第3話
夜もどっぷり更けるまで手分けして街を回り、シャノンの消息を求めたマーシャたちは、『銀の角兜亭』に集合した。いま一度酒場の店主や常連たちに話を聞くのと、夕飯も兼ねてのことだ。パメラだけは、いまだ店に姿を見せていない。
「やはり、街の人々の目撃情報はなし、か。もともとあまり外出しない娘ゆえ、不自然なことではないのだが」
マーシャたちは食事をとりながら、情報の整理を行う。事態が事態だけに、酒を頼もうとする者はいない。
「やはり一昨日、この酒場から出て桜蓮荘に辿り着くまでの間になにかあったか――もちろん、それ以降になにかが起きた可能性は捨てきれないが」
なにせシャノンは、一般の人々とは真逆の生活習慣で暮らしている。普通の人間が勤めに出ている間に起き出し、普通の人々が寝ている間に活動する。桜蓮荘の住民ですらその姿を見ることはまれなのだ。丸一日目撃情報がないとしてもおかしくはない。
「しかし、現状これ以上の手がかりはないでござる」
「ですわね――それにしても、パメラはまだかしら」
ややしばらくして、パメラが店に現れた。
「遅くなりまして、申し訳ございません」
「ご苦労だったな、パメラ。ほら、お前も食べてくれ」
「お気遣い感謝いたします。しかし、その前にこれを」
パメラは、手に下げた布袋をテーブルに置く。中から取り出したのは、いくつかの陶片と、腐敗しかけた料理の
「パメラ、これは?」
「はい。私は、この『銀の角兜亭』から桜蓮荘へ至るまでの道を、詳しく調べて参りました。そして、桜蓮荘まであと少しというところの脇道にて、これを発見いたしました」
「なるほど――この破片は、皿のもののようだな」
「皆さま、この皿の破片の模様、見覚えがおありかと存じますが」
マーシャたちは、一様に頷いた。
「おおい、デューイ」
マーシャが、給仕の少年デューイ・カミンを呼びつけた。彼は桜蓮荘に暮らす一家の長男で、球打ち遊びでマーシャを苦しめたクリフの兄である。
「はい、ご注文ですか」
「いや、ちょっとこいつを見てくれ」
「これは――
「なるほど、パメラの言いたいことが読めてきた。デューイ、一昨日はお前はここにいたか?」
「ええ。
「シャノンが来ていたと聞いているのだが……あの夜、シャノンは料理を持ち帰っていなかったか?」
「ええと……確か、そうだったと思いますよ。締め切りが近いから、って言ってました」
シャノンは、マーシャ同様家事が得意なほうではない。特に、仕事が忙しい時は、食事はほとんど飲食店に行くか出来合いのものを買って済ますのだということを、マーシャは知っている。
二日前の夜も、シャノンは『銀の角兜亭』にて料理を持ち帰っていた。そして、道端に散らばっていた皿の破片である。
「やはり、われわれの推理は正しかったということか」
「はい。ここからの帰り道に、何らかの不測の事態に遭った。これは間違いないかと」
「考えたくはないでござるが――何者かに襲われ、連れ去られたという可能性も考慮せねばなるまい」
「アイさん、それは――」
「いや、ミネルヴァ様、最悪の事態というのは想定してしかるべきですよ。問題は、その場合彼女の身になにが起こったのかということだ」
若い女性が夜道を歩いているとなれば、まず考えられるのは強姦目的の連れ去りであろう。
「しかし、桜蓮荘の付近で、そのような行為に及ぶ人間がいるのでござろうか」
アイの疑問はもっともである。ロータス街のなかでも、桜蓮荘周辺というのは特に治安のよい土地である。むろん、街の荒くれ者にも恐れられるマーシャという存在に依るところが大きい。
『銀の角兜亭』からの帰り道となれば、マーシャが頻繁に行き来するということを、土地の人間は知っている。そして女性を手込めにしようと襲い掛かるような卑劣漢を、マーシャが許すはずもない。マーシャに見つかる可能性のある道で、そのような暴挙に出る人間はこの界隈には存在しないだろう。
強姦ではなく、強盗目的であっても、事情は変わらない。
もっとも、マーシャを知らぬ別の土地の人間が犯行を行った可能性はあるが、皿の破片が発見されたのは、よそ者が紛れ込むような道ではない。
「二日前のことゆえ、現場に残された足跡などを判別することはできませんでした。しかし――明確な目的を持った人間による、計画的な犯行――そのような
破片が発見されたのは、人気のない脇道である。しかし、旧貴族街と呼ばれる廃墟が並ぶ地区を除き、下町はどこも過密である。少なくともこのロータス街においては、大声を上げれば、どこかしらから人が駆けつけてくるはずだ。
「声を上げさせることなく、大人ひとりを連れ去るというのは、そう簡単ではない。考えられるのは、複数による犯行か」
マーシャの言葉に、パメラも同意する。
「あとは、犯人の目的ですわね。その――辱め、以外の目的がわかれば、そこからシャノンさんの足取りがわかるかもしれませんわ」
怪盗事件を経験し、ミネルヴァはすっかりこの手の捜査に際しての考え方が身についたようである。
「かどわかし、となればまず考えられるのは身代金目的にござるが」
「しかし、シャノンの実家は零落したと聞いている。仕事は順調らしいので、彼女自身にも多少の蓄えはあるだろうが、誘拐犯が満足するほどの資産はないだろう」
「金銭目的ではないとすると――わかりませんわね」
ミネルヴァが首を捻る。
「まあ、今日はもう遅い。いったんは桜蓮荘に戻り、また明日の早朝策を練ろう」
「そんな悠長なことでよろしいんですの?」
「お嬢様、現場をより詳しく探るにしても、この暗さではどうしようもございません。そして、疲労、眠気というのは人の思考力を鈍らせます」
「それに、強姦や身代金目的でないとすれば、シャノンの身はまだ無事であるか、あるいは――」
言いさして、マーシャは口をつぐんだ。「すでに殺されているかのどちらかだ」という言葉を飲み込んだのである。可能性はあるのだが、考えたくはないことだ。
たとえば、シャノンがなにか重大な情報を知っていて、犯人がその情報を欲していた――そんな状況ならば、彼女は拷問によって情報を引き出されれば用済みである。そうなれば、誘拐という犯罪の生き証人であるシャノンを生かしておく道理はない。むろん、シャノンが殺されるようなことになれば、マーシャは決して犯人を許さないだろう。
しかし、犯人の目的によっては、シャノンが生かされている可能性は十分にある。そして、現時点で彼女が殺されていないと仮定するならば、
「まだしばらく時間の猶予があると思われる」
そうマーシャは予測する。いや、そう考えたい、というのが正直なところであった。
パメラだけは、マーシャの胸中を察したようで、わずかに眉を寄せた。
「とにかく、今日のところはここまでとしよう。店主、シャノンのことでなにか思い出したら、すぐに知らせてくれ」
勘定を済ますと、一同は店を出る。
暗夜ゆえ、望み薄とはわかっているが、念のためと帰り道の周辺を見て回りながら帰路を行く。
と、先頭を立って歩くパメラが足を止めた。
「皆さま、お静かに」
パメラの言葉に、一同は耳を澄ませてみる。
「これは――なにか揉め事か?」
マーシャが聞き取ったのは、複数人の、それもかなり
酔漢による喧嘩であれば、マーシャの知るところではない。しかし、シャノンの失踪が起きたばかりである。そして同様の事態に、マーシャは過去に遭遇したことがある。
「行くぞ!」
マーシャはすぐさま駆け出し、ミネルヴァたちもそれに続く。
マーシャたちが足音に追いついたのは、ロータス街の外れに差し掛かったあたりである。
そこにはトリー川という細い川が流れており、その川辺で、複数の人間が争っていた。
マーシャの見る限り、一人の男を取り囲み、四人の男が暴行を加えんとしているようであった。そして、暗闇の中にも白刃が閃くのが認められる。
武器を持った男たちが、四対一で戦う――尋常ならざる状況である。どちらに非があるのかはわからぬが、見過ごすことはできない。
「先生、ここは私にお任せを」
ミネルヴァが進み出た。
この日のミネルヴァは、腰に護身用の短剣を吊るしたのみである。いつもの両手大剣は、そうそう気軽に持ち歩けるものではないからだ。
ミネルヴァは短剣の扱いには長けておらず、ほとんど無手同然の状態であるが、マーシャは
(あの程度の相手ならば、まず問題あるまい)
と見る。争う男たちは、荒事には慣れているようだし、うち二人は多少なりとも武術を学んでいるようである。しかし、いかに素手同然でも、いかに四人相手でも、
(いまのミネルヴァ様ならば、ものの数ではない……)
というのがマーシャの見立てだ。
いつでも主の身を護れるよう、全身に殺気を漲らせるパメラをよそに、マーシャはごく落ち着いてミネルヴァを見守る。
「お止しなさい! 一対四とは卑怯ではありませんか」
凛とした声で、ミネルヴァが言い放つ。
四人の男たちは互いに目くばせし、なにごとか囁き合うと、そのうち三人がミネルヴァに襲い掛かった。残る一人は引き続き目標の男を狙うようだ。
「あちらはお任せを」
アイは素早く走り出る。奥の一人を受け持つつもりなのだ。
ミネルヴァが相手するのは三人。
まず一人目が、ミネルヴァの首筋目がけ短剣を振るった。一撃で急所を突かんとする迷いのない一撃――しかし、ミネルヴァは一瞬でその剣筋を見切り、わずかに上体を捻ってそれを回避。鋭く振るった手刀は、的確に男の手首の関節を捉えた。
「ぐッ!?」
短剣を取り落とした男のみぞおちに、ミネルヴァは右拳を叩きこむ。思わず男が前かがみになったところで、その顎目がけてミネルヴァは横一文字に肘を振り抜いた。
「ごぎゅッ――」
奇妙な叫び声を上げ、男は倒れこむ。ミネルヴァの肘が、その顎を砕いたのである。
続いて、二人が同時にミネルヴァに斬りかかった。軽やかにその斬撃を避けたミネルヴァは、二人の間を潜り抜けて背後を取る。
「はッ!」
右手の男の膝裏を蹴りつけ体勢を崩すと、その側頭部目がけて上段蹴りを放つ。脳を強かに揺すぶられ、男は昏倒した。
「ちいッ!!」
残る一人は、マーシャが修めた剣術であるオーハラ流の遣い手であった。長剣を手に、ミネルヴァに次々と斬撃を放つ。それなりに鍛えこんでいるようで、剣筋は思いのほかしっかりしている。
しかし、稀代の遣い手であるマーシャと日常的に手を合わせているミネルヴァからすれば、男の技など児戯に等しい。
一瞬の隙を突き、男の懐に飛び込むと、肩から体当たりをぶちかます。男が大きくよろけたところで、その顎に下から掌打を突き上げた。たまらず男がたたらを踏むと、止めとばかりにその股間を蹴り上げる。男は白目を剥いて崩れ落ちた。
「お見事にござる、ミネルヴァ様」
ミネルヴァに本格的な格闘術を教え込んだ師匠が、手を叩いて賛辞を贈る。アイはというと、
「さて、そこのお人よ、無事ですか」
マーシャが、襲われていた男に駆け寄った。
「ああ――みっともないところを見られちまったな、マーシャ・グレンヴィル」
「なぜ私の名を――お前は」
右足を押さえ、地面に片膝をついていたのは、三十過ぎの男であった。その髪型も服装も乱れに乱れているが、もとは瀟洒で様になっていたであろうことは容易に見て取れる。長身で、剃刀のごとく鋭い眼光を放つ男――マーシャは彼に見覚えがあった。
「お前はアルマン党の――オーギュストといったな」
運び屋ホリス・カータレットが、運び屋の魂ともいえるギルドバッジを賭博の種銭に代えたことに端を発する騒動の顛末は、『剣士マーシャの賭事』の章にて述べられている。
バッジを入手し運び屋ギルドに強請りをかけたのが、犯罪結社アルマン党の大幹部・オーギュストという男であった。
「なにがあったのかは知らぬが、その傷、医者に診せねばなるまい」
「助けてもらった身で言うのもなんだが――余計な世話はいらん」
オーギュストは、差し出されたマーシャの手を乱暴に振り払った。
「そうも言っていられまい。応急手当でどうにかなる傷ではないだろう」
オーギュストは、右の太腿に深い切り傷を負っていた。オーギュストの意識はまだはっきりしているが、出血は夥しい。あまり悠長にしていては、命にも関わる。
「心配するな。お前のことを言いふらして回るようなことはせぬよ」
言いつつ、マーシャは簡単な止血を試みる。オーギュストは舌打ちしたが、大人しくマーシャに従った。自分の身体の状態は、彼にも把握できているようであった。
「先生、この連中はどういたします」
ミネルヴァが、地面に転がる男たちを指さした。
「本来なら警備部に突き出さねばならないが――」
「それだけは勘弁してくれ」
警備部に事件が知られれば、オーギュストも調べられるのは避けられない。裏社会の人間にとって、不味いことになるのは必至である。そして、自分を襲った人間を警備部に突き出すという行為自体、犯罪結社に身を置く者として恥ずべきことなのだ。
「無理を承知で頼む。この通りだ」
傷の痛みを堪えつつ、オーギュストは頭を下げた。
「……この連中、お前同様裏の世界の人間か?」
「ああ」
「……わかった、いいだろう」
と、マーシャは折れた。犯罪組織同士の諍いが原因ならば、暴漢たちを警備部に突き出しても仕方がない。彼らは決して自白しないだろうし、被害者であるオーギュストは警備部の事情聴取を受けたくないとなると、警備部としてもお手上げである。
そして、裏の人間が起こしたことは、裏の人間が後始末するべしというのは警備部の中で暗黙の了解となっている。
そこで、倒された男たちも、ようやく動くちからを取り戻したようだ。互いに肩を貸しつつ、その場から遠ざかろうとする。
「待つでござる!」
アイが男たちを阻もうとするが、マーシャが首を横に振るのを見てその場に留まった。
「すまねぇ、感謝する」
「殊勝なことを言う。ともかく、医者に連れて行くぞ。いいな」
オーギュストも、もはや抵抗しようとしない。マーシャとパメラが肩を貸し、目指すのはロータス街にある診療所だ。界隈一の名医と呼ばれる老医師ホプキンズならば、オーギュストの負傷に適切な処置を施すはずである。
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