三人の翼人 第3話

 ガーデンの敷地の中には、4人の神の神殿がそれぞれ建ち並んでいる。

 門番が控えている鉄の門を潜り、両脇を青々とした芝が敷き詰められている石畳の通路を真っ直ぐ進むと、神殿が現れる。

 通路を挟んで右側がームスカリー、マウリーンの神殿で、左側がーオステオスー、パンディオンの神殿となる。通路はそのまま渡り廊下へと変わり、更に奥へ進むと、オステオスの再生を待つ“花園”へと続く。

 フィデリオがガーデンへと赴いた際は、直属の神にあたるオステオスの神殿で過ごす。

 カスケードはムスカリとマウリーンと兼任している為に、状況によって過ごす神殿が変わった。

 山越えも何の問題もなくクリアし、早めに出発した分、ガーデンにも幾らか早く到着した。

「気が重いな」

 フィデリオは溜息混じりに呟く。神苑の剣拝領の儀の日程が、今日、決定するからだ。

 足取りも重く、ふと立ち止まるフィデリオの背後に人の気配がした。

「いい加減、慣れたらどうだ。これで何人めのオルレカだ?」

 カスケードだった。マウリーンの神殿から出てきたようだ。両手には資料と思われる厚い本を何冊も抱えている。

「カスケード。そうは言うが、なかなか慣れるものじゃない。むしろ、慣れる事の方が──俺には怖ろしく感じるけどね」

「フィデリオは真面目過ぎるからだ」

「はっ。俺がか? 真面目っていうのは、お前のようなヤツを指す言葉だと思うが?」

 フィデリオは皮肉たっぷりに言う。

 カスケードは同じ翼人ではあったが、彼とはどうもウマが合わない。オルレカを自分と同じ翼人のようには扱わず、役に立たなくなれば何の躊躇いもなく切り捨てることのできる男なのだ。だから、好きになれない。

 オステオスさまとの約束があるからと、フィデリオはその場を離れた。

 カスケードは何も言わず、すたすたと去っていく。ちらりとその後ろ姿に視線を遣りながら、手荷物を執事のステム=コニフォーに手渡しながら、

「あんなヤツにケリーを会わせなきゃならないのかと思うと、虫唾が走るな。そうは思わないか、ステム」

 ステムは軽く会釈をして、フィデリオの手荷物を預かる。

「私には別の心配がございます」

 フィデリオは少し目を見開いて、なんだ、と訊ねた。

「カスケードさまと意見の合わないケリーさまが、ガーデンで大暴れなさるのではないかと──。私はその辺りが大変に気になるところです」

 フィデリオは更に目を見開いた。

「まったくだな!」

 フィデリオが声を上げて笑う。

 行き交う女官達が足を止め、闊達に笑うフィデリオを訝しげに見つめる。

 窘めるステムを無視し、フィデリオはことさら楽しげに笑った。


 フィデリオは、意外な光景を目にして、僅かではあったが動揺していた。

 オステオスの神殿の謁見の間に、他の神々までもが席を連ねているのだ。

「これはいったい?」

「フィデリオが驚くのも無理はない。しかし、状況が変わってしまったのでね。私がみなをここへ呼んだのだよ」

 オステオスは、柔らかな笑みを浮かべ、答えた。

「本来、スプレケリアに対しての“拝領の儀”の日時を告げるべきときなのだが、私のわがままから、それを今しばらく先送りにしたいと彼らに相談したのだよ。パンディオンは良い返事をなかなかくれなかったが、先ほどようやく承諾してくれた。フィデリオ。今しばらく、スプレケリアをお前の元に置いておいてはくれまいか」

 それはフィデリオが望んでいたことだ。断る理由もない。

 だが、オステオスは更に言葉を続けた。

「但し、それには条件があるのだ」

 フィデリオは訝しげな顔で、「条件でございますか」と訊ねた。伺うように、神々の顔を順に見ていく。

 オステオスは、フィデリオの視線が自分に戻って来たことを確認すると、緩やかに唇を動かした。

「スプレケリアから“音”と“声”を奪うことだ」

 オステオスの口調はあくまで自然だった。それは、今日の天気の具合を話しているのと、何ら変わらないさわやかな声音。

 俄かには信じられなかった。フィデリオは、何度もオステオスの言葉を反芻する。

 少なからず動揺を隠せずに、取り乱しかけているフィデリオに、オステオスは心配は要らないと付け加えた。

「フィデリオにそれをしろと言うのではない。お前が屋敷に戻る頃には、パンディオンの術により、すでにスプレケリアの身にそれらは存在していないのだからな」

 パンディオンが返事を渋っていたのは、この術のせいだったのか。フィデリオは死の神を凝視する。

 パンディオンは、刺すようなフィデリオの視線に耐えられず、俯いて、

「スプレケリアは苦痛を感じません。突然───失うだけです」

 苦し紛れに───神であるはずの彼は、そう釈明した。

 頭が痺れて、神の言葉が理解できなかった。オルレカから音と声を奪うなど、今までにはなかったことだからだ。

 立ち尽くしていた膝ががくりと折れて、冷たい石の床にへたり込む。

 気がつくと、神々はとうに部屋を出ていた。重苦しい、冷たい空気がフィデリオを包む。

 拝領の儀の意味はあるのか。ケリーから音と声を奪うことで、すでにそれは終わっているのではないのか。

 衣擦れの音がして、フィデリオが振り返る。パンディオンだった。

 パンディオンは、肩を落としているフィデリオの傍らに腰を下ろした。

 “死”を司るパンディオンは、その役目とは裏腹に、気さくに声をかけてくれる神だった。フィデリオは4人の神々の中で、とりわけ彼のことが好きだった。直属のオステオスよりもそれは顕著だった。

 オルレカは、死の神直属の翼人である。オルレカがいなければ、彼の職務は遂行されない。オルレカを傍に置けない今の状況を、フィデリオは訊ねた。

「ケリーをパンディオンさまの元へ送るのが遅くなれば、それだけ職務も滞ることになりますが、それを承知でなぜ、ケリーにあのような術をかけられたのですか?」

 パンディオンは、何度か言葉を飲み込む仕草を見せた後、重い口を開いた。

「オルレカの職務は、あなたやカスケードのものとは違い、特殊、且つ異質なものです。人々にとって、忌み嫌われるものです。今までのオルレカたちは、その職務を全うせんが為に、己の精神を犠牲にしてきました。そのせいか……彼らは短命です。フィデリオ。オルレカとして育てられる花が美しくなければならない理由を知っていますか? 人々がその魂を狩られる時、いわば最期の瞬間に垣間見る者が、オルレカなのです。オルレカを恐怖として捉えられないように。だからオルレカは、この世界でもっとも美しい存在でなくてはならないのです。しかし、考えてみたのです。私たちは常々、狩られる者のことを考えてきたけれど、狩る側──つまり、オルレカのことはどうなのだろうと。彼らは常に、人々の断末魔を聞いていたかもしれません。命乞いも聞いていたかもしれません。それらがオルレカに良いはずがないと。いけないことでしたでしょうか。ケリーの心を守る為に、その代償に音と声を奪うことは─────」

 フィデリオは黙った俯いた。

 ケリーの心を守るためだと言われては、返す言葉もない。

 フィデリオが望んでいたことのひとつに、それはあったのだから。

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