第2話 正義のマッド・サイエンティスト

「おや、なにやら雲行きがおかしゅうございます」


 ハンドルを握る成方なるかたは、視線をフロントガラスの上部にちらりと向けた。


 ファントムの車内はベートーヴェンの曲がオーケストラによって、荘厳な空間を作り上げている。うっとりと目を閉じ、メロディに身をゆだねていた亜津美あつみは、成方のつぶやきともとれぬ独り言に反応した。


「まあ、今朝のお天気予報は当たりましたわね」


 牧人まきとは、突然しゃべりだした亜津美を振り向いた。コンポから流れる大音量のクラシックに、聴覚を奪われていたのだ。それが亜津美には、成方のつぶやき声が聞こえたらしい。


「えっ? 何か言った?」


 牧人は怒鳴り気味の声で問う。亜津美は指先を、窓の外に向かってさす。

 牧人の目に、濃い灰色の雨雲が映った。直後、パタッ、パタッ、とウインドウに金平糖ほどの雨粒が当たりはじめ、すぐにバチッバチッバチッ、と窓ガラスを勢いよく叩きだした。


  ゴオーンッ! と夕暮れの空が唸り声を上げる。

 一瞬白い光が車内を包んだそのあと、バリバリバリッ! とベートーヴェンの交響楽を凌駕りょうがする落雷の音がファントムを襲った。首をすくめる牧人。

ドーンッ! 激しい落雷の音。ファントムは雷鳴が轟くなか、日進市内をさらに北上していった。


~~♡♡~~


 急激にやってきた雷雲は、あっと言う間に去って行った。牧人は窓の外に目をやる。ガラスに張りつくしずくに、太陽が反射している。腕時計をちらりと確認する。午後四時を過ぎたところだ。すでに日進市にっしんし内に入っている。


ファントムは市街地から田畑の広がる地帯を抜けて、新緑の生い茂る森へ続く道を走っていた。


「はあっ、この辺りまで来るとこんな森があるんだ」


 牧人はつぶやいた。片道一車線の道路はすれ違う対向車もなく、前後にも走るクルマの気配はない。かなり奥まった地域のようだ。成方は左ウインカーを点滅させた。ほどなくT字路が見え、ファントムはゆっくり左折する。

 牧人は曲がる寸前、路肩に白い立て看板があるのを発見した。


「これより先私有地につき、無断立ち入り厳禁。

 ヘーっ、こんな森の奥に家でもあるのかなあ。なんか、熊でも出そうだけど」


「熊さんは飼ってはおりませんのよ。でも猪さんや狸さんはたまに顔を出してくれますの」


 亜津美はクスクスと笑う。車内に流れる音楽はチャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」に変わっており、会話に差しさわることがなくなっていた。

 道幅は狭くなり、大型の外車が一台通ることはできるが、対向車が来たら難儀しそうな道路であった。成方は手慣れたハンドルさばきで、樹木に挟まれた道を運転していく。


「あの、葉隠里はがくれざとさん」


「いやですわ、そんな他人行儀な呼び方をなさっては。どうぞ、亜津美と呼んでくださいな、マッキーさん」


 亜津美は大きな瞳で牧人を見つめる。


「エッ! そ、そう、ですか。では、亜津美、さん」


「はい」


「あの、おっしゃってたお兄さんって方は、もしかしてこの森の奥にお住まいなの?」


「ええ、そうですわ。とても静かな所で、お兄さまの研究にはもってこいの環境なんですの」


 亜津美の言葉に、牧人は眉をしかめる。


「研究?」


 牧人を振り向き、亜津美は意味ありげな微笑を浮かべた。


~~♡♡~~


 すみれは終業式後、まっすぐに帰宅すると『スタジオ・スミレ』にこもっていた。といっても、二階にある自室の事であるが。

 ピンク色のTシャツに、短パン姿で自室の机で勉強にいそしんでいた。開け放した窓からは、近所を駆け回る子供たちの声が聞こえてくる。

先ほどまであれだけ荒れていた雷雲は、すでに風に乗って流れて行ったようだ。


 国公立理系クラスに在籍するため、夏休み用の課題がけっこうきつい。


 六畳の部屋は女子らしく、勉強机や本棚はきっちりと整理され、窓にひかれたカーテンはかわいいイラストの花柄である。


 ただ、壁一面を飾るポスターは女子高生の部屋ではなかった。洋楽、邦楽を問わず、世界の音楽シーンで活躍するベーシストたちがステージで熱演するフォトがポスターとして、張り巡らされているのだ。

 二枚や三枚ではない。見上げる天井にまでびっしりと隙間なく張られている。ベッドの脇には、ベースギター用の大きなアンプがデンッと置かれている。

 アンプの横にはスタンドに立てかけられたベースギターが一本。プレジションベースである。木目を活かしたナチュラル塗装だ。


「はーっ、ほっと」


 椅子にもたれて、思いっきり背伸びをした。


「それにしても、マッキーから連絡がないわね。あれだけキツく申し渡したんだから、少しは考えてくれてればいいけどな。でも、いつもならそろそろ電話してくるんだよね。

 ああ、すみれぇ、僕はどうしたらいいんだい? すみれも一緒に考えておくれよお。なーんて言ってくるに決まってんだから」


 すみれは机上の目覚まし時計を見る。もう午後四時をまわろうとしている。教科書の横に置いたスマホを手に持ち、画面を確認する。あいにく電話着信もメールも来ていない。


「大丈夫かなあ。美樹みき姐さんと、同じ血を引くとは思えない男だからね、アイツは。

 どこか当てもなく彷徨さまよっているのかしら、プププッ」


 笑いながらも、ほんのちょっぴり心配でもあった。


~~♡♡~~


「亜津美さんのお兄さんって、何をやってらっしゃるのかな?」


 牧人の質問に、亜津美はただ笑みを浮かべているだけであった。


「お兄さまとワタクシはお呼びしておりますが、兄妹ではありませんの。ワタクシの父の弟、つまり叔父様のご長男なんですのよ。

 幼少の頃から色々面倒をみてもらってますゆえ、本当の兄のようにお慕いしておりますの」


「へえっ、そうなんだ」


 牧人は言いながら車窓から景色をうかがうが、相変わらず森林地帯を走っている。


「かなり奥まで入って来たけど、そのお兄さんのご自宅はまだ先なのかな」


 亜津美も窓の外をながめる。


「いいえ。もうここの森は叔父様の敷地内ですわ。お兄さまのご自宅はこの一角にありますのよ」


「エエッ!」


 牧人は素っ頓狂な声を上げた。

 いくらゆっくり走っているとはいえ、十分以上経過しているはずだ。


「じゃあ、あの曲がった所から」


「はい、すべて敷地内ですのよ」


「ドッヒャーッ! 叔父さんって、土地持ち資産家なんだね」


「本家の、亜津美さまのお父上方が住まわれるお屋敷は、は軽くありますがな」


 正面を向いたまま、成方が口を開いた。


「に、二倍、ですか」


 牧人は絶句した。いったい、どんな家に住んでいるのか。そして、なぜ亜津美はその家を出てあんな小汚いアパートに住んでいるのか。考えるほどに、額に汗が浮かんでくる牧人であった。


 そうこうしているうちに、フロントガラスに影を作っていた樹々が突然開かれた。

 目の前に、観音開きの巨大な鉄門が現れる。成方はブレーキを踏む。チカチカとハザードランプで合図を送ったようだ。すると、ガシャンとロックが解除される音とともに門が開いた。

 ファントムは静かに門の中へ入る。鉄門は自動で閉まっていった。


「ふえっー」


 牧人は車窓に広がる風景を、感嘆の声を上げながら見渡した。

 門の中は、どこか西洋貴族が住むような別世界であった。アスファルトの敷かれたクルマ道の周囲には、花壇が設けられており、インパチェンスやガザニア、サルビアがパステルカラーや赤い色の花を咲かせている。

 広大な庭には、計算された配置でそこかしこに花壇や植林地帯が見える。


 正面にうかがえる三階建ての洋館が母屋なのであろうか、映画やテレビドラマの舞台になりそうだ。牧人の自宅がゆうに二桁は建てられそうな敷地にどっしりと構えられている。


 庭師と思われる作業服姿の数人が、手を止めてファントムに向かって一礼している。

 牧人は初めて海外旅行で異国を訪ねたかのように、口を開けたままながめていた。

 雷雨で濡れた樹木が、沈みゆく夕陽をきらびやかに反射させている。アスファルト道は、左右に植林された地帯を通り抜けた。


 右手側に、一軒のコンクリートで建造された二階建ての建物があった。ファントムは静かにその建物の前に停車する。一般的な住宅ではなかった。大学の研究棟をそのまま持ってきたような建物だ。


 成方はコンポを切り、エンジンを止めた。素早く運転席から降り立つと、後方からまわり後部座席のドアを開ける。

 亜津美は牧人に顔を向けた。


「お待たせいたしましたわ」


「ここが?」


「はい。お兄さま、葉隠里澄清はがくれざと すみきよ博士のご自宅兼研究所でございます」


「ハカセ?」


 牧人はバンドのギター募集のために亜津美の住まいを訪ねただけなのに、いつのまにやら真っ赤なロールスロイスに乗せられた。やっと到着したと思った目的地は、超資産家の敷地であり、しかも従兄の博士とやらに面談することになってしまった。


 もうここまできたら、逃げるわけにはいかない。というより、帰れない。牧人は腹をくくらざるをえなかった。


「バンドに加入してもらうのに、そのなんとかっていう、従兄の博士に会わなきゃならないんだよね」


「お兄さまは、科学を専攻する学者さまですのよ。それも天才の誉れ高い、立派なお人でございます」


「お年を召していらっしゃるの?」


「いえ。たしか今年で二十六歳におなりになると思います」


「亜津美さんと同じ血を引くお方なら、さぞかしイケメンなんだろうなあ」


 おほほっ、亜津美は上品に笑った。


「お兄さまは、身内のワタクシがいうのもなんでございますが、とてもハンサムな男性ですわ。ワタクシなどのような平凡な器量ではございませんの」


 なぜイケメン天才科学者に会わなきゃならないのか、牧人は再度口にした。


「たびたびすみません。えーっと、その偉大な博士に会うことと、僕らのバンドに加入されるかどうかということと、いったいどういう結びつきが」


 亜津美は形の整った眉を、前髪の下で八の字にする。


「だってワタクシたち、を組むのですよね」


「は、はい。できればバンドにギターとして入ってくれれば、嬉しいなと」


 牧人の返答に、亜津美はうなずく。


「よかったですわ。ワタクシたち、今日からなのですものね。

 ですから、お兄さまに会っていただきますのよ」


 牧人は首をかしげて、腕を組んだ。やはり凡庸な頭では理解できないのか、と平凡な血筋を悔やむ。


「さあ、参りましょう」


 亜津美は成方に両手で守られるように、後部シートから降りる。牧人は亜津美に続いてファントムから出た。


 まわりの優雅な風景の中に似合わぬ、というよりも、かなり違和感のあるむき出しコンクリートの建物である。肌色に塗られた鉄の扉が玄関なのであろうか。鉄線の組み込まれた擦りガラスがはめ込まれ、監視カメラが扉の上に取り付けられている。


 亜津美は、そそとした足取りで扉前に立ち、監視カメラを見上げるとスカートの裾を両手で持って広げ、腰を落として首をかたむけた。


「お兄さまー、亜津美でございます」


 カメラに向かって微笑む。

 カメラがジーッと音を立てて、レンズを亜津美に向ける。

 牧人は数歩後方に立って、コンクリート作りの建造物を見上げていた。


「やあ、亜津美ちゃんだね。いらっしゃい。そちらにいらっしゃる方は、お友だちかな」


 どこに仕掛けられているのか、スピーカーから男性の声が聞こえた。バリトンのよく通る声である。それもテレビの洋画吹き替えで、金髪碧眼きんぱつへきがん主人公の声を演ずる声優ばりの、女子の心をゾワッとくすぐるようなセクシーボイスだ。


 超資産家で、天才科学者で、イケメンの上に声までカッコいいときてる。


 牧人は知らぬ間に、唇をとがらせていた。


「はい、今日からワタクシとを組んでくださる、お友達なのですわ」


 亜津美が嬉しそうに言った。

「そうかい。それはよかったね。それじゃあ、開けるよ」


 ガッシャンッ! と大きな開錠音である。想像以上に大掛かりな施錠であるらしく、牧人は驚いた。


「さあ、お入りになって」


 亜津美はノブをまわした。


 鉄扉の内側は外観のイメージそのままに、自宅と呼ぶには首をひねる構造であった。床はタイル敷きでまっすぐ伸びており、左右には玄関と同様に鉄扉が等間隔に三つずつあった。


突き当りには二階へ上がる階段があるのだろう。廊下に窓はないため、すでに蛍光灯が点けられていた。亜津美はそのまま進んでいく。


牧人はキョロキョロと視線をはわせながら、ついていった。突き当りの階段手前にある鉄扉の前で立ち止まる。


「ここは来客用のお部屋でございます。お兄さまはお独りでいらっしゃいますから、充分なお構いができませんことを先にお詫び申しあげますわ」


「独身なの?」


 牧人は亜津美を見る。


「ええ、さようでございますの。研究一本のお方ですから、婦女子のみなさまとのご縁が、なかなかありませんようですわ」


 亜津美は、どうぞ、と扉を開いた。

 部屋の中はかなり広い。というよりも、来客用の応接間と呼ぶよりは、会議室であった。

 十メートル四方の室内には中央に大きな円卓が置かれ、革張りの肘掛椅子が合計で八つ。

 それ以外にはなにも設置されておらず、なにやら落ち着かない。

 窓際には厚手の遮光カーテンが引かれており、外の景色を観ることもできなかった。

 牧人はうながされるまま、円卓の左手側の椅子に腰を降ろす。


「中華料理店みたいだね」


 牧人は四方に目を向けながら言った。


「この椅子も、高級そうだ」


 ギシギシと肘掛椅子の背もたれをゆらす。亜津美は牧人の隣りに、ゆっくりと腰を降ろした。


「あのう、亜津美さん」


 牧人は静かな室内で声をかける。


「はい、マッキーさん」


「博士が亜津美さんの音楽関係のマネージャーか何か、なのかな」


 亜津美が口を開こうとした時、コンコン、と扉がノックされた。ギギッ、と金属の擦れる音とともに開かれる。思わず牧人は立ち上がった。


「やあ、いらっしゃい」


 スピーカーよりも、もっと素敵な声とともに、この家の主人が入ってきた。


 牧人は両目をしばたたいた。白衣を着た、いかにもな博士風である。髪を肩まで伸ばし、前髪をパッツンときっちり目の上でそろえている。どこかで見た髪型だと思ったら、亜津美と同じなのだ。

 そして学者らしいメタルフレームの眼鏡をかけていた。


 ここまではいい。ところが入室してきた博士の身長は、小柄なすみれと同じくらいと思われる。しかも体重は間違いなくすみれの三人分、百キロの大台を超えていそうである。

 顔も身体も風船を重ね合わせた、真ん丸な体型であったのだ。突き出たお腹で、白衣をとめたボタンがはちきれそうになっている。


 牧人が両目をゴシゴシとこすった。博士の見てくれよりも、さらにとんでもない代物が目に入っていたのだ。博士は右腕に、オカッパ頭の赤い和服を着た女の子を抱いているではないか。しかも、その子が正面を向くように背中からささえているのだ。


(待て、待て! 博士は独身だって話だよな。なぜに子供を抱いて登場するんだ?)


 牧人は額に一筋の汗を垂らす。


 ずんぐりとした体型を「ハンサムな」という枕詞まくらことばをつけた、亜津美の美的感覚も疑った。

 丸い団子鼻に乗った眼鏡の奥で、細い糸のような目が笑っている。


「お待たせしたかな、亜津美ちゃん」


 誰が聞いても「かっこいい声」で、葉隠里澄清博士は従妹に言ったのであった。

 澄清は、よいしょと牧人と亜津美の正面の椅子を引きながら、丸い胴体を左右の肘掛けの間にねじり入れた。ギギギッ、と肘掛が広がるのを牧人は立ったまま凝視する。そのまま視線を抱かれた子供に移した。


赤い着物姿の女の子は瞬きもせずに、じっと牧人を見返している。


(この子に、会ったことあるような)


 牧人は記憶をたぐった。思い出した。高校一年の時だ。それも美術の授業で、だ。


(なんてったっけかなあ、あの絵画)


 牧人の脳裏に鮮明に浮かぶ一枚の絵。それは、岸田劉生きしだ りゅうせい画伯の、『麗子像』であった。日本画家の岸田劉生が、娘の麗子をモデルに描いた作品で、重要文化財東京国立博物館に所蔵されている。

 美術は平均点以下の牧人は、そこまでの情報を持ってはいなかった。


 澄清に抱かれたままこちらを向いている女の子は、髪型、面相、着物にいたるまで『麗子像』に瓜二つであった。


 牧人は、再び違和感を覚えた。女の子の表情が、まったく動いていないのだ。呼吸すらしていないようにうかがえる。牧人は試しに自分の顔をくしゃくしゃにゆがめたり、舌を上唇と歯茎の間に入れ、猿の表情をしてみる。

 女の子は笑うどころか、その細く黒い目がどこを見ているのかもわからない。


(もしかして、人形?)


 そう。抱かれていたのは等身大の人形であった。何故? どんな理由で人形を抱いて登場したの?


 亜津美はそんな牧人に気づいておらず、澄清を紹介し始めた。


「マッキーさん、こちらが葉隠里一族きってのナイスガイであり、科学者の澄清お兄さまです」


 今度は「ナイスガイ」ときましたか! 牧人は引きつった笑みを張りつかせる。これは緊張のためでもあり、不気味な雰囲気にのみこまれていたからでもあった。


「お兄さま。こちらがワタクシとを組んでくださる、マッキーさんですの。

 ちなみにワタクシと同学年ですのよ」


 牧人はコクリと頭を下げる。澄清は笑顔のまま、口を開いた。


「はじめまして、マッキーくんとやら。僕は葉隠里澄清です。在野ざいやの科学者だ。

 一度この椅子に腰を降ろしてしまうと、立ち上がるときに肘掛けが引っかかってしまうので、座ったままで失礼するよ」


 ワハハッ、と高らかに笑う。牧人の顔は、強張った笑顔のままだ。博士本人はジョークのつもりなのだろうが、壊れそうな肘掛けを見ると素直に笑えないのだ。


「マッキーさん、どうぞお掛けになって、お楽になさってくださいな」


 亜津美はうながした。澄清は人形を抱いたままであり、亜津美もまったく気にしていない素振りである。眼鏡の下の細い目が、牧人の顔を見回した。


「そうか、きみが亜津美ちゃんと組んでくれるのかい。それはとてもありがたいな。

 ふむふむ。マッキーくん、きみは実に男の子らしい、精悍せいかんな面構えですな。

 さすが亜津美ちゃん。素敵なお仲間ができたようで、安心したよ」


 牧人はそんな褒め言葉をもらったことがないので、ドギマギしてしまった。


「しかし、亜津美ちゃんがこんなに頼りがいのあるご友人を伴ってやってくるなんて、正直驚いているよ」


 澄清は、従妹に視線を向ける。


「あら、ワタクシにだってお友達はおりますし、お人柄を判断する力はありますわ」


 亜津美は頬をふくらませる。


「あははっ、そうだねえ。失言を許してくれたまえ」


 外見とは裏腹に、この博士は紳士的ジェントルマンだ。声とのギャップがありすぎだけど。

 牧人は不謹慎な感想をいだく。


「あ、あ、あの、ところで」


 牧人が口をもごもごさせる。


「これは失礼。お客さまを放っておいて、身内の話ばかりをしてしまっていたようだ。

 なんなりと発言してくれたまえ、マッキーくん。ここにいるのは仲間なのだから、遠慮は無用ですよ」


 仲間? 何かお互いにボタンのかけ違いがあるんじゃなかろうかと、牧人は腑に落ちない表情を浮かべながらも、発言した。


亜津美を訪ねた理由。バンドの説明をし、ギタリストとして参加してもらえないかというお願いを説明する。


「亜津美さんはチームって言うし、博士は仲間だっておっしゃいます。

 どこかで僕の目的と、食い違いが出ているんじゃないかなと思っちゃっております」


 澄清は亜津美に顔を向け、亜津美も澄清を見つめる。


「うん? 亜津美ちゃん、このご友人は仲間になっていただけるのじゃ、ないのかね」


「はい。こちらのマッキーさんに、亜津美が欲しい、とそう口説かれましたの」


 ポッと頬を赤らめる。


「ほほう、それは大胆だな。いや、今どきの若者は草食系だのと言われ、軟弱なやからが多いと嘆いていたのだが、なになに男らしい武骨な精神の持ち主ではないか。

 僕はあらためてマッキーくんを見直すとともに、我が従妹ながら亜津美ちゃんのおとこを見抜くことのできる眼力に感服するよ。ワッハッハッハッ」


 いやいや、違う違う! 牧人は頭を振った。


「ではなくて、ですね。僕は亜津美さんとお付き合いしたいということで口説いたのではなく、ギタリストとしてですね」


 牧人が息巻く途中、澄清が人差し指を立てて、口をはさんだ。


「ということは、マッキーくんはすでに他に想いを寄せる女人にょにんがおり、亜津美ちゃんとは二股でいきたいと、こういうことかな?」


 牧人の脳裏に突然すみれの顔が浮かび、あわてて打ち消した。


(なんで、そうなるの! なんで、すみれの顔が浮かぶの?

 ジョーダンじゃないさ。僕はすみれを幼馴染みのバンド仲間として、ただ)


 その時、突然室内にいる三人以外の甲高い声が響いた。


「なにをゴチャゴチャと言っておるのじゃ、皆の者!」


 牧人は驚いて室内を見渡す。


「澄清も、もそっと状況をよーく見極めんかいな」


「まあ、蝶妙ちょうみょうさま、ごきげんよう」


 亜津美は、ニッコリ微笑んだ。


「おうおう、亜津美よ。変わらず美しいのう」


 それは女性の声色に聴こえる。嬉しそうに応える声。

 牧人は顔面を蒼白にし、驚愕の表情を浮かべた。


「やはり、わらわが間に入らぬと、話がややこしくなるわいなあ」


 そう女性の声でつぶやいたのは、肘掛椅子に窮屈そうに座る澄清が抱いていた人形であったのだ。牧人は顔を引きつらせて、円卓の正面で澄清に抱かれた人形を凝視する。


「エッ? エッ?」


 言葉につまる。


「わらわは本来、奥ゆかしくありたいのじゃ。表に出るのは難儀ゆえのう」


 人形の口元が文楽人形のようにカタカタ開閉し、甲高い声でしゃべると、かくっと片方の肩先を下げる。


「そうおっしゃいながらも、蝶妙さまは先頭に立たれるのがお好きですわね」


 亜津美は口元を隠しながら、おかしそうに言った。


「あ、あの、あの」


 牧人は言葉につまりながら、亜津美に顔を向ける。


「に、人形が、しゃべってるんですけど」


 亜津美は牧人を見て、小首をかしげる。


「はい。それが何か?」


 あっさり肯定され、牧人の目が泳ぎ始める。


「あ、あの人形は機械仕掛けか何かで、気持ちの悪い声はテープでも回してんですか?」


 牧人の質問に、人形の首がくるりと振り向く。


「気持ち悪いとは、まさかわらわのことかえ?」


「て、訂正いたします! 気持ち悪くはないです!」


 牧人はあわてて両手を振った。そこで亜津美はようやく合点がいったのか、大きく手を打った。


「あら、そうでしたわ。ワタクシったら」


 おほほっ、と笑い声を立てる。すると、澄清はカッコいい声で言った。


「なんだ、亜津美ちゃん、僕はすでに説明済みだと思っていたよ。ワッハッハッハッ」


 そのバリトンの笑い声が、途中から突然裏返った声になり、オッホッホッに変わった。

 牧人は、ヒーッと頭をかきだした。


「なんじゃ、わらわのことを申しておらなんだか。亜津美よ、紹介してたもれ」


 人形は甲高い声を発しながら、口をカクカク動かす。


「これは大変申し訳ございませんでしたわ、マッキーさん」


 亜津美は小さく咳払いをすると、澄清の抱く人形に手のひらを向けた。


「こちらにいらっしゃるのは、蝶妙さまでございますの」


 澄清が、こくりとうなずく。人形も同様に首を曲げた。


「蝶妙じゃ。よしなに」


 牧人は、「はあ、どもども」と条件反射で頭を下げる。


「いやいや、そうじゃなくて」


 牧人の脳裏に、ふっと浮かんだ言葉。


(ははーん、わかったぞ。これって、もしかして)


「博士が腹話術を使ってんでしょ。で、このチョーミョーって名前をつけた人形がいかにもおしゃべりしてるように、見せているんじゃないですか?」


 合点がいったのか、牧人は勝ち誇った表情を浮かべた。亜津美と澄清が互いに見合う。


「マッキーくん。鋭いご指摘だね」


「でも、残念ながらマッキーさんの洞察は、半分当たり半分間違いでございますの」


 二人の言葉に、牧人は「?」の目になる。


「お兄さまは腹話術のような隠し芸は、お持ちになってらっしゃらないのですよ。

 えーっと、ワタクシはてっきりすべて伝わっているものとして、お話を進めてきておりましたけど。よーく考えたら、すこしばかり端折はしょった部分もございましたかしら?」


「いや、よーく考えなくても、端折った部分の方がでっかいって、思うんだけど」


 牧人は腕を組む。亜津美はゆっくりと語り始めた。


「そうですわね、では最初に紹介を兼ねまして、蝶妙さまのことからお話いたしますわ」


 亜津美は人形に視線を送る。


「澄清お兄さまは、ご幼少のころから聡明なお方で、わずか十二歳にして米国MIT(マサチューセッツ工科大学)で人工知能の研究に取り組まれましたの。

それから工学部、理学部とさまざまな学問を修められ、十八歳のときには英国エディンバラ大学へ超心理学の研究室に招聘しょうへいされました」


 チョーミョーさんのお話では? と思いながらも黙って耳をかたむける。澄清は別段自慢気な顔をするわけでもなく、亜津美の説明にうなずいた。牧人が手を上げた。


「ごめん、亜津美さん。その超心理学って、なに?」


「超能力や超常現象を研究する学問、そうでしたわね、お兄さま」


 澄清は二重あごを、こくりとする。


「さよう。この世には現在の科学では説明できない事象がとても多い。

 僕は科学、もちろん化学ばけがくも学び、たいていの事柄は科学的に解明、説明できる自信があったのだがね。それでも、いかんともしがたい現象を前にした時に、僕の頭脳を納得させるためにはどうすればよいのかを思考したのだ。

 導き出された結論は、超心理学を学ぶことだったのだよ」


「でも、超常現象なんて、所詮は作り話、ですよね」


 オッホホホッ、と人形が甲高い声で笑った。

 牧人は視線をサッと澄清に向ける。人形の口が大きく開き、ガクガクと身体をふるわせているのだが、甲高い笑い声を立てているのは澄清であったのだ。そして、その口が裏声で言う。


「なんとまあ、了見のせまい、世のことわりを知らぬ男子おのこじゃ」


 牧人は澄清の口元に注目する。腹話術などではなく、明らかに澄清がひとりでしゃべっているのだ。澄清は人形の背後から自分の声に合わせて、人形の口や身体を操作しているようである。

 澄清は腹話術の人形を遣いながら、堂々と声を変えてひとり芝居を行っていた、ということになる。裏声から地声にもどった。


「ハッハッハッ、蝶妙殿、超心理学は世間一般の方からすれば、怪しげで胡散うさん臭い学問であるわけですな。僕も実はかなり疑っておりましたから、最初は。研究機関に入り、実際に体験するまでは、それこそ頭の固い科学者でしたからなあ。

 僕はね、マッキーくん。そこで霊的世界について、多いに関心を持ったんだよ」


「れ、霊的、世界ですか」


「うん。詳しい話をしだすと、多分二泊三日の集中講義でも終わらないからね。端折らせていただく事を、了承してくれたまえ。それで、僕は帰国してから、色々な霊能者と呼ばれる人を取材した。恐山のイタコや、沖縄のユタなんかは有名だね。

もっとも大半は、客寄せのためのインチキであったよ、実際にはね。

 僕が二十一歳になった時だ。ある集会に参加した。それは降霊会を行うことにより、霊的世界を追究しようとする会であったのだ」


 いつの間にか、説明者が亜津美から澄清に交代しているのだが、牧人は異を唱えるような無粋な真似はしなかった。


「降霊会とは、文字通り霊魂を呼び出すのだね。その会は営利目的でも売名目的でもない、純粋に死者の魂を呼び出してその存在を学問として定義づけることを行っていたのだよ。

だからこそ、僕の探究心を刺激したのだな」


 澄清の話す内容に、牧人は引き込まれていった。


「会では、降霊に成功した事例は数えるほどしかなかった。というのも、必ず霊が降りてくるとは限らないからなのだよ。気温や湿度、天空にまたたく星々の動き、気象状況など一定の条件が重ならないとだめなようなのだ。

統計をとりながら充分条件を導き出すのも、目的のひとつであったんだな。

 僕が参加したその日は、条件がすべて一致したようで、降霊に成功したのだよ」


 澄清は細い目をさらに細める。


「わらわは、そのときに呼び出されたのじゃ」


 蝶妙の声でしゃべる澄清。


「普段なら、降霊会ごときにわざわざ降りてやるのは面倒じゃでな。しかしじゃ。この澄清が、臨席しておったからのう。わらわは、この男子にいたく関心を持ったのじゃ。

澄清の類まれなる頭脳、あくなき探究心、そして赤子のような澄んだ心の持ち主。

 ついぞこのような、一点の曇りもない人間に出会ったことがないわいな」


 自分自身を褒めちぎっているような錯覚を覚える。澄清がしゃべっているのだから。

 亜津美が引き継いだ。


「そうなのですわ。お兄さまはよこしまな心をひと欠片かけらも持たない、本当に素晴らしいお人なのです。

 葉隠里家は代々ある分野において、超天才を生み出す家柄なのですが、お兄さまほどパーフェクトにを持つお人は少のうございます」


 牧人は、なるほどとうなずきながら、「体」ってのはどの部分なのだろうかなあ、と素朴な疑問に頭をひねる。それは置いといて質問した。


「そこまでは、なんとなく理解できましたけど。じゃあ、なぜそのチョーミョーさまなる霊が、ここにいるのですか?」


 もしかしたら、二人で口裏を合わせて僕を騙そうとしているんじゃないかな、牧人は考えるが、そもそもそんなことをしてどんなメリットがあるのかとも思った。


「ハッハッハッ、もっともな疑問だ、マッキーくん。しかしだ。それこそがすべてを解決する糸口になるのだよ。

 蝶妙殿は、僕の頭脳の波長と同調した、と説明したらよいかな。つまり降霊会終了後も霊界へお帰りにならずに、そのまま僕の心にお住みになられることになった、という次第なのだよ」


 おかしそうに笑う澄清を、牧人は再びコワイもの見るように怯えた視線を向ける。


「それは、と、りつかれたっていうことですか」


 霊に心を支配された科学者だったのか。


「つまり、その降霊会以降、チョーミョーさまとおっしゃる霊に憑依ひょういされたってことですよね? エーッ! 大丈夫なんですかあ!」


 蝶妙の声で答える。


「なにを申すのじゃな。わらわはそこいらの低級な霊魂ではあらぬぞよ」


「蝶妙さまは」


 亜津美が自慢げに言う。


「蝶妙さまは、遥か昔、そう平安時代でしたかしら。かの有名な陰陽師おんみょうじと双璧をなす、誘い師いざないしでいらっしゃった、とても高尚なお方ですのよ」


「イカサマシ?」


 牧人が首をかしげたとたん、蝶妙が甲高い声で怒鳴った。人形の口元が大きく開くのと、澄清の口がリンクしている。


「誘い師じゃ!」


 人形の真っ黒な眼が、上から目線で見てくる気配に牧人はビビリ始めた。


「なんじゃ、そなたは学んでおらぬのか?

 今日びの寺子てらこは、ほんに学ぶ意欲がないわいなあ。嘆かわしや」


 亜津美が振り返る。


「そういうことでございまして、お兄さまには蝶妙さまがお宿りになっておられるわけでございます。もちろん蝶妙さま自体は、通常では感知できませんのよ、お兄さま以外は。

 ですから、お兄さま以外とコミュニケーションをお取りになる際には、お兄さまの身体を使用されておりますの」


 澄清が自分の首を指さした。首なのか顎なのか、牧人にはわからなかった。


「当初はこのお人形を持っていなかったから、蝶妙殿と会話している姿を他の人が見れば大きな独りごとを言っているように思われてね。

ウフフッ、知らない人には僕が精神を病んで二重人格になったんじゃなかろうか、と心配され、病院を紹介してくれたりしたものだよ。だからこの人形を、常に持つようになったのだね。

なかなかカワイイだろう。知り合いの人形師に製作してもらったのだよ。蝶妙殿からお名前を拝借して、チョウちゃんと呼んでおるのだ。こうやって抱いていれば、人形が話しているみたいだろ?

 他人に心配かけなくても済むようになった、こういう次第さ」


 澄清は事無げに言う。


(い、いや、かえってコワイですー!)


 牧人は内心叫んだのであった。


~~♡♡~~


「よしっと、なかなか骨が折れる課題を出してくれるじゃないの」

 

すみれは数学の教科書を閉じ、椅子の背もたれをグインッと歪ませて背伸びをした。

 開け放した窓から、夕陽が黄色を混ぜたオレンジ色の光で西の空を染めているのが見える。あらためて目覚まし時計に目をやり、腕を組んだ。


「いくらなんでも遅いじゃない。このアタシを待たせるなんて、百年早いわよ」


 牧人がいつものように、すみれに泣きついてくるものだと思っている。

 すみれは椅子から立ち上がると、ベッドの上に腰を降ろしてスタンドからベースを取り上げた。もっぱらピックを使う奏法を好む。ピックを使用すると、音の強弱が平均化され安定したビートを刻めるからだ。

 ピックガードに挟んである白いピックを取り、まずは指ならしにペンタトニックスケールを弾き始める。


「それにしても、やっちゃんが抜けちゃうなんて考えもしなかったなあ」


 指が動きを覚えているため、すみれはほとんど指板しばんを見ずに弾く。


「そりゃ確かにマッキーのド緊張癖はライブでは致命的ではあるんだけど。でも、いつかは乗り越えてくれるって信じてあげなきゃ。バンドは運命共同体でもあるわけなんだから」


 アンプを通さないエレキベースの、ボンボンと鳴る音がボディから脚に伝わる。


「マッキー、本当に何してんのかしら。こんなに心配してあげちゃってるってのに」


 すみれのクルリとした目が窓の外に向けられる。階下から母が呼ぶ声が聞こえた。


「すみれー、ちょっと悪いんだけど、スーパーでお醤油買ってきて」


「はあっ? いま勉強で超多忙なんだけど」


「なに言ってんの。ベースの音が聞こえてるわよー。散歩がてら行ってきて」


 確かに部屋のドアは風通しのために開けてあり、アンプを通さなくても階下までベースを鳴らす生音は聞こえる。


「チッ、しょうがないなあ」


「今舌打ちしたでしょ! 女の子なんだからもっと上品にふるまわないと、婚期を逃がすわよ」


 高校二年生に婚期とは、これまた早いが、ひとりっ子であるすみれを母親は甘やかさない方針を貫いている。

 すみれは外出するために、Tシャツとデニムショートパンツに着替えた。


 スーパーマーケットは自宅から十分程度歩いた場所にある。お腹を空かせるために歩いていくにはちょうどいい距離である。母から財布を預かり、肩から掛けたポシェットに入れると「いってきまーす」と家を出た。


 一戸建て住宅がきっちり区画整理をされ建てられた地域であり、国道から離れているため住宅街の道路では雨上がりの中、近所の子供たちがワイワイ騒いでいる。目的地まで見知った主婦たちと挨拶をかわしながら、のんびり歩く。


 その間も何度かスマホを確認するが、牧人からヘルプの連絡はない。


 夕方のスーパーマーケットは特売品目当てや、夕飯の買い物客でにぎわっていた。

 この頃は平日にお休みの会社が多いのか、夫婦連れで買い物している姿を結構目にする。


 醤油を買い物かごに入れてレジの順番待ちをしていたところ、ポンポンと肩を叩かれ、驚いて振り向いた。


「ようっ、すみれ」


「あら、美樹姐さん!」


 すみれの後ろに栗色に染めた長めの髪をくくり、ノースリーブの白いシャツ、スキニージーンズ姿の群青美樹ぐんじょう みきが立っているではないか。

 弟の牧人と同じくらいスラッと背が高く、はっきりとした顔立ちは牧人のボーッとした表情とは似ても似つかぬ。


「なに、買い物かい?」


「えへへっ、さようです」


「家の手伝いとは感心だねえ。ところで、バンドは上手くいってんの? 牧人のやつ、あまり話題に出さないからさ。すみれも元気かなあって思ってたんだ」


 レジの順番が回ってきたため、会話をいったん打ち切り、すみれは先に会計を済ませ、美樹を待っていた。


「悪い、待たせた」


 美樹は買い物品をレジ袋に入れ、すみれの立つ場所に来た。


「それ、お店用のですか」


「うん。店内用のコーヒー豆さ」


「美樹姐さんは、弁護士志望でしたよね」


 すみれの問いかけに、美樹はウインクする。


「銭をたんまり儲ける、悪徳弁護士な」


 二人は笑いながら店を出た。

 美樹は駐輪場に停めてある大型のバイク、VT七五〇Sの前で立ち止まった。キャンディタヒチアンブルーの鮮やかなボディである。


「カッコイイ! 美樹姐さんがこんなのに乗ると、オトコ共が振り返りますよね」


 すみれは指先でタンク部分をさわる。


「ははっ、振り返ってはくれるけど、声は誰もかけてくれないんだよなあ」


 すみれが先ほどから無意識のうちにスマホをいじったり、画面をチラ見するのを美樹は気にしていた。


「どうした? 何か心配ごとでもあるのかい」


 すみれは美樹の言葉にうなだれた。


「ちょっと缶コーヒーで、のどをうるおしてから帰ろうぜ」


 美樹はレジ袋をバイクのハンドルにかけると、そばの自動販売機から二本の缶コーヒーを買って来た。ひとつをすみれに渡す。


「あっ、すみません、ごちそうさまです」


「いいって、これくらい。それよりも、私で良ければ話してみな」


 美樹はそう言いながらプルタブを引き、缶をかたむける。

 幼いころから群青家に出入りしているすみれは、美樹に対しては本当の姉のような感情を抱いている。美樹も弟と同じ年のすみれをかわいがってくれているのだ。


 二人は駐輪場の簡易ベンチに腰を降ろした。すみれはライブの経緯からやっちゃんの脱退、それについて牧人になんとかしろと迫ってみたものの、いつものようにヘルプの連絡が入らないため、実は心配しているという胸の内を包み隠さず話した。

 だまって聴いていた美樹が、いきなりすみれの頭をなで始めた。


「そりゃ、かわいそうだ。すみれは、なーんにも悪くない。悪いのは牧人のバカだ。大バカ者だ。こんなにすみれに心配かけて、どうしようもない男だな、我が弟ながら」


 身内を徹底的にこきおろした。


「牧人のド緊張癖は今に始まったことじゃあないけど、ありゃ酷いな。よくバンド活動しようなんて考えるよ。大笑いしちまうよ」


 すみれは遠慮がちに言う。


「でも、マッキーのドラムは決まる時にはカッコいいんですよ。まあ、スタジオ練習の時しか決まらないんですけど。でも叩いている姿はとっても素敵なんです。

 それに、マッキーの描く詩の世界はアタシ大好きで、新作なんて夢中で紡がれた言葉を読んで」


 途中ですみれは、美樹がニヤニヤしていることに気づいた。


「やだ、アタシったら」


 美樹が笑った。


「ありがとうね、すみれ。あんなヤツでも、そんなふうに思っていてくれて」


 すみれは赤くなる顔を、恥ずかしげに下に向ける。

 美樹の誘導によって、すみれは自分の抱いている気持ちを言葉にしてしまったのである。


「そんなに心配しなさんな。牧人にとって、すみれは無くてはならない、大切なパートナーなんだからさ。いいなあ。私もそんなパートナーに巡り合わないかしら」


「美樹姐さんったら、もう!」


 すみれは火照る顔を隠すように、美樹の身体を押す。


「ごめん、ごめん。これはからかってるわけじゃないんだよ。牧人にとって、すみれは本当に大切な人だからさ。まあ、待っててやってよ。あいつもすみれにいいところを見せたくて、どこか這い回ってるんだろうから。

 家に帰ってきたら、ガツンと言っておくしな。

 バンド、頑張りなよ。次のライブは絶対観に行くからさ」


 美樹はもう一度すみれの頭をなでる。

 すみれは美樹に話したことによって、なにやらスッと胸のつかえがとれた。


「それじゃあ、帰ろうか。またお店にも顔を出しなよ」


 美樹は片手を挙げて、またがったバイクのエンジンをかける。

 すみれは会釈しながら手を振るのであった。


~~♡♡~~


 牧人が初対面の亜津美に、ほぼ強引に澄清邸へ連れてこられて一時間近くが経過した。


「お兄さまと蝶妙さまについては、ご理解いただけたかしら。ちなみにチョーミョーではございませんのよ。バタフライの蝶に、妙味の妙と書きますの。よろしくって?

 そういった次第でございまして、ワタクシはマッキーさんとを組まさせていただくことに相成りました。以上で終わりますわ。ご清聴ありがとうございました」


 亜津美は立ち上がるとスカート裾を両手で軽く持ち上げ、膝を曲げてお辞儀をする。


「ブラボー!」


 澄清はよく通る声で高らかに叫び、拍手を送った。牧人も、つい釣られて拍手する。


「ああっ」


 牧人は手を叩きながらうなった。結局ここへ連れてこられた目的が、なにひとつ解明されていないのだ。澄清と蝶妙の関係しか語られていないことに今さらながら気づく。


 それに、蝶妙と亜津美たちは呼んでいるが、果たしてそんなオカルト話が実際にありうるのだろうか。もしかして、この目の前のはち切れそうな博士とやらは、実は本当に二重人格で、病んでいる人なのではないのだろうか。

 牧人の頭脳は、ふだんの数十倍の速度で回転していた。と、ここで何かが引っかかった。


(えーっと、なんだろう? 魚の小骨が喉に刺さったような感じ。オカルト、幽霊ってどこかで聞いたような)


 とりあえず発言することにした。


「あの、あのう、すみません。亜津美さん、ちょっとだけ、いいですか」


「あら、マッキーさん、いかがされましたかしら」


「いや、あの、博士と蝶妙さまとのご関係は、よーくわかりました」


「それは良かったですわ。ワタクシのつたない説明でご理解いただけるかと、ドキドキしておりましたの」


 亜津美は胸元に手をやる。


「は、はあ」


 牧人は大きく前に突き出た部分を見て、思わず赤面した。


「あっ、ごめんなさい!」


 亜津美は「えっ?」と小首をかしげる。

 牧人は、さらに顔を赤くする。


「つ、つまりですね。僕が今日、亜津美さんを訪ねたのは、バンドにギタリストとして加入していただけないかなというお誘いでして」


「そうでしたわね。なにか初対面という感じがしなくて、ワタクシったら。

 マッキーさんのグイグイ迫られる熱い心に、心の臓が再び十六ビートを打ち始めてしまいましたわ」


 ポッと頬を赤らめる亜津美。

 ここで照れてしまえば、元の木阿弥。牧人は逸る気持ちを押さえて続けた。


「亜津美さん!」


「はい」


「どうか、僕らのバンドにギタリストとして参加してください!」


 牧人は一気に言い放った。


「おやおや、この男子、みかけはやわそうじゃのに、亜津美を真正面から口説きおったぞいなあ」


 蝶妙の声が澄清の口から出る。


「うむ。久方ぶりに日本男子ここにあり! という姿に、僕は感動するよ」


 今度は澄清が大きくうなずいた。


「ワタクシのような者で、本当によろしいのでしょうか? マッキーさんが欲しいとおっしゃっていただけるなら、不束者ふつつかものではございますが、末永くかわいがってくださいませ」


「ですから、その彼女になってください、っているのではなくてですね」


 亜津美はきょとんとした表情を浮かべる。


「えっ、もちろんそうですわ。ワタクシのような、見た目もギターの技術も平凡な女子でよろしければ、喜んでマッキーさんのバンドに加入させていただきたく思いますの」


 牧人は「アラッ」とずっこけながらも、亜津美の承諾を取り付けたことで舞い上がった。

 一方で、こんな美しい子が彼女になってくれるわけないもんなあ、と落ち込む。

 すみれの怒った目力に、再びにらまれた気がして身をすくませた。


「ありがとう! 亜津美さん。これでなんとかクロスワードとして、ライブができるよ」


「そうですわね。マッキーさんたちとなら、ワタクシ、楽しくできそうな気がしますわ」


「楽曲についてだけど」


「先日の演奏を聴かせていただいて、大まかな流れはつかんでおりますのよ」


「ええっ! 一回聴いただけだよね」


 澄清が説明する。


「先ほど亜津美ちゃんが、ちらりとご説明したけどね。我が葉隠里家は、特殊な才能や天才を生み出す家系なんだよ。亜津美ちゃんは、音楽に関しては驚くような才能を発揮するのだな。

 僕は残念ながら、バッハとAKBなんとかの区別すらつかないのだがね、ワッハッハッ」


 牧人は驚嘆のため息をもらした。

 亜津美は恥ずかしげに瞳を伏せる。長くカールしたまつ毛に、牧人はドキリとした。


「ワクシたちは、いいが組めそうですね、マッキーさん。ただ、ひとつだけ」


「なにかな。大抵の条件なら受け入れちゃうよ」


 亜津美は申し訳なさそうに、下から牧人を見つめる。


「ワタクシ、父から申し渡された事項があるのです」


「はい」


「葉隠里家では、中学校を卒業すると同時に世間の厳しさを体験するために、いったん家を出なければなりませんの」


「ああ、それであのアパートに住んでんだ」


「はい。生活全般は執事の成方が面倒をみてくださるのですが、生活費も自分の手で稼がなくてはなりません」


「それは、アルバイトをして稼ぐってこと?」


「さようでございますわ。それでワタクシは澄清お兄さまに、相談させていただきました」


 亜津美は従兄の天才科学者に顔を向けた。澄清は親指と人差し指で、丸い顎を支えている。


「うむ。亜津美ちゃんから相談を受けてね。それならと、僕の研究のお手伝いをしたらどうかと持ちかけたのだよ」


「はあ、いわゆる助手ってやつですか」


「さよう。いま取り組んでいる研究には、人手がいるのでね。

 亜津美ちゃんは大変よくやってくれており、僕の研究対象をいくつか収集してきてくれているのだよ」


「そうか! だから虫かごと捕虫網を持っていたんだね」


 牧人は初めて亜津美と会ったマミヤミュージック、そしてアパートにもどってきた時のスタイルを思い出した。たしかに亜津美は麦わら帽子をかむって、昆虫採集の格好をしていたのだ。


 だけど、物理学や超心理学で、昆虫がなんの関係あるのかな? と首をひねる。


「いまの季節なら、やはりクワガタとかカブトムシが旬ですからね。僕はこうみえても、小学生のころは昆虫採集の鬼と呼ばれてましたから。

 亜津美さんのアルバイトに充分協力できますよ。

 ちなみに、ベースとボーカル担当のすみれ、鈴堂りんどうすみれって名前なんだけど、女子でありながら『非情の捕獲者』の二つ名ふたつなを持つ、街きっての昆虫採集名手でもありますから」


 自慢げな牧人に、今度は亜津美と澄清が首をかしげた。


「昆虫? 採集、ですか?」


「ふむ。どうやらまたまたどこかで、ボタンのかけ違いが発生したようだね」


 ふいに蝶妙がしゃべりだした。


「ほっほっほ、この寺子は、なにやら大きく勘違いしておるようじゃぞよ。澄清の研究を忘れておるようじゃな」


 牧人はうなった。収集する、澄清の専門、それに亜津美が関わっている。

 素直に訊いた。後悔することになるのだが、この時点では気づかない。


「すみません、どうやら昆虫採集じゃないみたいですよね。

 いったい、博士は何を研究されており、亜津美さんはどんなお手伝いしてるんですか?」


 亜津美はニッコリ微笑んだ。


「幽霊さんを集めておりますのよ」


 さらりと言われ、牧人は「なるほど」と合点がいった直後、「シエーッ!」と本日最大の驚愕の声を上げたのであった。


~~♡♡~~


 牧人は自室のベッドに、Tシャツと短パン姿で横たわっていた。両腕を枕にして、天井を見つめている。


 あれからさらに複雑怪奇な話を聴かされ観せられ、結局澄清邸をファントムで出たのはどっぷりと日が暮れている時間であった。


 亜津美が住まうアパート前で、牧人はママチャリにまたがった。


「それではマッキーさん、一週間後の月曜日にマミヤミュージックでの練習、承知いたしましたわ。ごきげんよう」


 亜津美は丁寧にお辞儀をした。その横で成方も腰を三十度ピッタリに曲げる。

 牧人は、モゴモゴと挨拶もそこそこに、家路についたのであった。


 牧人の六畳の部屋は、勉強机に本棚、ベッドにパイプ製のハンガー掛けが置いてある。

 それに愛用の電子ドラムが小さく折りたたまれて、専用のイスと一緒に窓際にあった。

 机上の置時計の針がまもなく夜十時をさそうとしている。頭の中では、夕方からの出来事が、走馬灯のようにグルグル回っていた。


「はーっ、しかしなあ。どうしようか」


 いつものように本棚に置いた小型コンポでお気に入りのミュージックをかけるでもなく、ため息の連続であった。


 亜津美のアルバイトを手伝う事。これが亜津美をギタリストとして迎えるために必要であった。生活資金を得るために澄清の研究を手伝うこと。それは幽霊を捕獲し、ひとつ幾らで買い取ってもらうということであったのだ。

 したがって人手はあるほうが効率は良いことになる。それは昆虫採集と同じだ。


 決して亜津美から強要されたわけではない。ただあの澄んだ茶色がかった大きな瞳で見つめられ、「マッキーさんたちとで演奏したら、このうえなく楽しい時間をすごせそうですわね」と言われれば、イヤな気持ちはしない。むしろ大歓迎だ。


 逸材を自ら掘り出したことを、すぐにでもすみれに伝えたい。やっちゃんに替わるギタリスト、それもプロであるピートさんお墨付きの、スーパーテクニックを持つギタリストなのだ。


「これですみれに、リーダーとして認めさせることはできると思うけど。

 しかし、なんであんな怖ろしげなアルバイトを手伝うなんて言っちゃったんだろ。僕、ああいう手合いの話は大の苦手なんだよなあ。姉ちゃんなんか、ホラー映画やオカルト番組なんて大笑いしながら観てるのに。

 どうしよう。でも、亜津美さんしか今の僕にはお願いできるギタリストなんていないし」


 残念ながら、今日は亜津美のギターの腕前を確認することはできなかった。博士の研究を聴いただけで、頭がパニックになっていたからだ。それでも帰りの車中で、一週間後に練習スタジオへ入る約束だけは取りつけた。

 音源については、帰宅してから亜津美のアパートにある、パソコンのメールアドレスに圧縮ファイルを送った。帰りの車内で、亜津美が綺麗な字でアドレスをメモに書いて渡してくれたのだ。

 牧人も礼儀として、住所に携帯電話番号、アドレスを書いて渡す。これで音合わせをしていけば、クロスワードは区民センターでのイベントライブに参加することが可能になるわけだ。


「バンドのほうはなんとかいけそうだけど、問題はアルバイトだよー」


 亜津美が澄清博士から請け負っている仕事。


「ってか、なんなのそれ? 幽霊を採集するって、そんなことが本当にできるの?」


 牧人の脳裏に、澄清の素敵な美声がよみがえった。


~~♡♡~~


「ハッハッハッ、マッキーくん。まるで狐に化かされたみたいな顔をしているね」


 澄清は眼鏡のブリッジを、指先で押し上げた。


「澄清、いっそのこと寺子に観せたらどうじゃな」


 蝶妙の声が言った。慣れてきたとはいえ、面相が怖ろしげな等身大の人形。どうせなら、もっと愛らしい人形にしようとは考えなかったのだろうか。牧人は正直にそう思った。


「そうですわ、お兄さま」


 亜津美は椅子から立ち上がる。


「それでは、ご案内しよう」


 澄清はきしむ肘掛けを無理やり広げ、大きなお腹を震わせながら人形チョウちゃんを抱いたまま立ち上がった。牧人には、スポンッという音が聞こえた気がした。


 澄清に続いて、亜津美、最後に牧人が退室する。廊下には先ほどのまま、蛍光灯が輝いていた。澄清は応接用の部屋に隣接する、鉄のドアの前に立った。

 牧人はドア横の壁に、手のひら大の白いプレートが取り付けられているのを発見した。


「ここから先は少々機密事項に関わるのでね。僕以外が入室できないようにセキュリティシステムが設置してあるのだよ」


 澄清は牧人の視線を察知して、そう説明する。ウインクをしたらしいが、常に細い目のために牧人は気づかなかった。澄清は手のひらをペッタリとプレートに合わせる。白いプラスティックが緑色に発光する。


 ガシャンッ、ガシャンッ、とかんぬきをはずす音が廊下に響いた。


「さあ、入りたまえ」


 澄清はノブをまわす。亜津美、牧人が部屋に入り、今度は澄清が最後になった。

 ドアが閉まり、閂がオートでかかる音がする。

 薄暗い室内に電灯が点いた。ドア横の電源スイッチを、澄清がオンにしたのだ。


「はへーっ」


 牧人は部屋の内部を見渡して、声を上げた。そこはまさしく、研究室と呼ぶにふさわしい作りであった。スチール製の台が並び、上にはフラスコやビーカー、シャーレがあり、茶色いガラス製の遮光投薬瓶に散薬瓶が置かれている。

 高校の化学実験室よりも広く、文系志望の牧人には用途のさっぱりわからない実験器具が、並んでいる。何を測定しているのか波形を示す装置や、大小様々なメーターで埋め尽くされたボックスが電子音を鳴らしている。

 カーテンが閉めきられた窓際には立派な高級机があり、円錐形の傘型ライトが点けられていた。

 実験器具の乗った台が並ぶ奥には、大型のパソコンが数台置かれており、画面はスクリーンセーバーであろう真っ赤な蝙蝠が飛び交っていた。


「スゴーイ! 大学の実験室のようですね」


 リケ女のすみれが見たら喜びそうだなと思う。床には様々なコードが絡み合っていた。

 澄清は言った。


「では僕の研究をお教えする前に、マッキーくんにまず観ていただこうか。

 亜津美ちゃんには何度も観てもらっているが、まあ復習の意味で付き合ってくれたまえ」


 澄清は二人を手招きしながら、研究室の奥へ進んだ。


「ほええっ」


 牧人は歩きながら台の上を観察し、声をもらす。


「ああ、少し危険な薬品も取り扱っているから、手はふれぬよう注意申し上げておこう」


 差しのばした指先を、牧人はあわてて引っ込めた。


 室内の奥には壁の手前に長方形の会議用テーブルと、椅子が六つ置いてある。澄清はテーブルの壁側にある椅子に腰を降ろし、二人に座るよううながす。

 壁側のテーブル上に、色々なスイッチやボタンのついたボックスが設置してあった。


 牧人と亜津美は、それぞれ手前の椅子を引いた。澄清と壁をながめる位置である。澄清がチョウちゃんを抱いたまま、でっぷりとした身体を椅子に乗せ、机上のボックスを操作し始めた。


 グゥイーン、と天井からモーターの音が聞こえ、壁に大きなスクリーンがおりてくる。さらにテーブルの中央が動き、プロジェクターがせり上がってきた。


「すっごい! こんな仕掛けが施されてんだあ」


 驚く牧人。澄清は丸い指先を器用に動かし、いくつかのスイッチを入れた。室内の照明が徐々に暗くなり、代わりにプロジェクターのレンズにオレンジ色のライトが点灯する。


「今から、いくつかの映像を映すよ。これはネット上で配信されている動画サイトから、僕がピックアップしたものだ。

 最初は少し驚くかもしれんが、なあに、ただの映像だ。気楽に鑑賞してくれたまえ」


 牧人はいったいどんなフィルムが上映されるのか、ドキドキしてきた。ハードディスクの音が聞こえ、スクリーンに白い光が投影される。画面に文字が浮かんだ。


「え、【】! って」


 牧人は文字を読み、思わず口にする。

 数秒後、動画サイトの画面に切り替わり、素人が投稿したらしい映像が始まった。


「ヒエェーッ!」


 牧人は本気で悲鳴を上げることになる。


 深夜のトンネルに現れる怨霊、廃校のガラス窓に写ってはならない大勢の人影、マンションの最上階ベランダで逆さになって覗く顔だけの女、などの生々しい恐怖動画。


 そのあとは、心霊写真と呼ばれる戦慄の画像が、これでもかというくらいにスクリーンに映し出されていった。、団体旅行の集合写真で、背景の滝に白い顔がいくつも浮かんでいる写真。

 お爺さんが居間で膝に孫を抱いているソファの足元に、隙間からいるはずのない人の腕が伸ばされている写真。背筋の凍る画像が牧人の網膜に焼き付いていく。のどが引きつり悲鳴さえ出なくなっていた。


 牧人はそういう類いのオカルトには一切興味がなく、というよりも元来コワガリなので避けて通って来た分野なのであった。


 澄清はボックスのスイッチを押すと、あらためて二人に顔を向けた。

 牧人は真っ青な顔色でかたまっている。


「とりあえず、こんなところかな。どうだい。世の中にはこういう映像を、趣味で撮っている連中がいかに多いことかと驚かないかい? 僕は思わず笑ってしまったよ、ワッハッハッ!」


 いや、そこに笑うのですか。牧人はげんなりとした。よくもこれだけの画像を集めて編集したものだ、とも思った。


「本当に、お兄さまのおっしゃる通りですこと。オホホホッ」


 亜津美も上品に手をそえて口元を隠す。アンタもかい! 牧人は亜津美を振り返った。


「よーくわかりました。多分僕の心臓は十年分縮みましたけど。それで、こんなオソロシイ映像を観せていただく理由を、お願いします」


 能面のような顔つきで牧人は言う。澄清はニヤリとした。


「僕はこの手の映像、画像を約三千ちょっとネット上からピックアップしたのだがね」


 さ、三千って。牧人はあんぐりとした。


「こんなものは、すべてイカサマじゃよ」


 蝶妙が澄清の口を借りてしゃべりだした。もちろんチョウちゃんの口も開閉する。


「いかにもとってつけたような、わらわから言わせればすべて子供騙しじゃぞよ」


「い、いかさま。イカサマシ」


 牧人はつい口走るが、蝶妙はスルーしたようだ。


「さよう。たかだか瑠璃るり――(ガラス)ごときを通して霊体なぞ、視えるわけないぞよ。そんな安っぽい霊魂なぞ、ないわいなあ」


「じゃあ、全部ウソッぱちの作り物? ですか」


 牧人は驚いた。澄清が言う。


「そうなのだよ。心霊スポットや都市伝説なんて言葉が日の目をみて久しいがね。いったい誰が最初に言い出したと思う? 誰かが言いださねば、表舞台には出てきやしまい」


「確かに、それはそうですけど」


 牧人は先ほどの映像を思い出す。


「まあ、テレビというマスメディアは常に視聴者の関心を引かねばならぬから、いたしかたないとも思うが。蝶妙殿のおっしゃる通り、我々が聞き及ぶ心霊現象とはその九十九パーセントが作り物か錯覚と考えてよろしかろう」


 牧人は、ウソッぱちと言われ、やや落ち着きを取り戻した。


「そうなんですか。うん? じゃあ、博士。残りの一パーセントって」


「本物である可能性が極めて高い、そういうことですな」


 ゲッ! じゃあ、やっぱりあるんだ。牧人は目を固く閉じた。

 亜津美が牧人の心を見透かしたかのように、言う。


「でも安心してくださいな、マッキーさん。本物の幽霊さんは、決して怖ろしいものではありませんのですよ。だって、ワタクシたちだっていずれはこの身体から、魂が抜けるのですから。

 ワタクシ、本来はとてもコワガリなのですけど、お兄さまの指示でお仕事をさせていただくようになってから、むしろ愛らしいなあ、なんて思うこともあるのですよ」


 いやいや、ありえないでしょ、それは。と思うが口には出さない牧人。


「ご覧いただいた映像では化けて出た、おどろおどろしい姿で写っていたが、実際にはそんなことはありえない。ヒトの想像力が生み出した、もしくはして作り出したものだ。おっ、韻を踏んだぞ、ワッハッハッ。

 霊体は、怖い怖いと思うヒトの心に、その怖いモノとして反射させることがある。したがって幽霊の正体見たり枯れ尾花、とはまさしくその通りなのさ」


 牧人が手を挙げる。


「博士、質問があります」


「どうぞ」


「霊が思念の塊であるということにして。蝶妙さまがいらっしゃった霊界へは行かないのですか? その視えない霊魂をどうやって捕獲するのですか? 三つ目ですが、それを収集されてどうするおつもりなんですか?」


 澄清は、我が意を得たりとばかりに大きくうなずく。


「うむ、さすがにマッキーくん、よい質問だ。では説明しよう」


 ボックスを操作すると、今度はプロジェクターからプレゼン用のパワーポイントがスライドで映し出された。牧人はスクリーンに映るスライドを観るなり、目をしばたたかせる。

 そこには高校生の、しかも文系志望の学力ではチンプンカンプンの数式が、ずらりと並んでいたのだ。すみれなら案外理解しているのかもしれないが。


「これは僕が学生時代から、つまり超心理学を学んでいる時から使用している因数定理だ。詳しく説明しようかな?」


 牧人はあわてて手を振る。


「そうか。時間があったら仕組みをご説明しよう。では大まかに端折っていくよ」


 スライドが次々と変わっていく。


「この数式から導き出されるように、霊界と現世は実は重なっていることがわかる。霊体はあまりに強い思念を持ったままだと現世から霊界へ移動することができない。つまり余分な荷物を持ってしまっていると考えるとわかりやすい。

 そのため思念エネルギーを冷ますために、荷を軽くするまで現世を浮遊するのではないかという仮説を立てた。

 そう、いわゆる成仏するまでの期間だ」


 そっかあ、だから自殺の名所とか事故現場、お墓で幽霊が多く目撃されるのかな。

 牧人は納得する。


「ご質問であるところの、第二点目だ。いったいどうやって霊魂を収集するのか、ということだが」


 スライドが変わった。そこには牧人も見覚えがあるものが、大きく写しだされていた。


「えーっと、これって」


 言いながら、亜津美を見た。


「亜津美さんがアパートに帰ってきた時に、持っていたものですよね」


「そうですわね。さすがはマッキーさん、よくワタクシのことをご記憶いただいて、ありがとうございます」


 スクリーンに映し出されていたのは、小学生が夏休みの宿題のために使うタモと虫かごであった。澄清の眼鏡の奥の細い目が、キラリと光る。


「外から見ただけでは普通の捕虫網なのだが、実はこの輪っかの部分は僕が蝶妙殿の意見を参考にしながら開発した、霊体エネルギーを吸い寄せる金属でできているのだ。

 僕はその金属を、霊着金れいちゃくきんと仮称しておるのだがね。網も当然ながら同じ金属を繊維状にして編んだものだ」


「レ、レイチャクキン、ですか」


「さよう。虫かごに見せかけている保管箱も、原理は同じだ。

 さて、では僕が霊体を集めていったい何をしようとしているのか、という最後の質問にお答えしよう」


 澄清はボックスのスイッチを回すと、スライドがまた変わった。


つづく

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