第7話

 サディアス・オクリーヴがレンを離れていた理由――それは、マーシャがフォーサイス邸を訪れた際に放った言葉の中にあった。

 隻眼の暗器遣い――実は、サディアスには心当たりがあったのだ。これは、マーシャが薄々感じ取ったとおりである。

 本来、犯罪者の捕縛は警備部の領分である。フォーサイス家のいち家臣であるサディアスが、首を突っ込まねばならない理由はない。

 しかし、サディアスの予感が的中していた場合、彼はこの事件に介入せざるを得なくなる。その理由が、サディアスにはあった。

 そして、この件に関しては部下たちに任せるわけにもいかない。自身のみの手で解決せねばならないとサディアスは考えている。

 マーシャが屋敷を辞してすぐ、サディアスは公爵ギルバート・フォーサイスに休暇を願い出た。

 一年を通じ一日たりとも休まず公爵に尽くし、公爵のほうから「少し休暇を取れ」と言われても断固として受け入れないサディアスであるから、異例中の異例のことといえる。

「ふむ……先ほどのマーシャの話と、なんぞ関係があるのであろう」

「――ご明察、恐れ入りましてございます」

「われらも長い付き合いゆえ、な。思えば四十年近く、まともに休みもとっておらぬのだ。一年や二年、ゆっくりと羽を伸ばしてもいいのだぞ」

「とんでもございませぬ。ひと月――いや、半月もあれば十分にございまず」

「わかった。好きにするがいい」

「詳しく、お聞きにならないのですか」

「よいよい。そなたのその深刻そうな顔を見たら、理由を問うのも憚られるような気分になってな」

「こ、これは、私めとしたことが、なんとも……」

 みだりに感情をおもてに出すべからず――密偵としての基本を、図らずも破ってしまっていたことに気付いたサディアスは、ばつの悪い思いだ。一方の公爵は、サディアスの狼狽する姿がおかしかったらしく、くっくと笑い声を漏らしている。

「いやあ、今日は珍しいものが見られたわい。今度ミネルヴァやパメラに会ったら、このことを話してやるとしよう」

 これにはさしものサディアスも、苦笑を浮かべるしかなかった。


 さて、まずサディアスが向かったのは、警備部第九分隊の詰め所である。目的は、怪盗『影法師』が残した遺留品――それは、ランドルフ邸で盗賊が用いたとされる鋼糸だ。ギネス・バイロンによって斬り払われた鋼糸は、証拠品として警備部に回収されたのだ。

 夜更け過ぎを見計らい、サディアスは気配を絶って詰め所に侵入した。フォーサイス家の名を出せば、警備部の協力を得ることは容易い。しかしサディアスには、あえてそうしない理由がある。

 誰にも気取られることなく証拠品の保管室に辿り着いたサディアスは、件の鋼糸の端をわずかに切り取って懐中に仕舞うと詰め所を出た。

 盗み出した鋼糸の切れ端を、サディアスはつぶさに観察する。

(これは、相当な逸品だ)

 暗器遣いが用いる戦闘用の鋼糸というのは、誰にでも作れるものではない。細く、かつしなやかな鋼糸を作るには、熟練の職人技が必要である。

 『影法師』の首魁が用いた鋼糸は、サディアスの眼から見ても高い品質だと判断できるものだった。この水準の鋼糸を作ることができる職人は限られる。

 そして、この手の鋼糸に限らず、暗器の製作者というのは、概して大っぴらには商売をせず、信頼のおける少数の顧客としか取引しない。暗器というものの特性を考えれば、製作者が秘密主義になるのも頷けるだろう。そのため、警備部といえどこの鋼糸の製作者を割り出すのは難しいはずだ。

 サディアスとて、現物を見ただけでその製作者を判別できるほどの鑑定眼を持っているわけではない。しかし、サディアスは暗器の専門家である。高水準の鋼糸を作ることができる職人はほぼ把握している。

 レンを飛び出したサディアスは、各地の鋼糸職人を訪ねて回った。

 鋼糸の切れ端を職人に見せ、これを作った人間に心当たりはないか、また最近怪しげな相手と取引を持たなかったか、鋼糸の在庫が不自然に減っていたことがなかったかなどと尋ねてみる。

 なかなか有益な情報は得られなかったが、四人目に訪れた職人の工房で、サディアスはついに一つの手がかりを得た。

 シーラム島南部に、ドーンという金属加工が盛んな町がある。そこで、スコールズという職人が工房を営んでいる。

 その職人は、表向きはある種の楽器に使われる金属弦を制作しているということになっている。しかし、ごく少数の顧客に対しては特別製の鋼糸を制作、販売している。オクリーヴ家も、スコールズの数少ない顧客の一つだ。

 サディアス個人も、スコールズとの付き合いは長い。

「確かに、これは俺が作った鋼糸にちげぇねぇよ、オクリーヴの旦那」

 職人は、鋼糸の切れ端を一目見ただけで即答した。

「間違いないか」

「ああ。断面を見りゃ、すぐわかる」

「最近――いや、ここ数か月の間、怪しい人間と鋼糸の取引を持ったことはなかったか」

 答えにくい質問であることを承知の上で、サディアスは尋ねた。前述のとおり、暗器制作に携わる人間は概して秘密主義である。いくらオクリーヴ家がスコールズの上得意先だからといって、ほかの顧客の秘密はそう簡単には漏らせない。

「旦那、その質問はいけねぇぜ。あんただって俺たちのやり方はご存じだろう」

「そこを曲げて頼む。この通りだ」

 サディアスは、片膝をついてこうべを垂れる。スコールズは数秒間、そのサディアスの頭頂部を見つめていたが――

「……わかった。頭を上げてくれ。ただし、こんなことはこれっきりだ。それから、詳しいことまでは話せん」

「済まぬ、感謝する」

「で……怪しい取引があったかどうかと言われれば、あった」

 サディアスは、無言で頷き続きを促す。

「とあるお人の仲介で、仕事を持ち込まれた。相手の素性も教えられんってことで、俺としてはあまり気が進まなかったが――その仲介をしたというのが、大恩あるお人でな。俺にも断れなかった」

「その仲介人というのは?」

 サディアスの質問に対し、スコールズは黙って首を横に振る。これ以上は話せぬ、ということらしい。

「わかった」

 サディアスがスコールズに金貨を握らせようとするが、彼は頑として受け取ろうとしない。

「恩に着る――では、ご免」

 踵を返し、立ち去ろうとするサディアスの背中に、スコールズが声をかけた。

「旦那」

 振り返るサディアスに、スコールズがなにかを投げてよこす。サディアスが受け止めたそれは、丸められた紙片であった。

「済まねえ旦那、鼻紙を捨てようと思っていたところなんだ。悪いがそこにあるくず入れに捨てておいてくれ」

 スコールズは、なにやら含みのある視線をサディアスに投げかけている。スコールズは、客人にごみを捨てさせるような無礼な真似をする男ではない。サディアスは紙切れを懐中に仕舞うと、今度こそ職人宅を辞した。

 紙切れを広げると、そこには半年ほど前のとある日の日付が記されている。

「これは……」

 サディアスは、しばし考える。あくまで「自分の口からは話せぬ」という体裁を守るため、職人はこのような方法を取ったに違いない。ならば、この日付にはサディアスの質問に関連する情報が含まれていることになる。

 鋼糸を注文した何者かを特定する手がかりとなる日付――しばし考えたサディアスは、一つの答えに辿り着いた。

 見上げれば日はすでに暮れ、そろそろ夕飯時になろうかという時刻だ。サディアスは手近な酒場に入ると、安酒を舐めつつ夜更けを待つ。

 そうしてサディアスが向かったのは、ドーンにある運び屋ギルドの支部である。

 スコールズは客に商品を送る際、必ず運び屋ギルドを利用する。ギルドは顧客の秘密を厳守するため、スコールズにとっては都合がいい。

 そしてギルドは、受けた仕事の記録を数か月分にわたって保管している。ギルドの『運び』が犯罪行為に利用された場合、官憲に情報を開示しなければならないからだ。

 れいの紙片に記された日付、それはスコールズが鋼糸をギルドに託した日なのではないか――サディアスはそう推測したのだ。

 サディアスにとって、ギルドの書庫に侵入することなど赤子の手をひねるより容易い。帳簿を精査していくと、件の日付の記録はすぐに見つかった。

 『送り主 ネイサン・スコールズ 品名 楽器用金属弦』

 どうやら、サディアスの推測は的中していたようだ。

(送り先は――キーンズ領、ペイジ村か)

 ペイジという村について詳しく知らぬサディアスであったが、キーンズ領といえばシーラム島最北端に近い。このドーンの町から向かうとすれば、シーラム島をほぼ縦断することになる。サディアスが思わず嘆息したのも無理からぬことであった。


 早馬と駅馬車を乗り継ぎ、サディアスがペイジに到着したのは五日後のことである。一般的な旅人と比べると倍を超えるの速度でその道のりを駆け抜けたことになる。

 荷物の届け先は、村に一軒だけある商店であった。小規模な村落によくある、日用品から酒・食料品まで雑多な品を取り扱うなんでも屋・・・・・のような店だ。

(この店の人間があの鋼糸を――? いや、それはないだろう)

 表向きはなにかの商いをしながら、裏で情報屋や密偵として立ち働く――そんな人間も少なくはない。しかしサディアスには、この鄙びた片田舎のなんでも屋が、そういう仕事・・をしているようには見えない。

「荷物? そういえばだいぶ前にひとつ受け取ったっけねぇ」

 店番をしていた中年の女に硬貨を握らせると、女はすぐに口を開いた。運び屋から荷物を受け取ることなど、あまりないのだろう。女は、そのときのことをはっきりと憶えていた。

「あれはあんたたちが注文したものかね?」

「いえ、あたしどもは受け取っただけですよ。とあるお客さんから、運び屋から荷物が届いたら預かるように頼まれてまして」

「とある客とは」

「村はずれの山に、ずいぶん前に潰れた剣術道場があったんですけどね。一昨年の春ごろだったかしらねぇ。十人くらいの武術家さんがたが、そこを買い取って修行を始めたんですよ。お客さんってのは、その武術家さんなんですよ」

 女が話すには、武術家たちは十日に一度ほどの割合で村に降りてきて食料品などを買い込んでいったという。れい荷物も、そのときに渡したのだそうだ。

「その武術家というのは今もいるのかね?」

「いえ、三月ほど前に道場を引き払ってしまいましたよ」

「どこへ行ったのかわかるか?」

「さあてねぇ。あたしども――いえ、村の人間も、あの人たちと親しく付き合っていたってわけじゃあないんでねぇ」

 武術家たちはほとんど道場に籠りっきりで、この店の人間とも必要最小限の言葉しか交わさなかったという。村を出ていくときも、村人たちに別れを告げるでもなく、ふらっと姿を消してしまったのだとか。

「……ありがとう、世話になった」

 これ以上得られるものはないと判断したサディアスは、店を出る。幾人かの村人に聞き込みをしてみたが、その武術家たちについて詳しく知るものはいなかった。

(三か月前――時期的には符合する)

 それは、怪盗がレンで暗躍を始めた時期と一致している。これは単なる偶然なのだろうか。考えつつも、サディアスの足は村はずれの山中にあるという道場跡へ向かっている。

 道場は、まさにもぬけの殻であった。家財などは綺麗さっぱり処分され、人間が生活していた痕跡は一切残っていない。

 サディアスは、道場内部に目を向ける。一般的な武術道場と変わらぬつくりである。

(これは……やはり、ここでは暗器術、そして隠密行動の訓練が行われていたようだ)

 常人の眼では、何の手がかりも得ることはできなかっただろう。しかしオクリーヴ家頭領ともなればわけがちがう。壁や天井の梁、訓練用の木人形などに残された傷跡から、そこでどのような修行が行われていたのか窺い知ることができる。

 たとえば、木人形の表面に穿たれた無数の小さな孔――これは、投げナイフなどの投擲武器の訓練をする際にできたものだろう。

(しかし、この修行法……この私が見まごうはずもない)

 謎の武術家たちが行っていたと思われる修行法――それは、サディアスにとって非常になじみ深いものであった。そう、オクリーヴの業だ。

 オクリーヴ家の郎党が身につけている技術体系は、オクリーヴ家の人間にのみ代々伝えられる秘伝である。流派の名前などはないが、あえて呼称するなら『オクリーヴ流』ということになろうか。

 この道場で、オクリーヴ流の修行が行われていた――サディアスの眼には、そう映ったのである。

「悪い予感が的中してしまったやもしれぬ」

 呟くと、サディアスはふたたびペイジの村に足を向けるのだった。

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