第10話 夏一番の風鈴
ちりんと響く風鈴ひとつ、風に揺られて気持ちよく。
初夏の風が、みずみずしい夏の香りを乾いた店の中に誘う。
近くにある時計塔では、8時を少し過ぎたところに針が指している。そして広がるのは日の光に包まれたいつもの街並み。今日も朝が来たんだと、ここでやっと実感する。
「あ、おはよう。起きてたんだ」
と、少しだけ寝癖のついたショートヘアーをかまっている嫁さん。エプロンを着けていることと、少しだけ香る味噌汁の匂いから朝飯を作っていたとわかる。
「おう、おはよう」
嫁さんは朝ご飯を用意したから、ともう食べろと促す。俺は頷いて、居間の方へと足を向けた。
二人が使うには少しだけ大きめのテーブル。そこには嫁さん自慢の味噌汁と艶やかに輝く白い飯、そして焼き魚とお新香が並んでいた。いつも思うが、よくここまで手間をかけれるもんだ。
嫁さんと向かい合って座ると、いただきますと恒例儀式のような挨拶を。そして、口に運ばれていく数々の料理。はっきり言うと、嫁さんの料理は美味い。下手したら、俺の作る焼き鳥以上なのかもしれない。もしも、これを店で出されてしまったなら俺の焼き鳥は商売上がったりになってしまいそうだ。
正直、これは悔しいんだよなぁ…。
と意気消沈してると嫁さんが、
「それにしても、居間に顔も出さないで店の方にいるなんて、どうしたのよ?」
と不思議そうに聞いてくる。
あー……と、少しだけ言葉を濁す。別にやましいことをしてたわけじゃないが、言うとなるとどうも難しい。
どうしようかなと返答に困っていると、別に困ることないでしょと嫁さんは詰め寄ってくる。
「う……ん、これといったわけじゃないんだけどさ…」
と、店の方に目を向ける。
「なによ」
答えという答えをださない俺に、少しだけ苛立っている。
「あれだよ、あれ」
店の方に指を指す。
「? 店がどうかしたの?」
「いや違うって!」
「でも指を指してるのは店でしょ?」
「確かにそうだけどさぁ…」
嫁さんは昔から察しが悪い。元々、はっきし言えを地で通ってる女だったから、しゃあないといえばしゃあないのか?
兎も角、これじゃわかってくれなさそうだ。面倒くさい。
「……風鈴」
諦めて、答えを言った。言ってからちくりと棘が刺さった気分になった。
対して、嫁さんはキョトンとした面持ちをしていた。が、すぐに何かに気づいたかのようにハッとする。
「……そっか」
その表情は何かを懐かしむような笑顔だった。少し気恥ずかしくなって、そっぽを向く。
「もう夏だもんねぇ」
「夏だもんな…」
「……ふふっ」
「ん……」
未だ食べかけのご飯を残して、何も言わずに席を立つ。そんな俺を怒りもせずにニヤニヤとして俺を見てくる嫁さんが、どうにもうざったくてしょうがない。
気が狂いそうだ、恥ずかしくて。
夏風が相変わらず風鈴を揺らしている。ちりんちりんと涼しげな音を聞いていると、あいつのことを思い出す。
夏と水色とひまわりが、よく似合ったあいつのこと。
この風鈴も、あいつから貰ったものだった。あいつ曰く「結晶」として、だっけか。中々女の子らしいといえば、らしい。
「思い出を少しでも形として…かぁ」
ひとりでに呟く。なんとなく分かるような、分からないような。
「それ、実は私も持っているんだよねー」
振り返ると、つらしてある風鈴と同じ風鈴を持つ嫁さんが立っていた。
「私も、中学の頃貰ったんだよ。あんたには黙っていたけどさ」
「そうなんだ」
そういえば、嫁さんはあいつの一番の親友だっけか。貰っててもおかしくはない。それに、あいつと再会できたのは案外嫁さんのおかげだった。
本当に好きなんだなぁ。
嫁さんが俺の吊るした風鈴の隣にそれを吊るすのを見て、そう思った。途中、なにジロジロ見てんのさと言われたが、そこはあえてスルーした。
吊りし終わった風鈴は、隣のやつと一緒にちりん、ちりん、ちりん、と音を奏でる。が、これが少し耳にくる。
「……ちぃとうるさいな」
「うーん…確かに」
二人揃って苦笑する。風流を楽しむなら、風鈴はひとつで充分らしい。それでも俺たちは取る気にはなれなかった。
『ねぇねぇ! 風鈴だよ! 風鈴!』
「この風鈴ぐらいうるさかったな」
「そうだねぇ……」
あいつの声が、脳内でありありと再生されてくる。無駄に元気でか弱くて、それでも笑顔だったあいつ。
そんなあいつは、もういない。
「仕込み、まだ全然やっていねえな」
机の上には仕込みのしの字も出てない状況だった。
「それがどうしたのよ、急に」
本当にこいつは察しが悪い。まあ、別に嫌いじゃあない。
「墓参り、行こうって言ってんだよ」
それを聞いて、
「あ、成る程」
と嫁さんは手を叩いた。
「でも、店はいいの?」
「最近休みとかなかったろ。まだ仕込みもしてねえし、今日はいいさ。それに息抜きも必要だろ?」
「墓参りが息抜き、ね。不謹慎じゃないの」
「不謹慎結構。それに半年に一度だけ行くんじゃ可哀想だ」
「後付けだ」
「構わねえよ」
「ま、いいわ。準備してくるわ」
「おう」
嫁さんの後ろ姿を見送ると、優しく吹いた夏風があの騒がしい風鈴の音色を奏でさせる。
「ほんと、うるせぇな」
そのうるささが耳障りで好きなんだ。あいつの声が聞こえるようで。
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