第23話 今日も来る
夜の喧騒を眺めていた。くたびれたスーツに生気の無い顔が並ぶ雑踏は、見ていてこちらも嫌気がさしてくる。
「だが、俺もいつかはあの中の一人になっちまうのだろうか」
それは、嫌だな。
そう思わずにはいられない。あんな、まるで生きている意味も持てない人間には、なりたくはなかった。
「まあ、今も生きている意味がある、とは言えないだろう、君も」
と、路地の闇から声がする。だいたいそこから現れるのは、ひょんな事から俺につきまとうようになった悪友さ。いや、悪友というかは腐れ縁の方が似合うかもしれない。
「わかったこと言うなよ、ヒビト」
ヒビトはふふと笑うばかりだ。
「しかし、つまらないものを眺めているねえ、正真は。あんなもの見ていてもつまらないだけだろうに」
「ああそうさ、つまらないだけだ」
それでも見ちまう、いいや目に入っちまうのだろうか。一度入ってしまうと、どうにも見ずにはいられない。
興味を引くとか、怖いもの見たさとは全く違う。
「目を背けちゃいけない現実、ってやつなのかな……」
「現実ねえ……その現実自体が空想なのかもしれない、なんて考えないの?」
「そんな思考、俺にゃ持てないよ」
相変わらずの変わった考え方を見せつけるヒビトが、正直羨ましくも思えた。いつもだったら辟易するだけだけど、この時ばかりは俺もそんな考え方ができればこの世の中楽に生きれるのにな、なんて。
そんな俺たちをよそに、夜は未だに蠢いている。いくら時間が回ろうと、とっくに人は寝息を立ててる時間だろうと構わない。遠くでは陽気にはしゃぐ声を聞く。近くではうなだれるため息を聞く。
一夜は多様に、複雑に、絡み合う。
「なんでもない夜でも、そこまで感じ入るとは、さすが正真だね。小説家でも目指す?」
「んな文才なんざねえよ。第一、俺たちゃ高校すら行けてねえ身だぜ」
色々あって、正規のレールから外れたからこそ、こんな夜中にこんな話をしているんだろうが、まるで日陰者のように。いや、もはや日の当たる場所に出るのさえも許されないような感覚すら覚える。社会から排他され、追い出され、逃げてきて、傷ばかり負ったこの体。そんな醜い身体を隠してくれるような、こんな夜こそ俺たちの居場所なのだ、と。
「いいや、それはくだらねえ話だな」
こんなのは、ただの否定さ。
今の境遇を不幸なんざ思ったことはない。むしろ、こうだからこその楽しみだってある。
「僕らには僕らの生き方、ってのがあるとでもいいだけだね」
「さっきから地の文を読み取っているんじゃねえよ……全く、てめえという男は相変わらずだな」
「君こそ、相変わらずの人間じゃないか……それに」
ヒビトが目をやった方向には、良からぬ人間が続々といた。
目は殺気を帯びており、しかもご丁寧に釘バットとわかりやすいものまで持参している。ちなみにその連中はどれも見覚えのあるものだった。どうやら、お礼参りのようらしい。
「結局、相変わらずの夜になりそうだね。どうするかい? 手を貸そうかい?」
「いんや、別にそんなものはいらねえよ。これは俺の喧嘩さ」
そして、奴らの前に堂々と立ち塞がる。その姿にどうにも文句を口にしているようだが、そんなことはどうでもいい。
今はただ、うちからほとばしり始めたこの熱気に身を委ねたい。あの雑踏の中にいけば忘れてしまうような、日向にいたら決して感じることはできないような、そんな熱気。
「好きだねぇ」
ああ、好きだよ、好きで悪いか。
この痛みも、この傷も、全部全部好きだ。
それも大人になって、あの雑踏の中に入っちまえば、日向の向こうへ行ってしまったら忘れてしまうのだろうか。
いや、忘れやしない。
決して、忘れることはない。
忘れないと、信じたい。
そして、俺は拳を振り上げた。
そんな夢を、今日は見た。
ひどく懐かしくて、青くて、泥臭い青春の時代の夢だ。
若干の熱を感じたまま、俺はむくりと起き上がる。ああ、あんな夢を見るだけで未だに血がたぎるとは、俺もまだまだ抜けきってない部分があるらしい。
焼鳥屋で働いて10年、店を持って三年ほど。そろそろあの時分の気分も抜けきるかと思っていたのだが、どうやらかなり根深いとみた。
「もう三十路だってのに十代の気分が抜け切らねえとは、俺もしょうがない奴だなあ」
と、一人苦笑。
しかし、思い出に浸るのもここまで。
朝日はとうの昔に昇り、下からは香ばしい香りと火花散る音が伝わってくる。
今日も今日とて、仕事が始まろうとしている。朝の仕込みに夜の営業、やることはたんまりさ。
「だが、これが今の俺の全てだしな」
うん、と伸びをして、思い切り顔をひっぱたく。所謂気合いの注入という奴だ。こいつをしなきゃ、締まらんものがあるというものさ。
そして過去に浸る時間は終わる。
扉を開けば、未来に奮闘する今日が待っていた。
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