第3話

 ほとんど歩き通しで、ヴァートは午後エディーンの村に到着した。 

 村はずれの山麓にあるハミルトン道場に辿り着いたヴァートは思わず、

「ここは変わっていないなぁ」

 と、ひとりごちた。

 ヴァートがレンに出てから半年と少ししか経っていない。道場に大きな変化がないのは当然といえば当然なのだが、ヴァートにとっては半年前が随分昔のことのように感じられる。レンで過ごした半年は、それだけ密度が濃いものだったのである。

「おっ、ヴァートじゃないか?」

 道場の門前にて作業をしていた男が、ヴァートに気づいて驚いたような声を上げた。男は、金槌と釘を手に、腐りかけた木製の塀を修繕しているところらしかった。

 大柄だが線は細め。伸ばし放題の黒髪をうなじの後ろでひっつめて括り、口元とあごには無精ひげを生やしている。細い垂れ気味の眼に、どこか愛嬌を感じさせる男だ。

「カーライル先輩、お久しぶりです」

「半年ぶりか。少しは男らしい顔になったじゃないか」

 男はそう言って、ヴァートの肩をばんばんと叩く。

 男の名は、レスター・カーライル。彼は当年二十四歳で、道場ではヴァートと一番歳が近い兄弟子だ。気さくで面倒見がよく、慣れない環境で苦労するヴァートは彼に随分助けられたものだ。ヴァートにとっては、兄貴分のような存在である。

「しかし、急に帰ってくるもんだから驚いたぞ」

「いや、師匠には手紙で報せたんですけど……」

「ああ――それは師匠らしいなぁ」

 カーライルは苦笑した。ヴァートの帰還は、弟子の修行とは関係がない。なので、ことさら皆に教える必要などはない――ハミルトンは、そういう考え方をする男なのだ。

「さあ、立ち話もなんだ。昼飯は食ったのか?」

 と、カーライルは道場の母屋へとヴァートをいざなう。塀の修繕に使っていた道具をほっぽり出したままであるが、カーライルはいい言い方をすれば大らか、悪い言い方をすればいい加減なところのある男なのだ。

 母屋の玄関口では、ハミルトンが待ち構えていた。

「騒がしいと思えば、お前か」

「師匠、お久しぶりです。ただいま戻りました」

 ハミルトンは無言で頷くと、踵を返し母屋の奥へ向かった。それが、「ついて来い」という意味であることを、ヴァートは理解している。ハミルトンは、常日頃から無駄な言葉は一切発しない男だ。三年半道場で暮らす間、ヴァートはハミルトンの微妙な表情の変化から彼の意図するところを読み取るすべを身に付けていた。それは、五人いる兄弟子も同様だ。

「では、俺は塀の修繕に戻るとするか」

 カーライルは、ハミルトンがヴァートと二人で話したがっていることを察したようだ。師に一礼し、母屋を離れた。

 奥の部屋で、ヴァートはハミルトンと差し向かいで座った。普段道場の者たちが食堂として使っている部屋だが、昼食後の午後はみな外で農作業をしている時間だ。ハミルトンと門下生は半自給自足の生活をしており、道場の外には畑、厩舎には牛と羊が飼われている。

「手紙にも書きましたけど――改めて、すべて話させてください」

 レンに出てからの出来事を、ヴァートは長い時間をかけて語った。

 レンで命を狙われ、紆余曲折あって記憶を取り戻し、自らの生い立ちを知ったこと。マット・ブロウズとの対決、そして家族の仇ルーク・サリンジャーを成敗――殺したわけではないけれども――したこと。

 アイザック・ローウェルにまつわる事件、そして王国軍秋季大会での戦い。

 ハミルトンは、相槌も打たずにそれを聞いていた。

 彼はほとんど表情を変えなかったが、マット・ブロウズの名が出たときには唇を歪め、アイザックがやくざ者を打ち倒したと聞いた時にはわずかに口の端を上げたようだった。

「ブロウズと戦ったか」

 ヴァートが話し終えてからしばし黙考していたハミルトンは、おもむろに口を開いた。

「はい。恐ろしい遣い手でした。本当なら俺が敵う相手じゃなかったでしょう。勝てたのは運がよかったからです」

「幸運を引き寄せるのは、飽くなき勝利――否、生への執着だ。お前はその点において奴を上回っていたということだ」

 眉間に皺を刻んだまま、ハミルトンは言った。ハミルトンなりに褒めているようなのだが、彼をよく知らぬ人間からすると、その表情は怒っているようにしか見えない。

「それで、マット・ブロウズのことなんですけど――師匠の知り合いなんですよね」

 ハミルトンが頷く。

「どういう知り合いなのか、聞いてもいいですか」

「――ブロウズとは、若いころとある試合で戦ったことがある」

「どっちが勝ったんですか」

「勝敗つかず――引き分けだ」

 シーラントの武術試合では、引き分けというのは珍しい。決着がつくまで試合が続けられるか、さもなくば旗判定で勝敗が決められる試合がほとんどで、引き分けがある試合というのは少数派だ。日程に余裕のない総当たり戦など、ごく一部の試合でのみ、引き分けとなる可能性がある。

「その夜、偶然酒場で奴に会った。話を聞いてみると、奴の剣はごく初歩的なところを郷里の道場で学んだのみで、あとはほぼ我流だという。しかし、それにしてはしっかりとした剣術理論というものを持っている男だった。なかなか面白い奴だと思い、それ以来、なんともなしに交誼が続いていた」

「ブロウズさんが人を斬っていたことは?」

「知っていた。というより、俺も奴に真剣勝負を挑まれた」

「えっ!? それで、師匠はどうしたんです」

「むろん断った。奴は落胆していたようだが」

 ハミルトンは、ふっと遠くを見るような目をした。

「人を斬ることで、技が磨かれる――そういうことも、確かにあるのだろう。しかし、人斬りの誘惑に囚われた人間は、いつしか人を斬ること自体を目的とするようになるものだ――俺はかつて、師匠にそう聞かされたことがある」

 ハミルトンの言う師匠とは、マーシャの師でもあるマイカ・ローウェルのことだ。

 マイカが若かったころ、シーラントはまだ不況から抜けきっていない時期であった。治安は現在と比べ物にならぬほど悪く、マイカも自らの身を護るため、何度か人を斬ったことがあるという。そして、人斬りの魅力に取りつかれ、身を滅ぼした人間も多く見てきたとか。

「力を持つ人間は、それだけ強く自戒せねばならぬ。覚えておけ」

 ヴァートは、マーシャから聞いた彼女の過去を思い出す。彼女もまた、道を踏み外しかけた人間であった。マーシャがもし人としてのこころを取り戻さなかったとしたら、ヴァートの命運は家族が殺されたあの夜に尽きていたことだろう。そしてマーシャほどの力を持つ剣士が、いまだ裏の世界で暗躍していたとしたら――想像するだけで、ヴァートは戦慄する。

「実は二月ふたつきほど前、奴がここを訪ねて来たのだ」

「本当ですか?」

「うむ。ただ一言、『あの小僧――ヴァート・フェイロンに負けた』とだけ言い残し、すぐ去って行ったが」

「そうですか――」

「おそらく、奴はもう剣を握らぬ――いや、握れぬだろう。奴の右足を斬ったのはお前か」

「はい」

「あの足では、もう剣士としては戦えぬ。しかしそれよりも、完全にこころが折れたようであった」

 ブロウズがこれ以上殺人を重ねることはない。それを聞いて、ヴァートはこころのつかえ・・・が取れたような気持になった。

「さて――皆が戻ってきたようだな」

 外から聞こえる複数人の声にヴァートは気づいた。窓から外を見ると、太陽は西の空に沈みかけている。随分長いこと話をしていたようだ。

「飯にするか。酒を買ってこい」

 と、ハミルトンはヴァートに金を渡す。長旅をしてきたヴァートに対し、いささかの遠慮もない。しかし、お客さん・・・・扱いされないことが、ヴァートには嬉しく思えた。




 ハミルトン道場の夕食では、三日に一度ほどの割合で酒が出る。道場の者たちに許される数少ない贅沢がこの酒だ。

 誰よりも自分に厳しく、禁欲的な性格のハミルトンであるが、酒を飲むときだけは話が別だ。彼は、弟子たちの誰よりも飲む。それでいて、酔っぱらった素振りを見せぬのだから、大層な酒豪である。

 兄弟子たちとともに昔話に花を咲かせながら、ヴァートもまた夜遅くまで痛飲するのであった。




 翌朝。

 ヴァートは出立の挨拶に、ハミルトンの部屋を訪ねた。

「もう行くか」

「はい。次の試合の出場手続きがありますので。慌ただしくて申し訳ありません」

「うむ。師匠に会ったらよろしく伝えてくれ」

 たまには自分で直接会いに行けばいいのに――そう思ったヴァートであったが、むろん口には出さぬ。

「では、俺はこれで――」

 ヴァートが腰を浮かせかけたところで、何者かが部屋の扉を叩いた。

「入れ」

「失礼します」

 入ってきたのは、カーライルであった。

「どうした」

「先日話した件ですが――ヴァートもレンに向かうことですし、いい機会ですから、少し前倒ししようと思いまして」

「好きにするがいい」

「ありがとうございます」

「先輩、どういうことですか?」

「ああ。実は、ちょっとレンに行く用事があってな。来月に出る予定だったんだが、せっかくだからお前と一緒に行こうと思ったのだ。迷惑だったか?」

「いえ、とんでもない」

 一人旅には一人旅のいいところがある。しかし、旅の道連れがいないというのもまた味気ないものだ。ヴァートにしても、仲の良い兄弟子が同行してくれるのは大歓迎である。

「じゃあ、急いで支度するから、少し待ってくれよ――師匠、失礼します」

 カーライルは、ばたばたと走り去っていく。

 カーライルが旅の支度をする間、ヴァートはほかの兄弟子たちに挨拶を済ませた。道場の門前でしばし待ち、準備を終えたカーライルと合流する。

 兄弟子たちとハミルトンはすでに朝の稽古に入っており、見送りに出る者はいない。

「待たせたな。行くか」

「はい」

 ふたりは、レンを目指して歩き始めた。




「ところで、先輩の用事ってなんなんですか」

 道すがら、ヴァートはカーライルに尋ねた。

「俺の実家がレンにあるって話はしたことがあるよな」

「はい」

 カーライルの実家は、レンで馬具を扱う商いをしている。レンの中では中堅どころの商家で、経営は安定しており、

「そこそこは儲かっているらしい」

 と、カーライルはかつてヴァートに語っている。

「今年七十になる爺さんの体調が、近ごろあまり良くないとの手紙が実家から送られてきてな。一度顔を出さねばならんと考えていたのだ」

 カーライルが武術家を志そうとしたとき、家族は皆それに反対した。そんな中、唯一カーライルに理解を示したのが祖父だったとか。

「親父やお袋が倒れようと知ったことではないが、爺さんだけは話が別だ」

「そういうことでしたか」

「まあ、爺さんの顔を見たらすぐに実家を出るけどな」

 家じゅうの反対を押し切って武術家となった経緯があるだけに、カーライルにとっては実家は居心地が悪いのだろう。

「それで、今日はどこまで行くつもりなのだ」

 ヴァートは、前日泊まった宿場町で一泊するつもりであった。しかし、

「それはつまらんなぁ。あの町では、女を抱くこともできん」

 カーライルはヴァートの予定に難色を示す。

 ハミルトンの前ではおくびにも出さぬが、カーライルには女好きな一面がある。彼とふたりきりのときには、ヴァートはよく男女の交わりに関する冗談などを聞かされたものである。

「先輩は相変わらずだなぁ」

「なんだ、女を抱きたいというのは人として当然持つべき本能だぞ。それともあれか? お前はそっち・・・方面の人間か」

「そっちって――違いますよ!」

 むろん、ヴァートに男色のはない。

「しかし、レンなら女などより取り見取りだろう。恋人の一人くらいできたのか?」

「いえ、そんな余裕なんてないですよ。確かに、周りに女の人は多いですけど……」

 ヴァートは普段、マーシャ、ミネルヴァ、アイ、パメラの四人に囲まれて暮らしている。いずれも魅力的な女性であるのは間違いないが――ヴァートは、自分が彼女たちと男女の仲になるところが想像できない。

「なんだ、お前もまだまだ子供だなぁ。まあいい、話を戻すが――今日は、ルースの町まで行かないか」

「ルースですか。夜までに着けますかね」

 ルースは、ハタの村から南にある宿場町である。昨日ヴァートが泊まった宿場町よりも規模が大きく、夜遊びできる場所も多い。しかし、距離を考えると日暮れまで辿り着けるかは微妙なところだ。

「大丈夫大丈夫。急げば間に合うさ」

「まあ、先輩がそう言うなら……」

「よし、そうと決まればさっさと行くぞ」

「あっ、待ってくださいよ」

 足を速めたカーライルを、ヴァートは慌てて追うのであった。

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