第5話

 王都レンは、春を迎えていた。

 優しく吹く風は温かく、咲き乱れる季節の花々は街を鮮やかに彩る。

 春の訪れは、人の心を浮き立たせる。レンを行きかう人々の表情は一様に明るく、街は一層の賑わいを見せていた。

 レンから北東の郊外。シーラム島北部から延びる街道を、一台の荷馬車がゆっくりとレンに向かっていた。そこは区分的にまだレンのうちではなく、辺りにはのどかな田園風景が広がる。街道を行く人の数もまばらだ。

 馬車を御しているのは、農夫ふうの初老の男だった。農産物を王都に出荷しに行くところなのだろう。荷台では一人の青年が身を横たえ、静かな寝息を立てていた。

「おおい兄さん、そろそろだぞ。起きてくれ」

「……ん、ああ、ありがとう、親父さん」

 青年は身を起こすと、大きく伸びをした。無造作にまとめられた伸び放題の金髪が、そよ風に揺れる。背は高くないが、その肉体には厚みがあり、服の上からでも鍛えこまれているのがわかる。

 青年が前方に視線を向けると、そこには近づきつつある大都市レンの街並みがあった。ひときわ高くそびえるのは、王の住居たるレン城の天守キープだ。

「だいたい三年半ぶり、か。懐かしいな」

「兄さん、レンにいたことがあるのかい」

「ああ、何ヶ月かの間だったけどな」

「へえ、羨ましいなぁ。俺もレンには年に何回も行くが、荷物を下ろしたらいつもすぐにとんぼ返りだ。たまにはカミさん連れて、ゆっくり観光でもしてみたいもんだよ」

「俺の場合観光じゃなかったんだが……住んでたのは三月かそこらだけど、俺にとってはあそこは故郷ふるさとみたいなもんなんだよ」

「故郷ねぇ。まあ、自分が故郷だと思う場所が故郷さ。そんなこともあるんだろうさ……おっといけねぇ、通り過ぎちまうところだった」

 農夫が手綱を引き、馬車は四つ辻の手前で止まった。

「兄さん、下町のほうに行くんだろ。じゃあ、ここでお別れだ」

 農夫は辻の一方を指差した。

「あっちに向かえば、ゼルフェン街道ってでかい通りに突き当たる。あとは道なりに進めば東の大門、そいつを潜れば下町だ」

「親父さん、これ少ないけど送り賃」

 青年が差し出した硬貨を、農夫は受け取らなかった。

「これからレンで暮らすんだろう? ならそいつは取っておきな。都会の暮らしはなにかと金がかかるからな。こんなところで無駄遣いしちゃいけねぇよ」

 人のよさそうな笑顔で、農夫は言った。

「弁当まで分けてもらったのに……悪いな、親父さん。ありがたくお言葉に甘えさせてもらうよ」

「ああ。達者でな」

 農夫に手を振ると、青年は歩き出した。一歩ごとに、腰に吊るした剣がかちゃかちゃと音を立てる。

 背筋はしゃんと伸び、踏み出す足は力強い。顔つきには若干のあどけなさが残るものの、引き結ばれた口元からは意志の強さが覗える。精悍さをたたえた瞳は、綺麗な翠色をしていた。

 マーシャと別れてから三年数ヶ月が経過した、ヴァート少年の成長した姿であった。


 農夫の言葉通り進んだヴァートは、程なくしてレン東の大門に辿り着いた。

 レンがシーラントの王都とされるはるか以前の建造物である巨大な石造りの大門は、門というよりも城砦に近く、優美さはないが見る者を圧倒する力強さが備わっている。幾多の戦乱を経験してきた門の外壁には、矢や弾丸が刻んだのであろう無数の傷跡が残されていた。

 ここは名所のひとつとなっており、初めてレンを訪れたであろう旅人たちが、門を見上げては感嘆の声を上げている。

「俺も、三年前はここを通ったんだよなぁ」

 ヴァートは感慨深げに門を見上げる。

「いかん、なんか緊張してきた」

 当然、最初に向かうのは桜蓮荘だ。しかし、女神の如く敬愛するマーシャとの再開の瞬間を思うと、緊張するのも無理はない。

「その程度でこころ動くとは、修行が足りん! って、師匠なら言うだろうな」

 ハミルトンの厳めしい顔を思い出しながら、ヴァートはふたたび歩き始めた。


「さすが王都、凄い人だな」

 人ごみに揉まれながら、ヴァートがひとりごちた。数歩ごとに物売りに声をかけられ、道は先を急ぐ荷馬車で大混雑している。山奥の寒村で三年以上を過ごしたヴァートが、王都の賑わいに圧倒されるのも無理からぬことだ。

 そして、王都にいたころも桜蓮荘からほとんど出たことがなかったヴァートが道に迷うのも必然であった。

「まいったな……ここはどこなんだ」

 道沿いの所々に立つ案内板を頼りに歩いてきたが、この下町はレンでも古い街であり、道は煩雑で曲がりくねっている。

「誰かに道を聞いたほうがよさそうだ……ん? なんだ?」

 通りの先に、人だかりができていた。

 ヴァートが人垣の中心を覗くと、そこでは一人の女性と三人の男が対峙していた。

「あなたたち、こんな子供になんてことするの!」

 栗色の髪をした女性だった。町娘ふうの服の上から白衣を羽織っている。女性の足下では、頬を赤く腫らした子供が泣き崩れていた。

「あァん? なんだテメェは。関係ない奴は引っ込んでな」

 男の一人が、女性にがなり立てた。獅子ライオンドラゴンが刺繍された派手な上着を肩にかけ、きつい色の硝子ガラス球をあしらった首輪や腕輪をいくつも身につけた、柄の悪そうな男たちだ。三人とも腰から剣を吊っている。頬や鼻は赤く、酒に酔っている様子である。

「子供を殴るような連中を、放っておけるわけないでしょ!」

「はン。この餓鬼が、勝手に俺の剣に触りやがったんだ。剣は剣士の誇りそのものだ。当然の報いだろうが」

「はっ! 子供を殴るような奴が偉そうに剣士の誇りを語るなんて、笑わせるわね」

 凄む男たちに対し一歩も退かない女性であるが――

(ちょっと不味いんじゃないか)

 男たちは、完全に頭に血が上っている。堪えかねた一人の男が、女性の襟元を掴んだ。

「もう勘弁ならねぇ。オイ、姉ちゃん、女だからって容赦しねぇぞ!」

 まくし立てる男を、仲間の一人が押し留めた。どうやら、この男が頭目格らしい。

「なあ、俺たちも女を殴る趣味はねぇんだ。詫びを入れりゃ、許してやらねぇこともねぇ」

「あんたらみたいな奴に謝るくらいなら死んだほうがマシよ」

「そうか、わかった。おい、ちょいと痛い目みてもらうとしようぜ」

 頭目格が、二人に目配せした。男たちはみなこめかみに青筋を立て、獰猛な表情を浮かべている。

「やべぇぞ!」

「誰か警備部、いや先生・・呼んで来い!」

 遠巻きに見ていた野次馬たちも、にわかにざわつき出した。

 とうとう、男の一人が拳を振り上げる。しかし――その拳が女性に届くことはなかった。

「そこまでだ」

 女性の危機を救ったのは、ヴァートだった。男の手首を掴むと、ぐいと女性から引き離す。男が怯んだ隙に、素早く女性と子供を背中にかばった。

「何しやがる、テメェ!」

「それはこっちの台詞だ、おっさん。往来の真ん中で女に手を出そうなんざ、武術家のやることじゃないだろ」

「ケッ、テメェも剣を吊ってるな。剣士が相手なら、俺たちも手加減はしねぇ。怪我したくなかったら引っ込んでるんだな」

 頭目格が、剣の柄を手にとって剣身を僅かに覗かせた。脅しのつもりなのだろう。

「そうも言ってられないな。こんな状況で尻尾巻いて逃げたなんて、師匠に知られたら殺されちまうよ」

 ヴァートは、またもハミルトンの顔を思い出して苦笑した。

 三人の男は一斉に剣を抜いた。野次馬たちから悲鳴が上がる。

「そこまで言うなら決闘だ。てめぇも剣士なら逃げるんじゃねぇぞ」

 頭目格が首筋に親指を当て、横一文字に引いた。略式ではあるが、古式に則った決闘を申し込む作法である。

 ヴァートはそれに答え、右手の親指を地面に向けた。こちらも略式の作法である。

「ちょっとあなた、止しなさい! 悪いのはあいつらなんだから、正々堂々相手する必要なんてないのよ!」

 双方合意の決闘となれば、たとえ相手を殺傷したとしても罪には問われない。もしヴァートが負けるようなことがあれば、ただのやられ損となってしまうのだ。

 女性の言葉を、ヴァートは片手で制した。

「下がって」

 短く告げる。

「三人まとめてでもいいぜ。来いよ」

 ヴァートの挑発に、男たちは乗らなかった。一対一でなければ、決闘の正当性が失われてしまうからだ。男たちは、一対一でも自分たちが負けるとは毛の先ほども考えていない。

「俺から行くぜ。兄ちゃん、抜きな」

 ヴァートは口元に微笑を浮かべたまま、剣に手をかけようともしない。

 虚仮にされたとでも思ったのだろう。いきり立った男が、大上段から斬りかかった。

 凄惨な結末を予感した野次馬たちは、思わず目を背ける。

 ヴァートが斬られた――誰もがそう思っただろう。しかし地面に倒れているのはヴァートではなく斬りかかった男のほうだった。

 ヴァートは男の斬撃を紙一重で避け、男の顎とみぞおちに続けざま掌打を叩き込んだのであるが――その動きを見切った者は、その場に一人もいなかった。

「んなっ!? この野郎、次は俺だ!」

 二人目が、ヴァートに襲い掛かった。剣を両手に持ち、ヴァートの胸元めがけ鋭く突きを放つ。

 ヴァートはこれを苦もなく避けると、素早く側面に回りこむや、男の膝裏をすくうように強く蹴り上げた。男の身体が宙を舞ったところで、喉元に手刀を叩き込む。男は絞められた鶏のような声を上げ、地面をのた打ち回る。

「さあ、残るはあんただけだぜ」

 ヴァートは、頭目格の男へ鋭い視線を向ける。

「多少は使えるようだな。しかし、俺はそこの二人とは一味違うぜ」

 確かに、頭目格は一段上の力を持っているようだ。そうヴァートは見取った。

「おおおッ!」

 気合声を発し、頭目格が踏み込んだ。先ほどの二人よりも、はるかに鋭い踏み込みだった。しかし――

「遅い」

 ヴァートが剣の柄に手をかける。その瞬間、二人の身体が交錯した。

 頭目格は、自らの剣が空を斬ったことを悟り、ぱっと後ろに跳んで間合いを取った。ふたたび男と正対したヴァートの手には、いつの間にか剣が握られている。

 と、ヴァートが剣を鞘に収めた。

「どうした、なぜ剣を仕舞う――?」

 男が言いかけたときである。男の胸元から、はらりと白い布が落ちた。

 一瞬で剣を抜き放ったヴァートが、すれ違いざまに凄まじい速度の二連撃を放ち、男のシャツを切り裂いたのだ。

「これ以上やるって言うなら、俺も容赦しない。次はかすり傷じゃ済まさないぜ」

 ヴァートが、一歩前に出る。

「く、来るなっ!」

 頭目格は、完全に圧倒されていた。ヴァートがふたたび剣の柄に手をやると、弾かれたようにその場から逃げ出した。

「あの野郎、仲間を置いて行っちまったぞ」

 ヴァートが肩を竦めたところで、野次馬たちからどっと喝采が上がった。ヴァートは照れくさそうに頭をかく。

「あっ、あの、助かりました! ありがとうございます」

 先ほどの白衣の女性が、ヴァートに駆け寄った。

「いや、あんたも怪我がなくて良かった。でも、あんまり無茶しちゃダメだ」

「ごめんなさい……でもあたし、ああいう武術家くずれは許せないんです。人よりも強い力を持っているのに、それを弱い者苛めに使うような連中が」

 女性が、頬を紅潮させて憤る。

 魅力的な女性だった。明るい色の目はぱっちりとしていて、鼻筋や唇の形も整っている。身長はやや低めだが、胸元の膨らみは平均的な大きさをはるかに上回る。世間に疎いヴァートでも、彼女の女性的な魅力が十分にわかった。

「あっ、そうだ。なにかお礼しなくちゃ」

 ぽん、と女性が手を叩く。

「それには及ばない――いや、そうだ。一つ頼まれてくれるかな」

「もちろん。なんでも言ってください」

「道を教えて欲しい。恥ずかしながら迷ってしまったんだ」

「ああ、この辺りは道がわかりにくいですからね。どこへ行くんですか?」

「ロータス街に、マーシャ・グレンヴィルっていう人が住んでるはずなんだが」

「マーシャ先生? それならお安いご用――って、あなた――」

 と、女性がヴァートの顔をしげしげと見つめ始めた。

「あなた、どこかで会ったこと――」

 女性の視線が、一点で止まった。ヴァートの翠色の瞳である。

「ああっ! あなた、もしかしてヴァート君!?」

 女性が、頓狂な声を上げた。

「どうしてそれを……!?」

「ほら、あたしだよ。ファイナ。忘れちゃった?」

「えっ、ファイナさん!? 本当に?」

 今度は、ヴァートが驚きの声を上げる番だった。

 無論、ファイナのことは片時も忘れていなかった。しかし、現在のファイナは思い出の中の姿と随分変わっていた。可愛らしいという表現が似合っていたファイナは、三年数ヶ月のときを経てすっかり大人の女性に変貌していた。

 自分が成長した姿に、さぞかし皆は驚くだろう――レンまでの道中、そんなことを考えていたヴァートだったが、驚かされたのは自分のほうだった。

「いやぁ、ヴァート君、立派になったね」

 ヴァートの姿を上から下まで眺めながら、ファイナが漏らした。

「立派になったのはファイナさんのほうじゃ――」

 ファイナの胸部に視線を向けながらそう言いかけ、ヴァートは口をつぐんだ。さすがにそれは、女性に対し失礼に当たるだろう。

「そうだ、早く先生に会いたいでしょ? ほら、行こ」

「あ、ああ。そうだな」

 自分の考えが露見しなかったことに安堵しつつ、ヴァートはファイナの後を追った。

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