第6話 これからの話

 目的を果たした俺たちは、一旦クリスの家へと戻ることにする。家に着く頃にはすでに日も傾いていた。


 朝食の時と同じようにテーブルで向かい合うように座り、クリスが入れてくれたお茶を飲みながら話をする。


「今回は、おぬしのおかげで本当に助かった。……もし儂一人じゃったら、今頃は……」


 それ以上はクリスも言わなかったが、何を言おうとしたのかは分かる。


「何にせよ無事で何よりだな、俺もクリスも」

「あれほどの危険に、おぬしを巻きこむつもりは無かったのじゃ」

「クリスは何も気にする必要はないだろ? 俺は自分で決めてクリスに同行したんだから」

「……そう言ってもらえると儂としても助かるのじゃが」

「それに、俺としても自分の力を知るいい経験になったしな」

「渡り人の力、か……そういえばおぬし、あれはもう自由自在に使いこなせるのか?」

「いや、まだ無理だな。自分でもどうやったのか理解もしてないし。まあでも、あれだけのことが出来ると分かっただけでも充分だ」


 ドラゴンを倒した瞬間のあの力はまだ扱いこなすことは出来ていないが、まああれが必要になることもそうそう無いだろう。焦って習得する必要も、だから無いはずだ。


 それにあれが無くても、どうやら俺は充分に強いらしい。


「そうか……それでシン、おぬしはこれからどうするつもりなのじゃ?」

「これから?」

「うむ。慣れない異世界ではあるじゃろうが、それだけの力があれば生きていくだけなら特に苦労もないじゃろう」


 ああ、そういうことか。今までゆっくりと考える機会はなかったが、それは遠からずぶち当たる問題だった。


 ――これから、か。


 しかし色々考えようにも、現状だと情報が少なすぎて決めようがなかった。

 何をするにしても、まずはこの世界のことを知る必要があるだろう。


「とりあえずは大きな街にでも行ってみようかなと思う。その後のことは、その時に考えるよ」

「ふむ……まずこの世界のことを知らねば、判断もつかんか」


 クリスはそう言うと少し考えるように目を伏せた。

 ――あれ、もしかしてこのパターンは。

 そして、どうやら俺の予想は正しかったようだ。


「よし、決めた。儂もおぬしに同行するとしよう」

「やっぱりか。……いや、ありがたいというか、普通に嬉しいけど……いいのか?」

「うむ。渡り人としてでなく、シンという人間自体に興味が湧いたのでな」

「興味本位かよ」

「あはは。まあそう言うでない。右も左も分からぬ異世界なら、ガイドはいた方が便利じゃぞ?」

「まあクリスが来てくれるなら心強いけどさ」

「それも治癒魔法まで使えるとびっきり美人の魔法使いじゃしな」


 ……美人?


 俺は疑問形でクリスを見る。

 確かに将来的には美人になるとは思うが、現状はせいぜい美少女というところだった。

 ああ、でもクリスはすでに百歳を越えているという話だし……将来的ってそれ、俺が生きている間の話になるのか?


「……何じゃ、その目は?」

「いや、クリスの体ってこの先成長するのかなって」

「……ふむ? それはあれかの? おぬしはボンキュッボンの方が好みじゃとか、そういう話か?」

「どうしてそうなった」

「人間の男はおぬしくらいの年齢になると、そういう性的嗜好に目覚めるのじゃろ?」

「性的嗜好言うな。というか違うからな?」

「……ふむ。つまりシンとしては、成長せずに幼いままの方が良いと」

「いや、そうは言ってない」

「確かに儂ならおぬしの特殊な性癖も合法的に満たせるから安心じゃな!」

「全然安心じゃねぇよ!」


 クリスの外見について少しからかおうかと思ったら、思いもよらない角度から反撃を食らってしまった。

 その辺りはさすがに百年以上生きているだけあって、全く動じないというか何とも強かだ。

 ……まあ何にせよクリスがついてきてくれるというなら、それは俺にとっても嬉しい話だった。


 そんな形でとりあえずの方針が立ったところで、クリスの提案で晩飯にする。

 料理を手伝ってみたが、異世界といっても人間が生きている以上、その様式が大きく変わることもないらしい。料理の完成までの手順で特に戸惑うことはなかった。


 そうして食事中の話題として、俺は過去にもいたという渡り人について訊いてみることにする。


「過去の渡り人たちはどうしてたんだ? 元の世界に帰った人とかもいるのか?」

「とりあえず言えるのは、元の世界に帰った者は一人もおらんということじゃな」

「それは帰る方法がそもそも存在しないからか?」

「そのとおりじゃ……やはりおぬしは、帰りたいのか?」

「いや、別にそういうわけじゃないけど」


 これは特に強がりというわけではない。

 とはいえ、やっぱり元の世界には帰れないようだ。まあそれは想像していたというか、何となくこの世界に来た段階で感じていたことだった。

 その時のことはよく覚えてはいないけれど、俺は元の世界で死んだのだと思う。


 ――何事もなさず、何者にもならずに。


 そんな俺がこの世界にやってきたというのは、もう一度やり直すチャンスということだ。

 とりあえずは、そんなチャンスを貰えただけラッキーだと思うことにする。


「……渡り人の中には歴史に名を残しておる者も少なくない。戦争の英雄、王となった者、発明家、他にも様々じゃな。もちろん平穏な暮らしを手に入れた者もおるし……悪い意味で名を残した者もおるのじゃが」


 悪い意味というのはおそらく大量殺人者のようなものだ。

 強大な力は必ずしも人にとって良い意味で働くとは限らない。


 ――そのまま少し考えてみる。


 英雄、王、発明家……どれも俺には合わないな。

 かといって平穏な暮らし、というのも何というか夢がない。


 まあ急いで決める必要もないか。

 とりあえずはこの世界のことを知ろう。

 子供の頃に誰もが一度は憧れただろう、ジュヴナイル小説のような剣と魔法の冒険の世界。

 せっかくの異世界なのだから、隅々まで楽しんでいきたいところだ。


「――そういえば、この世界って名前とかないのか?」

「世界自体には名前はないのう。大陸の名前ならマルカリア大陸と言うが」


 世界自体には名前がないのか。言われてみれば俺の元いた世界も名前があったわけじゃないか。

 地球というのは星の名前だし、そもそも普通は世界なんて一つしかないのだから区別するための名前が必要ないのだろう。


「とりあえず、明日にでも大きな街を目指そうと思うんだけど」

「ふむ、それなら東を目指すべきじゃな。数時間も行けば、この大陸最大の宗教であるユーニス教の聖地『聖都イニスカルラ』がある」

「……ちなみに他の方角は?」

「西はずっと森が広がっておって、それを抜けると魔族や亜人種が住む地域になる。南西の半島は広大な砂漠が広がっておるので準備なしで越えるは無理じゃ。北の山岳越えも同様じゃな」


 魔族や亜人種というのも興味はあるけど、最初の交流相手に選ぶのは少し勇気がいる。気持ち的にはもう少しこの世界に慣れてからにしたい。

 となると、確かにクリスの言うとおり東を目指すのが得策のようだ。


「大陸の中心に位置するイニスカルラは、文字通り世界の中心とも言える場所じゃ。様々な国や地域から人間や魔族、亜人種もやってくるので、この世界のことを知るには最適な街じゃろうな」

「ん、ユーニス教っていうのは、人間以外も信仰しているのか?」

「うむ。ユーニスは創世を司った女神の名での。全ての生命の根源とも言えるので、人間だけの神というわけではないのじゃ」

「なるほど」

「……とはいえ教団の指導者である『聖母』は歴史上、人間からしか選ばれておらんのも事実じゃがな」

「……? どういう意味だ?」

「さあのう。そこに何か意味があるのか、はたまた単なる偶然なのか。それこそ、神のみぞ知る、という奴じゃろうな」


 そんな風に冗談めかしてクリスは笑う。

 しかし何というか、胡散臭いとまではいかないにしろ、何か秘密がありそうな宗教ではあるということだ。

 その辺りも含めて、まずは自分の目でこの世界を見て知っていく必要がある。


 そうしてこそ、俺はこの世界でもう一度やり直すことに、意味を持たせられるようになるはずだ。


 俺はこの世界で何をするのか。何をしたいのか。何をするべきなのか。

 今はまだ何一つとして確かなものはないけれど。

 だからこそ俺は、自分の心の中で静かに宣言した。


 ――ここで何をするかは、自分で決める。


 それは何事もなさず、何者にもならずに死んだ、過去の自分に対する誓いだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る