三人の翼人 第1話
ごとごとと揺れる馬車の中はすこぶる居心地が悪い。しかし、その居心地の悪さは、何も悪路のせいばかりではなかった。
死を司る神・パンディオンから、ケリーにオルレカとしての任を与えるという正式な命が下ったのだ。時期が早いとフィデリオは食い下がってみたが、無駄だった。
ケリーはまだ幼すぎる……。
フィデリオの脳裏に、前任のオルレカの姿がよぎった。
彼はとても物静かで、聡明で。そして愛情深かった。それ故に訪れた悲しい出来事を、フィデリオは忘れられなかった。
彼を育てたのは、フィデリオとは反りの合わないカスケードだったが、オルレカとは良い友人として付き合っていた。
ケリーを彼と同じ目には合わせたくない。その為には、まだ時間が必要なのだ。
神々の言う“オルレカの存在の普遍性”など。これまでのオルレカの歴史を重んじて鑑みれば、おのずと解かりそうなものだった。
フィデリオはせせら笑う。
「ああ。だから歴史は繰り返されるわけだ」
車窓から見える、寒々しい風景が懐かしい景色へと変わる。
屋敷へと続く森を抜け、湖面にうっすらと氷を張った湖を眼下に眺めながら、馬車は走り続けた。
小さな丘を越えると、フィデリオの屋敷が姿を現した。
フィデリオの到着が告げられると、邸内は俄かに活気づいた。誰もが彼の帰りを待ちわびていたのだ。とりわけ賑やかなのがケリーである。あれほどサムに小言を言われておきながら、誰よりも先に屋敷を飛び出し、フィデリオの元へと駆け寄っていく。
「フィデリオ!」
御者に何やら指示をしているフィデリオの背中に、勢い良く飛びついた。予測していたのか、フィデリオはよろめきもせず、御者に指示を出し続け(もちろん、その間もケリーは背中に張り付いたままである)馬車が車庫へと移動する様子までも見届けた。
「フィデリオ! おかえりったら!」
相手にされなかったからか、ケリーはフィデリオの首に腕を巻きつけ、締め上げた。
「ケ、ケリー。苦しいよ。放しなさい」
は〜いと素直に従い、ケリーはフィデリオの背中から下りた。
フィデリオはケリーに向き直ると、改めて、ただいま、と告げた。
ケリーが少し照れ臭そうに笑う。
「おかえり、フィデリオ。ガーデンはどうだった?」
「おや? 今日はいやにおとなしいね。いつもの元気はどこいったんだい? さっきの抱きつきで終わりなのかな。──ケリー?」
フィデリオは、おいでと言わんばかりに両手を広げた。
ケリーが視線を後ろへと動かす。その視線の先にはサムがいた。サムの目が、──駄目です、と言っている。ケリーはしばらくサムと睨み合っていたが、やはりおとなしくしているのは性に合わないらしく、
「終わりじゃない!」
結局、フォデリオの胸に飛びついた。
フィデリオの腕に抱き締められると安心するのだ。例え、背後からサムの溜息が聞こえてきても、こればっかりはやめられない。
「あっちでルードの手伝いをしてくる」
ケリーは、それはもう嬉しそうに屋敷へと戻っていく。その去り際に、サムへ舌を見せ、
「ぼくの勝ち」と喧嘩を売った。
歯軋りするサムを、見かねたフィデリオが宥める。
「サ〜ム。構わないじゃないか。俺はなんとも思わないんだから」
「フィデリオさま! いつまでもそんなことを仰っていると、大変なことになりますよ? ケリーさまは、いずれオルレカとなられる方じゃありませんか。いつまでも、あのような子供染みた真似ばかりされていては、いざガーデンへ上がられる時に恥をかいてしまいます」
「知っているのかい? ケリーがガーデンに上がる日のことを」
サムは咄嗟に視線を逸らした。それでは、知っていますと言っているようなものだった。
「ケリーは?」
「ケリーさまはご存知ではありません。私とルードだけです」
「ケリーには、まだ話すつもりはないからね。それに、俺としては時期が早いとガーデンには進言するつもりなんだよ。だから──俺が指示するまでは、ケリーは今のままで構わない。サムの気持ちは本当にありがたいと思うんだけどね」
一呼吸置いて、フィデリオは笑顔を見せた。少し辛そうに見えるその笑顔に、
「そのように致します」とサムは頭を垂れた。
再度、進言したとしても、それが受理されようはずもないのは、サムも承知していた。ガーデンから命を受けたのであれば、そこにどんな理由があろうとも、従うほかないのだ。
「それにしても、春は未だ遠くってやつだねぇ。ここら辺りは雪が少ないが、戻ってくる途中の村々は真っ白に染まっていたよ」
「そうでしたか。それではルードの作った温かいスープでも飲んで、温まっていただかなくてはいけませんわね」
そう言って笑顔を見せるサムの鼻が、冷気で赤くなっていた。フィデリオはサムの赤鼻を指で撫で、彼女の小さな身体をコートの中に包み込んでやる。
屋敷へと歩き出した二人の足元で、さくさくと霜柱が音を立てた。
屋敷の中からは、ケリーの嬉々とした笑い声が聞こえてくる。
フィデリオの胸は、焼けるように─────痛んだ。
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