第3話

「ふむ、このあたりのはずなのだが……」

 翌日の昼下がり、マーシャは地図を片手に王都レンの新市街を歩いていた。目指すは「ツァイダム流ドレイク道場総本家」だ。これは、二十五年前の御前試合でケヴィン・ウェンライトを破ったファーガス・ドレイクがあるじを努める道場である。

 ツァイダム流は、マーシャの修めたオーハラ流の分流の分流の分流の、そのまた分流にあたる新興の流派である。

 御前試合での勝利をきっかけに、とんとん拍子にシーラント剣術界を駆け上がったドレイクが開いたこの道場は、現在王都およびその周辺に十あまりの支部を持つ。レンにおいてもっとも有名な道場といっても過言ではない。

 門下生の数は多く、当然マーシャも現役時代にドレイク道場の剣士と対戦したことはある。しかし、

(正直、まったく印象にない……)

 のであった。

 昨晩、マイカたちの話を聞いてケヴィン・ウェンライトとファーガス・ドレイクについて興味を持ったマーシャは、過去の武術名鑑を紐解いてみた。

 たしかに、ドレイク道場の剣士との対戦経験がある。それも、三度もだ。

 こと武術関連に関しては、マーシャの記憶力は優れる。大概の対戦者に関して、名前を聞くだけで流派や得物、戦法までも思い出すことができるというのは、稀有な才能であろう。そんなマーシャが思い出せぬ、というのだ。

 マーシャは現役時代、公式な試合を二百あまり戦っている。もちろん、にわかに思い出せぬ対戦相手というのも少なからずあった。しかし、ケヴィンはマイカやフォーサイス公爵が認めた好敵手であったという。そのケヴィンを破ったドレイクの弟子と戦ったというのに、まるきり印象にないというのはいかにも解せぬ。

 実際その目で見てみるのが一番、そう考えたマーシャは早速ドレイク道場を訪ねてみることにしたのであった。

「おお、あそこだな」

 ドレイク道場総本家は、新市街の第二層にあった。新市街は王城を中心とした三本の環状道路で区切られているのだが、その外側から二番目の区画のことである。あたりには裕福な武家や商家、下級貴族などの邸宅が立ち並ぶ。レンのなかでも、それなりに格の高い住宅街である。ドレイク道場も、周りの邸宅に負けず劣らず広い敷地を持ち、建物も立派であった。

(しかし――こんな場所で道場をやっていけるものか。よほど儲けているのだろう)

 レンで土地建物を所有する場合、毎年定められた額の地税を払う必要がある。その額は、土地の価値に比例して高くなっていく。この区域にこれだけの広さの道場を持つには、毎年かなりの額の税を納入する必要があるのだ。

 マーシャは、道場の外壁をぐるりと回って裏手に向かう。大概の道場には、外から道場の様子を覗うことができる場所が設けられている。入門希望者が気楽に見学できるようにするためだ。剣の道を邁進する求道者たちの集う場所といっても、金がなければ道場は立ち行かぬ。道場を安定して運営していくには、常に新たな門下生を開拓していく必要があるのである。名流・ローウェル道場ですら、経営の概念なしには生き残れない。

 果たして、道場の裏手には塀が切れてそこだけが生垣になっている場所があり、近所の邸宅の子と思しき数人の男児が中を覗いている。

「ご免よ、私にも見せてくれるかな」

 子供らの間に割り込み、マーシャも並んで中を覗く。そこは広い庭になっていて、二十名あまりの門下生が稽古に励んでいた。師範代らしき年かさの男の指導のもと、ずらりと並んで型の素振りをしている。

(ファーガス・ドレイクはいないようだな)

 マーシャが武術界で頭角を現し始めたころには、ドレイクは既に一線を退いていた。ゆえにドレイクが戦うところは見たことがない。しかし、大会で来賓として呼ばれているのは見たことがあった。長身かつでっぷりと肥えていて、遠目からもそれとわかる体型をしているはずだ。

(本人がいないのは残念だが……しかし、これは)

 マーシャが顔をしかめる。

 道場では師範代をはじめとする指導者たちが、若者たちの素振りを看ているのだが、

(なんとまあ、温いことだ。まるで御遊戯ではないか)

 指導者たちは「よし、その調子!」だの、「いいぞ、もう一本!」などとしきりに門下生をおだて、誉めそやすような声をかけながらも、肝心の技術面についてはさっぱりまともな指導をしていない。

(厳しく叱咤するばかりが正しいというわけではないが……基本の型の稽古を疎かにするのは感心できない)

 武術の「型」とは、先人たちが積み上げてきた経験則の集大成だ。剛く、巧みに剣を振るうためにはどう身体を動かすのが一番効率的か。試行錯誤を繰り返し、無駄という無駄をそぎ落とした末に残ったのが、すなわち型となるのだ。

 踏み込みの歩幅、足の角度、腕の振り、手首の返し――全身の動きが完全なる均衡を保って行われたとき、剣のちからは最大となる。個々人によって身体のかたちや大きさ、体力は異なるため、厳密にこれこそが正しい型であるといえるものはない。しかし、素振りの一振りごとに自身の体裁きを確認し、微調整を加えていくことで、少しずつでも理想的な型に近づけていくことが肝要なのである。

 マーシャはローウェル道場でこのことを厳しく指導されたし、ミネルヴァやデューイ少年をはじめとした教え子たち――そして今は遠い北の地で修行に励んでいるであろうヴァート・フェイロンにもそれを叩き込んでいる。子供たちを指導する際は滅多に声を荒げぬマーシャも、基本の素振りを疎かにした場合はその限りでない。

(これが当代一の人気道場とは……いや、だからこそ人気なのかもしれぬ)

 道場の立地からして、門下生の多くはこの新市街の裕福な家庭で暮らしているはず。剣の腕で立身出世を目論む者、一生を武術に捧げる気でいる者などはそういないはずだ。金持ちの坊ちゃん相手に緩く稽古をつけ、気分良く帰ってもらう。「商売」の手法として間違っているとはいえない。

(これも時代の流れ、というやつか……)

 などと、いささか年寄り臭いことを考えつつ、帰路に就くマーシャであった。


 ロータス街の自宅に帰りついたマーシャは、門のところでばったりとデューイに出くわした。時間的に、「銀の角兜亭」に向かうところだろう。

「先生、お帰りなさい! 中でお客さんがお待ちですよ」

「客?」

「ええ。背のちっちゃい女の人です。中庭にいますよ」

 背の低い女といえば、心当たりがある。とうとう来たか、とマーシャの口の端が上がった。それじゃ、と走り去るデューイに手を振って、マーシャは門を潜った。

 中庭にいたのは、果たしてアイニッキ・イコーネンだ。旅先で出会った、類稀な技を持つ女である。

 アイニッキは、ひとり黙々と身体を動かしていた。格闘術の型だろうと、マーシャが察する。

 両足を肩幅より少し開き、前に突き出した左手を引き絞ると同時に右拳を突き出す。ただそれだけの行為を、一回ごとに一呼吸置きながら繰り返す。軽く首をかしげて、左足の爪先をわずかに内に向け、また一突き。周囲の雑音などまるで聞こえていないかのように集中している。拳での打撃の訓練であろう。おそらく格闘術の訓練としては初歩の初歩だ。しかし――

(見事だ。ある種の美しさすら感じさせる)

 物であっても人の動きであっても、特定の目的に向かって徹底的に無駄がそぎ落とされれば、それは美しさを放つ。言うところの機能美というものである。

(それにしても、人を待つわずかな時間も無駄にせず鍛錬に費やすとは。まるで若いころの私を見ているようだ)

 旅先で会ったときも彼女に好感をもったマーシャであるが、ますますアイニッキのことが気に入ったようである。

 アイニッキが一息ついたのを見計らい、マーシャが声をかけた。

「精が出るな。遠路尋ねてくれたこと、嬉しく思うよ」

「あ、これは気が付きませなんだ。お久しゅうござる、グレンヴィル殿」

 アイニッキがぺこりと頭を下げた。

「にしても、格安で泊まれる宿、というのがグレンヴィル殿のご自宅であったとは」

「ああ。私はここで貸し部屋をやっているのでね。長期の滞在も大歓迎だ」

「ご近所の方々やデューイ君にお聞きしたのでござるが、グレンヴィル殿は高名な剣客であらせられるとか。悪漢に石を投げた動きからして、ただのお人ではないと思っておりましたが」

「いやいや、私はとうに一線を退いた身。いまはここで細々と若者たちに技を伝える毎日さ」

 と、マーシャが肩をすくめる。

「ときにグレンヴィル殿、は止してくれ。一時的にせよ大家と店子となるのだ。堅苦しいのはあまり好まぬ」

「さすれば、なんとお呼びすればよいのでござろう」

「このあたりの者たちはみな、先生、とかマーシャ先生、などと呼ぶな。別にそなたの師匠を気取るつもりはないのだが――まあ、渾名のようなものだ」

「わかり申した。では私めのことはアイ、とお呼びくだされ、マーシャ先生」

「それではアイ、よろしくな」

 と、ふたりはがっちりと握手を交わすのだった。

「さて、長旅で腹が減っているだろう。お近づきの印に、夕飯でも奢らせてくれ」

「いや、それには及びませぬ。荷のなかに糧食の残りがありますゆえ、それで……」

「つまらぬ遠慮は無用。さあ、行こう」

「あいや、待たれよ、マーシャ先生……!」

 なおも固辞しようとするアイの肩を抱えるようにして、マーシャは強引に歩き出す。

 向かったのは、例によって「銀の角兜亭」である。

 開店直後の店内では、既に数人の常連が杯を傾けている。手を上げて挨拶しつつ、マーシャはカウンターの指定席に着いた。

「店主、旨いものを見繕ってじゃんじゃん運んでくれ。アイ、酒は?」

「飲んだことがござりませぬ。わが師は、酒がだめな性質でしたので」

「ならば――デューイ、そこの白をくれ」

 マーシャが指差したのは、花のような香りが特徴的な白ワインである。やや甘口で、普段酒を飲みつけない人間でも、すんなり飲むことができるものだ。

「ふたりの再開を祝して――乾杯!」

 軽くグラスを掲げると、マーシャは一気にワインを飲み干した。アイニッキもまた、おそるおそるといったふうにグラスに口をつける。

「これは、なかなかの美味にござりまするなぁ」

 その味が気に入ったようで、アイも一気にグラスを干す。

「うむ、なかなかいい飲みっぷりだ。さ、好きなだけやってくれ」

 と、マーシャがふたたびアイのグラスを満たす。程なく、料理が次々運ばれてきた。

「存分に食べてくれ。さて、アイ。それで、この間から気になっていたのだが――アイが言う師とは、その格闘術の師のことかね?」

「左様。孤児となっていた私は師に拾われ、技を伝授いただいたのでござるよ」

「その師とは――もしや、ケヴィン・ウェンライトというのでは?」

 マーシャの言葉に、アイが目を丸くする。

「いかにも、わが師にござる。しかし、どうしてご存知で」

「私が世話になっている方々が、お師匠の旧い友であったそうだ。先日、偶然ウェンライト殿の話を聞いてな。もしやと思ったのだ」

 少ない手がかりから察するに、アイの師はシーラント出身で大陸に渡った、素手を主体とした武術の遣い手である。マーシャが聞いたケヴィンの特徴と符号はするものの――

(広い世界で、こんな偶然もあるものだ。だから人生は面白い)

 思わず、マーシャの顔に微笑が浮かんだ。

「私が世話になっている方々というのも、ウェンライト殿のことは痛く心配されていた。アイ、差し支えなければウェンライト殿のこと、そしてアイ自身のこと――話してもらえるかな」

「はい、なにからお話しすればよいものやら――」

 アイは、戦災孤児であった。

 生まれ故郷であるゲトナーの国は三十年ほど前、以前から関係が悪かった隣国サリーリャ公国と全面戦争状態に陥った。両国の国境にあるカリアーニ地方の領有権が直接の開戦の引き金となったこの戦争は、のちにカリアーニ戦争と呼ばれるようになる。

 十年以上にもわたって続いた戦乱により、ゲトナーの国は乱れに乱れた。アイもまた、その戦乱によって生まれた孤児であった。

「物心付いたころには、街の裏道で残飯を漁る生活を。そして――人様のものに手を出すようになるまでに、そう時間はかかりませなんだ」

 万引き置き引きに空き巣、引ったくり――同じく親を亡くした子供たちと徒党を組んで、さまざまな悪事を働いたという。

「某は生来足が速い性質のようでして。十か十一になるころには、大人の男ですら走って逃げる某に追いつけなかったほどにござる」

 アイはその脚力を、盗みに活用していたというのだ。

 そんな中――とある旅人から荷を奪って逃げようとしたのが運の尽き――いや、アイにとって幸運だっただろう。その旅人こそが、ケヴィン・ウェンライトであった。

「いやぁ、駆けっこで私を負かしたのは、後にも先にも師だけにござった」

 ケヴィンはきわめて優れた身体能力を持つ、そうフォーサイス公爵が語っていたのを、マーシャは思い出した。

「もはやこれまで、官憲に突き出され牢屋に入れられるものと思ったのでござるが――師は、『自分と来い、さすれば生きるためのすべを授けよう』、と。正直、なぜ師が私めをお許しくだされたか、未だにわかりかねるでござる」

 マーシャには、その理由がわかる気がする。齢十にして大人の男を凌駕する脚力――マイカたちから聞いたケヴィンの戦い方を実践するには、格好の素材である。ケヴィンは、その才能に惚れ込んだのではないか――そうマーシャは考える。

 ともあれ、当面の衣食住は保証するというケヴィンに、アイは渋々付いていくことになる。そして共に旅をする中で、ケヴィンの高潔な人間性に触れたアイニッキは改心し、オネガ流拳士としての道を歩むことになるのである。

「ということは、ウェンライト殿はすでに」

「はい。去年、病没なされたでござる。二人で大陸のさまざまな国を巡って旅をし申したが、最後はわが祖国ゲトナーにて病を得、そのまま……」

「それは、お悔やみ申し上げる。シーラント武術界にとっても、大きな損失であろうな」

 と、マーシャは空になったアイのグラスに酒を注ごうとしたのだが――気付くと、すでに五本ほどのワインの瓶が空になっていた。ちなみに、そのうちマーシャが飲んだのは一本分程度だ。大半はアイが飲み干したことになる。

(話しの相槌ついでに酒を注いでいたら――しかし、本当に酒は初めてなのか。まるで、ザルではないか)

 アイの顔色はいたって普通であるし、口調や目つきにも異常は感じられない。ただ、多少酒は回っているようで、アイに遠慮がなくなってきた。

「いやあ、実に美味。お師匠様からは、食べ物と武術はシーラントが一番、と常々聞かされておりましたが、その言葉に偽りはなかったようでござるな」

 言いつつ、さらに一杯。マーシャとしても、自分から奢ると申し出た手前、止めろと言うわけにもいかぬ。手を上げてデューイを呼ぶと、酒を追加した。

 マーシャは手持ちの金を確認したのち――店主に顔を近づけ、耳打ちする。

「済まぬ、少し勘定をまけてくれると助かる」

「あの気持ちのいい飲みっぷりを見せられちゃ、仕方ありませんや」

 店主はそう言うと、苦笑した。

 帰り道のことである。

「マーシャ先生、マイカ・ローウェルなる剣士をご存知でいらっしゃるか」

「ああ。マイカ・ローウェルはわが師だ」

「いまだご存命で?」

「うむ、まだまだご壮健でいらっしゃる。ほら、さきほど言ったウェンライト殿の旧友というのがローウェル師だよ」

「それは重畳。実は、お師匠様からもう一つ遺言を授かっておりますれば。ローウェル殿、もしくはギルバート・フォーサイス公爵のどちらかに、一通書状を届けよとのこと」

「そういうことなら、明日早速案内しよう」

 行方知れずとなった旧友が、旅先で得た愛弟子である。

(お師匠様も、さぞ驚かれることだろう)

 マイカの驚く顔を思い浮かべつつ、マーシャは家路を歩くのだった。

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