剣士ヴァートの初陣

第1話

 夏も盛り。秋蒔き小麦の収穫と、その麦を原料とする蒸留酒の仕込みをあらかた終えたこの農村では、一足早い収穫祭が行われていた。

 村の中央にある広場では屋台が立ち並び、酒が振る舞われている。祭りのために招待された楽隊は楽しげな音楽を奏で、旅芸人たちは奇術や曲芸を披露する。だが、広場に人影はまばらで、お世辞にも盛り上がっているとはいえない状態だ。

 決して、この村の景気が悪いというわけではない。広場が閑散としているのには原因があるのだ。それは、現在村で行われている武術大会である。村人の大半は、村はずれに造られた試合場に詰めかけ、熱狂的な声援を送っているのである。

 音楽に合わせて輪になって踊ったり、仮装をして練り歩いたりすることよりも、武術の試合を楽しみとする。何よりも武術を好むというシーラント王国独特の気風は、他国の人間からすれば奇異に感じられるかもしれぬ。


 正眼に構えたヴァート・フェイロンの木剣を弾き、鋭い突きが迫る。跳び退りながら上体を捻るヴァートの胸先を、杖の先が掠めた。

「今のを凌ぐとは……さすがはラルフ・ハミルトンの弟子だな」

 ヴァートと対峙するのは、五十過ぎの筋骨たくましい禿頭の男で、名をコリン・ケアードという。得物は大人の身の丈ほどもある木製の杖である。

「さあ、まだまだいくぞッ!!」

 男は、更なる追撃をしかける。

 矢継ぎ早に放たれる突きは、驟雨のごとくヴァートに襲い掛かる。

「くッ!?」

 手にした剣で、いくつかの突きを逸らすことには成功する。しかし、間断なく放たれる突きのすべてを防ぐことは到底不可能であった。浅いながらも、ヴァートは三つの打撃をその身に受けた。

 横へ回り込もうとするヴァートの動きに対しては、足元をなぎ払いにかかる。ケアードは、ヴァートの思うままにさせない。

 有効打こそまだ受けていないが、ヴァートの取りうる行動は後退のみであった。

(このままじゃ、追い詰められる……!)

 ヴァートは、試合場を仕切る柵が背後に迫っているのを感じた。端まで押し込まれてしまっては、回避はますます難しくなるだろう。完全に追い詰められる前に、戦いの場を試合場の中央付近まで押し戻さねばならない。

 ケアードの息切れを待つ――それもひとつの選択肢である。しかし、ケアードはまるで疲れた様子を見せぬ。老齢に達しようという年齢ながら、驚異的な体力であるといえよう。

 やはり、なんとかしてケアードの猛攻をかいくぐらなければならない。

 ヴァートとて、この手の長柄武器との対戦経験がないわけではない。ハミルトン道場の兄弟子に、槍術の心得のある者がおり、その兄弟子とはさんざん稽古をしたものだ。しかし――杖というのは、槍とは勝手が違っていた。穂先に刃を持たないため、槍と比べて殺傷力には劣る。しかし、余計な重量がないぶん取り回しは軽く、攻撃、特に突きの速度は槍のそれを上回る。なかなかに厄介な武器だ。

 ヴァートは、試合場の端まであと数歩、というところまで追い込まれていた。しかしヴァートには、むしろ若干の余裕が生まれていた。

 いかな手練といえど、降り注ぐ雨のように放たれる連撃のすべてに、必殺の意思を込めることは不可能だ――相手がマーシャ・グレンヴィルならば話は別だが。したがって、その攻撃の多くは幻惑、ないしは牽制のために放たれたものとなる。

 戦いのなかで、ヴァートはケアードのくせ・・を見抜きつつあった。本命の一撃とそうでない攻撃とを見分けることができれば、回避は格段に楽になる。

 ケアードは、本命の攻撃を放とうとする際、杖を握る右手がわずかに内側に捻り込まれるのだ。ヴァートは、そのくせ・・を見逃さなかった。

「――それだッ!!」

 気合一閃、ヴァートは下段から木剣を鋭く斬り上げた。

 ケアードの突きが、大きく弾かれた。力を入れた一撃であればあるほど、それが防がれたときの隙は大きくなる。

 いったんケアードの杖の間合いから逃れ、仕切り直す――当初思い描いていた絵図とは別の行動を、ヴァートは取った。すなわち、ここで勝負を決するべく、一気にケアードの懐に飛び込んだのだ。

「むうッ!?」

 後ろに跳んで有利な間合いを取り戻そうとするケアードだが、ヴァートは速度で勝った。胴を薙ぎにかかるケアードの一撃を、剣を立てて受け止めつつ、ヴァートはさらに踏み込む。

「おおおッ!!」

 ヴァートは、身体ひとつぶんの距離までケアードに肉薄した。この近距離では、杖はもはや有効な攻撃手段を持たない。ヴァートは、右足を鋭く振り抜く。

「ぐッ!!」

 アイニッキ・ウェンライト直伝の下段蹴りである。足を鞭のようにしならせて放たれた蹴りには、身体の芯に響く重さがあった。太腿の側面を打たれたケアードの体勢が、大きく崩れる。

「せいッ!!」

 柄頭でケアードの顎を下から打ち、がら空きになった胴に二連撃を放つ。たたらを踏んで尻餅をついたケアードの胸先に、ヴァートは剣を突き付けた。

「勝負あり!」

 審判の手が上がると同時に、試合場を囲む観衆から大きな歓声が上がった。


 ここは、王都レンから徒歩で二日のところにある、タルバという村だ。

 ヴァートが師であるハミルトンからの手紙を受け取ったのは、半月ほど前――あのアイザック・ローウェル襲撃事件にけりがついた直後のことである。

 「タルバ村の村祭りで余興として行われる武術大会に推薦しておいたので、出場すべし」。手紙の言に従い、ヴァートはひとりレンを発ち、こののどかな農村へとやって来たのだ。

 八人の出場者によるトーナメントを勝ちあがり、決勝で対決したのが杖遣いのケアードである。ケアードは、普段はタルバの村で畑を耕しつつ、近隣の人間に杖術を教えるという生活を送っているという。

「いやあ、完敗だ。若いのに大したものだ」

 と、ケアードがヴァートに握手を求めた。

「ありがとうございます」

 ヴァートは素直に賛辞を受け入れた。

 三十以上歳が違うヴァートに敗れたというのに、ケアードはいたってさっぱりとした様子だ。ヴァートも、すぐにこの男に好感を持った。

「この村の祭りではもう三十年近くも負け知らずだったが……とうとう土がついてしまったか。その相手が、あのハミルトンの弟子とはなぁ。奇妙な縁を感じるよ」

「ケアードさん、ハミルトン師匠をご存知なんですか」

「ああ。奴と出会ったのは、ほかでもない、この祭りの大会だ。レンに向かう途中に偶然立ち寄った、とか言って、大会に飛び入り参加したのがハミルトンだった」

「それはいつごろの話なんですか」

「俺が二十一のときだ。ハミルトンは十六か十七だったはずだ」

「へぇ。でも、師匠の若いころって、なんだか想像できないや」

「背丈ばかり高くて、ひょろひょろと細っこい男だったな。正直、一目見てこれは楽勝だと思ったんだが――結果は俺の惨敗だった」

 村では敵なしだったケアードを初めて負かしたのが、若かりしころのハミルトンだった。その敗戦ののち、ふたたびケアードの連勝は続いたのだが、その連勝を止めたのがハミルトンの弟子、ヴァートだったのだ。ケアードが「不思議な縁」と言ったのも頷けるだろう。

「試合の後、ともに酒を酌み交わしたんだ。無口な男だったが――不思議と俺とは気が合ってな。今でも交誼が続いているのだ」

「なるほど、師匠はそれで俺をこの大会に推薦したんですね」

「しかし――ヴァート・フェイロンといったか。君も、ハミルトンのように偉大な剣士になれるかもしれんな。奴も君も、同じくらいの年頃のときに俺を負かしたという共通点があるしな」

 口調こそ冗談めかしているものの、ケアードの表情は真剣であった。それだけ、ヴァートの実力が高く評価されているのだ。思わず、ヴァートが顔を赤らめた。

「その実力ならば、そろそろ公式戦に挑戦してもいいのではないかな。聞いた話だと、まだ公式戦には出たことがないそうだが」

 この祭りの大会は、公式戦――武術局認定試合ではない。以前出場したホーキング男爵邸における試合も同様だ。ヴァートは、まだ正式に記録が残る試合には出たことがなかった。

「はい。秋季大会に出場しようと思っています」

「ほう。若手がまず目指すのならば、やはりそのあたりか」

 シーラント王国軍は、四半期ごとに武術大会を開催している。兵士たちの技術向上が主目的であるが、武術の振興という目的も併せ持つこの大会では、王国軍の外部からも出場者を広く募っている。公式戦ながら出場の条件は緩く、実績のない若者にとって登竜門的な位置づけとなる大会だ。マーシャ・グレンヴィルも、武術家としての第一歩を踏み出したのは王国軍の春季大会であった。

「期待してるぞ、頑張ってくれ。む……表彰式の準備ができたようだ。村の衆が今日の英雄を待ちわびているぞ」

 試合場の真ん中には、大きな木箱を積み上げた簡易的な表彰台が作られている。周囲には、すでに多くの村人たちで黒山の人だかりが出来上がっていた。

 村人たちが喝采を送る中、ヴァートは村長に優勝を称えられるのだった。


 村祭りの飲めや歌えやの宴会巻き込まれたヴァートが、街道筋にとった宿に戻ったのは夜もどっぷりと更けたころであった。

 寝台に腰をかけ、大会で得た賞金の入った袋を開封してみる。

「うわぁ……こんなにもらっちゃっていいのか」

 ヴァートの眼が見開かれる。中には、独身者なら四ヶ月は暮らせるほどの金額が入っていた。

 武術大会の賞金の相場など知らぬヴァートである。しかし実際のところそれは、出場者わずか八人の慎ましやかな大会にしては多すぎる賞金額であった。

 ケアードによれば、タルバの村長が大の武術好きで、毎年自腹を切って賞金を捻出しているのだとか。

「でも、これなら――」

 かねてからヴァートが抱いていた目標の一つが、この金によって達成できるのだ。

 大きな充足感が、ヴァートを包み込んだ。とたんに、村人たちから飲まされた酒が効いてきた。

 ヴァートの瞼は徐々に重くなる。試合の疲れも相まって、ヴァートは深い眠りに落ちていった。


 ヴァートがレンに戻ったのは、翌日の夕飯時を過ぎたころのこと。普通ならば途中で一泊し、二日かけて歩く道のりだが、いち早くマーシャたちに大会のことを報告したいという気持ちが、ヴァートの足を駆り立てたのだ。

 桜蓮荘に帰り着いたヴァートであるが、マーシャをはじめ、ミネルヴァやアイの姿もない。時間的に考えて、皆の行き先はほとんど決まっている。

 中庭の井戸から汲み上げた水で旅の汚れをざっと洗い落とし、着替えを済ますとヴァートは桜蓮荘を出た。

 向かったのは、酒場『銀の角兜亭』である。

 一般の家庭ならば、そろそろ就寝する時間だ。しかし、酒場という場所においてはまだまだ宵の口である。店内は酔客で溢れ、喧騒と熱気に満ちていた。

「あれ、ヴァートさん? 帰りは明日だって聞きましたけど」

 出迎えた給仕のデューイ・カミン少年が、首を傾げる。

「ああ――なるほど。先生たちならあっちですよ。早く報告してあげてください。昨日あたりから、先生も随分ヴァートさんのこと気にしてたみたいですし」

 頭のいい少年である。表情から、ヴァートが試合に勝利したことを察したようだ。照れ隠しの苦笑を浮かべながら、ヴァートは店の隅のテーブルに向かった。マーシャ、ミネルヴァアイ、パメラのほか、偶然居合わせたのだろうファイナも同席している。

「先生、ただ今戻りました」

 マーシャたちは、予定よりも一日早く戻ったヴァートに驚きの表情を見せた。

「随分急いで戻ってきたんですのね」

「うむ、その嬉しそうな顔を見るに――」

 ミネルヴァとアイが、にやりと笑う。

「それで、結果はどうだったのだ」

 平静を装ってはいるものの、どことなくそわそわした様子のマーシャが、ヴァートに尋ねた。

「はい。このとおり」

 ヴァートは、ぴかぴか金色に光るメダルを取り出した。中央には、「優勝」の文字が彫り込まれている。

「わぁ、おめでとう、ヴァート君!」

 ファイナがヴァートに駆け寄ると、ひしとその両手を握った。

「うむ。まあ――この程度の大会を制したくらいで、浮かれないことだ」

 言葉は厳しいが、マーシャの口元にはさも嬉しそうな笑みが浮かんでいた。アイとミネルヴァは顔を見合わせると、苦笑した。

 席に着き、乾杯したヴァートは、大会での戦いを皆に語った。

「ケアードって……コリン・ケアードじゃないの? ヘイヴ式杖術の」

 決勝のことに話が及んだとたん、ファイナが俄然眼を輝かせた。

「たぶん、その人だと思うけど」

「へぇ、それはまた凄い珍しい相手と戦ったものねぇ。私もついて行けばよかった」

 ファイナいわく――ケアードは、ハミルトンがまだ若く、レンで武術家としての道を歩み始めたころ、なんども名勝負を繰り広げたのだとか。しかし、どういう事情があったのか、若くして表舞台から去っていったという。

「ほう、そのような強敵がいたのか。なるほど、ハミルトン殿はそのことも承知の上でヴァートを推薦したのかもしれぬな」

 強敵がいない大会に出場しても、ヴァートが得るものは少ない。これも、ハミルトンにとっての親心なのだろう。

「そうだ、先生――これ」

 ヴァートが、袋から十数枚の硬貨を取り出し、マーシャに差し出した。

「む、これは?」

「この春からの家賃です。何ヶ月も遅れてしまい、申し訳ありませんでした」

 自分の手で稼ぎ出した金で、桜蓮荘の家賃を払う。それが、ヴァートが抱いていた大きな目標であった。

 暮らしの費えに関しては、エディーン村での修行時代はハミルトンの、レンにおいてはマーシャの世話になりっぱなしであったヴァートだ。自力で金を稼ぎ、家賃を払う――それが、一人前の男としての第一歩。ヴァートはそう考えている。

「なるほど、では受け取っておこう」

 マーシャは満足げに頷き、硬貨を懐中に納めた。

「さて、何度も言うようだが、本番は来月の秋季大会だ。勝利に浮かれず、気を引き締めよ――しかし、今晩だけは存分に、ヴァートの優勝を祝おうではないか」

 手を上げてデューイを呼びつけると、マーシャは大量に追加の酒を注文する。

 馴染みの客たちも入り乱れ、楽しい宴は夜遅くまで続くのだった。

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