三人の翼人 第13話
立ち尽くしているケリーの前に、カスケードがゆっくりと近づいてきた。
ケリーの足は、まるで地面に吸い付いているかのように動かない。一歩一歩近づいてくる、カスケードの草の葉を踏みしめる音が耳につく。
「新たなオルレカの誕生を、今は素直に喜ぶとしようか?」
ケリーは、カスケードが何か自分に話しかけてきたのはわかったが、内容はさっぱりだった。困ったような、悲しいような顔でケリーがカスケードを見上げると、彼は─ああ─と呟いた。
そして自らの唇を指差した後、ケリーの唇へその指を軽く当て、もう一度自分の唇を指した。
「ゆっくり話すから。ここを見ろ。オルレカ。おめでとう。フィデリオが、見立てた、その衣装が、とても、よく似合う」
(ああ! わかる。わかるよ。えっと、えっと。あなたの真似を、えっと。真似。)
ケリーは嬉しくて仕様がなかった。手振り身振りで喜びを表す。
何せ、筆談しなくてもカスケード言いたいことが理解できるのだから。ただし、自分の気持ちは上手くいかない。急いて言葉が何度も詰まり、えっとえっとを繰り返すばかりである。
ケリーのそんな姿がいじらしくて、カスケードのいつもの皮肉も影を潜める。
急いてばかりで上手く言えないケリーの唇に指を押し当てて、カスケードは優しく制止した。
「ゆっくりだ。そう、ゆっくりと。読唇術だよ。練習したらもう少し早く会話が出来るようになる」
カスケードはそれだけ言ってケリーの傍を離れた。するとケリーは慌ててカスケードの前に立ちはだかる。
両手を広げて彼の行く手を阻み、名前を教えて欲しいと懇願した。
今、目の前に憧れの人物がいるのだ。知りたかった名前。
カスケードの表情が突然曇り、見つめ返していた視線を僅かに横へずらした。
「カスケード=ニウだ」
ぶっきらぼうに名乗ると、ケリーの横をすり抜けるようにして通り過ぎていく。
(カスケード。カスケード。カスケード。)
ケリーは覚えたての単語のように、カスケードの名前を繰り返した。そして、なぜだか慌てて顔を上げると、数歩歩いた先でカスケードが立ち止まっていた。
彼は振り返り。
「狂乱は静かにやってくる。お前にも。俺にも」
視線を落とし、そう呟いた。
習いたての読唇術で、ケリーは辛うじてその言葉を拾うことが出来たが、それが何を意味するのかまでは理解することは出来なかった。
何がやってくるのか。
それ、とは何なのか。
なぜ、ケリーにもカスケードにも、それ─が訪れるのか。
ケリーは呆けた顔でカスケードを見つめた。
カスケードはそれだけ言うと、踵を返し歩き出した。
今の彼は、ケリーの良く知る異国の衣装ではなかったが、ドレープの多いガーデンの衣装でも所作の優雅さは相変わらずで、“それ”の意味を訊くことも忘れ、ケリーはぼんやりとカスケードの背中を眺めていた。
草原の中を颯爽と歩くその姿は凛々しく優雅で、ケリーの心の中にカスケードの存在が染み渡っていく。
月の光がじんわりと沁み込んでくるような、柔らかな早さでカスケードはケリーの心を支配していった。
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