第9話
明けて翌日。
桜蓮荘に、珍しい客が訪れた。アルマン党大幹部・オーギュストである。
子供たちが球打ち遊びに興じる中、マーシャはオーギュストを中庭の長椅子に
「夕べ、『ギブソン商会』に殴りこんだのはあんたか」
オーギュストはマーシャに対し、開口一番そう言った。
「さあな。なんのことやら」
マーシャはそらとぼけてみたが、オーギュストには彼女がやったことだという確信があるのだろう。
「まったく、すっかり後れを取っちまった。昨日、俺の手下どもが『ギブソン商会』に討ち入りをかけようとしたときには、すでに五体満足な人間が残っていなかったってんだからな」
「あの連中をどうしたのだ」
「さあな。そいつは聞かないほうがいいだろう」
グリンはアルマン党の報復対象であり、彼を含めた二十人以上は戦闘不能状態に陥っていた。グリンたちがどんな末路を辿ったか、オーギュストの口から語られずとも、それは自明のことであろう。
「またひとつ、借りができちまったな。このオーギュスト、義理を欠くような真似はしねぇ。いつか借りは返させてもらうぜ」
「楽しみにしておこう」
「それで――奴らに攫われたっていう店子は、いま部屋にいるのか?」
「いることはいるだろうが――会うのは難しいぞ」
時刻はお昼前である。シャノンはまだぐっすりと眠っているはずの時間であり、多少のことでは目覚めないだろう。
「そうか。じゃあ、伝えてくれ。『ダッドリー一家の連中があんたを狙うことは、金輪際ない』とな」
「それは構わぬが――シャノンが狙われないという保証はあるのか?」
「ああ。ダッドリー一家はじき消滅する」
「消滅?」
「なにせ、やつらが持つレン港の縄張りは、ほかの組織からすれば垂涎の的だ。今回の一件で、ダッドリー一家は武闘派の筆頭・グリンと、一割近い戦力を失っている。これは、またとない絶好の機会だ。奴らと敵対する組織はみな、飢えた獣みてぇにダッドリー一家に襲い掛かるだろう。もちろん、俺たちもな」
戦力の均衡が破られると、レンの裏社会の勢力図は一気に変化する。裏社会とは、いつ寝首をかかれるかわからない、修羅の世界なのだ。
敵が弱った時には、徹底的に叩く。やくざ者たちの抗争も、戦争と変わらない。
「それから、前も話したように、俺たちはもうあの暗号は使わねぇ。だから、通訳が狙われる心配もなくなるだろう」
「なるほどな。納得はいった」
「あと、こいつをその女に渡してくれ」
と、オーギュストはずっしりと重量のある布袋をマーシャに手渡した。中を改めずとも、それがかなりの金額の金子であることは明らかだ。
「これは?」
「今回の件で迷惑をかけちまった詫びだ。金でどうこうできる問題じゃないのはわかっているが、謝罪というのは形を伴うべきだ――心配するな、やましい手段で稼いだ金じゃねぇ」
オーギュストが語ったところによると――アルマン党には、堅気の人間に迷惑料を支払う場合、やくざ者としての
マーシャが受け取った金子は、オーギュストの部下たちが、日雇いの人足をして稼ぎ出したものだという。
「わかった。彼女が受け取るかどうかはわからぬが、いちおう預かっておこう」
「頼むぜ――じゃあ、俺はそろそろ帰らせてもらう」
松葉杖を頼りに立ち上がったオーギュストの足元に、子供たちが打ち損じた球が転がる。
オーギュストは球を拾い上げると、
「球打ち遊びか。俺も餓鬼の時分にはよくやったもんだ」
そう言いつつ、球拾いに来たエリーに手渡してやる。
「ありがとう! 格好いいおじさんも、一緒にやってみない?」
オーギュストくらいの年齢の男――いや、女も同じであるけれども――は、おじさん呼ばわりされるのを嫌うものだ。
犯罪組織の大幹部に対し、エリーはまさかのおじさん呼ばわりである。オーギュストが機嫌を損ねたのではないかと心配するマーシャであったが、オーギュストは意外なことに、
「よし、いいだろう。ただし、やるからには本気だ」
と、笑って答えたのだ。
「おっさん、怪我をしてるみたいだけど手加減はしないぜ」
クリフ少年は、相変わらずの威勢のよさだ。オーギュストはそれに対し、口の端を上げ手招きする。
「ようし――いくぜッ!!」
振りかぶって、第一球。マーシャは、それが変化する球だと見抜いたけれども、どの方向に変化する球なのかはまだ見極められない。
「甘い!」
クリフが放ったのは、急激に速度を落とし、下に落ちる球。しかしオーギュストは上手く
ぽん、と気持ちのいい音を響かせ、球はぐんぐんと伸びていき――桜蓮荘の建物の向こうに消えていった。
オーギュストの打球の飛距離は、以前マーシャが打った打球のそれよりもはるか上を行く。
「精進するんだな、坊主」
呆然とするクリフの頭を軽く叩くと、オーギュストはそのまま桜蓮荘を去っていった。
「オーギュストめ――」
負けず嫌いのマーシャは歯噛みする。オーギュストのきずは、いまだ完治には程遠い状態だ。右足には、ほとんど力が入っていなかったはずである。にもかかわらず、あの見事な一打だ。
もしも、球打ちが武術のように一つの競技として成立していたならば、オーギュストはきっと国の頂点を極める競技者になっていただろう。マーシャをしてそう思わせるほど、彼の一打は完璧であった。
「しかし、私も負けてはおられぬ」
ちょうど、エリーが球を拾って帰ってきたところだ。マーシャは腕まくりし、
「私も混ぜてもらうぞ」
意気揚々と子供たちの輪に加わる。
しばらくクリフの球を打ち続けたマーシャだったが――最後までオーギュストを超える打球を飛ばすことはできなかったのである。
剣士マーシャと通弁・了
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