第3話 魔法の使い方、そしてダンジョン
翌朝、目が覚めると何だかいい匂いがしている。
部屋を出てみると、台所でクリスが朝食を作っていた。
「悪い、手伝うよ」
「ふむ、では皿をそっちのテーブルに運んでくれるかの?」
手伝おうと思ったがすでにほとんど作り終わっていたようで、俺は言われたとおりに出来あがった料理を運ぶくらいしかすることがない。
そうしてすぐに準備が整い、朝食の時間が始まった。
並んだ料理を見てみるが、特に変わったところはない普通の食べ物が並んでいる。どうやらこの世界も食生活は大きく違わないらしい。
芋を煮たスープにサラダ、パンのようなものに薄く切った燻製肉を焼いて載せている。冷蔵庫のような魔道具もあるみたいだが、さすがに卵の類は保存が効かないのか食卓に並んではいない。
食器は木で出来たスプーンとフォークが用意されていた。さすがに箸は存在しないだろうが、充分だ。
俺は手を合わせて言った。
「いただきます」
「ん? ……ああ、おぬしの世界でも食事の前に祈りを捧げるのか」
「そんなきっちりしたものでもないけどな。それより、俺の世界でもって言ったか?」
「うむ。この世界でも、ユーニス教を強く信奉しているものはそうして祈りを捧げておるな」
どうやらこの世界にも宗教はあるようだ。とはいえ俺はそこまで宗教に関して知識があるわけでもない。何か訊いておくべきことはあるのかもしれないが、今は特に思いつかなかった。
質問を諦めて、俺は早速フォークを手に持ってサラダを食べてみる。歯ごたえがしゃきしゃきとしていて、普通に美味い。
ドレッシングのようなものはかかっていないが、野菜自体の苦みや甘みがバランスよくマッチしていて、それぞれの味を生かしていた。
続けてスープを飲んでみたが、これも美味しくて体が温まっていくのを感じる。
「美味いな、これ」
「そうか? ならよかった」
「クリスは料理が得意なのか?」
「ん? 一応、そこそこにはな。まあこういう生活をしていたら自然と身に付いただけの我流じゃから、あまり応用は効かんが」
「いや、充分すぎると思うけどな」
俺は最後に燻製肉の載ったパンに手を伸ばして、食べる。
食感はインド料理のナンに近いかも知れない。もちもちとしていて、独特の甘みがある。
そこに燻製肉の塩味と旨味が合わさっていい具合に食欲をそそってくる。
単純な味付けの料理だからこそクリスの腕がよく分かった。
そうして食事を終えて、ダンジョン攻略に向けて俺たちは準備を始める。
「これをおぬしにやろう」
そういってクリスは俺に剣を差し出す。
「これは?」
「何の変哲もないただのロングソードじゃ。冒険者が最初に選ぶことの多い、最も基本的な武器じゃな」
「……俺は剣なんて持ったこともないんだけど」
「じゃろうな。とはいえそんなことは関係なく、おぬしなら簡単に扱えるはずじゃ」
そういってクリスは俺に剣を手渡した。
――ああ、確かに何だか軽く感じる。これも渡り人の力なのか。
何にせよ素手よりはマシに違いない。ありがたく受け取っておこう。
「そういえばクリス、昨日の話だけど」
「昨日……? ……どれじゃ?」
「魔法だよ。俺にも魔法が使えるはずだって言ってただろ?」
「おお、そうじゃった。なら早速試してみるか」
そう言って外に出ると、俺は早速クリスに基本的なことを教わることにした。
「魔法は周囲や体内にあるマナを自身の中で思い描いた術式によって変換することで様々な作用を起こすものと言われておる。色々細かい理屈もあるようじゃが儂も詳しくは知らんのでな、さっそく実践で学んでもらうとしよう。手を出してくれるか?」
「ん、こうか?」
言われるまま俺は右の手のひらをクリスに向けると、クリスも同様に左手をこちらに向けて近づけてきた。
そうすると俺とクリスの手の間に、ゆらゆらと弱い光を発する火の玉のようなものが見えてくる。
「これがマナじゃ。これを使って色々とやるのが魔法というわけじゃな」
「なるほど。……それで、俺は次にどうすればいい?」
「とりあえず儂が集めたそのマナを握って体内に取り込んでみてくれるかの?」
「マナを握る……おお」
言われた通りにやってみると、体中に温かい力のようなものが浸透していく。
「それがマナの感覚じゃ。一度その感覚を掴めば、今後はシン一人で苦労なくマナを扱うことが出来るじゃろう。……普通はその感覚を掴むのに、才能のある者でも何年とかかるものなのじゃがな」
「確かに、この周辺のマナの存在も分かるようになったな。……ずいぶんとマナが多いように感じるけど、これがこの世界では普通なのか?」
「いや、このあたりは近くにダンジョンが出来てしまうほどのマナが溢れておるから特別じゃな。言い換えれば魔法の訓練には最適ということじゃが。さて、あとはそのマナで魔法を使うだけなのじゃが……」
そうして俺はいくつか基本的な術式を教わった。
水を出したり風を起こしたりと、本当に基本的な魔法だが俺にも魔法が使えるというのは確かだった。
「ふむ、どうやらシンは火属性に才能があるようじゃの」
「そうなのか?」
「うむ。風も優秀なのじゃが、それと比べても火を出すときは異様にマナの消費が少ない。変換効率が相当に優れておるのじゃろうな。これなら大魔法も苦労せず使えるようになるはずじゃ」
詳しくは分からないが、俺は火属性の魔法が得意で、次が風ということになるようだ。
その一方で水や土などの属性はあまり期待出来ないらしい。
「まあ火や風とは対となる属性じゃからな、不得手でも仕方あるまい」
「なあクリス。それって成長したりすることは可能なのか?」
「ん? 水や土についてか……不可能ではないが、あまりオススメはせんのう。日々訓練を重ねて、数年後に人並み程度になれるかどうかという感じじゃな。まあそれも儂の見立てでしかないから、おぬし次第ではこの世界屈指の水の使い手になれるかも知れんがの?」
そう言ってクリスは笑った。
とりあえずは弱点を補うよりも、得意系統を伸ばした方が効率は良いようだ。
「そういえば、クリスが俺に使った治癒魔法ってのはどうなんだ?」
「治癒魔法か。あれは身体強化系の一種じゃの。属性魔法とは系統が異なるのじゃが……」
そう言っていくつか簡単な術式を教えてくれる。身体能力強化、感知能力強化、そして治癒能力強化。
いくつか試してみたが、その結果は――。
「うーむ、ヘボいのう」
「………………」
クリスの言うとおり、確かに俺の治癒魔法はヘボかった。私生活でかすり傷を治すくらいになら使えなくもないという、気休めのような効果しかない。
身体能力強化も、渡り人としての元の身体能力が優秀なせいか、特に効果があるようには感じられない。感知能力強化に至っては何が変わったのか分からないレベルだった。
「治癒魔法を使いこなせる者は魔法使いの中でも特に希少じゃからのう……まあ何、おぬしが怪我をしたら儂が治してやるから、安心するがよい」
「……ああ、ありがとう」
もしかしてクリスなりに慰めてくれたのだろうか。
まあ何にせよ、火と風の魔法が使い物になりそうだと分かっただけで今は充分だ。
あとは実戦で俺がどれだけ戦えるかという部分だが、それはやってみないと分からないだろう。
「――さて、それでは準備も出来たことじゃし、早速ダンジョン攻略に行くとするか」
「……ああ、行くか」
そうして俺たちはダンジョンに向かって出発することにした。昨日歩いた道を通って、入口までは何事もなく辿りつく。
「ここから先はどこから魔物が襲いかかってくるか分からんので、気を引き締めていくのじゃぞ」
「ああ、分かった」
「といっても、アサルトウルフクラスの魔物は早々現れないじゃろうがの」
俺は注意深く周囲を警戒しながらダンジョンを進んでいくことにする。
そうして少し行くと、不意に巨大なネズミのような魔物が襲いかかってきた。
俺は咄嗟にクリスを庇う様に体を動かし、跳びかかってくる魔物に向かって両手で持った剣を力いっぱいに振る。
特に回避らしい行動を取らないまま魔物は俺の剣をまともに食らって、そのまま黒い霧となって消滅した。
「ふむ、見事じゃのう」
「……何というか、あっけなさすぎないか?」
「確かに今のはそれほど強い魔物でもないがの。それでも、ほれ、これで大体一人分の晩飯代にはなるぞ?」
そういってクリスは拾った魔石をこちらに見せてから、それをローブの中の袋にしまう。
その後も同様のレベルの魔物が何度も、時には10体以上の群れとなって襲いかかってきたが、その都度俺は一撃で魔物を切り捨てる。
剣を使ったことはなかったが、確かにこれなら心配は要らないようだ。体も軽いし、何より敵の動きが止まっているかのようによく見える。
「しかし、おぬしの戦闘勘、とでも言うのかの? 今まで様々な冒険者を見てきたが、その中でもピカイチじゃ。常に最善の行動を迷いなく選択しておるように見える」
「うーん、そのあたりは自分ではよく分からないんだよな。こう動いた方が良いと思ったら自然にそう体が動いている感じで」
「ふむ、それもおぬしの渡り人として得た力なのじゃろうな。……しかし、おぬしが強すぎて儂の仕事が無いのう……そうじゃ、次の魔物は儂に任せておけ」
ふとクリスがそんなことを言い出した。
拒否する理由は特にない。それに、俺もクリスの戦い方には興味があった。
そうこうしていると、大きなウサギみたいな魔物の群れが現れる。10体ほどだろうか。
手を出すなと言われたので、俺はクリスの後ろで見ていることにした。
魔物との距離はまだ結構あったが、クリスはその距離から先手を打つ。
「氷爆――『アイスノヴァ』」
クリスがそう呟いて杖を横に薙いだ途端、周囲の気温が一気に下がったように感じる。そしてそれが気のせいではないことを証明するように、空中に巨大な氷柱が現れた。
直後に氷柱は爆発するように粉々に砕け、その破片が無数の氷の矢となって魔物たちに降り注ぐ。
魔物たちは回避することも出来ず、氷の矢に貫かれて次々と消滅していった。
「とまあ、儂の戦い方はこういう感じじゃな。あまりおぬしの参考にはならんじゃろうが」
こちらに振りかえって、得意げに笑う。
確かに、全く参考になりそうにはなかった。
一応俺も魔法を使った戦闘は考えていたが、ああいう戦い方は全く想定していない。
俺の場合はあくまで剣の補助として使う程度だろう。
しかし、一人でダンジョンを攻略しようというくらいだから強いのだろうとは思っていたが、クリスはここまで強いのか。
俺はそう感心しながらクリスを見る。
すると、その背後からさっきの群れとは別の、猿のような魔物が襲いかかろうとしていた。
「クリス!」
「分かっておる」
クリスはそう返事をすると、後ろを振り向くことなく、魔物を的確に杖で殴りつけた。
そうして弾き飛ばされた魔物に、すかさず追撃で氷の矢を放って止めを刺す。
「今のは杖術という儂の近接技能じゃ。おぬしの剣とは違って決定打にはなり得んが、とりあえず護身程度にはなる。そういうわけじゃから、おぬしはそう無理して儂を庇いながら戦わなくてもよいぞ?」
「……何だ、バレてたのか」
「そりゃ、あれだけ魔物と儂の間に割って入りながら戦っておればのう、気付かぬ方がおかしいじゃろう。しかしこの先は魔物も手強くなるから、後ろばかり見ておってはおぬしも危ないかも知れんぞ?」
そう少し脅かすようにクリスは言って笑う。
まあ確かに、少し敵に対して気が抜けていたのは事実だ。
目の前の敵に集中しろと、そうクリスは忠告しているのだろう。
ここは素直に受け入れて、気を引き締め直すとする。
そのまま少し進むと、今度は巨大なクマのような魔物が現れる。立ち上がると全長3メートルは軽く超えており、灰色の体毛と凶器のように長く伸びた爪が特徴的だった。
さっきまでの魔物とは明らかにレベルが違うように見える。
俺は両手で剣を強く握り、魔物めがけて真っ直ぐに走る。
すると魔物は俺を迎え撃つように斜めに腕を振り下ろし、爪で切り裂くように攻撃してきた。想像以上に反応が早い。
「待てシン! その魔物は危険――」
クリスが何かを叫んでいる。それは分かったが、反応している余裕がない。
俺は横に跳ぶように駆けて回避したが、魔物はその動きに反応して裏拳のように腕を振りまわしてくる。巨体に似合わない素早い攻撃だった。
横薙ぎに振られる丸太のように太い腕。まともに食らったらただじゃ済まないことは分かった。
けれど、それでも俺は前に踏み込んだ。
反応も速度も想像以上のこの魔物相手に、回避一辺倒で長期戦に持ち込んでも、被弾のリスクが増えるだけで危険だと俺は思ったのだ。
それならさっさと終わらせるしかない。
前傾姿勢で踏み込んだ俺の頭の数センチ上を魔物の腕が通過する。かすりでもしたら首ごと持って行かれそうな、ぎりぎりの回避。
そうした極限のリスクを越えた先にあったのは、攻撃を空振りして隙だらけになった、魔物の腹だ。
俺はそこに、全力で剣を叩きこんだ。肉を切り裂く、確かな手ごたえ。
――そのまま剣を振りきると、魔物はいつもと同じように黒い霧となって消えていった。
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