第9話 煙草

俺の中にある記憶では、親父はいつも煙草を吹かしていた。

子供の頃は、よく授業とかで煙草がどんなに体を悪くするかというのを教え込まれたものだった。だから俺は親父に煙草はあまりよくないって言っていた。それでも親父はやめようとはしない。これはもう、やめられないんだっていつも言っていた。

今考えてみれば、たしかにそうかもしれない。親父は刑事をやっていたから。きっと胸糞悪い事件や、やりきれないことも多かったのだろう。だから一切を忘れるために煙草に走っていたのかもしれない。

そんな親父は俺が中二になった頃、とある事件で殉職した。


炎天下が照りつけているなか、俺はちょっとした山道を歩いていた。たまに木陰があるのでそこで涼んだりしながら、はや一時間。目的地まではそう遠くない。

噴き出した汗をタオルで拭う。今日は本当に暑い日だった。

「こんな日に来るんじゃなかったかなぁ…」

あまりの暑さに弱気な言葉が溢れる。けれど、今日じゃないとダメだ。今日じゃないと…。

疲れた足を奮い立たせて足場が悪い道を歩く。そして、山道を抜けると、広がるのは百以上の数はあるだろうという墓。夜に来れば幽霊の一人や二人は出てきてもおかしくはなさそうな墓場だ。

そんな墓の一つに、親父は今も眠っている。

足は自然と親父の墓がある方へ向かう。もう何度も来ているんだ、体が位置を覚えている。他人の墓を荒らさないようにして歩くこと数分、こじんまりとした親父の墓がそこに建っていた。

今日は親父の命日だった。

俺が来た時、親父の墓の線香や花は新しく添えられていた。誰かが俺より先に来たのだろうか。折角持ってきた線香も花も、これでは用無しのような感じだった。取り敢えず花だけは無理やり添えておく。多くてもまあいいだろう、そんな軽い気持ちで。

墓に水をかけて清める。手入れされてない墓には雑草が生えているので手際よく抜いて、そうしてやっと一息ついた。

墓前にしゃがんで手を合わせ、静かに目を閉じる。夏の焼くような熱気を、その身に感じていた。



散歩がてら親父とコンビニに行ったときのことを思い出す。多分、それが俺と親父が一緒にいた最後の記憶。

夜といっても暑いもんだった。辟易としながら、一緒に夜道を歩く。相変わらず、親父は煙草を吹かしていた。

「ほんっと、ヘビースモーカーだな」

この頃は俺も生意気言う年頃になっていた。中二なんだし。

「明日から大きなヤマなんだ。吹かしていないとやってられんさ」

親父は仕方がないだろというような言葉で返す。ヘビースモーカーというのは認めているらしい。

親父は煙い息を吐いた。その息は空へ上って消えていく。

「臭いなぁ」

「それが煙草だよ。お前もいつかわかるようになるさ」

そう言って、親父は俺の頭をワシャワシャと撫でる。ちょっと力が強くて頭がぐらりとする。

「やめろよ!」

俺は親父の手を払いのける。正直もう撫でられても嬉しくはない。子供扱いされるのが本当に嫌だった。

親父は目を丸くしてその手を止めた。

「俺はもう子供じゃねえんだから、そういうことやめろよ!」

ちょっと言葉がキツかったのかもしれない。親父の顔が少しだけ悲しみを帯びていた気がした。でも俺はそれを見て見ないふりをして、そっぽを向いた。

その後は無言で歩いた。何故だか、なんとなく気まずくなっていた。親父は叱ることもせず、俺の隣にいる。沈黙が痛かった。

なんか話をしようと思ったけど、俺はどうにも言葉がでなかった。そもそもこの沈黙の原因の殆どは俺にある。だからどう話しかけていいのか、わからなかった。

そんな風に悩んでいた時、

「…大きくなったんだなぁ」

唐突に、親父はそう呟いた。俺はつい親父の方を向いた。煙草を咥えたまま、目だけは俺を見ている。感慨深そうな目をしていた。

「きゅ、急になんだよ」

「いーやぁ、俺にもわかんねえなぁ」

「はぁ……?」

その時の俺は相当呆れた目をしていたと思う。たびたび変な人間だと思っていた親父が、この時は本当に変に思えた。

そんな心境もつゆ知らず、親父は俺を見て感慨深そうに笑みを浮かべて煙草を吹かした。


……。

かシュッとライターに火をつけて、口に咥えた煙草につける。先が焼けてきたのを確認すると、ライターを消した。

初めての煙草はどうも煙臭くて、咳込みそうになった。でも、ここはどうしても格好つけたかった。親父の前では格好つけたかった。

今でも記憶に残っている親父の姿を思い出しながら、フゥ〜と息を吐いた。白煙が俺の口から吐き出され、あの日と同じように空に昇っていった。

「結局一緒に吹けなかったな、親父」

独り言だ。誰も聞いてるはずがない、独り言だ。でも話しかけるようにして言ってみる。

「俺、もう煙草が吹かせる年齢になったんだ。そう、二十歳。はえーだろ。本当にはえーよ」

吸い殻をしっかりと持ってきたポケット灰皿に落とす。そしてもう一度吹かす。

「親父が死んでから、俺がどんだけ子供だったかっていうのを嫌でも思い知らされたよ。親父に叱られそうなことだって何度もやったさ。でも、俺は後悔はしていない。だって、それがあったから俺はここに立っている……から…さ」

ちょっとだけ前が霞む。生暖かいもんが頬を伝うのを感じる。

「……ははっ。泣いちゃいねえよ。泣いちゃ……いねえ。もう泣くことなんてねえ…よ」

声に嗚咽が混じってくる。

もう煙草が尽きかけていた。

「煙草って……美味いなぁ。…でも…俺はもう吹かさないぜ。これは…今日のは手向けだ…手向けのために俺は吹かしただけだ」

短くなった煙草の火を自分の手の甲ですり消した。熱かった。痛かった。

目をゴシゴシと擦って俺はもう一度墓に向き直った。親父が立っているかもしれないと思ったが、そんなわけはなかった。

「俺さ、今焼き鳥屋の見習いしてんだ。だからさ、次に来る時は俺が焼鳥を持ってきてやる。」

そう言って俺は拳を突き出した。何にも当たっていないはずなのに、硬くて、そして暖かい何かに触れた気がした。

いるのかいないのかはっきししてくれよ、バカ親父。

「今日はあんたの好きな物で手向けをしたが、次は俺の好きな物で手向けをしてやる。だから、」


これだけは言ってやる。


「その時まで、あばよ親父」

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