第19話

 逮捕した容疑者をわざと逃がすという作戦。警備部長アークランドの英断なしには、なし得なかった作戦であろう。しかし、アークランドがその勇気ある決断を下した背景には、王国軍内の大きな動きがあった。それは、警備部の臨時増員である。

 エヴァンス伯爵の強固な反対により一度は却下された臨時増員が、とうとう実現したのだ。

 人員にまったく余裕がなく、隊員の疲労と緊張が頂点に達していた状態では、たとえ賊の尻尾を掴むことができても、次の一手を打つことができない。アークランドにとってこの増員は、まさに天の助けにも等しかった。

 さて、その決定がなされたときの王国軍幹部会議の様子を、ここに記しておこう。それは、まさにコーネリアスがアークランドに進言を行ったその日に行われたものである。

「もう限界だ! 警備部はいったい何をしているのだ!!」

「警備部への不信はそのまま王国軍への不信に繋がるのだ! 盗賊どもにやられっ放しでは、国王陛下に顔向けできぬ!」

「その通り!」

 口調も荒々しくいきり立つのは、フォーサイス派に属する比較的若年の幹部たちである。

 この日の会議には、アークランドも出席を命じられていた。部下には高圧的に接することの多い彼も、このときばかりは会議室の末席で縮こまるしかない。

「まあまあ皆さん、落ち着きくだされ」

 と、議長役が場を鎮めようとするが、会議室の怒号はなかなか収まらない。

 フォーサイス派が盗賊を陰から操っている――現在、王国軍内部ではこのような噂がまことしやかに囁かれており、これは当のフォーサイス派の人間の耳にも入っている。凶悪な犯罪者の片棒を担いでいると陰口されるのは、フォーサイス派の者たちにしてみれば、むろん面白くない状況である。溜まりに溜まった鬱憤を、会議の場で噴出させているのだ。

 フォーサイス公爵が、大きな咳払いをしたところで、ようやく会議室は静まった。

「では――アークランド部長、捜査の進捗を報告してください」

 議長に促され、アークランドがのそのそと起立する。

「現在のところ、大きな進展はありません」

 答えるアークランドの口調がいかにも重々しいのは、当然のことといえよう。

「れいの捕らえたという賊はなにも吐かぬのか!?」

「尋問がぬるすぎるのではないか! もっと厳しく責め立てよ!」

「いまだ手がかり一つ掴めぬとは、警備部は無能の集まりか!!」

 会議室がふたたび怒号に満たされた。

「お言葉ではありますが……厳しく責め立てるのは簡単ですが、死に至らしめてしまえば元も子もありません。それから、何度も上申させていただいているとおり、捜査の手を広げようにも人手が足りませぬ―ー私から申し上げられることは以上です」

 そう言うと、アークランドは着席した。彼の声は低く伸びがあり、相手を圧する雰囲気を持つ。居並ぶ幹部たちも、本来下の立場であるアークランドに一瞬気圧されたようになった。

 間髪入れず、フォーサイス公爵が口を開いた。

「皆の者、以前の会議でわしもも申したように、事件の解決には警備部の増員が必要不可欠だろう。いま一度、議題に挙げてもらいたい」

 これには、フォーサイス派の幹部たちも同意する。かくして、警備部の臨時増員について議論が行われることになったのだが――やはり反対の立場をとったのはエヴァンス伯爵であった。警備部は現在の人員で十分なはず、という主張も変わっていない。

 しかし、この日は以前の会議とは状況が違う。盗賊を捕らえ、噂が事実無根であったと証明したいフォーサイス派の幹部たちの態度は、エヴァンスよりも強固であった。

 喧々諤々の議論の末、とうとう折れたのはエヴァンスだった。

「……わかり申した。しかし、王都周辺に警備部の補充に充てられるような戦力がないのはすでに申し上げたはずですぞ。どうするおつもりか」

「む、それは……」

 しばしの沈黙ののち、一人のフォーサイス派の男が口を開いた。

「ならば――王城警護隊から人員を回せばよいのではないか」

「なるほど、それはよい考えだ」

「うむ。それがよい」

 と、口々に賛同の声が上がる。

 王城警護隊とは、いうまでもなく王城を護るための部隊である。第一から第四の四隊からなり、隊員の総数はおよそ五百。交代制の勤務で、常時王城に詰めているのは三百五十といったところか。

「王城警護隊から人員を動かす――それがどういうことか、おわかりの上での発言ですかな」

 エヴァンスが問いかける。

 むろん、それは王城の護りが薄くなることを意味する。

「ええ。しかし、二百ほどを警備部に移すのは不可能でないはず。たとえば、そうですな――王城に常駐する人員を二百まで減らし、一日三交代勤務のところを二交代勤務にする。どうだろうか」

「うむ。王城には警護団のほかに親衛隊百が常駐している。合わせて三百の手勢で対処しきれぬような事態など、起きようもない。もし起きたとしたら、それは王都周辺を護る部隊の責任だろう」

「ただ、王城警護団の者たちには一時的に負担を強いることになるが……」

「いや、警備部の激務を考えれば、そのくらいは我慢してもらわねば」

「ああ。ただでさえ王城警護団はただ飯食らいと揶揄されているのだ。たまにはしっかり働いてもらわねば」

 いざ有事が起こらぬかぎり、王城警護団は城内を巡回するか見張り台に立つだけの役職である。日夜靴底をすり減らして犯罪捜査に当たる警備部や、一年の半分以上を海上で過ごす海軍の巡視隊などに比べれば、はるかに楽な仕事であるといえよう。

「……よいでしょう。私も、これ以上異論は挟みますまい」

 エヴァンスがやれやれといったように首を振ると、フォーサイス派の幹部たちの顔に喜色が浮かんだ。エヴァンスを退かせることができたということは、少なくともこの会議においてはフォーサイス派が勝利したことを意味する。

「しかし、この異動がなんらかの事態を招いた場合――」

 そこまで言って、エヴァンスは会議に列席する面々を見回した。

「わかった。なにが起きようとも、このわしがすべての責任を持つ。それでよろしかろう」

「よく言われた、公爵。その言葉、お忘れなきよう」




 現在、逃亡し潜伏した盗賊・タイラーを見張るために割り振られている人員は七名。臨時増員が叶わなければ、この監視に人材を割り振ることもできなかったであろう。

 タイラーを逃した顛末については、ごく一部の人間しか知らぬ。したがってこの任務も、極秘のうちに行われている。参加する隊員は、コーネリアス率いる第五分隊と、ダリル・カーター率いる第八分隊の隊員の中から、特に腕利きで口の堅い者が選抜されていた。

 コーネリアスの手腕については、これまで幾度となく触れられてきたとおりだ。そしてカーターは、任務にかける思いが先走ってしまうことこそあるものの、どこまでも一本気な男だ。その実直さは、アークランドも大いに買うところである。今回の任務に際し、二人が率いる隊から人員が選ばれたのもそういう背景があった。

 隊員たちが監視場所として利用しているのは、タイラーが逃げ込んだ倉庫のはす向かいにある一軒の商家である。そこは魚介の乾物を扱う問屋で、警備部は倉庫を見渡すことのできる二階の一室を借り受けた。

 加えて、パメラおよびオクリーブ家の若手三人から、二人が交代で商家に詰めている。

 動きがあったのは、監視が開始されてから二日後の夕刻であった。それまでまったく人の出入りのなかった倉庫に近づく者があった。

「エイベル殿、こちらへ」

 窓際で倉庫を監視していた隊員が、パメラを呼ばわった。エイベルとは無論、オクリーヴに代わる偽名である。

「あの男なのですが……」

「身のこなしからするに、訓練を受けている者ではないようですが――」

 ごく普通の町人風の身なりをした、三十半ばの男であった。

 男は倉庫に入ったのち、ややしばらくしてふたたび姿を現した。

「尾けますか」

 隊員がパメラに意見を求めた。彼らは、基本的にパメラの指示に従うよう命令されているのだ。

 隠密の訓練を受けていない相手のようである。パメラは、警備部隊員に任せても大丈夫だろうと判断する。

「お願いします」

 二人の隊員が目くばせし、素早く部屋を出ていく。選りすぐりの精鋭だけあって、尾行の所作も堂に入っている。

 夜更けになって、尾行に出たうちの一人が戻ってきた。

「おお、どうだった」

「はい。れいの男、ここを出たのち新市街に向かいまして――エヴァンス伯爵の屋敷に」

「なに、それは本当か!?」

「間違いありません」

「エヴァンス伯爵といったら、あの・・エヴァンス伯爵だよな」

 王国軍の重鎮の名が出たのだから、隊員たちが困惑するのも無理からぬことだ。

「ううむ、どういうことだ? まさかエヴァンス伯爵が……いや、まだそう判断するのは早い。ひとまず、コーネリアス隊長に報告するか」

「ならば、私が参りましょう」

「よろしいのですか、エイベル殿。ここを離れても――」

「ええ。ここよりもむしろ、エヴァンス伯爵邸に張り付かねばならないでしょうから。こちらの人員も、おそらくは減らされることになるかと」




 エヴァンスと盗賊との間に繋がりがあるとすれば、どこかで盗賊たちと連絡を取るはずだ。その連絡役を尾行し、隠れ家を突き止めることができれば、事件の解決へ大きな一歩となろう。それには、エヴァンス邸を出入りする人間を監視し、尾行しなければならない。

 しかしこの任務は、警備部にとって想像を絶するほどの困難を伴うものだった。

 なにしろ、エヴァンス邸は広大である。幸運にも、エヴァンス邸の向かいにある邸宅の蔵を借り受けることができたのだが、そこから見渡せるのはエヴァンス邸の表側だけだ。この屋敷には表門のほかにも通用門がふたつあり、それは屋敷の裏手にある。当然、蔵から監視することはできない。

 なので、あるときは物乞いに扮し、またあるときは行商人に扮し、エヴァンス邸の周辺を探る。しかし、同じ人間が一日中同じ場所に留まり続けるのは不自然であるから、人員を交代し、また変装も取り換えつつの監視となる。

 そして、名門貴族であるエヴァンス家を訪れる客は多く、家臣や御用達の商人も頻繁に出入りする。それらすべてに尾行を付けることなど、限られた人員しか使えぬ状況では不可能であろう。

「ある程度狙いを絞り込むべきですな」

 コーネリアスは、アークランド・カーターの三人で持った秘密の会合でそう提案した。

「しかしコーネリアス殿、連絡係はどのような姿かたちをしているのかもわからぬのだぞ」

「うむ。変装をしている可能性も高い。どうやって絞り込もうというのだ」

「考えてもみてください。なにせ、これだけの大事です。たかが連絡係といえど、信頼のおけない人間に任すことはできないはずでしょう。うっかり秘密を漏らしてしまった、では済まさせませんからな」

「まあ、はかりごとにあたっては秘密を知る人間が少ないに越したことはない。しかし――手紙か何かを用い、まったく関係のない人物にそれと知らさずに託すということもできよう」

 アークランドが異を唱えた。しかしコーネリアスは自信たっぷりに反論する。

「用心深い人間ならば、連絡内容を書面にしたためるということはしないと思われます。物的証拠となり得るものは、極力作らないほうがいい」

「口頭で連絡を行っている可能性が高い、そういうことか」

「はい。そう仮定した場合、連絡係にはある程度謀の内容を明かすことになるはずです」

「ならば、ある程度伯爵に近しい人物――側近に的を絞ればよいということになる」

 カーターの言葉に、コーネリアスが首肯する。

「相手は大貴族ですから、一口に側近と言っても数は多いでしょう。しかしその中に、貴族の側近らしからぬ服装で外出する者、あるいは貴族の側近にふさわしくないような場所を訪れる者があったなら――」

「それが、怪盗どもの隠れ家であるということか」

 コーネリアスが、大きく頷いた。

「筋は通っている。カーター、エヴァンス邸を張っている連中に今すぐ指示を出せ」

「了解しました!」

 アークランドの命令に、カーターはすぐさま走り出した。




 コーネリアスの言葉により、隊員たち、そしてパメラはエヴァンス家の中でも古株であったり、特に重用されている部下に狙いを絞って監視・尾行を行った。

 結果、レン市内に怪盗と関連があると思しき場所を六ヶ所、特定することができたのである。それは、タイラーが潜んでいるような倉庫であったり、『絵画商シモンズ』のような商家であったり、はたまたごく一般的な民家であったりと様々である。

 事件解決に向け、大きく前進したと言っていいだろう。

 この六ヶ所に打ち込み、盗賊を捕らえることは不可能ではない。しかし、盗賊をその背後関係も含めて一網打尽にできなければ、事件が完全に解決したことにはならぬ。監視に充てる人間を増やしつつ、警備部は盗賊たちが動きを見せれるのを待つのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る