第10話

 ヴァートが走り出た。

 『幻影』をひとつ挟みながら、一気にカレンの側面を取ろうとする。しかしカレンはすぐさまヴァートの動きを見極め、踏み込みに反応した。

「はあッ!」

 右手一本での横薙ぎ――カレンは退いてそれをかわすが、ヴァートは斬撃の途中で剣を左手に持ち替え、一歩深く踏み込んで突きを放つ。

「それしきッ!」

 意表をついたかに思われた、ヴァートの攻撃。しかしカレンは、上体を捻ってそれを回避して見せた。ヴァートは立て続けに下段を払いにかかるが、カレンは剣でそれを弾く。

「ふッ!!」

 鋭い呼気とともに、ヴァートは四連続の突きを繰り出す。カレンの両肩、両足を狙ったその連撃は、かつてアイザック・ローウェルが見せた「マッカランの五戒」である。本来は対象の両手両足の自由、そして男性としての機能を奪う技だ。相手が女性ゆえに、最後の一撃は省略されている。

 この高速の四段突きを、しかしカレンはすべて避けきった。間隙を縫うように、反撃の一撃を放つのも忘れない。

「やるッ!!」

 ヴァートがそれを弾いたところで、三度目の仕切りなおしとなった。

(この人が先生の動きをあそこまで再現できる理由が、わかった気がする。この人、すごく眼がいい)

 武術家が言う「眼のよさ」とは、遠くのものがよく見えるだとか、細かい字の書物も苦にせず読めるだとかいったことを指すのではない。動くものを見極める力――いわゆる動体視力と、観察眼を併せ持つのが「眼のいい」武術家である。

 カレンはヴァートの『幻影』に、まったく惑わされなかった。そして、続くヴァートの攻撃――斬撃の途中で剣を持ち替えるという荒業だが、これにも素早い反応を示した。

 優れた眼を持っていなければ、こうはいかぬ。

 また、眼がいいということは回避にばかり働くわけではない。

 マーシャの動きを模倣するにしても、ただなんとなくマーシャの姿を真似たのではなく、細部にいたるまでしっかりと観察したのでなければ、ああも見事に再現はできないだろう。

(この人が実際に先生の戦いを見たのは、少なくとも八年以上前のことのはず。それなのに、よく覚えてるもんだ)

 ヴァートも感嘆せずにはいられない。

 カレンは、子供のころに脳裏に焼き付けたマーシャの記憶を頼りに、稽古を積んできたことになる。だとすれば、その記憶力も賞賛に値するだろう。アイザック・ローウェルは、斜め読みしただけで書物の内容をまるごと記憶してしまうという特殊な能力の持ち主だったが、もしかするとこのカレンも同じような才能を持っているのかもしれない――ヴァートはそう考える。


「いやあ、さすがにお強い。『雲霞一断』のお弟子だけのことはありますな」

 はらはらしながら試合を観つつも、相手を立てることを忘れないあたり、バートウィッスルは優れた商売人であるといえよう。

「いえ、ヴァートなどまだまだですよ」

「ご謙遜を。しかし――」

 バートウィッスルは、独り言のように呟く。

「私の娘は、あんなに強かったのか……」

 マーシャが察するに、ここまでカレンは実力的に大きく劣る相手としか対戦してこなかったのだろう。相手の実力が伴わないと、本人の実力も過小評価されがちだ。

 自身は武術に興味がないといっても、バートウィッスルは多くの武術試合を観戦してきた。武術家を見る目は肥えているはずだ。

(ヴァートとあそこまで渡り合えるのは、確かにたいしたものだ。仮に優勝できなかったとしても、このまま武術を諦めさせるのは惜しい)

 マーシャも、内心カレンを高く評価している。

 その視線の先では、二つの若き才能が、三たびぶつかろうとしているところであった。

 

 今度は、二人同時に踏み出した。両者ともに小細工なしの踏み込み。上段から斬り下ろしたカレンの剣と、下から斬り上げたヴァートの剣が、真っ向からかち合う。

 鍔迫り合いの状態ならば、膂力に勝るヴァートが有利だ。ヴァートが圧をかけようとするも、カレンは絶妙の呼吸でふっと力を抜く。体重があらぬ方向に逃がされ、ヴァートの重心が流れる。

(つくづく、先生そっくりだな!)

 相手の力を受け流し体勢を崩しにかかる技は、マーシャも多用する。もとは、マーシャが師マイカ・ローウェルから伝授されたものだ。

「しぇいッ!!」

 カレンの剣が、ヴァートのわき腹に迫る。

「ふんッ!」

 身体を大きく捻って剣の切っ先をかわしたヴァートは、その余勢でもって剣を振るう。カレンは身を伏せてそれを避けると、下段でヴァートの足首を払いにかかる。ヴァートは剣を立て、これを受け止めた。

 一進一退の攻防。観客たちは、ふたりが一合斬り結ぶごとに歓声を上げ、会場の盛り上がりは頂点に達しようとしていた。

 しかし、ミネルヴァ、アイ、そしてパメラの三人だけは、冷静な眼で試合の行く末を見守っている。

「そろそろ終わりが見えてきましたわね」

「うむ。いい勝負にござったが」

「あの少女も、先生に近づくべく精進してきたことはその剣を見ればわかりますわ。しかし、『近づきたい』という感情では超えられない一線がある」

「然り。ヴァートとは、心の持ちようが違うでござる。ヴァート、いや、われわれは――」

 アイの言葉は、ひときわ大きな歓声に遮られた。ヴァートの突きが、カレンの右肩を掠めたのだ。

 審判は動かない。浅かったようだ。しかしここへきて、初めて相手の身体に打撃を当てたのは、ヴァートであった。

 カレンの表情が、苦々しげに歪む。すぐさま剣を構えなおすや、攻勢に出た。

 まさにマーシャを思わせる、鋭く緻技巧を凝らした連撃――しかし、ヴァートはそれをひとつひとつ冷静に打ち払っていく。

 いまのヴァートには、ある程度カレンの次の手が読めているのだ。

(相手がカレン・バートウィッスルという剣士だと考えないで、先生と戦っていると考えるんだ――そうすれば!)

 ヴァートは――いや、アイやミネルヴァにしてもそうなのだが――常に、マーシャに追いつき、いつかは追い越すことを夢見て修業を重ねている。直接乱取りをするときのみならず、素振りひとつするときにしても、眼前にマーシャ・グレンヴィルという最強の存在がいることを想定する。自分がこう動けば、マーシャはこう反応するはず。ならば自分はこう返す――仮想のマーシャを相手に、幾度となく戦いを繰り広げてきたのだ。

 しかし、実際のマーシャは、常に「頭の中で思い描いたマーシャ像」を上回る。いくらマーシャの裏をかこうと策を巡らせても、考えもしなかった方法で見事な反撃をしてみせる。

 しかるにカレンは、「想像の中のマーシャ」を決して上回らない。

 だから、予想できる。

 カレンが放った、巧妙な幻惑に隠された一撃を、ヴァートはこともなげに防いだ。

「なっ……!?」

 カレンが見せた一瞬の動揺。それを見逃さず、ヴァートは一転して攻勢に出た。

 それまでヴァートの攻撃を見事にしのいできたカレンだったが、徐々に反応が遅れ始めている。

 まず、カレンの身体能力がマーシャのそれに及ばないということもある。

 しかしカレンが本物のマーシャと決定的に異なる点、それは対応力であろう。

 マーシャは、仮に相手が見たことも聞いたこともないような流派の遣い手であろうと、戦いの中でその特徴を把握し、対応することができる。さらには、それが最善だと判断した場合、その場で新しい技を生み出すことすらしてのける。

 しかしカレンには、そこまでの力がない。ゆえに、ヴァートが時折織り交ぜる変則的な攻撃――たとえばオネガ流の素手による打突――に対する反応が、ほんのわずか遅れてしまう。試合の序盤は優れた眼力と反射神経にものを言わせ、ヴァートの攻撃を見切ってきたカレンだが、ヴァートの持つ技の引き出しの多さが、カレンの見切りを徐々に狂わせている。

 マーシャほどの才能を持たぬ以上、対応力を鍛えるにはとにかく経験を積むしかない。そして、経験というのはカレンがヴァートと比べてもっとも劣る部分といえる。

 カレンも粘りを見せる。が、有効打こそ受けないものの、じりじりと試合場の端へと押し込まれてしまった。


 試合場の囲いまで追い詰めてしまえば、圧倒的にヴァート有利な状況である。

 並の武術家ならば、ここで一気に勝負を決めにいく場面だ。

 しかし、ヴァートはあくまで慎重にカレンを攻め立てる。

 とうとう、カレンの背に試合場の囲いが触れた。と同時に、カレンの膝がかくんと落ちた。

 疲労によって膝の力が抜けた――多くの観客の目からは、そう見えただろう。しかしヴァートの直感は、最大級の危険を告げている。

(まさか、そんな技・・・・まで使えるのか!?)

 一歩下がって上体を反らす。ヴァートの胸元すれすれを、凄まじい速度の斬撃が通り過ぎた。

 『霞斬り』。マーシャの代名詞ともいえる秘剣を、カレンは土壇場で放ってみせたのだ。

 しかし、ここでもヴァートの経験がものをいった。あのマット・ブロウズとの真剣勝負において、ヴァートが『霞斬り』を放ったのは、ちょうどいまのカレンと似た状況のときであった。

 カレンの眼が死んでいないことに気付いたヴァートは、カレンが『霞斬り』の体勢に入ったときには、すでに回避の準備を整えていたのだ。いかに神速を誇る『霞斬り』とて、事前に察知することができれば回避は可能である。このことは、ブロウズが証明している。

 『霞斬り』を避けられたカレンには、大きな隙ができている。一気に間合いを詰め、剣を振り上げたヴァートだったが、その手は途中で止まる。

「くうッ……!」

 カレンが苦悶の表情を浮かべ、その場に蹲っていたからだ。

 『霞斬り』は、急激な筋肉の挙動により骨格に負担をかけることで可能となる荒技だ。一歩加減を間違えれば、自らの骨や腱を傷つけることになる。

 カレンの『霞斬り』は、いまだ不完全であった。結果、カレンは自身の身体を痛めてしまったのだ。

 審判が駆け寄り、カレンの様子を見る。カレンは力を振り絞って立ち上がろうとするが、とうとうそれは叶わなかった。

 明らかな戦闘不能状態だ。

 審判の手が上がり、ヴァートの勝利が宣告された。


 マーシャの傍では、われを忘れて試合場に大喝采を送るバートウィッスルの姿があった。

「カレン、よくやったぞ!! しかし惜しい、あと一歩だったのに……!」

 髪の毛をかきむしりながら、バートウィッスルは悔しげに地団太を踏む。ヴァートとカレンが繰り広げた熱戦は、それほど彼の心に響いたのだろう。

「おや、バートウィッスル殿。ご息女が負けて安心したのではないのですか」

 少々意地の悪い笑みを浮かべ、マーシャが尋ねた。バートウィッスルははっとなって、

「あっ、いえ……それはその通りですよ」

 と答えたけれども、その口調には迷いが見える。

 そこへ、試合場を出たカレンが、係員の肩を借りて歩み寄ってきた。身体の痛みよりも、敗戦という事実のほうがよほどに堪えたとみえ、カレンは暗い表情でうなだれている。

 しかし、父と並んで立つマーシャの姿を認めるや、カレンの瞳はにわかに輝きを取り戻した。

「あ、あれ、グレンヴィル様……ですよね? いったい、どうして……」

「はじめまして。マーシャ・グレンヴィルと申します。先ほどの試合、実にお見事でしたよ」

 マーシャがにっこり笑って挨拶すると、カレンはたちまち顔を上気させた。

「そっ、そんな、見事だなんて! もったいないお言葉です!」

 ぶんぶんと首を振って謙遜するカレンである。

「さて、バートウィッスル殿。ご息女が優勝できなかった場合、武術の道を諦めさせるというお話でしたが」

「は、はい。それはもちろん守ってもらいますよ、はい」

 バートウィッスルの言葉に、カレンはがっくりと肩を落とす。

「カレン殿、あなたはどうですか? 武術を続けたいという気持ちに変わりはないでしょうか」

 カレンは力強く頷いた。

「バートウィッスル殿、ひとつ私からお願いなのですが――このままご息女に武術を続けさせてやってはもらえませぬか」

「いや、それは……」

「ご息女の戦いぶり、バートウィッスル殿もご覧になったでしょう。これは決してお世辞などではなく、見事の一言でした。私は、カレン殿が更なる研鑽を積み、成長した姿を見てみたいのです」

 これは、偽らざる本心からの言葉だった。カレンに足りないのは経験だ。さまざまな相手としのぎを削り、場数を踏むことにより、カレンの剣は単なるマーシャの模倣にとどまらぬ、一段階上のものへと昇華させることができるはず。マーシャはそう考えている。

「お父様、お願いします……! 今日は負けてしまったけど、私、このままでは終われません」

 カレンの両眼は、早くも闘志の炎を取り戻していた。負けん気の強さというのも、武術家にとっては大事な要素だ。

「しかし、それは……ううむ」

 バートウィッスルが唸る。カレンの試合を観て、心動かされたのは確かである。しかし一方で、娘の身を案じる気持ちがなくなったわけではない。

 マーシャは、バートウィッスルの耳に顔を寄せると、囁きかけた。

「それに――『バートウィッスル宝飾店』の娘が、武術界で活躍することになれば、いい宣伝になるでしょう。そう思われませぬか?」

「なるほど……それは確かに……いや、そうは言っても…………」

 商売人としての痛いところを突かれたかたちだ。バートウィッスルは、深い葛藤を見せた。

「……わかりました、認めましょう。ただし、あくまで当面の間は、という条件ですが。いいね、カレン」

「あ、ありがとう、お父様! グレンヴィル様も――私なんかのために口ぞえいただいて、本当にありがとうございます!」

 平伏せんばかりの勢いで、カレンが謝辞を述べる。長年憧れの存在であったマーシャと対面しただけでなく、賞賛までされたのだから当然の反応といえよう。

「いえ、礼には及びませぬ。私の弟子も、あなたとの戦いでいい勉強をさせてもらった」

「へっ? お弟子、ですか……? でもグレンヴィル様は、引退後は武術界との関わりを絶ち、弟子も取らず隠棲されているとの噂を……」

「いや、まったく弟子を取っていないというわけではありませぬよ。近所の子らに稽古をつけているのと、いろいろ事情があって剣を教えている人間が何人かおりまして」

「そ、そんな、なんて羨ましい……」

 カレンにとって、マーシャ直々に剣を教わるというのは夢のような環境だ。カレンは歯軋りしながら、羨望と嫉妬の入り混じった視線を試合場の向こう側にいるヴァートに向けた。

 自分も弟子に加えてもらいたい――カレンにいま少しの厚かましさがあったなら、そう頼み込んでいたことだろう。

「では、私はこのあたりで失礼しますよ。精進されよ、カレン殿」

 マーシャの背中を見送りつつ、カレンは呟く。

「ヴァート・フェイロンといったわね――見てなさい、次は絶対に負けないんだから!」

 一方的な対抗意識が向けられていることを、ヴァートは知らない。

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