GURDEN-箱庭ー

ゆずる

プロローグ

 そこはけして太陽が翳ることもなく、木々の葉はざわざわと風になびき、芳しい香りを放つ花々は、四季折々に咲き乱れていた。

 世界を支える大樹の根元に四人の神々が住み、祝福を受けた花の精と思しき人々が平和に暮らしていた。

 四人の神々には、フィデリオ=グラジオ、カスケード=ニウという翼人が仕えていた。そしてもう一人。

 特別な任務のために花々の中から選出される“オルレカ”と呼ばれる翼人がいた。彼はその努めの特殊さから短命だった。

 前任のオルレカが消失してから、一年が過ぎようとしていた。“生”を司る神・オステオスの命により、新たなオルレカ誕生の為、二人の翼人は世界を見て回った。そして選ばれたのは、フィデリオが持ち帰った一株の花だった。

「その地にたった一本だけ存在していた花でした。凛と立つその姿に、私の心は打たれたのです。孤高の中にあってさらに気高いこの花の美しさに、誰も幸福を信じてやまないことでしょう」

 フィデリオはオステオスの前に跪き、言った。

 オステオスがゆっくりと口を開き、花の名を訊ねた。

 フィデリオは顔を上げ、満面の笑みを浮かべ、

「スプレケリア……といいます」

「そうか。ではフィデリオの屋敷にて育てると良いだろう。期待している」

 フィデリオは頭を垂れ、畏まりましたと答えた。

 オステオスは、衣擦れの音と共に退室した。謁見室に残されたフィデリオは、愛しそうにスプレケリアを抱き上げた。

 その花は成熟している為に、すでにオルレカとしては使えなかった。フィデリオは屋敷に花を持ち帰り、新たに株から育てなければならなかった。

 森の中を歩いていて、スプレケリアをみつけた時の感動を、フィデリオは今でも忘れてはいない。

 辺りに花という花はなく、まるでフィデリオが自分を探し出すことを信じ、咲いていたのかと思うほど、たった一人で咲いていたのだ。だが、その姿はけして哀れみを誘うものではなかった。

 フィデリオは、今までのオルレカたちとは明らかに違う感情をスプレケリアに抱いた。

 だが、それもその一瞬のことで、今ではオルレカとして育て上げることに何の迷いもなかった。



 湖から引いている邸内の池に、微かな水音が響き渡る。

 ゆらゆらと揺れる小船から、白い腕が水面に向け伸び、つまらなさそうに水悪さをしている。

 ガラス張りになっている天井には満天の星が瞬き、時折、その中を一筋の流れ星が通り過ぎていく。だが、白い腕は変わらず水悪さを続け、空の星の瞬きには目もくれない。

「つまらない……」

 小船の中から、溜息と共に少年と思しき声が聞こえてくる。

「フィデリオはガーデンに行くと決まって帰りが遅くなる」

 ふてくされた声の主は身体を起こし、─―つまらないよ!──と両腕を高々と突き上げ、声高に叫んだ。

 小船を桟橋に寄せ、飛び移る。

 現れた少年は、肌も露に颯爽と桟橋を駆け抜けていく。

 大扉は、派手な音を立てて開け放たれた。

 廊下には煌煌と灯りが灯されている。少年の、水気を含んだ漆黒の髪。水滴が滑り落ちていく、透けるように白い肌。眩しさに細めた瞳は左右の色が違い、右が深緑。左は金に近い山吹色だった。まさに光彩陸離の一言に尽きる見事なそれは、芸術品のようである。

「ケリーさま! またそんな格好で池に行っていたんですね? あれほどフィデリオさまからきつく言われて、どうして守れないんです!」

 そんな芸術品を手厳しく叱咤するのは、小さな身体を精一杯伸ばしている少女だった。

「ああ、ごめん。サム。忘れてた」

 ケリーは悪びれずにそう言うと、ぺろっと舌を出して笑った。

 サムと呼ばれた少女は(と言っても、けして年齢が少女であるというわけではない)足を踏み鳴らした。

「またそんな嘘を! 大体ケリーさまは」

「ああ、いい所に来た。ルード。サムがね、うるさいんだ」

 サムの説教を遮り、ケリーに逃げ出すチャンスを与えるように姿を現したのは、サムとよく似た容姿のルードだった。

 ルードの登場にもめげずにサムの小言は続いているが、ケリーはそんな彼女を無視し、ルードへと声をかける。

「フィデリオは今夜でも戻ってくるかな」

「先ほど、ガーデンから御使者の方がみえられて、今夜あちらを発たれる予定だとのことでしたから、フィデリオさまが屋敷に到着なさるのは、朝になってからだと思いますよ?」

「……。その使者って人は、もう帰ったの?」

「ええ。もうずいぶん前に」

 ルードは笑みを浮かべ、言った。緩やかに話すその口調は、のどかな春の午後を思わせる。

 そこへ割って入るように、

「ルード! あなたがそうやってケリーさまを甘やかすから、いつまで経っても言いつけの一つも守っていただけないのよ!」

 サムのヒステリーはまだ治まっていなかった。彼女の怒りの矛先がルードに向けられると、それ今だと言わんばかりにケリーがその場を逃げ出した。


 サムの小言は場所をケリーの寝室に移しても続いていた。

 大人しくベッドに収まっているケリーに、

「いいですか? 明日、フィデリオさまがお戻りになられても、けして飛びついたりしてはいけませんよ? 行儀良く、おかえりなさいときちんとご挨拶なさってくださいね」

 ケリーは途端に口吻を尖らせた。

「なんで! ぼくの“おかえりなさい”の挨拶がああなんだ。フィデリオがガーデンに行って、いったい何日経ったと思ってるの。飛びついたり抱きついたりしたっていいじゃないか! サムの意地悪っ」

「意地悪なんかで言ってるんじゃありません!」

 たとえサムにその気がなくても、ケリーには充分すぎるほどの意地悪なのだ。

 ケリーはブランケットを頭から被ると、サムに背を向け、ふて寝を決行した。

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