第2話

 下町の一角、旧王城区と呼ばれる区画に、武術局レン第二支部はある。

 ヴァートがレンに戻って十日後のことだ。この日から、王国軍秋季大会の出場受付が開始される。武術局支部の前庭に臨時に設置された受付窓口では、詰めかけた出場希望者たちが列をなしていた。

 王国軍主催大会の出場条件は、公式戦で二十勝以上の戦績を持つ武術家一名の推薦、それだけである。ただし、ひとりが推薦できるのはひとりまでとなっている。

 二十勝というのは、優秀な武術家ならば一年で楽に達成できる程度の数字である。なので、この大会への参加は難しくはない。

 また、この大会には「一定以上の実績を持つ武術家は参加すべきでない」という暗黙の慣例がある。

 ゆえに、この大会には若手の武術家が多く参加する。若手の登竜門と言われているのはそういうわけだ。

 大会は各地方ごとに行われるが、人口の多さゆえに武術の水準も高いレンが、一番の激戦区と言われている。

「ついに俺も公式戦に出るのか……」

 マーシャ・グレンヴィルの署名入り推薦状を握り締めるヴァートの表情は、硬かった。大会はまだ先で、この場では事前登録をするだけだ。それでもヴァートはかちこちに緊張している。

 秋季大会は、あくまで数ある大会のうちのひとつに過ぎない。しかし、この大会をきっかけに大きく飛躍した武術家は多く、世間の注目度も高い。また、前述のとおり参加者のほとんどは経験の浅い若手である。

 加えて、列に並んでいるのは大会が始まってしまえば皆敵となりうる人間同士である。表情を硬くしているのはヴァートに限ったことではなく、受付の列は一種異様な雰囲気に包まれていた。

「いやあ、今日も暑いねぇ」

 突如、場違いなほどにのんびりとした声が響いた。ヴァートのすぐ後ろからである。

「こうも暑いと、また母上がご機嫌を損ねてしまうだろうなぁ。暑いのがお嫌いな方だから」

「左様にございますな」

「ただでさえ私が大会に参加することを快く思っていらっしゃらないからねぇ」

「エリオット様のお立場を考えれば、当然のことにございます」

 二人連れのようである。言葉遣いからして、ふたりは主従の関係にあるようだ。

 張り詰めた空気をまったく気にせず、背後の男はぺらぺらと取り留めのない話を続ける。従者らしきもうひとりの男は、それに対し当たり障りのない相槌を返すのみであった。

 なんて暢気な奴なんだ――昨日の夕飯の話をし始めた背後の男に対し、ヴァートがそう思ったのも無理からぬことである。

 列に並ぶ参加希望者たちの中には、眉をひそめてその男を見やる者も少なくない。その口調がとにかく緩い・・のも、周囲の人々の神経をことさら逆なでする原因のひとつであろう。

 いったいどんな顔をしているのやら――ヴァートも好奇心を押さえられなかった。じろじろ見るのは無論不躾であるから、ヴァートはさりげない動きでちらりと背後を一瞥した。

「あっ……」

 おそらくは偶然であろうが、背後の男と完全に目が合ってしまった。

 しまったと思いつつ、前に向き直ろうとするヴァートであったが――意外なことに、背後の男はにこやかな笑みを浮かべヴァートに会釈してきた。

「ごきげんよう。君も出場申し込みに?」

「えっ? ああ、そうだけど……」

 完全に機先を制された形となった。ヴァートは曖昧な笑みを浮かべつつそう答えるのみである。

 男の年頃は、ちょうどヴァートと同じくらい。背丈はヴァートよりやや高く、横幅はヴァートよりも細い。艶やかな栗色の髪を肩の上で上品に切り揃え、瞳は濃い琥珀色である。垂れ気味のその双眸は、穏やかな光をたたえていた。

 世間に疎いヴァートでも、ひと目でわかる。男は高貴な身分の人間だ。ミネルヴァが纏うものと同種の気品が、男からは感じられた。

 ヴァート自身も由緒ある貴族の血縁なのだが――他者に気品というものを感じさせる場面はほとんどない。三年以上のハミルトン道場での粗野な生活が、ヴァートが本来持ちうるはずの品の良さというものをそぎ落としてしまったのだ。これに関してはマーシャも、

「こんなことなら、もう少し上品な場所でお前を育てるべきだったよ」

 などと冗談めかして言ったりする。

 それはさておき、もう一人の男である。ヴァートがはじめ従者だと思った男だが、よく観察するまでもなく、動きのひとつひとつに武術の心得が垣間見える。ヴァートの見たところ、歳は四十から五十の間。その肉体が鍛えこまれているのは服の上からも明らかだ。ただの従者ではない。貴族の坊ちゃんと、その貴族に召し抱えられた指南役だろうか。二人の関係を、ヴァートはそう推測した。

「君も大会は初めて?」

「あ、ああ」

「いやあ、同年代の人間がいて安心したよ。私も大会というものは初めてだから、緊張していたんだ」

 まるで緊張感を感じさせない間延びした口調で、男はそう言ったものである。

「私はエリオット・フラムスティード。よろしく」

 と、男は右手を差し出した。

 敵となるかもしれぬ相手と馴れ合っていいものか――逡巡するも、柔和な笑顔を絶やさぬ男に、ヴァートはすっかり調子を狂わされてしまった。流されるままに、エリオットを名乗る男の手を握った。

(! これは……)

 俗に、「武術家の力量は掌を見ればおおよそ把握できる」、などと言われる。鍛錬によってマメができ、さらなる鍛錬によりそのマメが潰れ、その傷が癒えぬうちにさらに鍛錬を積む。この繰り返しにより、掌の皮は厚くなり硬くなる。

 無論、武術家の力量は鍛錬の量に正比例するものではない。いくら鍛錬を積んだとて、生まれ持った才能に恵まれなかったがゆえに実力が伸びない者もいるだろう。また、誤った鍛錬法を信じたがゆえに、積み重ねえた時間が無駄になってしまう場合もあるだろう。

 たしかに眼前の男の掌は引き締まっていた。だからといってエリオットが強者であるということにはならない。しかしヴァートは、こののほほんとした男から得体の知れぬなにか・・・を感じ取っていた。

 マーシャ・グレンヴィルをはじめ、ラルフ・ハミルトン、マイカ・ローウェル、ミネルヴァにアイ、あるいはマット・ブロウズ――若干十七にして、数々の強者と知り合い、そして命を削り戦ったヴァートである。そんな彼だからこそ感ぜられるものがあるのかもしれぬ。

「俺はヴァート・フェイロン。よろしく」

 エリオットの掌を強く握り返す。ヴァートの表情は、まるで戦を目前にした者のそれに変わっていた。

「ああ。君と対戦できることを期待しているよ」

 エリオットの口元には、あいも変わらず笑みが浮かんだままだ。しかし、ヴァートの発する気迫に呼応したのか――その両眼には、鋭い光が宿っている。

「ときに……フェイロン殿、前を」

 それまでふたりの会話を静観していたエリオットの連れが、不意に口を開く。ヴァートが振り返ると、ヴァートの前に並んでいる者はもういなかった。そして、エリオットの後ろに並んでいる者たちからは、恨みがましい視線が向けられている。

 エリオットとの会話の間列が進んだことに、ヴァートはまるで気付いていなかったのだ。

「あっ、しまった! ――じゃあ、また!」

 ヴァートは慌てて受付に向かう。エリオットとの会話はそこで途切れた。

「なんだい、リゲル先生。無粋だねぇ」

「そうは仰られますが、エリオット様。他の方々の迷惑にございますぞ」

 などという会話を、ヴァートは背中越しに聞いている。

(それにしても……あの人……)

 受付にて手続きをしながらも、ヴァートには気にかかることがあった。リゲル先生と呼ばれていた、エリオットの連れ――おそらくは彼の指南役である中年の男――の視線である。エリオットと言葉を交わしていた間、男はずっとヴァートに視線を向けていた。ちらりと見ただけだが、なにかを考え込むような、どこか驚いたような――複雑な表情を浮かべていたのをヴァートは覚えている。

(初めて会う人のはずだけど……)

 振り返るが、すでにそこにエリオットたちの姿はない。受付窓口は四箇所あるから、ヴァートとは別の窓口に向かったのかもしれぬ。

「君、早く記入を」

「あ、すみません」

 受付の役人に注意され、ヴァートは手続きを続ける。

 結局ヴァートはこの日、ふたたびエリオットたちの姿を見ることはなかった。


 桜蓮荘に戻ったヴァートは、マーシャたちに武術局支部での出来事を語った。

「フラムスティード……それは本当ですの?」

「はい。たぶん貴族だと思うんですけど――ミネルヴァさんはご存知なんですか」

「おそらくはラナマン公爵・フラムスティード家のことかと。ご当主の五男がエリオットと仰ったはずですわ。私も幼少のみぎりに数度お会いしたことがあったと記憶しています」

「ほう、あのフラムスティード家のご子息が」

「先生もフラムスティード家というのをご存知で?」

「ああ、もちろん。フラムスティード家といえば、七大公爵家のひとつ。かつての戦乱期においては、フォーサイス家やオーランシュ家と並び武勇で知られた譜代だよ」

 フラムスティード家が与えられたラナマン領は、シーラム等のほぼ中心に位置する。そのほとんどが耕作に適さぬ山岳地帯であり、かといってめぼしい鉱山資源があるわけでもない。産業らしい産業は皆無といっていい貧しい土地である。

 ちなみに、ミネルヴァの生家・フォーサイス家が下賜されたエージル領は、シーラム島南部にあって、広大で豊かな穀倉地帯を有する。同じ公爵位を預かりながら、随分な格差があるように見えるだろう。

 しかし、フラムスティード家がそのような土地を与えられたのには理由がある。ラナマン領にあるウェルナー峠がシーラム島における交通の要所であるからだ。

 ウェルナー峠は、シーラントの外の玄関口、港町セルスと王都レンとを結ぶ街道の中間地点にある。この峠を守護し整備することがフラムスティード家の使命であり、代わりに峠を行き来する人や物品から通行税を徴収することが許されているのである。この通行料がばかにならないもので、ろくな産物が採れない土地を領有しながらも、フラムスティード家の内情は豊かだとか。

「フラムスティード家は、代々武術の振興に力を入れてきた家柄でもある。剣聖クェンティン・シルヴェストの名くらいはヴァートも知っているだろう」

 ヴァートは頷く。

 シルヴェストは、およそ百年前の剣豪である。マーシャやヴァートも遣うオーハラ流を修め、そのオーハラ流にいくつもの革新的な技術を導入した改革者だ。特に、シルヴェストの代名詞ともいえる型「ガルラ八式」は、国内のあらゆる武術の流派に大きな影響を与えたと言われている。「剣聖ソードマスター」とは、その功績を称えられ、当時の国王から贈られた二つ名である。

 そのシルヴェストを排出したのがラナマンという土地であり、彼を後援したのが当時のフラムスティード家当主なのだ。

 フラムスティード家の保護、そして険しい山岳地帯という過酷な環境は、数多の高名な武術家を育んできた。

「『剛剣崩山マウント・ブレイカ』アシュビー、『尖槍如光ライトニング・スピア』エクルストン――ファイナあたりに話を振れば、三日三晩は語り続けることだろう。フラムスティード家というは、武術家にとっては有名な名なのだよ」

「じゃあ、リゲル先生と呼ばれていた人に心当たりはありますか」

 エリオットと会話をしている間、リゲルなる男はずっとヴァートを凝視していた。そして、その表情には明らかな動揺の色が見て取れた。ヴァートが彼を気にするのも当然である。

「十中八九、ヴィンス・リゲル殿だろう。二つ名『幻影之剣ファントム・ブレイド』を持つ剣豪だ。彼は代々フラムスティード家に仕える武家の出で、一線を退いたのちは主家の指南役を務めていると聞いている」

 エリオットがリゲルを帯同させていたのは、付き添いと護衛を兼ねてのことだったのだろう。五男といえども、国内屈指の名家に生まれた男子の立場は決して軽くない。

「先生はそのリゲルって人と対戦したことが?」

「いや、お会いしたことは何度もあるが、直接戦ったことはないな。しかし、ハミルトン殿はリゲル殿と戦っているはずだよ」

 ハミルトンとリゲルは三つ違いで、活躍した時期も被っている。マーシャも詳しくは知らぬそうだが、二人は大舞台で何度も激闘を繰り広げたのだという。

「へぇ、師匠と……どんな武術家なんですか」

「どうしたのでござるか、ヴァート。競合する相手であるエリオット・フラムスティードよりも、リゲルなる人物を気にかけているようでござるが」

「いや、別に……ちょっと気になっただけで」

 アイの問いに、ヴァートは言葉を濁すしかなかった。エリオットとの会話の間、リゲルはじっとこちらを注視していたような気がする――しかしそれは、ヴァートの顔にごみかなにかが付いていたとか、実に他愛のない理由だったかのもしれない。これを皆に語るのはいささか自意識過剰であるように思えたのだ。

「なるほど、対戦相手の師匠を知れば、おのずとその対戦相手のことも知れよう。しかしヴァートよ、お前はまだ相手の研究などをすべき段階には達していないぞ」

 マーシャが諌める。

「はい。すみません、先生」

 マーシャには誤解をされたようだが、ヴァートは反論しなかった。

 戦いにおいて、敵を知ることは重要なことだ。しかし、まだ歳若いヴァートにとっては、敵に合わせて戦術を練ることよりも、自らの剣を磨き、自分なりの戦いをすることのほうが重要である。マーシャの諫言の意味するところは、ヴァートも重々に承知している。

「無事手続きも済んだことですし――一丁、稽古をお願いします!」

 こうして、いつもどおりの一日が過ぎるのであった。


「ヴァート君、耳寄りのネタ・・を仕入れてきたわよ!」

 『銀の角兜亭』の扉をくぐったヴァートたちを、ファイナ・スマイサーの熱っぽい声が出迎える。店主や給仕のデューイ少年が「いらっしゃいませ」の声をかける暇もなかった。

「こんばんは、ファイナ。そのネタ・・とやらにも興味はあるが、まずは一杯やらせてくれ」

 と、マーシャが苦笑しながら席に着き、皆もそれに倣う。

 一同がビールで喉を湿らせ、料理を注文したところで、待ってましたとばかりにファイナが口を開いた。

「ヴァート君が出る今度の秋季大会、凄い剣士がひとり出場するらしいの」

「へぇ、なんて人?」

「エリオット・フラムスティードっていってね。あのラナマン公爵、フラムスティード家のご子息で、『幻影之剣』ヴィンス・リゲルが育てた秘蔵っ子らしいわ」

 ファイナの言葉に、一同は表情を変える。先ほどまで同じ男のことを話題にしていたのだから無理もない。

「実は、我々もその男のことが気になっていたのだよ、ファイナ」

 ヴァートはファイナに、申し込み会場でエリオットと会話したことを告げた。

「へぇ、それはすごい偶然ね」

「それでファイナさん、どうしてエリオット殿のことをご存知ですの?」

「それなんですよ、ミネルヴァ様。これは武術愛好家仲間から聞いた話なんですけど――」

 ファイナが語るところ――数日前、レン市内にあるキーンズ道場に、リゲルがエリオットを伴って現れたという。キーンズ道場は伝統と実績を兼ね備える、音に聞こえた名流である。ヴィンス・リゲルと現在の道場主、クリストファー・キーンズとの親交が深いことは、世に知られている。大会を控えたエリオットに経験を積ませるため、出稽古におとなったのであろう。

「そこでエリオット・フラムスティードは、キーンズ道場の門下生相手に十人抜きを達成したそうよ。しかも、これはあくまで噂なんだけど――最後に倒したのがダリウス・アリンガムだったとか」

「ダリウス・アミンガム――最近良く聞く名にござるな」

 アミンガムはキーンズ道場の門下生で、近年頭角を現しつつある新進気鋭の剣士である。ここ最近は公式戦で負け知らずであり、目下十八連勝中。現在のシーラント武術界において、最も注目を集めている男だと言っても過言ではない。

 非公式の乱取りとはいえ、まだ公式戦にも出たことのない新人が、そのアミンガムを倒したというのは大変なことである。武術愛好家たちの噂に上るのも当然であろう。

「又聞きの話だから、本当のことかどうかはわからないんだけどね」

 と、ファイナは話を締めた。

 ファイナの話に間違いはあるまい――ヴァートはそう直感する。

「これは、面白いことになりそうだ」

 マーシャが、人知れず呟く。

 現在のヴァートの実力は、若手と呼ばれる者たちの中では一つも二つも抜けているとマーシャは見る。これは、身内の贔屓眼を抜きに冷静に分析してのことだ。それだけに、このたびの大会もヴァートが勝ち抜くのは難しくあるまい、そうマーシャは考えていた。

「思わぬ好敵手の出現、というわけですわね」

 ミネルヴァが、ちょうどマーシャの内心を代弁する言葉を口にした。

 強敵と競い合うことで、ヴァートの剣はさらに磨かれよう。武術家として生きていくための第一歩にすぎなかったはずの大会が、ヴァートにさらなる飛躍のきっかけを与えてくれるかも知れぬ。

 マーシャは口元に満足げな微笑を浮かべ、杯を傾けるのだった。

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