第7話

 すったもんだがあったものの、一堂は連れ立って街に出た。

 もう太陽は沈んでしまったというのに、街は活気に満ち溢れていた。既に時間は夕飯時ながら、軒を連ねる商店はいまだ看板を下ろす気配を見せぬ。

 裏通りの歓楽街は、これからが書き入れ時だ。建ち並ぶ娼館には営業中を示す灯りが次々に灯り始め、二階のバルコニーに陣取る娼婦たちが仕事帰りの男たちを手招きする。

 日が暮れれば眠ったも同然の状態になるエディーン村とは大きく違っていた。物珍しく辺りを見回しながら歩くヴァートは、そこかしこで人に肩をぶつけては頭を下げる羽目になった。

 五人が辿り着いたのは、商店街の外れにある酒場「銀の角兜亭」であった。ここは、数年来のマーシャの行きつけである。かつてマーシャがヴァートを救ったのも、この店からの帰り道であった。

「いらっしゃい、先生。みなさんもお揃いで」

 一行を出迎えたのは、四角い顔にブラシのような硬い顎鬚を生やした、強面の店主であった。顔は怖いが接客は実に丁寧だと、ところでは評判の男だ。

「おっ、そちらはお見かけしない顔ですな」

「ああ、これは知り合いの息子でな。田舎から出てきて、新たにうち・・に入居することになったのだ」

 ヴァートの出自については、老医師など彼の過去を知る者以外には隠しておくことになっている。

 案内された席につくと、店主が人数分の陶器製タンブラーを差し出した。どれも、並々ビールが注がれている。

「こいつは俺のおごりでさ。兄さん、レンでの暮らしを楽しんでくれよ」

 店主は、軽く歯を見せて笑うと、他の客の対応に戻って行った。

「さあ、せっかくの店主の心遣いだ。さっそく頂くとしよう」

 マーシャが乾杯の音頭をとり、一同はタンブラーを高々と掲げた。ヴァートも、皆に倣ってビールを一気に流し込む。

「おお、いい飲みっぷりではないか」

「まあ、向こうでは結構飲まされましたから」

 ハミルトン道場で許された数少ない娯楽、それは飲酒だった。

 道場では、半月に一度酒盛りが行われていた。村で酒を買い込み、一晩飲み明かすのだ。ハミルトンもそれを咎めぬ。というより、ハミルトン自身人一倍飲む。

「酒程度に負けていて、どうして自分自身に打ち勝つことができようか」

 というのがハミルトンの持論であった。

「先生、次はいかがいたします」

「そうだな。店主、今日のおすすめは?」

「今日は頼むならこれ一本、っていう極上品がありますぜ」

「ほう?」

「バルガント伯領産の赤、それも八十二年ものでさ。十本ほどまとめて入っていまして」

 バルガント伯領とは、ワインの名産地として有名なのだとか。

 酒好きであるマーシャは、数ある酒類の中でも特にワインを好んで飲む。バルガント産のワインと聞いて、マーシャの眼がにわかに輝きだした。

「なんと! それは見逃せぬ。店主、あるだけ全部持ってきてくれ」

「全部ですかい? しかし勘定のほうは結構な額になりますぜ」

「構わぬ。今日はヴァートの歓迎会だ、豪勢にいこう。料理も適当に見繕って、じゃんじゃん持ってきてくれ」

 大量のワインがテーブルに並べられ、本格的な宴会が始まった。

 ピクルスとソーセージの盛り合わせ、牛すね肉の煮込み、魚介のごった煮、挽き肉入りのパイなど料理も所狭しと並べられた。空腹のヴァートは、酒よりもまずは料理だ。

「う、美味うまい……!」

 店主の妻と娘が作っているという料理は、どれも美味であった。

 男所帯のハミルトン道場では、作られる料理はどれも切って焼く程度しか手をかけぬ大雑把なものばかりだった。丁寧に調理された料理が美味に感じるのは当然である。

「ここの料理はどうだ、ヴァート」

「はい、とても美味いです!」

 ヴァートは、すっかり食べるのに夢中だ。山奥のエディーン村で暮らしていたヴァートにとって、魚介をふんだんに使った料理は特に珍しかった。

「この手の大皿料理は、初めは戸惑いましたけれど。慣れれば、これはこれでいいものですわね」

 パメラが取り分けた煮込み料理を食べるミネルヴァの手つきは、場違いなほど優雅である。

「わが師も、料理と武術はレンが世界一、と常々申しておりましたなぁ」

 アイがしみじみ語る。その料理を食す速度は、とんでもなく速い。男であるヴァートと比べても、段違いに速い。飲むほうも同様である。

「うむ、いい香りだ……まさに至福」

 マーシャはワイングラスを傾けつつ、うっとりと目を細めている。

 パメラは侍女としての本分を全うすべく、皆に料理を取り分けたり空いたグラスにワインを注いだりしていたが、ミネルヴァに「もういいからパメラもお座りなさい」と言われ、ようやく席についた。パメラが店主に頼んだのは、きわめて度数の高い蒸留酒だった。

 会話をしつつ、飲み食いすることしばらくして。

 最初に出来上がった・・・・・・のは、ミネルヴァだった。

「……あなた、先生に息子なんて呼ばれたからって調子に乗るんじゃありませんわよ」

 据わった眼つきで、ヴァートに絡み始めた。

「いや、そんなつもりは……」

「私なんか、先生と初めて会ってもう十六年になるんですからね。ちょっと世話になっただけのあなたとは、年季が違いますのよ」

 と、ヴァートの肩に手を回しながらよくわからない対抗心を燃やしている。ヴァートは慣れない女性の柔肌の感覚に困惑するが、酔っ払いに対し力任せに振りほどこうとするのが逆効果なのはハミルトン道場での酒盛りで学習している。

 マーシャに助けを求めようとしたが、こちらもかなり酒が回っているようだ。

「はっはっは。ヴァートも早速ミネルヴァ様と仲良くなったようだ。よきかな、よきかな」

 陽気に笑い続けるマーシャであった。ヴァートの療養中、彼女はここまで深酒をしなかった。ヴァートも初めて見るマーシャの姿だった。

 アイはといえば、いまだに料理を口に運ぶ手を止めない。いったいその小さな身体のどこに、とヴァートが驚くほどの食欲である。しかも、アイはまったく酒に酔ったそぶりをみせない。水のようにワインを流し込みながら、顔色一つ変えないのだ。

「今日は実にいい日だ。ひとつ、いつものをやるとするか。店主!」

 上機嫌のマーシャが、店主に呼びかけた。

 店主が運んできた一本の人参と皿をアイが持ち、マーシャと向き合う。

「さあお集まりの皆様! 今よりマーシャ・グレンヴィルの妙技、ご覧に入れましょうぞ!」

 マーシャが曲芸師のような口上を口にすると、周りの常連客たちから待ってましたと拍手が上がる。この酒場ではよくあることらしい。

 客たちは、「五だ」「俺は四にしておこう」「いや、やっぱり俺も五だ」などと言いながら、めいめいテーブルに硬貨を放り出している。なにか賭け事をしているようだ。

「さあ、アイ!」

 マーシャの合図で、アイが人参を放り投げた。

「ふッ!」

 瞬間、マーシャの手元から幾筋もの光芒が放たれた。そして、人参は綺麗に七等分された状態でアイが手にした皿に落ちた。

 マーシャは腰の剣を抜き放ちざま、空中の人参を六度にわたって切断したのである。客たちは、マーシャが剣を抜く手すら見えなかっただろう。修行を積んだヴァートですら、全ての剣筋を見切ることはできなかった。

 常連たちは、やんやの喝采を送った。ちなみに彼らが賭けの対象としたのは、マーシャが人参を何等分にできるかということだ。

「げぇっ、新記録じゃねぇか!」

「ああ、こいつは一本取られたな」

 七という結果を当てた者はいない。この場合、掛け金はマーシャの総取りとなるらしく、ヴァートたちのテーブルには大量の小銭が集まった。

「よしよし、これで今日の勘定の足しになるな」

 マーシャはますます上機嫌だ。

「某もひとつご覧に入れよう。ヴァート、手伝いを願いたい」

 アイが、裸足になって進み出た。ヴァートは言われるまま、頭の上にガラスの空瓶を乗せて立った。

「絶対に動いてはいけないでござるよ……破ッ!」

 アイは高く跳躍すると、回し蹴りを放った。

 かちんと、ガラス製のものが床に落ちる音がする。頭の上には瓶が載ったまま。何かと思ってヴァートが見ると、それは瓶の首の部分だった。

 アイは、蹴りでもってガラス瓶の首を切断してみせたのだ。

 またも、大きな喝采が起こる。

(とんでもない宴会芸だな……しかし、こんなところで披露するのはもったいない気が……)

 ヴァートは二人の技術に感心するやら、呆れるやらである。

「それじゃあ、わらひも……」

 すっかり呂律が回らなくなったミネルヴァが立ち上がる。パメラが、そっとミネルヴァの愛剣を差し出す。

「ちょっと待った、その状態のミネルヴァさんに芸をさせちゃ駄目だ!」

「邪魔をしないでくださいます? らいたい、あなたは……」

 足下も覚束ないミネルヴァは、ふたたびヴァートに絡み始める。マーシャとアイは笑って見守るのみだ。

「ああ、もうどうすりゃいいんだ!」

 こうして、楽しい宴は続くのだった。


「いつでも来て、とは言ったけど、まさか昨日の今日で来るとは思わなかったよ」

 腫れ上がったヴァートの頬に膏薬を貼りながら、ファイナが苦笑した。ここはホプキンズ医師の診療所だ。往診で不在の老医師に代わり、ファイナが診察に当たっているところである。

「いててて……それを言われると恥ずかしいな」

 酒場で歓迎を受けてから一夜明けた翌朝のことだ。

 早速マーシャに稽古をつけてもらう気であったヴァートだったが、マーシャは惰眠を貪り続け起きてくる気配を見せない。代わりに、すでに朝の稽古に入っていたアイとミネルヴァに相手をしてもらうことになったのである。

 まずはアイと立ち会ったヴァートであったが――なす術もなく、アイの強烈な一撃を食らってしまったのだ。

 前日、ミネルヴァとの乱取りを盗み見し、アイの速度はおおよそ把握していたつもりであったが――遠目から見るのと、実際に相対するのとでは大違いであった。

 マーシャも、女性としてはきわめて高い身体能力を持っている。しかし、それでも鍛えこんだ男の水準には達しないため、マーシャは超絶的な技巧でその差を補っている。

 アイの場合、単純な身体能力がべらぼうに高いのである。特筆すべきは俊敏性だ。その踏み込みの速いことといったらまるで疾風で、ヴァートの目に残像が残ったほどだ。男女の性差というものを軽く超越した速度であった。

 剣を構えてアイに対峙したヴァートであったが、一撃を繰り出す暇も与えられずに懐に入られると、下段蹴りで体勢を崩され、横っ面に掌打を叩き込まれてしまった。

「うん、これでよし。次はお腹を見せて」

 ヴァートが、シャツをめくり上げる。脇腹辺りに、大きな青あざができていた。こちらは、ミネルヴァの木剣によるものだ。

 アイのときと比べれば、善戦はしただろう。しかし、梃子の原理と回転の力、そして自らの体重と剣の重量を十二分に利用したミネルヴァの剣技は力強く、大雑把な攻撃になりがちな両手大剣を扱いながらも意外に隙がない。その剣圧に耐えかねて防御を崩されると、脇腹に横薙ぎの一撃である。革の胴鎧越しながら、内臓が口からはみ出るかと思うほどの威力であった。

「骨に異常はないみたいね。こっちは、とくに処置の必要はないわ。湿布くらいなら出してあげられるけど、いる?」

「いや、いい。そもそも、顔を腫らしたままじゃ街も歩くにも体裁が悪いだろう、って言われてここに来ただけだし」

 この程度の怪我なら、ハミルトン道場にいた頃は日常茶飯事であった。当時は、出血が酷かったり骨を痛めたりしたとき以外、ろくに手当てもされなかったものだ。

「まあ、さすがにその顔じゃ街の人に変な顔されちゃうわね」

 ファイナがくすくすと笑った。

 たしかに、この診療所に来るまで、すれ違う人たちから奇異の眼で見られていたのは間違いない。

 北国の寒村で暮らしていたころは、人の目など気にしたことがなかったのだが――田舎者丸出しの服装も、伸ばし放題の髪も、ここ大都会レンでは目立つ気がしてきた。

「うーん、少しは外見なりも気にしたほうがいいのかな」

「そうねぇ。でも、ヴァート君がちゃんとした格好したら、街の女の子にきゃあきゃあ言われるかもね」

「女の子が? なんでだ?」

 ヴァートはどことなくあどけなさが残る顔立ちだが、厳しい修行によって培われた精悍さ、男らしさも併せ持っている。鍛え込まれた身体は引き締まっており、背が低めなことを除いては女性受けする要素が揃っているといえる。

 しかし、言うところの社会経験が乏しいため、ヴァートは自分の外見が周りからどう評価されるのか、まったく無自覚である。

「それにしても……あの二人、凄いなぁ。ハミルトン師匠のところの先輩たちより断然強いんじゃないか。王都には、あんな武術家がいっぱいいるのか?」

 マーシャという存在を知るヴァートは、相手が女性だからといって油断などしなかった。しかし、結果は完敗であった。さらに言えば、アイとは剣対素手という圧倒的に有利な状況下での立ち会いである。ハミルトン道場での荒行で多少なりともついたヴァートの自信は、早くも打ち砕かれようとしていた。

「あの二人は特別。ミネルヴァ様はどこの道場でも師範代くらいは楽に務まるだろうし、アイさんなんか下手したら三大賜杯の一つくらい取れるんじゃないかなぁ」

 王室が主催する武術大会の中でも、特に権威のある三つの大会が俗に三大賜杯と呼ばれるもので、国内に数え切れないほどある武術大会の中でも最高峰とされる。

 ハミルトンはそのうちの一つ、トランヴァル杯の覇者であり、マーシャは数少ない三大賜杯完全制覇を達成した武術家である。このくらいはヴァートも聞き知っていた。

「マジかよ……三大賜杯って」

「あたしは武術に関しては嘘も冗談も言わないよ。知ってるでしょ」

 ファイナの武術に関する知識は折り紙つきである。怪我で臥せっていた頃、枕元で散々彼女の薀蓄を聞かされたヴァートだけに、その話を信じないわけにはいかない。

「あと、あのパメラさんって人は何者なんだ」

「あの人のことは私も良く知らないけど……何かあったの?」

「い、いや、なんでもないんだ」

 彼女が着替ているところに踏み込んだことを説明するわけにもいかず、ヴァートは手を振って話を打ち切った。ヴァートの背後を取った動き――パメラが只者でないことは明らかだが、謎は深まるばかりだ。

「しかし……あんな腕利き揃いの中で、俺はついて行けるのか不安になってきたよ」

「その気持ちはわからないこともないわね。あたしの目から見ても、桜蓮荘は異常な場所だし。あれだけの腕前を持った人が一つ屋根の下で暮らしてて、しかもみんな女の人なんだから。国中探してもそんな場所はほかにないでしょうね。でも、逆にヴァート君にとってはいい環境なんじゃない?」

 ある意味、ハミルトン道場よりも過酷な環境だ。実力を伸ばすにはもってこいであると言えるかも知れない。

「ヴァート君はミネルヴァさんよりも若いんだし、まだまだこれからだよ。身体の伸び盛りと武術の伸び盛りは必ずしも一致しない、って先生も言ってたし。それに、ちょっとしたきっかけで一気に成長する、ってのは武術界ではよくある話でね。たとえば、かの剣聖シルヴェストの弟子でマルグリット杯を二度制したマッカランは――」

「あっ、俺はそろそろ戻るよ。ありがとう、ファイナさん」

 ファイナが武術の薀蓄を語り出すと長くなる。ヴァートは礼を述べると、そそくさと診療所を辞去した。

「そうだな。俺ももっと精進しなきゃ」

 強くなる――マーシャのもとを旅立った日に胸に抱いた決意を、ここでまた新たにするヴァートであった。

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