第8話 そして物語の幕が開く

「制圧完了!」

 選別の間に声が響く。

 厳重な設備がアダとなり、一度部屋の中を制圧してしまえば、外からの攻撃はかなり防げる。

 目立ったドアや窓は全て内側からカギをかけると同時に見張りを立てる。

 入ってくる時に開けた穴は、大きめの壁の破片や、部屋の中にあった机で塞ぐ。

 隠し通路等が有る可能性を考えれば、完全な籠城とは言えないが、かなりの時間は稼げる状況と言えた。

「さて…どうやって地下へと入るか…」

 地下への入口の周囲を、暁花、圭次郎をはじめ、数人が囲んでいた。

「ねえ、もう外へ逃げたって可能性はない?」

 暁花が単純な疑問を口にする。

 この通路が外へと通じていたら、もう既に外へ出ている可能性が高い。

「それは大丈夫だ。建物の周囲には、戦闘には参加していない見張りがカバーしている。見つければ連絡が入る筈だ」

「…ずっと遠くまで地下で繋がっていたら?」

「だとしたら、ここを開けて探さなければ、何処へ繋がっているのかの手がかりがつかめない、どちらにしても、ここを開ける事が最優先課題だな」

「そうか…」

 ここへきての足踏みに暁花が嘆息していると、床を調べていた男の一人が声を上げる。

「圭次郎さん!ここに鍵穴らしきものが!」

「…!でかした!」

 指さす場所を、その場に居た全員が覗きこむ。

「……確かに、それっぽいな…この穴だと、かなり小さい鍵のようだが……おい!ここに合いそうな鍵を持っている死体を探せ!」

 指示と同時に、仲間達が散開する。

 部屋の中にはおそらく教団側の人間の死体が、少なく見積もっても四十以上は転がっている。

 その中から、有るかどうかも分からない小さな鍵を探す…想像しただけでも骨の折れる……そして気が滅入る作業だった。

 暁花も手伝おうとするが、死体に触れる抵抗と同時に、男性の体をまさぐるという事に抵抗を感じてなかなか上手く探せなかった。

「おいおい、こんな状況で乙女心出すなよ…これだから処女は…」

「う、うるさいな!そっちこそこんな状況でセクハラするな!」

 そんな会話も有りつつ、十五分程たったその時、「ありました!」と声が響く。

 圭次郎の元に駆け寄ってきた男の手には、小さな鍵。

「幹部らしき人間が一人紛れていて、そいつのポケットにこれが。それとこれも…」

 と、手渡したのは一枚のカード。

「これは…カードキー?」

「一緒に入っていたので、関係あるかと思いまして、一応」

「ふむ…まあともかく試してみるか」

 圭次郎が先ほどの場所まで戻り、鍵穴に鍵を差し込み…捻る。

カチッと音をたてて、突起を中心に、十センチ四方の床が浮き上がる。

「ビンゴ!」

 そして、その浮き上がった床には、カードスリットが確認できた。

「…なるほど、二つのカギを一緒に持っているとは……どうやらだいぶ防犯意識の薄い幹部だったようだ……こちらからすればありがたいがな」

 スリットにカードを差し込むと、床がスライドして、地下への扉が現れた。

「……よし、行くぞ!」

 圭次郎が率先して飛び込むと、暁花が後に続く。

 飛び込むと同時に横転し、敵が居た場合の攻撃回避と、周囲の無事確認をする圭次郎。

「……とりあえず大丈夫か…しかし、通路が割と狭いな……大人数で攻め込むのはむしろ戦いにくいと思うべきか…」

「よし、あと三人だけ降りて来い、五人で進むぞ。残りはそこを守れ!挟撃されたらたまらん。絶対に敵を入れるな!」

「了解です!」

 上から返事が返ってくると、暁花と、あと三人が地下へ入る。

「よし、俺と暁花が前衛、残りは後方を警戒しながらついて来い!」

 返事も待たずに進む圭次郎に、暁花と仲間達も無言で付き従う。

 深い信頼関係が見て取れる光景だった。

 無地の白い廊下をひたすら進むと、一つドアが見えた。

 警戒しつつ圭次郎がドアノブを捻るが、鍵がかかっていて開かない。

 軽く叩いてみるが、かなり頑丈な作りで強引にぶち破るのは無理に思えた。

 鍵はカードと暗証番号の併用らしく、カードスリットの下にテンキーが設置されている。

カードはここへ入るのと同じものが使えるようだが、番号が解らないことにはどうにもならない。

 結果的に、開けるのはほぼ不可能と言っても良い。

「………ふむ」

 手で、その場での待機を命じて、圭次郎は単身少し先へ進む。

 数メートル先にある廊下の曲がり角で、身を隠しながら廊下の先を視認。

「どうやら、この地下にはこういうドアがいくつかあって、その部屋のどこかに教祖が居ると考えるべきだろうな」

「……いくつかって?」

「さあ、十程度かもしれないし、百かもしれない。それは見てみないとな」

「じゃあどうするの?虱潰しじゃあ時間がとても……」

「―――そうだなぁ…おい、C4はいくつ持ってる?」

 後方の仲間に声をかけると「二つです」との返答。

 C4とは爆弾の名称で、つまり、それによってドアを吹き飛ばせるのは二回まで、ということだ。

 つまり、ドアが二つ以上有るならば、そもそも虱潰しすら無理という事実。

「とりあえず、この通路を色々と調べてみよう。もしかしたら何かヒントがあるかもしれん」

 ひと先ず開けるのは後回しにして、調査を優先する。

 虎の子のC4二つを無駄にする事は、自らの首を絞めることと同義だ。

 使い所を見極めねばならない。

 それを理解し、周囲を注視しつつも敵への警戒も怠らずに地下を進む暁花達。

「……ん?」

 ふと、暁花が気配を感じて足を止める。

 後方の仲間にも、要警戒の指示を出す。

 曲がり角に体を隠して座り込み、小さな鏡を使って先を確認すると……人影が見えた…!

 誰かいる、そう合図を送ると、全員が緊張感を身にまとう。

 少しずつ、鏡の角度を調節して、敵の姿を確認しようと試みる。

 悟られないように慎重に、慎重に……汗が吹き出し、呼吸が荒くなりそうになるのを精神力でこらえる。

 僅かな音でも敵に気づかれるかもしれない。

 靴が床にこすれる音さえも出すまいと、多少に無理な姿勢になり、筋肉が緊張する。

 それでも、ゆっくりと、鏡を動かし……ようやく敵を視認した。

 首からサブマシンガンをぶら下げた警備兵が二人、一定の距離を保って周囲を警戒している。

 特に移動をする様子は無い。

 その二人の間には、ドアが三つ。

 それを確認して、一時後退の指示を出す。

 音を立てないように、気配を悟られないように、距離を離した。

「三つのドアのどこかに、教祖が居ると思う?」

 状況を説明した暁花は、意見を求める。

「……可能性は高いな。警備兵が居る事で敵に場所を知らせてしまうが、しかし守らない訳にはいかない…二人の距離感は、部屋を絞らせないようにする苦肉の策だろう」

 圭次郎の言葉に、暁花は疑問をぶつける。

「でもそれなら、部屋の中に居ればいいんじゃあ?」

「…いや、もし部屋の中に居て場所を突き止められたら、逃げ場のない籠城戦になる。ドアを破られた瞬間、中に手りゅう弾でも投げ込まれればそれで終わりだからな」

「……そうか、でも、それにしては外を守る人数が少なくない?」

「……そもそも、ここへ入られる事を想定していなかったか、慌てて逃げ込んだので人数を連れて来られなかったか……なんにせよ、人数的には有利だ、ここは攻めるべきだろう」

 圭次郎が周囲を見回すと、全員がそれに頷いた。

 そして、軽くフォーメーションの確認をして………動く!

 足音を立てないように先ほどの曲がり角までたどり着くと、再び鏡で確認する。

 間違い無く、先ほどと同じ位置だ。

 姿勢を低くした暁花の頭の上で、圭次郎も同じく鏡で確認している。

 周囲の壁が音を吸収しているかのような沈黙の中、百メートル先でも聞こえてしまいそうな自分の呼吸音と心臓の鼓動が大音量で鳴り響く錯覚に、音の感覚が狂いそうになる暁花。

 だが……それでも神経はただひたすらに集中し、タイミングを計る。

 ………そして、時は来た…!

 警備兵が揃って、自分たちと逆の方を向いたその瞬間、暁花は駆けだした!

 圭次郎も全く同じタイミングで踏み出す!

「なっ!?」

 足音に気づいて警備兵が視線を向けた時にはもう遅い!

 眼前に迫った暁花が、刀を振り下ろす!

 刀は、腕に持っていたサブマシンガンを真っ二つに切り裂いた。

「ふっ!」

 そして間髪をいれずに、そのまま横回転して、遠心力を利用して、敵の首元に刀を叩きつける!

「がっ!!」

 だが、刀は裏返されていて、いわゆる峰打ち……。

 それでも、衝撃で警備兵は意識を失い崩れ落ちる。

「この…!」

 慌てて、もう一人の警備兵が銃を構えるが、その時にはもう圭次郎が駆け寄っている。

「くっ!」

 警備兵が引き金を引こうとした刹那、圭次郎の居合斬りが銃を真っ二つに切り裂いた!

「なっ…!」

 切り裂かれた銃に視線を奪われた瞬間には、もう首が落とされていた…。

 ごろりと転がり落ちた首には目もくれずに、刀に付いた血を振り落とし、さらに紙で拭いて、刀を鞘におさめると、間髪入れずに叫んだ。

「…おい!真ん中のドアを調べろ!」

「…え?どうして真ん中を?」

「今のやつが、一瞬真ん中のドアに視線向けたからな、守る対象に視線が行くのは制御出来ない条件反射だ、おそらく間違いないだろう」

 ……あの一瞬でそこまで…圭次郎の頼もしさに感嘆しつつも、後方の三人はドアを調べ、暁花は倒した警備兵を縛りあげる。

「どうだ?」

「……正直、僅かの隙間もない防弾防音のドアなので、中に居るかどうかは何とも…」

「そうか…で、どうだ?C4で吹き飛ばせそうか?」

「……想像以上に頑丈ですね…二つ使えばなんとかなりそうですが…」

「…一発勝負…って事か、いいね、面白い。準備しろ!」

「「「…はい!」」」

 三人が準備にかかる。

「…本当に大丈夫?」

 外したら後が無い状況に不安を感じた暁花が話しかける。

「俺を、信じろ」

 …その、何の根拠もない、ただ真っ直ぐな言葉に、暁花は笑うしかなかった。

「……ははは!…解った、信じるよ!」

「おう!」

 二人で顔を合わせて、笑顔を交わす。

 この約一年で、二人が築き上げて来た信頼が、こんな状況でも笑顔を作らせていた。

 暁花はそれが、妙に嬉しかった。

「準備、出来ました!」

 合図を受けて、ドアから離れ、曲がり角の先まで避難する。

 暁花が耳を塞いで衝撃に備えた数秒後……激しい爆音と共に、体を揺らす衝撃…!!

「…ちょ…大丈夫?今ので中に居た教祖も死んだんじゃないの?」

「…それならそれで結果オーライだ…行くぞ」

 粉塵が舞う廊下を、少しずつ進む。

 ………人の気配は感じない。

 ゆっくりと、警戒しつつも視界が晴れるのを待って……一気にドアの両側に待機する!

 余程頑丈なドアだったのか、爆弾を仕掛けた下半分に、人一人が通れる程度の穴が開いただけで、左右の壁にも僅かにひびが入った程度だ。

 だが、中を確認するにはそれで充分!

 暁花がゆっくりと中を覗き込む。

 ……ここに、人生を捨ててまで恨み続けた教祖がいるかもしれない…そう思うと、鼓動が速まったが、思考は驚くほどクリーンだった。

 冷静に……ただ、自分のすべきことを…!

 暁花は目を凝らして中を確認する。

 灯りは付いていて、その灯りに照らされた、簡単なベッドと椅子と机、それと洋服ダンスが確認できる。

……だが、人の気配は無い。

 圭次郎に顔を向け、左右に振る。

 確認できない、その合図に、圭次郎も中を覗き込む。

 見える限りのスペースに目を凝らすが、確かに人は居ない。

 しばし考え込んで、圭次郎は腰に挿していたナイフを取り出し、それを中に投げ込んでみる。

 カラカラカラ…ン。

 何の反応も無く、ナイフは部屋の中央まで転がった。

「……よし、入ってみよう」

「…しかないわよね」

 圭次郎が率先して、静かに、慎重に、仮に室内から襲撃を受けてもすぐに外へ出られるように警戒しながら、部屋へと入る。

 ……だが、何も起こらない。

 ドアの外からは死角になっていた部分も確認するが、何らかの防犯設備なども存在しない。

「……ふむ…」

 啓次郎は、暁花に向かって、入れ、と合図を送る。

 暁花はそれに従って中に入るが…やはり何も無い。

 ただの、殺風景な部屋だ。

「……まさか、ハズレ…なんて言わないわよね」

「……だったらどうする…?」

「とりあえず、アンタを殴るわ」

「はっはっは、怖い怖い」

 笑って見せながらも、圭次郎の目は、獲物を狙う狩人の目を保ち続けている。

 そして……その眼が、何かを捉えた。

 それは、例えて言うのなら飛び回る小虫のような、一度見失えば再び見つけるのが困難なレベルの微かな気配だったが、そこには確かに何かが存在した。

 そして、暁花も圭次郎から数瞬遅れて、同じく何かを捉えた。

 二人の視線が、同じ場所に集約する。

 ……洋服ダンス。

 二人は、瞬時に構えをとり、じりじりと少しずつタンスへと近づいて行く。

 ……確実に、何か居る…!

 距離が狭まる程に、その感覚は確信へと近づいた。

 そして……タンスに手の届く距離までたどり着く。

 気配……温度、と言っても良いかもしれない。

 そんな、あやふやで曖昧だが、しかし現実として存在する感覚と確信に、二人の緊張感が最大級に高まる。

 このタンスの中には何が…誰が居るのか。

 なぜ自分達が入ってくる時に攻撃しなかったのか。

 ……どうして、ここまでの接近を許してもなお、なんの行動も起こさないのか…。

 数多く浮かぶ疑問が、未知へ対する恐怖心となって、心を蝕む。

 沈黙・沈黙、沈黙……。

 暁花と圭次郎の僅かな息遣いだけが、この場に散在する唯一の音。

 汗が流れ、床へと垂れる。

 だが、その汗を拭う事もせず、ただひたすらに目の前のタンスへと神経と視線を集中させる。

 そのままの硬直状態が、数分間、二人にはその数十倍の体感時間続いたが、いよいよ痺れを切らし、空気を揺らすのも嫌うような速度で、暁花がタンスの取っ手に手を伸ばす。

 恐る恐る取っ手に触れるが…やはり何の仕掛けも無い。

 暁花は、圭次郎と顔を見合せ……お互い、ひとつ頷いた。

 それが、合図だった。

 何時でも撃てるように、いつでも斬れるように体制と心構えを整え……一気に、扉を開いた!!

 バンッ!

 荒い音を立てて開いた扉の中に、銃口と剣先が突きつけられる!

 ……だが、なにも動きは無い…。

 動きは無く――――そこにはただ、自らの両の手で頭と耳を塞いだ少女が、入口に背を向けてうずくまっていた。

 背中しか見えないが、それだけで少女だと断定できる華奢な肉体。

 頭には黒い頭巾のようなものを被っていて、白くてヒラヒラした、無駄に威厳を放つ模様を刻んだ衣装に身を包んでいる。

「……まさか…」

「――――教祖?」

 それは、あまりにも意外過ぎる対面。

 こんな、洋服ダンスの中で、体を小さくして震えている少女が、自分たちの倒すべき敵だと言うのか――――。

 その、想像もしなかった矮小さ、そして弱弱しさに、暁花は覚悟が揺らぐのを感じていた。

 この子を殺す事が、アタシの正義…なのか?

 戸惑っている暁花を尻目に、圭次郎が少女に手を伸ばす。

「…おい」

 肩に、軽く手が触れた…その瞬間。

「かえたん!?」

 その少女はそう叫び、暁花達の方を振り向いた。

 黒い布で顔が覆われていてもハッキリと分かる程の、弾けるような笑顔で。

 ……だが、二人の顔を確認した瞬間…その顔は恐怖に歪んだ。

「だ、だれ?いや!こわいよ!たすけて!たすけてかえたん!かえたんがいないと、わたしこわいよ…!」

 狭い洋服ダンスの中で、目一杯二人から距離を取るように、後ろへ下がろうと手足をバタバタとさせる少女。

 そこには教祖の威厳など欠片もなく、恐怖に狼狽する幼い少女のそれでしかなかった。

 だが―――暁花は、その少女の顔に見覚えがあった。

 あの日、父が持っていた写真の、教祖……焼き付いて離れないその顔を、見間違うはずもない。

「間違い無い…!教祖だ……!」

 父の優しさ、厳しさ、笑顔…そして家族のぬくもりが一瞬で胸を満たし、そして、そのぬくもりが怒りに変わるのもまた、一瞬だった。

 暁花は荒々しく教祖の髪を掴み、タンスの中から引きずり出すと同時に、床に叩きつける。

「あうっ!いたい!やだ!たすけて!たすけてかえたん!かえたん!」

泣きながら駄々っ子のように泣きじゃくる教祖に、暁花は怒りが高まるのを感じていた。

「うるさいっ!静かにしろ!」

「ひっ…!…やだ…こわい…かえたん…!」

 怒鳴られると、ビクリと跳ねて、カタカタと震えながら、今度は小声で呟き続ける教祖…。

 ……こんな子供を倒すために、アタシは血へドを吐くような努力を……そう思うと、暁花の中に妙な虚しさのような感情が湧きあがる。

「……暁花」

 圭次郎の手が、肩に乗せられる。

「お前の気持ちは解らんでもない。……だが、俺達のやる事は変わらない。そうだろ?」

 ―――その言葉に、暁花の心の揺らぎは止まり、深い覚悟が戻ってくる。

 そうだ…私は、教祖を殺す…それが全てだ!

 ゆっくりと、暁花は銃を構え、教祖の頭に照準を合わせる。

 教祖は、暁花達に背中を向けたまま震えている。

 ……暁花は、ひとつ息を吐く。

 父は、この子を殺せずに、死んだ。

 この戦いでも、多くの人たちが犠牲になった。

 このまま教祖を放っておけば、さらに犠牲が増えるだろう。

 ………なら、もう選択肢は一つしかない。

「…アンタには、言いたい事が山ほどある。……けど、もう言葉に意味は無い、だから、死んでくれ…」

 そして、暁花の指が、引き金を―――――

「ぐぁぁ!敵!敵が…がはっ!」

 だが、その指を止める声が響いた!

「なんだ?どうした?」

 圭次郎が外へ声をかけるが、部屋の外はすでに戦場らしく、銃声で遮られ、声が届かない。

 そして、二人がドアに空いた穴に視線を向けたその時――――そこから、人間が飛んできた。

「なっ!?」「んだとっ!?」

 あまりに突然の出来事に、とっさに横に飛びそれを避ける二人。

 ……だが、それは、先ほどまで後方を守っていた仲間…の、死体。

 それに気付き、その仲間と入口を交互に見た二人の視線の端を、何かが、とてつもない速度で駆け抜けた。

 飛んできた死体を隠れ蓑にするように、一瞬で間合いを詰め、そのまま二人を追い越す!

 しかも、追い越し際にその何物かが発砲し、その弾が暁花の持っていた銃に当たり、弾き飛ばされた!

「……っ!」

 言葉も無く、距離を取る為に大きく後ろに跳ぶ暁花。

 圭次郎も、反応が遅れて、対処できていない!

 ……そして、一陣の風が通り過ぎたその先に視線を向けると……そこには、女が居た。

 床に転がっていた教祖を、大事そうに、愛しそうに胸に抱きかかえ守る女が。

「……ごめんね、めーたん。おまたせ」

 その声に、抱き抱えられてもなお体を強張らせていた教祖が反応し、上を向く。

 その瞬間……教祖は笑顔で泣いた。

 とてもとてもとても嬉しそうに、泣きながら、笑った。

「かえたん……!あいたかった…!わたし、あいたかったよ…!」

 そして、女の首に手を回し、ギュッ…と、強く強く抱きしめる。

「私も、会いたかった…!」

 女もそれに応えるように、優しく教祖を抱きしめる。

 しかし、その眼は暁花と圭次郎を確実に捉え、片腕の銃口はいつでも二人を狙える位置にある。

…僅かな行動も見逃さない警戒心が全身に溢れていた。

「……お前、何者だ」

 圭次郎が声をかける。

「……私か?私は……そうだなぁ…愛に生きる女、って事でどうだい?」



     ・



 倉庫から自らの装備を見つけ、身につけて走りだす。

 めーたんのもとへ。


 途中、地下通路で陶松を見かけた。

「――――っのやろ!」

 大きな荷物を持たせた部下らしき男2人に挟まれて、地下通路を進んでいる。

 瞬間的に、湧きあがる殺意……けれど、今はめーたんのところへ向かうのが先だ…!!

 ……そう思っていたハズなのに、体は自然と陶松へ向けて走りだしていた。

 しかし、頭は冷静に。

 足音を立てずに走れる最高速を維持しながら、背後へ忍び寄る。

 そして―――

「うぉぉぉおおぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!!」

 あえて大声を出して、驚いて振りむいた陶松の右頬に…

「どぅらぁぁ!!!」

 助走を付けた全力の右拳を叩きこむ!!!!!

 ゴギリと鈍い音を立てて命中した衝撃で、陶松の体は数メートル吹っ飛びながら、縦に回転して、頭から床に叩きつけられ、僅かに弾んだ後、うつぶせに倒れた。

 私はすぐに跳び上がり倒れた陶松の背中と後頭部を踏みつける様に着地!

「ぐびゅ!」

 という声なのか音なのか解らないモノが陶松の口から洩れたような気がしたが、どうでもいい。

 私の脚はもう、再びめーたんの許へと走りだしていたから。

 去り際、荷物を持っていた二人の男の茫然とした顔が僅かに目に入ったが、まあどうでもいいことだ。

 ……陶松を殺してやりたいのはやまやまだが、あの程度では死にはしないだろうな……。

 全てが終わってから探し出して確実に殺そう。

 そう決意した瞬間だった。


 その爆発音が聞こえたのは。


 確実にこの地下通路内で響いたその音に、私は慌てて走り出した。

 走りながら、腰に差していた二丁の銃を両手に持ち、調子を窺う。

「……よし、イける…!いつでも殺せる…!」

 私の中に、人殺しの血が戻ってくる。

 どんなに心の中が愛で満たされようとも、浄化出来ない人殺しの血が、滾る。

 けれどこれでいい。

 殺す事が守る事に繋がるのなら、私は喜んで鬼畜へと身を落とそう。

 それをめーたんが望まなくても、それが私の愛だから!

 ―――爆発音の近くまでたどり着いた。

 足音と気配を消し、曲がり角から様子をうかがう。

 ……一つの部屋に、二人の人間が入っていくのがかろうじて見えた。

 遠いうえに、粉塵が煙のように視界をぼやかすのではっきりとは見えないが、おそらく全部で五人。

 中に二人、外に三人…か。

 とりあえず、外の三人を片づける!

 ……ちっ、スナイパーライフルもって来れば良かった…けどまあ…この距離なら!

 15メートルほど離れているが、私なら無理な距離じゃない…!

 サイレンサー付きの銃で、一番奥の男の頭に狙いを付けて……撃つ!

 ピシュン!

 僅かな音だけを残し、銃弾は、一番奥の男の脳天を貫いた!

「なっ!」

「なんだ!?」

 残り二人が反応して、そちらを向く。

 背中を見せたな!

 もう一人も狙い撃つ!

 だが、敵が移動してしまい、肩をかすめた。

「ぐぁぁ!敵!敵が…」

「ちっ!」

 すぐに切り替え、面積の大きな体の部分を狙って三連射!

「…がはっ!」

 見事に命中すると、声を上げて男は倒れた。

 その瞬間、残る一人がこちらを視認した。

「てめぇっ!」

 仲間がやられて興奮状態なのか、まともに狙いもつけずにとにかく乱射してくる。

 ……だが、私は冷静だった。

 離れていても、銃の形と銃声で判断できる。あの銃なら、最大でも残る弾は後三発…二発…一発…!

 最後の一発と同時に私は曲がり角から通路に飛び出す!

 相手は慌てて私に銃口を向けるがどんなに引き金を引いても弾は出ない。

「くそっ!なんだよ畜生!」

 焦って予備の銃、もしくは弾に手を伸ばそうとするがもう遅い。

 私は余裕を持って、男の脳天を撃ち抜いた。

 そしてドアの前へ。

 ちらりと中を確認すると……そこにはめーたんが居た。

 ドクン…と胸が一つ高鳴る。

 ……心地よい、恋のときめき。

 火薬と血の匂いにまみれたこんな状況でも、人の心は恋にときめく事が出来るのがなんだか不思議だったが、悪くなかった。

 人殺しの血と、恋する乙女の血液が混じりあう。

 その快感に体が震える。

 私の生きる意味が、生きる道が、世界が目の前に揃っている!

 そして、その全てを手に入れる!

 その為には、部屋の中に居る二人が邪魔だ……私はとっさに思いつき、転がって死体を持ちあげ、中に投げ入れる!

 そしてそれを目くらまし兼 盾として使い一気に突入する!

 すれ違いざまに、一人の敵の手を撃ち、攻撃手段を奪う!僅かに狙いがずれて、手には当たらなかったが、銃を弾き飛ばせたので結果的に問題無し!

 そしてそのまま駆け寄り……私の手が、約半年振りにめーたんに……触れた…!

「………っっ!!」

 全身を喜びと快感と癒しが駆け巡る。

 ―――――思い知らされる。

 私がどれだけ、めーたんを愛しているのかを。

 触れただけで、こんなにも…!

 涙がこぼれそうになるが、人殺しの血がそれを押しとどめる。

 まだ、まだ泣けない。

 泣くなら、めーたんを守りきってからだ!

 私は体を反転させ、左手でめーたんを抱き、右手は銃を構えて敵をけん制する。

 ……だが、腕の中でめーたんが震えているのに気付く。

 目をギュッと強く閉じ、身を守るように丸くなり、自分自身を抱きしめている。

 ……私に、気付いてない?

 ………それならそれで、良いのかもしれない。今ここに私が居ると、伝える必要は特に無い。

 ……けど……なんか寂しい…。

 ………私が助けに来たって事、伝えちゃおっかなぁ…そしたら、めーたん喜んでくれるかな…いやでも……ん~…もう!

「ごめんね、めーたん。おまたせ」

 ……言ってしまった。

 自分の欲望を抑えられない私の弱さのバカバカ!

 けれど……

「かえたん…!」

 その声に反応して顔を上げためーたんの……眩しいくらいの、最高の笑顔。

 愛しくて愛しくてたまらなくなる、馬鹿みたいに、何度も何度も夢に見ためーたんの笑顔…!

「かえたん、あいたかった!あいたかったよ…!」

 そして、抱きついてくるめーたんの柔らかさ…ふわふわで、さらさらで、つるつるで……ずっと抱いていたい、この感触…。

 めーたんが、私の腕の中に戻ってきた。

 それを本当に実感して、喜びに満たされる。

 心と体が、同時に満たされる…!

「私も、会いたかった…!」

 今すぐにでも、その髪に顔をうずめて、思い切り両手で抱きしめたい衝動を、なんとか堪える。

 ……視界にはまだ、二人の敵が居るのだから……!

「……お前、何者だ」

 目の前の男が、そう問いかけてくる。

 ……隙が無い、確実に実力者な男だった。

「……私か?私は……そうだなぁ…」

 答えながら考える。

 私は、何者だろう。

 既に、主任警備兵という地位は解かれているだろうし、掘村佳奈恵という名前を名乗るのも何か違う……かといって、「かえたん」……って訳にもいかない…。

 そう考えると、私は何者でもない。

 私の存在を証明するのはただ一つ。

 めーたんへの愛だけだ。

 ……って事はつまり…

「愛に生きる女、って事でどうだい?」

 そんな結論が出ました。

 ……我ながら、わりと酷い答えだが、真実なので仕方ない。

 ……あれ…?

……うわ、なんか、なに言ってんのこいつ?みたいな視線が……。

「……なに言ってんだアンタ?」

 女の方が口に出した!うるさいなもう!言うなよ!

 恥ずかしくなるから言うなよ!

「……悪いけど、あんた達には死んでもらう。私はこの子を守らなきゃならないんだ」

「あ、話そらした」

「うむ、そらしたな…」

「…うるさいな!もういいでしょ!あーそうですよ恥ずかしいこと言いましたよ!センス無いこと言いましたよ!でも良いじゃない本当の事だし!」

 絶対顔真っ赤になっちゃってるよ私!

 っていうか、何でこんな展開になってるの?

 さっきまでの生きるの死ぬのはどこいったのさ!

 ちらっとめーたんを見ると、すっごいキラキラした目で私を見ていた。

 ……まあ、めーたんが喜んでくれたなら良いか。

「…解った解った、悪かったな……けど、愛…愛か……平気で人の命を奪いつつ愛を語る……あんた、俺らと同類だな」

 男が自嘲気味に笑いながら、そう呟く。

「……ははっ、同類?冗談だろ」

 私は、そのバカらしい認識を鼻で笑う。

「あんたら程度より、私の方が百万倍悪質だよ」

「…っ…ふ、ふははは!あんた、面白いな…殺すのが惜しいよ」

「そう?私は、あんた達を殺す事に、一兆分の一ミクロンもためらいは無いよ」

 私は改めて、引き金に指をかける。

 僅かな動きでも、決して見逃さずに撃つ!

「……なるほど、アンタ、本物の人殺しだ。いいだろう…相手になるよ」

 男が、スッ…と体制を沈み込ませて、構えを取る。

 ……鳥肌が立った。

 男が構えただけで、死の気配がぞわりぞわりと私の足元に触れる。

 ………あんたも、大概本物だよ…!

 ふーーーー…っと一つ息を吐く。

 空気と気配で肌が切り裂かれるような錯覚、緊迫感………まちがいなく、ここは戦場だ。

「―――――――――!?」

 一瞬、本当に一瞬だった。

 圧倒的な存在感を放つ男に意識を集中させてしまったその刹那――――気付けば、女の刀が私を切り裂こうと振り下ろされていた。

「…っ!」

 ギィィィイィイイィン!

 左側から振り下ろされたその刀を、慌てて、めーたんを抱えていた左腕の手甲で防ぐ。

「あびゃ!」

 自然と、床にずり落ちためーたんがお尻をぶつけて妙な声を上げるが、再び抱きあげる余裕はない!

「ちっ!」

 舌打ちをする女……近くで良く見ると、まだ若い。十代中盤って所だろう…。

 ……だって言うのに、なんて目をしてるんだ……怒り…悲しみ…絶望…殺意…希望…未来……想い……清濁併せ持つ、深い深い瞳だった。

 …日本と言う平和な国に生まれた普通の少女が、ここまでの覚悟を背負えるものなのか…?

 ギリ…チチギギギ…!!!

 手甲と刀が擦れて、甲高く鳴く。

 なんて力だ…!

 どんな鍛え方をすればこんな…!

「くっ!」

 右手に持った銃を、女に向ける。

 防弾チョッキを着ているが、それでも撃てば怯むはず!

 その隙に体制を立て直し――――

 ヒュッ…!

 空気を裂く音っ!

 ギィィイィィギギキィィ!!!

 反対側…右側から薙ぎ払われる刀を、右手の手甲で食い止める!

「ぎっっ…!」

 だが、丸太を打ちつけられたかのようなその衝撃に、体が歪み声が漏れる。

 衝撃で、腕の骨にヒビくらいは入ったかもしれない……肋骨にも届いたか…?

 左右からの刀、そして足元にはめーたん……くそっ!このままじゃあジリ貧だ!

「…めーたん走って!」

 私の言葉に反応して、めーたんが足元から股下をくぐって後ろへ走る!

 さすがめーたん!心が通じてるっ!

「っ…待て!」

 女の方がめーたんを追おうと私から目を離した一瞬を逃さず、左手の手首を反らせて女を頭を狙い撃つ!

「バカやろう!」

 男がそれに気付き、刀に体重を乗せて、私の体を押す。

 それによって照準がズレて、銃弾は女の眼前数センチを掠めた。

「…っ!」

 女は慌てて後ろへ下がり距離を取る。

 その隙に、女の居た方向へ体を逃がしつつ男を銃撃!

 ガンガンッ!キィン!

 男はそれを避けつつ、一発は刀を横にして防いだ。

 ……マジか…達人ってヤツだな…。

 私はふと、以前戦った侍を思い出した。

 ……めーたんの「恋人」になったあの日戦った、あの侍。

 ……そう言えば、この二人はなんだか雰囲気が似ているかもな。

 戦いのさなかよぎった記憶。

 ……ふん、縁起でもない。走馬灯か、っての。

 敵との距離を取りつつ、壁際で小さくなっているめーたんの傍へ。

 近づくと同時に、めーたんが足に抱きついてくる。

「かえたん…!」

「…ごめんめーたん…離してくれる?……ちょっと余裕無い」

 私を頼ってくれるのは嬉しいが、足を使わずに勝てるほど甘い相手ではない。

 それを感じ取ってくれたのか、すぐに手を離してくれるめーたん。

 少し寂しそうな気配を見せるが、それでも理解してくれているのが解る。

「かえたん…がんばって!あいしてる!」

 突然の告白に、体温が上がる。

 ……けど…

「うん、ありがと。私も愛してる!」

 その言葉で、百倍戦える!

「……ちっ!」

 ……高揚した気分を踏みつける様な舌打ちが、女の方から聞こえた。

「なんなのよアンタ達…愛とかなんとか幸せそうに!」

 その形相は、明らかに怒りに満ちていた。

 けれど、どこか悲しみを含んでいるような……そんな気がした。

「……何を怒ってるのか知らないけど、私は彼女を愛してるし、彼女も私を愛してくれてる。それだけが真実よ」

「愛?愛ですって!?人殺しの教祖が!しかも女同志で!?はっ!バカみたい!」

「―――何とでも、言えばいいわ」

「……なんですって?」

「私はもう、誰に何を言われても、周囲からどんな侮蔑と嘲笑を浴びようと、この愛は決して揺るがない。そんなくだらないものと引き換えに捨てられるほど、この想いは軽くないから」

 真っ直ぐに、女の眼を見つめる。

 この言葉に、何の偽りも強がりも存在しないと、伝える為に。

 全てを失った私に、たった一つ残された真実は、愛だけなのだから。

「かえたん…!」

 めーたんが、一瞬だけ足に抱きついて、そしてすぐに離れた。

 けれど、伝わってきた。

 めーたんの喜びが感謝が……愛が。

「……ふざけんじゃないわよ…ふざけた事言うんじゃないわよっ!」

 だが、咆哮にも似た女の叫びで、暖かな感情の流れが断ち切られる。

「何が愛よ…!何が…!!何であんたが愛して、愛されてるのよ!アタシは、全部失ったのよ!両親の愛も、友達も、私を好きだと言ってくれたあの人も……!なのに!なのになんであんたが幸せなのよ!アタシから全部奪ったアンタ達がぁっ!!」

 女の両の瞳から、ぽろぽろと、大粒の涙が流れ落ちる。

 ……私は想像する。

 もし、もしも誰かがめーたんを殺したなら。私から、めーたんを奪ったならば。

 ……私はきっと、一生を賭けてでも、そいつを見つけ出して殺すだろう。

 想像しただけでも、胸が締め付けられる。

 ただ、怒りと悲しみに満ちた毎日。

 誰かを恨み、仇を取ることだけが自分を支える芯であり、生き続ける意味……。

 それは、なんて悲しい――――。

 ―――――そうか、この子にとって、その相手が、めーたん……なのか。

「……あなたを、気の毒には思う、だけど――」

「同情なんかするな!私の傷は、そんなに安くないっ!」

「……そうだな、私には、あなたの気持ちは解らないと思う。けど―――」

 それでも私は―――

「けど、どんな事情があろうとも、めーたんを殺す事は、私が絶対に許さない…!それだけは、絶対にだ!」

 私は、愛の為に鬼になる。

 どんな恨みも、この背に背負い、苦しみながらでも生きる。

 それが、めーたんを救う事になるのなら、ためらいは無い!

「………そうかい…!だったら、私は全身全霊をかけてそいつを殺す!壊す!ぶっ潰す!」

 涙を拭き、構えを取る女。

 ……もう、あとは私が死ぬか、この二人を殺すか……その二拓しかない……!

 ……そう、思った。

 思っていたのに――――私はその行動に対して、動きが止まってしまった。

 あまりにも、想像の外だったから―――。

 それは、敵の二人も同じだったらしく、その絶好の機会に、動けずに足が止まった。

 時が、止まった。

 ぺた…ぺた…ぺた…。

 その音だけが、空間を支配した。

 歩く、音。

 めーたんが、私の横をすり抜け、裸足の足で一歩一歩踏みしめ、二人の方に…女の方へと歩みよった。

 そして―――私と女のちょうど中間の辺りで歩を止め、まっすぐに前を向いた。

「……おねーさん」

 …女に、声をかけた。

「……!?」

 女は、何かの罠かと警戒して、一歩下がる。

 ―――――だが、めーたんはゆっくりと頭を下げ、一言、ハッキリと、その言葉を口にした―――


「ごめんなさい…!」


 その、謝罪の言葉を。

「「な…!?」」

 腰を深く折り、頭を下げるめーたんの姿に、二人は言葉を失う。

 ……それはそうだろう、敵にしてみれば、めーたんは憎むべき敵であり、諸悪の根源。

 だからこそ、彼らは「正義」なのだ。

 しかし、この行為は、それを揺るがすには充分過ぎた。

 彼らの根っこの部分にひびを入れる、そんな謝罪…。

 ――――もちろん、めーたんにはそんな意図は一切無いのだろうけど―――。

「な…なんなのよアンタ!」

 ……混乱の末、女がたどり着いた感情は、やはり怒りだった。

「何のつもり!?そんな事をすれば許されるとか、そんな事を思ってるんじゃないでしょうね!アタシは!絶対にアンタを許さないから!!」

 ほとんど、錯乱に近い程の絶叫。

 たった一言の謝罪で拭えるほど、彼女の傷は浅くない。

 それはきっと、めーたんも…。

「わかってます。ゆるされるなんておもってません」

 頭を下げたまま、ハッキリと言葉を紡ぐめーたん。

「だったら…!」

「……でも、そうぞうしたの。もし、わたしがだれかにかえたんをころされたりしたら…って」

 …めーたん…私と同じことを…。

「そしたら…そしたらね……!」

 声が、震え始める。

「わたし、すごくつらくて、かなしくて、さみしくて……しんでしまいそうで…!」

 ぽたぽたと、床に零れる、涙。

「だから、あなたにそれをしたのがわたしなら、ぜったいにあらまらなくちゃとおもって………!ごめんなさい…!ごめんなさい…!あなたのだいじなひとをうばってしまって、ほんとうにごめんなさい…!」

 小さな両腕で、必死に涙をぬぐいながらも、一生懸命謝罪の言葉を絞り出すめーたんを見て、私は気づいた……。

 そうか…めーたん……めーたんはずっと――――。

「だ、黙れ!お前が謝罪なんかするな!お前は、悪魔で、世界の敵で…私の仇で!」

「―――違うよ」

 女の言葉を、私は否定する。

 私の全てで否定する。

「めーたんは、ただの女の子だよ……くだらない神もどきに目を付けられたばかりに、親の愛も失って、友達も失って、学校にも行けなくて……自由に外出する事さえも許されなくて……そして…」

 そして――――

「自分のせいで人が死んだり争ったりする事が、辛くて悲しくて仕方ない……そんな、不幸で、だけどとても優しい女の子…それが、めーたんなんだ」

 めーたんが、驚いたような表情で振り向き、一瞬嬉しいそうに笑ったかと思うと、くしゃ…と顔を崩して再び涙を流した。

 ―――私は初めて、本当の意味でめーたんを理解できた気がする。

 めーたんはずっと苦しんでいたんだ…辛かったんだ……でも、何が正しいかもわからなくて、ただただ、胸の痛みをずっと抱えていたんだ………。

 ごめんねめーたん、気付いてあげられなくて………でも、これからはそれも含めて、めーたんの心全部まで、私が守ってあげるから…!

「……なんだよそれ…!なんだよそれ!意味わかんねぇよ!だからそいつを許せって言うのか?そんなの出来る訳ない…!出来る訳ねぇんだよ!」

 女が叫ぶ。

 僅かに心に生まれた迷いを振り払うように。

 そして、男もそれに応じる。

「…そいつの言うとおりだよ。その子がたとえ、あんたの言うような優しい子だったとしても、俺達は、もう引き返せねぇんだ…」

 再び戦闘態勢に入る二人。

 ……解っていたさ。

 いくら言葉を並べても、絶対に埋められない溝があるって事は。

 ――――だからもう、言葉は無しだ。

 どっちが正義とか悪とか……そんなの関係ない。

 どちらが信念を貫くか……それだけだ!

 ダンッ!と足を踏み出し、めーたんへと向かう!

 女も、私と変わらぬ速度でめーたんへと駆け寄り、刀を振り下ろす!

銃を…ダメだ!めーたんに当たる!

ギィィン!

 何とか間に合い、再び刀を手甲で受け止める!

 だが、間髪入れずに、男も踏み込んでくる!

「くっ!」

 先ほどの再現の様に、私は刀を受け止めようと手をかざした。

 ……が、衝撃が来ない!

「!?」

 その一瞬の隙を突くように、男が体ごと体当たりをしてきて、そのまま私を両腕で挟む様に掴み、そのまま後ろに運ばれる!

「しまった!」

 最初から、私をめーたんから話すことが目的で…!

 何とか振りほどこうとするが、両腕ごと抱きかかえられていて自由が利かない。

 そして、そのまま壁に叩きつけられる!

「ぐっ!」

 一瞬息が詰まるが、そんな事を言ってる場合じゃない!

 どうにかして打開を…!

 手首を捻り、何とか銃を男に向けて発砲する!

 バンッ!バン!

 だが、男はびくともしない!

 くそ!防弾チョッキを着ているとはいえ、この至近距離なら骨くらいは折れてるはずなのに!

 なんとか狙いを変えて、足を撃つ!

 ガンッ!ガンッ!

 弾は男の足を貫き、血を噴き出させる!

 だが…男は動かない!

「くそっ!めーたん!」

「やれ!やるんだ暁花!お前が英雄になれ!」

 男の声に応え、女が刀を振り上げる。

「やめろーーー!めーたん!逃げて!逃げてーーーー!」

 しかし、めーたんは棒立ちのまま動こうとはしない。

 ……なんで!?どうしたの めーたん!?

「……これで、全部終わりだぁぁあぁぁぁーーーーー!!!!」

 私の願いもむなしく、女の刀が振り下ろされて―――――


「めーたーーーん!」


 そして―――――止まった……。


 キィィィィィイン!!!

 甲高い音を立てて、めーたんに当たる直前で、何かに遮られるように、刀は空中で動きを止めている。

「……悪意の…壁…!」

 発動したのか…!

「これが……か!!」

 ……悪意の壁の存在は外にも知られている。教団が、教祖様を狙っても、これがあるから無駄だ、とめーたんの神秘性を高める意味も込めて公言しているからだ。

故に、女も一瞬の動揺はあったが、それはすぐに消え、壁を打ち破ろうと力を込める。

「ぐ……!ぐおぉおおぉおぉおぉ!!」

 叫ぶ!

 叫んで叫んで、力を込める!

 私も何とか男を振りほどこうと力を込める。

 しかし…動かない…!

 なんて力…そして、なんて精神力!

 足はもう、普通なら使いものにならないはずなのに、なんで踏ん張れるんだよくそっ!?

 キィィィィィィィィィン…!

 相変わらず壁はめーたんを守り続けているが、壁がいつまでもつのかは解らない。

 急いでこの状況を―――――――


 ―――――めーたん?


 ……めーたんが、ゆっくり片腕を上げ、女を指差した。

 あれは、あのめーたんは―――

「…な、なんだよ!?なんのつもりだ!」

 女は、眼前に突き付けられた指に一瞬怯むが、それは到底武器にはなりえない、単なる子供の指だと確認すると、再び刀に力を込める。

 けれど、めーたんはまるで何事も無いかのように、虚ろな…しかし、妙な光を宿す瞳で女を見つめる。

 あれは…あのめーたんは……選別の時の―――!

 そして、ゆっくりと、めーたんが、口を開いた――――


「………………みかた」


 ―――――――――――空気が、凍りついた。

「……な…に?」

「――――なんだと?」

 女と男が、同時に声をあげる。

 私は、声も発せずに、ただ眺めていた。

「………っ!」

 女が、何かを感じ取ったのか、めーたんから離れて、上着の裾をまくり、腹部が露わになる。

 そこには、明確に、「味方」のマークが刻まれていた―――。

「……嘘だろう…?アタシが、味方…?嘘だ……嘘だぁああぁぁぁーーーーー!!!」

 がっくりと膝をつき、頭を抱える。

 敵だと思っていた相手から「味方」と認定される……それは、どれだけ複雑な思いなのだろう。

 私には想像も出来ない。

「暁花……なんて事だ」

 男がぽつりと呟いた。

 暁花……それが女の名前か。

 女……暁花は、ぶつぶつと何かを呟きながら苦悩している様子だったが……ふいに立ち上がり―――吠えた。

「うあああああああああっ!!!」

 そして、刀を振り回す。

 先ほどまでの洗練された動きではなく、ただやみくもに、けれど確実にめーたんめがけて刀を振り回す。

 キィィンキィィンキィィィィン!!

 だが、その刀は全て壁に弾かれ、めーたんまでは届かない。

「…めーたん!」

 それでも私は、なんとかめーたんの許へ行こうとあがくが、男の力は一向に弱まらない。

「うぁぁぁぁぁああ!!ああぁ!……ぁぁっっ!」

 ―――――だが……私の体から、意志から、徐々に抜け落ちて行く、抵抗への想い、力が―――。

 暁花が、泣いていたから。

 ボロボロと流れ出る涙を、激しい動きで振り撒きながら、叫んで叫んで、泣いて…刀を振り回す。

 それが、どうしようもない絶望に対して、ただ無力に駄々をこねる子供のようで、見ていて心が痛んだ。

 あまりにも――――哀れで、気の毒に見えた。

 それが、どの位の時間続いただろうか……電池の切れたおもちゃのように、ぴたりと暁花の動きが止まった。

「はぁっ…はっ…はぁぁぁぁあ……!」

 息使いとも泣き声とも言えない声をあげながら、ふらふらと、全ての体力と気力を絞りつくしたのか、もう欠片ほども力が残っていないかのように、ぺたりと、床に尻を付き座り込んだ。

 それを確認した男が、ゆっくりと私から離れた。

 私は――――男の顔面に一発ひざ蹴りを入れて、めーたんの許へ。

「めーた…ん」

 ……まだ、めーたんは選別モードのままだった。

「……ふ~…」

 ……ゆっくりと、暁花に目をやる。

 虚ろな目で、何も無い中空を見つめている。

 とめどなく流れる涙が頬を伝うが、拭おうともしない。

「暁花……!」

 男が、撃ち抜かれた足を引きずりながら、ほふく前進のような格好で暁花に近づきながら声をかけるが、反応が無い。

 ―――どうするべきか、私は戸惑っていた。

 本来なら、この好機に二人を殺すべきだ。

 めーたんの命を奪おうとしたんだ、その報いを与えるのが私の役目。

 ………けれど、本当にそれで良いのか、迷ってしまっている。

 暁花という名前の、一人の少女。

 その人生を想像すると、同情の余地がありすぎる。

 ―――だから、助ける?

 ………バカな、殺さずに逃がす……というのは、いくらなんでも選択肢になりえない。

 それは、将来に危険因子を残し過ぎる。

 情に流されて危機を増幅させるのはプロ失格にも程がある。

 ならば、警察に引き渡す……?

だが、めーたんの、というか教団の影響力はすでに国の中枢にまで届いている。

 これだけの被害を出したテロリスト……未成年だから死刑の可能性は低いだろうけど……陶松辺りが手を回して、他のテロリストの情報を引き出すために拷問をする可能性は十分にあり得る。

 ――――この子の辛い人生に、更にそんなモノを上乗せするのは心が痛む……。

逃がす事は出来ない、けれど助けることも出来ない――――ならば、いっそここで殺すのが、最善なのではないか―――。

 そう決意して、銃を構える。

 だが――――その前に、暁花が自分の喉元に刀を押し当てていた。

「嫌だ、アタシは嫌だ…!このままこいつを殺す事も…仇を討つ事も出来ずに、こいつが君臨する世界で生き続けるのは絶対に嫌だ!」

 慟哭にも似たその叫び。

 めーたんは、おそらくこのまま行けば、数年で世界を支配するだろう。

 そして悪意の壁の前に、親の仇を殺すという願いすら折られた、「味方」である暁花は、消滅する事も無く、その世界の中で生き続ける。

 それが、そんなにも拒絶したい事実なのか……彼女にとっては、それほどまでに――――。

「だから……圭次郎さん!今まで、ありがとうございました!」

 どこも見ていない。

 彼女の眼はどこも、何も見ていない。

 ただ空を見上げて、それでも誰かに礼を言った。

 そして――――刀を、ノドに突き立てた―――。


 ……キィィィィン!


 ………!?

「な……なんで…?」

「どういうことだ…!?」

 私と男が、驚きの声をあげる。

 それも当然だろう。

 だって……何故だ?

 どうして、暁花の喉元に、「悪意の壁」が出現しているんだ!?

 確かにそこに現れた壁は、喉を薄皮一枚切り裂いたところで、刀を食い止めていた。

 ――――そして…暁花が力を失い倒れこむと同時に、それは消えた。

 刀は、喉を切り裂いてはいない、突き刺しても居ない、彼女の命を、奪っていない―――。

 ――――だが、彼女は気を失ったまま目を覚まさない。

 本当に―――死んでしまったかのように、動かない。

「……なにが、どうなってるんだ?いったい――――」

「―――くはははは!実に良い!実に良いチャンスが回って来たものだ!」

 私の言葉を遮り、空気を切り裂くような笑い声をあげたのは、めーたん。

 ―――いや、めーたんではない。こいつは……

「自称神…!」

「おお、久しいな女。だが、今はキサマにかまっている場合ではない」

 自称神はそれだけ言うと、倒れている暁花に近づいて行く。

「何をするつもりだ…!」

 あまりの得体の知れ無さに、私は疑問をぶつけずにはいられない。

「―――まあ落ち着け、我は、お前にこの娘をくれてやろうと言うのだ…喜べよ?」

 私に、めーたんをくれる…?

「……なんだと?それはどういう…」

 自称神は、暁花の手を、めーたんの手で握り、そのまま暁花の横に体を横たえた。

 何をするつもりなのか解らないこの状況で、自称神を止めるべきなのか迷っているうちに、何かがもう動き始めているのを感じた。

 ――――めーたんの体から、何か……「何か」としか言えない何かが少しずつ、体から湯気が湧き出るように、浮き上がっていく。

「……な…んだ?」

 あまりに現実離れした光景に、目がくらむ。

 自分の目が信じられなくなった私が、男に視線を向けると、男も同じように目を丸くして、目の前の光景を受けいれられずにいるように見えた。

 それは、白…とも言えるし、透明でもあった。輝いているようで、くぐもっているようでもある。

 霧状のようにも見えて、粒状のようでもある。

 解らない……これは、これは何だ?

 そして――――その「何か」が、めーたんの体から出続けると同時に、暁花の体へと吸い込まれるように入っていく。

 ――――移動、している…?

 直感的にそう感じた。

 めーたんの体の中に居た何かが、暁花の体へと移動しているのだと。

 それは、たぶん、きっと―――――。

 ――――ほんの数分…いや、数十秒の出来事だったかもしれない。

 「何か」が、全て暁花の体に入り込んだのか、視認出来なくなった。

 一度目をつぶって、もう一度目を凝らしてみるが、先程まで「何か」が浮かんでいた場所には、完全に、何の存在も感じなかった。

 無音――――無音が部屋を支配する。

 次に何が起こるのか……それに備えるだけで精一杯だった。

 ちりちりとした緊張感が、脳の神経を一秒ごとに一本ずつ焦がしているような感覚。

 息が、詰まる―――――。

 ビクン!

「―――っ!」

 音が、生まれた。

 無音だった部屋に、音が。

 ビクン!バタン!

 暁花の体が、陸に上げられた魚のように、跳ねまわる。

 しかし、未だその眼には光が宿っていない。

 まるで、彼女の意志とは関係なく、体だけが別の意志で動いてるような…………別の、意志―――!?

 ピタリ…と、動きが止まった。

 私は、ゆっくりと、暁花の横に倒れているめーたんを抱き起こし、繋がれたままの手を引き剥がし、距離を取る。

「…めーたん、大丈夫?」

 ……目が開かない……まさか―――最悪の状況が脳裏をよぎるが、次の瞬間、「ん…んん……かえたん?」ゆっくりと口を開き、声を発し……目を開けた。

「――――めーたん!」

 がばっ!と強く抱きしめる。

「…かえたん……かえたぁぁ~~ん!」

 涙声で、めーたんが抱きついてくる。

 良かった……めーたん…!

「…ほう、ほうほうほう。これはこれは心地よい」

 ―――突然響く声に、私はそちらを振り向く。

 それは、暁花の声…ではあるのだが、何かが違う。

 記憶が沸き上がる。

 あの時、鉄格子を挟んで会話した時の記憶。

 それはつまり……!

「ふふん、今までの体とは違い、かなり鍛えて有って体が軽いし力強い……神の肉体としては申し分ないな」

 倒れた状態から、飛び上がるように一気に起き上がる暁花。

 ……いや、自称神――!!

「お前……どうして!」

「――ん?簡単な事さ。より住みやすく条件の良い家を見つけたから引っ越した。それだけの事さ」

 なんてことない。本当に、ただの引っ越しの話をするかのように語る自称神。

「最近そいつは、心の奥で私を拒み、抵抗し始めた……正直、居心地が悪くて仕方なかったんでな」

 自称神が、めーたんをギロリと睨む。

 めーたんが怯えて縮こまるが、私はしっかりと胸に抱いて、めーたんを安心させる。

 めーたん……こいつを拒むことで、必死に戦っていたんだね……めーたん…!

「……ふん…そこへこの良物件だ。移らない方が嘘だろう?幸い、この娘も純潔を保っているしな」

 ニヤリと笑い、男の方へと顔を向ける。

「感謝するぞ。こんなにも魅力的な肉体を傍に置きつつも手を出さなかった愚者よ」

 そう言って、けらけらと、胸糞悪い笑い声をあげた。

「………暁花…?……違うな…誰だテメェ…!」

 男も当然違和感に気づき、足を引きずりながらも、無理やり上半身を起こす。

「誰?誰と聞くか……なら答えは決まってるよなぁ……神だ!」

 自分の存在の大きさを鼓舞するかのように、両手を大きく広げ、言いきる。

「……はっ、神だ…?冗談抜かせよ」

「……信じぬか…まあ、さもあらん。そうさなぁ……低能に思い知らせるには、力を見せつけるが最短か……まあ、理解した瞬間には、死んでいるだろうがな!」

 その叫ぶと同時に、自称神は右手を天高く衝き上げた!

 次の瞬間――――世界が色を失い、視界全域を白が包む。

「……!」

 私はとっさにめーたんを抱きしめ、自称神に背を向けめーたんを庇う。

 それとほぼ同時に、風圧を背中に感じた。

 吹き飛ばされるような、強い風圧ではなかったが、何か、体の内側から、魂だけを剥がし飛ばそうとするような、妙な感覚を受けた。

「…………!!」

 ―――――――――――なんとかそれに耐え、閉じていた目を開くと……そこは、廃墟だった。

「―――――――――え」

 あまりの事実に、間抜けな声を上げる以外の行動が出来なかった。

 …………これは、何だ?これは―――。

「お前が…やったのか…?」

 放射状に広がる瓦礫が、爆心地を雄弁に語ってた。

 その問いかけに対して、自称神は不敵に笑う。

 それを見つける私の眼を、眩い光が刺す。

 ここは地下…なのに…。

見上げると、そこには空。

ウソみたいに綺麗な青空と、目を焼く太陽。

 自称神の座標を中心に、放射状に、地下の屋根と、建物の地上部分が抉られていた…。

「くはははは…!これが神の力だ…素敵だろう?素晴らしいだろう?見事だろう?恐ろしいだろう?震えが来るだろう?…平伏したいだろう…?」

 口の端を限界まで吊り上げているような、おぞましい笑顔。

 ぞわりと、背筋を寒気が通り抜ける。

 ……ちっ…恐怖を感じてるってのか…この私が…!

「しかも、こいつは抵抗が無い…まあ、心が死んでいるのだから当然か…。実に馴染むなぁ!」

 嬉しそうに、見よう見まねの空手の型のような動きをして見せる自称神。

 動きの一つ一つはやや不格好では有ったが、体のキレは見事なものだ。

「…どういう事だ…!心が死んでるってのはよ!」

 男が、声を荒げる。

「…簡単な事だ。つい先程、この娘は自ら命を断とうとした…その段階でもう、この娘の心は死んだのだ。心の死んだ体は抜けがらも同然……ならば、それをどう使おうと我の勝手であろう?」

 なんて―――楽しそうで、胸糞悪い笑顔だ…。

「ふざけんな…!そんな理屈はねぇよ!本当にそいつが死んだとしても、俺が生きていれば、死ぬほど手厚く葬ってやる…!それが、そいつの人生を預かった俺の義務だ!」

 刀を杖代わりにして、銃で撃ち抜かれた足で男は立ち上がる。

 そこに見えたのは、強い責任感と、暁花を想う心……親心のように感じた。

 そんなもの、感じた事無いハズの私でも、そう、思った。

「…おとなしくしておけ、せっかく助かった命だろう?こいつ、心が死んでもなお、お前だけは守ろうとしおった。心を失ったはずの娘の最後の意志だ、少しは尊重してやろうと言うものよ」

「暁花が…?」

「そうだ、この状況を見ろよ。この二人はまあ、情けをかけてやったのだが、お前を助けるつもりはさらさらなかった。―――この娘の魂の欠片が、お前を助けたのだろうな。その拾った命、無駄にせぬよう――――」

「だったら、尚更テメェを生かしておけねぇな!」

 男は、腰元に隠し持っていたナイフを、視認出来ない速度で投げた!

 ヒュッ!キィィィィン!

 だが、空気を切り裂くそれも、悪意の壁に阻まれる。

「……キサマ…!」

「もし、俺を生かしたのが暁花の意志だっていうのなら、それは無駄に生き残れってことじゃあ無い…!自分の代わりに、敵を殺してくれと、そう言っているんだよ!」

 ……男は、刀を構える。

 ……立つのか…あの足で!

「そうか…慈悲はいらぬか…じゃあ死ね」

 自称神が駆ける!

 そして、無言のまま刀を振り下ろす!

「待ったぁ!」

 ギィィン!

 だが、私は先回りしてそれを鉄甲で食い止める!

「……どういうつもりだ?」

「……どうもこうも…アンタにこいつを殺されるのも、こいつにアンタを殺されるのも、どっちも気にいらない…そう言うつもりさ」

 危なかった……先ほどまでの暁花の動きなら、間に合わなかっただろう。

 だが、まだ自称神は元の人格程に新しい体を使いこなせてない!今なら……やれる!

 私は、空いている方の手で、銃を乱射する!

 キィィィィイイィィィィイイィィィン!

 全てを壁が止める!

「ちっ!」

「ふん、知っているだろう?そのような攻撃は無駄でーーー」

「てぃっ!」

 言葉に耳を貸さず、続いて放った私の右拳は――――暁花の体の、腹にめりこんだ!

「ぐはっ…!」

 衝撃に、肺の空気の思い切り吐き出した自称神の隙だらけの顔面に、続いて蹴りを放つ!

 ゴッ…!

 重い音をたて、自称神が吹っ飛ぶ!

 ――――思ったとおりだ!

 ずっと、疑問だった。

 なぜめーたんの両親の暴力には壁が発動しないのか。

 ……答えは単純!

「悪意の壁……そいつは、生身の攻撃は防げない…そうだろ?」

 おそらく、一定以上の速度で迫ってくる無機物だけを止めるようになっているんだ。

 つまり、無機物でも、ゆっくりと近づければ止まらない。

 ……だが、常に誰かに守られている人間を殺すのに、ゆっくりと刃物を突き刺す人間はまず居ないし、飛び道具は全て無機物。

 拳や蹴りだけで即死させるのはなかなか難しい事を考えると、命を狙われても大半の場合は助かる計算になる。

「……がは…っ!ふ…ふふ…気付いたか…まったく、人間ってのはややこしいものだよなぁ?他者との接触を全て禁じてしまうと、孤独で精神が病んでしまう……言葉を交わしても、視線を交わしても、心をかよわせても…!肉体的な接触で相手の体温とぬくもりを感じなければ、心の安堵は訪れない……。面倒くさいったらないよなぁ?」

 口元と頭から血を流しながら悪態をつく自称神。

「…心が壊れれば、アンタにも都合が良いんじゃないのか?」

「…ははっ、まさか。心が死んでいるのと、正気を失った心を制御するのとでは労力が段違いさ…」

 …なるほどな。

「だから、生身の接触を防ぐようには出来ない……か。感謝するよ。そのおかげで、私はめーたんを抱きしめられたっ!」

 ふらついている自称神へと近づき、さらに打撃を叩きこむ!

 右の拳、左の拳、右足、左足、肘、膝、頭突き、踵……考えられる全ての攻撃を、今までの鬱積を全て撃ち払わんばかりに、徹底的に叩きこむ!

 ドガガガガガバキッ!ゴンッ!グシャ!ゴキッ!ズドンッッ!!!

 自称神の体が、ゆっくりと、崩れて行く。

 ――――――終わる…!

 ようやく、全てが…!

 この、最後の一撃で―――!!

 全身全霊を込めた、右の拳を叩きこもうと一歩踏み出した―――私の喉元に、刀が突き付けられた。

「……アンタ…どういうつもりだよ…」

 いつの間に近づいていたのか、男が、私に刀を向けていた。

「悪いが……こいつを、暁花を殺させる訳にはいかねぇ…!」

 その眼は本気だった。

 本気で、私を殺す覚悟のある眼だった

「……こいつはもう、暁花じゃない。それが解っているのか?」

「…解ってるさ…だからそこ、だよ。俺は、暁花が戦って死ぬのなら、それを看取ってやる覚悟は有る……けどな、自分の意志で戦いもせずに、こんな理屈の通じねぇ状況で、本人の意志とは関係なく殺される為に、俺はこいつを鍛えたわけじゃねぇんだよ…!」

 強い瞳、強い言葉……だが、どこか泣いているようなその言葉に、私の心が揺らめく。

「この子は一度死んだ!自ら命を断とうとした!」

「だが、死ななかった…!」

「それは………!…言いたい事は解った、けど、じゃあどうしろって言うんだ?アイツは暁花の体を使って、この世界に神として君臨するつもりだぞ!そんな事が、アンタの望みか!?肉体が生きていれば、それで満足なのかよ!」

「違う!」

 強い――――なんて、力強い否定…!

「あいつの体を、心を!絶対に取り戻す!だから、俺にチャンスをくれ!時間を…くれ!」

 真っ直ぐな瞳、真っ直ぐな想い……なんだよその澄みきった想いの直球は…!

 心が、揺らぐだろうが…!

 今しかないんだ…こいつを、殺せるチャンスは…!

「……ゲームをしようじゃないか」

 いつの間にか距離を取っていた自称神が、突然そんな事を言い放った。

「…ゲームだと…?何言ってんだお前…!そんな事言える立場かよ!」

 まだふらふらと足元もおぼつかず、瀕死の状況なのは火を見るよりも明らかだ。

「まあ落ち着け…ゲームでは有るが、同時に誰もが納得できる妥協案でも有る……」

「ふざけんな!私は今ここでお前を…!」

「殺させねぇ…それだけは、命に代えても…!」

 私の足を、男の刀が押しとどめる。

 く…相当怪我は酷いはずなのに、下手に動いたら本気で殺される予感が止まらない…!

「まあ聞くだけ聞けよ…三年後だ、三年後に再び勝負をしよう」

「…三年!?バカげてる!なんでそんな時間を与える必要がある!」

「……三年で、我は我の軍を作り上げる…今のこの組織など問題にならぬほどに、巨大な軍を!……そして、お前らも三年の間に、我に対抗する軍を作るがいい。そして――――三年後に総力戦だ…!」

 お互いに、軍を―――?

「それはおそらく、この世界を全てをかけた戦いになるだろう―――その戦いでお前らが勝ったなら、我はこの体を、男…キサマに返そう」

「……本当だろうな…」

「ああ、死んだ心も復活させてやろう……そして同時に……女、その時は、お前に大人しく殺されてやるよ…それでどうだ?」

「だから、今この場では逃がしてくれ…って事か?」

「……ふ、ふふ…情けないがそう言う事だ。今の我では、負けるのを待つだけだからな、人質を使わせてもらうとするさ」

「ふざけんな…。だいたい、もし私達が軍を作っても、戦う前に人体消失現象を起こされたら、それで終わりだろうが」

「――そうだな、では――」

 自称神が、軽く手を振る。

「ひうっ!」

 すると、後方から声。

 振り向くと、めーたんの体が淡い光を放っていた。

「お前!何をした!」

「…落ち着けよ、そいつに、『選別』の力だけを分け与えた。お前らの軍に入る人間を、それで『味方』とすれば問題あるまい?」

「…本当だろうな…」

「疑り深い事だな。ならば、試してみるがいい」

 自称神の視線が、男に向く。

 ―――試してみろ、って事か。

「アンタ、選別は?」

問いかけに対して、男は自嘲気味に笑う。

「…言うまでもないだろう?」

 そして、男は腕をまくって見せる。

敵…か―――。

「めーたん」

「…うん、やってみる」

 めーたんは、精神を集中するようなしぐさを見せて―――ゆっくりと指をさし、「みかた…!」と呟いた。

 すると、男の腕に有った『敵』の刻印が、『味方』の刻印に変化する―――!

「……っ!俺が、味方に―――?…ふっ、なるほどな、暁花の混乱が想像出来るってもんだ…」

「…!本当に…」

 驚き、自称神に視線を戻す。

「当然だ。ゲームはフェアでなければな」

 本気……なのか。

 こいつは本気でゲームをするつもりだ。

 ―――――どうする?

 いや、迷う事など無い。

 三年後なんて待たなくても、今ここで男を殺し、そして暁花の体ごと自称神を殺す。

 それが最善で、それ以外は無い。

 それだけの話だ!

 私は、男に気づかれないように、死角の角度から銃を――――。

「…かえたん、やめてあげて」

 その腕をそっと掴んだのは、めーたんだった。

「めーたん…どうして?」

 私の疑問に、めーたんは切なそうに笑う。

「このふたりはきっと、わたしとかえたんみたいなかんけいなんだとおもうの。……かえたんがわたしをたすけてくれたみたいに、このひとも あのこをたすけたいとおもうの…だから…」

 私と、めーたんみたいな……。

 もし、私がこの男の立場だったら……いや、違う。ついさっきまでの私は、今の この男と同じなんじゃないのか?

 自称神なんて訳のわからない奴に目を付けられたせいで、命を狙われためーたん……その理不尽さから、めーたんを救いたいと願っていた私…。

――――そうか…そう言うことか…。

「おい、自称神」

「……なんだ」

 ――――私は、覚悟を決める。

 世界中がどうなるか、それは解らない。

 けれど、少なくとも、今ここに居る四人が、全員幸せになれる方法。

 それを、選ぶ覚悟―――。

「―――約束は絶対に守るか?」

「…当然だ。信じる者を救うのが神だからな」

「―――――そうかよ、じゃあ、私はお前を信じてやる。三年間伸びた寿命を、精々有益に使うんだな」

「………契約成立、だな」

 自称神は、にやりと笑う。

 そして、再び手を上にかざす。

「…!」

 私達が警戒する中、自称神の体が、ゆっくりと浮かび上がる。

「では、三年後また会おう」

「…決戦場所は?」

「伝えるまでもない。三年有れば、我は世界にその名を轟かせる居城を作ってみせよう」

「…………期待してるよ」

「――――――その期待、絶望に変えよう―――」

 ―――その言葉を最後に、眩い光を残し、自称神は消えた。

 しばらくは警戒を続けたが、どうやら本当にこの場を離れたようだった。

「……感謝する」

 男が、刀を下ろし頭を下げる。

 まだ複雑そうな表情はしているが、感謝は本物だと伝わってくる。

「……アンタには、礼よりも仕事をして貰う。それだけの実力者だ、色々とツテがあるんだろう?」

 あの自称神は、自分が前面に出ること無く、今のこの組織が生まれるだけの流れを世界に与えて見せた。

 ……本気を出せば、比べ物にならない程の巨大な軍が出来上がるだろう。

 自分だけで、それに抵抗する軍を作り上げるのは難しい。

 選別以外の神の力を失っためーたんに付いてきてくれる人間がどの程度居るのかは未知数だし、力を失っても、象徴であっためーたんを恨み続ける反乱分子も存在するだろうと考えると―――。

 なんにせよ、この男のような人間が協力者に居れば、だいぶ話は進みやすくなるだろう。

「……了解した。暁花を取り戻すまでは、仲間……いや、アンタの軍門に下ろう」

 …他人の為に、かつての敵の部下という屈辱さえも受け入れる……いい男じゃんか。

「――――あんた、名前は?」

「圭次郎、篠村 圭次郎だ」

「そうか、やっぱりアンタが…」

 私は、暁花が最後に呟いた名前を思い出した。

「あの子が、最後に名前を呼ぶだけの価値がある男、なんだろ?期待してるぜ」

「――――その期待、羨望に変えてやるよ」

 その言葉に、お互い少し笑った。


 その後、圭次郎に今までの流れを簡潔に説明してから上にあがる。

 先ほどの自称神の放った光は、人体消失現象だったようで、殆どの人間が消えていた。

 ………少し探したが、陶松やめーたんの両親、そして教団幹部たちは見つからなかった。

 アレが人体消失現象なら、「味方」のあいつらは生きているハズだ。

 ……見つけたら、今度こそ容赦はしない…!

 ――――さて、まずは、今ここに僅かに残っている人の中から、味方として信頼できそうな相手をどうにかして仲間にする所が第一歩だが……それすらも、なかなか難しそうだ。

 どうしようかと思案している私の手を、めーたんがきゅっ…と握ってきた。

 私はそれをそっと握り返しつつも、どうしても気になる事を訪ねなければならなかった。

「…ねぇめーたん……あの自称神が居なくなったって事は、操作されていた心も戻ったの?」

「……うん、もどったよ」

 ……それはつまり、私を好きだと言う気持ちも消えた――――の、だろうか。

 怖くて、怖くて、今にも泣き出しそうに怖いけど、震えて逃げ出したいけど、でも―――訊かないと、前に進めないから…だから…!

「…めーたん、私の事、好き――?」

 そう問いかけると、めーたんは、ゆっくりと口を開いて――――――

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