第8話

「なんだぁ……? てめぇは」

 グリンの脳裏に浮かんだのは、怒りではなく困惑であった。殴り込みと聞いて身構えてみれば、現れたのはたった一人の女性だったのだ。無理からぬことである。

「うちの店子――シャノンが世話になったようだな」

「シャノン? ああ、あの通訳のことか。関係者かなんか知らねぇが、まさか姉さん、お礼参り・・・・に来たとでも言うつもりかい」

 小馬鹿にしたような口調で、グリンが尋ねる。しかしその眼は笑っていない。その筋の人間すら縮みあがらせるほどの眼光を湛え、マーシャを睨みつける。

「やくざ者は話が早い」

 マーシャはグリンの言葉を肯定する。仲間が攻撃を受けたなら、即時に報復しなければならないというのが、切った張ったの世界に生きる人間の掟である。

「此度の暴挙、さすがに腹に据えかねた。きっちり、落とし前はつけさせてもらう」

 マーシャの言葉に、居並ぶグリンの子分たちは薄笑いを浮かべる。二十人からの荒くれ者が集結するこの建物に、女性が単身乗り込んできたからといって、なにができるというのか。

「へっへっへ。落とし前って、いったいどうしてくれるつもりなんだ」

「まさか、その身体で、俺たちを天国・・に送ってくれるとでも言うのか?」

 二人の子分が、マーシャの肩、腰に手を回す。一人の右腕が、そのままマーシャの乳房に触れようとした瞬間である。

「ぬおッ!?」

 男たちは、なにかに弾かれたかのようにマーシャから身を離した。ふたりの前腕には、一筋の赤い筋が引かれている。マーシャが身を捻って男たちの手を振りほどきつつ、二度の剣閃でその腕を浅く切り裂いたのであるが――彼女の動きを見切った者は一人もいなかった。腕を切られた当人すら、自分の身に何が起きたのか認識できないでいるのだ。

 マーシャは、苛立ちを含んだ溜息を吐く。

「つまらぬ問答はここまでにしてもらおう。私は落とし前をつけに来たと言ったはず。覚悟を決めるがいい」

 そう言って、剣先をぴたりとグリンに向けつつ、あたりを見回す。

「私にも情けはある。今すぐ投降するならば、手出しはすまい。しかし――手向かいするなら容赦はせぬぞ」

 二十人の荒くれ者たちを前にして、この物言いである。挑発と受け取った子分たちは、顔を上気させいきり立つ。

「女――一度吐いた言葉は二度と呑めねぇぞ。命乞いをするなら今のうちだ」

 努めて平静を装ってはいるものの、グリンの声は怒りに震えている。当然であろう。今のグリンは、幹部として子分たちをまとめる立場にある。それゆえ、冷静に振る舞わねばならない場面も多いが、若かりし頃のグリンは組織内の誰よりも血の気が多い男として知られていたのだ。

 グリンの言葉に対し、マーシャは馬鹿にしたように鼻を鳴らし、不敵な笑みを浮かべる。

「降伏する者はなし、か。覚悟を決めたものと受け取らせてもらうぞ――十数える間待ってやる。素手の者は、得物の用意をするがいい」

 マーシャのちからを知らぬグリンからすれば、その物言いはまさに傲岸不遜。グリン顔が、一瞬にて真っ赤に染まる。

「――野郎ども、やっちまえッ!!」

 グリンの号令に、子分たちはマーシャに殺到した。




 『ギブソン商会』の門前では、アイ、ミネルヴァ、そしてパメラの三人が待機していた。

 桜蓮荘のシャロンには、トマス、ゴードン、アーノルドが護衛についている。仮にダッドリー一家の人間がふたたびシャノンを狙ったとしても、オクリーヴの技を修めた三人ならばやくざ者などものの数ではない。

「始まったようですわね」

 建物内から響く怒号に、ミネルヴァが呟く。

「某も、あちらで暴れたかっでござるよ」

 肩をすくめつつアイがぼやく。

 殴り込みをかける前、マーシャは三人に対し

「ここは私一人に任せてほしい」

 と言っている。むろん、ミネルヴァとアイは協力を申し出たが、マーシャはそれを受け入れなかった。

「畏れながら――グレンヴィル様には、お二方を巻き込みたくないというお気持ちもあったものと存じます」

 犯罪組織の人間に手を出せば、報復の対象となるのは避けられない。アイとミネルヴァは、オーギュストを救ったときすでにダッドリー一家の人間と戦っている。しかし、それはあくまで成り行きでのこと。明確な意思を持って殴り込みをかけるのとは事情が違う。

「まあ、それはわからないではないが――」

「ええ、先生も水臭いですわね」

 思ってはいながらも、マーシャの怒りに圧倒され、それ以上強く言い出せなかったふたりである。

 いちおうは『ギブソン商会』までついて来た三人だが、マーシャは殴り込みをかける前に

「では、もしここから逃げ出そうとする者がいたなら、叩きのめしてもらいたい」

 との言葉を残した。仲間を呼ばれたり、まず可能性は薄いけれども――警備部に通報されたりすると面倒なことになる。

「しかし、こうして指を咥えて待っているだけというのはつまらぬものにござるな――ミネルヴァ様、退屈しのぎにひとつ賭けでもいかがか」

「賭け?」

「うむ。あの建物から、何人が逃げおおせられるかどうか。近い数を当てたほうが、『銀の角兜亭』で一杯おごるということで」

「アイさん――その話乗ってもいいのですけれど。おそらく、賭けは成立しませんわよ」

「やはり、ミネルヴァ様もそう思われるか」

「ええ。お酒一杯と言わず、わがフォーサイス家の財産すべてを賭けてもいいくらいですわ」

 男たちの怒声と悲鳴がこだまする『ギブソン商会』の母屋を眺めつつ、ミネルヴァは茶目っ気ある笑みを浮かべる。




「おらあッ!!」

 マーシャの左右から、ふたりの子分が躍りかかった。男たちが拳を振り上げた瞬間、彼らの視界からマーシャの姿が掻き消える。

「ふッ!」

 マーシャは床すれすれまで低く身を伏せて拳を避けつつ、回転してふたりの男の大腿部を同時に斬り払った。吹き上がった血飛沫が床に落ちるよりも早く、マーシャは矢のように駆け、一気にならず者たちの集団に肉薄する。

「ぬおッ!?」

「ぐああッ!」

 マーシャの剣が二度閃き、切断されたふたつの手首が宙を舞った。

「てめぇッ!!」

 横合いから放たれた斬撃を、大きく跳んで避けたマーシャは、袖口から引き抜いた針を眼にも留まらぬ早業で投擲。攻撃を仕掛けた男は眼球を貫かれ、怪鳥のごとき悲鳴を上げてのたうち回る。

 ならず者たちが一瞬怯んだ隙に、さらなる斬撃が襲い掛かる。一撃一殺――マーシャが剣を三度振るうだけで、三人の男が戦闘能力を奪われた。

 それこそ十も数え終わらぬうちに、マーシャが戦闘不能たらしめたグリンの子分は、実に八人に及ぶ。

 恐るべき剣の冴えに、子分たちが怯むのも無理からぬことである。マーシャを取り囲もうとしていた男たちは、思わず後ずさってしまう。

「何をしてやがる! 怖気づいたか!!」

 グリンオ怒声が響く。マーシャに恐れをなして逃げ出そうにも、入り口はマーシャの背中。裏口はあるものの、そちらではグリンが睨みをきかせている。そして子分たちは、グリンに逆らうことがどれだけの惨劇を招くか十分に承知している。

 グリンの声に弾かれたように、ふたたび子分たちはマーシャに牙をむく。しかし彼らの牙など、マーシャにとっては子猫の甘噛みにも等しい。

 長剣を手にしたふたりが、同時にマーシャに斬りかかる。ふたり同時に敵と戦うことには慣れているらしく、息の合った斬撃を次々繰り出していく。

 しかしマーシャは、ひらり、ひらりと蝶のようにその剣を避ける。ひとりの突きを潜り抜けて背後を取ると、その背中を軽く蹴る。男がよろめいた先には、マーシャに対し上段から斬りかかろうとするところであったもうひとりの男の姿がある。

「ぐあッ……!」

 哀れ、男は相棒の剣の餌食となった。肩を切り裂かれ、その場に膝をつく。図らずも味方を手にかけてしまった男は、動揺する暇さえ与えられぬ。マーシャは、膝をついた男の肩を足掛かりに跳ぶと、その相棒の顔面に跳び膝蹴りを叩きこんだ。顔面が陥没せんばかりの一撃は、男の戦意を喪失させるに十分であった。

 手に手に剣、棍棒などの得物を取り、次々とマーシャに襲い掛かるならず者たち。しかし、たとえ三人が同時にマーシャに斬りかかっても、彼女にその攻撃はかすりもしない。あるいは骨を叩き折られ、あるいは手足の一つを斬り飛ばされ、次々と戦闘不能状態に陥っていく。

 十五人までが倒されたころには、さすがのグリンも顔から血の気が引き、脂汗を流している。

 と、マーシャが一歩前に出た。それに合わせ、思わず一歩下がってしまったことに気づいたグリンは、半ば自らを鼓舞するように叫んだ。

「退くな! ダッドリー一家の意地を見せてみろ!!」

 残された子分は、わずかに七人である。そのうちの六人が、破れかぶれの突撃を敢行する。しかし、彼らの反攻など、燃え盛る炎を藁の束で消し止めようとするようなものだ。

「面倒になってきたな」

 呟くと、マーシャはすでに倒されたならず者が落とした剣を手に取る。左右に一本ずつ、双剣を構えて男たちを迎え撃つ。

 鋭く走り出ると、マーシャは男たちの集団の真っただ中に踏み込んだ。自ら、周囲を完全に包囲される不利な態勢となったわけだが――手短にならず者どもを片付けるには、これが一番手っ取り早い・・・・・・

 ひとりに対し、同時に襲い掛かれるのはせいぜい三人が限界だ。取り囲む人数が多すぎると、互いの身体が邪魔になるうえ、同士討ちの危険性が出てくるため、かえって手が出しにくくなる。

 男たちが攻めあぐねたのは一瞬。しかしマーシャには、それだけの時間があれば十分である。

 回転しつつ、両手の剣を矢継ぎ早に振るう。まるで、顔の側面や後頭部にも眼がついているかのように、マーシャの剣は的確に男たちを捉える。

 マーシャが一回りするだけで、六人の男は倒された。

 残されたグリンの手駒は、わずかひとり。その最後の一人が、剣を抜いてマーシャの前に立ちはだかる。

 剣の腕一本でグリンの側近にまで上り詰めた男だ。武術を修めながらも道を誤り、よからぬことにその技術を使うようになった連中――言うところの、武術家崩れのひとりである。

「こんなところでマーシャ・グレンヴィルと戦うことになろうとは。人生はわからぬものだ」

 自らのこころを落ち着かせる意味も込め、男はそう語りかけた。彼も、かつては武術界に身を置いていた人間である。マーシャの試合をその眼で見たことがあるため、彼女の実力のほどは十分にわかっている。かといって、この場から逃げだすわけにもいかぬ。

(まともに戦って勝てる相手ではない)

 彼我の実力差はわきまえている。しかしこの男は、やくざ者の世界で生きていく中で、自分よりも実力が上の相手とも戦ってきたし、それに勝利することで現在の地位を掴んだのだ。

(勝負は、初撃――)

 男は、両腕からちからを抜き、下段に構える。マーシャは彼の様子を半眼で一瞥すると、左手の剣を手放した。

「いざッ!!」

 左右に身体を揺らしつつ、歩幅を小さく刻む変則的な歩法で、男は一気に距離を詰めた。マーシャがその剣の間合いに入るまであと三歩、というところで、男は急に歩幅を広め、跳躍するがごとくマーシャに肉薄した。

「ふんッ!!」

 軽い幻惑フェイントをひとつ挟み、男はマーシャの首筋目がけ剣を薙ぐ。マーシャにとってみれば、他愛のない攻撃だ。剣の軌道を一瞬にして見切ると、半歩退いて剣先をかわす。

「ここだッ!!」

 瞬間、男の上着の袖口から、黒色の液体が迸った。

 男の着衣の内側には、獣の内臓を加工して作った革袋に、芯の部分が中空になる植物の茎を取り付けた、ある種の装置が仕込まれている。革袋には目つぶし用の液体が詰められており、それを押しつぶすことで、袖口に回された茎の先端から液体が飛び出す仕組みだ。

 剣一本分の間合いから、勢いよく放たれた液体である。常人ならば、なすすべもなく顔面に食らってしまうだろう。勘のいい人間であっても、とっさに顔をそむけるのが普通の反応である。そうなれば、大きな隙ができる。

 しかし、マーシャ・グレンヴィルは常識が通じる相手ではない。

 マーシャの顔面に迫る液体が、突如霧散した。男の眼には、そうとしか映らなかった。

 マーシャが行ったのは、下段からの斬り上げ。そのとき巻き起こった刃風が、液体を四方八方に散らしたのである。マーシャの剣は、男の認識が追いつかぬほどの速度を持っていた。

 男の剣の握り、中途半端な踏み込み、そして目線――彼がなにか奥の手を隠し持っていることなど、マーシャにははじめからお見通しであった。

「子供じみた小細工を考える暇があるなら、素振りの一つでもしたほうが有意義というものだ」

 いかにもつまらなそうな表情で言って、マーシャは剣を一閃。男の両膝の皿が、一撃で断ち割られた。

 とうとう、グリンは丸裸となった。

「待たせたな。逃げずにいたことだけは誉めてやろう」

 グリンは、胸を反らしてマーシャの視線を受け止める。しかしその実、彼は膝の震えを抑えるのが精一杯の状態であった。

 マーシャが歩を進めるが、グリンは彫像にされたかのように動けずにいる。

 マーシャは、舌打ち交じりに大きく嘆息すると、大喝した。

「この程度で怖気づくような腰抜けの分際で、よくも真面目に生きている人間の生活を脅かすような真似をするものだ!」

 建物自体を震わせるような大音声である。

 全員が戦闘不能状態とはいえ、意識を保っている子分たちは多数いる。その子分たちの前で腰抜け呼ばわりされて、グリンの闘志に火が付いた。

「黙りやがれッ!! この『十人殺し』グリンが、直々に相手してやるッ!!」

 グリンが、自らの得物を振りかざした。彼の得物は、杖とも棍棒ともつかぬ棒状の武器である。木製で、長さは巨漢のグリンの身長よりもやや長い。太さはグリンの手で一握りと少し。棒の両端には太い針金が二重、三重に巻き付けられており、殺傷力を増大させている。

「おおおぉぉッ!!」

 雄叫びを上げ、グリンは大上段からマーシャに向かって得物を叩きつける。マーシャは横に跳んでそれを避けたが、グリンの得物は床板を易々と穿つほどの威力を見せた。

 相当な重量を持つ得物を軽々と振り回す膂力はかなりのものだ。正式に武術を学んだ人間の動きではないが、数多くの修羅場を経験しているだけあって、長物を扱っているにもかかわらず隙は少ない。

 縦横に得物を振り回すグリンであるが、しかしマーシャにはかすりもしない。

「どうした、舞でも舞っているつもりか」

 剣を肩にかついだまま、マーシャは涼しい顔でグリンの猛攻をかわす。合間合間に嘲りの言葉を挟み、グリンを挑発することも忘れない。

 まるで幻影のように実体を掴ませぬ相手に攻撃を繰り出し続けたグリンであったが、遂に息が上がったとみえ、とうとうその手が止まる。

「もう終わりか、他愛ない」

 と、グリンを見下すマーシャであったが、ちょうどそのとき『ギブソン商会』の戸口を潜り、パメラが姿を見せた。

「グレンヴィル様、近隣住民が怪しみ始めています。お戯れはほどほどになさったほうがよろしいかと」

「おお、済まない。せっかくだから、この男に稽古をつけてやろうと思ったのだが」

 マーシャは振り向いてパメラに答えた。グリンには、完全に背を向けた格好になる。

「舐めやがるッ!!」

 むろん、その隙をグリンは見逃さぬ。マーシャの頭蓋目がけ、総身のちからを込めて得物を振り下ろした。マーシャは振り向きもせずそれを避けると、瞬きほどの間に三度の斬撃を放つ。一撃目はグリンの得物の右先端を。そして二撃目は左先端、最後の三撃目はグリンの両手の握りの中間を、それぞれ綺麗に切断した。

 ばらばらになった自らの得物を、グリンは呆気に取られて見つめることしかできない。

しまいだ」

 マーシャが放ったのは、神速の五段突きである。突きは、それぞれグリンの両肩、両膝、そして股間を狙い違わず刺し貫いた。相手の両手両足、そして男性としての機能を奪う、『マッカランの五戒』と呼ばれる絶技である。

 子分たちの目もはばからず、情けのない悲鳴を上げて床を転げまわるグリンに背を向けると、マーシャは足早に『ギブソン商会』を後にするのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る