオドロしい怨霊が牧人を追いかけてきているのだ。
「やあ、マッキー。どうしたの? 大丈夫かな」
「ああ、すみれぇ」
そこでハッと目が開いた。
「あれっ、すみれはどこ?」
ボサボサの寝癖がついた髪をかきながら、ぼんやりと部屋の中を見回す。
「ゆ、夢、かぁ」
なにか得体のしれぬモノが憑りついていやしまいかと、あわてて背後を振り向いた。
牧人はズボンの後ろポケットに入れてあるスマホに気づいた。取り出して画面を見ると電源がオフになったままである。保管室で電源が切れたのを、そのままにしていたことに気づいた。
牧人はオンにする。メールの受信履歴には、相変わらず何もない。片方の口元を上げ、寂しく苦笑い。着信履歴を検索して、スッと顔色が変わった。
「やっべー! すみれから何度も電話がきてんじゃん」
昨日夕方の時間帯に、十数回電話連絡をくれていたようだ。牧人はあわててすみれの電話番号に発信する。電話の呼び出し音が続く。ガチャッと音がした。
「ああっ、すみれぇ?」
ところが、応答したのは留守番電話であった。牧人は机上の目覚まし時計に目をやる。
時刻はまだ午前十時前だ。首をひねり、もう一度画面を確認しながら電話をかけた。
数回繰り返すが、すべて留守番電話の応対であった。
「どこかへ出かけてるのかな。まあいいや、後でまたかけなおそうっと」
牧人はベッドから立ち上がった。
~~♡♡~~
すみれは自宅の机に向かっていた。何度もバイブで振動するスマホを見おろしている。
「マッキー、ごめんね。アタシはやっぱり強くなかったよ」
物心ついたころから性別は違えど、妙にウマが合っていた。牧人が好むものは、すみれも素直にいいと思ったし、すみれが嫌いなものは牧人も決して手を出そうとしなかった。
「音楽の楽しさを教えてくれたのは美樹姐さんだったけど、バンドを組もうかって言いだしたのはほぼ同時だったんだよね」
牧人はドラムスを、すみれはベースを楽器に選択した。もちろん、やっちゃんがギターでバンドに加入したいと申し出を受けた日は、二人で手を取り合って喜んだ。
文学部志望の牧人が「こんな詩をかいてみたんだけど、どうかな」と照れくさそうにすみれの家にやってきた時には驚いた。でもその詩を読んだら、もっとビックリした。
「これ、いいじゃん! こんな詩だったらさあ」
すみれは心に浮かび上がってくるメロディを、思わず口ずさんだ。
「おおっ、なんかその曲、楽しそうで良くね?」
「そうかな。あらっ、それならこんなフレーズもありかも」
それからすみれは作曲をしだした。牧人が描く世界を五線譜に乗せて走らせるのだ。
バンド、クロスワードはこうしてオリジナルのロックを手掛けるバンドとしてスタートしたのであった。
再びスマホが着信で震える。相手はやっちゃんであった。
「はい、おはよう。うん大丈夫。明日の午後? 今のところは予定ないよ。練習場所は? うん、わかる。バイクで行くから。マッキーには言ってないよ。じゃあ、明日ね」
すみれは電話を切った。
~~♡♡~~
居間で売れ残りの総菜パンを、ミルクと一緒に食す。休日の牧人の一日のスタート姿である。シャツとズボンを部屋着であるTシャツと短パンに着替え、ソファに
「もう十一時半かあ。夏休み二日目もなんだか早く過ぎていくなあ」
壁の掛け時計を確認し、ソファにこぼれた焼きそばを指先でつまむと口に放り込んだ。
「宿題、宿題っと」
美樹は帰宅すると、真っ先に牧人の宿題の進捗率を報告させるのが常である。牧人はテーブルに置いたコップの残りを飲みほした。
二階の自室の窓を全開にして扇風機を回しているが、やはり夏日は空気そのものが熱を帯びている。電柱にとまっているセミが大音量でシャウトしていた。動かないのにジトッと汗が流れる。
エアコンはもちろんあるが、寝る時だけしか稼働を許されていない。当然のように美樹の命令であった。
「はあ、たまらんわあ、この暑さは」
結局美樹に叩かれながら、夏休みが終わる直前に涙を浮かべてやっつけ仕事にしてしまう。
今年こそは計画を立てて、きっちり休みの前半にはすべての課題を仕上げたいと思う。
シャープペンを器用に指先で回転させながら、ぼんやりと宙に視線をはわす。
あんな美しい子はこの地区および
じゃあ、すみれはどうなのか。すみれのファンが多いことは知っている。確かにかわいいし、ベースを弾きながら歌う仕草にドキッとすることもある。でもあくまでも幼馴染みでバンドの仲間だ。
どうしてここですみれを思い浮かべるのかわからないけど。
本当に、それだけ?
「えっ?」
牧人はあわてて辺りを見回した。何だ、今の疑問符は。
すみれは、だって、大切な仲間なんだから。そんな目で見たことないし。
どんな目? どんなって、そりゃあ女子としてでしょ。そんなイヤらしい目ですみれを見られるわけないじゃん。 どうして?
「はあっ? すみれは、すみれは」
牧人はここで詰まった。すみれって、僕にとって、どういう存在なんだ?
あらためて大きな疑問符が浮かび上がるのであった。
~~♡♡~~
ヴィーン、とスマホがメールの着信を知らせる。すみれは勉強の手を止め、机上のスマホを確認した。
「マッキー」
メールは牧人からであった。電話に出ないすみれに、一方通行のメールを送信してきたようだ。すみれは目覚まし時計を見る。もう十四時を回っていた。メールを開こうとしたが指が動かない。
(べ、別にメールを見るのがコワイわけじゃないのに)
一度両目を固く閉じ、開く。
「やっぱり、無理よ。どうせ昨日のことを長々と説明してるだけでしょうし。
だってアタシ、見ちゃったんだから。マッキーとそのお嬢さんとやらと仲良くお出かけするのを」
すみれはメールを読むことなく、消去した。
「バンドの仲間が永遠に一緒、なんてありえないし。どのバンドだって入れ替わっていくもんなんだから」
やっちゃんが去り、牧人と二人になってしまったクロスワード。マッキーは新しいギタリストを探してきたけれど、すぐにその女の子と意気投合して仲良くドライブ。
アタシは純粋に音楽が、バンドで演奏したいだけ。だから、だから。
すみれは軋む胸の内をこらえるように、スマホの電源を落とした。
~~♡♡~~
翌日、牧人はまたもや悪夢にうなされながらも、珍しく八時前には目を覚ましていた。
ベッドに上半身を起すと、すぐに枕元のスマホを確認する。電話もメールもなにも来ていないことがわかった。仕方ない、と顔を洗いに一階へおりる。
リビングではすでに美樹が朝食をすませ、ソファに座って新聞を広げていた。ピンクのスウェット上下で、袖をまくり上げている。
「あっ、お姉さま。おはようございます」
「おはよう。どうした、今日は早いな」
「もちろん、朝から勉学にまい進するためです」
「そうか。いい心がけだ」
牧人はTシャツに短パン姿のまま、キッチンの冷蔵庫から冷えたミルクパックを取りだし、食器棚から愛用のカップを手に持つと、美樹とは反対側のソファにちんまりと座った。
南向きの開け放たれた窓からは、すでに強い陽差しが入り込んでいる。お隣の柿の木に止まったセミが熱い鳴き声を響かせていた。
パックから新鮮なミルクをカップに注ぎ、牧人は一気に飲む。
「はあ、朝一番の牛乳は美味いなあ」
美樹は新聞から視線を牧人に向けた。
「おい、すみれから連絡はあったのか」
いきなり話をふられ、牧人は二杯目を飲もうとして動きが止まった。
「まさか、例のお嬢さんの話をいかにも僕はモテますよ、なんて自慢げに話してないだろうな」
「め、滅相もございません、お姉さま! 決して口にはしないとのお約束ですから」
美樹の鋭い視線が痛い。
(ここですみれと連絡がつかないなんて言ったら、デコピンでは済まないな)
牧人は美樹を盗み見るように、カップをかたむける。そのとき、ヴィーン、ヴイーン、と短パンに突っ込んでいたスマホが鳴った。てっきりすみれからだと思い、画面を確認せずに電話に出た。
「なんだよ、昨日は何回も電話をかけなおしたり、メールしたんだよ。どうして出てくれな、あっ、はい、亜津美さん?」
牧人は相手が亜津美だとわかったとたん、すかさず美樹を振り返った。あわてて立ち上がり、二階へ退避しようと試みるが、短パンをしっかりと美樹につかまれていた。
(ヒエーッ、まずい、姉ちゃんに聴かれちゃう)
美樹は無言で首を縦にした。ここで話していけと、そのきつい目力が言っている。
牧人は背中にイヤな汗を浮かべ、ちょこんとソファに浅く腰を降ろした。
「いや、なんでもないよ、大丈夫。えっと、急ぎの用事だったかな。今日? 今から? ええっと勉強が。はあっ? 探索に行くの? 三十分後って、ちょっと待って」
牧人はスマホの画面を見つめる。牧人の返事も聞かずに亜津美は電話を切ってしまっていた。
「ふーん、今日もあのカワイイ子とおデートなんだあ、牧人くんは」
美樹が目を細め、口元に笑みを浮かべている。
「い、いや、あの、これには深ーい理由が」
「ほうほう、なるほどねえ。高校二年生ともなると、勉強よりも女の子と朝からデートする時間のほうが大切だものねえ。これで、長年築き上げたすみれとの仲も、チョン、なのかなあ」
言いながら立ち上がる。
瞬間、牧人は目から火花が飛び、額に弾丸を撃ち込まれたような衝撃を受けた。
「グワーッ」
「なーにが勉強にいそしむだよっ、いい加減なことを言って。私がここで会話を聞いていなかったら、図書館で勉強してきまーすなんて適当にウソ並べて、スタコラとデートに出かけるつもりだったんだろうが。
おまえねえ、本当にその優柔不断な精神を叩き直さないと、どこかで下手打つぞ」
美樹は腕を組んで、のたうちまわる牧人を見おろす。
「そのナントカちゃんがまた迎えにくるんだろ。早く用意して行って来い」
「ひいいっ、は、はーい」
牧人は昨日と寸分たがわぬ位置を赤く腫らせながら、涙声で返事した。
~~♡♡~~
「あのう、今日も柱におでこをぶつける趣味をやってらっしゃったのですか?」
ファントムの後部シートで、亜津美が顔をのぞき込んできた。生成りのサマーセーターに、赤いカラージーンズのスタイルはスマートな亜津美によく似合っている。
昨日と同じブルーのシャツに、膝丈のショートパンツ姿の牧人は、顔を反対側に向けた。
「ま、まあね、えへへっ」
ぴたりとくっついてくる亜津美から、フローラルの良い香りが漂ってくる。
「あまりご無理なさらないほうが、よろしくないかしら」
「慣れてるから、大丈夫」
牧人はちらりと亜津美を振り返った。
「ところで、探索に行くとか」
牧人は話題を変える。
「ええ、そうなのです。でも、こんなに頻繁にお誘い申し上げて、実はご迷惑なのではとワタクシ」
亜津美は牧人から身体を離すと、うつむいた。長くカールしたまつ毛が震えている。
「いや、何をおっしゃる、亜津美さん! 僕はきみのアルバイトを手伝って、空いた時間に一緒にバンドで音楽活動していきたいと、本心で思ってるんだよ」
亜津美はうつむいたまま訊く。
「本当に、マッキーさんのお言葉をそのまま受け取っても、よろしいのかしら」
「もちろんだよ。だって、僕らはチームなんだからさ」
亜津美は顔を上げた。
「嬉しい、マッキーさんに、ワタクシと一心同体だなんて言っていただけるなんて」
白い指先が牧人の両手を包んだ。牧人はさすがに学習効果があったのか、やんわりと手をはずそうとする。しかし、亜津美の握力は半端なかった。
「いや、一心同体と言うか、チームだからね」
「心強いお言葉ですわ。ワタクシ、ずっとマッキーさんと同じ道を歩んでいけるのね」
グググッ、と牧人の両手が締め付けられる。
ファントムは牧人の悲鳴を一緒に乗せて、走っていくのであった。
~~♡♡~~
すみれは外出の準備をしていた。ヘヴィメタルバンドのアルバムジャケットをプリントした黒いTシャツに、水彩花柄のショートパンツに着替える。
「今日は、ベースは要らないわね」
スタンドに立てかけられた愛器に目をやる。元クロスワードのギター担当であるやっちゃんから、
「そう、今日は見学だけ。千手観音に入るって決めたわけじゃないし」
すみれは勉強机に置いてあるスマホを手に取り、電源を入れる。しかし留守電やメールは来ていない。練習場所はいつものマミヤミュージックではなく、
すみれはもう一度だけと思い、牧人のスマホに電話を入れた。ガシャッ、と音がする。
「おかけになった電話は、現在電源が入ってないか電波の届かない場所に」
すかさず電話を切断した。電話を入れたことを後悔する。
これで踏ん切りをつけなきゃ。すみれはポシェットを肩から掛けた。
~~♡♡~~
午後の太陽は相変わらず地上を照りつけている。ファントムはN市内を走っていた。
コンポから流れるのは、ロッシーニが生みだした勇ましい「ウイリアム・テル序曲」だ。
牧人と亜津美はエアコンの効いた車内で、すでに麦わら帽子をかむっている。
何が視えるのかわからない。牧人はビクビクしながら薄目のまま正面を向いていた。
「マッキーさん、いかがですか? 不審な幽霊とか飛んではおりませんか」
亜津美は車窓にしがみつくような姿勢で、流れる風景を凝視している。
「あっ、いやっ、その」
これでは見ないわけにはいかない。そっと首を伸ばして窓枠に隠れるようにしながら外に目をやる。亜津美は窓の外に目をやったままつぶやく。
「
「はい、亜津美さま」
「先日行きました、あの病院跡地へ向かってくださいな。あそこにはまだいそうな気配がありましたから。ワタクシの勘がもう一度探索せよと」
「承知いたしました」
成方は国道百五十三号線から、
牧人は不安な心を表情に出しながら、追い越していくクルマをただ見つめていた。
~~♡♡~~
すみれは紫色のハーフヘルメットをかむり、同じく紫色のソフトバイクで自宅を出た。
日中の住宅街は行き交うクルマも少ない。裏道を抜けながら貸しスタジオに向かう。
貸しスタジオは緑区の商店街の中にある。クロスワードでは使ったことはないが、器材も充実しているらしいとホームページで確認している。
午後二時半から三時間予約しているから、いつでも空いた時間に来てよ。やっちゃんからはそう言われていた。信号待ちで腕時計を確認すると、二時を少し回っている。
「楽勝で到着するわね。まあ、あわてないで行きましょう」
信号が青になり、すみれはアクセルを回した。
裏道から国道へ出ると、さすがに交通量は増える。すみれは安全運転を心掛けながら走らせていた。また交差点の赤信号で停まる。
「エッ! あれは」
すみれは交差点の左側を何気なく見ていたのだが、忘れもしない真っ赤な大型の外車が走っていくのを発見した。ウインドウが太陽光を反射していたため、乗っている人間は確認できなかった。
「あんな派手なクルマがそうあるわけないじゃん」
外車、ロールスロイス・ファントムはゆっくりと目の前を直進していく。
考える間もなく、すみれはバイクを降り、横断歩道を渡った。信号が変わる寸前であった。反対側に着くともう一度横断歩道を渡る。途中からバイクにまたがると、アクセルを吹かした。
あの外車には多分マッキーも乗ってるはず。どこへデートしに行くのか知らないけど、きっちり話をつけよう。
すみれはファントムを追いかけ始めた。
~~♡♡~~
緑区
牧人は窓越しに見上げる。
三階建ての建物の周囲には鉄柵が張りめぐらされている。道路は片道一車線で、左手に病院、右手には私鉄の線路が通っていた。
「さあ、着きましたわ。マッキーさん、参りましょう」
成方はすでに降りて、後部ドアを開ける態勢だ。
「わかった、行こう」
牧人は亜津美に続いて降り立った。
あらためて周囲を見渡す。病院の横には古い木造の家並みがあり、線路側には夏の陽差しを受けた生い茂る森だ。何台かクルマが通り過ぎて行った。
病院の建物は明らかに見捨てられた面影で、ひび割れたコンクリートの壁が奇妙な陰影を作っている。まだ陽は高いとはいえ、こんな建物に侵入するのかと思うと寒気を覚える牧人であった。
成方はトランクから、二人の採集セットを取り出した。
「それでは亜津美さま、お気をつけていってらっしゃいまし」
「えっ、成方さん、どこかへ行っちゃうの?」
「ワタクシが携帯電話で呼ぶまで、いつも少し離れた場所で待機してもらうのです。
やはりこのクルマが停まっていますと、不審がられますから」
たしかに、と牧人は納得するが、であれば亜津美は深夜であろうと独りで捕獲作業を行っていた、ということなのか。アルバイトといえども大変だなあ、と感心する。
「よ、よしっ、じゃあ亜津美さん、行こうか」
「まあ、ワタクシを先導していただけるのですね。やはりマッキーさんにお願いして良かったですわ。嬉しい」
亜津美はニッコリと微笑んだ。
~~♡♡~~
「やっばい、やばい、見つかっちゃうところだったわ」
すみれはバイクにまたがったまま、額の汗をぬぐった。
牧人が乗っていると思われる外車の後をバイクでつけてきたのだが、まさかこんな所で停まるとは思っていなかった。排気量が違うおかげで、ファントムがハザードランプを点滅させた時に、あわてて並びの家の生垣にバイクのまま隠れたのだ。
顔をそっと出して確認する。
「やっぱり、マッキーだ」
亜津美に続いて降り立ったのは、紛れもなく牧人であった。
運転手らしい老人が、トランクから捕虫網と虫かごを取り出して二人に渡す。
「なんで麦わら帽子に、昆虫採集セットなんて持ってるの? はあっ?」
五十メートル以上離れているため、やりとりは聞こえない。
しかし、小顔でスタイルのいい女子がやけに親しげに、牧人にくっつくように会話している姿は判る。すみれの心臓は高鳴っている。二人を残したまま、外車が走り去っていった。
「こんな所で降りて、いったい何するのよ。まさか本当に虫捕り?」
すみれは二人が周囲を警戒するようにしながら、鉄柵をくぐるのを見ていた。
~~♡♡~~
牧人は、亜津美が鉄柵の隙間から中に入るのを手伝い、自分も入る。
「病院の看板がなかったら判らないね、ここ」
「そうですわね。まるでコンクリートのお墓をつなぎ合わせたようですもの」
二人は三階建ての建物を見上げた。
「今のところ、特にそれらしいのは視えていないけど」
牧人は周囲を見渡す。
「ワタクシが捕獲いたしましたのは、三階の入院部屋だった所ですの」
亜津美が指さすほうを見る。
手に持つ捕虫網を握りしめ、牧人は亜津美をうながして歩き出した。
アスファルトを敷いた地面もひび割れており、雑草が伸び放題となっている。二人は慎重に正面玄関前に立った。ガラス製の自動ドアであるが、もちろん稼働していない。
「こちらから入れますのよ」
亜津美が自動ドア横にある、ガラスドアのノブを引いた。牧人はこくりとうなずき、開けられたドアから内部へ足を踏み入れる。
「ここは警備システムとかは、どうなっているんだろうか」
「中にはお金に替えられそうな物品は何も残っていないようですから、セキュリティはかけてはいないようですわ」
「そうなんだ。それにしても、やけにヒンヤリするね」
「ええ。エアコンも稼働していないのに、妙に空気が冷たいです」
牧人は亜津美と並んで一階の受付からさらに歩を進める。ビニール製の安っぽいソファが幾つか置かれており、枯れ果てた観葉植物の鉢が転がっていた。病院特有の消毒薬の臭いはせず、すえた澱んだ空気に包まれている。
「ホームレスとか住みついていないのかな」
「マッキーさんだったら、こんな病院跡でお過ごしになられますか」
牧人は思いっきり首を振る。
薄暗い院内を、慎重に歩いていく。左右に廊下が伸び、中央に階段があった。霊体可視化帽をかむっているので、もし浮遊霊が存在していれば明かりがなくても目に視える。今のところ、それらしき物体は視えていない。
「一階にはいないようですわ」
「そうだね。じゃあ、次は二階か」
どこから吹き込んだのか、砂や枯草がいたる所に固まっていた。
牧人は階段を上がっていく際に、亜津美の手を引いた。特に意識したわけではないが、少しは男らしい部分を出したようだ。嬉しそうな表情で亜津美は手を差し出し、牧人に続いて階段を上がる。
二階も左右に廊下が伸びているが、さらに暗くなっているため牧人は腰を落としながらゆっくり歩く。
「どう? 亜津美さん」
牧人の声が少し震えている。背後から誰かに見られているような錯覚に囚われていた。
「マッキーさん、ここからは手分けいたしましょう」
「エッ?」
「ワタクシはこちらの左サイドを、マッキーさんは右サイドのチェックをいたしませんこと?」
二人ならともかく単独で動くなんて聞いてないし、そんな怖ろしいことを言いますか! 牧人は「いや、亜津美さんに万が一のことがあるといけないから」と言おうとしたが、亜津美はすでに左側へ歩き出していた。
「ヒエエッ!」
牧人は途方に暮れ、立ちすくんでしまった。
~~♡♡~~
ガチャン! すみれは鉄柵に手を伸ばした時に力を入れ過ぎて、金属が擦れる音を立ててしまった。
(あちゃっ、まずい!)
思わず身をすくめる。
正面玄関から中へ入って行く牧人たちには気づかれなかったようだ。
「ふーっ、やばかったあ」
すみれはバイクを鉄柵横に置いて、ヘルメットをかむったまま忍び足で二人の後をつけていた。
(ここって、前に事故が多発して閉鎖された病院だよね。なぜマッキーたちはこんな所へ、しかもタモまで持ってさ。あの背の高い女子がギタリストだとして、どうして昆虫採集?)
すみれの頭は疑問符であふれかえっている。もしかしたらデートなのかとジェラシーを感じつつ、つけてきたのだが、なにやらどうもそんな感じがしないのだ。
(リケ女であるアタシの冷静な分析能力をもってしても、推測不可能よ)
鉄柵を両手でつかみながら、すみれは首をひねった。
意を決したように口を一文字に結び、そっと鉄柵の隙間から身体を差し入れる。
(もしかして、マッキーはあの女子に騙されてんじゃない? そうでなければ、こんな気色の悪い所へ来ないよ)
そう考えるとすべての辻褄があってくる。
(そうよ、間違いないわ! マッキーって真面目だけどその分ヒトがいいから、言葉巧みに丸め込まれちゃったんだ。あーん、どうしてそこに気づかない、アタシ!
こうなったらマッキーを助けてあげられるのは、アタシしかいないじゃん)
すみれは心にポッカリ空いていた穴がふさがっていくのがわかった。
~~♡♡~~
亜津美が軽やかな足取りで廊下を進んでいく。牧人は先ほどまでの男らしい態度とは打って変わり、怯える小動物のように眼を動かしていた。
「お、女の子の亜津美さんが頑張ってるんだ、ぼ、僕だって」
肩越しに後ろの廊下を振り返る。先の方が真っ暗でよく見えない。両手でしっかりと捕虫網を握る。
閉鎖された病院の廊下を歩く心境。しかも浮遊霊が存在していれば、間違いなく己の両眼に写ってしまう。牧人はくじけそうな心を奮い立たせるためか、すみれの作ったメロディを思わず口ずさんだ。少しだけ落ち着く。
いったい廊下は何メートル続いているのか。所々、外からの明かりが漏れてきているが、それがかえって怖い幻想を浮かび上がらせた。
生唾をのみ込んで歯を食いしばり、及び腰になりながら進む。
診察室や検査室があった階らしい。ドアのプレートを読みながらさらに奥へ行く。
そして突き当りの非常階段のドアまでたどり着いた。
「よ、よしっと」
ここまでは何もなかった。牧人はフウッと息をつき、引き返そうと回れ右をした。
シャーッ! 目の前に、大きな口を開けた悪魔が飛びかかってきた。
「デエエッ!」
牧人はあわててしゃがみこむ。
「出ったあーっ!」
牧人は大声で叫んだ。ヌラリとした黒い表皮、
捕虫網を使うことも忘れ、牧人は廊下を走り出そうとしたが、足がもつれて豪快に転がってしまった。
~~♡♡~~
すみれは一階のフロアで叫び声を耳にした。
「あれは、マッキー?」
足音を忍ばせながら歩いていたすみれのまなじりが、キッと上がる。
二階から叫び声は聞こえた。すみれは一気に階段を駆け上がっていく。
「マッキー! どこよー!」
上がりきった所で、すみれはいきなり身体に衝撃を受けた。
「いったあっ!」
廊下に転がる。
「ナニッ?」
すみれはぶつかったのが、牧人といっしょにいた女子高生だとわかった。
「ああ、驚きましたわ、痛いっ」
麦わら帽子をかむったその子は足をくじいたのか、廊下に尻餅をついたまま足首を押さえる。すみれはしゃがみこんだ。
「アンタ、どこの誰か知らないけど、マッキーをどうしたのさっ」
「ワタクシ、葉隠里亜津美と申します。ごきげんよう」
「挨拶なんかいいから、マッキーはどこっ」
顔をしかめながら、後ろに伸びる廊下を指さした。
「あっちねっ」
すみれが立ち上がろうとした時、女の子は麦わら帽子を取り、捕虫網を合わせて差し出してきた。
「申し訳ございません。ワタクシ、ちょっと足が痛みますので立つことがかなわないようです。恐れ入りますが、これでマッキーさんをお手伝いしていただけませんこと?」
すみれはわけも判らず、品物を受け取る。そこへ牧人の悲鳴が聞こえてきた。
「チッ、仕方ないわね。いったい何をどうしようとしているのか知らないけど、今はマッキーを助けるのが先よ」
すみれは走り出した。
~~♡♡~~
「うわああっ、こっちへ来るなあ!」
牧人は尻をついたまま捕虫網を振り回す。
牙をむきだし、細い腕を広げながら悪魔は執拗に襲ってくる。本当は霊着金で作られた網をかぶせればすぐに捕獲できるのだが、パニックに陥っている牧人は気づいていない。
「マッキー!」
そこへすみれが走ってきた。
「す、すみれ? えっ?」
首だけを後方に向け、牧人は驚いた。
すみれの視界に、座り込んで捕虫網を振り回す牧人の姿が入った。
「すみれっ、こっちへ来るな! 危ないから、近づくなあっ」
牧人は叫んだ。
「うるさい! アタシが助けるんだっ!」
すみれはそう叫びながら、徐々に走る速度が鈍る。牧人は何もない宙に向かってタモを振り回しているのだ。
「ええっと、マッキー、何してんの?」
「帽子、帽子っ、それをかむったら視えるんだよぅ」
すみれは「へっ?」と手元にある麦わら帽子を見おろした。ヘルメットを取り、言われるままに麦わら帽子をかむる。シュッ、と音がして縁が締まった。
「はああっ? ナニあれ!」
すみれは牧人の目の前に、手のひらよりも大きな真っ黒な蜘蛛が宙を舞っているのを視た。細い糸を編み込んだパラシュートを腹部の先から出して、ゆらゆらと飛んでいる。見たこともない種類だ。それが牧人に空中から襲いかかっている。
「この化け蜘蛛は何よっ、マッキー」
「ク、クモ? これは悪魔だよう」
牧人は悲壮な声を上げながら応える。すみれには外来種の霊体が、大きな蜘蛛として視覚が捉えているようだ。
「まあ、いいわ。アタシの二つ名は非情の捕獲者、蜘蛛ごとき屁でもないのよっ」
すみれは捕虫網を一閃させた。ヴァサッ、と音がしたかと思うと、見事に一発で化け蜘蛛をキャッチしたのであった。
~~♡♡~~
すみれは驚愕の表情で、
「そんなお話聴かされて、さいですかあなんて納得する
すみれによって捕えられた外来種の霊体は保管ボックスに入れられ、亜津美が成方を呼び出して三人で澄清邸に来たのであった。
亜津美のねんざは大したことなく、成方の応急処置で歩けるようになっていた。
すみれはやっと牧人と話をすることができ、ホッと胸をなでおろしている。牧人はすみれが何故あの場所に現れたのか尋ねるが、はぐらかされ上手く丸め込まれていた。
(やっぱりマッキーはヒトがいいわ。すぐに他人を信用しちゃうし。だからこそアタシがしっかりついていてあげなきゃね)
ポンポンとすみれに肩を叩かれ、意味深な笑顔を向けられた牧人は首をかしげながらも納得したようであった。すみれは来る途中でやっちゃんに断りの電話をしている。牧人に聞かれていたが、笑って誤魔化した
「ふーむ、同じ場所にまたしても外来種がいたとは」
「澄清よ、これは少し見方を変えて調査してみねばのう」
「ええ、もちろんですな」
ここへ来るまでの間に、大まかな話は牧人から聞いている。
「へえっ、その博士の抱いてる人形、かわいいですね」
すみれの言葉に
「おほほほっ、この新しい女子はお顔もかわいいが、物事をちゃんと理解できるようじゃのう。わらわと仲良くなれそうじゃぞよ」
すみれは口元だけで笑う。やはり初対面で澄清と蝶妙の関係を理解するのは難しい。
「あの、
亜津美が遠慮がちに声をかける。
「すみれでいいよ、アタシも亜津美って呼ばせてもらうし」
「まあ。嬉しい! ワタクシ、すみれさんが駆けつけてらっしゃって、マッキーさんをお救いされる姿に、いたく感動いたしましたの。やはりあれは、無償の愛のなせるわざだったのでしょうか」
とたんにすみれの顔が赤くなる。
「ちょ、ちょっと、亜津美、それは」
「ワタクシ、すみれさんを師と仰ごうと決意いたしました。マッキーさんを慕う女子といたしまして、すみれさんには負けぬよう、一生懸命マッキーさんを想い続けていきますわ」
「えっ?」
すみれは目の前の美麗な少女の言葉に絶句する。
(ライバルってこと? いや、だけどこの子は今ひとつアタシたちと感性が違うから。言葉の奥の奥を探らなきゃダメだわ)
牧人は牧人で嬉しそうな照れくさいような、ようするにニヤけただらしない表情を浮かべている。すみれは円卓の下で、牧人の足を遠慮なく踏みつぶした。
「ギヤッ!」
おほほっ、とすみれは手で口元を隠す。
「それで諸君。今後の事だがね。亜津美ちゃんはもちろんだが、マッキーくん、すみれくん、どうか僕たちの仕事をお手伝いしていただくわけにはいかないだろうか」
牧人とすみれは顔を見合わせる。
「はい、できる限りお手伝いさせてください」
「アタシも参加させていただきます」
すみれは外来種捕獲というよりも、亜津美に宣戦布告された以上は受けて立たねばならないと決心したのだ。超資産家令嬢であろうが、モデル並みのスタイルに超美形であろうが、アタシには今までの牧人と共有した誰にも負けない時間がある。
すみれはコブシを握りしめた。
「ありがとう。これで
よし、僕もさっそく新しい捕獲アイテムを開発しよう。あの病院には二体の外来種が浮遊していた。これは偶然の発見にすぎないのだ」
牧人は円卓に座る澄清の肩が震えだすのを見逃さなかった。小声ですみれに耳打ちする。
「博士、ちょっと変わるよ」
「はっ? どういうこと」
すみれはちらりと視線を澄清に向けた。
「グフッ、グッフフッ、何やら頭の中で化学式がどんどん構築され出したぞう。そうか、この数式を当てはめれば、グヘヘッ、おうおう、そうだねえ、うんうん」
ブツブツとつぶやきだす澄清。
すみれの顔面から、サーッと血の気が引いていくのであった。
~~♡♡~~
翌週の月曜日。マミヤミュージックの地下貸しスタジオ。牧人とすみれは大きく口を開けたまま、亜津美を凝視していた。
スタジオに入って一時間。クロスワードの持ち歌をとりあえず三人で流して演奏をした。
牧人はいつものブルーのシャツに、膝丈のショートパンツ。すみれはオレンジ色のタンクトップにショートパンツ。亜津美は白いフリルの七分袖に青いドットのキュロットというスタイルである。
「す、すご、い」
「う、うん。全曲パーフェクト、って言うより、やっちゃんのギターってなんだったの。
同じ曲が、まるっきり違って聴こえるし、こっちのほうが断然いいわ!」
亜津美は赤い革のストラップで肩から吊るした、チェリーレッドの
「お粗末さまでございました。あのう、いかがでしたでしょうか。ワタクシ、このようにバンドとしてギターを弾いたことがございませんものですから」
亜津美は恥ずかしそうに下を向き、牧人とすみれをちらりとうかがう。
「たった一週間弱で、ここまで合わせて弾く亜津美って、やっぱ凄いよ」
お世辞抜きですみれが驚嘆の声をもらす。
「多少アレンジさせていただいたのですが、よろしくって?」
「よろしくも何も、元歌より何十倍も良くなってる」
すみれは言う。
牧人はまさかここまで弾くギタリストとは考えてもいなかった。このヒトは真の天才ギタリストだと痛感する。ピートさんが言っていたことがよくわかった。
歌の入る時のバッキング、ソロシーンでの音色、今までのクロスワードであればここまで感情をこめて演奏していなかったと、反省しきりであった。
しかも、やっちゃんはコーラスが苦手だったため、すみれひとりにボーカルを任せていたのだが、亜津美は各曲のサビ部分でツボを押さえたハモリを入れてくる。これを聴いた牧人は思わずドラムを叩きながら鳥肌が立った。
曲の深みがトンデモなく増すのだ。
亜津美はそれでも恥ずかしそうに頬をピンク色に染め、床に視線をはわせている。
これでミュージックフェスティバルでは、他の参加バンドに負けないかな、と牧人は思った。問題は、自分の緊張癖で演奏がダラダラにならないかという点だ。これが最も大きな課題であると言えた。
~~♡♡~~
区民ミュージックフェスティバル。この日は音楽を通じて区民がひとつになる、そんな思いが込められていた。デモテープ審査によって選出されたバンド十組が、午後三時から区民ホールで演奏する。ジャンルはもちろん問わずである。
ライブ前には必ずリハーサルがある。実際に楽器の音を出したり、ボーカルやコーラスのマイクの調整をミキサー担当者と行うのだ。また照明も同じくである。
午後十二時半、マミヤミュージックのピートさんはオレンジ色のスタッフTシャツを着て、開場前の舞台で指示を飛ばしている。パイプ椅子が並べられた会場には出演するバンドのメンバーたちが思い思いの格好で、ステージを見ている。
ところが、牧人たちクロスワードは誰も姿を現していない。
「それじゃあ、各バンドさん、リハの準備をお願いしまーす。逆リハでいきます」
ピートさんの声がマイクを通して会場に響く。
区民ホールは昔ながらの体育館であり、音響設備が整った音楽ホールではない。そのため楽屋もあるわけではなく、舞台の裏にある倉庫が充てられていた。
逆リハとは、出演の逆からリハーサルを行うことである。オープニングを務めるバンドが、リハーサルでは最後に音出しを行う。
クロスワードをのぞく九組のバンドメンバーたちは、ガヤガヤとしゃべりながら楽屋へ移動する。それを舞台で見ながらピートさんはつぶやいた。
「マッキーくんたち、大丈夫かいな。また緊張癖で家から出られないんじゃなかろうか」
ため息まじりに肩をすくめた。
ピートさんの心配をよそに、別の場所で牧人たち三人はタモを持って走っていた。
「マッキー! そっちへ行ったよぅ」
「ワタクシたちが後ろから追いかけますので、お願いいたしまーす!」
すみれと亜津美は麦わら帽子をかむり、捕虫網を持って走ってくる。
「お、おうっ、わかったあっ」
牧人は両足を踏ん張って、捕虫網を構える。
三人は
牧人の心境に変化が起きていた。本人は気づいていないのだが、すみれが一緒に走ってくれるお蔭で、怖いはずの霊体にも果敢に攻めるようになっていたのである。
当初は先輩格の亜津美が指示を出していたのだが、この一週間で牧人は「男子が先頭に立たねば」との考えを持つようになり、バンドとともにこの捕獲チームのリーダーとして女子二人にも認められ始めていた。
牧人はミュージックフェスティバルの参加者に配られる、ロゴ入りTシャツに膝丈のズボン。すみれはパープルのタンクトップに、銀色
亜津美は鮮やかな花柄のシャツに、ピンクのショートパンツという出で立ちだ。楠や松が植えられたお寺の敷地内で外来種を発見し、三人は汗だくになりながら捕獲しようと走り回っていたのだ。
亜津美には真っ黒なウニのように、すみれには大きな蜘蛛のように、そして牧人には凶暴な悪魔として視覚が捉えている外来種の霊体。
グワッ! 大きな口を開け鋭い牙をむきながら、林の中を飛んでくる悪魔。
「さあ、こっちだぜえ!」
これで何体目であったか、牧人は慣れてきたとはいえ、本物を前にするとやはり身体がビビる。それでも歯を食いしばりお腹に力を入れ、声を上げた。
シュバッ! 空気を裂く音と共に、捕虫網を回転させて悪魔を捕まえる。
「よっしゃあっ」
すみれと亜津美が駆けてくる。
「お見事ですわ、マッキーさん!」
「マッキー、やりいっ」
「お疲れさん! ミッション、コンプリートだぜ」
霊着金で作られた網を地面に抑え込んだまま、しゃがんでいる牧人はVサインを出す。
亜津美が肩にかけていた虫かごに模した保管箱の上蓋を開き、牧人がそっと網を留めた輪っかを乗せる。真っ黒な悪魔がするりと保管箱に吸い込まれた。
「ふうっ、なんとか捕まえたね」
牧人はポケットからハンカチを出そうとする前に、亜津美がハンドタオルで牧人の額をぬぐう。
「さすがはマッキーさん。でも、こんなに汗をおかきになって」
デレッと目尻が下がった牧人に、すみれが蹴りを入れる。
「にやけてんじゃないわよ、ったく」
言いながらも、こういう配慮がすぐにできる亜津美に感心する。
(駄目ね、アタシも。これじゃあ亜津美に負けちゃうじゃない)
ふと気が付く。
「今、何時だっけ?」
「ただ今のお時間は、午後四時を少々過ぎましたわ」
亜津美は腕時計を見ながら言った。
「もう四時か。四時?」
牧人は首をかしげる。
「えーっと、今日は何時からリハだったっけ?」
微笑みながら亜津美が応える。
「あら、昨日マッキーさんから確認のご連絡をいただいたときには、十二時半までにはホール集合とおっしゃってませんでしたかしら?」
しーんと静まりかえる林の中。
「デエエッ! 忘れてたあっ」
牧人が叫ぶ。時間厳守が
「ちょっとお! どうしてもっと早く気づかないのよぅ」
すみれがあたふたとし始めた。
「そうでしたわ。お時間が少々回ってしまっておりますわね、うふふふっ」
亜津美は他人事のように、快晴の空を見上げた。
「やっばーっ、もうライブも始まってる時間だよう」
牧人はキョロキョロと盛んに視線を動かす。
「どうすんのよ、マッキー」
すみれは牧人の腕をつかんだ。
「どうするって、どうしよう」
牧人は必死に頭を働かせる。出演は五番目、今から走ればなんとか間に合う。
「だけど、これを持ったままじゃマズイし」
亜津美が肩から下げた保管箱を指さす。
(どうする、牧人!)
牧人は視線を足元に向けた。
(おりょ? いつものマッキーなら挙動不審に陥って、すみれえって泣きついてくるのに)
すみれは牧人が一生懸命考えをまとめようとする姿を、初めて見た気がする。
牧人が顔を上げた。その目にはリーダーとしての責任感と、自覚がにじみ出ている。
「よ、よし。すみれと亜津美さんは成方さんの運転で、それぞれ楽器を取りに行って先に会場へ行ってよ」
「マッキーさんは、いかがされるのですか?」
「僕は保管箱を博士に届けに走るから」
ドラムのセットは、通常ステージにあらかじめセッティングされたものを使用する。バンドのドラマーはスネアとスティックだけを持ち、舞台に立つパターンが多いのだ。なかにはシンバルやタムタムなど、自分のセットを持ちこむドラマーもいる。
牧人は基本のセットで充分事足りると言っているのだ。
「必ず行くから、信じて待っていてよ」
「今から博士の家に行ってたら、間に合わないわ」
すみれは半分泣き声に近い。
「その前にピートさんに連絡しなきゃ」
牧人はポケットからスマホを取りだし、急いでピートさんの携帯電話へ連絡する。
ヴィーン、ヴィーン、すみれのスマホが着信を告げた。
「アッ、美樹姐さんだ! はい、すみれです」
「そういうことでピートさんっ、急いで行きますので順番をちょっと替えて、はい、いいですか! いつもホントにすみませんっ」
牧人が通話を切ると、すみれがスマホを差し出してきた。
「おい、聞いてるか、すみれ」
「お、お姉さま!」
「牧人、おまえか! お話し中だったからすみれのスマホにかけたんだけど、何やってんだ。もうステージは始まってるぞ!」
牧人はスマホを持ち替える。
「お姉さま、ある事情でライブには遅れてるんですけど。そうだ! お姉さまはバイクで会場にいらっしゃってるんですよね」
「ああ、おまえたちの晴れ舞台を観てやろうと思ってな」
「ひとつ、お願いがございますーっ」
牧人は土下座をする勢いで頭を下げた。
つづく
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