第3話 追憶 ―ハローワールド―



 私は捨て子だった。



 生誕地は、今で言うドイツのハルツ地方。


深い森といくつものの山脈が連なる風景が広がっているだけの、当時としては変哲のない陰気くさい場所。


 その森の奥で、生後間もない私は捨てられた。理由は、単純に口減らし。あの時代、この地方では飢饉で食料が不足しており餓死者が大勢出ていた。仕方のない対応だったのだ。


 捨てられた時の季節は冬。全てを凍てつかせる寒さに、柔らかく大きめの雪がしんしんと降り、木も大地も空も白く覆われていた。

 こんな所に赤子を残されては餓死の前に凍死するか、命が尽きる前に狼たちの命の糧になるだろう。


 なぜ親は、私をひと思いに永遠の眠りにつかせなかったのか。それは僅かに在った良心の呵責。自分たちの手で殺めたりせず、せめて自然の死による裁量に任せたのだ。


 ただ死を待つだけの私を救って……いや、拾ってくれたのが、ある老婆の魔女だった。


 しわくちゃの顔、灰をぶっかけたような髪、腰が曲がり中背になっており、ボロボロのローブを羽織っていた。その風貌は、いかにもお伽話に出てくる魔女の姿。後に古(いにしえ)の魔女の一人であり、通称“灰色の魔女”と呼ばれていたのを知る。


 魔女は私を見つけると、黙したまま暫く眺めた。なぜここに赤子がいるのかを考えていたのだろう。やがて最初から赤子は居なかったように、静かにその場を立ち去った。


 私は泣きもせずに、その後ろ姿を見つめていた。それしか出来なかったとも言える。

 だが、魔女は足を止めると、私の元へ再び戻ってきた。

 拾い上げられると、そのまま魔女の庵へと連れ帰られて、生かされたのだった。


 後日、魔女が私を拾った理由を訊いた時、「ただの気まぐれだよ」と素っ気ない答えが返ってきた。世話をさせる為の小間使いや後継者、または実験動物として拾われた訳ではなかったが、結局近いことはさせられた。


 魔女に拾われた私は、育てられた……というより、生きさせられたといった方が正しい。世話や教育など一切されず放置されただけである。簡単かつ最低限の食事を与えられていたが、給付されない方が多かった。言葉を教えられず、服も着せられず、人間ではなく野生動物のような暮らし。まるで幼い子供が犬や猫を拾ってきて、家の軒先で親に内緒で世話されいるような。現代社会ならば児童虐待だと捉えられたてもおかしくないが、当時にそんな過保護な制度は存在していない。元より、魔女には関係無い話しだ。


 だけど、これが魔女の教育方法だった。


 物心が付き始めた五歳ぐらいには、物質とは違う“何か”が存在しているのを自然と感じ取れるようになっていた。

 その存在は“精神”と云われるもので、精神を感じ取れるようになると、木や花などの植物の気持ち、鳥や鹿といった動物たちの気持ちが漠然と解った。そして魔女の気持ちも。


 文字や言語が無かった時代、人達がどうやって意志疎通をしていたのかの原始を知ったのだ。

 そこで、やっと魔女の教育が本格的に始まった。といっても、ただ“真円”を描くことだけを命じられただけだった。



 真円……完全な円。この世に見える円は、円に見えるだけで完全な円ではない。



 円の周長や面積を求める時などに使用される円周率。この円周率は3.14159265359……と延々に続く超越数で無理数なのは周知のことだろう。未だ円周率の正なる解が明かされていない。つまり、円周率が約3と約されてしまう通り、人間が真円を描くのは不可能なのだ。


 その不可能な試練を課せられた私は、四六時中、地面に、壁に、空中に。眠る以外はずっと円を描かされた。いや、眠っていても夢の中で円を描いていた。約七年間描き続けていただろうか。現在判明している円周率の桁分以上に描いたと思う。


 十二歳の時だった。真円が描けたのは。


 描けた瞬間……漠然と感じていた“精神”の存在を明確に感じ取れるようになると、トランス状態に陥いり、気を失ってしまった。

 意識を取り戻すと、真っ白な空間が広がっており、自分はフワフワと宙を浮かんでいた。


 やがて、周囲にキラキラと大量の光りの粒子が出現すると、それらが私の中へと注ぎこまれた。

 水の中で溺れたように苦しく、巨大トルネードに巻き込まれたようにかき混ぜられ、雷の直撃を受けたように身体中に激しい電気が奔り、頭の中に直接空気を送られたようで風船が破裂するようだった。


 意識を失いたかったが、なぜか出来ず。何時間、何日と激しい苦辛を味わったが、終わりは突然だった。痛みも苦しみも、一切感じなくなった。

 そして、我を取り戻した時、


「ようこそ、この世界へ。気分は、どうだい?」


 指定席である古びた安楽椅子にゆったりと坐してる魔女が言った。

 初めて人の声を聞いたにも関わらず、言っている意味を理解していた。



 ――私は全てを知っていた。つまりそれは、魔女になったという証明だった――



   ■■■



「お師匠様、お茶をお入れしました」


 私は拾ってくれた魔女を敬意と感謝を込めて“お師匠様”と呼んでいた。それはお師匠の名前を知らなかったという理由もある。もちろん教えて貰おうとしたが、教えてくれなかった。

 魔女は他人に自分の本当の名……真名を知られてはいけないルールが在ったからだ。


 他人といっても、ただの普通の人間ならば大した問題ではない。自分と同じような特異な力を持った者に知られるのが危険だからだ。簡単に言ってしまえば、名前はパスワードのようなものだ。パスワードを知られるということは、悪用されるという可能性が生まれる。だから真名は秘密なのだ。ただ、名前が無いのは不便なので、愛称やあだ名が付けられる。お師匠様なら“灰色の魔女”といったあだ名が付けられているが、私には名付けてくれなかった。必要が無い……というより、まだ魔女としての特徴が無いからと言って。


 お師匠は「ありがとう」と礼を述べ、お茶を一口飲むと、話しを始める。


「お前が『万物の精神』に触れてから、もう一ヶ月になるかね。さて、おまえの中で強く感じた光は『万物の精神』と呼ばれるものだ。それがなにか、今ならなんとなく解っているだろう」


「はい、お師匠様」


「万物の精神……人や国、時代によって様々な呼び名が付けられている。禁断の果実、黄金の林檎、賢者の石、悟りの書、アーカーシャなどなど、時代が進めばまた違った名で呼ばれるだろうね」


 お師匠が語る突飛な内容に、私は理解し頷く。

 “万物の精神”の存在を明確に感じられるようになると、全ての物事が何故そこに在るのかの意味が解るようになっていた。

 初めて見るものでも、『あれは何か?』と訊ねられたら、滞りなく説明できるようになっていた。その理由は、万物の精神から答えを導かれるようになったからだ。


 現代風に説明するなら、検索サイトに知りたいワードを打ち込んで調べるようなものと同じだろうか。万物の精神とは、簡単に言ってしまえば、この世の全ての情報が格納された記憶集積所(データベース)……いわゆる図書館のようなものだ。


「万物の精神は存在し、物質界に生きる人などの生物たち各々に繋がってはいるが、おいそれと感じることも触れることは出来ない。虚無のようなもの。しかし、ごくまれに天啓などといって触れることができる。古今東西の救世主、預言者、錬金術者、賢者、そして私たち魔女たちは、その万物の精神に触れた者たちばかりだ」


「お師匠様も触れたのですか?」


「ああ。私の時は、花も恥じらう乙女の頃だったかね。ある時、稲妻の直撃を受けたのが切っ掛けだよ。その後、同類……今で言うなら、私の師匠のような魔女と知り合ってから、だらだらと過ごしてきたわね」


「あれ? ということは、私みたいに人工的? で、魔女になったのって……」


「さあね。捜せば居るかも知れないが……。しかしまさか上手くいくとはね。まあ、失敗していたら、どうせ捨てるつもりだったしね」


 お師匠はヒッヒヒと如何にもな笑い声をあげた。不躾けな発言だったが、私は腹立ったりせず「ひどいな」と笑顔で返した。

 捨て子だった話しをお師匠から聞いていたし、今こうして生きているのはお師匠のお蔭だから。


 魔女となった私は、何処に行く宛ても無い……いや、何処にでも行けるが、拾って救ってくれた恩を返したくて、助手や小間使いを申し出たのだった。

 お師匠は素っ気無く「おまえの好きにすれば良いさ」と承知してくれて、ひとまず私は魔女の弟子となった。


 さて、万物の精神から知恵を寄与されても、新参者の私が上手く扱える訳ではなかった。自動車の運転方法を知っていても、上手く乗れるとは限らない。多少なりの慣れ……経験は必要だ。


 お師匠が気まぐれに行う実験や研究は、万物の精神から導かられる想像を創造して、確証を得る為のもの。まるで料理のようだった。料理の調理方法を知っているのなら試しに作ってみる、ような感じだった。


 人間が想像できることは、万物の精神によるものなので、ある程度実現出来る。もちろん魔法も然り。

 当時、この世界には精霊と呼ばれるモノが存在し、それが魔法の元となると言い伝えられていた。その考えは間違ってはいない。この精霊は、後に元素と呼ばれるようになった。


 夢のない話……いや、現実的な話をすれば、魔法とは科学・化学なのだ。つまり科学・化学を追究していけば、やがて魔法と呼ばれるようになるだろう。

 しかし、魔法でも不可能はある。一例として述べるなら“不死”や“蘇生”そして“時間移動”。

 ちなみにお師匠の年齢は、当時500歳。


「私なんて、まだ若い方だよ。千年も生きている者もいる」


 魔女が長寿なのは珍しくない。


 人…動物という生物で考えれば、どんなに長寿でも150歳ぐらいが限界だけど、植物…木を生物で考えれば1000年以上生きられるのは並だ。

 老化は細胞の劣化である。ならば、その劣化を抑えたり遅らせたり、または防止させれば長生きが出来る。秘薬などで長生きを可能にしたのだった。先ほどのお茶がそれにあたる。


 しわだらけのお師匠を見て疑問に思う。


「なぜ不老を為そうとしなかったのですか?」


「私は魔女となり、普通の人間とは多少違う存在になった。けれど、私は人間であることの証明して、人並みに年老いてみたかったんだよ」


 500年以上生きている人間は人間なのか?

 と思ったが、老いることに意味があるのだと察して、あえて口にしなかった。


「それに不老だとしても不死ではない。死とは何か解るかい?」


「はい。命……魂が、万物の精神に還ることです」


「そう、生物には魂が存在する。生身から魂が離れて、万物の精神に還ることが死とする。つまり、生身が朽ちて消滅したとしても魂が残っていれば、死では無い。しかし、誰とて万物の精神に逆えない……いや、逆らうというのは語弊だね。万物の精神の意志とは、運命。運命に従うしか出来ないのだ。魔女などの超越者も例外ではない」


「それは、完全なる不死となった者は居ない……ということですか?」


「そう。私が知る限りではなく、万物の精神からでも、そういう知恵は得られなかったね。どんなモノでも死を迎える。絶対にね。つまりそれは、死から生き返らすのは不可能ということでもある」


 補足ではあるが、不死者と言えばゾンビなどのアンデッドだが、あれは不死なる者では無い。あれもまた魂が生身に宿り動いている。ただ思考力が欠けているだけに過ぎない。言うならば、ゾンビは単細胞や菌と同じ生物だ。


「どんなモノでも……。ということは、お師匠様。それは『万物の精神』も、死を迎えるということですよね?」


 お師匠は静かに頷き、


「そう。万物の精神にも始まりと終わりが記録されている。終わりは必ずある。その時は、近い時かも知れないし、遠い時かも知れないね」


 諦念が混じったように言った。

 だけど私は納得していなかった。

 まだ新参で浅はかだったからだろう。無知故の無謀。いや、気まぐれな功名心だ。



 ――“万物の精神”の運命を変えてみたい――



 魔女は気まぐれ屋が多いように思える。だけど、なぜ気まぐれなのかは、魔女に大抵不可能なことは無い。何でも思い通りに出来てしまう。だから適当にパッと思いつきの行動をしてしまうのだ。

 だから、変えられない運命を変えられる。それを成し遂げたかった。



   ■■■



 お師匠と一緒に過ごして数年経ち、私が十二歳の時だった。

 奴隷のような助手から、補佐としての助手な役目を与えられており、魔法やこの世界の理についても、自分自身できちんと把握できるようになっていた。そして、世界が終焉してしまうと知った頃だった。



 世界は終わる――これは運命なのだ。ならば、その運命を変えるとしたら――



 特に好奇心旺盛だった頃であり、世界の終焉の運命を何とかしたいと思っていた。正義心とか救世主になりたいという気持ちでは無い。ただ、好奇心が勝っていた。


「お師匠様は世界の終わり……終焉について、どう思いますか?」


「何事も始まりがあれば終わりがある。アルファでありオメガとも言うだろう。致し方ないことだよ。そして私が、魔法で不老不死に近い存在にならなかった理由でもある。どんな不可能なことでも可能にしてしまえるほどの力を身につけたとしても、世界の終わりをどう足掻いても不可能なのだ、どんなに長生きして世界の終焉まで生きたとしても、そこには“無”しかないのだから」


「でも、どうにか方法はあるのではないのですか?」


「私たちみたいな超越者が干渉すれば、終焉の予定を幾分かは延ばしたりなどの影響を与えられるかも知れない。だが、それだけだ。魔女とは言え、出来ることは万物の精神に記録されている事象だけに過ぎない。いいかい、私たちは万物の精神の手の平で踊るだけなんだよ」


 恐らく他の魔女たちも、私のように全てを知って、世界の終焉について討議したのだろう。しかし、全知全能に等しい知能を持っていたとしても有効的な方法は見いだせていない。


「そういえば……不可能の事象と言えば、死関連の他に時間移動がありますよね」


「なぜ不可能なのかは解るかい?」


「簡単に言ってしまえば、この世界……万物の精神には時間というものが存在しないからです。時間というものは人間たちが勝手に作り出した概念。“時間”が存在しないから、時間を戻す、時間を早めるというものが出来ない……無理な訳です」


 お師匠は黙って頷く。


「その通り。だが、この世界は万物の精神にて構成されている。では、その万物の精神の記憶を巡ることが出来れば、いわゆる時間移動のようなことができる……と考えた魔女が居た」


「万物の精神を巡る……あっ!」


「そう。万物の精神は情報……記録や記憶の集合体と考えた場合、記憶には過去や未来が記されている。ならば、その記憶に介入出来れば、過去の記憶や未来の記憶に触れられる。言うなれば、時間移動もどきみたいなものだね。けれど、この方法には条件がある。それは精神体でしか移動は出来ない。意味は解るね?」


「万物の精神に触れられるのは、精神体のみ。つまり魂。自分の身体(実体)などの物質は持っていくのは出来ないからです。でも、実体を分解なりして精神体に転換して再構成をすれば……」


「おまえが考えつくことを、試さなかった者がいると思うかい?」


 好奇心旺盛な塊の魔女たちである。実際に実験体や時には、自分の身で試した者も多かったのだろう。


「それで結果は?」


「結果は二つある。一つは、時間移動が出来る範囲は、自分の身体が存在した時までしか遡れない。理由は簡単。万物の精神に繋がっている部分でしか介入できないからだ。他に注意するとしたら、他人の精神に移り込むことも出来ない」


「とすると、もしここで私が過去に時間移動をしたとしたら、自分が存在している時……もっとも昔でも赤ちゃんの時までしか戻れないということですか?」


「時間移動という言葉的に合っていないから、おいおい言い換えた方が良いね。それは後にしてと……そう。己の精神体の媒介となるものが、そこに無ければ繋がることは出来ない。自明の理だね。しかし、戻ったとしても、その時の精神と衝突してしまって記憶が欠如したりする。まあ、これについては回避策は在ると思うが。現在まで、百の知識や記憶全てを過去や未来に持っていけた試しは無いね」


「……もう一つの結果は?」


「一つ目の結果を知ったのならば、ある程度予測出来ていると思うが……。同じ存在は、同一世界に存在できない。もし、存在してしまったら、反発してしまい消滅してしまうんだよ」


 お師匠はおもむろに右手を広げると、パッと光りが閃くと、そこにはただの石が現れた。石を錬金術によって作り出したのである。

 石ぐらい外で拾ってくれば良いものだが、お師匠ぐらいの魔女になると石を創出させる方が簡単なのだ。


「例えばこれを過去に戻す……この石が存在する時間帯に時間移動させたとしたら、どうなるか。移す流れは還りて……(ファイラフローゲェーファティルバーカ……)」


 今度はちゃんと呪文を唱えると、お師匠の掌に幾重ものの幾何学の光の魔法陣が浮かび上がると、そこに在った石が忽然と消えたのだった。

 暫くしても何も起きないので、「……?」と首を傾げてしまう。


「ということだよ」


 その言葉に察した。お師匠は実践してみたのだ。同じ存在の石を過去に移動させたが、過去に移動させたはずの石は何処にも出現しなかった。これは……。


「……消滅してしまったのですね」


「その通り。同じ物質となるモノは存在出来ない。この世の絶対の原則でもあり、理でもある」


 先ほどの精神を時間移動させた場合でも、過去と現在の精神が衝突し、消失してしまう例がある。


 今風に簡単に説明するとしたら、この理はPC(パソコン)のシステムに似ている。

 覚えはないだろうか。デスクトップやフォルダ内に同じファイル名を付けようとした時や、同名のファイルを移動させた時に、警告が成されるのを。


 つまり同じ時間軸に同物質となるものは存在できない。存在させようとすると、そのモノは同質になろうとしてしまい、上書きされてしまう。または、先ほどの石のように消滅してしまう。

 なぜ、そのようなことになるのか?


「これは私の憶測ではあるが、これは矛盾(パラドックス)を起きないための制御が働いているのではないかとね」


「矛盾(パラドックス)を?」


「もしも、だ。もし自分が生まれる前の時代に行き、自分のどちらかの親を殺してしまった場合……この先、生まれるはずの自分は生まれることは無い。しかし、親を殺してしまった自分は存在している。では、その時の自分は一体何者なのか。もし殺されたのであれば、自分という存在は存在していないのに……という矛盾が生まれる。しかし、この世界には矛盾は存在しない。故に、矛盾となる存在は抹消される仕組みがあるのだろう」


 いわゆる“親殺しのパラドックス”と呼ばれる論理である。


「でも、そうなった場合は、別の世界……並行世界(パラレルワールド)が誕生するとかではないのですか?」


「そう提唱した者も居たね。この世界……万物の精神は大きな木のようで、記憶が分かれる出来事が起きた場合、枝分かれのようになると。けれど、並行世界が有ると証明した者は居ない。つまりそれは、やはり矛盾が起きないように制御されていると考えた方が自然だろう」


 現時点での結論では、時間移動は限られた範囲でしか実施できない。けれど、可能性はゼロでは無いと論結していた。


 現に精神体は時間移動が出来るという実例があるし、問題である精神体の衝突も何とか出来そうだと漠然とした考えもあった。


 こうして私は、変えられない運命を変えるために、現時点で不可能だと考えられている“時間移動”について、主に研究することにしたのであった。



   ■■■



「もし私が両親に捨てられなかったら、どんな未来が有ったのだろうか……」


 お師匠から外出を許された時、まず始めに自分の両親を見つけようとした。

 私が捨てられた森から二日ほど離れた所に小さな農村があり、そこに両親が居たそうだ。いわゆる故郷になるはずだった場所。


 しかし私が訪れた時は、既に村は廃れており両親は居なかった。調べた限りでは、別の村に移住したのだが、そこで流行病(黒死病)にかかり命を落としたという。墓など無く、親の名残は一切残っていなかった


 その現状に、特に悲しいや寂しいなどの感情は湧かなかった。当然だ。親の記憶が無いのだから、慕情たる思いを抱いてはない。


 だけども――


 私が十七歳の時。精神や身体、知識が程よく発育した頃。独立を許されて、お師匠の家から少し離れた土地に自分の小屋(ラボ)を建てて、四六時中思案していた。


「自分の運命も変えられないのに、世界の運命なんて変えられる訳が無い」


 世界の運命を変える為に、まず己の運命を変える。その為に過去を改変しなければならない。


 自分が存在している世界の記憶帯ならば、精神を移動させられるが戻したとしても、赤子の時では自由に動くことも言葉も発せられない。ましてや精神衝突が起きて、魔女(これまで)の知識や記憶が消失してしまう可能性がある。


 精神衝突を回避する為には、絶対に消失させたくない精神に保護をかけるような手立てが必要ではあるが――


 もし、過去の……赤子の自分を救えるとしたら、やはり少し大きくなった自分自身が関与しなければどうにもならないだろう。


 やはり、精神ではなく身体……自分自身を時間移動させる方法を考え出さなければならなかった。


「同一の物質が同じ世界に存在してはいけない……出来ない……。なぜ、同じ物質が存在してはいけないのかは、万物の精神に存在しているのが原物(オリジナル)だけだから……ならば、私自身が私……原物で無くなれば、万物の精神の影響を受けないのでは?」


 つまり、今の私を“私A”とすると、分解再構成して“私B”という全く別の私を創りだすということだ。言うならクローンのようなものだろう。


「一旦、自分を分解し、再構成する。この再構成する時に同一の存在ではなく、全くの別の存在として再構成出来れば……」


 前述のPC(パソコン)のシステムで説明したが、同じファイル名だと警告されてしまうが、一文字でもファイル名を変更したり、「(2)」といった名を付記すれば回避できる。


 だが、人間を複製……ましてや、同じのようで同じではないように構成するのは容易ではない。例えば血液のA型をB型に変更するとしたら、身体(臓器)をその血液型に合った(適した)身体にしなければならない。神の如く、人間自身を創りださなければならないのだ。難易度は、まさに神のみぞ知る。


「簡単じゃないだけで可能性が有るのなら、試す意義が有るのよ!」


 まずは、私の複製人間(クローン)を創ることにした。


 もちろんただの複製では駄目である。要点は、万物の精神に存在しない存在でなければいけない。本来自身の複製人間を創るとしたら、自分の髪や骨や細胞といった一部を媒介にする手法があるが、それでは同じ物質(DNA)となってしまう。違う物資で構成しなければならない。


 複製人間(クローン)を創る自体は容易ではある。だけど、数多の魔女たちがホムンクルスという人工生命体を作り出しているが、形(身体)を作れても生命を作り出せていない。言わば、もぬけの殻なのだ。


 生命……魂は、万物の精神と繋がっていなければ機能しない。ここが一番の難題である。

 ゼロから魂を創り出すのは、どうしても不可能だった。


「魂となる精神は万物の精神でしか創れない……。いや、そもそも魂というのは創られるものではない。身体は出来たけど、肝心の魂が出来なければ、時間移動した時に衝突してしまう……」


 他の魔女が生み出したホムンクルスの例で言えば、別の魂を代替するのが多々だった。空っぽのホムンクルスに魂を転移や憑依させたりして、生命を与える方法だ。上手く魂が癒着しなかったりする場合もあったり、癒着したとしてもゾンビのようなただ生きるだけのモノになってしまう。


「いや、ここは私の魂を使用しても良いのかも……。懸念である精神の衝突は、保護をすれば良い訳だし。その保護の方法は……」


 大きな水晶に閉じ込めた“自分のクローン”を見ながら呟いた。

 試行錯誤で失敗の毎日だったが……私は成し遂げた。

 自分の魂を“クローンの自分”に憑依させて、私であり私とは違う別の自分に成ることが出来た。


 外見……見た目は、どこからどう見ても私だが、前までの私では無い。細胞の一つ一つが別の物質で構成されており、不老の方法も取り入れている。


 老化というのは身体の細胞の劣化である。新しい細胞が作られる度に、細胞は少しずつ劣化していくのだった。そこで成長させた細胞を、ある時期を迎えたら逆行させるように身体の仕組みを変えたのである。

 つまり、十七歳から一年の月日が流れて十八歳になったら、そこで十七歳への細胞を戻していくのである。一言で言えば、十七歳と十八歳の間を往復している。


 こうして私は、永遠の十七歳として生きることになった。


「さて。理論上では、私は別の存在になったから、同一の存在として認識されないはずだけど……」


 準備は整った。あとは過去に移動するだけ。

 もし失敗したら、同じ世界に同物質と衝突してしまい存在が消滅してしまう。テストは行えない、ぶっつけ本番のみ。

 だけど私に迷いは無かった。


「まあ、ここで失敗しちゃったら、私の運命もここまでだったことよ。女は度胸ってね!」


 精神を統一して、呪文を唱えだす。

 複雑な模様の大小の魔法陣が幾重も浮かび上がる。お師匠が石を転移させた時と違って、今回は人間なのだ。複雑さは雲泥の差ではある。


 やがて身体から青白い光が発させられ、光の粒子となり天へと昇っていく。

 精神……意識はハッキリしていた。万物の精神へと流れ込んでいき、激流の川を泳いでいるように過去の記憶を辿っていったのだ。



   ■■■



「ここは……」


 雪が舞い降り、雪景色が一面に広がっていた。冷たい風が頬をなでていく。

 辺りを見回す。四方八方に木々が並び立ち……森の中だと判断すると、他の木よりも一本だけ太く高い木が視界に入った。


 ここは私が捨てられた場所付近だと察した。


「戻ってこれた?」


 過去に移動してこられたかは、まだ確証を得られない。ただの瞬間転移(テレポーテーション)の可能性もあった。

 すると、遠くで雪を踏む足音が聞こえてきた。

 思わず近くの木に身を隠し、様子を覗うと、頬が痩せこけたヒゲ面の壮年の男性が使い古されたボロの布きれを身にまとい、こちらへ向かってくる。両腕で優しく赤子を抱いているのが見えた。


 直感だった。あの赤子は私だと解った。とすると、あの男性は自分の父親だということだ。

 ここで、自分は同物質による衝突消失せずに過去に戻ってこれたのだと実感しつつも、男性……父親をしばらく観覧した。


 父親は、あの太い木の元へ行き、佇んだ。

 抱いた赤子を生気が失った瞳で、じっと見つめ……頬から涙がつたう。

 その姿に、親の愛と哀がひしひしと伝わってくる。が、やむえない事情が有るにしても、親が子を捨てるというのは愚かな行為に見えた。


「その子を捨てるのですか?」


 私は顔が見えないようにフードを深くかぶって覆い隠してから、姿を現した。

 誰も足を踏み入れない深い森で人に遭うとは想定していなかったのだろう。突然の呼びかけに、父親はびくっと身体を大きく震わせて驚き、「あ、あ、あ……」と、戸惑っている。


 黙ったまま父の方を見つめていると、やっと幾分かは落ち着いたのか、「あ、あ、あなたは?」と絞り出すように訪ねてきた。


「ただの通りすがりですよ。それで……その子を捨てるつもりなんですか?」


「……し、仕方ないんだ。食うにも困る生活なんだ。私には、この子以外にも四人ほど子供がいる。数年続く不作と重税で、その日の食う物に困る生活なんだ。これ以上、子供が増えても食えないで死んでしまんだ……。お母の乳の出も悪くて……」


 虚ろな瞳から涙が溢れていた。心労が重なり先の未来……展望が見いだせないから、正常な判断が出来ない状態のようだ。


 いや――当時、口減らしとして赤子や子供、老いた両親を山に捨てることは、よくある事だった。まだ人買いなどに売られていく方が運が良い時代。だが、こんな地方に人買いが来ることは稀だった。それに世話が必要となる赤子など取引など皆無に等しい。


「養子に出そうとしても、どこも貧困に喘いでいる。子を養える余裕は何処もなかった」


「その子の母親はなんて?」


「お母は……この子を捨てるということは知らんよ……。寝ている時に、内緒でこの子を連れて、ここまでやってきた……」


「そうですか……」


 自分が捨てられた真相を知り、少しばかり安堵してしまった。

 実の親に会ったら、罵倒……ほどではないが文句の一つでも言うつもりだったが、事情を察する。もし、捨てられず育てられても栄養失調や病で早死にしていただろう。

 福祉など人が最低限生きる制度が、まったく無い時代。時代が悪いと言うしかない。


 でも、自分がこの時にやってきたのは、この運命を変える為。

 私は後ろ髪に右手を入れてると、中からおもむろに小袋を取り出した。


「でしたら、この種を授けますから、その子の命を助けてあげてくれませんか?」


「種?」


 父は訝しげつつも手渡された小袋の中を確認すると、たくさんの種が入っていた。


「特別なカブの種です。冷害や病気に強く、不毛な土地でもよく育ち、短期間で多く実ります」


 研究で品種改良したカブの種だ。この地方ではカブがよく栽培されており、特別な品種で文化や自然を壊すことはない。


「それと、これもどうぞ」


 また後ろ髪に手を入れると、今度は大きな袋を取り出した。

 突然現れた大袋の出現に、父は大きく身体をビクッと震わせる。

 その袋の中には、小麦粉のような白い粉……脱脂粉乳の粉であった。この時代にドライフリーズの製法などはない。未知なるモノであり、父は不思議そうな表情を浮かべて訊ねる。


「これは?」


「牛乳のようなものです。それをお湯などで溶いて薄めて、その赤子に飲ませてあげてください」


「ど、どうして、こんなことを?」


 父からして見れば、見ず知らずの相手から施しを受ける理由が解らない。疑問に思うのは当然だろう。


「……私も捨て子でした。私の場合は運良く、良い人に拾われて、こうして育つことが出来ました。ですから、私みたいな不幸な子は見たくないのです」


「……親の俺が言うのもあれなんだが、あんたがこの子を育ててはくれないか? さっきも言った通り、生活が苦しいんだ。今、しのげても……あんたから貰ったものが尽きてしまったら、また……」


 木々の枝に出来ているつららの如く、父を睨みつけた。

 赤子の時に言えなかった言葉を自分の口から伝える。


「どんなことがあっても、子は実の親と一緒に過ごしたいものなんですよ。赤ちゃんの瞳を見てください」


 赤子はじっと父を見つめていた。無垢な瞳。負い目を感じていた父にとって、まるで訴えかけているように感じた。


「もし、その子を捨てて、貴方たちの生命が長らえたとしても、悔いの念に縛られるのでは? 今は辛い時でしょう。だけど、この冬を乗り越え、その種を植えたのなら、きっと豊かな実りをもたらします。厳しい冬の寒さを草木が耐えられるのなら、人もまた耐えられるはずです」


「……ごめんよ……すまない……」


 父親は涙を流し謝罪の言葉を何度も何度も口にして、赤子を強く抱きしめた。

 赤子は苦しくなり泣き出したが、それでも父は力を緩めなかった。その泣き声は喜びに満ちている。そんな気がした。

 父は赤子を抱えて村へと戻っていき、その姿が見えなくなるまで見送った。


「……さあて、どうかな」


 背中を木に寄りかけて、一息ついた。これで魔女に拾われるという歴史は無くなり、未来が改変された。


「だけど私は存在している……うん。改変が上手くいったわ」


 自分や世界に、何ら支障が発生しないことに、ようやく成功を確信した。


「さてさて、これからどうしようか」


 自分が捨てられるという運命を回避した。アフターケアとして、暫くは幼い私や両親を陰で見守ろうとしたが、その前に会っておくべき人物が居た。

 しばし、今の場所で待っていると、その人物がやってきた。


 ボロボロのローブを羽織った老婆の姿が見えると、その元に駆け寄った。

 老婆は眉をひそめつつ、私がただの人間ではないと勘付く。自分と同類と思ったのだろう。


「何処の魔女だい?」


「私は……。私が赤子だった頃に貴女に拾われた者です」



   ■■■



「……なるほどね。それは盲点の方法だね。万物の精神に関与されない存在になる。確かにそれなら時間を移動出来るかもしれない……いや、成し遂げたか」


 勝手知ったるお師匠の庵にて、事情を詳細に話した。相手も魔女。私のことを信じて、全てを理解した。


「けど……あんたは馬鹿の子だよ。人間としての一生を捨て去るなんて……」


 万物の精神に関与されない存在になるために、別の存在になる。つまり、それはただの人間ではない存在になったということだ。もちろん、お師匠に言われるまでもなく認識していた。


「でも、魔女になった時点で普通の人間ではなくなっていますから、それほど違いは無いと思いますが?」


「万物の精神の内に居る限りは人間だよ。超常な能力を持っていたとしてもね。まあ、何を言っても、もう遅いね……」


 お師匠は小さく息を吐き、人間でなくなった愛弟子……私に哀れそうな視線を向けた。


「それで、これからどうするんだい?」


「自分の運命を変えることが出来ました。なので、本来の目的である……世界を滅亡から救ってみようかと思います」


「神になるつもりかい?」


「そんな大業は……いや、世界を滅亡から救うというのは、そういうことかも知れませんね」


「なんでも出来るほどの力を有して、自分を神と勘違いするものだ。それで幾人の魔女が悲劇な行く末を辿ったか」


「ただ、私は……長く生きられる身体になってしまいました。私だけが生きていて、世界が滅亡して誰も居なかったら寂しいじゃないですか。それが嫌なんです」


 シンプルな魂胆であったが、純粋な考えでもあった。

 お師匠は、これ以上問答をしても埒が明かないと察して、押し黙った。

 拾って魔女として育ててくれた礼の義理として、知識の教示


「それでは、お師匠様。私は、これで失礼します。私を拾ってくださり、魔女に仕立てくれてありがとうございました」


 深く頭を下げて、そそくさと、その場を去ろうしたが呼び止められる。


「お待ち。お前さんを拾って世話した記憶は無いが、選別代わりに、あだ名を付けてあげるよ」


「あだ名をですか?」


「名が無いと不便だろう。そうさね。まるで神のように……うむ。機械仕掛けの神……いや、魔女。機械仕掛けの魔女(マギ・エクス・マキナ)ってのは、どうだい?」


「機械仕掛けの魔女(マギ・エクス・マキナ)……とても素敵な名前です」


 個人的には、このあだ名を授かったのが、とても愉悦に感じていた。

 父と会った時に自分の名前を教えて貰えば良かったと思ったが、あれはあの子(別の私)の名前。

 たとえあだ名といえ、名前が付けられて初めて自分の存在を強く実感した。



 ――機械仕掛けの魔女(マギ・エクス・マキナ)――



 だけど、名前が長いからと言って、やがて“マギナ”とも呼ばれるようになった。


 お師匠様と袂を分かれてから、世界中を巡り、様々な人間や他の魔女にも出逢い、幾千の時を超えただろうか。世界の滅亡を回避させるために、何百何千と改変を行った。


 だが、解決させる根本的な手段を見出だせていない。様々な争いの種を根絶させたり、滅亡となるキッカケを前もって消失させたりしても、多少のズレを発生させるだけで、別の原因が出現していずれ世界は滅亡してしまう。


 しかし、不可能ではないはずだ。どんな優れたシステムでも穴(欠点)は存在する。抜け道が必ずあるはずだ。自分自身を別の存在にすることによって、不可能だった時間移動を可能にしたのと同じように。



   ■■■



 爽太はゆっくりとまぶたを開いた。


「……ゆ、夢?」


 長い夢を見ていたようだった。謎の女性……魔女の生い立ち(過去)を。

 夢の内容が真実なのかどうか考えようとしたが、如何せん寝起き。頭がハッキリとしない。それに肌寒かった。

 布団がはだけており、朝の冷たい空気をダイレクトに受けていたのだ。寒い訳だ。渋々とかけ直そうとした時、


――フニっ♪


 と手に柔らかい感触が伝わった。

 何気なしに横を向くと、眼前にグラマラスな谷間(ふくらみ)が広がっていたのであった。


「いッ!」


 魔女が自分の隣……同じ布団の中にいるではないか。

 胸元が少々露出しているピンクのネグリジェを身にまとい、透き通る柔肌がチラつく。

 目覚め一番で刺激的な光景に爽太は、眠気も先ほど見た“夢の内容”も一気に吹っ飛んでしまった。


「んっ…むにゃむにゃ……あっ、おはよ~」


 魔女が目覚めると、眠気混じりの気怠く挨拶をした。


 頬を赤らめて硬直している爽太に気付くと、魔女は悪戯な笑みを浮かべて、


「爽太くんのえっち!」


 と優しく甘く呟いた。


「いやいやいやいいやいやいや!? そもそもなんで俺の布団に!? どうして!?」


 絶世の美人があられもない姿で、一緒の布団で寝ているのだ。健全の男子だったならば興奮しないと失礼だ。

 爽太の動揺を無視するように魔女は「はふ~」と欠伸をする。


「もー、朝から大きな声を出さないの。それに些細なことで驚かないの」


「些細ではないです。なんでここで寝ているんですか? 魔女さんの為に客室を用意してあげたでしょうに」


「私だってひと肌恋しい時があるのよ」


「じょ、冗談でもそんなことは言わないでくださいよ!」


「ふふ。それで、どうだった?」


「何がですか?」


「私のお胸(っぱい)をじっくり見たでしょう?」


「じっくり見てませんから。ちょっとだけですよ!」


「はいはい。からかいは、ここまでとして。見たでしょう、私の過去を。特別に見せてあげたんだから」


「……あれは……あの夢の内容は、本当のことなんですか?」


 魔女の色気の衝撃で詳細は喪失していたが、“魔女の正体と目的”についてはハッキリと覚えていた。

 どこからどう見ても人間。十代の見た目。とても何百年も生きているとは信じられない。それや魔女という点で既に普通では無いとは思うが、人間ではない存在。


「そうよ。私の正体……過去を知っているのは少数なんだからね」


「それなのに、なんで教えて……くれた、というより見せてくれたんですか? 機械仕掛けの魔女(マギ・エクス・マキナ)さん」


「別に、そんな長たらしい名前で呼ばなくても良いわよ。今まで通り魔女さんでも良いわよ」


「でも、名前を付けて貰って嬉しかったんでしょう。だったら、名前で呼んで方が良いでしょう?」


「名前と言ってもあだ名だしね……。まあ、フルネームじゃなくて、マギナって呼んでくれても良いわよ」


「マギナ?」


「マギ・エクス・マキナを略してマギナって、呼ばれていたりするのよ。昔馴染みや知り合いとかにはね。ラテン語でマギは魔法使い、マキナは機械という意味があるのよ。私の存在にピッタリの名前で、洒落ているとかなんとか。だって」


「それじゃ……マギナ」


 爽太に自分の名前を言われて、マギナはちょっとだけ心がこそばゆく感じた。普通の人間にその名を呼ばれるのは久しぶりだというのもあるが。


「なーに、かな?」


「さっきの話しの続きだけど、なんで教えてくれたの?」


「ああ。しばらく、ご厄介になるつもりだから、得体も知れない人と一緒に暮らすのは気味が悪いでしょう。その代償みたいなものかな」


「代償……うん? しばらくって、どういう……」


 爽太が話しをしているにも関わらず、マギナは起き上がり、顔を洗いにそそくさと部屋から出て行ってしまった。


「あ、マギナ……」


 魔女(マギナ)との同居生活が始まることに、冬の寒さとは別の寒さが身体に奔ったのであった。



   ■■■



 爽太は普段より早めの時間で家を出た。

 あの“結果”を直接確認する為だ。


 普段と違う道を進んでいく、魔女(マギナ)と共に。

 道の先には羽室ヶ丘高校があり、その高校の制服(ブレザー)を着た生徒たちの姿がちらほらと見えた。


 爽太が通う碧海高校の制服は学ランである。コートを着てるとは言え、羽室ヶ丘高校のテリトリーに別の高校の生徒は目立って異端視扱いされるもの。

 少しでも人目に触れられないようにと、いつも以上に存在感を消して近くの電信柱に身を隠しては、通り行く羽室ヶ丘高校の生徒の顔をチェックしていた。もちろんマギナは他人から認識されないように魔法をかけている。

 爽太が朝早くから、ここで人間ウォッチングをしている目的は――


「来たわよ、爽太」


 と、マギナが言った。

 視線を向けると、反対側の道路の歩道に“児玉久美”が歩いているのを見つけた。

 卒業アルバムやインターネットだけではなく、ちゃんとこの目で生存を確認したかったのである。


 高校生になった久美は、小学生の頃のあどけない可愛さを残しつつ、歳相応に綺麗に成長していた。タウン雑誌で街角美少女として取り上げるほどだろう。


「端から見たらストーカーよね」


 マギナが辛辣な感想を漏らすも、注目して久美を見つめる爽太には聞こえてないようだった。


「隠れてないで堂々と会って挨拶でもしたら良いじゃないの?」


 改変してからの記憶には、中学校を卒業してからは一度も会ってはいない。しかし、久美を救ったことで、代わりに竜也が死んでしまった。その竜也の死を予知したことで距離を置かれるようになっていた。


「……辞めとくよ。気味悪がられているからね。姿を見れただけで良いよ……」


 今の爽太には、二つの記憶があった。改変する前と後の記憶。といっても、前の記憶はおぼろげになっていた。デジャブのような症状で、ところどころに既視感が有る感じだ。

 久美が死んだ記憶は薄れていたが、竜也の死という新たな後悔は生まれていた。けれど、初恋の人が生きている……助けられた感情で、少しだけ心が軽くなった気がした。


 爽太は久美に背を向けて歩き出した。一目見ただけで満足だった。


「……本当に歴史が変わったんだね」と、ポツリと呟いた。


「そうよ凄いでしょう!」


 これみよがしにえっへんと鼻を高くさせるマギナ。


「今まで、こんなことをしてきたんですか?」


「そうよ。爽太がやったように直接関与したり、はたまた、自然をコントロールをしたりもしたりね。けど、個別の人間の運命を変えるのは、あんまりやってはいないわ。たった一人の運命ならあんな風に簡単に変えられるけど、世界の滅亡という運命は容易に変えられないのよ」


「……マギナの目的って、本当に世界の滅亡を救う為?」


「カッコよく言ってしまえば、そうよ。爽太が先見の明で見た未来……あれは、必ず起きてしまう。私は、そうならないように何度も改変している訳だけど……」


「滅亡してしまう?」


「そう、爽太が見たままにね」


「どうにか……しているんですよね?」


「どうにかしているんだけどね。本当に、どうしたら滅亡エンドを回避できるのやらね」


「なんで、世界の滅亡を救おうとしているんですか? 別に良いじゃないですか、ほっといても。滅亡する直前に過去に戻れば、ずっと過ごしていけるんじゃ……」


「ただ過去に戻って過ごすのは、何度も同じ本を読むのと一緒なのよ。爽太の未来が解るのと、ある意味同じかもね」


 爽太は先見の明で漫画やアニメなどの先のストーリーが解ってしまう。未来を知るのと過去に戻るというのは同義だと言っているのだ。

 いや、何度も同じ内容を繰り返す方が苦痛だろうか。


「私がしている改変は、言うならストーリーの文章を変えていく作業のようなものね。でも、たった一字を変えただけでは、ストーリーの結末は大きく変わらない。変えるとしたら、例えば主人公を殺したりとかね。だけど、それでは破綻してしまう。世界の滅亡の原因を私自身が起こしてしまうようなもの。世界の滅亡を回避させる為のギリギリのラインの改変をしている訳だけどね……」


「上手くいくアテはあるんですか?」


「今のところ、無いわね。ただ、改変を続けていくことに意味があると思っているわ。変化を起こし続けていけば、運命のズレや特異点……万物の精神が誤作動してしまう何かがが生じるかもしれない。それが滅亡の回避の切っ掛けになるかもしれない」


「……かもしれない。未然形ですか」


「だって、まだ世界の滅亡を回避できてないからね。爽太の先見の明でも滅亡の未来が見えた訳でしょう」


 マギナは、世界の滅亡を回避させようとしている。しかし、マギナが何百年も改変しているというのに、今だ世界の滅亡を予見してしまう。


 さっきの本の内容を修正するようなものだと言っていたが、そんな簡単ものではないのだろう。自分の時は単純に溺れている久美を助けただけで生命を救えた。だが、未来を救うというのは、複雑に絡んだ運命という紐を解くように、普通の人間では不可能なこと。だけど、マギナは挑んでいる。過去に戻れるという『精神環移』という能力を使って。


 もし――


「だから……先の未来を見たくない?」


 マギナは微笑みを浮かべて、爽太を見つめる。


「私が魔女となった時に世界の滅亡を知った。滅亡……終わると知って、お師匠様や爽太みたいにダラダラと過ごすのも良いけど、勿体ないじゃない。特別の能力を持っているのに、ただ滅亡の時を待つなんてね。もし……もし、いつか。私が滅亡する未来を回避が出来たとしたら、爽太はどうするつもりなのかな?」



 ――もし、本当に滅亡を回避したのなら、人生に諦念した僕の未来は――



   ■■■



 爽太は胸に引っかかるものを感じつつ碧海高校へと向かっていた。碧海高校の生徒たちの姿が見え始めると、


「あ、藤井くん……えっと……」


 道の反対側から向かい合う形で、稀衣と偶然出逢った。


 昨日、“私がいつ死ぬか教えて欲しい”という荒唐無稽なお願いをして断れたので、何やら気まずい雰囲気が稀衣から漂っていた。


「そ、それじゃーね!」と、稀衣は耐え切れず足早に立ち去ろうとしたが、


「待って。その、尾林さんだっけ?」


 爽太の呼びかけに、稀衣はゆっくりと振り返った。


「え、はい……」


「昨日、言っていたやつ。予見してあげてもいいよ」


「予見……してあげてもいいって……それって?」


 爽太も昨日冷たく断った手前、ばつが悪そうにして稀衣から視線を外しつつ、


「その……尾林さんが言っていた……自分がいつ死ぬかってやつ、それを予見してあげるよ」


 稀衣は「えっ」と口をポカーンと開き――


「ほ、本当ですか?」


 改めて確認をした。


「だけど、必ず見えるかどうか解らないから、そのつもりで構えて欲しい」


「うん、解った。そ、それで、いつ見てくれるの?」


「えーと。それじゃ放課後にでもコンピュータ室に来てくれないかな。そこで詳しい話しをするよ」


「放課後だね! うん!解った!」


 稀衣は屈託の無い笑顔で返事した。それが妙に爽太の心に伝う響く。


「あ、まれーい! おはよー!」


 背後から稀衣の友達らしきクラスメートから挨拶されると、お互いビクっと震わせる。


「そ、それじゃ、放課後にコンピュータ室でね」


 と言って、稀衣は友達の元へと駆けていった。


 一人残された爽太……の隣にいた魔女がほくそ笑んでいた。


『どうしたの? どういう心境の変化?』


 他者(稀衣)には視認できないようにしている魔女が話しかけてくる。


「……人助けも、たまには良いかなと思ってね」


 過去の経験から未来が見えて忠告したとしても、未来を変えることが出来ないと、ずっと諦めていた。その所為で心を閉ざしてしまい、他人の未来を予見しないようにと極力人と関わりたくないようにしていた。


 だが、魔女と出会い、魔女のお陰で未来を変えられる経験が出来た。それに少なからず自分を求めてくれているのだから、無下に拒む理由は薄れていた。


 爽太は少しだけ、自分の能力……先見の明に自信を取り戻したようだった。


「……あれ? なんか胸が……」


 そして、胸に引っかかっていたものが消えていた。

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