第11話 正義漢

驚いた。というか、驚くしかなかった。ガラリと開け放たれた戸の先に、傷だらけの旧友がいたから。

ようと言ってみせてはいるが、頭からはおびただしい血を流している。俺は慌てて肩を貸し、その旧友を奥の方まで連れて行く。もう店を閉めたあとだったのが幸いだった。

体重がのしかかるので意外と重い。それに肩を貸した瞬間力が抜けてしまったのか、足は思うように動いていないようにもみえた。

「ちょっとここに来たから、焼き鳥を食いたくなった」

その台詞には、少々の強がりが感じられた。だがその強がりも次の瞬間に意識を失くしたせいで台無しだ。

溜息を一つついて、奥の座敷に寝転がせた。当然そこにいた嫁さんも目を見開き、口をパクパクさせる。

細かいことは今はいいから、と二人がかりで手当を施す。しかし俺の手当は雑すぎたのか、嫁さんからいらない物扱いされたのは内緒だ。

取り敢えず、嫁さんはこういうことは得意だから、心配する必要はねぇだろ。そんな考えもあって、俺は別の部屋で少しの休憩をとった。

それにしても、久しぶりな男が現れたものだ。あんな現れ方はちょっと予想外ではあったが。

「連」、それが彼の名前だった。


その男は妙に正義感と、それに連なる感情が強いやつだった。

曲がったことは許さず、汚いことはこの手をもって叩き潰す、と言えばいいのだろうか。だからこそジャーナリストなんて仕事もしているのだろう。

だが行き過ぎな面もあり、はた迷惑なことも毎度のように起こす奴でもあった。ただ、それのおかげで救われた奴も少なくはない。

久々に連との思い出を振り返ってみるが、怒鳴られた記憶ばかりがよみがえる。昔の俺は馬鹿ばかりしていたからなぁ。自業自得な面もある。なんだかんだ俺を思って言っていたのだろうし、そのせいで大怪我だってしたこともある。だから、俺はこいつに頭が上がらない。

傷だらけで現れるのは困るけどな……。

「はぁー、終わったよ手当」

嫁さんが少々息が上がった様子で出てきた。手間取ったのだろうか。俺はお疲れ代わりの茶を淹れた。

「これはこれは、あんたも気がきくところがあるじゃん」

「軽口叩くんじゃねえよ」

嫁さんはにししと笑って、その茶をくいっと飲み干した。女には勿体無い飲みっぷりだった。

「で、あいつどうだったよ?」

「一応血は結構出てたけど、問題はなさそうだった。でもやっぱり病院に連れて行った方がいいわね」

「そうか……」

命に別状はないのは一安心したが、そもそも何故あんな傷だらけになっていたのだろうか。あいつは意外と喧嘩もやれるはずだ。第一俺と結構やり合った男なのでそう簡単に傷も負うはずがないはず。

「手当の時何か言ってたりしたか?」

「気を失ってるんだから、何も言ったもんじゃないわよ」

もーと言いながら、嫁さんは2杯目の茶を自分で淹れる。

結局詳しいことは連の目が覚めてから聞くしかないようだ。嘆息して頬杖をつく。

今日ももう遅い。俺たちも早く寝なければ明日起きれるかどうかわからない。店の掃除だけして、その日は床につくことにした。


起きたのは7時ごろだった。度々目に入る日光は目に刺してくるような眩しさだった。

くあっとあくびをかいて、連が寝ているはずの座敷へと出向く。しかし、そこは既にもぬけの殻だった。きちんと布団がたたんであるところ、連が起きたのは間違いなかった。

他の部屋をぐるりと回ってみたが、やはり姿はない。台所で朝飯を作っていた嫁さんに言わせれば、嫁さんが起きてた時はまだ眠っていたらしい。

全く、どこに行ったのだろう。

呆れつつも隣の店があるところへ行く。

どうして、ここに連はいた。相変わらずの清潔感のある短髪に、血濡れた包帯を巻いていた。

「よぉ、正真。迷惑かけたな」

「迷惑かけたじゃないっすよ、連さん」

崩れた敬語は相変わらずだなと懐かしそうに笑うと、カウンター席に座った。つられるように俺も向かいの調理場に立つ。

「中々立派に店主をこなしているそうじゃないか」

「別にんなことないっすよ。まだまだ色んな人の手を借りてやってるっすから」

「謙遜はするもんじゃないぞ、店主」

堂々としすぎるのもよくないと思うっすけど。つい口から漏れそうになった言葉を、俺は喉に飲み込んだ。この人は堂々といることしかできない人間だから、言っても無駄だだろう。

久し振りの旧友との会話は、思いの外弾んだ。彼はジャーナリストとという職業柄、色んなところを見て回っている。だからか彼の話は本当にジャンルが幅広く、聞いてて飽きないものがある。それに話している姿が本当に楽しそうなもんだから引き込まれてしまうのかもしれなかった。

話すこと三十分ほど、そこでようやく彼は、昨日のことを謝った。

「謝るのが遅くなってしまった、すまない」

手をカウンターの上について、文字通り頭を下げる。どこからどこまで律儀な謝り方だった。

「べ、別に気にしてはいないっすよ。……それに、謝るんだったら昨日何があったのか教えてください。それでチャラにしますから」

「……お前は変わらないな」

観念したように頭を上げた。

できれば喋りたくなかったんだがな、そんな言葉と共に差し出されたのは一枚の写真と、スマホの録音だった。

写真には二人の黒づくめの男が二人、何か取引している様子が映し出されており、スマホの録音機能にはその時の様子が録音されていた。

「この街で横行している、麻薬取引の現場さ」

「……随分危ないもんを持っているな」

「まぁな」

ふっと笑って、その二つを懐にしまった。目は座ったままだった。

「怪我したのもそのせいだって言うんだろうな」

「……あれは不覚だった」

連が言うには、その二つの証拠をめぐって逃走劇を繰り広げていたそうだ。頭の怪我は、鉄パイプの殴打を喰らった時のものらしい。それでもなんとか逃げ切り、ここに辿り着いたのだという。

まったく、相変わらずの大層なことに巻き込まれてるもんだよ。

そんなことを思いつつも、折角来てもらった連のために焼いた焼き鳥を出す。

「いい加減危ないことしないでくださいっすよ。もう三十路も超えたというのに……」

かたりと置かれた焼き鳥を前にして、連は手を伸ばそうとしない。代わりに、その実直すぎる目を向けて熱がこもった言葉を静かに語りかけた。

「……この俺が悪事を野放しにできるか?」

その視線は昔、何度も向けられたものまったく変わるところがなかった。どんなに身を傷つけられてもまったく揺らぎもしない。悪を倒す、そんな覚悟が、決意が今も変わらずそこにある。

それがなんだか懐かしくて、諦めの笑みを浮かべるしかなった。この男を曲げるのは不可能に近いらしい。

あんたも、全然変わらないな。

「あんたがそうなのは、昔から知ってますよ。取り敢えずそれ、食べてくださいっす」

「……ありがとう」

連もようやく強張った表情を解いて、焼き鳥を口に頬張る。やはり旨いな、と言ったあとは一心不乱に焼き鳥にがっついていた。そういえば昨日は逃走劇のせいで、ロクに飯を食っていないらしい。俺はまたもう何本か網の上に焼き鳥を置く。

じゅっと脂の弾ける音が次第に大きくなっていった。


「もう行くのか」

連はうなずいて答えた。

「早くこの情報を流さないといけないからな。悪事は早めに潰さないと」

ふっと笑うと、俺たちの店に顔を向ける。

「……いい店だ、本当に」

感慨深そうに、彼は言った。

「お前の焼き鳥は十分美味かった。これからもやっていけるだろう」

「やっていけなきゃ破産しますわ」

「そうだな」

洒落にならない冗談で、二人して大笑いを上げた。ああ、こういうのもたまには楽しいようだ。

「それじゃあ、俺はもう行く。また焼き鳥をご馳走してくれよ、じゃあな」

そう言って、旧友は大きな背を向けて朝日の向こうへと歩みだす。相変わらずの正義を胸に込めて。

その背中が見えなくなるまで、俺はそこに佇んでいた。

「どこまでも正義を貫けよ、正義漢」

そんなちょっとしたエールを込めて。


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