最終話 俺の役割は全て終わっていたので、別れを告げることにする
「うおおっ! 吹き零れてるぞ、玲緒奈!」
「あーもう! なんでこんなにボロいのよ!」
「痛っ……」
喧しい叫びに半強制的に覚醒させられた俺は、布団から身を起こそうとして小さく呻く。
腹部に、鈍い痛み。
――そうだ。
昨日、俺は陽太に、ルーナに刺されて――。
表面的には傷痕は見受けられないのだが、それでも完全な治癒には至らなかったらしい。
もしかすれば、細胞の根幹から破壊する働きがあるのかもしれない。
とはいえ、数日もすれば回復するだろう。
とりあえず布団から半身を起すだけに留め、あたりを見渡せば俺の家。
見慣れた四畳一間の狭苦しい自室だった。
「辛いと暖まるっていうし、スパイス入れるのもいいかもしれねえな! インドで食ったのは辛かった!」
「おかゆにやめてよ、金剛! 自炊なんてしたことないんだから余計な口出さないで、火の番してなさい!」
それにしても、あまりにもうるさい。
怪我人――つまり俺のことを考えているとは思えない。
声からして玲緒奈と金剛だ。
この二人、集まるとかなり喧しいのである。
悪い意味で馬が合うというか、何をやらせてもわーわー騒ぎ立てる組み合わせ。
かつて俺が風邪を引いたときにも見舞いに来たのだが、看病をしているのか悪化させに来たのか判別がつかなかった。
流石に堪忍袋の緒が切れて
「――うるさいぞ、お前たち!」
キッチンに向けて怒鳴りつける。
すると――
「わ、悪い。来たの、迷惑だったかな……」
現れたのは、鮮やかなブルーのエプロンをつけた陽太だった。
所在なさげな、本当に悲しそうな顔。
……腹が痛んだのは、気のせいじゃないはずだ。
◆
「どうして俺の家に?」
「ええっと……昨晩晴翔が気絶した後、玲緒奈さんや金剛さんが来てくれたんだ。それで、一度家に帰れって言われて」
「そのとき、明日来なさいってあたしが言ったのよ。それで、この子は約束通りってわけ」
「……なるほど」
俺は陽太と玲緒奈の説明に頷く。
確かに、昨日は遅くなってしまっていた。陽太の家族が心配するのは必然だろう。
この二人が来てくれたのは有難い。
陽太は返り血に塗れていたため、あのままでは帰宅するのも一苦労だったかもしれない。
「あの様子からすると、朝っぱらから来ると思ったけど、お昼前だったわね」
「それは……野暮用があって」
陽太は何やら口をもごもごさせる。しかし、ちょっとだけ嬉しそう。
彼女を取り巻く環境が好転しつつあるのは間違いないようだ。
「で、今はおかゆづくりの真っ最中。ま、あたしと金剛は外野でわーわー言っていただけなんだけど」
「いえ、玲緒奈さんが材料買っておいてくれていて助かりました。オレ、こいつの食糧事情とかさっぱり忘れてて……」
そういえば、米なんてもの俺の家にはなかったな。
そもそも炊飯器自体ないのだから、仕方あるまい。
「こっちも料理なんて出来やしないの失念してたのよ。だから、ルナちゃんが来てくれて助かったわ」
――ルナちゃん、か。
それにしても、随分と二人と打ち解けたようである。
少し面白くないものを感じたが、それを抑え、自分の端末で時刻を確認する。
「十二時か」
「泥のように眠るっていうのかしら。かなり熟睡してたわよ」
道理で。
普段の寝覚めより強い倦怠感を覚えた。
間違いない、寝すぎだ。
その上、再生にエネルギーを使ったためか、腹の虫が大きな声で空腹を訴えてくる。
「……腹が減ったな」
「わかった! 今すぐ持ってくるから」
俺がそう告げた途端、陽太は弾かれたように飛び出していく。
……狭い家なのだから、走る必要はないと思うのだが。
向こう側から
「おお、ちゃんと火の番はしておいたぜ! 持って行ってやりな!」
「ありがとう、金剛さん!」
とやりとりが聞こえる。
多分、金剛の大声に張り合っているのだろう。
やけにテンションが高いと感じる。空元気でないとよいのだが。
そちら側へ視線を向けていると、
「……もう、問題なさそうね」
玲緒奈はぼそりと言うと、自身のバッグを手を伸ばす。
「帰るのか?」
「あたしも忙しいのよ。昨晩だって途中で抜けてきたんだし。うちに土日休みなんてものはないんだから。自営業の金剛とは違うわ」
「それは……すまない」
そんな俺に対し、玲緒奈はあきれ顔。
「あんたねぇ……。こんなときぐらい、甘えなさい。あんたの姉替わりなんだから」
「……えらく、そこに拘るな」
「ま、ね。でも、それももう必要ないかも」
感慨深そうな彼女を怪訝に感じるのだが、それを口にする暇は与えられなかった。
「あんた。この後一度、ちゃんとあの子と話をしなさい」
「陽太とか?」
「そ。自分が何をしたいのか。あの子にどうなってほしいのか。そうじゃないと不幸になるだけよ。これ、年上からのアドバイス」
玲緒奈はそれだけ言って立ち上がった。
扉の方へと向かうと、ちょうど入れ違いに盆に土鍋を乗せた陽太が現れる。
すれ違いざまに何やら耳打ちすると
「またね。晴翔。ルナちゃんも。ほら、金剛、帰るわよ!」
とだけ言って去っていく。
「もうか!? ……了解、了解」
金剛は渋々といった様子だったが、玲於奈に睨まれ渋々従った。
「じゃ、何かあったら呼べよ! 晴翔、またな!」
“また”、か。
それは再開を期待する言葉。
……次に会う機会はまずないことは彼らも知っているはずなのだが。
すでに、俺がこの世界でやり残したことは一つだけ。
それが終われば、元の世界に戻る。
いや、戻らなければならないのだから。
◆
「……旨いな」
粥を口に入れ、思わずそう呟いた。
あまり味のことがわからない俺でも、温かな味わいに安心を覚える。
ほぅ……とため息をついてしまいそうなほど、内面から癒される感覚だ。
「本当!? 今朝、母さんに教えてもらったんだ。えへへ、そう言ってもらえると嬉しいな」
陽太はとても幸せそうな顔を浮かべていた。
心から溢れて仕方がない。
そんな雰囲気。
俺は彼女に見守られつつ、土鍋を完全に空にする。
そして、布団の横に置いて盆ごと彼女の方へ差し出した。
「ご馳走様。旨かった」
「お粗末様でした」
満腹感を前に頬が緩む。
少し食べすぎたかもしれないが、それほど美味だったという証左だろう。
「……あの、晴翔」
変わらず嬉しそうにしていた彼女だが、俺が一息ついたのを見届けると、その表情を一変させぼそりと聞く。
「……昨日は、ごめん。オレのせいで」
「いや、問題ない。俺はこの程度の傷なら――」
「うん、玲緒奈さんから聞いたよ。再生する力が強いって。……それでも、傷つけたことには間違いないんだ。だから、本当にごめん」
目を伏せ、悔恨の表情を見せる陽太。
その姿に、俺の胸がきゅっと締め付けられるようなものを感じる。
こんな顔をさせてはいけない。
そう、心が命じてくるのだ。
どう伝えればいいか、迷い――素直に口にするしかないと思い至る。
「……陽太。すまないと思うのなら笑ってほしい。言っただろう? 俺にとっては、そんな顔をされる方が余程辛いんだ」
「笑えないよ……もし、晴翔を殺してしまっていたらって考えるとぞっとする。もし、オレに償えることがあるのなら、なんでも言ってほしい」
しかし、彼女は余計に悲しそうな顔を見せるだけ。
……陽太も、なんらかの罪滅ぼしをしなければ、自分自身が納得できないのだろう。
ならば。
「それなら、相殺として俺のことを許してくれ」
「……晴翔のことを?」
「ああ」
俺は、何度も敵としてルーナ――陽太を痛めつけた。
勿論命を奪うほどのことはしていないが、それでも全てを加算すれば昨日の傷などは上回るだろう。
それに――
「俺を庇わなければ、陽太は幸せに――何も苦しまずに生きていられたはずだ。だというのに、お前に全てを秘匿したまま関わってきた」
「そんなの、大したことじゃないよ……。助けたのは自分の意思だし……。それに、玲緒奈さんが教えてくれたけど、オレのことを心配して正体を秘密にしてくれてたんだろ?」
陽太の言葉に、俺は無言で首を振る。
……陽太のためといえば聞こえはいいが、ただ、この世界で出来た唯一の親友に嫌われたくなかっただけだ。
『――お前のせいだ』
自覚はあっても、もし彼女自身にそう言われてしまったらと想像すると怖くて仕方がなかった。
だから、最後の最後まで秘匿しようと考えていた。
事実、
「陽太にとって大したことがなくても、俺にとっては一大事なんだ。もしそれを否定するなら、お前の論調も成り立たない……違うか?」
一本取られた。
そんな顔をしている陽太に笑いかける。
「だから、お前が許してくれるなら俺も許す。これでお相子だろう?」
「……やっぱり、お前はオレに甘いよ」
陽太は、その言葉と共に儚げに微笑んだ。
やはり、泣きそうな顔。だが、その表情の奥にはかつての芯の強さがちらりと姿を覗かせている。
これならば問題はない。
俺はそう信じることが出来て――彼女に告白することにした。
◆
お互いに許し合うことで手打ちにしよう。
そう晴翔は言ってくれた。
……多分、オレが気に病んでいるからだと思う。
結局、決意にも関わらずあいつに甘える形になってしまった。
だけど、おかげで随分と気が楽になったのも確か。
なんだかいきなり照れくさくなってしまって、オレは盆を持ち洗い物でもしようかと立ち上がる。
「陽太」
――が、晴翔に引き留められてしまった。
「今から話すことをよく聞いて欲しい」
とても真剣な眼差し。
異論なんて挟めるわけがなくて
「……うん」
オレは頷いた。
そして向き直ると、晴翔の目をじっと見る。
あいつも同様にこっちを見つめていて、互いの瞳に相手の姿が映るような状況。
ごくりと生唾を飲む。
正直オレはかなり緊張している。
冷静に考えれば、今一つ屋根に若い男女(・・)が二人だけなのだから。
しかも晴翔の自室は――此処だけに限った話じゃないけど――とても狭い。
文字通り、目と鼻の先。
玲緒奈さんと金剛さんが帰って行ったのも、多分そのせい。
それに、去り際の玲緒奈さんはこうぼそっと呟いていた。
――もし、嫌がるようなことをされたら、病み上がりだって気にせずやっちゃいなさい。
余計なひと言のせいで、どうにも意識してしまいそうになる。
身じろぎするたびに痛そうにしているのはわかるのに。
――そもそも、あいつがするなら嫌じゃない。
なんて考えていると、晴翔が切り出した。
「今だから全て明かすが、俺はお前の体内にある『暗黒の種子』を取り除こうと活動していた。親愛や友情といった正の感情を与えることで、その力を抑えてな」
「それが、遊園地で言っていた?」
……覚えがある。
人の期待に反し、かつての姿に戻したいのだと言い出した時のことだ。
「ああ。協力者というのは、離反した『旅団(レギオン)』の面々だ。彼らは、今は一般人として暮らしている」
「玲緒奈さんたち、みたいな?」
「大体その解釈で間違ってはいないな。殆どは俺や彼らの部下たちだ」
そうか、ホテルのとき、着替えを手伝ってくれた女の人も……。元上司だから様付けしたりしていたのか。
あの色々を、全部晴翔の身内にみられていたのだと思うと、一気に頬が紅潮するのを感じる。
しかし、こいつの言葉に疑問を感じなくもない。
「……でも、『暗黒の種子』は消えたんだろ?」
夢の中の陽太(・・)は、サヴァロスの残留思念は消滅したと言っていた。
なら――と考え、尋ねると、晴翔は無言で首を横にする。
「これを見てくれ」
そしてちょっと変わったスマホの画面を広げる。
何やら種のような図形が表示されていて、5%と小さく書かれている。
それ以外は英語によく似た言語で描かれていて、いまいちオレには読み取れない。
「これは、『暗黒の種子』の浸食率を示している。この値が大きければ大きいほど、影響を受けていることになる。今は、驚くほど安定しているが……」
「じ、じゃあ……」
晴翔の言葉に、不安と共にひりつくような喉の渇きを感じる。
そんなオレを見て、申し訳なさそうな顔をする晴翔。
だけど、それを振り切るように続けていく。
「ああ、『暗黒の種子』は消えたわけじゃない。未だ、陽太の中に存在し続けているんだ」
◆
「……なら、また昨日と同じようなことが起きるかもしれないっていうのか?」
「浸食率が変わらない限りは問題ないはずだ。だが、確証があるわけじゃない」
震える声の陽太に、曖昧に答える。
先日の出来事は、浸食率が大幅に下がっていた状況でも引き起こされたのだ。
決して彼女を信用していないわけではないが、楽観視できるものでもない。
浸食率は陽太の感情にシンクロしているため、もし彼女をかつてない不幸が襲えばどうなるかもわからないのだから。
「だが、安心してくれ。そのために『暗黒の種子』を取り出す方法も考えてある」
「……そっか。ドキドキさせないでくれよ」
陽太は安堵に胸をなで下ろすと、気が抜けたためか、柔らかい笑顔で俺を見る。
「そして、『暗黒の種子』さえ取り除けば陽太も男に戻れるはずだ」
「ち、ちょっと待て。……オレに、男に戻れってのか?」
「ああ。それが望みのはずだろう?」
何故か、口をもごもごとさせる陽太。
ぶつぶつと呟いているのだが、口の中だけでのため俺には聞き取ることが出来ない。
なので、構わず続けることにする。
――これで、全てが終わりなのだから、未練を断ち切るためにも。
「そして、それで俺の役割も終わる。……今までありがとう、陽太」
「今までありがとうって……なんかさよならみたいなこと言うなよ」
縁起でもないと、頬を膨らませる陽太。
だが
「……いや、その通りなんだ」
俺はきっぱりと肯定による否定を返す。
俺が自分の世界に戻るのは、この世界に自分の居場所がないと考えているからではない。
最初はそのような想いもあったが、陽太と触れ合うことで軽減されている。
全ては、彼女の体内から取り出した『暗黒の種子』を完全に葬るため。
厄介なことに、あれは物理的に破壊することはほぼ不可能な性質を帯びている。
かつてのルーナの浄化の力であればなんとかなったのだろうが、今となっては無茶な話。
『暗黒の種子』に汚染され、彼女は
それは、『暗黒の種子』を取り除いたとしても変わらない。
いや、種子だけを取り除くことは出来ない、というべきか。
聖獣が負の感情を抑えるためにそうしたのか、『暗黒の種子』自体が意思をもって彼女の力を取り込もうとしたのか――。
どちらが正しいのかはわからないが、『暗黒の種子』と
かといって野ざらしにすることも出来ない。
『暗黒の種子』は、宿主がいなければ周囲の感情を取り込む働きがある。そのため、どれだけ厳重に管理しようが暴走するのは目に見えている。
だから、俺という器(・)に閉じ込め、自分の世界まで持ち帰り遺棄する。
あちらならば無人であり、暴走しようが何の問題もない。片道だけとはいえ、転移装置が現存しているのが幸いした。
「……なら、取り除かなくてもいいよ」
「それは、駄目だ」
説明を受けた陽太のか細い声を俺は容赦なく否定する。
「なんでだよ! オレは、お前と二度と会えないならこのままでいい!」
「もし、昨日みたいなことが起きれば無事に済む確証はない。だから、このままにしておくことは出来ないんだ」
俺だからよかったものの、凶刃が見知らぬ人間を向いていた場合を想像するだけでぞっとする。
そんな罪を彼女に背負わせるわけにはいかない。
「でも……でもっ!」
彼女は何度も顔を横に振る。
銀髪が振り乱されて揺らめいていく。
「それに、俺にはまだ陽太に告げていない罪がある」
「え……?」
……出来ることならば知られたくなかった真実。
それを、俺は彼女に伝えなければならない。
「『旅団(レギオン)』全体の、お前を戦いに巻き込んだ罪だ。……俺は、サヴァロスのクローンなんだ。だから、全ての罪を背負う必要がある」
騙されていたとはいえ、この世界に争いを持ち込んだ罪は消えることはない。
だから、その暴挙を止めてくれた
その旨を伝え、最後にこう告げる。
「俺も陽太と会えなくなるのは辛い。だが言っただろう? 俺は、お前のことが世界で一番大切なんだ。お前さえずっと笑っていてくれば……俺はそれでいい」
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