第5話 竜殺し
異世界に渡ってきて、いきなり死にかけた俺がドラゴンを倒せると言って、それを信じられるような人間はいるだろうか?
――全く、馬鹿げた話だ。
常識的に考えれば、そんなことは不可能に決まっている。
それでも――。
「――四十秒……いや、三十秒じゃ。三十秒あれば、あの障壁は貫ける」
「分かった。クリスは全力で下がってくれ。三十秒……その間、あのドラゴンの攻撃は俺が全部引き受ける」
「……それでも、儂の魔法ではおそらく致命傷を与えることは出来んぞ?」
「ああ、それで充分だ」
俺がそう言うと、特に合図もなく俺は前に出て、クリスは後ろへと下がった。
その動きを感じ取ったのか、ドラゴンはすかさずブレスを吐く。狙いはクリスだ。
さっきまではクリス自身が防御のために魔法を発動させて対処していたが、攻撃のための魔法を準備している今のクリスは完全に無防備だった。
俺がしくじれば、クリスは間違いなく死ぬ。
それでもクリスは下がりながら魔法の準備を続けていた。
――結局のところ、クリスの心の中なんて俺には分からない。まだ出会って二日、そんな理解しあえるような間柄でもない。
口でいくら渡り人の凄さを語られても、それだけで果たして本当に信頼に足るものなのか、俺には理解するだけの時間も知識もなかった。
心は見えない。言葉は嘘かも知れない。
けれど、それでも――その行動は、きっと真実だ。
クリスは俺に命を預けた。だったら、俺はそれに応えなければならない。
「炎剣――『フレイムソード』」
俺は魔法を起動して、その炎を剣に纏わせる。
そうして五メートルほどの炎柱になった剣を、俺はただ真っ直ぐにブレスに対して振りおろした。
炎と炎がぶつかりあう。行き場をなくした炎は横に逸れ、そして自身の熱によって生じた上昇気流に乗って立ち上るようにして、やがて消えて無くなる。
剣を振りおろした時点で俺の魔法は消滅していたが、俺はそのまま前に走り、ドラゴンの首めがけて横薙ぎに剣を叩きつけた。
しかし、カンッ、と岩でも叩いたような音と手ごたえで弾かれる。魔法障壁だ。
「ちっ、やっぱりか」
攻撃の直後なら魔法障壁は展開されていないのではと考えて反撃してみたが、予想していた通りそんな甘いことはなかった。
ただそれでも、全く響かないというわけではないらしい。ドラゴンの注意がこちらに向いたのを俺は感じた。
その隙にクリスは何とか安全圏まで後退出来たようだ。
そうなれば、あとは俺がドラゴンの攻撃を捌ききれるかどうかだった。
ドラゴンの二発目のブレスが俺を狙って放たれる。その直前に俺はドラゴンの体の真横に向かって回避行動を取った。
ドラゴンは首を振るようにして俺を焼き払おうとするが、さっきよりも距離が近いため、ドラゴンの横に回り込もうとする俺の回避速度の方が勝る。
するとドラゴンはすかさず尻尾を振りまわすようにして俺の進路を薙ぎ払ってくる。俺は距離を離すように跳んで、何とか尻尾を回避したが、そこを狙っていたとばかりに三発目のブレスが放たれた。距離が離れてしまったので、横への回避は出来ない。
「炎撃――『ファイアボール』」
炎撃のカテゴリーの中でも、最も初歩的な魔法を俺は発動させる。
それは単純に上位のフレイムストライクを発動させるための時間がなかっただけで、特別な狙いがあるわけではない。
ただその選択のおかげで何とかぎりぎりで魔法が間に合った。俺はその魔法をブレスにぶつけて回避するための一瞬の隙間を作る。
魔法さえ使えばブレス自体への対処はまだ何とか可能だったが、俺は魔法の発動にまだ慣れていないので、基本的な魔法ですら連射出来ないのが辛いところだった。
クリスだったら、低位の魔法はほぼノーモーションで連続して発動させることが出来る。
これが終わったらもっとしっかりとクリスに魔法を習おうと思った。
俺がそんなことを考えていると、ブレスだけでは埒が明かないと判断したのか、ドラゴンはその大きな翼を羽ばたかせて風を起こす。
次の瞬間、立っているのがやっとというくらいの強風が吹き荒れた。周囲の木々が何本も倒れていく。
俺は何とかその場に踏みとどまろうと、体勢を低くして耐えた。
しかしそこに、ドラゴンは四発目のブレスを吐いた。
――回避するのは無理だった。かといって魔法を発動させようにも、少しだけ時間が足りない。
そんな絶望的な状況で、クリスも褒めた俺の渡り人としての戦闘勘が、これしかないという選択肢を瞬時に選び取る。
俺は地面を蹴り、強風に吹き飛ばされるように、そのまま後ろへと跳んだ。
そんな俺の眼前に迫るドラゴンのブレス。焼けるような熱を肌で感じる。
そんなぎりぎりのタイミングだったが、俺は後ろに跳ねたことで稼いだほんのわずかな時間のおかげで魔法を完成させることが出来た。
「風術――『ホールゲイル』」
地面に叩きつけるように発動させた風の魔法は、その場で真上に巻き上がるような突風を発生させた。
火の魔法ほどではないが、風も俺の得意系統だ。
ブレスはその突風に吹き飛ばされるようにして、火柱のように空に向かっていった。
俺は転がるように受け身を取って立ち上がり、体勢を整える。
――さて、そろそろか?
「シン、準備出来たのじゃ!」
森のどこからか、クリスの声が聞こえた。
俺はそれに、出来る限りの大声で応える。
「よし、やってくれ!」
そう言うが早いか、俺は真っ直ぐにドラゴンへと駆ける。
――チャンスはおそらく一瞬だ。
「其は永遠にして終焉……氷界――『コキュートス』」
クリスの魔法が発動する。
次の瞬間、ドラゴンの頭上に巨大な魔法陣が展開された。そしてその魔法陣から巨大な氷の剣が発生し、ドラゴンの背中に向かって落ちていく。
ドラゴンに当たる直前に一瞬だけ落下が止まったが、すぐに「パリン」という音と共に魔法障壁が砕け、ドラゴンの背中に氷の剣が突き刺さる。
すると今度はドラゴンの足元に魔法陣が展開され、そこから発生した無数の氷の柱が次々にドラゴンの体を貫いた。
――グガァァァァァァァ。
ドラゴンの苦悶の咆哮が響き渡る。
串刺しにされたドラゴンは、一見すると完全に動きを封じられているようだった。
しかしそれでも何とか抜けだそうと、必死にもがいている。
ドラゴンの持つ魔法抵抗力はそれほどまでに凄まじいものなのか、体を貫いていた氷の柱のいくつかはすでに砕けて消滅していた。
「やはり儂の魔法では、これが限度のようじゃ」
クリスは落胆したような声で言う。けれど、俺にとっては上出来すぎるくらいだった。
クリスの魔法はドラゴンの魔法障壁を貫通しただけでなく、その動きまで止めてくれている。
――あとはドラゴンの魔法障壁が消滅しているこの隙に、俺がこの剣でトドメを刺すだけだった。
俺の持つそれはどこにでもあるような、何の変哲もないロングソードだ。
ただ振るだけではドラゴンの魔法障壁に弾かれる程度の、そんな他愛もない武器。
けれど今、その魔法障壁はクリスの魔法によって砕かれて消滅している。
だから今なら、俺の剣はドラゴンに届く。
届く、けれど――。
――果たしてそんな剣が、ドラゴンを傷つけることは可能なのだろうか?
ましてや、こんな剣でトドメを刺すなんてことが、本当に出来るのだろうか?
普通に考えれば、そんなことは出来るはずがない。
きっと誰だってそう思う。それが常識だ。
常識というものは、俺たちを守ってくれる盾のようなものだと思う。
常識に従って判断すれば、少なくとも大きな間違いを犯すことはなくなるはずだ。
けれど常識に従って考えれば、ドラゴンなんていう化け物に遭遇した俺たちは死ぬしかない。
だとすればそんなことを、俺の心は、きっと認めない。
だから今、この瞬間だけは――。
――常識は、敵だ。
「ウオオオオオオオォオオアアアアアアアア――――ッッ!!!」
俺は叫びながら地面を蹴り、最上段に構えた剣をドラゴンの脳天に叩きつける。
――それは、不思議な感覚だった。
それこそ、時間が止まっているかのような。
世界で動いているのは、自分だけであるかのような。
俺の影さえも、俺より遅れてやってくるかのような。
――まるで光を追い越してしまったかのような、そんな違和感。
そんなことは不可能だと、俺は物理の授業で習った。
けれど、それだって常識だと言うのなら――。
――きっと今この瞬間だけは、俺の感覚の方が正しいはずだ。
次に俺が気付くと、目の前にいたはずのドラゴンは黒い霧となって、かすれるように消えていくところだった。
「……やった、のか…………」
「シン! 凄いのじゃ!」
森のどこからか駆け寄ってきたクリスが、興奮した様子で言った。
その言葉に応えようと、クリスの方に向き直った瞬間、ふと目眩がする。
倒れないように踏ん張ろうとしたが上手く足に力が入らず、俺は膝をついてしゃがみ込んだ。
「……悪い、少し目眩が」
「ふむ……怪我はしておらんようじゃから、おそらくは疲れじゃろうな。……さっきのおぬしの動きは、明らかに人間の限界を越えておった。無理がたたったのじゃろう」
クリスはそう言った。自分でも何をしたのかはよく分からないが、多分クリスの言うとおりなのだと思う。
あの瞬間、ほんの一瞬だったのかも知れないが、それでも俺は人間の限界を越えたのだろう。
常識を打ち破り、不可能を可能にするために、きっとそれが必要なことだったから。
何となくではあるけれど、クリスの言っていた渡り人の持つ力について、少しだけ理解出来たような気がする。
「何にせよ、これでクリスの目的の一つは果たせたんだよな。もう一つの……花の方は、見つからなかったけど」
「……いや、花の方も見つかったようじゃ。ほれ、あれじゃ」
そう言ってクリスはさっきまでドラゴンがいた、さらに奥の方を指差した。俺は顔だけをそっちに向けて見る。
――そこには確かに、光り輝く白い花が生えていた。
その花が強いマナを内包していることは俺にも分かる。それこそ今倒したドラゴンが残した魔石と遜色ないくらいの、強力なマナだった。
「良かったな、クリス。これで、お前の目的は全て達成ってことだよな?」
「……おぬしは、本当に何も訊かないのじゃな。あの花がどういった物であるのかとか、儂がどうしてこのダンジョンを攻略しようとしたのかとか……本当は訊きたいことが、他にもまだまだたくさんあるはずじゃろうに」
「……別に興味がないわけじゃないけどな。……クリスのことも、この世界のことも、もっと知りたいと思ってるし……でも、俺はまだこの世界に来て二日目だぞ? いきなり色んなことを聞いたって、理解が追い付かねぇよ」
「……全く、本当に変わった奴じゃ」
そう言ってクリスはくすりと笑う。
それはどことなく、俺の本音を見透かしたような声色だった。
それでも俺は――。
「……自分では、普通にしているつもりなんだけどな」
――そんな風に、強がりで返すのだった。
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