第17話

 警備部部長ジェフ・アークランドは、自らの執務室にて部下からの報告に耳を傾けていた。

 報告を行っているのはアークランド腹心の部下でダルトンといい、当年五十七歳。長年現場で犯罪捜査に当たってきた叩き上げで、警備部のなかでも最年長の男である。

 ダルトンはなににつけても慎重であり、思慮深い男だ。加えて、口も堅い。アークランドは、ほかの隊員たちに秘密にしておきたい案件を扱うときは、いつもこのダルトンを頼りとする。

「……やはり、『フォーサイス派が怪しい』というれいのハイド殿の考えは、誰かに吹き込まれたもので間違いなさそうです。この件に関し、ある程度突っ込まれた質問をされると途端に目線が泳ぎだしましたゆえ」

「当然だろうな。あの男、自分であのような推察ができるような知恵は持ち合わせていまい」

「部長殿、ハイド殿にはフォーサイス派の動向を探るよう指示を出されているそうで」

「ああ」

「ところがハイド殿、その指示をそっちのけで、もっぱら『フォーサイス派が怪しい』との言説を広めるのに腐心しているようなのです」

 ハイドが本来こなすべき任務を放棄しているという報告に対しても、アークランドの表情は変化を見せなかった。そもそも、ハイドの働きぶりにまったく期待していないということもあるが――ハイドの行動にはなにか裏があるに違いない、という確信めいた思いを抱いていたからだ。

 ハイドが会議の場で自ら発言したという異例ともいえる行動――それは、事件を解決したいという意思から出たものではない。なんらかの思惑により、ハイドが動かされている。アークランドは、そう考えていた。

「ほかに、奴に怪しい動きはあったか」

「それは、なんとも……毎晩のようにさまざまな貴族や有力者の家を回っているようですが、もともと、交友関係の広い男ですので。一応、こちらにここ十日ほどのハイド殿の動きをまとめてあります」

 アークランドは、ダルトンから数枚からなる資料を受け取った。

「報告は以上です」

「うむ。下がっていいぞ」

 ダルトンが退出するや、アークランドはすぐさま資料に目を通し始める。

(……確信はないが、やはりハイドを操っているのはどこぞの貴族のように思える)

 傍系とはいえ、ハイドは貴族の家系の出である。そんなハイドを意のままに操れるとしたら、それなりに身分の高い者であると考えるのが妥当だ。

 ダルトンが調べ上げたここ最近のハイドの動向――その中に、ハイドを操る黒幕の招待に迫る手掛かりがあるのではないか。アークランドがそう考えるのも当然のことであろう。

 しかし、ダルトンによる調査が行われた間、ハイドが接触した警備部外の人間は三十以上に及ぶ。これだけでは、まだ雲をつかむような話だ。

(ともあれ――貴族が絡むとなれば、警備部の手に余るかもしれん。あの方・・・連絡つなぎを取っておくべきか)

 などとアークランドが思案していると、執務室にふたたび来訪者が現れた。

「部長殿、少しよろしいですか」

 声の主は、第五分隊のコーネリアスであった。

「入れ」

 略式の敬礼をしてから、コーネリアスは進み出た。

「用件は」

「ええ。れいの賊なのですが……あの者の身柄、いかがしたものかと思いまして」

 賊とは無論、マーシャたちが捕らえた『影法師』の一味の男のことである。

 捕縛されてからこちら、男は第五分隊詰所の地下牢に拘留され続けている。連日厳しい取り調べが行われているものの、有用な証言はいまだ引き出せていない。

「やり方が手ぬるいのではないのか」

「とんでもない。これ以上は命に係わるというぎりぎりまで責め立てておりますぞ」

 逮捕・拘留した容疑者に対しては、無用の苦痛を与えてはならぬという決まりはあるものの、現場ではそれが形骸化しているというのが現実である。

「正直なところ、これ以上あの男をわが第五分隊で拘留し続けるのは厳しいと言わざるを得ません」

 なにしろ、相手は極めて優れた手腕をもって警備部をきりきり舞いさせている盗賊の一味である。万が一にも逃げられぬよう、また自害などされることがないよう、片時も目を離さず監視が続けられている。

 ただでさえ極度の人員不足に喘いでいる状況だ。牢に入れた容疑者の監視に余計な人手を割かれたのではたまったものではない。

「お前の言い分はわかる。しかし、仮にあの賊をほかに移送したとて、監視の目は緩められん。第五の負担が減った分、ほかの負担が増えるだけだ」

 賊の身柄がどこにあろうと、結局のところ警備部全体としてのの負担は変わらない。裁判が終わって賊が監獄に送られるまで、警備部の誰かが監視の任を負わねばならぬ。

「ですから――いっそのこと、特別扱いなど止めてしまえばよいのではないかと思いまして」

「現在の監視体制を緩めるということか? それがどんな意味を持つかはわかっているのだろうな」

 当然、逃亡などの危険性は増すことになる。コーネリアスは深く頷いた。決して、コーネリアスの怠け心から出た発言でないことは、言うに及ばぬ。

 アークランドは、しばしコーネリアスの目を見つめたのち、重々しく口を開いた。

「……なるほど。お前の考えはだいたいわかった。しかし、失敗は許されんぞ。万一の事態が起きた場合――覚悟はできているのだろうな」

「はい。そのときは、私の首を差し出しますよ」

 ごくごく気軽な口調ではあるが、コーネリアスの瞳には確固たる意志が宿っていた。アークランドは、その瞳を鋭射すくめつつ黙考する。

「……まったく、お前のような部下を持つと苦労させられる」

 アークランドは、大きく嘆息した。コーネリアスは、肩をすくめて苦笑を浮かべる。

「して、準備にかかる日数は」

「実は、すでに数日前から仕込み・・・を始めておりまして。許可さえいただければすぐにでも」

 アークランドは、ここでまたしばし無言で考える。

「わかった。しかし、この件はいったん俺が預かる。追って指示あるまで、うかつな行動は取らぬように」

「――了解しました。では、私はこれにて」

 コーネリアスが執務室を出ると、アークランドは執務机の引き出しから便箋を取り出した。ペンを手に何か書きつけると、封筒に収め封をする。呼び鈴を鳴らして副官を呼び出すと、便箋を預けた。

「第二資料室に、ハウエルという男がいる。そこにこいつを届けてくれ」

 と、指示を与える。

 資料室のハウエルなる男、実は王立特務機関の警備部向けの窓口役を務める男であった。このことを知るのは、王城内においてもアークランドのほかには特務の長・マクガヴァンしかおらぬ。

 犯罪捜査を進めるうちに、犯人が王国の有力者とつながりがあることが発覚することが稀にある。その場合、警備部の権限では逮捕に踏み切れないことがほとんどだ。そういったときに力を借りるのが王立特務機関というわけだ。

 とにもかくにも仕事が早いマクガヴァンのことだ。アークランドは、その日のうちにマクガヴァンからの返信を受けたのだった。




 同日のことである。

 夕飯時もとうに過ぎたころ。

 下町はシスル街といえば、レンを訪れる多くの旅人たちが羽を休めるための宿が軒を連ねる、宿屋街として知られる。

 したがって、旅人たちの欲望を満たすための酒場、娼館などもまたシスル街には多く存在するため、夜のシスル街の賑わいは、レン最大の歓楽街・フェナー街に次ぐと言われている。

 そんなシスル街の片隅にある酒場に、マーシャの姿を見いだすことができる。

 席はカウンターのみ、席数わずか十二というしごく小ぢんまりとした酒場であるが、店内の手入れは隅々まで行き届いており、棚に並ぶ酒の種類の多さといったら、マーシャも瞠目を禁じ得なかったほどだ。

 マーシャと並んでグラスを傾けるのは、全身を流行りの仕立ての着衣で揃え、形のいい口髭と頭髪をきっちりと整えた四十過ぎの伊達男であった。彼こそが、王立特務機関の長、エマニュエル・マクガヴァンである。

 国家の機密に深くかかわる立場の者として、余人にみだりにその正体を知られぬよう変装して出歩くことが多いマクガヴァンであるが、このときは変装らしい変装を施していない。多種多様な種類の人間が行き交うシスル街だけに、下手な変装は不要と判断したのだろう。

 二人のほかは、店内に客の姿はない。

「誰かとゆっくり密談をしたいときは、いつもこの店を貸し切りにしてもらっているのだ」

 とはマクガヴァンの弁である。

 古くからマクガヴァンと親交の深い店主は、マクガヴァンの頼みとあらば大抵のことは聞き入れてくれるし、秘密を漏らすことも絶対にないのだとか。

 乾杯し、二人がともに一杯目を干したところでマーシャは本題を切り出した。

「信義にもとることになるため、これの出所を詳しく語ることはできないのですが……」

 と、マーシャは紙の束を取り出した。

 それは、サディアスによる調査の結果が記されたもの、そしてパメラが入手した『絵画商シモンズ』の帳簿の写しであった。

 これらの手がかりをもとに、自分たちがどういう答えを導き出したのか、マーシャはマクガヴァンに説明する。

「……と、いうわけなのです。素人考えゆえ、なにか間違いや見落としがあるやもしれませぬが……」

 マクガヴァンはしばし押し黙って紙束に目を通したのち、これに答えた。

「いや、エヴァンス殿が怪しいという結論に異論はない。これを調べ上げた人物は、実に見事な手腕を持っているようだな。許されるのならば、わが特務調査部に厚待遇で迎え入れたいくらいだ」

 国の上層部の腐敗を正すのが特務の使命であるから、優秀な密偵は何人いても事足りることはない。もっとも、サディアスやパメラが特務の諜報員として働くことは、天地がひっくり返ってもあり得ぬだろう。

「それはさておき――怪盗が反フォーサイス派の者を多く狙っているという事実と、エヴァンス伯爵が黒幕であるという推理――これは、相反しているように思えるのですが」

「必ずしもそうとは言い切れぬよ。グレンヴィルは知らぬことかもしれないが、現在、国軍省内部では『フォーサイス派こそが怪盗騒ぎの黒幕である』という言説が、まことしやかに流れている。それに伴って、反フォーサイス派がいままで中立的な立場にあったものたちを取り込み、徐々に勢力を伸長させているという事実があるのだ」

「……エヴァンス伯爵は、反フォーサイス派の筆頭ともいうべき立場と聞きます。つまり伯爵は、自身の派閥の力を伸ばすべく、この騒動を引き起こした。そういうことでしょうか」

 マーシャは、いまいち納得がいかぬという表情だ。目的に対し、とった手段があまりに大がかりすぎると感じているからだ。

「エヴァンス殿が黒幕であるとはっきり決まったわけではないが――目的はほかにもあると見ていいだろう。それがなんなのか推測するには、まだ情報が足りぬ」

「左様にござりますか」

「ときにグレンヴィル、そなたたちの目的を今一度聞いておきたいのだが」

「はい。当事者がこの場におらぬことゆえ、私の口からすべてを語ることは憚られるのですが――」

 それでよい、とマクガヴァンが続きを促す。

「王都を騒がせる怪盗を捕まえる一助となりたい、という気持ちももちろんございます。しかし、私の友が怪盗の首魁と個人的な因縁を持っているのです」

「怪盗を一網打尽に捕え、かつその前に首魁と接触する機会を持つ。そうなればよいということかな」

「はい」

「その友とは、首魁を殺すつもりか」

「……さて、それは私にも測りかねます。しかし――」

 サディアスは、どうやらカークを討つつもりであったようだ。あの夜、カークと相対したときのサディアスからは、確固たる殺気が発せられていた。しかし、パメラにカークを殺す意思があるかどうか――否である、そうマーシャは感じている。

 詳しい話こそ聞いていないものの、パメラは単にサディアスの意向を引き継ぎカークを探しているというわけではないように思われるのだ。

「おそらくは、そうなりますまい」

「あいわかった。ならば――警備部にこの資料を渡し、協調して怪盗を追ってはどうかな。やりようによっては、そなたらの目的を達することもできよう」

「しかし、情報が漏れる可能性もありますゆえ……」

「此度の事件に関しては、確かに警備部内から外部に情報が漏れ出している。しかし、部長のアークランドは決して無能な男ではないぞ。ちょうど、怪盗に対し反撃の一手を打とうとしているところだ。グレンヴィルの知己だという、分隊長のコーネリアスも一枚嚙んでいる」

「それはまことにございますか」

 マーシャにとっては、意外な言葉であった。

 マーシャとて、警備部を軽んじているつもりはなかったのだが――このたびの怪盗騒ぎに際し、心のどこかで「警備部は頼りにならぬ」という思いを抱いていたのも事実であった。

「しかし、彼らの計画には特別な人材が必要なのだ。隠密行動や尾行術に長けた、とびきり優秀な人材がな。グレンヴィルよ、そのような人物に心当たりがあるのではないかな? たとえば、フォーサイス家にゆかりの深い――」

 と、マクガヴァンは悪戯っぽく笑うと片目をつぶって見せる。どうやらなにもかもお見通しのようだ。

「ええ、国一番の腕利きをご紹介いたしますよ」

 マーシャもまた、笑みを浮かべて答えるのであった。

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