第2話

「先生、アイさん、少々よろしいかしら」

 ミネルヴァが、マーシャラに顔を寄せ、抑えた口調で言った。

 ミネルヴァとパメラは、フォーサイス家の所領エージルから、つい前日レンに戻ったばかりだ。

 豊かな穀倉地帯であるエージルの名産であるウイスキーの瓶を手土産に桜蓮荘を訪れたミネルヴァは、旅の疲れもなんのその、一日みっちりと稽古を行った。

 三人が一息つき、パメラが茶の支度をしに建物の共用厨房に向かったのを見計らい、ミネルヴァは話し出した。

「パメラの実力ちからについて――お二人は、どうお考えになっていらっしゃいますか」

 ミネルヴァが尋ねたかったのは、そのことであった。パメラ本人がいる前では、切り出しにくい話題であろう。

「それは難しい質問ですね。あの娘は、私の前でもその実力の底を見せませぬ。ひとりの武術家として、ぜひ一度は本気で立合ってみたい相手ではある、とは申せますが」

 これは、パメラがかなり高く評価されているといっていいだろう。

 なにせ、シーラント武術界の頂点に立っていたときでさえ、マーシャは己と見合う実力の相手がいないと嘆いていたくらいなのだ。もしマーシャと肩を並べられるだけの好敵手があったなら、マーシャが「蜃気楼」へと入隊することもなかったかもしれないし、今とはまったく別の人生を歩んでいたかもしれぬ。

「さて――某もパメラが本気で戦うところは見たことがないゆえ。ある程度、推測を交えた話になるのでござるが」

「ええ、構いませんわ」

「うむ。たとえば某がパメラと戦うとして――決められた規則のうちで戦う武術試合ならば、勝負はわからないでござる。しかし、なんでもあり・・・・・・の状況で命のやり取りをしたならば――まず勝てないでござろう。某も武術家の端くれ、戦いもせずに負けを認めるのも本当は癪にござるが、それは紛れもない事実にござる」

 アイが、はっきりと、「勝てぬ」と明言した。

 自他共に認める武術愛好家であるファイナ・スマイサーなどに言わせれば、アイはその気になれば権威ある武術大会ですぐに優勝をかっ攫えるほどの実力者だ。そのアイが、あっさりと負けを認めてしまった。

「やはり……まことにお恥ずかしい話ですけれど、私はついこの間まで、パメラがそれほどの実力を秘めていること、まったく気付いておりませんでした。無論、オクリーヴ家の一員として恥じぬ力を持っている、ということは存じておりましたけど……」

 マーシャやアイにそこまで言わせるほどのものだという認識はなかった、ということだろう。

「ふむ――パメラは、巧妙に力を隠しています。ミネルヴァ様がお気づきになれなかったのも仕方のないことです」

 オクリーヴ家の人間の本来の任務は、密偵として情報収集することだ。無論のこと、目立ってしまっては密偵は務まらぬ。あり余る実力を持ちながら、それをみだりに余人に悟らせない――このこともまた、パメラの密偵としての高い能力を示している。

 しかし、これまでの会話の流れからして、ミネルヴァもパメラの秘めたる実力に気付けるようになったということだ。

(これも、武術家としてミネルヴァ様が進歩されている証左。しかし――ここ最近のミネルヴァ様の成長ぶりは、目を見張るものがある)

 これは武術に限らず、芸事の世界でも学問の世界でもあることだが――ふとしたきっかけに、目覚しい成長を遂げる人間というのは存在する。

 イアン・プライスの死とマルコム・ランドールとの一騎打ちを経て、ミネルヴァは驚くべき進歩を遂げた。

 いまのミネルヴァは、半年前とは、まるで別人である。

 通り魔事件解決のため、マーシャがミネルヴァを伴ってローウェル道場をおとなったのが春のことである。そのときミネルヴァは、道場の高弟ブレンバに対し、完敗を喫した。

 しかし、現在のミネルヴァはどうか。いまのミネルヴァに勝てる見込みのある剣士は、ローウェル道場にも数えるほどしかおらぬ。マーシャはそう見立てている。

 具体的に、ミネルヴァのどこが進歩したのかといえば、言うところの「意」にきわめて敏感になった点だ。

 「意」とは、言葉で表現するのは難しい概念だが、攻めるにせよ守るにせよ、戦いにおいて特定の行動を起こそうとする意志、とでも説明すればいいだろうか。 

 ミネルヴァの得物は、長大な両手剣である。重量があって取り回しに難があるけれども、射程は長く一撃の威力も大きい。自分の間合いで戦い続けることができれば、その長所が存分に活かされるけれども、懐に入り込まれると反撃もままならぬ。

 ゆえに、相手がいつ踏み込んでくるのか見極め、自分有利の距離を保つことが肝要となる。そこで重要となってくるのが、相手の「意」を敏感に感じ取る力、というわけだ。

 近頃のミネルヴァは、アイ、そしてマーシャに対してすら、易々と懐を取られなくなった。

 マーシャやアイの動作の起こり・・・にきわめて鋭い反応をみせ、あるいは後退し、あるいは自ら距離を詰め、思う間合いで戦わせないのである。

 フォーサイス家が持つ旧き武人の血がなせる業か、それともミネルヴァ個人の資質によるものか――どちらにせよ、驚くべき進歩といえるだろう。

「しかしミネルヴァ様、その口ぶりから察するに――ご領地のほうでなにかあったのですか」

 ミネルヴァが頷く。

「父上に付いて、領内の視察に出たときのことですわ。われわれは、待ち伏せしていた十名ほどの曲者に襲われたのです」

「なんと……! ギルバート様はご無事で!?」

「ええ、ご心配なく。私や父上は指一本触れられることなく、賊たちは取り押さえられましたわ」

 マーシャは胸をなで下ろす。マーシャにとって父親にも等しい大恩人であるから、その身になにかあったなら一大事だ。

 件の曲者というのは、かつてエージル領内を荒らし回った野盗の生き残りだった。その野盗の一団のほとんどは、すでに捕縛され、領主であるギルバート・フォーサイスによって断罪されている。この事件は、その残党が、公爵を逆恨みして起こしたものであった。

 この日の視察では、箱馬車に公爵とミネルヴァ・パメラが乗り組み、その周囲を二十騎ほどの家臣が護衛するという形で行われた。

 領主の外出の供を務めるとなれば、家臣の中でも特に腕の立つ者が選ばれる。

 そして、襲撃を行った野盗の集団も、かしらをはじめとした主要な構成員を失った、いわば残りかす・・・・のような連中である。ろくな計画性も戦略も持ち合わせていなかった。

 なので、フォーサイス家の家臣たちは奇襲を受けても動じることなく、易々と野盗の群れを蹴散らしてしまった。

「それはともあれ――あとになってから考えると、襲撃を最初に察知したのは、パメラだったのです」

 賊どもの存在に最初に気付いたのが、周りを警護する家臣たちではなく、箱馬車に乗り組んでいたパメラだった――これは確かに異常なことだろう。

「馬車が、見通しの悪い藪に囲まれた道に差し掛かったときのことです。突如、パメラの身に纏う空気が変わりました。肌がひりつくようでいて、背筋が凍るような感覚――パメラが放ったのは、殺気と呼ばれるものだったのかもしれませんわ」

 微細な筋肉の緊張、表情のわずかな変化――ミネルヴァは、パメラが瞬時に臨戦態勢に入ったことを悟った。少し前のミネルヴァならば、見過ごしていたであろう。

 野盗が奇襲をかけてきたのは、その直後のことだった。

 今回の場合、パメラの手を煩わすことなく野盗は鎮圧されてしまったわけだが、もし護衛の輪が突破され、公爵やミネルヴァの身に危険が迫ったならば、ミネルヴァはパメラの真の実力を垣間見ることができたかもしれぬ。

「いまさらながら、気付かされましたわ。私の力は、パメラに遠く及ばないことを」

 悲しげな顔で、ミネルヴァが嘆息する。

「しかしミネルヴァ様、パメラとご自分の力を比較することなど、不毛なように思われますが。ミネルヴァ様の求める強さとは、武術試合で勝利したり、真剣勝負で相手を殺めたりするためのものではないはずです」

「いえ先生、私は決してパメラに勝ちたいと思っているわけではありませんの」

 ミネルヴァはかぶりを振った。

「おそらくは、私が気付いていなかっただけで――パメラはずっとああして私の身を護ってきたのでしょう。でも――いつまでも護られるだけではいけない、そう思うのです」

 マーシャははじめ、ミネルヴァはパメラに保護されるのが癪なのだろうかとも思ったが、どうやらそれは違うらしい。

「私とパメラは幼いころからともに過ごしてきましたわ。彼女は滅多に感情を表に出さないけれど、常に私のことを第一に考えてくれていることはわかっております。だからこそ、私は一方的に護られるだけの関係ではいたくないのです」

 決意を帯びた瞳で、ミネルヴァが言った。

「互いに認め合い、尊重し合える関係。いまの私の実力では叶わないかもしれません。でも、私はパメラとそういう関係になりたいのですわ」

「なるほど。ミネルヴァ様は、パメラの友になりたい――そう仰る」

 微笑しながらマーシャが尋ねると、ミネルヴァは気恥ずかしそうに頬を赤らめながらも、はっきりと頷いた。

 そこへ、パメラが盆に茶器を携えて戻ってきた。

 三人が揃って自分の顔を見るのに、パメラは不思議そうに小首を傾げる。

「また一つ、強くならねばならない理由ができましたな、ミネルヴァ様。このマーシャ・グレンヴィル、微力ながら手助けいたします」

 と、マーシャは恭しく一礼するのであった。


 その夜、マーシャはひとり「銀の角兜亭」を訪れた。

 満足いくまで飲み食いし、桜蓮荘へ向かう帰り道のことである。

「おや、あれは……」

 道の向こうから歩いてくる人物に、マーシャは目を留めた。

「おや、先生じゃないですか。お久しぶりですなぁ」

 酒臭い息を吐きながらマーシャに声をかけたのは、いかにもお調子者といったふうの、三十男だ。名をミック・ダイソンという。

 ダイソンはかつては、ロータス街界隈で暴れまわるごろつきであった。若いころは武術家を志し、まじめに修業に励んでいたという。

 しかし、彼が剣を学んでいた道場のあるじが、強姦のかどで警備部に逮捕されたことで、ダイソンの人生は狂ってしまう。その師匠、調べが進むうちぼろぼろと余罪が発覚し、強姦の常習犯であることが明らかとなった。

 こうなると、残された道場の門下生たちにも、よからぬ風評が流れるというものだ。結果、門下生たちは大会などには出られぬ身となってしまった。武術家として身を立てるというダイソンの夢も、そこで断たれた。

 自棄になったダイソンは、どんどん生活が荒み、とうとうごろつき二まで身を落とすこととなった。言うところの、「武術家崩れ」である。

 腕っ節にものを言わせ、やりたい放題の毎日を送るダイソンだったが、ロータス街に転居してきたばかりのマーシャに喧嘩を売ったのが運のつきである。完膚なきまでに叩きのめされたダイソンは、その場でマーシャに心を入れ替えることを誓った。

 以降は、主に用心棒などをして生計を立てているということだ。

「久しぶりだな。それにしても、随分景気がよさそうではないか」

 ダイソンは、両脇に商売女らしき女性を二人侍らしている。金回りがいいのは間違いないだろう。

「へへ、それが、いま俺はランドルフって商人に用心棒として雇われてるんですが、そこから特別な報酬をいただいたもんで」

「なにか、手柄でも立てたのか」

「その通りで。と言っても、俺はおこぼれに預かっただけなんですが」

「おこぼれ?」

「へい。ここだけの話なんですがね――実は、お屋敷に噂の『怪盗』が入ったんですよ」

「なに――ひとつ、詳しく聞かせてもらえぬか」

 王都を騒がす怪盗については、マーシャも少なからず興味を持っている。

「その怪盗って連中、まったく噂どおりの大した手並みで、誰にも気付かれることなくお屋敷の金蔵まで辿りついちまったんです。しかし、俺と一緒に雇われてた傭兵のなかに、ひとり凄いがいまして。そいつが異変に気付いて、ほとんどひとりで怪盗を追っ払っちまったんでさ」

「ほう……」

「奴らを捕まえることはできなかったが、いままで姿さえ見られてなかった怪盗が、なにも盗らずに尻尾巻いて逃げ帰ったってんだから、依頼主も大喜びでして。たんまりと心づけを弾んでくれた、ってわけです」

「なるほど。しかし、なんぞ怪盗を捕らえる手がかりは得られたのだろうか」

「うーん、俺は賊のひとりをちらりと見ただけなんで、なんとも。ただ、連中を追っ払った奴が、『怪盗の首魁は、片目の暗器遣いだった』と」

「ふうむ。それは、かなり大きな手がかりかもしれぬな」

 暗器術を専門とする武術の流派も、シーラントには存在する。しかし、その数はきわめて少ない。加えて、隻眼というのはかなり目立つ身体的特徴といえよう。

「じゃあ、俺はこのへんで。御免なさいよ」

 と、女を引き連れ歩き出すダイソンに、マーシャは質問を投げた。

「待て、ひとつだけ聞きたい。その賊を追い払ったという凄い奴、というのはどんな奴なのだ」

「ギネス・バイロンって剣士でさ。歳のころは四十しじゅうくらい、痩せてて背の高い――あれ、先生はあの男をご存知で?」

 マーシャの表情の変化を見て、ダイソンが聞き返した。

「――ああ、ちょっとした知り合いさ」

「へぇ、先生も顔が広いんですね。じゃ、今度こそ失礼しますよ」

 去り行くダイソンの背中を眺めつつ、マーシャは考える。

(ギネス・バイロン――あの男が用心棒か。意外なこともあるものだ。しかし、あのバイロン腕前をもってしても捕えられぬとは。怪盗とやら、やはり只者ではないようだ)

 大きな手がかりを得たとて、怪盗の捕縛は容易ではあるまい――警備部の苦労を考えると、心が晴れぬマーシャであった。

 

 

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