第20話

「ちっ。大口を叩いたわりに、使えぬ男だったな」

 櫓の上で、ルークが吐き捨てた。なぜヴァートが立ち上がったのかはわからなかったが、ブロウズが負けたのは事実であった。

「まあいい。私の命令を聞かぬ邪魔な男がいなくなったとも言える」

 ルークがさっと右手を上げると、それまでヴァートとブロウズの戦いを遠巻きに見ていたならず者たちが、ヴァートたちを取り囲んだ。

「茶番はお終いだ、ヴァート・フェイロン。女の命が惜しくば、剣を捨てろ」

 ルークはファイナの髪を掴んで引き立たせると、その胸元を短剣で斬った。着衣が引き裂かれ、ファイナの白い肌があらわになる。

「さあ、早くしろ。次はこの女の肌が切り裂かれることになるぞ」

 ヴァートたちは、それぞれの得物を投げ捨てた。ルークの手下が、素早くそれを回収する。

「……これでいいだろう。ファイナさんを離せ」

 ルークはファイナを離そうとはせず、代わりに哄笑した。

「馬鹿め。そのお人よしも父親譲りかな。この女は、貴様らを存分にいたぶったあとで可愛がってやる」

 そう言って、ルークはファイナの顔に舌を這わせる。ファイナの顔に、強烈な嫌悪感が浮かんだ。

「憎きシーヴァー・ナイトの血も、遂にここで途絶える――殺れ」

 ルークの号令で、ならず者たちは一斉に包囲の輪を縮めた。武器を奪われ、ヴァートたちの命はまさに風前の灯である。しかし突如、アイが笑い声を上げた。絶望的な状況に気が触れたか――ならず者たちは、そう思ったころだろう。

「いやはや、ここまでこちらの予想通りの展開になろうとは。笑いが止まらぬ」

「所詮、小物の考えることなどこの程度ということでしょう――パメラ!」

 ミネルヴァが叫ぶと同時に、短剣を掴んでいたルークの左手の人差し指から小指までが、ぼとりと音を立てて落ちた。

「ん、なっ、なんだ――!?」

 血が溢れ出る左手を見ても、ルークは目の前で起きたことが理解できていなかった。そして不意に背後に気配を感じ、振り向く。

 怜たい瞳がルークの視界に入った。体の線にぴったりと密着するように造られた黒装束に身を包んだその人物は、パメラであった。手には、鮮血滴る短剣が握られている。

「貴様、いつの間に……」

「ヴァートさんが戦い始めたあたりから、機を窺っておりました。それより、下品な顔をこちらに向けないで頂きたいのですが」

 言うと、パメラは短剣の柄でルークの横面を殴りつける。ルークは二、三歩よろめき、櫓から落下した。

「っ、森の連中はなにをやっている!」

 衆目に晒された広場の中を通って来たはずはないのだから、パメラは森の中を迂回してルークに近づいたことになる。そして、森にはルークの手下が二十人ほど配置されているはずだ。

「あの連中なら、全員無力化いたしました」

「ば、馬鹿な……!? おい、どうした! 全員出て来い!!」

 森の中に呼びかけるも、ルークの声に答える者はいない。それがパメラの言葉を裏付ける。

 ならず者たちの間にも動揺が広がった。それを見逃すミネルヴァやアイではない。包囲の輪に突っ込むと、瞬く間に三人ほどの男を打ち倒し、自分たちの得物を奪い返した。

「パメラ、ファイナさんとヴァートさんを頼みましてよ」

「……っ、ミネルヴァさん、俺も戦う!」

「ヴァート、心臓は無事だったかも知れないが、お前は立派な重傷にござるよ。ここはわれわれに任せるがよろしい」

「でも、この数じゃ……」

 健在な敵は、まだ三十余り。いくら二人が強くとも、勝てるかどうかわからない。

「おや、ちょうどいいところを見逃してしまったようだ」

 と、場違いなほどに鷹揚な声が広場に響いた。

「……先生!」

 マーシャが、抜き身の剣を二本手にして現れた。世界一頼りになる援軍の登場だ。

「だが――最後の仕上げには間に合ったようだな」

 そう言って、にやりと笑う。

「マーシャ・グレンヴィル……!? 暗殺者ギルドの者どもはどうした!」

「連中が標的を見逃すとでも? 私がここにいるのが答えだ」

 まさか、二十人以上の暗殺者たちを一人で斃してのける人間がいるなど、ルークには考えられないことだった。

「ヴァートよ、よく頑張ったな。ここは私たちに任せ、ゆっくり休んでいるがいい」

 二十数名の暗殺者を一人で斃したマーシャに、ミネルヴァとアイが加わる。そして相手は、ギルドの暗殺者たちに比べればはるかに質の低いならず者たちである。三十人程度、もはやものの数ではない。

「さあ、私は腹が減った。家に帰ったら夜食にしよう。ミネルヴァ様、アイ、さっさと片付けるぞ」

 その言葉を合図に、マーシャたち三人は一斉にならず者たちに切り込む。

 戦いは一方的に終わった。


 ならず者たちの呻き声がそこらじゅうから上がる中、ヴァートはファイナの応急手当を受けていた。

「ごめん、ファイナさん……巻き込んじゃって……」

「そんなことはどうでもいいの! ヴァート君の馬鹿! 一歩間違えたら即死だったのよ!?」

 ヴァートの傷にありあわせの布きれを当てながら、ファイナは言った。皆の命が助かった安堵と、無茶をやらかしたヴァートへの怒りが入り混じって、ファイナは流れる涙を止めることができないでいた。

「いてて……でも、ああするしかなかったんだ。パメラさんが確実にファイナさんを助けるにはブロウズさんが邪魔だったし。それに……ブロウズさんの考えは正さなきゃならなかった」

「……もう二度とあんなことしちゃ駄目だからね」

 ファイナはそう言うと、ヴァートの胸に顔を埋めた。

「でも……ありがとう、ヴァート君」

 ファイナとここまで触れ合ったのは、かつてマーシャの部屋で介護を受けていたとき以来だ。安心感に包まれて、ヴァートは深い眠りに落ちていった。

 雨は、いつの間にか熄やんでいた。


 ルーク・サリンジャーは、マーシャたちに取り囲まれていた。

「き、貴様ら! 私をどうするつもりだ! 私に手を出せば本家が黙ってはおらぬぞ!」

「さて。貴様のような畜生を殺したとて一切こころは痛まぬし、サリンジャー家など怖くもないが……本来貴様を断罪するべきなのはヴァートだ」

 マーシャがヴァートに視線を向けると、ヴァートはファイナの胸に抱かれ眠りについたところだった。

「……ヴァートはあの調子だからな。アイ、ミネルヴァ様、どう思う」

「有罪ですわ」

「有罪でござる」

 アイがルークの襟首を取って、強引に立たせる。ミネルヴァとともに、ルークの両腕をがっちりと拘束した。その胸元に、マーシャが剣先を突きつける。

「せっかくだから、ヴァートと同じ目に遭ってもらうとしよう。喜ぶがいい、運がよければヴァートのように生き残れるかも知れぬぞ」

 そう言って、マーシャは剣を握る手に力を込めた。ずぶりと剣先がルークの胸に突き刺さる。

「ひっ、や、やめろ! 後生だ、助けてくれ!」

「畜生が一丁前に命乞いか。図図しいにも程がある」

 マーシャは冷たく言い放った。剣はさらに深くルークの胸に潜り込む。

「~~~ッ!?」

 締められた鶏のような、断末魔の悲鳴。しかし、それ以上の血は流れなかった。マーシャの剣は、ルークの心臓に届くか届かないかという、絶妙な位置で止まっていた。

 ルークは白目をむき気絶している。股間には失禁でできた染みができていた。

「――あとは、特務の手に委ねよう。どの道死罪は免れまい」

「そういえば、あのブロウズという男は?」

 アイが、ブロウズの姿が消えていることに気付いた。ヴァートから受けた膝の傷は、決して歩けないほどのものではない。マーシャたちに恐れをなして逃げ出したならず者も少なくないため、それに紛れて立ち去ったのだろうか。

「追いますか? いまなら捕縛は容易かと」

「パメラ、それには及びませんわ。ヴァートさんが勝ったということは、あの男は自分の考えが間違いだったと認めなくてはなりません。あれほどの男なら、それを違えることはないはず」

 自らの過ちを認めるということは、剣技の向上のために人を斬るのを止めるということだ。ブロウズほどの男なら、矜持にかけてヴァートの言葉を受け入れるだろう。

「それにあの人、私が乱暴されそうになったのを助けてくれたんです」

 ブロウズとしては、目の前で不愉快な真似をされたくないという言葉が本心だったのかもしれない。しかし、そのおかげでファイナの身が汚されずに済んだのは確かだ。

「まあ――その男については放っておいていいだろう。さあ、帰るか。ホプキンズ殿も街のみんなも心配していよう」

 眠り続けるヴァートを背負うと、マーシャは歩き出した。


 練兵場での戦いののち、ルーク・サリンジャーとその手下たちは遅れて到着した王立特務調査部の手勢に捕縛された。

 ルークはマーシャの殺気にこころが砕かれており、特務の厳しい追及を耐えることができなかった。過去のアトリード領内での悪行からシーヴァー・ナイト一家およびアンドレアス・シアーズ殺害、そして賭け試合の主催をしていたことまで、すべて白状してしまったという。

 サリンジャー本家は特務に対しことを公にしないよう圧力をかけようとしたが、特務は脅しに屈するほど甘い組織ではない。

 結局、ルークはとうの昔にサリンジャー家から絶縁されており、当家との関わりはない――そういう形にすることで、サリンジャー家は体面を保つことにしたそうな。

 ヴァート宛には、特務の長、エマニュエル・マクガヴァン子爵なる人物から立派な感謝状が届いた。

「うちを訪れたスミス氏、あれがマクガヴァン殿その人だ」

 と、マーシャは説明した。

 爵位を持つ貴族が、自らむさ苦しい格好の変装をしてまで調査に当たる――

「特務ってのは、大変なんだなぁ」

 ヴァートが感心したのも、無理からぬことであった。

 もうひとつ、パメラについてだ。マーシャが種明かししたのだが、彼女はもともとフォーサイス家に仕える密偵の家系の出であるとか。高い戦闘力とさまざまな知識・技能を持っていたのはそのためだ。表向きは侍女だが、その本来の任務はミネルヴァの護衛なのだ。

 パメラは、ヴァートたちと別行動を取り、隙を見てファイナを奪還するという役目を担っていた。倒した敵の数こそマーシャのほうが上だが、誰にも気づかれることなく森の中の伏兵を処理したパメラの功績は大きい。彼女がいなければ、ファイナの救出は難しかったに違いない。

「おかしいと思ったんだよ。ただの侍女があんなに強いはずないんだし。みんな、俺が世間知らずだと思ってからかってたんじゃないか」

 怪我の手当てに訪れたファイナに対し、ヴァートはそう愚痴を零すのであった。


 事件から二十日ほど経過したころ。ヘクター・ダンカンが桜蓮荘を訪れた。

 マーシャ、ヴァート、ミネルヴァ、アイ、パメラ。そして事件に巻き込まれたファイナもダンカンに同席を求められ、話を聞くことになった。

 ダンカンが語るには、特務の調査も一段落し、ルークを野放しにしていたシアーズ家への処罰が内々に通達されたという。

「お家の断絶は免れましたが……かなり厳しい罰が科せられることになるとか」

 ダンカンは、憔悴しきった様子であった。関わりは薄いとはいえ、ダンカンも事件の当事者である。アンドレアスが殺害されたこともあり、彼がどれだけ心を痛めたか、想像に難くない。

 さて、アンドレアスが急逝したことにより、ひとつの問題が持ち上がった。後継者問題だ。

「旦那様には二人の男子がいらっしゃいますが、いずれもサリンジャー家の血筋にございます。しかし、サリンジャー家ゆかりの者に後を継がせるのはまかりならぬ、と国のほうからお達しが」

 シアーズ家の存続は認めるけれども、サリンジャー家の人間にアトリード伯爵位を継がせるのは道義的に許されない、というのが国の判断であった。

 アンドレアスには側室や愛人に生ませた子もいないらしい。ならば、誰が後を継ぐのかという話である。

「縁者から養子を取る、という方法が一般的ではありますわね」

 しかし、ミネルヴァの言葉をダンカンは否定した。

「いえ、そのようなことをせずとも、うってつけの人物がいらしゃいます」

「ふむ。ヴァートのことか」

 マーシャがそう言うと、ダンカンは首肯した。

「ええっ!? 俺ですか?」

「亡くなったご当主に最も近い血筋で、サリンジャー家とは何の関係もない。条件的にはぴったりにござる」

「はい。シアーズ家の重臣たちの中から、ジュリアス――いえ、ヴァート様をお世継ぎに、という声が上がっておりまして。本日は、そのことをお伝えしに参ったのです」

 特務の配慮により、ヴァートの存在はいまだ公にされていない。知っているのは、シアーズ家の一部の重臣のみである。母クローディアもとうの昔に亡くなったことにされているため、ジュリアス・ナイトという人間は本来この世にいないはずの存在だ。そんなヴァートを世継ぎにするには、いろいろと面倒な手続きが必要となるのだが――それでもヴァートを推す声は強いらしい。

 もともとクローディアはその美しさと聡明さで家中の者たちから絶大な人気を誇っていたし、シーヴァーも人望厚く多くの人間から慕われていた。二人の息子ならば、と家臣たちが考えるのは自然なことだ。そしてなにより、ヴァートが自らの手で家族の敵を討ったことが高く評価されているのだとか。

「無論、ヴァート様のご意志がまず最優先です。しかし、亡きアンドレアス様もきっとそれをお望みになるはず」

 ダンカンは、目尻に溢れた涙をハンカチで拭った。

「……ヴァート。お前は本来シアーズ家の一員となるべき人間だ。これは決して悪い話ではないと思うぞ」

 マーシャの、本心からの言葉であった。シアーズ家は富豪である。辛い経験を重ねてきたヴァートだが、シアーズ家に入ればなに不自由ない生活を送ることができるのだ。

 自分でもすべての間取りを把握できないような豪邸に住み、毎日贅沢な料理を食す。夜は金銀で着飾って、華麗に舞踏会に出かける。いささか発想が貧困ではあるが、ヴァートは大金持ちの貴族となった自分を想像してみた。それはそれで楽しい生活ではあるのだろう。

 ふと、同席していたファイナに目をやる。ファイナは、まるで捨てられた仔犬のような眼で、ヴァートを見つめていた。

「ヴァート君、貴族になっちゃうの……?」

 ファイナの言葉を聞いて、ヴァートは即座に決断した。

「申し訳ないけど――その話、お断りします」

 涙を流すダンカンに罪悪感を感じないでもないヴァートだったが、きっぱりとそう言った。

「ジュリアスとしての自分は捨てたわけじゃないけど、いまの俺はやっぱりヴァート・フェイロンなんです。父さんだって、貴族になりたくて母さんと結ばれたわけじゃないはずだ」

 ヴァート・フェイロンは、剣を振ることができさえすれば満足な男なのだ。贅沢など、たまに「銀の角兜亭」で飲み食いする程度で十分だ。

 それに――マーシャやファイナと気軽に会えなくなるのは勘弁願いたい。

「……わかりました。ご意志は固いようですな。正直申せば――初めから断られるような気はしておりました。一本気なところも、シーヴァー殿譲りですな」

 ダンカンが嘆息した。

「済みませんが、俺はもうシアーズ家とは一切関係ない人間、そういうことにしてもらえませんか」

「はい、シアーズ家の者たちにはしかと伝えます。ただ――たまにはこの年寄りめに、シーヴァー殿やクローディア様の昔話を聞かせていただけませんか」

「はい、いつでも遊びに来てください」

 ダンカンは、実に晴れやかな表情で帰って行った。

「ダンカンさん……初めから俺に断らせるつもりで話してたんじゃないかなぁ」

 マーシャはともかくとして、ファイナにまで同席を求めたというのは、いまの暮らしに対する思い入れをヴァートに再認識させるためだったのではないか。そういうことだ。

「ヴァート君、本当に良かったの? 貴族になれたんだよ」

 言葉とは裏腹に、ファイナは嬉しそうだ。

「いいって。だいたい、俺みたいに学のない人間が領主なんかになったら、家来の人たちも領地のひとたちも大変だろ」

「貴族も楽ではありませんからね。社交界の付き合いなんて、肩がこるばかりで退屈ですし」

「しかし、ヴァートがふんぞり返って人々に命令するところなども、一度くらい見てみたい気はするな」

 マーシャの言葉に、一同破顔した。

「さて、そろそろ傷も良くなってきたし……先生、久しぶりに稽古をお願いします!」

「ふふっ、今日の私は機嫌がいい。いつもより気合を入れて打ち込んでやるぞ」

「先生、ヴァート君はまだ治りかけなんだから手加減してあげて! ヴァート君も無茶しない!」

 桜蓮荘の中庭に、皆の笑い声が木霊する。

 マーシャにファイナにミネルヴァ、アイ、パメラ。皆に囲まれ充実した生活は、まだまだ続きそうである。


剣士ヴァートの回生・了

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