第15話 不器用な男
「ん、だいぶ店長って様になってきた」
彼はカウンターに腰掛けて、しみじみと店を見回すと、俺の焼いた焼き鳥を食べる。ん、ん、ん、と繰り返し、一口で食べてしまえば、
「ん、焼き鳥も、美味い」
と言って、笑顔を見せる。
「上達してるな、また」
「そうかぁ? 中々、俺にはわからねえよ」
「いーや、上達してるさ、正真」
相変わらずの不器用な笑みを、彼は、焼き鳥の師匠であり、前店主であり、そして俺の養父のおやっさんは、久しぶりに見せた。幾分かぶりに見るその笑みに、どこか俺は安堵感を覚える。なんでだろうな、本当に。
「ん、ここで、こうして客と向かい合っているわけか。色々あったらしいが、どうだ?」
「毎日が大変だよ。いろんな客がくるし、時々嫌になることだってある」
思い出せば、溜息が漏れる。本当に、店長を継いでから、いろんなことがこの店で起こった。時には警察沙汰になったり、俺の心が折れそうになったりもした。それでも、なんとかこうして店をやってこれていた。
「これからも、そういうのが続くんだろうなぁ」
笑みが、こぼれる。
思えば思うほど、笑みがこぼれる。
「……ん」
おやっさんは、お猪口の日本酒をぐいっと一息に飲むと、新たに酒を注ぎ、俺に差し出す。俺は下戸だからと言っても、差し出す手を引っ込めてはくれない。
「ん」
何を言っても、どう断っても、彼はそれしか言わないので、俺はその酒を拒むことは、もうできやしなかった。覚悟を決めて飲んでみれば、体が芯から熱くなる。燃えるような熱さ。少しぐらっとして倒れそうにもなるが、そこまで俺の体はやわじゃない。
「ん、相変わらずだな、お前は」
「相変わらずじゃないっすよ、おやっさん……」
回る頭を抑えて、なんとかその場に踏み止まる。流石に一杯でこれとは情けないものがある。
「俺ってば、本当に酒飲めないんだなぁ……」
「ん、まぁ飲んじまったものはしゃあないぞ」
「飲ませたのはあんただろうが……」
「ん、すまん」
あまりにも軽い謝罪。これほど悪びれもしない謝罪は、これまでにあっただろうか、いやない。
……しかしながら、こうしておやっさんのペースにのせられるのも、幾分か久しぶりで懐かしい。
団欒の時間は、穏やかに過ぎていく。
「ん、なんていうかな。こうして酒飲んで、焼き鳥食って、それで幸せに浸れるなら、それを俺たちは続けていきたいんだよな」
二杯、三杯と酒を飲み、だいぶ顔も赤みを帯びてきたおやっさんは言う。言葉の節々に、思いというか、意志というか、そんなものが含まれている気がした。
その意志を、俺は継げているだろうか。おやっさんの願いを、受け継いでいけているのだろうか。
……俺にはわからない。俺のやりたいように、やっているから。
でも、
「なぁ、おやっさん」
俺は、言う。
「俺は、本当にこの店に拾われて、良かったよ」
今でも、覚えている。
誰も信用できず、ボロボロに打ちひしがれて、一人うずくまった時に差し伸べられた手。雨ざらしの中、たった一人だけ、俺を見つけてくれた人。
「ん、ここは俺の店の前だぞ?」
あのときのぶっきらぼうな言葉は、今と少しも変わっちゃいない。
思い出せば思い出すほど、それは始まりの記憶として蘇る。
「ん、でも初めはおまえ、結構反抗していたよな」
「そりゃ、反抗するっての。いきなり手を引いて中に入れるんだから、何されるかわかったもんじゃなかったんだよ」
まぁ、それから行き着いた先がここ、というわけなんだが。行き着くも行き着いたり、ってところか。
本当に行き着いちまったのかな。
脂がはじけて滴る焼き鳥を手にとって、一串口に頬張る。ああ、うめぇ。自分が焼いたものだけれど、こいつぁ、
「うめぇなぁ……」
「ん、そうか。自分で作ったものがうまいか」
「ああ。……でも、まだまだなんだよなぁ」
あの、味に辿り着くのは。あの日に食べた、脂が滴り、香りを嗅いだだけでも涎が止まらないような、あの焼き鳥。あれには到底、及ばない。
もう一度、あんなものを食ってみたい。
「ん、じゃ、まだまだ道は長いな」
そう言うとおもむろにおやっさんの無骨な手が俺の頭に伸びて、そして撫でる。
ぐしゃぐしゃ、ぐしゃぐしゃと。
「ん、お前はまだまだいける。俺の辿り着かないところまで、な」
その笑顔はやはりどこか不器用で、けれどどこか嬉しそうで。
だから俺も嬉しくなって、
「……行ってみせるさ、必ず」
何て格好をつけて、笑みを返す。
人のことを言えないような、不器用な笑みを。
そうして夜は更けていく。また明日へと歩き出すために。
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