三人の翼人 第2話
雪解け水が、屋敷の池に流れ込み出す春。
寒い冬の間、フィデリオがどこにも出かけず、自分の傍らにいてくれたことをケリーは心の底から喜んだ。
ケリーの他愛のない話にも耳を傾け、声を上げ、笑い、そして慈しむように──事あるごとに抱き締めてくれる。
サムの変わらない説教。ルードの作る美味しいスープ。
ケリーは幸せだった……。
屋敷の中に、ケリーの姿がどこにも見当たらなかった。
フィデリオは屋敷を出て、湖へと足を伸ばす。春になると芝桜が一面に咲く場所が、そこにあった。そして───ケリーのお気に入りの場所でもある。
ピンクや白の小さな花々に埋まるようにして、眠るケリーを見つけるのは骨が折れたが、その分、みつけた時の安堵感や愛しさは格別だった。
丘の上から芝桜の絨毯を見渡した。
湖から流れてくる爽やかな風に吹かれながら、花畑の中でケリーはぼんやりと空を眺めていた。フィデリオはそっと近づき、傍らに腰を下ろす。
「空になにか珍しいものでもあるのかい?」
ケリーは、う〜んと気のないような生返事を返し、
「勉強をしろとか、行儀良くしろとか……フィデリオが言わなくなったなあって」
その分サムがうるさいけどね、と舌を出して笑う。
「サムはうちの小姑だから」
とフィデリオも、ケリーを真似て舌を出し、笑った。
蜜蜂がね──そう言うと、ケリーの表情が少し沈んだ。
「一生懸命に蜜を集めているのを見て……思ったんだ。ぼくは、このまま何もしないで──サムやルードに食べさせてもらうのかなって。──屋敷から出ることもなく…」
フィデルリオは、ケリーの唇に指を優しく宛がって、──ケリーはここが嫌いかい?──と訊いた。
ケリーはふるふると首を振って、好きだよと答えた。
「俺の傍は嫌いかい?」
フィデリオの思いがけない言葉に、ケリーは跳ね上げるように面を上げ、そして、ふいと俯いた。フィデリオが酷く悲しげな顔を見せていたからだ。
「ぼくの今の質問は───フィデリオを困らせた?」
ケリーは、俯いたままフィデリオの手を握り締めた。
困らせたくて言ったんじゃない、と呟く。
「少しだけ……ここから出てみたいって───思っただけ。外の人の声が、とても楽しそうだったから」
フィデリオは、ケリーの手を握り返し、軽く溜息を吐いた後、
「いずれケリーはこの屋敷を自由に出入りできる日がくるよ。ただ──時期が決まっていて、それはもう少し先のことなんだ」
「もう少し待てば、出られる?」
ああ、とフィデリオは大仰に答えた。
まだ幼いケリーは、それだけで表情を明るくさせる。屈託なく手を繋ぎ、指を絡ませる。あどけない少年は、いずれやって来る自由を夢見て──幸せそうな笑みを零した。
簡単な手荷物を抱え、フィデリオは荷台へ大きな鞄を乗せた。執事へ出発の指示を出した後、座り込んだまま一向に顔を向けないケリーに視線を寄越し、声を掛けてみたが拗ねた少年はぴくりともしない。
ケリーの頭に、優しく手を乗せ、出発の挨拶をした。ケリーは、ぷいと横を向いて何も答えない。フォデリオは苦笑しながら、呆れ顔のサムとルードに、ケリーを頼むと言い残して馬車へと乗り込んだ。
時折見せる、ケリーのわがままである。
いつもは笑って済まされることが、今回ばかりは様子が違うようだ。重苦しい空気が辺りを包む。
サムは、これ見よがしに大きな溜息を吐いて屋敷の中へ入っていく。
べえ、とサムの背中に舌を出すケリー。
「ケリーさま。今、何月か覚えておいでですか?」
可笑しなことを訊くものだと、ケリーは思いながら、
「
「そうですね」
ルードは、しゃがみ込んでいるケリーを立たせた。
向き合い、
「
ルードのその真剣な眼差しとは対照的に、ケリーは小首を傾げ、オルレカという言葉を、どこか他人事のように聞いていた。
胸の内を支配するのは“ガーデン”へ自分も行けるということだけである。
フィデリオは通うガーデン。
そこには何があるのか───。思いを馳せる。
ルードから視線を逸らし、先ほど馬車が駆けて行った石畳の道を見つめた。
この道の先にあるガーデンへ、自分も行けるのだ────。|
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