第2話 渡り人

 俺は先導するクリスにしばらくついて歩いた。特に何事もないまま、さっきの危険な森は抜けたらしい。というのは、俺の目にはさっぱり違いが分からなかったからだ。


 クリスによるとここまでの森はダンジョン化した森、この先はただの森ということだった。


 そこからもう少しだけ歩いたところに立っている木造の小さな家がクリスの住居だという。

 森の中に一件だけ寂しく立っているこの家に、クリスのような少女が一人で住んでいるというのだから、俺は驚くしかなかった。

 この世界ではそれが普通、ということはさすがにないはずだ。


 家の中に招かれて、早速リビングらしい空間に置かれたテーブル越しに向かい合うように座る。

 天井を見ると見たこともない球状の家具が、幻想的な光を放って部屋を照らしていた。おそらくはランプのようなものだろう。

 奥には小さな部屋が二つあるようで、彼女が一人で暮らすには充分に違いない。


 そんな中で、先に口を開いたのはクリスだ。


「さて、早速質問じゃ。まずおぬし、最初に言っておったな。気付いたらあそこにいた、と」

「ああ、その通りだ」

「ふむ……最も考えにくい可能性じゃが、おぬし、もしかして異世界から渡ってきたのではないか?」

「…………多分、そうだと思う」


 俺は正直に答えた。おそらくここは異世界なのだという俺の中の感覚。

 常識的に考えてあり得ないことであるはずなのに、俺の心は案外すんなりとその感覚を受け入れていた。


「そうか……とすれば、全て納得がいく話じゃな。おぬしはあの場所で妙な獣に襲われたと言っておったが、それは獣ではなく、魔物という全く別の存在じゃ」

「魔物……」

「世界に満ちる魔力、自然界に存在するそれはマナとも言うが、それが形と意思を持ったもの、と言われておる。おぬしを襲ったのはアサルトウルフというかなり危険な魔物じゃな。熟練の冒険者パーティーが被害を出すことも少なくないという。鋼のような体毛は一切の刃を通さず、大火力の魔法を狙おうにも目にも止まらぬ速さで動くため並の術者では当てることすら叶わん。群れを成さぬことだけがせめてもの救い、というくらいのな。おぬしよく無事……ではないにせよ、よく生きておったなと思ったのじゃが、『渡り人』ということなら何も不思議ではないのう」

「渡り人?」

「異世界から渡ってきた人間を、この世界ではそう呼んでおる。珍しいことには違いないが、過去に例がない訳ではない。渡り人は世界を渡る段階で様々な知識や技能を得ると言われておって、例えば今おぬしが儂と普通に会話出来ているのもその際に得たこの世界の言語知識のおかげ、という訳じゃな」


 なるほど。そういうことなら俺の体が軽い理由も、異様に反応が良いことも説明がつくような気がする。

 どういったものか詳細は分からないが、とりあえずはそういった技能を得たと思えばいいのだろう。


「参考までに訊くが、シン。おぬしはアサルトウルフをどうやって倒したのじゃ?」

「どうって、跳びかかってくる場所もタイミングも分かったから、それに合わせて鼻先を全力で殴っただけだよ。まさか一発で倒せるとは思わなかったけど」

「…………そうか。うーむ、やはり渡り人という者は、ここまで規格外れなのか……」


 どこか呆れたような雰囲気でクリスは呟く。


 しかしながら俺にはそこまでの実感はなかった。常人より少し反応がよくて、少し身体能力が高いだけではないのだろうか?

 正直なところ今はまだ一流スポーツ選手より少し優れた体を得たくらいの感覚でしかないのだけど。


 だから俺は思ったままを口に出した。


「俺からしたら、魔法を使えるクリスの方が凄く思えるけどな」

「何を言っておる、儂が凄いのは当然じゃろ」


 何だか理不尽な怒られ方をしたような気がする。


「とはいえ、多分おぬしなら魔法も使えるはずじゃぞ?」

「え、マジで?」

「マジじゃよ。まあその話は後に回すとして、シン。おぬしに一つ、頼みがある」

「分かった、引き受けよう」

「実は……ん? まだ何も言っておらんが」

「命の恩人の頼みだろ? 別に何だって引き受けるよ」


 クリスが何者かは分からないが、俺の命の恩人であることは間違いない。

 それにまだ少し言葉を交わしただけでしかないが、クリスが悪い人間ではないことは充分に理解出来た。


 それどころか相当のお人好しに違いない。そんな彼女の頼みを断らなければならないような理由は、今の俺には思い当たらなかった。


「それはありがたいが、ちゃんと話を聞いてから判断した方がよいぞ? これは危険を伴う話なのじゃから」

「………………」


 危険か。そんなことを言われたら普通は引き受けない。

 クリスは俺に頼みを聞いてもらいたいはずなのに、俺を気遣うようなことを言って自分を不利にしているという自覚はあるのだろうか。

 多分あるはずだ。

 交渉が不利になると理解していて、それでも嘘がつけないお人好しの性分。


 きっとクリスは今までもそうして損をしてきただろうし、これからも損をしていくのだろう。


 ……何というか、嫌いになれないタイプだ。放っておけない、とでも言えばいいのか。

 クリスがどう思うかは知らないが、少なくとも俺はクリスと仲良くやっていけそうな気がした。


「そもそも儂があの場所にいたのはダンジョンを攻略するためなのじゃが……まずダンジョンとは何かを説明した方がよいな。ダンジョンというのはマナの溜まった場所が、そのマナの影響を受けて変質した迷宮を指す。ダンジョン化すると様々なことが起きるが、特に問題となるのは次々と魔物が生まれてくること、そして放っておくとダンジョン自体が成長してしまうことじゃ」

「ダンジョン自体が成長?」

「文字通りの意味じゃ。ダンジョン自体が広大になったり、生み出す魔物が強力になったりな。そういうわけで、手に負えなくなる前にダンジョンを攻略して消滅させる必要がある、という話なのじゃ」

「つまり、クリスはあのダンジョンを攻略しようとしていて、その手伝いを俺に頼みたいわけか」

「察しが良いのう、そのとおりじゃ」


 なるほど。確かにダンジョン攻略となれば魔物との戦闘は避けられないし、危険は伴う。

 しかしそれ以上に渡り人である俺の力は強大で、手を借りられたらクリスは助かるという話だ。


 俺自身にそこまでの力があるのか正直実感は湧かないが、渡り人については俺よりクリスの方が詳しいのだから、それについては彼女を信用するとしよう。


「分かった、手伝うよ」

「……そうか。儂としてはありがたい話じゃが、本当によいのじゃな?」

「正直なところどのくらい役に立てるかは俺にも分からないけど、言いかえればそれを知るいい機会だしな」


 それは俺の正直な気持ちだった。

 今の俺には何が出来て、何が出来ないのか。それは早いうちに知っておきたいことだ。

 幸いクリスは治癒魔法が使えるわけで、一緒にいてくれるなら多少の無茶も出来るだろうという打算もある。


 さて、知りたいことはたくさんあるが……とりあえずはクリスのことを尋ねてみることにした。


「なあクリス。クリスって一人であのダンジョンを攻略しようとしていたなら、相当強いんだよな?」

「ん? まあ、そうじゃな」

「それなのに俺の手を借りようとするってことは……何かが想定外だったってことか?」

「うむ。そもそもダンジョンを攻略するというのは核となる魔物、ボスと呼ばれるものを倒す必要がある。ボスの強さはダンジョンの成長度で決まっておるので、ダンジョンに満ちたマナの量から大体予想が出来るのじゃが……どうやら予想よりもダンジョンが成長しておったようでの。おぬしを襲ったアサルトウルフクラスの魔物がボスじゃと思っておったのじゃが、もうワンランク上の魔物がボスの可能性が出てきた、というわけじゃな。おそらくは問題ないはずじゃが、儂も今は本調子ではない。万が一を考えてシンに手伝ってもらおうと思ったのじゃ」

「なるほどな……そういえばあの魔物を倒したとき、こんなものを落としたんだけど」


 そう言って俺はポケットから取り出した透明の石をクリスに見せた。


「ああ。それは魔石じゃな。マナが結晶化したもので、この世界では様々な用途に使われておる。その純度のものなら今のレートにもよるが、おそらく一カ月は贅沢に暮らせるくらいの額になるじゃろうな」

「そんなに価値があるのか……」

「今じゃと魔道具の普及で魔石は動力源としていくらでも需要があるからのう」


 つまり元いた世界でいうところの石油のようなものか、拾っておいて良かった。

 しかし、これ一つで一か月分の生活費か。ダンジョンには魔物が結構な数いるという話だし、本格的に攻略するとなったらかなりの稼ぎになりそうだ。


「そうじゃ、魔石で思い出した。ダンジョン攻略中に得た魔石の分配についてじゃが……」


 俺の考えを見透かしたように、そんなことをクリスは口に出した。

 別に報酬が目的ではないけれど、少しでももらえるというなら俺としてもありがたい話だった。

 それはこの世界で生きていこうとするのなら、必ず必要になるものなのだから。


「シンに全部くれてやる。おぬしが今後どうするにせよ、先立つものは必要じゃろう?」

「は、全部? それはいくらなんでも――」


 ――お人好しが過ぎる。


 俺は少し不安になった。

 しかしそれは話がうますぎるだとか、ダンジョン攻略の危険性についてなどではなく、単純にクリスという人間のことが心配になったのだ。


「おっと、勘違いするでない。もちろん儂にも目的があるのでな。……もしダンジョンのどこかで光り輝く白い花を見つけたら、それは儂に譲ってくれ」

「光り輝く白い花、か」


 クリスの様子を見る限り、おそらくそれは魔石なんかよりも、ずっと価値のあるものなのだろう。そしてそれを確実に手に入れるために、クリスのような少女がわざわざ一人でダンジョン攻略という危険なことをしていた。


 その花の価値を尋ねれば、きっとクリスは正直に答えてくれる。自分が不利になる情報であっても、決して嘘を吐いたり隠したりはしない。そんなお人好しの性分。


 俺はそんなことを考えながら尋ねる。


「その花が見つからなかった場合は、どうするんだ?」

「その場合も魔石はおぬしが全部持って行ってくれて構わんよ。儂の目的は最初から一つじゃからな」

「……よし、こうしよう。手に入った魔石は折半。花は見つかったらクリスの物だ」

「……ん? それはおぬしが損をしているだけではないか?」

「まあそうなんだけど……俺はクリスに借りがあるしな、それくらいで丁度いいんだよ。代わりに、もっとこの世界のことを教えてくれよ」

「ふむ……シンも、存外にお人好しじゃのう。おぬしならもう少し賢く生きられそうなものを」

「うるせぇよ、大体クリスがそれを言うのか?」


 そう言って俺たちは笑いあった。同時にクリスと仲良くやっていけそうだという感覚は確信に変わる。


「……さて、こちらの話が終わったばかりで悪いのじゃが、夜も更けてきたことじゃし、続きは明日にせぬか?」

「ん、ああ、もうそんな時間なのか」


 俺はこの世界にやってきた段階で時間の感覚は無くなっていて、今がどれくらいの時間なのか分からない。

 この家の中には時計のようなものは見当たらないが、おそらくクリスはおよその時間を知る何らかの術を持っているのだろう。

 まあもしかしたら単に眠気で判断しているのかもしれないが。


「うむ。それで寝床じゃが、そっちの部屋を使ってくれ。家全体に暖房の魔道具を使っておるから大丈夫じゃとは思うが、寒ければ収納に亜麻の布がいくつか入っておるから重ねがけでもしてくれるかの?」

「ああ、分かった」


 俺の返事を聞くと、クリスは奥の自分の部屋へと歩いていった。そうしてクリスが部屋の中に入っていったのを確認してから、俺もクリスに言われた部屋を確認する。

 部屋の中は窓際にベッドが一つ、小さな机と椅子に、収納棚がポツンと置かれているだけの簡素な雰囲気だったが、今の俺にはそれで充分だ。


 寝台の上に干し草を重ねて亜麻の布をシーツとしてかけたベッドは、思いのほか寝心地がいい。

 そこに寝転がりながら、俺は考え事をする。何について、というよりは取り留めのない雑多な思考。


 異世界に来たこと、魔物のこと、大怪我をして死にかけたこと、それをクリスに救われたこと。そして俺はこの世界では常識外れな力を持つ『渡り人』という存在だということ。


 正直自分にどういう力があるのかはまだよく分からない。だから実感もないし、自信もない。


 けれど、クリスはそんな俺の力を買ってくれている。異世界にやってきて、いきなり死にかけるような俺のことを。


 それだったら俺も、少しは信じてみてもいいのかもしれない。


 自分の持っている力を。


 そして――自分という、人間のことを。


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