第4話
ヴァートとカーライルは、昼前にはヴァートが滞在した宿場町に辿り着いた。ヴァートがここからエディーンに向かったときと比較すると、かかった時間は三分の二程度だ。ほとんど小走りのような歩調で進んできたふたりである。
「これなら、少し速度を落としても大丈夫だな」
夜までには、目標の宿場町ルースまでには辿り着ける。カーライルはそう判断した。
前日泊まった宿の前で、ヴァートはふと足を止めた。
れいの兄妹のことが、思い出させたのである。
医者は、最低三日様子を見るように言いつけていたはずだ。この日はあれから二日後だから、兄弟はまだこの宿に滞在していることだろう。
(あの兄のほう――たまたま体調を崩した、という感じではなくて、相当身体が弱っているように思えた)
男を背負った時の手ごたえのなさは、とても成人男性のものとは思えぬほどだった。彼はもともと身体を壊していたのではないか――ヴァートはそう推測する。
病身の兄と、年若い妹のふたり旅。どこへ向かっているのかは知らないが、その旅路にはまだまだ困難が待ち受けることだろう。
力になってやりたい気持ちはある。しかし、なにやら込み入った事情を抱えるらしい人間にとって、どこまでが「親切」で、どこまでが「お節介」になるのか。ヴァートはその線引きをすることができない。
「お、どうした?」
先を歩くカーライルが振り返った。
「あっ、いえ、なんでもないです。済みません」
ヴァートは慌ててカーライルを追う。
宿場町を出たあとは、大きな街道に沿ってレンを目指す。
「こっちに来たときは、近道をしようと脇道に入って酷い目に遭いましたよ」
ヴァートは、カーライルにこぼした。
地図を読みこんだヴァートは、当初予定していた毛色よりも大幅な近道が見込める道を発見した。勇んでその脇道に入ったヴァートであるが、想像だにしなかったきつい傾斜にてこずり、結局かなりの時間と体力を無駄にしてしまった。
「ありがちだな。旅の初心者は、よくやるんだよ」
実家を飛び出してから、カーライルは国中方々を旅して回った時期があった。旅に関しては、ヴァートよりもはるかに経験豊富である。
「地図上では遠回りに見えても、結局は大きな道沿いに進むのが一番早いことがほとんどなんだ。脇道ってのはたいがい、お前が体験したように坂がきつかったり、足場が悪かったりする。場合によっちゃあ、増水した川なんかに行く手を遮られて立ち往生、なんてことさえある」
「先輩もそんな失敗したことがあるんですか」
「まあ、若いころにな。それから、俺は山賊なんぞが恐ろしいわけじゃないが、やはり人の行き来の多い道は安全だからな」
と、カーライルは講釈する。
「そら、たとえばあそこだ」
カーライルは、街道の先に見える脇道を指さす。街道脇の森の中に向かって切れ込んでいく、細い道だ。
「あそこなんかは、距離的にはかなりの近道になるんだが、道は凸凹だし、森の中には沼がいくつかあって大量の藪蚊が湧いて出る。うっかり入ると大変だぞ」
カーライルは、レンとエディーンとの間を何度も往復している。この界隈の道には明るい。
「っと、言ってるそばから、あの道に入っていく奴らがいるみたいだぞ。無鉄砲だなぁ」
脇道にふたりの旅人が入っていくのを、ヴァートも認めた。
「あれ、あの人たちは……」
見覚えのある旅装であった。
「三日は安静にしてなきゃいけないはずだけど……無理をする」
「どうした? あの旅人を知っているのか」
「はい、たぶん。こっちに来るときにちょっと知り合った人たちだと思います」
ヴァートの眼はいい。彼らの帽子や上着の特徴は、たしかにれいの兄妹のそれと一致していた。
「それなら、忠告してやったほうがいいんじゃないか? 全身蚊に刺されてからじゃ遅いぞ」
「そうですね――」
ふたりの姿はすでに、森の脇道に消えていた。ヴァートたちと兄妹との距離はまだかなりあるが、少し急げばじきに追いつける程度のものである。足を速めようとするふたりであったが、後方から複数の慌ただしい足音が響いてきたため、思わず後ろを振り返る。
足音の主は、七人の男たちであった。年齢は二十代から四十代まで様々で、ごく一般的な旅装に身を包む。全員が帯剣しており、武術の心得があるのはその身のこなしから明らかである。
男たちは駆け足でヴァートたちを抜き去って行く。旅においては、一定の歩調を保つのが疲労を抑える
「なんだ、あの連中は」
カーライルも、怪訝な表情を見せた。
「変な奴らですね。あっ、あいつらも脇道に――」
兄妹と思しきふたりを追うように、男たちは脇道に入っていく。
突如、悪い予感がヴァートの脳裏に浮かんだ。
人目を憚るようにして旅するふたり、そして彼らの後をついて走る剣呑な雰囲気の男たち。
「先輩、走りましょう!!」
「なんだかよくわからんが――承知した!」
悪い予感というのは的中するものだ。
森の中をしばらく進んだ先――ヴァートが出会った兄妹は、七人の男に追いつかれていた。男たちの手には、陽光に煌めく白刃が握られている。
「いかん――!」
カーライルはとっさに石くれを拾い上げると、思い切り投げ放った。石くれは狙いを外し、道沿いの立ち木の幹に当たって跳ねた。
しかし、男たちの注意を惹くのには十分であった。男たちが振り返った隙に、妹が兄を背に庇う。
男たちは、顔を寄せ合って一言二言言葉を交わす。七人のうち、五人がヴァートたちの方を向く。残る二人は、そのまま兄妹と対峙した。
男たちが、兄弟に襲い掛かろうとしていたことは明白だ。いままさに、人を傷つけようとしていたところを見咎められたのだ。男たちが取り得る行動は限られる。ひとつは、速やかにその場から逃げ出すこと。そしてもうひとつは、ヴァートたちもろとも口を封じてしまうことだ。
男たちが選んだのは、後者であった。
「ヴァート、俺が道を切り開く。お前は奴らの間を突破し、あの二人を護れ」
走り寄りつつ、カーライルが言った。
「わかりました――でも、間に合いますかね」
まだまだヴァートたちの剣が届く距離ではない。間合いを詰める間に兄妹がやられてしまわないか、ということだ。
「意外と大丈夫みたいだぞ。見ろ」
女性が、背の荷物に括り付けられていた円筒状の袋を取り外すと、素早く中身を引き抜いた。出てきたのは、細身の短槍であった。
女性の構えは、遠目から見ても堂に入ったものであった。
ふたりの男に対し、女性がどれだけ戦えるのかは未知数だ。しかし、わずかなりとも時間を稼ぐことができればそれで十分だ。
「行くぞ、続けッ!!」
「応ッ!!」
抜剣しつつ、カーライルは一気に五人の男に肉薄する。
ふたりの男がそれを迎え撃った。まずひとり目が、大上段からの一撃。カーライルが横に跳んで避けたところに、ふたり目が剣を薙ぐ。跳躍後の着地ぎわというのは、人間の体勢がきわめて不安定となる瞬間だ。
「――ぬるいな」
しかしカーライルは動じぬ。鋭く剣を振り抜いて横薙ぎを打ち払うと、手首を返してもう一撃。カーライルの剣は、男の太腿を斬り裂いている。まさに、眼にも留まらぬ早業であった。
続いて、カーライルは大きく振りかぶって斬撃を放った。いかにもな大振りの一撃。まず当たるものではないが――これはあくまで牽制である。
「いまだッ!!」
カーライルの斬撃は、男たちの間に隙間を作った。そこを、ヴァートが一気に駆け抜けた。
女性は、槍の長い間合いを活かして上手くふたりの男の攻撃を凌いでいる。そこへ、ヴァートが突っ込んだ。
「はぁッ!!」
女性に対する男のひとりに、背後から奇襲を仕掛ける。敵もさるもの、とっさに身を捻ってヴァートの斬撃を避けてみせた。しかしその隙に、ヴァートは男の脇をすり抜けると、槍の女性と並び立った。
「大丈夫ですか」
「ええ。あなたは――」
「話はあとです。すぐに、こいつらを片付けますから」
「しかし、あちらのお方が!」
その間、カーライルは四人の男による猛攻を受けていた。しかし、ヴァートは慌てる素振りも見せぬ。
「あの人なら大丈夫」
ヴァートの言葉どおり、多勢を相手にしながらもカーライルはまったく崩れない。
守りに回ったときに無類の強さを誇るのが、このカーライルという男である。彼は、たとえハミルトンを相手にしても、易々と一本を取らせることがなかった。相手の剣を捌くことに関しては、ハミルトンの弟子たちのなかでも彼に敵う者はいない。
むろん、カーライルは攻めるのが下手だというわけではない。次々放たれる斬撃を避け、弾きながらも、的確に返し技を繰り出す。
「ふッ!」
カーライルの一撃が、一人の男の小手を打つ。さらに、背後から上段斬りが襲い掛かるが、カーライルは回転しつつの斬り上げでそれを弾くと、間髪入れず男の胴を薙ぐ。殺さぬよう、絶妙に力を加減した斬撃である。カーライルの剣は、男の腹筋を斬り割ったのみであり、内臓にまでは達していない。
これで、戦闘不能となったのは三人。戦えるのは、ヴァート・カーライル・槍の女性に対し、男たちは四人。三対四の状況とはいえ、カーライルの腕前は証明済みだ。男たちに、数の優位はもはやない。
「まだやるか」
ヴァートが、一歩前に出た。カーライルもそれ以上手を出さず、男たちの出方を待つ。
男たちは、しばしの逡巡を見せたが――互いに目くばせすると、一斉にばらばらの方向へと駆けだした。
「待て!」
後を追おうとするヴァートであったが、その肩を掴む者があった。
「お待ちください」
槍遣いの女性であった。
「でも――今なら奴らを捕まえられますよ」
致命傷ではないけれども、男たちのうち三人は怪我人である。追いかけて捕縛するのは難しくない。
女性は、首を横に振りつつ、
「騒ぎになっては困るのです。どうか、この場でことを修めていただけないでしょうか」
と、懇願する。
「いいんですか? 真剣で斬りかかってきた奴らですよ」
「……あの者たちを役人に突き出しても、私たちの問題は解決しないのだよ」
答えたのは、男性――兄のほうであった。
「兄上、お体は平気ですか」
女性は、槍を納めると兄に駆け寄った。
「ああ、大丈夫だ、アリシア」
男が、生気の薄い顔に微笑を浮かべる。
「危急を救っていただき、感謝する」
妹同様の折り目正しさで、男は礼を述べた。
「ひょっとして君は、二日前に私を助けてくれたという青年なのでは?」
「どうしてそれを?」
「妹から話は聞いている。金色の髪に、翠色の瞳を持つ精悍な若者だったと。その節は、私も意識が朦朧としていたため、失礼をした。重ねて礼を言わせていただきたい」
「いえ、礼を言われるほどのことではありません」
「痛み入る。おっと、そういえば妹は名前も名乗っていなかったそうだな。改めて、私は――」
「兄上!?」
自らの姓名を明かそうとした兄に、妹は困惑を隠せぬ。
「いいのだ。これだけの大恩を受けながら、名も名乗らぬなど、私はお前をそのような礼儀知らずに育てた覚えはない」
「それは……」
「妹が無礼な真似をした。私はフェオドール・オーランシュ。そしてこちらが、妹のアリシア・オーランシュだ」
と、男は一礼した。
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