第5話 崩壊へ向けて

「おはよう!かえたん!」

「…ん、おはよ、めーたん」

 チュッ…とおはようのキス。

 ファーストキス記念日から一か月。

 セカンドキス記念日までは一週間の間隔が開いたものの、それが終わってからはタガが外れたかのように、めーたんは毎日キスをねだってくる。

 私としても、最初は照れ臭かったが、今となってはもう日常のようなものだ。

 それでも、ただの習慣って訳でも無く、ちゃんと全部のキスに愛をこめているという自負は待ち続けているのだけれど。

 …って、私は今わりと恥ずかしいことを言った気もするが、意識すると照れるので無視!

「ねえ、かえたん、わたしね、きょうおやすみなんだ!」

「知ってるよ、だって私も休みだもん」

「あ、そうか!」

「うん!」

 お互いに、ニカッ!と笑う。

 めーたんは基本的に毎日、「選別」というお勤めをしているが、二週間に一度くらいは休日も有る。

 めーたんの体力、精神的な気遣いもあるが、単純に組織の内部的な事情も大きい。

 組織を運営しているのが人間である以上、どうしたって休日も必要なのだ。

 とはいえ、警備兵やメイドさん達は常駐してはいるのだが。

 つまりは、幹部や事務の人間の為の休み、と言う事だ。

 ……まあ、別に良いんだけどね。休みが必要なのは、めーたんも一緒なのだし。

 それに、主任警備兵である私は、常にめーたんの傍に居るのが仕事なので、めーたんが選別に出ないときは、私も休みみたいなもので、それを受け入れているのだから文句も言えない。

「ねえ、ねえ、きょうはなにしてあそぶ?」

 ……さらに言えば、こうやってウキウキのめーたんを見ていると、純粋に私も嬉しくなってくる。

「そうだなぁ……どうしようか?」

 部屋をぐるりと見回すが、これ!と言った物は無い。

 正直、部屋の中で出来る事にも限界がある。

 ゲーム、テレビ、映画、読書……どれも目新しいものは無い。

 新しく仕入れるにしても、今からじゃあ、手続きやらなんやかんやで2日くらいはかかる。

 『教祖様』の手に渡るものを決めるのは、なかなかすんなりとはいかないものらしい。

……そもそも、私とめーたん、人数が二人って制限が、わりと遊びの選択肢を狭めている。

 たまに強引にメイドさんを遊びに誘う事もあるが、どうにもメイドさんは遠慮してしまって楽しみ切れていないようなので、誘うのも少し気の毒だ。

 ―――さてさて、どうしたものか…。

「めーたんは、何かしたいことある?」

 答えに困った私は、本人に意見をうかがう事にする。

「……ん~……うん、あるよ!」

 しばらく悩んでから、ぽん!と手を叩き、何か思いついた様子のめーたん。

「何?」

「あのね…あの……あのね…!……やっぱりいい」

 だが、もじもじと恥ずかしがって口ごもっためーたんは、最終的に言葉を引っ込めた。

「な~に?今さら遠慮なんて水臭いぞめーたん。言ってみ言ってみ?」

 こちょこちょ~!っと腋をくすぐりながら、言葉を促す。

「きゃははは!わかった!わかったいうから!かえたんだめ~!こちょこちょらめ~!」

「よ~し、さあ言うのだ~。言わないと~」

 一度は手を離すが、その手を腋の傍に待機させたまま、言葉を促す私。

「もう…かえたんのいじわる!……あのね、わたしね……その、いうね?いうね?」

 よっぽど言いにくいらしい。

 私も、ちょっと心を改めて、聞く体制を作る。

「あのね、わたしね……!」

「うん」

「……かえたんと、えっちなことしたいの!」

「…………うん?」

 ――――いやいやいや、そんな事を、そんな真っ赤な顔で、思いっきり言われましても。

 ………ヤバい。超照れる。

 そして可愛すぎる…!

「……その、かえたん…だめ?」

 頬を染めたまま、上目使いで懇願するような目線を向けて来るめーたん。

 ……くぁ!いかん!このままでは、この可愛過ぎるめーたんの魅力に負けて、イケナイ関係になってしまう!

 って言うか今すぐにでもしたいくらいの気持ちに!

 ―――――いやダメだ!ダメダメダメ!

 熱にのぼせそうになる頭を、左右にぶるぶると振って覚醒させる。

 確かに私とめーたんは恋人で、きっといつかはそんな関係にもなるのかもしれないと言うかなりたい気持ちはありまくる!

 けれど、めーたんはまだ年齢的には十四歳。

 そう言う関係になってしまうのはさすがに早いんじゃなかろうか!

 いやまあ、私も経験がないので何とも言えないし、世間の常識が今どの程度の年齢になっているのかは解らないが、でもまだやっぱり駄目だと思うんだ!

「めーたん!」

 がし!っとめーたんの肩を掴む。

「は、はいっ!」

 緊張した返事のめーたん!

 ああもう今すぐ抱きしめたいっ!

 ――――――――だが!

「私は、めーたんの事が大好きっ!」

「わ、わたしも、かえたんのことだいすきっ!」

「だから正直、エッチな事をしたい気持ちはたっぷりありまくる!」

「じゃ、じゃあ…その…して、ほしい…」

 恥ずかしがりながらも、しっかり目を見て来るめーたん。

 くうっ…脳がとろけそう…!

 こらえろ私!

「……!!―――でも、めーたんが好きで、大事だからこそ、そう言う事はまだしない方が良いと思うの!」

「ど、どうして?」

「…いやその、だってめーたんはまだ若いし、私達まだ、恋人同士になって…というか、出会って三ヶ月だし、そう言うのはもっとお互いを知ってからと言うか……」

 ……我ながら、浅い意見だなぁ…と思うのだが、何とか理由を付けないと自分の欲望を抑えられる自信が無い。

「そんなのかんけいないよ!じゃあ、かえたんはわたしになにかかくしごとあるの?たしかにさんかげつだけど、ずっといっしょにいたんだから、ふつうのさんかげつとはちがうよ!」

「……う…」

 確かにそうだ。

 お互いを知るもなにも、私はほとんど全てをめーたんに明かしている。

 そのうえで好きだと言ってくれてる、この奇跡みたいな幸福が、今なんだ。

「……そうだね、ごめんねめーたん。今の言い方は、私が悪かった」

 私は素直に反省する。

 つまらない言い訳で、めーたんの想いを拒もうとした事を。

「じゃあ…」

「……ううん、やっぱりまだ駄目だよめーたん」

 それでも私は、首を横に振る。

 もっと単純に、純粋に、私は自分の心と向き合う。

 世間一般の常識とか、そんなことではなくて、私がめーたんを受け入れられない理由を、ちゃんと考える。

「――――私はたぶん、自信と覚悟が無いの」

 そして、浮かんだ言葉をそのまま口にする。

「…どういうこと?」

 首をかしげるめーたんの頭を、くしゃっ、と撫でる。

「やっぱりさ、女の子にとって、初めてそう言う事をするのって、すごく大事って言うか、大切な事だと思うの」

 それは、めーたんにとっても、私にとっても。

「うん、でもわたしは、かえたんならいいよ?」

 だからそこ、そう言ってくれるめーたんが愛しくて嬉しくて、本当に胸が張り裂けそう。

「…うん、私も、初めてはめーたんとがいい」

「………ほんと?」

「うん、絶対本当」

「かえたん……うれしいっ!」

 ぎゅっ…と、強く抱きついてくるめーたんを、想いをこめて抱き締め返す。

「…でも、だからこそ、もう少し待ってほしいの」

「なんで?」

「――――めーたんの人生は、まだまだこれからずっと続くでしょ?…それで、十年後、二十年後、もっともっとずっと先にも、初めての時を思い出した時、相手が私で良かった、って思ってもらえる存在になれているのかなぁ…って」

「どうしてそんなこというの?わたし、ぜったかこうかいしないよ?かえたんのこと、ずっとずっとすきっ!」

 どこか、少し悲しそうなめーたん。

 ……私はきっと、少なからずめーたんを傷つけているのだろう。でも、それでも、だからこそ、ここで流されてはいけないんだ。

「ありがとう、…でもごめんね。これは私のエゴなの。いつか、自分に自信が持てて、覚悟が出来て……その時に、まだめーたんが私の事を好きで居てくれたなら、その時には、出来る限り、最っ高に、愛させて欲しい…んだけど…ダメかな?」

 もしかしたら、私は難しく考えすぎているのかもしれない。

 でも、簡単に考えてしまって良いことでも、きっとないと思う。

 だから今は……

「私の弱さを、許してくれる?」

 その言葉に、めーたんは考え込むようなしぐさを見せる。

 正直、私のこの想いが、全て伝わる事は無いのだと思う。

 自分自身でも、確固たる何かがある訳でもない、漠然とした不安が大多数を占めるこの感情を、うまく伝える事は、きっと無理だ。

 それでも…

「……わかった、しょうがないなぁかえたんは、わたしが、いつまでだってかえたんのことすきだってわかってて、そういうこというんだもん、ずるいよ」

 めーたんはそんな私を受け入れてくれる。

「…ふふ、ごめんね。私、めーたんに甘えてるのも解ってるんだけど……それが心地良かったりもするんだ」

「……かえたんは、わたしにあまえてるの?」

 目をパチクリさせるめーたん。

 どうやら意外な言葉だったようだ。

「そりゃあそうよ。私はいっつも、めーたんの優しさと想いに、甘えっぱなしよ」

 私が素直な感情を伝えると、めーたんは笑顔と同時に、何か得意げな表情を見せ始める。

「そうかぁ!しょ、しょーがないなぁかえたんは!わたしがいないとだめなんだから!」

 どうやら、甘えられていたと言う事実が存外嬉しい様子です。

「うん、私、めーたんが居なかったら、寂しくて泣いちゃうよ。…ずっと傍に居てね、めーたん」

 姿勢を低くして、めーたんの胸に顔をうずめる。

「……!も、もう!あまえんぼうだなぁかえたんは!よしよし、いいこいいこ」

 めーたんの小さくて柔らかい手が、私の頭を優しく撫でる。

 ……凄く安心する。

 ……私は経験が無いけれど、母親に抱かれる子供っていうのは、こんな気持ちなのかなぁ……と、存在し得ない過去に思いをはせた。

 ――――気が付くと、その姿勢のまま一時間が過ぎていたが、お互いに満たされた気持になったので良しとした。


「……で、改めて、今日どうしようか?」

 なんだかんだで昼食の時間までいちゃいちゃしながら過ごし、そのまま食事も終えた私は、そう切り出した。

「ん~…?ほうはね。ぼうびようば」

「…口の中にモノを入れたまま喋らないの。ああもう、ほら、汚れてるよ」

 私はティッシュを一枚手にとり、めーたんの口の横に付いた汚れをふき取る。

「…うむぐ…むん…ぷはっ、ありがと、かえたん」

「どういたしまして。…それで、どうしよっか」

「う~ん……えっちなこと…は、だめなんだよね」

「だ~め」

「じゃあ、う~ん………」

「……う~ん…」

 二人して、考え込んでしまった。

 普通なら、とりあえず外出して、それから考えるってのも常套手段なのだろうけど……めーたんは外出が禁止されている。

 教祖様を危険から守るため、ってのが大きな理由で、確かに納得できるのだけれど・・・ずっと建物の中じゃあ、息も詰まるんじゃないだろうか。

「……ねえ、めーたん。めーたんは、いつから外へ出て無いの?」

 ふと、浮かんだ疑問を口に出す。

「…おそと?このたてもの の、おそと?」

「うん」

「えっと……きょうそになってからずっとだから、ろくねんくらい」

「……六年!?」

 その、あまりにあっさりと発せられた言葉に、私は激しく動揺した。

「六年も外出してないの?」

「うん」

 それがどうしたの?とばかりに頷くめーたん。

 …その、あまりの境遇に、私は眩暈を覚えて頭を抱える。

 めーたんは、学校にも行っておらず、家庭教師的な人間も居ない。

 まあ、学校に行かないのは理解できる。

 不特定多数の人間が集まる場所にめーたんを送り出すのはあまりにも危険だからだ。

 家庭教師を付けないのも、安全な教師が見つからない、と教団側は言っているが、実のところ、めーたんが教育によって知恵を付ける事を恐れているんじゃないかと、私は思っている。

 事実、まともに教育を受けていないめーたんは、年齢から考えればかなり言動は幼いと言えるだろう。

 ……まあ、そこが可愛いとも言えるのだが、だが、それでもずっとこのままと言う訳にはいかない。

 成長し、知恵を付けためーたんが直接教団を支配下に置くのが、きっとベストだ。

 ……だからこそ、幹部達はめーたんに教育も受けさせず、外出もさせず世間から隔離し、無垢のまま、素直に言う事を聞く「教祖様」を維持したいのではないだろうか。

 ――――けど!

 それじゃあめーたんがあまりにも気の毒じゃないか!

 あんな奴らの犠牲になって、人生の楽しみをいくつ犠牲にさせられているんだ…!

「……よし、決めた」

 私は、覚悟と共に呟く。

「なあに?どしたのかえたん」

「……めーたん!」

 めーたんの両手を、私の両手で包みこむ様に掴む。

「は、はい?」

「お外行こう!今日は外で買い物だ!」

 …本当は、遊園地とか水族館とか、そう言う場所に連れて行ってあげたいが、人の多い場所は危険も多い。

 それでも、本屋とか、ゲーム屋とか、CDショップとか、そう言う場所で思いっきり買い物をさせてあげる位なら、私一人でも守りきれるハズ!

「……おかいもの?ほんとに?」

「うん、今日は思いっきりデートしよっ!」

 その言葉に、眩いばかりの満面の笑顔!

「や、やったぁーーー!!かえたんとでーと!かえたんとでぇとぉーーー!!」

 そして、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、バンザイを繰り返すめーたん。

 ……よし、決まりだ!

 今日は、私とめーたんの初デートだ!


 …と意気込んだものの、色々と事前準備が必要なのも確かだ。

 とりあえずは変装だ。

 最近は顔をさらしていないとは言え、めーたんの顔を知っている人間がいないとも限らない。

 ん~…ベタだけど、アレで行くか。

 様々な貢物が雑多に詰め込まれた衣裳部屋から、七分丈のズボンと、ゆったりしたトレーナーに、ジャージ素材のジャンパー。

 さらには野球帽を取り出し、めーたんに渡す。

「……これなに?」

「着てみて」

「……かわいくない…せっかくのでーとだから、かわいいかっこうしたい…」

 完全に不満を隠そうともしないめーたんだが、なんとかなだめて、まずは着替えてもらう。

「……きてみたよ」

「……ん!良いんじゃない?」

 それは、一見すると美少年のように見える。

 つまりは、男装。

「ん~…でも、ちょっと可愛すぎるなぁ…」

 メイク道具を取り出し、ちょちょい…と、眉毛を少し太くして、目じりをキリリと見せる。

「……うん!見事なまでの美少年!素敵だよめーたん!」

 そこには、普通の女性なら見惚れてしまうこと確実な美少年が誕生していた。

 私としても、めーたんの新しい魅力発見!てな感じで、テンション上がってきた!

「……ん~…かえたんがいいならいいけど…かわいいふく…きたかった…」

 ご本人はまだ不服のようだか、こればかりは我慢してもらうしかない。

 これなら、そうそうバレる事は無いだろう自信作に仕上がっているのだし。

 さて次は……めーたんの視界を塞がなければならない。

 めーたんの「選別」は、本人の意志とは関係なく行われてしまう。

 外で出会う人間を次々選別してしまうのはさすがにマズイ。

 かといって、目隠しをしたまま連れまわしていたらそれはもう変態プレイかと注目されてさらにマズイ。

 そんな訳で、再び衣裳部屋へ。

 ……たしかこの辺に…有った。

 丁寧に向きまで整理された段ボールの群れ。

 その中の一つの側面に、「メッガーネ」と書かれたものがあった。

 ようは、メガネが入っているらしい。

 なぜそう書いているのかはよく分からないが、衣裳を整理してくれているメイドさんの趣味らしい。

 それはともかく、その箱の中から探し出したのは、サングラス。

 めーたんがかけるには少し大きいが、それが逆にオシャレな気もするので良し。

 ただ、このままでは視界を遮るところまで行かない。

 普段「選別」する時に、薄い黒ベールで顔を隠していても「選別」が可能な事を考えれば、サングラス越しでも可能だろう。

 ―――ん~……あ、そう言えば…。

 私はサングラスを持って部屋を出て、机の周辺を探す。

 たしかこの辺りに……あった!

 見つけたのは、黒い太マジック。

 これで、レンズをきゅきゅきゅ~…っと塗りたくる。

「ふむ…」

 塗り終わったのを確認して、かけてみる。

 ……見えない!

 しかも、元から黒いので、傍から見たら普通のサングラス!

 完璧っ!

「よしよし」

 それをとりあえず、ポケットにしまう。

 建物の中は、「味方」か、顔を隠している警備兵しかいないので、かける必要はないし。

「かえたん、まだ~?」

「もうちょっと待ってね~」

「…ぶー」

 待ちきれないご様子だが、まだ最後の関門が残っている。

 誰にも見つからずに建物を出るには、どう考えても私一人じゃあ無理だ。

 誰か協力者が欲しい………って、まあ一人しか思い浮かぶ人はいないのだけれども。


「……お願いします!協力して下さい!」

「おねがいしますっ!」

 呼び出されて早々に二人から頭を下げられ、明らかに戸惑っているのは、いつものメイドさん。

 最初にこの部屋に案内してくれた時から、ずっと献身的に仕えてくれている素敵メイドさんだ。

 「味方」と選別されて、「教祖様の為に働きたいのです!」とメイドを志願してここで働いているという話なので、協力してくれる可能性もあるのかも……と願いを託してみたのだが…。

「そ、そんなの困るのです!サトミはただのメイドなのです!そんな大それたことはメイドの身には不可能なのです!」

 一人称が自分の名前な彼女はサトミ。

 けれど、サトミさん、とか呼ぶと怒る。

 メイドさんと呼んでほしいそうだ。

 ……自分では名前言うくせに…とツッコミたい気持ちは今まで何度も有ったが、なんか面白いのでスルーしてきた。

 ので、今回もスルー。

「そこをなんとか!私は、めーたんを外に連れて行ってあげたいんです!メイドさんだって、めーたんを不憫に思うでしょう?もう六年も外に出てないんですよ?」

「ええっ!?六年もなのですか?」

 驚きのあまり、視線でめーたんに確認を取るメイドさん。

「うん、そうなの。だから、わたしかえたんとでーとしたいの!」

「……うぅ~…サトミ、どうしたらいいのですか?悩むのです…」

 メイドさんにも、私やめーたんの気持ちはちゃんと理解してもらえているようだ。

 元々、めーたんの役に立ちたいと言ってここへ来てくれた人なのだから、めーたんの不憫な立場を気の毒に思ってくれるのは間違いないと、ここまでは確証があった。

 だが問題は、ここからのもうひと押し。

 私としてもメイドさんを巻き込むのは気が引けるが、どうしても協力者は必要なのだ。

「お願いします!責任は私が取るから!もしバレて問い詰められたら、全部話しちゃっても良いし、クビだとか言われたとしても、絶対に撤回させるから!ね、めーたん!」、

「うん!わたし、かえたんのつぎくらいにめいどさんすきだから、ぜったいにまもるよ!」

 その力強い言葉に、心が揺れるメイドさん。

「教祖様…!もったいないお言葉なのです!サトミの事を好きだと言って下さるなんて、恐悦至極に存じますなのです!」

 瞳をウルウルさせながら、深く深く腰を折るメイドさん。

 人って二つ折りに畳めるんだ…と思ってしまうほどのお辞儀を初めて見た。

「じゃあ、協力してくれる?」

「……はいのです!教祖様の為なら、サトミはこの身を差し出す覚悟なのです!」

 私とめーたんは顔を見合せて、ぱんっ!と両手を合わせた。

「やったねめーたん!」

「うん!かえたんとでーと!ありがとうめいどさん!」

 喜んでる私達を見て、笑顔を見せてくれるメイドさん。

 良い人だなぁ。

「…でも、具体的にはどうすればいいのです?」

「簡単だよ、めーたんを連れて、外に出てくれればそれでいい」

「でも、出入口には警備さんが居ますし、監視カメラだって…」

「大丈夫、これを使う」

 差し出したのは、USBメモリ。

「この中には、監視カメラを数分間マヒさせるウイルスが入ってる。と同時に、警報装置を少し狂わせる」

 これによって、数分間警備が混乱するのは確実なので、その隙に連れだしてもらう。と言う寸法だ。

 ちなみに、作ったのは当然私。

 テロ組織に居た時に、サイバーテロの勉強もさせられた経験が役に立った。

「…でも、そんな事して大丈夫なのですか?」

「大丈夫、本当に数分だけでウイルスは自然消滅して、監視機能は回復するようになってるから。上手く外に出れたら、向かいのデパートの屋上で待っていて欲しい。……出来る?」

「が、頑張りますのです!」

「よし、頼みます!」

 めーたんと顔を見合せて、二人で頷く。

 作戦、開始だ!



「御苦労様です!」

 警備室の扉を開けると同時に、敬礼してそう声をかける。

「ん?…はっ!主任警備兵殿!いかがされましたか!」

 室内の責任者がそれに応じて敬礼を返すと、他の警備兵もそれに倣う。

「いや、いかがと言う事もないんだけど、一応主任ですから、たまには警備室の様子も見ようかと思いまして」

「そうでありましたか!こちらは万事問題無く、安心安全であります!」

 この責任者、警備室隊長の高畑は元々軍人だったとかで、妙に暑苦しくて堅苦しい。

 まあ、だからこそ信頼できるとも言えるのだが。

「そうか、それは何より」

 会話をしながら部屋を見回す。

 壁中にモニタが張り巡らされ、建物中の様子がカメラを通じて監視できるようになっている。

 ……普通なら、蟻の子一匹出る事も入る事も出来ないと比喩される程の警備。

 だが、めーたんの為にこれを抜ける!

「ん?アレは?」

「は?なんでありますか?」

「アレだよアレ」

 モニタの一つに目を向けながら、いかにも何かあるかのようにモニタに、そしてメインコンピューターに近づいて行く。

「ほら…」

 部屋中の視線を誘導しつつ、手をコンピューターのUSB端子にかぶせる。

 そして、袖からメモリを取り出し、すかさず差し込む!

「どれですか?」

「ほら、あそこの…」

 十五秒あれば、ウイルスが完全にコンピューターに侵入出来る。

「……わたしには、何も見えませんが…」

「…そうか?おかしいな、気のせいだったかな」

 あと十秒…九、八…七。

 早く…速く…!

「ん?主任警備兵殿」

「・・・どうした?」

 何か、気付かれたか?

「申し訳有りませんが、メインコンピュータに触れるのはご遠慮ください。規則で、プログラマとエンジニア以外は触れないように決まっているのです」

「…ああ、そうだったな」

 あと、五…四…三…!

「悪い悪い、ついうっかりでさ」

「主任ともあろうお方がそれでは困ります。直ぐにお放し下さい」

「ああ、解ったよ…」

 二…一……ゼロ!

 素早く、メモリごと手を離す!

「悪かったね」

「……次からはお気を付け下さい」

 う…視線が痛い…。

「邪魔して悪かったね、私は退散するよ」

「そうですか、お疲れ様です!」

 再びの敬礼。

 私は、部屋を出つつ、一瞬モニターの映像がチラつくのを確認した。

 ウイルス侵入成功!

 部屋を出て、後ろ手に扉を閉めると、ゆっくり歩き出す。

 焦る気持ちを抑えつつ、平常心を装って。

 ……まだか?

 一分ほど歩いたところで、少し不安になる。

 ……そろそろ、警報が鳴っても良い頃なんだけど…もしかして失敗したか…!?

 ……ビー!ビー!ビー!

 ――――来たっ!

 警報を耳にしたと同時に、南口を目指して全速力で走るっ!

 廊下を駆け、階段を飛び、疾風の如く庭を横切る!

 警報は、北口の方で鳴るように仕掛けてあるので、南口は手薄になるハズ!

 少し離れた位置から様子を窺うと、普段は四、五人いるはずの警備が、二人になっていた。

 …二人か……さてさて…。

 私は、辺りを見回し手頃な大きさの石を見つけると、外に向かって投げる!

 ゴトン!と音をたて、見張りの二人が居る場所からは、曲がり角を曲がった先に石が落ちる。

 警備が反応して、二人のうち一人が様子を見にその場を離れた。

 …今!

 背後から、音も立てずに、しかし素早く近づき、残る一人の首元を殴り、気絶させる!

 そして、近くの草むらに引っ張り込んで発見を遅らせる処置をして外へ!

 完璧っ!

 自分でも惚れぼれする位の完璧な成功!

 背後に、まだ警報の鳴り響く混乱を感じながら、私はその場から離れて行った…。


 待ち合わせのデパートの屋上に付くと、そこにはめーたんとメイドさんが待っていてくれた。

 …目立つなぁ、メイドさん。

 まあ、平日の昼間でそれほど人もいないから良いんだけれどもね。

「めーたん!大丈夫だった?」

「あっ!かえたん!」

 めーたんは私に気づくと、サングラスを外して駈けてきた。

「あわわわ!ダメだよめーたん!」

 慌てて駆け寄って抱き締めると同時に、めーたんが手に持っていたサングラスをかけせる。

「もう…あ、メイドさん、大丈夫でしたか?」

「はい、メイド用の通用口にも警備の方はいるのですが、警報で慌ただしかったのでボディチェックをスルーされて、スカートの中に隠れた教祖様と一緒に出られましたのです」

 ……そうですか、そのふんわりスカートはそんな使い道が…わりと大胆ですねメイドさん。

「では、私は教団に戻ります。どうぞ楽しんできてくださいね」

「うん…でも大丈夫?なんなら一緒に出かけて、一緒に帰ろうか?その方が、いざと言う時にすぐに助けられるし…」

「ご冗談をなのです。サトミだって乙女なのです。デートの邪魔をするような野暮はご勘弁なのですよ」

「……そっか、ありがとう。気を付けてね」

「はいなのです!」

 そうして、私とめーたんはメイドさんを見送った。

「……さて…思いっきり楽しんじゃおうか!めーたん!」

「うんっ!!」


そこからはもう、とにかく楽しかった。

 目隠ししためーたんの手をひいて、大型書店へ。

 やはり、店頭で自分の目で探すのは、与えられた物の中から探すのとはまるで違う楽しさがあるようで、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと、常に目を輝かせてはしゃぐめーたんがとにかく可愛くて、同時に嬉しかった。

 めーたんが嬉しいと私も嬉しい。

 それはとても単純な感情だったが、これ以上なく真実だった。

 かなりの本を買い込んだ後は、CD・DVD・ゲームの総合ショップへ。

 同じようにはしゃぐめーたんを抑えるのが大変だったが、レジで「わたしがおかねはらいたい!」と言いだすめーたんが死ぬほど可愛かったので、そんな大変さはまるで苦労ではなかった。

 ……いやまあ、その際にめーたんとレジの店員さんの目が有ってしまい、選別モードに入りかけたのは危なかったが、急いで目を塞いだら防げたのは、有る意味新しい発見だった。

 とはいえ街なかで毎回目を塞ぐ訳にもいかないので、基本的には目隠しサングラスは外せなかったのだけれど。

 ―――――それでも、とても意味のある、貴重な時間だったのは間違いない。

 可能ならばこれからも、こういう時間を作れたら、それはとても幸せだろうと、思った。


 ……本当に、それが可能だったら、どんなに―――――


「さあめーたん、そろそろ教団に着くよ」

 両手にいくつもの袋を抱えて、帰路に着く。

 成果は大量だ。

「…ん~…まだあそびたかった」

「…だね、でも、もう夕方だから、晩御飯までには帰らないと、皆心配するしさ」

「……うん」

 めーたんの不満は明確に伝わってきたが、それでも、同時に納得しているのも理解できた。

 めーたんはめーたんになりに、教祖と言う立場を受け入れ、向き合っているのだ。

「でも、かえりはどうするの?」

 脱出の時はしっかりと計画を立てたのに、戻る方法は全く伝えていなかったので、不安がるめーたん。

「ん?大丈夫大丈夫、普通に帰るよ。だって、教団のやつらはめーたんを外に出したくないんだもん、もう出てる、って解ったら、今度は中に入れようとしてくれるさ」

「そうなの?」

「そうさ」

 それは確信があった。

 まあ多少小言を貰う事は覚悟しなくてはならないが、そのくらいはめーたんの喜びと比べれば些細なものだ。

 そんな話をしているうちに、教団本部へとたどり着いた。

 ……なんだか、かなり騒がしい雰囲気がする……う~ん…予想よりも大事になっているかも…。

 多少気が滅入りつつも、入口の警備に声をかける。

「どうも、御苦労様」

 私に気づくと、警備兵がこちらに駆け寄ってきた。

「主任警備兵殿!どこへ行かれていたのですか!?大変なのです!教祖様…が…?」

 言葉の途中で、私の隣の人物に気づく。

「……まさか…」

「……うん、そのまさか」

 私は、めーたんの帽子を取る。

 はらりと、長く美しい髪がその姿を現した。

「…教祖様!?」

「……えっと、ごめんね?」

「ごめんなさい」

 驚く警備兵に、二人で謝罪。

「……そう言う事でしたか……本当にもう、大変だったんですよ?そう言う事は事前に…」

「事前に言ったら、許可なんかで無いでしょ?」

「それはまあ…そうですが…でも、出来ればこれきりにしてくださいね」

 ため息をつきながらも、笑顔を見せてくれる警備兵。

 どうやら彼もめーたんの気持を理解してくれる人間のようだ。覚えておこう。

「おい、本部に連絡、教祖様無事発見」

「はっ!」

 彼の指示で、部下が連絡を入れる。

 その間に、彼が入口の門を開けてくれた。

「おかえりなさいませ」

「ありがとう、ただいま戻りました」

「ただいま~!」

 そして私達は門をくぐり、建物の中へ。

 これにて私達の冒険デートは、終わりを告げたのだった………と、それで終われば、どんなに良かったかと、今になればそう思う。

 ここから待っていたのは、長い長い地獄だった――――。



      ・



「やぁぁぁあぁぁあぁ!!!」

 ギィィン!!

「ふっ!くお!」

 ギン!ヒュッ!ガン!ガン!ガン!

 狭い部屋の中に響くのは、命を絞るような雄叫びと、刀身のぶつかる音、そして銃声。

 暁花の戦闘スタイルは、刀と銃の変則二刀流へと進化を見せていた。

 右手に刀、左手に銃。

 それを変幻自在に使い分け、相手を圧倒する。

 部屋の中にはざわめきが満ちる。

 いつもの訓練場。

 だがいつもと違うのは、部屋の四方をぐるりと囲む様に、大量の人間が並び、暁花は視線を向けられている。

 圭次郎がどこかから連れて来たその集団は、いわゆる「兵隊」だった。

 圭次郎の部下で有り、彼の手足となり、剣となり、盾となる兵隊。

 組の崩壊で散り散りになっていたが、少しずつ探し当て、今では総勢30名程の集団が出来上がっていた。

 実力派揃いの、完全なる戦闘集団として、秘密裏に組の復興、再構成が行われつつあったのだ。

 そして、今暁花が戦っているのが、その中でも圭次郎に次ぐ実力者とされている人間だった。

 ……だからこそ、この場は喧噪と驚嘆が溢れている。

 たかが十五やそこらの少女が、誰が見てもNo.2を上回っているという事実に。

 初めの頃こそ、「手ぇ抜くな!」「ほらどうした!?」等、笑い混じりのヤジが飛んでいたのだが、暁花の動きの純粋なる凄まじさに場が圧倒されるまでに時間はかからなかった。

 確かに彼らは、修羅場をくぐり抜けて来た実力者だ。

 だが、それだけをして生きているわけではない。

 仕事をし、恋もして、娯楽を享受しながら生きて来た。

 だが暁花は、ここへ来てから八カ月、戦う事しかしてこなかった。

 食事と睡眠以外の全てを修練に捧げてきた。

 比喩ではなく血反吐を吐いても、ひたすら立ち上がり、己の肉体と精神を虐め続けた。

 その密度、錬度の違いが、今この差を生んでいるのだ。

 たかが八カ月、されど八カ月。

 恨みと言う踏み台を下地に、暁花は飛躍的な成長を遂げていた―――。

 キィィィィン…!

 暁花が、相手の刀を弾き飛ばし、同時に深く踏み込み、足をかけ、倒す。

 そしてそこへ、銃をつきつけ…引き金を引いた。

 バンッ!

 派手な音をたてて発射された弾が、相手の額を直撃し、勢いよく頭がブレた。

「なっ!」「なにしやがる!」「殺すことねぇだろ!」

 一斉に部屋中から上がる抗議の声。

 だが、暁花はそれに対し、笑いを返す。

「あははは!これで私の勝ち!でしょ?圭次郎さん」

 部屋の奥で、一人座って戦いを眺めていた圭次郎に視線が集まる。

「……ああ、お前の勝ちだ。よくやったな」

 ニヤリと、満足げな笑顔で呟く圭次郎。

「ちょっ!圭次郎さん!」「そんな事言ってる場合っスか!」

 さらに広がる抗議の声。

「……落ち着けい!」

 だが、圭次郎の一括で部屋中に沈黙が降り注ぐ。

「あの銃に入ってるのはゴム弾だ。死にゃあしねぇよ」

 ざわっ…!と再び喧噪。

 撃たれて倒れている男に視線が集まると、その一番近くに居た一人の男が、覗きこんで確認する。

 視認の次は、触れて確認。

 脈を測り、心臓の音を聞く。

「生きてます!気絶してるだけです!」

 部屋中に広がる安堵の感情。

「当然だ、こんな所で大事な部下を失うほど、俺はバカじゃねえ。そのくらい解ってくれよ兄弟達」

「…すいやせんでした!」「すいやせんでした!」「すいやせんでした!」「すいませんでした!」「しゃーせんっした!」

 謝罪の言葉と共に、暁花と圭次郎を除く全員が頭を下げた。

「気にするな、俺だって説明が足りなかったし、お前らの忠誠心を疑う気は微塵もねえ。これからも、よろしく頼む」

「「「「「「「うおぉっす!」」」」」」

 今度は声と動きを揃えて、圭次郎の言葉に応じる。

 その様子に、暁花は少しだけ圧倒されたが、同時に頼もしさも感じていた。

 圭次郎の持っているカリスマ性と、統率力。

 そしてこの兵隊達。

 打倒教祖が確実に形になって来ているような高揚感を、暁花は感じていた。

「そんな訳で、この暁花を仲間に入れる、その事に文句はないな?」

 圭次郎が部屋中に視線を向ける。

 元々この戦いは、その為に行われたものだ。

 傍から見たらまだ幼さの残る少女を、命をかけた戦いの仲間に引き入れる事に反論があるのも当然。

 それを抑え込むには、実力を見せつけるしかない。

 そして、実力を目の当たりにしてしまえば、もはや反論のある人間など居る筈がない。

 それ程に、説得力のある力を、暁花は見せつけたのだ。

 部屋に漂う沈黙を肯定と判断し、圭次郎は声に力をこめ、叫ぶ。

「………よし、決まりだ!決戦は三ヶ月後!それまで各自、自由に過ごせ!鍛練に身を置くもよし、悦楽に興じるもよし、覚悟を決めて、三ヶ月後再びにここに集合だ!解散!」

「…え?三か月…?」

 一人疑問の声を上げる暁花の言葉は、大勢の男たちの「「「「「おおっす!」」」」という叫びに遮られた。

「ちょっ…あの…」

 一人オタオタと落ち着かない暁花をよそに、男たちは会話をしながら、あるいは何かに想いをはせながら、部屋を出て行った。

 そして、部屋には暁花と圭次郎だけが残された……。

「どうして、三ヶ月後なんですか?」

 今すぐにでも、戦いに行ける。

 暁花にはその自信と覚悟が生まれていた。

「……もし、今すぐにでも戦えると思っているのならそれは思い上がり以外の何物でもねぇぞ」

「……!」

 心を見透かされたようで、一瞬ひるむ。

 だが、すぐに修正し、立ち向かう。

「どうしてですか?実際に今、私はあの人に…!」

「ああ、勝ったな」

「じゃあ……!」

「試合では、勝った。だが、実戦で勝てるかどうかは別の話だ」

「……どういう意味ですか?」

「そのままの意味さ」

 圭次郎はそこで一呼吸置き、深く、重い声で呟いた。

「お前……人を殺せるか?」

 ――――その言葉に、暁花は反論できなかった。

 何とか言葉を紡ごうと言語回路をフル回転させるが、次々浮かぶ言葉の全てが適当ではない気がして、声として発せられない。

 人を、殺せるか……その言葉が暁花の心に与えた衝撃は、暁花自身では全く想定していない程の大きなものだった。

 その言葉の持つ意味の大きさが、今重くのしかかっていた…。

「…………」

 結局、言葉を失い下を向くしか、暁花の出来る事は無かった。

「…ま、そう言う事だ。最後にはその覚悟がモノを言う。それが出来ない以上、敵を殺さなくても倒せるようにしなきゃあならない。それは、殺すことの数十倍難しいからな、今のお前じゃあ無理だ」

 圭次郎は立ち上がり、ゆっくりと暁花に近づく。

「……ただ、一つだけ、それを克服する手段がある。それが出来れば、明日にでも戦いに行けるぞ」

「…え?そ、それって―――」

 顔を上げた暁花の目の前には、大きくそびえ立つ圭次郎。

 暁花が持っていた刀の刃をおもむろに掴むと、その切っ先を自身の心臓に突き付けた。


「今ここで、俺を殺せ」


 刀を握った圭次郎の手から、赤黒い血液が刀身を伝わり、鍔を越え、暁花の手を濡らす。

 その生々しい暖かさに、暁花は自分の意志とは関係なく体が震えて来るのに気づいた。

 刀がカチャカチャと音を立てる。

 それは、暁花の感情の揺らぎを表しているかのように、徐々に激しくなる。

「……俺が初めて殺した相手は、兄貴と慕っていた相手だった」

 まるで独り言のように、圭次郎は静かに語り始める……。

「まだガキだった頃から目をかけてくれてた人で、本当の家族なんかよりもよっぽど俺の人生を導いてくれた、心底尊敬していた人だった。人として、惚れてた…んだろうな、きっと」

 少し、寂しそうな笑顔。

 それは、暁花が初めて見る圭次郎の表情だった。

「けど、兄貴は組を裏切って逃げた……詳しい事情はよく解らないが、結果として、組の幹部が一人死んでな……兄貴を発見しだい始末する命令が、組員全員に下された。……で、最初に兄貴を見つけたのが、何の因果か俺だったのさ……」

 圭次郎の脳裏に浮かぶのは、その時の記憶……道端の草の色まで思い出せるような、鮮明に焼き付いて消えない、慙愧の記憶―――



「待て!……くはっ…!待って!待ってく兄貴!」

 走る。

 雨の降りしきる町の中を、傘をかなぐり捨て、ひたすらに、前方の背中を目指して走る。

「兄貴!…はっ!はぁ!頼む!待ってくれ!話を聞かせてくれ!なぁ!兄貴」

 恥も外聞もなく、通行人達の視線がことごとく突き刺さる中、大声をあげながら、奮発した高級スーツが雨でぐちゃぐちゃに濡れ崩れるのも構わず、背中に追いすがる。

 だが、背中はそれに応える事は無く、一度も振り向かず、通行人を弾き飛ばしながら、路上駐車の自転車をなぎ倒しながら、信号を無視し、車にクラクションを鳴らされ、急ブレーキで止まった車のボンネットの上を走り、延々と逃げ続ける。

 圭次郎はそれを追いながらも、頭と心がぐちゃぐちゃにかき回されているようで、今にも大声で、言葉にもならない言葉をでたらめに叫び回りたい衝動に駆られていた。

 ……追いかけて、追いついて、それでどうする―――?

 組からの命令は、殺すこと……はたして自分にそれが出来るのか。

 そもそも、なぜこんな事になっているのか。

 なぜ兄貴は、何も説明せずに、逃げるだけなのか―――。

 あんなにも信頼していたのに…!

 俺は裏切られたのか!?

 ……でも、信じたい…!

 俺と兄貴には、血の繋がりを超えた、義兄弟の絆が確かに存在していたと、そう感じていたんだ……!!

 だから―――――!

 走って、走って、走り続けて、気付けば町を外れ、草むらを抜け、周囲を樹に囲まれた山道へ。

 それでも足は止まらず、山を登り、下り、けもの道を抜けて――――――辿り着いたのは、切り立った崖だった…。

 そこで初めて、背中が近づいた。

 足を止め、息を切らし、呆然と立ち尽くすその背中に、圭次郎は声をかける。

「……はぁ!はぁ!はっ…はっ…かは…はぁー……っ…兄貴…なあ、聞こえてるんだろ……兄貴っ!」

 強まった雨の音にかき消されないように、肺の中に残った空気を全て吐き出すほどの大声で呼びかけると、初めて反応し、目の前の人物が、ゆっくりと振り向いた…。

「……ったく、しつこいんだよお前は…女に嫌われるタイプだな」

 風霧 燕(かざきり つばめ)、圭次郎が兄と慕う男が、雨と汗で塗れた髪をかきあげながら、どさりと地面に座り込んだ。

「あ~…もう一歩も動けねぇ。今なら、ツチノコが目の前に居ても動きたくねぇから無視するな」

 そう言って、軽く笑う。

 だが、圭次郎の中には、抑えていた怒りが、徐々に、しかし確実に湧き上がっていて……そして、弾けた。

「何であんな事したんだよ!」

 口から出たのは、純粋な疑問。

「……あんな事ってのは…どれの事だ?」

「全部だ!」

「……全部、ね。組の金を盗んで、それに気づいた幹部をナイフで刺し殺して、追手の組員数人をボコボコにして逃げた事か?」

「―――――なんで、そんな事を…」

「まあ、色々とな」

 燕は、一切言い訳をしないし、理由も話さない。

 それが、圭次郎には悲しかった。

「……俺の事を、信用してくれないのか?理由を話してくれれば、きっと力になれる事もある!だから…!」

「ははっ、調子に乗るなよ下っ端が。お前に出来ることなんかねぇよ」

 それは、軽い口調では有ったが、明確な拒絶だった。

 今まで積み上げて来たと思っていた絆のあまりの脆さに、圭次郎は膝を折り、跪いた。

 圭次郎の心を襲う絶望。

 ……そして、それを追ってやって来たのは怒りだった。

「あんたを信じてた俺がバカだった…そう言う事か?」

「―――解ってるじゃねぇか」

 その言葉が、最後の扉をこじ開けた。

「そうかよ…!」

 啓次郎は、腰に挿していた銃を取り出し、燕に向ける。

「なら、あんたももう自分の運命は解ってるよな…?」

「……ああ、当然な。俺は出来が良いからよ」

「……出来の良い人間は、こんな結果になっていると解ってて裏切ったりしねぇだろ」

「……解っててもやらなきゃならない事もあるさ、お前には、まだ解らないかもしれねぇけどな」

「……解りたくもねぇし、仲間を裏切って殺すような道理はねぇよ」

「……ははっ、違いない。……さあ、もう良いだろ。終わらせてくれよ。ちっとばかし、疲れちまった」

 燕は、ゆっくりと目を閉じる。

 それは、覚悟の表れ。

 啓次郎は、ゆっくりと引き金に指をかけ……引いた。

「悪りぃな、兄弟…」

「…え?」

 銃声にまぎれ、僅かに聞こえた燕の声。

 だが、それに気づいた時にはもう、弾丸が燕の額に風穴を開けていた…。

「……なんなんだよ……最後に謝ったりしやがって!畜生!バカ野郎―――――!!!」

 圭次郎の感情に呼応するような、激しい雨と風が叩きつける。

 声と涙が枯れるまで、圭次郎はその場を動く事が出来なかった――――。



「後で知った話じゃあ、ベタな話だが兄貴には難病を患った子供が居てな、手術には膨大な金が必要だったとかなんとか…。幹部を殺したのも、刺さってたのが幹部自身のナイフでな、もみ合ってるうちに刺さっただけで、兄貴が刺した訳じゃないかもしれねぇ…。…ま、奪って刺したのかもしれねぇし、金だって遊ぶ金が欲しかっただけかも知れねぇ……本当のところは誰にも解りゃしないのさ」

 淡々と、だが底に秘められた感情が漏れ伝わってくるような、そんな語り口で圭次郎は暁花に過去を伝えた。

「……なんで、今アタシにそんな話を?」

「ん?まあつまり…最初に一番大事な人間を殺すと、その後が楽だって話さ……実際俺は、そのあと何人も殺したが、兄貴を殺したのに比べれば、自分でも驚くほどにあっさり殺せたもんさ…」

「―――だから、アタシにあんたを殺せって、言いたいの?」

「……お前にとって俺が一番とは思わないが、それでも今一番近い位置に居る自負はある。俺を殺せれば、仇である教祖様を殺すのも楽だろうと思うぜ?」

 暁花の刀を握ったままの手からは、依然ポタポタと血が流れ続け、足元に血だまりを作っていた。

「……理屈は解った…でも…、アタシは!」

 反論をしようと暁花が口を開いた瞬間、圭次郎の明るい声がそれを遮った。

「ってのが、まあ最初の計画だった訳だが……やめた」

「……は?」

「つまり、お前を誘った時は、最後に俺を殺させる予定だったが、この何ヶ月かで気が変わった、って話だ」

 突然の表明に、暁花は茫然と立ち尽くし口をパクパクさせる。

 その間に、圭次郎は刀から手を放し、服で血を拭いながら、軽いトーンで話を続ける。

「いててて!格好つけるんじゃなかったなぁ…お~いてぇ。…ま、そう言う事だから、あと三か月、みっちり鍛えてやるから感謝しろよ?」

「……ふ…」

「ん?なんだ?今日の味噌汁の具はお麩が良いって話か?」

「ふざけんなぁーーー!!」

 暁花は叫んで、刀を振り回し始めた!

「ちょっ!待て!待てってコラ!」

「アタシは本気で悩んで、本気で怖かったんだぞ!それを、それをーーー!!」

 下がりながら刀を避けていた圭次郎の背中が、壁にドン、と当たり動きが止まる。

 そこへ、暁花が喉元へ刀を突き付ける!

「はぁ!はぁ!…ふぅーー!!」

「待て待て、落ち着け落ち着け」

「アタシは、アタシは……!!」

 そこで、圭次郎は気付く。

 暁花の瞳から、涙がこぼれ落ちている事に。

「アタシは、また大事な人を失うのかって、怖くて……本当に怖くって…!」

 暁花は、刀を落とし、両手で顔を覆い、声を抑える事もかなわずに、ボロボロと涙をこぼし続けた。

 その様子を、少しバツの悪そうな表情で眺めていた圭次郎だったが、そっと、血の付いていない方の手で暁花の頭を撫でる。

「悪かったな……けどさ、俺は俺で責任と覚悟が有ったんだ……お前みたいな普通の女の子を、こんな世界に引き込むからには、てめぇの命の位は犠牲にしねぇと、割があわねぇと思ってよ…」

 暁花は、まだ止まらない涙をぬぐいつつも、顔を上げて圭次郎と向き合う。

「でもさ、お前を見てて思ったんだ。人殺しが似合わねぇ……ってさ。しかも、殺しの為の殺し、となればなおさらだ。そんな事をして、お前の人生に傷をつけたくなくなったんだよ…」

「……だったら、何でアタシを鍛えるの?アタシは、ちゃんと覚悟してる。教祖だったら、ちゃんと殺してみせる!」

 そこに見えたのは強い決意。

 自分の人生を台無しにした存在を、決して許さないと言う憎悪。

 ……だが、そんな憎悪を纏いながらも、その瞳はどこか澄んでいた。

「わかってるさ、教祖はちゃんと、お前に殺してもらう……でなきゃ、「英雄」が誕生しないからな…」

「……英雄?」

「ああ…。いいか、たとえ俺が教祖を殺しても、俺は英雄には決してなれない」

「……どうしてよ」

「決まってる、俺が汚ねぇからさ。どう取り繕っても、俺は所詮ヤクザだ。教祖を倒しても、英雄にはなれない。世間はただ、首がすげ変わって、ヤクザが権力をもったと思うだけさ」

「そんな……」

「世間ってのはそんなものさ。その点お前は違う。父を殺された悲劇の少女だ……ドラマの設定としては最高じゃねぇか」

「…それじゃあ、お父さんは?お父さんも仲間だったんでしょう?…まさか、失敗することが解っててわざと…」

「それは違う」

 今までになく強い否定。

 それは、暁花の中に生まれたわずかな疑念を捻り潰すには十分な力を持っていた。

「その時の俺は、あいつが本当に教祖を倒せると思っていたし、それでいいと思っていた。……けど違った。今や世界は教祖の味方で、逆らった物には温情無き罰が下る。……お前も経験しただろう?」

 暁花の脳裏を横切ったのは、自分に向けられた冷たい視線の数々。

 家への嫌がらせが無い日は、一日も無かった。

 世の中全てが自分の敵になったような、恐怖を伴う孤独感―――――。

 過去の記憶が、今でも暁花の体を震わせようと襲い掛かってくる。

「……悪かったな、思い出させて。…だが、それが現実なんだ。そして時間が経てば経つほどに世界は教祖に汚染されていく……この八カ月で、あの頃よりもさらに汚染は広がっている」

 ぽんぽん、と圭次郎は暁花の頭を軽く叩きながら撫でる。

 その暖かさに、恐怖が薄らぐ。

「だからそれを変えるには、ドラマが必要なんだよ。世の中の流れを大きく変えるドラマが……それが、お前だ」

「……そんな、私、そんな事急に言われても…」

 唐突過ぎる申し出に、暁花は動揺を隠せない。

 ただの復讐だったハズなのに、自分が英雄に・・・?

「…ま、難しく考えるな、お前は復讐を達成することだけを考えろ。あとは、世の中が勝手にやってくれるさ……お前を傷つけるのも世界なら、お前を守るのも世界だ」

「……解ったよ、とりあえず、三ヶ月後、だね」

 まだ頭の中はぐるぐるしていたが、今は無理にでも忘れる事に決めた。

 何がどうなっているにしても、自分に出来るのは、とにかく強くなって教祖を倒す。それだけなのだから…。

「ああ、これからは本気で鍛えるから覚悟しておけ!三ヶ月で、俺に確実に勝てるようになってもらう!」

「―――望むところです!」

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