拳士アイニッキの真情

第1話

 シーラント王国を覆っていた熱波はようやく通り過ぎ、実りの秋はもう目前だ。就寝時、朝晩には上掛けが欲しくなる季節である。

 あのマルコム・ランドールが巻き起こした事件が一応の決着をみて、ひと月ほどが経ったころのこと。

 とある山間の街道に、一人歩くマーシャ・グレンヴィルの姿があった。知己を訪ね、王都レンから三日ほどのところにあるカーキスの町へ行った帰り道である。

 その知己とは、かつて桜蓮荘に暮らしていた女性だ。彼女が二年ほど前にカーキスの商人の下に嫁に行って以来、手紙でのやり取りは頻繁にしていたが、実際に顔を合わせることはなかった。このたび、彼女が出産したことの報せを受け、出不精のマーシャも一念発起して会いに行く決断をしたのであった。

 嫁ぎ先の商家で一晩歓待を受けたマーシャが、もう少し滞在して欲しいと懇願されるのを辞退し、カーキスの町を出たのがこの日の朝のことであった。

 その端正な顔には汗が滲み、美しい黒髪が額に張り付いている。

(……すっかり過ごしやすくなったとはいえ、さすがに堪えるな)

 なにせ、朝から数時間歩き詰めである。吹きつける秋風も、マーシャの身体を冷ますには少々足りぬようだ。

 路傍の岩に腰掛け、革袋から水を一口飲むと大きく息を吐いた。

「やはり、少し待ってでも馬車にするべきだったか」

 当初、マーシャは駅馬車――町と町を繋ぐ乗合馬車のことである――を利用するつもりでいた。しかし、乗ろうとした便はすでに満員、次の便までは間があると聞かされたマーシャは、せっかく天気もいいことだし景色でも楽しむか、と徒歩で行くことを選んだのだった。

 想像以上に高い気温ときつい勾配に体力を取られ、さしものマーシャも思わず愚痴を言わずにいられない。

「さて、いつまでもこうしていられないな」

 汗をひと拭いしてマーシャが立ち上がろうとしたちょうどそのとき、街道の先――マーシャの進行方向から何やら争うような喧騒が響いてきた。

 シーラントは治安のいい国ではあるけれども、盗賊・山賊の類がいないわけではない。ただの揉め事ならマーシャの知るところではないが、旅人が賊に襲われているとしたら見過ごすわけにはいかない。マーシャは急ぎ走り出した。

 果たして、街道には五人のごろつきに囲まれた一人の少女の姿があった。十代前半くらいの背格好で、赤髪が特徴的な少女である。

「あれは……やはり賊か!」

 走りつつマーシャが腰の剣に手をかけた瞬間、少女を取り囲む男がひとり、その場に崩れ落ちた。間髪いれずもうひとり、今度は後ろに大きく吹き飛ぶ。

 マーシャも驚かずにはいられない。年端もいかぬ小柄な少女が、その拳と蹴りで二人の男をあっという間に打ち倒してしまったのだから。

「っ、て、手前ぇッ!」

 呆気にとられていた男たちがようやく我に帰り、激高し一斉に少女に襲い掛かった。

 少女は突き出されたごろつきの拳を事も無げに避けると、脇の下を抜け一瞬にしてその背後を取る。膝裏に鋭い足払いを放つと、男の身体は空中で一回転して頭から地面に落ちた。

「この糞餓鬼がぁッ!」

 二人目のごろつきが少女に掴みかかろうとする。少女は身を沈めてそれをかわし、大地を踏み締めて右拳を振るう。少女の拳は男の脇腹に深々と突き刺さった。

(あばらが二、三本折れたようだな)

 口から泡を散らしつつのた打ち回る男を見て、マーシャがそう見て取った。

(それにしても――変わった技だ)

 素手での格闘術はマーシャのような剣術家もある程度は身につけているが、少女の技はマーシャのそれとは明らかに異質だ。マーシャの格闘術はあくまで剣を補助するものに過ぎないのに対し、

(そう――まるで、素手のみで敵を倒すことを目的としているような――)

 マーシャはそんな印象を抱く。

「この餓鬼、もう容赦しねぇぞ!」

 最後に残った男が腰の短剣を抜き放ち、少女に突きかかった。

「危ない!」

 マーシャはとっさに足元の石ころを拾うと、鋭く投擲。石は男の手の甲あたりに命中し、男は思わず短剣を取り落とした。

「お覚悟!」

 気合一閃、少女の掌打が男の顎に叩き込まれる。ごりっ、という鈍い音が響いた。男の顎が砕けた音であった。

「戯れはここまで。御引取り願おう。さもなくば――」

 そう言って少女が拳を構えて凄むと、ごろつきたちは、互いに肩を貸しながらよたよたと逃げ去って行った。

「いやぁ。見事なお手前。いいものを見せてもらった」

 拍手をしながらマーシャが少女に語りかける。少女はマーシャのほうを向くと、ぺこりとお辞儀をした。ぱっちりとしたとび色の瞳の持ち主で、顔立ちは背格好同様かなり幼く見える。

「どなたかは存じませぬが、先ほどの助太刀には感謝いたす」

 マーシャの手助けがなくとも、少女は難なくごろつきを倒していたことだろう。しかし、それでも礼儀正しく謝辞を述べた少女の態度にマーシャは好感を持った。

「私はマーシャ・グレンヴィル。よろしければ名前を伺いたい」

それがしはアイニッキ・イコーネンと申す者にござる」

「アイニッキ……ひょっとして大陸のほうの方かな?」

「いかにも。大陸はゲトナーの国から、先ごろこのシーラントに渡って来たばかりにござる」

 なるほど、とマーシャは頷いた。少々奇異に感じられた少女の言葉遣いにも納得がいく。ゲトナー語はシーラント語と共通の祖を持つ近しい言語であり、その文法や単語はシーラントでいうところの古語と似ている。そのため、シーラント人がゲトナー人の言葉を聞くと古めかしく慇懃に聞こえるのだ。それに、アイニッキ、イコーネンという名前もシーラント風ではない。

「それにしても……親御さんか連れはいないのかな? いくら腕っ節が強いからといって、あなたのような年端もいかぬ娘が一人旅とは少々無用心だ」

「やはり、そう見えまするか。某、こう見えましても十八になるでござるよ」

 アイニッキが苦笑を浮かべる。

「十八……? あ、これは失礼した」

 思わずアイニッキをじろじろ見てしまったことに気付き、マーシャが慌てて謝罪する。

「申し訳ない。気を悪くされたのなら許してくれ。この通りだ」

「いえいえ、よくあることゆえお気に召されるな」

 と、アイニッキが笑う。屈託のない、気持ちのいい笑顔である。

「いや、失礼した……しかし、なぜゆえに一人で異国の地で旅を?」

「実は、去年病没した某の師がシーラント生まれにござりまして。遺髪だけは生まれ故郷の村にある一族の墓に入れてくれ、という師の遺言を果たすべく、こうしてその村に向かっている次第。先を急ぐ身ゆえ、そろそろよろしいか」

「ああ、引き止めて申し訳なかった……あとひとつだけ。遺髪を埋葬した後はどうするおつもりかな?」

「師が亡くなり、これといって行くあてもござらぬが――師は常々、武術の本場はシーラントだと申してござった。さすれば、路銀の許す限り王都レンに逗留し、本場の武術を体験したいと考えているでござる」

「なるほど。それなら格安で泊まれる部屋に心当たりがある。ぜひ、そちらを利用してもらいたい」

 と、マーシャは自らが所有する桜蓮荘の番地を懐紙に書き記しアイニッキに渡す。

「これは、願ってもいない幸運。ご厚意、感謝いたしますぞ」

 最後に深々と礼をすると、アイニッキは街道を足早に歩いて行った。

(たまには旅もしてみるものだ。このような出会いがあるとは)

 アイニッキとの再会できる日を心待ちにしつつ、マーシャもその場を立ち去るのだった。

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