第2話
アーデンの通報を受け、二名の部下を伴い急行してきたエドことエドマンド・ベイリは、身長は低いが全身にみっしりと筋肉をつけた、樽のような身体を持つ男である。
「ようザック、とんだ災難だったな」
「ああ。済まないな、エド。お前にも面倒をかける」
などと、いかにも気安げにアイザックと言葉を交わすこのエドマンドという男は、幼少時からローウェル道場に師事してきた門弟である。当年二十八になるという彼はアイザックと同い年であり、いわゆる幼馴染のような関係だ。
十代後半のころは生活が荒み、飲む打つ買うの放蕩三昧、誰彼構わず喧嘩を吹っかけて歩く、とんでもない鼻つまみ者だったというこのエドマンドが、今では悪党を捕まえる側に回っているというのだから世の中は不思議なものだ。
「まったく、ローウェル道場の一人息子を襲うなんざ、太い野郎だ。おい、起きろ」
エドマンドは、いまだ気を失ったままの襲撃者の頬に数発平手を打ち込む。男は、かすかな唸り声を上げ目を覚ました。
「王都警備部・第十九分隊である。お前を強盗・殺人未遂のかどで拘留する。申し開きは裁きの場でするがいい」
そう宣告すると、エドマンドは部下に指示して男を引き立てようとした。
「ちょっと待ってくれ、エド」
それを引き止めたのはアイザックである。
「ん、なんだ?」
「その男、ただの物盗りではないようなのだ」
暗く、人通りの絶えた場所で、通りすがりの人間を襲って金品を奪う――この事件のことをよくある強盗によるものだと推測していたエドマンドが、怪訝な表情を見せる。
「その者どもはこう言っていた。学者一匹殺すだけの仕事のはずだった、と。ヴァート君も聞いたはずだ」
ヴァートは肯定する。
「うん……? つまりは行きずりの強盗などではなく、最初からザックが狙いだったということか」
そして、男たちは誰かに雇われて凶行に及んだような口ぶりでもあった。単なる強盗ならいざしらず、なかなかに複雑な事件のようである。
「エドよ、わしとしても何故アイザックが狙われたのか知りたいと思うのじゃ。われわれの手で口を割らせてもよかったが……警備部にも体面があろうと思うてな」
本来、犯罪者の尋問は治安維持を任務とする警備部の仕事である。マイカは、形式を重んじてあえてエドマンド到着まで気絶した男に手出ししなかったのである。
「お気遣い感謝します、お師匠様。では、多少例外的ですが、この場にて尋問することにしましょう」
エドマンドは、部下に椅子を一脚取りに行かせると、そこに捕縛された男を座らせた。
「わが国では、刑が確定するまでの間はたとえ犯罪者といえども人道的に扱うべし、との法がある。この法を定められた寛大なる先王陛下に感謝するがいい」
ローウェル道場の面々が取り囲む中、前置きを挟んでからエドマンドは尋問を開始する。
「名前は」
「…………」
「
「…………」
「
「…………」
しかし男は、一事が万事この調子で、何を聞かれても頑として口を開こうとしない。
「まあいいさ。お前がどこの誰か、なんてのはどうでもいいことだ。単刀直入に聞く。何故ザックを狙った。誰の指示だ」
核心に迫る質問である。男はほんのわずかに顔色を変えたが、それでも一向に喋ろうとはしない。
「なあ、そう意地を張ったっていいことなんかひとつもないんだぜ。大人しく吐いちまえば、多少は罪も軽くなるんだ。お前さんにだって家族はいるだろう」
それまでのきつい口調から一転し、エドマンドは宥めるように語りかける。しかし男は軽く鼻を鳴らすのみだ。
エドマンドは大きく息を吐くと、男に背を向ける。マイカやアイザックに対し、男に聞かれぬよう声を落として話しかける。
「どうやら、多少面倒な相手のようだ。この男をっ雇ったのは、おそらく犯罪組織の類でしょう」
人間社会というものは、発展すれば発展するほど闇を生む。社会の仕組みの隙間を塗って、正道ではない方法で金を得ようとする輩が、必ず生まれるのだ。そういった連中が徒党を組み、裏社会で力を振るう――レンに限らず、ある程度栄えた都市ならば、犯罪組織の暗躍は避けられない。
男たちを雇ったのも、そうした犯罪組織のひとつだろうとエドマンドは推測する。
警備部に雇い主の秘密を漏らす、というのはわが身かわいさに雇い主を売ったのと同義である。仮に刑が軽減されたとしても、監獄での勤めを終えて娑婆に出た後待っているのは組織の報復である。裏社会の仕事に手を染める上で、最大の禁忌とされるのは「秘密を漏らすこと」なのだ。
「時間をかければ落とせない相手じゃないとは思うんですがね。ここはひとつ、少々手荒な真似をしますが――よろしいですか」
「ええじゃろ。やってみい」
師匠の許可を得たエドマンドは、改めて男に歩み寄る。口元には、歪んだ笑みが浮かんでいた。
「おい、これが最後の忠告だ。俺が優しい顔をしているうちにゲロっちまったほうが身のためだぜ」
男の肩に手を乗せて、エドマンドが言った。男は相変わらずの沈黙を保ち続けている。
「そうか、よくわかった」
言い終わるやいなや、エドマンドの裏拳が振るわれた。横面を強かに打たれた男は、椅子ごと吹き飛び地面を転がる。口から吐き出された血反吐には、数本の歯が混じっていた。
エドモンドは片手で男の襟首を掴んで力任せに引き立たせると、今度は男の鼻面に強烈な頭突きを見舞った。噴水のように鼻次を巻き上げ、男は仰向けに倒れた。
男の胸板を右足で思い切り踏みつけたエドマンドは、腰の剣をすらりと引き抜く。
「あまりお上を舐めるんじゃねェぞ、三下」
そう言って、男の鼻先に剣を突きつける。|
「ザックは俺の
怒りの形相も露にエドマンドが剣を振るう。男の頬が浅く切れ、血があふれた。
「言っておくが、俺としちゃあこの場で手前ぇを叩き斬って、正当防衛だっつって処理したって構わねぇんだ。そのほうが、裁判所に余計な手間をかけさせずに済むしな」
無論、警備部にそのような横暴が許されるはずもない。あくまでこれは脅しだ。しかしエドマンドは凄まじい迫力だし、周りを取り囲む屈強な門弟たちは無言の圧力をかける。さらにはマイカまでもが調子を合わせ、
「おい、誰ぞわしの剣を取ってきてくれ。この間研ぎ師に出したばかりでの。試し斬りがしたかったところじゃ」
などと言うものだから、男はすっかり竦みあがってしまって、
「わ、わかった! なんでも喋るから勘弁してくれ!」
と、とうとう音を上げたのである。
「最初から素直にそう言やいいんだ――それで、お前の雇い主は。なぜザックが狙われた」
「お、俺を雇ったのは、スタンリー一家のハーランさんだ。理由は知らねぇ。ただ、金貨十枚でアイザック・ローウェルって御用学者を始末しろ、って言われただけなんだ」
「嘘偽りはねぇだろうな」
エドマンドがじっと男を睨みつける。その顔に浮かんでいるのは紛れもない恐怖の感情で、嘘をついているわけではなさそうである。
「スタンリー一家は知ってるが、ハーラン、か。そいつは知らん名前だな……それともうひとつ、お前ら四人のほかに雇われた奴はいるのか?」
「それは俺にもわからねぇよ」
最後に一度本当だな、と念を押し、エドマンドは男の身体を開放した。
「師匠、こいつから聞き出せることはもうなにも無いように思えます」
「うむ、ご苦労じゃった。にしても――なかなか見事な啖呵じゃったの。お前がどうしようもない暴れん坊だったころのことを思い出すわい」
「昔の話は止してくださいよ――しかし、またザックが狙われる可能性は高いでしょう」
差し向けた四人が仕損じたことがわかれば、ハーランなる男が次の手を打ってくるだろう。容易に想像しうることだ。
「できれば、俺たちがハーランを挙げるまではこの道場で大人しくしていてもらいたいんだが」
ローウェル道場には住み込みの弟子が常時八人いるし、マイカがひと声掛ければ数十人――いや、百人からの門弟が馳せ参じる。そして、老いたりとはいえマイカ自身が音に聞こえた大剣豪だ。
いかに凶悪な犯罪組織といえど、この道場に討ち入りをかけるほど愚かではないだろう。アイザックの身の安全を考えれば、しばらくはこの道場に引きこもるのが一番である。
「いや、それは無理だ。これから大きな仕事があるのだ。休むわけにはいかないよ」
「しかし、事情が事情だ。なんとかならんのか。命に関わるかもしれんのだぞ」
「エド、お前が御役目に命を賭けているのと同様、私もこの仕事に身命を捧げる覚悟だ。わたしの仕事は、身体を張って国を守るお前たちのように直ちに国の利益となるものではないが――それでも、この国の未来のために必ず必要なものなのだ。一日も早く完遂することこそ、国王陛下から賜った私の使命だ」
きっぱりと言い放ったアイザックの瞳には、一片の迷いも見えない。マイカ・ローウェルの息子というのは、やはり伊達ではない――ヴァートも思わず感心させられる。
エドマンドは困り顔で、師の意向を伺った。
「一度決めたら梃子でも動かん男なのは、エドも承知しとるじゃろ。まあ――当面は誰ぞ護衛をつけさせるしかないじゃろな」
「あっ、それなら俺にやらせてください」
すかさず手を上げたのはヴァートである。
「うん? お前は……?」
「そういえばエドにはまだ紹介しとらんかったの。これなるはヴァート・フェイロン。先ほどアイザックの危急を救ったのがこの男じゃ」
「ほう、お前が四人を相手に……? とてもそうは見えないが」
ヴァートはまだ年若いし、背も低めだ。顔立ちは端正なたこともあり、一見軟弱な優男にも見えてしまう。エドマンドが不審に思うのも無理からぬことだ。
「エドよ、ヴァートはこう見えてマーシャ・グレンヴィルとラルフ・ハミルトン、二人の直弟子じゃ。腕前はわしが保証しよう」
「えぇっ!? それは本当ですか!?」
二人の名を聞いた途端、エドマンドの態度が急変した。
「そ、そうか。師匠がそう言うなら間違いない。いやぁ、フェイロン君といったか。先ほどは失礼なことを言ってしまったな、ハハハ……」
愛想笑いを浮かべるそのさまは、捕縛した男を脅しつけていたときとはまるで別人のようだ。
「しかしヴァートよ、本当にいいのかね。危険な相手やもしれぬぞ」
「はい。先生がこの場にいたなら、同じことを申し出たでしょうし。それに――話を聞いたら、マーシャ先生もアイさんもきっと黙っていないと思います」
桜蓮荘でヴァートと一つ屋根の下暮らす女武芸者アイニッキ・ウェンライトは、マイカの古い友人の弟子にあたる。マイカは彼女を実の姪のように――年齢的には孫に近いが――可愛がっており、アイもまたマイカを深く敬愛していた。
「ふむ……アイザックよ、お前もそれでよいな」
「私よりも一回りも歳若い君に護ってもらう、というのはいささか心苦しいが……私もここで命を落とすわけにもいかないしな。よろしく頼むとしよう」
そう言って、アイザックはヴァートに右手を差し出した。ヴァートが握ったアイザックの掌は、硬く引き締まっている。道半ばで諦めたとはいえ、この男もまたマイカのもと修行を積んだのだ――アイザックの掌が、それを如実に物語るのだった。
翌朝。
アイザックは、ヴァートを伴いローウェル道場を発った。目指すのは彼の仕事場――王城内にある研究室だ。まだ夜も明けきらぬ払暁のときである。二人は徒歩で新市街の中心にある王城に向かっていた。
ヴァートは結局、勧められるままローウェル道場で一泊した。
ヴァートとしては、夜のうちに一度桜蓮荘に戻りマーシャに事のあらましを報告し、早朝改めてローウェル道場にアイザックを迎えに行くつもりだったのだが、さすがにそこまでの手間をかけさせるのは申し訳ない、そうマイカに言われたのだから断れなかったのだ。
エドマンドの部下が桜蓮荘まで伝言に走ってくれることになったため、マーシャに心配はかけていないはずだ。
「ヴァート君、そこまで気を張る必要はないだろう。気楽にしたまえ」
険しい目突きで周囲に気を配るヴァートに対し、アイザックは微笑しながら言った。
「でも――どこから敵が現れるかわかりませんし」
「敵も、ここで襲ってくるほど愚かではあるまい。見たまえ」
あたりの農地では、農民たちがとっくに作業を始めている。道の先には、ローウェル道場に向かう通いの門弟たちの姿もちらほら見ることができた。見晴らしのきくこの場所でことを起こそうとするなら、多くの人間に目撃されるのは避けられない。
「たしかに……その通りですね」
「むしろ人通りの多い市街地のほうが危険かもしれないな。人ごみに紛れて背後に忍び寄られ、いきなり
無論、その場合実行犯が逃げおおせるのは難しい。しかし、前夜の襲撃者たちのような半端者ではなく、逮捕も厭わぬ確固たる覚悟を持った相手が送り込まれたとしたら、アイザックを守るのは困難だろう。
「そうですね。街に着いたら馬車を拾ったほうがいいのかも。歩くよりは安全でしょう」
ヴァートの意見に、アイザックも同意した。
「それにしても……君がグレンヴィル先輩と師範代の直弟子だったとはな」
「師範代?」
「ああ、私がまだ剣の修行をしていたころ、ハミルトン殿は師範代をされていたのだよ。いや、懐かしいな」
どこか遠い目で、アイザックはしみじみ語る。
当時はマイカが王家の指南役を務めており、多忙を極めていたため、ハミルトンが師範代として道場を取り仕切っていたのだとか。
「私たちくらいの年頃の門弟にとって、あの二人はまさに恐怖の化身だった。稽古に出るときは、どうか二人がいませんように、と祈りながら道場に入ったものだ」
「ハミルトン師匠はわかるけど……マーシャ先生もですか」
ハミルトンは、己にも他者にも一切の妥協を許さぬ烈しい性格である。三年の修行の間、ヴァートも修行の厳しさに何度逃げ出そうと思ったかわからない。
しかし、ヴァートはマーシャを恐ろしいと思ったことはない。
「最近はだいぶ丸くなったようが、十代のころの先輩の修行の苛烈さといったら凄まじいものでね。十一か十二くらいのころにはすでに大人を打ち負かすほどの腕前を持っていた先輩だが、相手が年少者だろうとまるで容赦なしだ。私やエド、それから同輩のリック――リチャード・ヘイグなどは、乱取りのたびにそれは痛い目に遭わされたよ」
リチャードといえば、ルーク・サリンジャーにまつわる騒動において、ヴァートに力添えをした男だ。三つ歳下のリチャードを、よく可愛がってやった――ヴァートは、マーシャの言葉を思い出す。
「エドとリック、そして私は昔からの腐れ縁というやつでね。それで、道場にグレンヴィル先輩が現れようものなら、三人してやれ風邪を引いた、やれ家の用事がある、などと言い訳して稽古を抜け出したりしてね。道場の裏で顔を突き合わせては、グレンヴィルの鬼、悪魔と悪態をついたもんだ」
「あの先生にも、そんな時代があったんだ……」
毎晩のように酒をあおり、昼近くまで寝ていることもざら。放っておいたら三日で部屋をごみ溜め同然の状態にしてしまう、そんな今のマーシャの暮らしぶりからは想像もつかぬことだ。
「あの人は、誰よりも優れた才を持ちながら、決して慢心せず、誰よりも努力していた。恐ろしい人ではあったが、その姿勢には学ぶべきところが多かったな」
アイザックにとって、修行時代の日々は悪い思い出ではないようだ。それは、懐かしげに語るアイザックの表情に表れている。
話が一区切りしたところで、ヴァートは何の気なしに話題を変えた。
「ところで、学者さんだってお聞きしましたけど……何の学問を?」
「ほう、君は学問に興味があるのかね?」
良くぞ聞いてくれたとばかりに、アイザックに喜色が浮かぶ。
「ま、まあ、それなりに」
まずい、失敗した――ヴァートの直感がそう告げたが、時すでに遅し。
「私が修めたのは歴史学だよ。剣術の修行の一環として、過去の武術家について書かれた書物を紐解いたのが始まりだったのだが――過去を学ぶというのは、なかなかに面白いことでね。いつしか、本格的に歴史に興味を持つようになったのだ。剣を諦めてからはますますのめりこんでしまってね。本来学問を始めるには歳を取りすぎていたのだが――幸いなことに、学問は剣術よりは私に向いていたらしい。どうにかアカデミーに入学することができ、今の仕事を得たというわけさ」
アイザックは、熱の篭った口調で一気にまくしたてた。命の危機に瀕しても動揺を見せなかったアイザックの表情が、にわかに興奮の色を帯び始める。
(ああ、わかったぞ。これは、ファイナさんと一緒だ――)
武術のこととなると弁舌が止まらなくなるファイナと同じ。自分の得意分野のことになると、語らずにはいられない類の人間なのだ。
「従来――正確には先王陛下の治世が始まる前までは、だが――歴史家の仕事といえば為政者の意向に従い、過去の事象を為政者にとって都合のいい、美化された物語として作り変えることだった。
たとえば、およそ三百年前までライサ島において権勢を誇った豪族ダルゴス氏は、自分たちが大陸の古代国家・神聖サレム皇国の血統だと称し、それらしい家系図や古文書を代々伝えてきた。しかし、それらはすべて捏造であることがのちの研究で明らかになっている。
自家の出自や歴史を美化して語ろうとするのは、なにもダルゴス氏だけに限ったことではない。われらが君主・エインズワース家とて、それは例外ではなかったのだ」
「王様が嘘をつく、ってことですか」
ヴァートはなんだかんだで聞き上手なところがある。ついつい発した相槌が、アイザックのさらなる熱弁を引き出す。
「嘘をつくと言うと言葉は悪いが――まさにその通りだよ、ヴァート君。とりわけ顕著なのは、戦乱期だ。戦場では勝者こそが正義、そして歴史とは勝者によって語り継がれるものだ。よって、従来正史とされてきた戦記では、エインズワース家が常に正義、敵対する勢力は悪役として描かれているものがほとんどであったのだ」
アイザックが一例として挙げたのは、デミトスの戦いである。
これは、二百十年ほど前にライサ島デミトス平原で起きた。エインズワース家が対立していた勢力、ガイス家と全面対決した戦いである。
戦いはエインズワース家の勝利に終わり、ガイス家の郎党を敗走せしめたわけだが――この際、デミトス平原南方の山で大規模な山火事が起きている。従来の定説だと、逃走中のガイス家が追撃を断つために山に火を放ったとされていた。しかし、近年の研究で、実は火を放ったのはガイス家ではない、ということがわかってきた。
「山火事を起こしたのはエインズワース家である、というのが現在の定説だ」
「どうしてそんなことをしたんですか」
「まずはじめに、デミトス平原の周辺には商業で栄えた自治都市がいくつか存在したという地理的条件を念頭に置いてくれ。さて、山火事では多数の非戦闘員が亡くなっている。エインズワース家は周辺の自治都市に潜り込ませた諜報員――俗に草、と呼ばれる者たちに、火事がガイス家によるものとの噂を流させた。そうするとどうなると思う?」
「ガイス家に対する反感が高まる、そういうことですか」
「正解だ。非道な戦法を実行したガイス家を支援しようとする者は減り、逆にエインズワース家の支持者は増える。自治都市の商人たちは、戦に必要な物資を調達するためには欠かせない存在。ガイス家はみるみる窮していった、というわけさ」
ガイス家が敗走したとされる日にちと山火事が起きたとされる日にちが、文献によっては大きく食い違っていることは以前から指摘されていた。しかし、エインズワース家の正当性を重視するあまり、それ以上突っ込んだ研究はされてこなかったという。
「そんなわが国の歴史学のあり方を覆したのが、先代国王フェリックス陛下だ。過去から教訓を得ぬ者に、良い未来は訪れない――そう仰ったフェリックス陛下は、シーラント正史を一から編纂しなおすことをご決断された。そのために設置されたのが国立史料研究室であり、それが私の職場、というわけだ」
この国の未来のために必要な仕事、とはアイザック自身の弁であるが――ここまでの話を聞いて、ヴァートもなるほどと納得したものである。
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