第4話 想定外の脅威
巨大なクマのような魔物を倒し、俺は一息つく。
「ふぅ……今の魔物は確かにさっきまでとはレベルが違ったな」
この先は手強くなると、クリスが言っていた通りだった。
「あれはキラーグリズリーと言って、危険度で言えばアサルトウルフより上の魔物なのじゃが」
「そうなのか?」
「……全く、おぬしという奴は」
クリスは感心とも呆れとも取れる微妙な反応だった。
確かにあの魔物は強かったのだとは思う。
それでも最初に襲われたアサルトウルフほどの速さも怖さも俺は感じなかった。
理由は分からないが、もしかしたら俺も実戦の中で成長しているのかも知れない。
「しかし、そのキラーグリズリーとかいう強い魔物ですら、このダンジョンのボスではないんだな」
「その様じゃの。一体どんな魔物が巣食っておるのやら……全く、儂がここまで目算を見誤るとはのう……」
「……そういえば想定外だって言ってたな。あと、クリスが今は本調子でないとも」
その割には元気よく強力な魔法をぶっ放していたような気もするが、あれで本調子でないならクリスは一体どれほどの魔法が使えるというのだろうか。
「うむ……この二十年ほどは平和ボケしておってな。勘も腕も鈍っておるのは確かじゃ。全くもって面目ない話なのじゃが」
「は? ……二十年? ……なあクリス、これって訊いていいのか分からないけど、お前は一体何歳なんだよ?」
クリスの見た目はせいぜい十二歳程度の少女だ。だがその口調や、落ち着いた雰囲気、それに知識や魔法の実力などから、見た目通りの年齢でないことは俺も何となく察していた。
俺の常識が通用しないこの世界でのことだからそういうこともあるのだろうと思って、むやみに詮索はしなかったが、話の流れがこうなった以上は気になることではある。
一瞬だけクリスはどこか寂しそうな表情になったが、すぐにそれを隠すように笑って言った。
「……そうじゃな。おぬしになら、話しても良いじゃろう。……儂は、魔族と人のあいだに生まれた混血なのじゃ」
「魔族と人間の混血……?」
「うむ。魔族というのは、人間より長命で魔法の扱いに長けた種族の総称だと思ってくれればよい。儂の場合、見た目は人間と変わらんが、魔法の適正や寿命は魔族由来での。歳は百十……うむ? 百二十じゃったかな? ……とりあえず、百歳はゆうに越えておるのじゃ」
「……なるほど」
「む、驚かんのか?」
「まあ、何か事情がありそうだなとは思っていたからな。それに魔法だの何だの、俺の常識じゃあり得ないことの連続で、正直なところ少し慣れてきた感じがする」
実際のところ、百歳くらい年上という話には驚いているが、それで俺のクリスに対する認識が変わるわけでもない。
クリスは俺の命の恩人であり、依然として信頼に足る人物だった。
「……ふむ。最初会った時から思っておったが、おぬし、変な奴じゃのう」
「そうか? 自分では普通にしているつもりなんだけど」
「そもそも最初会った時から、死にそうになっているくせして妙に落ち着いておったじゃろうが」
「まあ、騒いだからって助かるものでもないだろうし」
「だから、そういうところじゃ! そういうところが変じゃと言っておるのじゃ!」
やっぱり異世界だとそのあたりの感覚も微妙に違うのだろうか。
まあ、だからと言って急に自分を変えられるものでもないので、とりあえず保留することにした。実に日本人らしい対応だと思う。
それでも少し気になったので、俺は尋ねてみることにする。
「渡り人ってのは、この世界だとどういう存在なんだ?」
「どういう存在……うーむ、難しいことを訊くのう。……世界を渡る際に、様々な知識と技能を得るという話はしたじゃろう?」
「ああ」
「まあその延長とも言えるのじゃが……渡り人はこの世界の常識に縛られない、と言われておる」
「常識に縛られない?」
「うむ。儂も詳しくはないのじゃが、この世界の人間では不可能なことを可能にする力がある、らしいのじゃ」
「……抽象的でよく分からないな」
もっと具体的にあれが出来るとか言ってくれたら、俺としても理解がしやすいのだけれど。
「まあ、深く考えなくとも、おぬしはすでに常識外れの強さを身につけておる……戦闘に関しては、この世界でもすでに引く手あまたじゃろう」
「……ん? 俺ってそんなに強いのか?」
剣と魔法が当たり前に存在して、魔物の脅威に常にさらされている世界。
クリスにしてもそうだけど、当然のように実力者はごろごろしているのだろうと俺は思っていた。
だからそれは単純な疑問だ。
「ふむ。まず、一般人であれば最初に襲いかかってきた大ネズミ一体に殺される。十体を越える群れとなれば、どこぞの軍の小隊長クラスでなければ一人で倒すのは難しいじゃろう。キラーグリズリーを一人で狩れるとなれば、国に二十人くらいじゃが……一撃でとなれば、もはや片手で足りるくらいじゃろう」
そこまで来ると、むしろこの世界における魔物の強さに驚いてしまう。
言い換えればパーティーを組んで組織化した戦闘を行うのがこの世界の常識ということだ。
そうであるならば、一人でダンジョン攻略をしようとしていたクリスもまた、常識外れの存在ということになるのだろう。
「けど、クリスだってキラーグリズリーくらいなら一撃で倒せるだろ?」
「充分に距離があって、あらかじめ術式の準備をしてよいのであれば、な。……さっきのおぬしのように遭遇していきなり接近戦になった場合は、小技で牽制しながら戦うから、一撃というわけにはいかんじゃろうな」
その辺りは戦闘スタイルの違いだろうし、不利な状況であっても勝てるというなら充分なように思う。
俺だって遠距離だったら付け焼刃の魔法を撃つ程度しか出来ない訳で、何とかして近づかなければ現状話にならないのだから。
そんな風に話をしながらダンジョンの奥へと進んでいくうちに、ふと俺は違和感を覚えた。
「……なあクリス」
「ふむ、おぬしも気付いたか。さすがじゃのう」
「いや、褒めてくれるのは嬉しいけど……これ、大丈夫なのか?」
俺たちは一旦足を止めて、進行方向を見やりながら言葉を交わす。
この奥からは、これまでのダンジョンに満ちていたマナとは質も量も明らかに異なるマナが溢れてきていた。
空間ごと歪んでいるような感覚で、この先の森の風景は確かに見えているはずなのに、どうしてか上手く認識出来ない。
そんな何とも言えない違和感だけがあった。
例えるなら、この世とあの世の境界線に立っているかのような――。
「間違いなく、ピラーが発生しておる」
「ピラー?」
「柱、という意味じゃ。ダンジョンについては、少しだけ説明したかのう?」
「ああ。確かマナが溜まって、そのマナの影響で変質した場所のことだよな? そしてそのダンジョンは放っておくとマナがどんどん溜まって成長していくって話だったな。つまり単なる小さなほら穴でも、マナが溜まると地下大迷宮になりうる、って感じだと思っているけど」
「うむ、そのとおりじゃ。ただダンジョンの周囲に存在するマナの量には限りがあるので、マナが溜まるといっても大抵はどこかでその成長は頭打ちするのじゃ。けれど時折、ダンジョンの中にそれ自体がマナを生みだす存在が発生したりする」
「それがピラーって訳か」
「そうじゃ。どういう理屈かは分からんが、ピラーはマナを生みだし続け、その影響によってダンジョンはさらに成長していく」
そうして成長を続けたダンジョンは、さらに強力な魔物を生みだすようになる、という話だ。
「おそらく、このダンジョンのボスがピラー化しておるのじゃろう。ここまでダンジョンが成長しておるとは想定外じゃが、何、そう珍しいことでもない」
「……何にせよ、この先のボスを倒すということに変わりはないんだな」
元々、ボスを倒せばダンジョンに溜まっているマナは発散してダンジョン自体が消滅するという話だった。
状況が多少変わっても、目的とその手段に変更はない。
――そのはずだった。
「シン、逃げろ!」
クリスが叫ぶ。
焦りを隠そうともしない、そんなクリスの声を聞くのは、もしかしたら初めてかも知れない。
キラーグリズリーのときは、あくまでも「気をつけろ」といった忠告の意味が強かったような気がする。
けれど今のクリスは、本気で焦っているのだろう。
目前に存在する、想定外の脅威。
クリスはそれに対し、氷の矢の魔法を放つ。
しかし、クリスの魔法はそれに届くことはなく、目前で障壁に阻まれて消滅する。
――ドラゴン。
魔物の中でも、間違いなく最上位に位置するであろう、それ。
今、俺たちの目の前には、確かにそれが立ちはだかっていた。
「逃げろって言われても……逃がしてくれないだろ、あれ」
次の瞬間、ドラゴンが大きく首を振って、口から息を吐いた。その息が灼熱の炎となって、俺を含めた周囲を丸ごと焼き尽くそうと襲いかかる。逃げ場がなかった。
「炎撃――『フレイムストライク』」
俺は咄嗟に魔法を発動して、竜のブレスにぶつける。といっても俺の付け焼刃の魔法では簡単に押し負けてしまう。
けれど炎同士がぶつかったことで、一瞬だけ逃げるチャンスが生まれた。
俺は炎を回避しながら、クリスに声をかける。
「クリス、あれはどうやったら倒せるんだ?」
「無理を言うな! あれはフォレストドラゴン。さっきまで相手にしておった魔獣種の魔物とは根本から異なる幻想種、本物の化け物じゃぞ! 生半可な攻撃は、あの魔法障壁で全て弾かれてしまうのじゃ!」
「魔法障壁……」
さっきクリスの放った氷の矢が消滅した原因はそれか。
つまり、ある一定以下の威力の攻撃は無意味ということなのだろう。
「なあクリス、お前の全力の魔法ならあの障壁は貫通出来るか?」
「それは可能じゃが、ブレスの対処に手いっぱいで、術式を準備する時間がない」
言っているそばからドラゴンのブレスが俺に襲いかかる。文字通り呼吸するような感覚で殺しに来るのだからたまったものではない。
何とかドラゴンのブレスに対処しながら、俺は尋ねた。
「何秒いる?」
「……おぬし、本気で倒すつもりなのか?」
「……? そんなにおかしなことか?」
「常識的に考えれば、百人が百人逃げることを選ぶじゃろうな。成功する確率はゼロに等しいが、それでも戦おうとする者はおるまい」
「常識、か」
確かに、あのフォレストドラゴンとかいう魔物は見るからに別格だ。だからその判断はきっと正しい。
けれどそれは、あくまでこの世界の常識での話だ。
異世界から来た渡り人は、そうしたこの世界の常識に縛られない存在なのだと、クリスは言った。
――それならきっと、出来るはずだ。
「俺の世界の常識では、ドラゴンというのは空想の存在だけど……強さ、恐怖、あるいは悪の象徴ということになっていたな」
「それはこの世界でも大体同じじゃな」
「けど、それでも俺の世界には、ドラゴン退治の物語というのが数えきれないほど存在する」
俺は正面に目を向ける。そこには強さ、恐怖、あるいは悪。それらを象徴するように、圧倒的な暴力がそのまま形を取ったような化け物が鎮座している。
ただ息を吹きかければ人間なんて簡単に焼き尽くしてしまう。
それだけの絶対的な差がここには存在していた。
俺はそれを理解している。理解した上で、それでも思う。
「俺にとってドラゴンというのは、必ず倒される存在なんだよ。……もちろん、俺一人じゃ無理だろうし、それはクリスだって同じだろうけど……それでも、俺たちならやれる」
「……全く、何の根拠にもなっておらんじゃろうが」
確かに俺の言葉には何の根拠もない。
そもそも俺はそこまで自分の力を信じてはいなかった。むしろ逆で、自分の力を疑っていたくらいだ。
最初、アサルトウルフに腕を食いちぎられて死にかけた時、俺は自分を弱い存在だと思っていた。簡単に死んでしまう、そんな存在だと。
けれどそれを認めたくないから、俺は騒がなかった。「死にたくない」と騒いだら、自分が今まさに死にそうだと認めてしまうような気がして。
クリスはそんな俺を見て変だと言ったが、あれは別に何のことはない、ただの強がりだった。
簡単に言ってしまえば、俺は負けず嫌いなのだ。
だからこそ、クリスが俺の力を頼ってくれたときは、嬉しかった。次は勝てると、そう言ってもらったような気がした。
クリスにそんなつもりはきっとなかっただろうけど、だからこそ俺はクリスの期待に応えたいと思った。
――俺を信じたお前は間違っていなかったと、いつかそう言ってやろうと思った。
きっとそんなことに意味なんてない。けれど意味がないからこそ、俺はやらなければならないと強く思った。
意味も理由も根拠も、今の俺には何もない。
そんな俺だけど、それでもきっとクリスは信じてくれるだろう。
「いいから信じろよ。異世界に渡ってきていきなり死にかけるような俺を、さ」
俺は笑って、そう言った。
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